『笑顔』 第二章

「ジジ」が『えっ』と呟くのを聞きながら、私は心臓の鼓動が早くなるのを感じました。

お願い、知ってて。

『・・・えっと、一応訊くけど』

「ジジ」が少し目を細めて言いました。

『その「道重さゆみ」って、あの「道重さゆみ」だよね?「三大魔道士」の?』

私はその聞き慣れない言葉に、少し考えてから答えました。

『・・・たぶん』
『多分!?』
『たぶん・・・その人。よくわからないけど、すごい人』

「ジジ」は目を丸くしてから・・・ゆっくり首を左右に振りました。

あ・・・もしかして、呆れられてる?

『・・・知ってるの?その人を』

私が訊くと、「ジジ」は私の方を見ないまま答えました。

『知ってるよ』

私はそれを聞いて、心臓の鼓動が爆発したのを感じました。
その場で立ち上がり、「ジジ」の体を掴もうとして・・・
その両手が、何もない空間を切りました。

『・・・え?』
『「え?」じゃないわよ!同じこと言わせないで!』


その声に、私が上の方を見ると、「ジジ」はいつの間に高い本棚の上に避難していました。
私は構わずにその本棚に駆け寄って、上を見ながら叫びました。

『教えてジジ!!「道重さゆみ」の事!!ずっと、ずっと探してたの!!この町に来てから三週間・・・あちこち歩き回って、それでも見つからなくて!!』

私は叫びながら、過去の辛かった事が頭の中でフラッシュバックしていくのと同時に、その記憶が両目から流れていくのを感じました。

『お願い・・・ジジ・・・教えて』

私は再びぼやけて見えなくなった黒い塊のような「ジジ」が、テーブルの上に帰っていくのを感じました。
私は手の甲で涙をぬぐいながら、「ジジ」の言葉を待っていました。
テーブルの上で「ジジ」は・・・やはり、少し呆れているように見えました。

『三週間・・・この町で、「道重さゆみ」を探してたのよね?』

その声には、やっぱり呆れた響きが含まれていました。

『・・・うん』
『その間、誰も「道重さゆみ」の事を教えてくれなかったの?』

私が無言でいると、「ジジ」はわざとらしく大きなため息をつきながら言いました。

『・・・三週間、誰にも話しかけなかったのね?』

私の更なる無言を肯定と受け取ったのか、「ジジ」ははっきりとした口調で『やれやれ』と嘆きました。

『猫には話しかけれるのに、どんだけ人が苦手なのよ』
『う・・・』
『この町の人間に一回でも訊けていれば、三週間も無駄に歩き回ることはなかったのよ』
『・・・・・・』
『大体、そんなんでよく接客のバイトをしようと思ったわね』


「ジジ」の言葉は、私の心の柔らかい部分をヤスリでこすっていきました。
しかし、今の言葉の中に疑問を持った私は、おそるおそる質問してみました。

『この町の人は、皆知ってるの?「道重さゆみ」のこと』
『ほぼ、全ての人間が知ってるわ。
ただ、「三大魔道士」だって事は、一部の大人か同じ魔道士しか知らないけどね。
もっとも、この町の人間じゃなくても、魔道士なら誰でも知ってると思ってたけど』

と、「ジジ」は「魔道士」の私に向かって答えました。

『・・・有名人なのね』

その私の呟きに、「ジジ」は何か言おうとして・・・そのまま小さく何かを呟きました。
私には何て言ったか聞こえませんでしたが、あまりいい事ではなさそうでした。

『それで、あなたはその「道重さゆみ」を探し出して、会いたいの?』

「ジジ」の質問に、私は大きくうなずきました。

『うん』
『・・・わかったわ、いいから座りなさいよ』

その言葉に、私は椅子に戻りながら「ジジ」に訊きました。

『会えるの?』
『あなたがこの店をバイトで選んだのは、正解だったみたいよ』
『え?』
『「道重さゆみ」はこの本屋の常連さんだから』
『・・・え?』


「ジジ」のあまりの発言に、私は歩くのを忘れて立ち止まりました。

・・・常連?誰が?・・・「道重さゆみ」が?
・・・この店の?

