『笑顔』 第三章

私は、この「М13地区」で生まれ育ちました。

私の親・・・私の母は、私が生まれてすぐに他界してしまって、
私は父と二人暮らしをしていました。
父は、元々は魔道士協会で働いていた魔道士でしたが、
私が生まれるときに退職して、この町に移り住んだそうです。

魔道士の父の血を受け継いだ私も、一応魔法を使える才能を身につけていました。
でも・・・私は、魔法の研究を全然せずに、ずっと好きな絵ばかりを描いていました。
絵画は父の趣味だったんですが、いつのまにか私の趣味に代わり・・・
それが、私の生きがいになっていきました。

極端に人見知りな性格も災いして、友達と呼べる子は全くいなくて、
学校へ行ってもいつも一人ぼっちでした。
優しい父はそんな私を心配してくれつつ、私の描いた絵をいつも褒めてくれました。
それが嬉しくて、私はどんどん絵画の世界にのめり込んでいきました。
そのうち、私の描いた絵が、町の絵画コンクールで入選したりして、
だんだん大きな大会にも参加し始めたりしました。

私の中で、絵画はもはや私の人生そのものになって・・・
私は、いつかこの町を出て、世界をまわって絵の勉強をしたいという夢を持つようになりました。


そんな時に、私の生まれ育った家が、火事になってしまったんです。
私と父は無事でしたが、住むところなくなってしまって・・・
それを機に、私はこの町を離れて、絵画の修行の旅に出る決心をしました。

父は大変喜んでくれて・・・幸い父には、別の町に昔住んでいた実家と、結構な蓄えがあって、
自分の生活に支障をきたさない程度に、仕送りをしてくれることになりました。
世間知らずで何も分からない私は、それに甘えることにして、
一人で世界をまわり始めました。
ずっと一つの町で暮らしてきた私には、何もかも新鮮で・・・
見るもの全てを吸収して、私は自分の技術を磨きました。

私は自分で納得いくまで、父の元には帰らないつもりでひたすら修行し続けました。
そんなことを何年も続けていたんですが・・・
ある時、私の元に知らせが届き、父が急病で危ないということを知りました。
私はひどく驚いて、慌てて父の元へ駆けつけました。
でも・・・その時には、すでに遅く。父は帰らぬ人になっていました。
私は、父の死を受け止め切れずに、塞ぎこみました。
同時に、父の事を何年も放っておいたことへの罪悪感で精神がつぶれそうになって・・・

「待ってね、はい」
「・・・あ」

私が言葉を切るのと同時に、道重さんが私に小さなハンカチを手渡してくれました。
私は、自分の目を拭きなさいと言われている事に気付いて、「ありがとうございます」と呟きました。
気が付くと、「ジジ」も私に心配そうな視線を向けていました。

・・・大丈夫、ありがとう。

私は、ハンカチで目頭を押さえながら、続きを話し始めました。


・・・やっと少しだけ気持ちの整理ができたのは、父の死から一ヶ月経ってからでした。
私は、父の為にも、更に絵の勉強をしようとして・・・
その時気付いたんです。絵が描けなくなっている自分に。

「・・・それが、一年前ってこと?」
「はい」

私は、ハンカチをテーブルにそっと置きながら、続きを話しました。

「私は、自分に起きたことが理解できなくて・・・色んな病院や魔道士協会に診てもらいました。
でも、全く原因がわからなくて・・・でも「精神的な理由」と言われて、
私は自分が、父の死をまだ整理できてないのかもしれないとも思いました。
そんな中で、一人の先生が、道重さんの事を教えてくれて・・・」

私は、道重さんの顔を見つめながら続けました。

「私は、この地区に道重さんがいるのを知っていたので、この町に久しぶりに帰ってきました。
部屋を借りて、この街で道重さんをずっと歩き回って探して・・・
でも、そのうちに、父の残してくれたお金も少なくなってきて・・・
私はなんとか働かなくちゃと思って、この本屋に入ってみたんです」

私はそこまでで言葉を切ると、大きく息を吐き出しました。

「・・・以上です」

道重さんは、真剣な顔でゆっくり頷きました。


「よく、わかったわ。ありがとう、話してくれて」
「いえ・・・」

私は、全てを話し切って頭が空っぽになった自分を感じていました。
それは、決して嫌な気分ではなく・・・
人に自分の事を話すのは、案外いいものなんだなと思いました。
そこに「ジジ」がそっと私に近づいて、顔を摺り寄せてくれました。

・・・なぐさめて、くれてるの?

