中国、一人っ子政策修正でも止まらない人口減


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中国共産党は11月15日、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の表現を借りれば「30年以上にわたり中国の家族生活のあり方を規定してきた政策の、最も重大な修正」を発表した。まもなく中国の夫婦は、いずれかが一人っ子であれば第2子を持つことを許されるようになる。これまでは両親がともに一人っ子でなければ、2人目を生むことは許されなかった。農村部の住民には多くの例外措置がある(たとえば第1子が女児であれば2人目をつくれる)ため、今回の変更は主に都市住民に影響を与えることになる。

 アナリストは一人っ子政策の緩和は、出生数の大幅な増加につながると見ている。中国人民大学社会人口学院の翟振武院長の推計では、新たに1500万~2000万人が第2子を持つことを認められ、そのうち50~60%にその意向があるという。カリフォルニア大学アーバイン校教授のワン・フェン氏は、修正によって年間出生数は100万~200万人上乗せされると予測する。

 当然、米国企業は歓迎している。「子供の数が増えれば乳製品の需要は増えるし、成長すれば食肉消費も増加する」。コロラド州を地盤に農業関連産業への融資を手掛けるコーバンクのダン・コワルスキ氏は語る。オムツブランド「ハギーズ」を製造元であるキンバリークラークもうれしくないはずがない。とはいえ、同社のトム・フォーク最高経営責任者(CEO)の発言は傾聴に値する。フォークCEOは中国での事業成長の大部分は、第2子の増加ではなく、日中のオムツ使用量の増加によってもたらされると見ている。

 フォークCEOが慎重になるのももっともだ。中国国営メディアによると、国家衛生・計画生育委員会の王培安副主任は今回の変更はたいしたことではないとし、既存の政策の「緩和」であることすら否定した。そして「中国の人口が短期的に増加することはない」と請け合った。

■2020年より前にも人口減少の転換

 中国の人口は伸びないという王副主任の主張は正しいが、人口がまもなく安定するという見立ては誤っている。中国政府は人口が減少しはじめるのは2033年ころと予想してきたが、今では減少への転換は2010年代にも起こりそうだ。昨年5月に香港で開かれたアジア・グローバル・ダイアログで講演した、中国銀行業監督管理委員会(銀監会)の初代トップを務めた劉明康・前主席は、ピークは2020年になるとの見通しを示したが、それは十中八九、1~2年早まることを意味する。

負の人口トレンドが加速していることは、労働人口にもはっきりと表れている。生産年齢人口は中国の主要な人口学者によると2010年に、国家統計局によると2012年に減少に転じた。いずれにしても政府高官が数年前に発表した2016年という見通しより大幅に早まっている。

 中国の人口動態が今まさに加速度的に悪化しようとしている原因は、謎でもなんでもない。中国の総出産率(TFR、実質的に女性1人あたりの出産した子供の数)は低い。国内の著名人口学者は1.4前後と見ている。国外では1.5~1.6というのが一致した見方だ。国営メディアはもっと高い数字を主張している。いずれにせよ、人口維持に必要な2.1を大幅に下回っているのは明白だ。

■出生時点の男女比がいびつ

 TFRが低い問題に拍車をかけているのは、女性不足が深刻化している事実だ。一人っ子政策や他の要因もあり、中国の出生時点の男女比が世界で最もいびつになっている。公式統計によれば、昨年は女児100人に対して117.7人の男児が生まれた(たいていの社会では100:107を超えることはない)。

 この結果、15歳以下の人口では男性が女性より2540万人多く、人口全体では5150万人男性が多い。女性1人あたりの出産数の少なさと、出産適齢期の女性の不足があいまって、人口動態危機のお膳立ては整った。

 中国が世界でもまれにみるすばらしい人口構造を誇っていたのは、それほど昔ではない。毛沢東の極端な出産奨励策のあとに一人っ子政策が実施されたことで、中国は労働人口の部分が極端に膨らむという「人口の配当」を享受した。

 だが今や中国では急速に高齢化が進んでおり、経済にもその影響が表れはじめている。賃金の上昇は生産性向上を大幅に上回っており(一因は労働人口の縮小だ)、低迷する製造業に打撃を与えている。そのうえ「人口の波」が襲いかかろうとしている。まもなく1人の労働者が2人の親と4人の祖父母を支えなければならなくなる。これは人口の逆ピラミッドと呼ばれる現象だ。中国の人口学者が(少なくとも内輪の場では)あらゆる人口抑制策はずっと前に廃止しておくべきだったと言うのも当然だろう。

 11月15日に発表された緩和策は、もちろん正しい方向への一歩だが、どう見ても不十分だ。