『だからあなたが、もしこの店で雇ってもらえれば、いつか「道重さゆみ」に会えるし、もしそれが駄目でも、客としていつもこの店に入り浸れば、そのうち・・・』
「本当っ!!!??」

私の今日最大級の叫び声に、「ジジ」は器用に両耳を閉じて、同時に目も閉じました。

『・・・ちょっと!静かにしてよ!』
「ここに・・・「道重さゆみ」が・・・」

私は呟きながら、もう他の声や音が耳に全く入って来ませんでした。

会える、「道重さゆみ」に。この店に雇ってもらえば。
とても、すごい魔道士に。
そうすれば・・・そうすれば、なんとかしてくれる。
私の事を、救ってくれる。
だって・・・だって、「道重さゆみ」だから!!

『・・・ねえ、ちょっと聞いてる?』

その「ジジ」の言葉に、私は我にかえりました。

「え?」
『・・・人間の言葉になってるわよ。ちょっと落ち着いて』
『あ、ごめん』


私はようやく椅子に座り、目の前の絵本をじっと見つめました。

会える・・・会えるよ・・・

私は立ち上がり、本棚の方へ向かいました。そして本を眺め・・・

もうすぐ、会える。その為に、ここで雇ってもらわないと。

私は椅子に戻り、絵本を見つめました。少しページをめくり・・・

やっと、なんとかなる。なんとかなるよ。

立ち上がろうとした私に、「ジジ」は声をかけました。

『全っ然、落ち着いてないじゃない!』
『・・・え?』

だけど上の空だった私に、「ジジ」はため息をつきながら戒めてくれました。

『・・・常連といっても、来ないときは一週間も二週間も来ない時があるんだからね。今から慌てても仕方ないわよ』
『・・・えっ、二週間?』

その言葉にショックを受ける私を尻目に、「ジジ」はテーブルの上の包み菓子が入ったカゴに近寄りました。
そしてカゴに頭を突っ込むと、ガサガサと中を漁り・・・


『はい、これ』

と、私の前に、赤い色をした包みを咥えてきました。

『頭がすっきりして、落ち着くわよ。食べて』
『あ・・・ありがとう』

私は一応お礼を言って・・・その包みを手に入れたまま、そわそわし続けました。
キョロキョロ周りを見渡し・・・ふと、目の前にいる「ジジ」と目が合いました。
その目が「はよ、たべろ」と言っているような気がしたので、私は慌てて包みを開けて中身を口に入れました。
その途端、口の中が弾けた感じがして・・・

「うわっ!」

私は思わず叫んでしまいましたが、その刺激が収まると、今度は体中の感覚がふわふわしてくるのを感じました。
やけに頭がすっきりしてきて・・・確かに、落ち着いた気分になりました。
その途端、ずっと溜まっていた疲れと、我慢していた眠気が一気に襲ってきて・・・

あ・・・私、寝る・・・

まぶたが閉じられていくのと同時に、目の前の猫の黒いシルエットが周りと同化していくのを、
私の意識はかろうじて捕えました。


私は、夢を見ました。
その夢の中で私は、絵を描いていました。
私の隣には、私と同じくらいの歳の女の子が座っています。
彼女は私の絵を絶賛してくれたり、私に笑いかけたりしていました。
私も彼女に向けて笑おうとして・・・

・・・・・・
・・・・・・

けど私は、どうしても笑うことができませんでした。
好きな絵が描けて、大好きな女の子と一緒にいて。
楽しくて、嬉しくて。
なのに・・・

なんで、笑えないの?

そんな私の顔を、女の子はじっと見つめています。

・・・いや、見ないで。
そんな顔で、見つめないで!