「ジジ」の目をを見つめながら、私は胸に温かいものが湧くのを感じました。

「鍵が、わかったわ」

私は一気に現実に引き戻されました。
その言葉を発する道重さんの顔には、まだ何の色も感じられず・・・

「ほんとですか!?」
「ええ・・・」

私は、心臓の高鳴りを中で聞きながら、もう何度目かわからない祈りを捧げました。

・・・お願い・・・
どうか・・・どうか・・・

「あなたの封印を解く鍵は、「あなたの絵」よ」
「・・・「絵」・・・ですか?」
「そう、「絵」。それも、「子供の頃に描いた絵」。あなたが、この町を離れる前までに描いたものが必要だわ」


私は、その「鍵」を頭の中で何度も繰り返し呟きました。

「私の絵」・・・「私の絵」・・・「私の昔の絵」・・・

繰り返すうちに、私は自分の血の気がぐんぐんと引いていくのを感じました。
それは、まるで「絶望」という崖の淵に、片足で立っているような恐怖感で・・・

「・・・どうしたの?」

私の様子がただ事ではないと悟ったらしく、道重さんは少し強めに問いかけてきました。

「・・・ないんです」
「え?」
「私の絵。もう一枚も、残ってないんです」

道重さんの表情を見ながら、私は自分が座っているはずの椅子が、
いつの間にか亜空間へ消えてしまったような感覚に陥っていました。

「火事で・・・家の火事で、全て焼けてしまったんです」
「・・・全て?」
「はい・・・全部です」

道重さんは、驚いた顔をして・・・腕を組むと、難しい顔で考え始めました。
私は、さっきまでの安心感が、全てつかの間の幻想だった事を知りました。
私の思考は全て吹っ飛び、残ったものは、目に見えない黒いものだけで・・・

「・・・「抽出」の魔法を使うわ」

道重さんの言葉に、私はおぼろげながら残った理性で答えました。


「・・・え?」
「あなたの記憶にある「子供の頃に描いた絵」を、あなたから抽出して具現化する」

道重さんの説明を理解する力がその時の私にはなく、それに気付いたのか彼女は掘り下げてくれました。

「あなたが今現在、覚えているものでいい。「昔の絵」を思い出して。私がそれを一時的に、実際見えるように復活させる」

私は、その言葉でなんとか理解できました。
だけど・・・私の絶望感は変わらず存在し続け、私の心を闇が覆っていきました。

「・・・ないんです」
「・・・えっ!?」
「覚えて・・・ないんです」

私の言葉に、今度こそ道重さんは唖然とした表情になってしまいました。

「覚えてないって・・・一つも?」
「全然・・・何も・・・子供の頃に描いていたものが、なんだったのか・・・記憶にないんです」

道重さんからの言葉もそこで途切れてしまい・・・
私は、希望への道が、そこで完全に途絶えたことを悟りました。
頭の中、胸の中、心の中・・・ありとあらゆる私の中身が空虚で満ち溢れ、
なにもないはずのその場所場所に、真っ黒い闇がとぐろを巻いているのを感じました。


いつの間にか私は立ち上がっていました。
そして・・・口から出た言葉は、こうでした。

「道重さん・・・解除してください」
「・・・え?」
「私の封印・・・強制的に・・・解除を」
「・・・それは、できないわ」

私は、もうなにも見えなくなった視界の中の道重さんに向かって、悲痛な願いを叫びました。

「お願いします!私の耳が聞こえなくなっても、魔法がつかえなくなっても、歩けなくなってもいいから!!
私に・・・私に絵を!!描けるように!!道重さんっ!!!」

私は、叫び続けました。絶望して、安心して、また絶望して・・・
ついに潰れた心からあふれる赤い叫びが、私の喉をすり減らして止まるまで、ずっと。


それから、どれくらい時間が経ったのかわかりませんが、私は自分の部屋に帰る夜道を歩いていました。

道重さんは、全てを出し切った私に向かって、真剣な、それでいて慈愛に満ちた目でこう言っていました。

「時間をちょうだい。あなたの封印を正しく解く方法を、必ず見つける」

もはや声が枯れて、何も返せない私に向かって、道重さんは笑顔を作りました。

「笑って。「笑うかどには」なんとやらって言うでしょ?あなたが笑えば、いい方に転がると思うわ」

私は、ずっしりと重いサイドバックを感じながら、ゆっくりと足を動かしました。
ふと、自分が結局あの本屋の店主に会えずに帰っているのに気付いて、なんだか「笑いがこみあげて」きて・・・