私の・・・私の・・・
私の「笑顔」は、どこにいったの?

 

私は目を覚ましました。
テーブルの上に顔をうずめて寝ていたらしい私は、ゆっくりと顔を上げて・・・

「あら」

まだはっきりしない視界でしたが、目の前に誰かが座っているのがわかりました。


「・・・え?」
「おはよう。よく寝てたわね」

私は目を擦りながら、今の状況を把握しようと記憶を辿りました。

・・・あ、そうか。
今、本屋にいるんだった。

頭の中がはっきりしてくるのと同時に、視界もはっきりしてきました。
その女性は、テーブルの反対側の椅子に座っていて、何かの本を読んでいるようでした。

・・・誰だろう?

私は、彼女の顔をまじまじと見つめて・・・その魅力的な顔に、思わず見とれてしまいました。

うわ・・・綺麗な人。

艶のある長い黒髪と、白くて美しい肌。口元の小さいほくろが魅力を助長しています。。
その立ち振る舞いは自信に満ち溢れていて、見た目の年齢を遥かに超越した雰囲気を醸し出していました。

・・・この人は、まるで・・・

「女神・・・」
「あら、ありがとう」

私の短い呟きに、その女性は当たり前のようにお礼を言いながら、私に笑顔を向けました。
その笑顔は、恐ろしいほどの輝きを放っていて・・・

「で、あなたはここで何をしているの?」


その質問に、私は我にかえりました。
彼女は、少し首を傾げながら答えを待っています。

「あ、私は・・・」

私は自分の状況を説明しようとして、今さらながら初対面の人間に対する奥手な性格が顔を出すのを感じました。
「・・・あ・・・あの」

小さく呟きながらきょろきょろと視線を惑わす私を、彼女は不思議そうな顔で見ていました。

何か、何か言わないと・・・

私は頭をフル回転させて、説明の段取りを組み立てようとして。
ふと、ある可能性に気付きました。
私が視線をまっすぐ彼女に向けると、彼女はまだ不思議そうな顔のままです。

もしかしたら、この人は・・・

私はこの女性が自分の待ち望んだ人間だと気付いて、臆病風に吹かれている場合ではないと、自分を戒めました。

そうだ・・・この人に、言わなくちゃ!!

私は勇気を振り絞って、言葉も振り絞りました。

「あの・・・私」
「何?」

彼女は微笑みながら、私の言葉を待ってくれています。


言え・・・言うんだ、私!

「私・・・私を・・・」
「うん」
「私を!この店で、雇ってください!!」
「・・・・・・・・・はい?」

私の言葉に彼女はきょとんとしましたが、私は構わずに続けました。

「私、この本屋さんで働きたいんです!雇ってもらわないと、困るんです!」
「えっと・・・」
「私、何にもできませんが、掃除洗濯くらいならできます!本屋の仕事も一生懸命覚えます!お願いします!!」

そう言って私は、テーブルにおでこが着くまで深々と頭を下げました。
しばしの沈黙・・・でもすぐに、彼女のくすくすという笑い声でそれは破られました。
その女性は少しの間笑い続けた後に、優しい声で言いました。

「顔を上げて。残念だけどね」

その言葉に私の胸はぎゅっと軋み、顔を上げることができません。
でも、次の言葉を聞いて、すぐさま頭の位置を戻しました。

「私はここの店の人間じゃないの。ただのお客さん」
「・・・え・・・」

見ると彼女は、手元の大きな白い本を持ち上げて私に見せてくれました。


「ちょっと読みたい本があったから、寄ってみたの。ごめんなさいね」

全く謝る必要がないはずの彼女に、私は力が抜けながらも申し訳なくなりました。

「ああ・・・すみません、私勝手に早とちりして」
「いいの。気にしないでね」

彼女は優しい笑顔を私に向けて、それから手元の本を読み始めました。

なんだ・・・店主さんじゃないのか。

私は小さくため息をつきながら、さっき振り絞った勇気が無駄に終わった事にがっかりしました。
今の流れを今日もう一度繰り返さないといけないのかと思い、私は暗い気持ちになりました。
ふと・・・自分の足に当たる不思議な感触に気付いて、私は足元を覗いてみました。
すると私の足先に、丸くて黒い物体が見えました。
どうやら「ジジ」がそこで寝ているようです。

・・・ちょっと、ジジ!

私はつま先で、つんつんと「ジジ」の横腹をつついてみました。
でもその黒猫は、少し動いただけで起きる気配がありません。
私は呆れてしまいました。

あんた店番でしょ!
お客様が来ているのに、全然意味ないじゃない!!

私は、やっぱり「猫」は「猫」だなとひとりで納得し、改めて目の前の女性に注意を向けました。


彼女は真剣な目で、読書に集中しています。

私は彼女が何を読んでいるのか気になり、その本の表紙を見てみました。
そこにタイトルは見当たりませんでしたが、6歳前後の可愛らしい女の子の写真が載っています。

・・・何の本?

私は不思議に思って自分の位置から見える範囲で中身を覗くと、本の中身の方も全て同じように女の子の写真が載っているだけのようでした。
私はこの美しい女性が、本屋の片隅で幼い女の子の写真だけが載った本を真剣に読む理由はなんだろうと考えました。

一体この人は何者だろう・・・

そして、少しの間考えて、出た結論はこうでした。

この人は、多分、幼稚園の先生だわ。
そんな雰囲気がある。

私は勝手にそう決めつけて、再び彼女の顔を眺めました。

だけど、ほんとに・・・
ほんとに綺麗な人。

私はふと、果たして自分はこの人の美貌を自分の画力で描き表わすことができるだろうかという疑問を持ちました。
だけどすぐに、この疑問自体今は全く意味がないことに気付いて、思考を停止しました。

何も、描けないのに。バカだな、私。


「描けない」という言葉が頭の中に響く度に、私の胸が悲鳴を上げる。
その流れを数え切れないほど繰り返してきた私は、それでもそれに慣れることはありませんでした。

私は自分の首を左右に振ってから、腕時計で今の時間を確認しました。
時間は、もう「夕方」と言えるほど経過していて・・・

遅いなぁ・・・店主さん。

ふと私は、黙々と本を読むこの目の前の女の人が、その本を購入したいと言い出したら
私はどうすればいいんだろうかと、少し不安になって来ました。
足元で眠っている「ジジ」を起こしたとして、猫がお金を受け取っておつりを渡せるとは思えず・・・
そんな私の思いが伝わったのか。
その女性が読んでいた本をぱたっと閉じ、私にゆっくり視線を向けてくるのが見えました。

あ・・・どうしよう・・・

さっきの会話で、私がこの店の人間じゃないことは知っているはずですが、
私はこの人が変なことを言わないようにと、頭の中で祈りました。
だけど、彼女が口を開き私に言った言葉は、想像とは違っていました。

「あなた、何か悩みがあるでしょう」

私は、一瞬何を言われたのか分からずにそのまま硬直してしまいました。
彼女は、まっすぐに私の顔を見つめています。

・・・え?
・・・なんで?