・・・・・・・・・・・・・・

でも、「笑い」は漏れることもなく・・・多分、「笑顔」にもなっていないんだろうなと、小さく呟きました。

私は・・・・これからどうしたら、いいんだろう。

私には、今はもうただただ布団に入って眠りたいという衝動しか残っていませんでした。
一瞬、「ジジ」の顔がよぎって・・・それが夜空の黒に溶け出して・・・
私には、両目からも悲しみが溶け出していくのを、そのままにしておくしかありませんでした。


私は、夢を見ました。
その夢の中で私は、絵を描いていました。
私の隣には、私と同じくらいの歳の女の子が座っています。
彼女は私の絵を絶賛してくれたり、私に笑いかけたりしていました。
私も彼女に向けて笑おうとして・・・

・・・・・・
・・・・・・

けど私は、どうしても笑うことができませんでした。
好きな絵が描けて、大好きな女の子と一緒にいて。
なのに・・・

なんで笑えないの?

そんな私の顔を、女の子はじっと見つめています。

・・・いや、見ないで。
そんな顔で、見つめないで!

私の・・・私の・・・
私の「笑顔」は、どこいったの?

すると、その女の子は・・・私に向けて、何かを言おうとしました。

・・・え?
何?・・・聞こえない!

私はその言葉を聞こうと、女の子の口元に耳を近づけました。
その瞬間・・・私は、はっきりとその声が聞こえたのです。


「あなたの「笑顔」は、私がもらったわ」


私は目を覚ますと、布団から起き上がりました。
部屋の中は真っ暗で、まだ夜中のようです。

私は、今見ていた夢を思い出そうとしました。
でも、「女の子と一緒にいた」という内容以外は、全然思い出せませんでした。

・・・友達なんか、いたことないくせに。

自分の潜在的な願望が、夢になって表れたのか。
私は、自分の弱さを改めて思い知らされて、ため息をつきました。

私は立ち上がった後、照明スイッチを操作して部屋を明るくしました。
それから、机の上にあったバックから手鏡を取り出すと、自分の顔を覗いてみました。
目、鼻、口・・・それが薄黒い肌の上にあって。間違いなく私の顔がそこにはありました。
でも・・・

・・・私、こんな顔してたんだ。
今まで、全然気が付かなかった。

その、「絶望」としか表現できない表情を見て、私はいつからこんな顔で過ごしていたんだろうと考えました。

お父さんが、死んだ時から?
私が、絵を描けなくなった時から?

『そんな顔をしているわ。「今ものすごい悩んでます」ってね。見ていて痛々しいくらい』

昼間言われたことが頭の中に響いてきて、私は今日の事を思い出しました。


道重さゆみさん・・・

私が、ずっと探していた人。
すごい、最高の魔法使い。

この三週間だけじゃない。もう・・・ずっとずっと前から会いたいと思っていた。
自分の体がこんな風になって、先生に道重さんの事を聞いたとき、私の願いが重なった。

道重さんに会いたい。
道重さんに、治して貰いたい。

でも・・・私は、いつから道重さんを知っていたんだろう?
そして、なんでそんなに道重さんに会いたかったんだろう?

友達がいなくて絵だけをひたすら描いてた私には、道重さんを知るきっかけなんかなかったはず。
お父さんにも教わった記憶はない。
・・・わからない。

・・・でも・・・
実際会ってみた道重さんは、私の想像をはるかに超えた人だった。
魔力、美貌、優しさ・・・どれをとっても、最高。
見ず知らずの私の悩みを、親身になって聞いてくれた。
私の体の異変の原因を、あっという間に発見して・・・それを解く「鍵」すらもすぐに特定した。

それなのに・・・私は・・・

私は、自分のやってしまった失態を思い出して、心臓が圧縮するのを感じました。


道重さんに向かって、あんなに叫んで。
お礼も言わずに、帰って来てしまった。
ずっと、ずっと会いたかった人だったのに・・・
私は・・・道重さんに会えれば、その瞬間に体が治ると思っていたんだ。
なんて身勝手で、なんて馬鹿で、なんて甘かったんだろう。

『時間をちょうだい。あなたの封印を正しく解く方法を、必ず見つける』

道重さんの別れ際の言葉を思い出して、私は自分の頭を叩きました。

道重さんは、私の為に魔法を解く方法を探してくれている。
私が、諦めて自暴自棄になってどうする!
少しでも、道重さんの助けになることを、思い出さないと・・・

私は、自分にかかっているという魔法について考え始めました。

「絵を描けなくする」という封印魔法。
なんで、そんな魔法が私に?
しかも、人為的にかかっているって・・・
一体誰が、なんのために?