「「なんで」って顔をしてるわね」

彼女はそう言いながら、不思議な笑みを浮かべました。


私は何か言おうとしましたが、うまく言葉が出てきません。
彼女は、私の顔に向けて細くて白い指を向けながら言いました。

「そんな顔をしているわ。「今ものすごい悩んでます」ってね。見ていて痛々しいくらい。それに・・・」

私が自分の顔に手を当てるの見ながら、彼女は続けました。

「さっきの雇って欲しいって頼んでた時の声が、ちょっと普通に聞こえなかったからね。雇って貰わないと困るっていうのも気になったし」
「・・・あ」

やっと出た声でしたが、私はそのまま、また黙り込んでしまいました。

やっぱり・・・私の顔・・・
そんなに、辛そうに見えるんだ。
・・・自分では、全然気がつかなかった。


「あなた、お名前は?」

その女性に突然名前を聞かれて、私は考えるのをやめてから、ゆっくり答えました。

「私は・・・飯窪春菜です」
「いいくぼはるな、ね」

私の名前を復唱し、彼女はまた不思議な笑みを浮かべながら言いました。

「よろしくね、はるなん」
「あ・・・」


はるなん・・・

私は初めて聞くその響きに、自分の胸が不思議な温度を発するのを感じました。

はるなん・・・はるなん・・・

妙にくすぐったい感覚に、私はうつむいて・・・
だけど、その時別の感覚が、私の胸に声をかけて来ました。

なんだろう。
前に、誰かに、そう呼ばれたような。
「はるなん」・・・そんなはずは・・・

私が自分の中に存在しないはずの懐かしさに混乱していると、
目の前の彼女が、こう言いました。

「私の名前は、道重さゆみ」

・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、この言葉を理解する前にしておかなければいけなかった準備が、
全てすっ飛ばされてしまった事に気づきました。
その結果、私の頭と胸の中で起こった衝撃に、脆い心が耐えられなくなり・・・

「・・・は・・・あ・・・」

動かない口角とは裏腹に、全身の血脈が逆流し、脳に、心臓に、ありったけの血液が流れ込むのを感じました。


み ち し げ さ ゆ み

この人が
道重 さゆみ

永遠のような一瞬が私の中に訪れて、そこで私は考えられる全てを考えました。

この人が道重さゆみ 偉大な魔道士 私を救える 
大丈夫 描ける これで 描ける
お父さん 描ける 私 描ける
この人に 会いたかった ずっと ずっと
この人に 会いたくなかった できれば ずっと
・・・・・・・・・・・・・

私は、目の前の「道重さゆみ」が、今すぐに消えて無くなってしまうんじゃないかと、
目を見開いて凝視しました。
彼女は、何も変わらない様子でそこに座り続けています。

早く・・・言わないと・・・

私は口を開いたまま、出ない言葉の代わりに出る荒い呼吸に、絶望を覚えました。

なんで・・・なんで、言えないの?

会いたかった。道重さゆみ。
ずっと、ずっと探してた。
でも・・・

私は、「会いたくなかった自分」が私の中にいることに驚愕しました。


会いたくないの?
なんで?
・・・・・・・・・・

その理由に思い当たり、ずっと考えるのを避けていた「ある可能性」が胸の中に湧き出し、
私の喉を硬直させているのだと分かりました。

もし・・・もし・・・
だめだったら?
「道重さゆみ」でも、だめだったら?
一番凄い魔道士「道重さゆみ」でも、私を治せなかったら・・・

私は・・・私は・・・


その温かい感触が、私の頬をなでていきました。
私は急に働くようになった外に対する思考能力で、その感触を確認し・・・
私の右の頬が、ざらつく何かで舐められたようです。
その黒猫は、テーブルの上にいつの間にか座っていて、私の顔を見つめていました。


「ジジ・・・」

私は呟き・・・さっきまで活動するのを拒否していた喉が、すんなりと声を出してくれたことに驚きました。

「私・・・」
「どうしたの?」

「道重さゆみ」が、少し心配そうな顔で言いました。

そうだ。この人は・・・
私が、探していた人。

私は、驚くほどの静寂に包まれた頭の中と、少しだけ軽くなった胸の内を感じました。

・・・大丈夫。きっと、大丈夫。

私は軽く息を吸って、ゆっくり大きく吐き出しました。
そして、「ジジ」の顔を見つめました。

ありがとう、ジジ。

黒猫の目は、不思議な輝きを放っているように感じました。
それが私には、「がんばれ」と言っているように見えて・・・

「道重、さゆみ・・・さん」

私は前に視線を移すと、ゆっくり一言一言噛みしめるように言いました。

「道重さゆみ」さんは、優しい目で待っていてくれました。

やっぱり・・・この人なら。
この人なら、大丈夫。


「私、あなたを・・・」

私はさっきまでの自分とはまるで別の人間になったかのように、思ったことを言葉にできるようになっていました。

「道重さんの事を、ずっと探していました」
「私を?」
「はい」

道重さんは、私の言葉を聞きながら優しい笑みを浮かべています。

「なぜ、私の事を?」
「それは・・・」

私は、ここに至るまでの出来事を思い出し、喉を詰まらせました。
しかし、それはすぐに治り・・・

もう、大丈夫。私、言える。

「・・・あなたに、私の事を診てもらうためです」
「診る?」
「私の、絵が描けなくなった体を・・・そして、それを治して欲しいんです」

「描けない」という言葉を発しても、その時の私の胸には痛みを与えることはありませんでした。
それは、道重さんの優しい視線が私の何かを守ってくれていたのかも知れません。

「絵が描けない、というのは」

道重さんは真剣な顔つきになり、質問して来ました。


「絵がうまく描けない、とかそういうことかしら?」
「いえ、そういうことではないです」
「それじゃ・・・」
「全く、描けないんです」

私は、改めて自分の状況を言葉にすることで、その異常性を再確認させられました。

「・・・やってみてくれる?」

道重さんの言葉に、私は椅子にかけてあるバックから再びスケッチブックを、
そして鉛筆を一本取り出しました。
白い画用紙の上に握った鉛筆の先をそっと置き、軽く深呼吸をしてから、
私は、「絵を描いて」みました。
だけどその鉛筆は、その位置から全く動こうとしません。
私は腕に力を入れましたが、自分の腕が石になったかのように、肩から先が動くことはありませんでした。
それはまるで骨折用のギブスを着けてるような感覚で・・・

「もういいわ、ありがとう」


その言葉に私は力を抜き・・・手から鉛筆が落ちると同時に、固まった体が元に戻るのを感じました。

描けない・・・

わかってはいたことでしたが、それでも実演するのは怖く・・・また少し胸の痛みを感じてしまいました。
私が道重さんを見ると、彼女は顎に指を当てながら、少し驚いた顔で私の手を見つめていました。

「・・・文字は書けるの?」

その質問に「はい」と答えながら私は鉛筆を再び掴んで、画用紙に「いいくぼ」と書いてみました。
いいくぼ、いいくぼ・・・鉛筆は止まることなく、字が次々に現れていきます。
私が鉛筆を放すと、「ジジ」の足元にそれが転がっていきました。
道重さんは・・・腕を組みながら呟きました。

「なるほど・・・」
「どうですか・・・?」
「確かに、これは普通じゃないわね。「絵」だけが「描けない」・・・身体的な理由とは考えにくい」
「・・・はい」
「何か、魔法的な要因があるのかもしれないわね」

私は、心臓の鼓動が徐々に高まるのを感じていました。

魔法的、要因・・・それって・・・でも・・・

「ちょっと質問させてね」

道重さんは私の目をまっすぐに見つめながら、ゆっくりと落ち着いた声で言いました。

「この症状は、いつから?」


私は過去をなぞりながら、はっきりと答えました。

「一年前からです」
「一年・・・そう」

道重さんは頷きながら、質問を続けました。

「この症状を、お医者さんや魔法医にも診て貰った?」
「・・・はい、診て貰いました。たくさん」

私は各地を訪れて、色々な病院や魔道士協会に行ってみたことを話しました。

「・・・でも、どこの病院に行っても原因はわかりませんでした。「精神的な要因」ではないかって」
「魔法医も同じ事を?」
「魔法医の先生方も同じでした。「原因は全くわからない」と言われました」

道重さんはそれを聞くと、眉毛をひそめて何かを呟きました。そして、少し考え込んだ後に、こう質問してきました。

「もしも、「精神的な要因」または「魔法的な要因」だったとして、その原因に、何か心当たりがある?」
「それは・・・」

私の頭に一瞬、お父さんの笑顔が浮かんできて・・・私の胸に、微かな痛みを残しました。

「あの・・・それが・・・」
「無理に言わなくていいわよ」

道重さんは、私に少し柔らかい笑顔を向けてから言いました。

「必要なら、後で詳しく訊くわね。でも、一応心当たりがあるのね?」

私は小さく頷きました。


道重さんは、再び考え込むように腕を組みました。
私がしばらく黙って見ていると、彼女は「最後に」と口を開きました。

「どうして私に診て貰いたいと思ったの?」

私は、その質問に答えようとして・・・その「答え」が二つあることに気がつきました。
だけど、今答えるべき答えは、少なくとも道重さんが納得できる方を選ぶべきだと思いました。

「それは、その魔法医の先生のうちの一人が、教えてくれたんです。「道重さゆみ」ならば、その原因がわかるかもしれないって」

道重さんは、それを聞いた後に私の顔をじっと見つめました。
私も、彼女の目をまっすぐに見つめました。
すると私の心臓が、再び騒ぎ出して・・・

お願い・・・お願いします・・・
どうか、道重さん!

ふと・・・道重さんがふふっと笑い、私は自分の心臓が破裂したかと思いました。

「わかったわ。診てみましょう」
「あ・・・」
「でも、ひとつだけ言っておくわね」

そう言った後、今度は悪戯っぽく笑いながら・・・
その口調は、今までの彼女のイメージとはかけ離れたものでした。

「さゆみ、医者ってわけじゃないんだけどなぁ」


「え?はあ・・・」

私がその言葉に戸惑っていると、
テーブルの上の「ジジ」が、小さく「ふにゃ」と鳴きました。
私はふと、その鳴き声を読み取って・・・

・・・え?
・・・それって、どういう・・・

「始めましょうか」

道重さんが再び真剣な顔になりながら、私に呼びかけました。
その口調は、さっきまでの彼女のそれに戻っていました。
私は慌てて、道重さんに注意を向けました。

「手を出して・・・両手ね」

私は言われたとおり、テーブルの上で両手を前に伸ばして手のひらを上に向けました。

「・・・これで、いいですか?」
「それでいいわ」

そう言うと、道重さんは私の手の上に自分の両手をゆっくりと重ねて・・・

「あ・・・」
「動かないでね」

私は、道重さんの手から私の手を伝い、私の体に「魔力」が流れ込んでくるのを感じました。
その様子は、目にも見ることができて、「魔力」の通り道が、桃色に発光しているのがわかります。
「魔力」は私の全身を細かくまわり・・・それはまるで血液の循環のような・・・
私は、くすぐったいような、不思議な感覚に包まれていました。
私の体は、しばらくの間全身がピンク色に発光し続けて・・・


「・・・もういいかな?」

道重さんの言葉に、彼女の「魔力」がピタッと止まり、今の流れを逆走し始めました。
光り輝く「魔力」が、今度は私の手から道重さんへと帰っていきます。
私が見つめていると、その「魔力」が発光したまま、道重さんの額に集まっていきました。
薄暗い店内もあいまって、道重さんの顔が幻想的に輝いて見えて・・・

・・・きれい・・・

私は、自分が「診て貰っている」ことを忘れるほど、その光景に目を奪われてしまいました。
道重さんの額に全ての光が集まると同時に、発光が止み・・・

「終わったわ。もういいわよ」

声をかけられても、私は少しの間、両手を前に突き出したまま、呆然としていました。

・・・すごい・・・

私がイメージしていた「診察」とのギャップに、私はただただ感嘆するだけでした。
今まで診て貰ってきた魔法医の「診察」は、軽い触診や問診、魔法検査器具によって体を調べるというもので、
道重さんのように「自らの魔力で直接調べる」というのは、初めての体験でした。

やっぱり、この人は・・・
この人は、すごい魔道士なんだ。

私は手を元に戻しつつ道重さんの顔をまじまじと見続けて・・・

・・・え?

道重さんは、真剣な表情で何かを考え込んでいる様子でした。
私が黙って見ていても、そのまま何も言わずに、ひたすら考え続けています。


・・・もしかして・・・
・・・わからなかった?

私が胸の中に、大きなざわめきが襲ってくるのを感じた時・・・

「大丈夫よ」

道重さんが、私の考えが聞こえていたとしか思えないタイミングで答えました。

「原因が、わかったわ」

私は、その言葉をはっきりと理解して、胸の中にさっきとは違うざわめきが襲ってくるのを感じました。
私は、たまらずに訊いていました。

「なっなんですか、原因は・・・!?」

道重さんは、私に対して目で「落ち着いて」と語りかけつつ、ゆっくり、丁寧に話し始めました。

「あなたには、封印の魔法がかかっている。それも、明らかに人為的な魔法が。
その封印魔法のせいで、あなたは「絵を描く」ということができなくなっている」

・・・・・・・・・・・・

私は、その説明が脳を駆け巡り、そして消化することなく居座るの感じていました。

・・・封印?
私に・・・魔法が・・・?
・・・なんで・・・誰が?

「よく、聞いてね」


そう言った道重さんの顔が、今までに無いほど真剣になっていて・・・
私は、何とか混乱から抜けだして返事をすることができました。

「・・・はい」
「この魔法は、ものすごい複雑な法式でかけられている。何十本ものコードが絡み合っているかの様に」
「複雑に・・・」
「そう。だからこの魔法を強制的に解除しようとすれば、あなたへの副作用が残る可能性が高い」
「副作用・・・」
「副作用がどんなものかはわからないけど、「絵を描けない」以上の障害が現れることも考えられる」

私は、耳から入った情報を咀嚼しながら、その結末を予想し続けていました。

それで・・・一体私は・・・
・・・治るのか・・・
それとも・・・

「だから強制的に魔法を解除することはしない。・・・いい?」
「・・・はい」
「この封印の魔法を、正しい方法で解除する」

正しい、方法・・・

「その鍵が、あなたの過去にあると分析したわ」

私は、道重さんの顔を改めて見つめました。
道重さんは、少しだけ笑顔を作りながら、こう言いました。

「今から、あなたの過去を話してもらうわ。思い出せるだけ、全部」
「全部・・・ですか?」
「そう、全部。その中から、この魔法を解く鍵になる存在を特定する」


私はそれを聞いて、どうしても確認したいことを先に訊く事にしました。

「あの・・・道重さん」
「ん?」
「私は・・・私は、治りますか?」

道重さんは少しの間黙った後、笑顔のままでこう言いました。

「「治る」というのは、間違いよ。これは病気じゃなくて、明らかに魔法の効果だから」
「は・・・あ」
「魔法が相手ならば、心配することはないわ。だって・・・」

道重さんは、自分の胸に手を当てながら、自信をもってこう続けました。

「私は、「道重さゆみ」なんだから!」

その言葉は、全ての「負の感情」を相殺できるほどの輝くパワーを持っていました。
私にとって、これほどの説得力のある言葉はなく。
その響きは、私の心に巣食った「不安」を全て消し去ってくれました。

「話してくれるわね?」
「・・・わかりました」

私は、目を瞑り、時間をかけて頭の中で過去の思い出を組み立て始めました。
静寂の中、話を整理し終わった私は、目を開けて、軽く深呼吸しました。

「・・・いきます」

道重さんと、そして「ジジ」が聞いている中、私は「過去」を語り始めました・・・

 

第一章  第三章

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最終更新:2015年02月22日 12:35