私は、今までの人生で会ったことのある「魔道士」を記憶から必死に探し出そうと努力しました。
だけど・・・いくら考えても、私にはたった一人しか思いつきませんでした。

・・・お父さん・・・


でも、それだけは、絶対に、ありえない。

私は、その考えを打ち消したくて、理論を組み立てようとしました。

・・・私が絵を描けなくなったのは、お父さんが死んだ後だわ。
お父さんが私に魔法をかけるのは、時間的に不可能。
それに・・・それに。
お父さんは、誰よりも何よりも・・・
私の「絵」を喜んでくれてた。
だから・・・お父さんでは、絶対ない。

じゃあ、一体誰が?
・・・わからない・・・

そして私は、道重さんが言っていた「鍵」の事も考えました。

私にかかった魔法を、解くための「鍵」・・・
それが・・・私がこの町にいた頃に描いた、「絵」。
魔法を安全に解くには、この「絵」が必要。

・・・でも・・・

私の「絵」は、今やこの世界には、一枚も存在しない。
あの火事で・・・全て、焼けてしまった。
火事の後、泣きながら必死に焼け跡を探したけど、一枚も残ってなかった。
私は、父に抱きすがって・・・あの時どんなに悲しんだか・・・・

・・・なのに。


私は、再び記憶を開いて、昔の自分の「作品」を思い出そうとしました。
だけど、どんなに試してみても、何一つも思い出すことができませんでした。

あんなに、愛していた私の「作品」たち。
なんで・・・もう、一枚も思い出すことができないの?

私は、自分が忘れっぽい人間だと決め付けて、今まで気にしたこともありませんでした。
だけど、私の封印を解くには、それを思い出すことが必要・・・
ならば・・・

私は、部屋をぐるぐると歩き回りながら、なんとかその断片だけでも思い出そうと、頭を悩ませました。
ですが、しばらく続けていても、一向に何も思い出しません。
私はくたびれてしまって、布団の上にしゃがみ込みました。

・・・やっぱり、私はだめな人間だな・・・

私は、こういう時に必ずやってくるネガティブ思考の気配を感じました。
それをなんとか振り払おうしましたが、疲れた頭で、それに抗う力はなく・・・

ホントに、何もできない。
魔法も、解除できない。
バイトも、雇って貰えない。
おちこぼれ。おちこぼれ。おちこぼれ。

『そんなはずない!!』


私の頭に、「猫の一声」が響き・・・

「ジジ・・・」

私は思わず、呟いていました。

私は黒猫の顔を思い出して、胸の中にじんわりと温度を感じました。

あの黒猫に会えて、今日は本当に色々なことを教えてもらった。
バイトの事。私の表情の事。道重さんの事。

猫と話せる魔法を使えるからとはいえ、猫とここまで色々なふれあいがあるとは思ってなかった。
猫に、心配されて、怒られて、謝られて、呆れられて・・・
そして、勇気付けてくれて、慰めてくれた。

もしかしたら・・・もしかしたら。
あれが・・・
私の、初めての友達だったのかもしれない・・・

私は、急に顔と胸に高温を感じて、枕に顔を突っ込みました。
足をバタバタしていると、ふと思い出すことがありました。

そういえば・・・

道重さんは、「ジジ」に対して、なんの反応もなかった。
「ジジ」は道重さんが店の常連だと言っていたから、道重さんの顔は知っていただろう。
逆に、道重さんは、「ジジ」を、ただの「店で飼われている猫」として認識していたはず。

・・・でも、だったら・・・


『さゆみ、医者ってわけじゃないんだけどなぁ』

あの時の道重さんの、不思議な台詞のあとの、あの「ジジ」の鳴き声は、どういう意味だったんだろう?
・・・なんで、「ジジ」はそんな言葉を呟いたりしたんだろう?

『大変、失礼』

それは、どういう・・・

 

ばさっ

その羽ばたいたような音が耳に届いて、私は枕から顔を上げました。
開いた窓から外を見てみると・・・なにもありません。

・・・鳥?

私は、気のせいかと思いましたが、すぐにそうではないことに気付きました。
窓の下に、何か白くて四角いものが落ちているのが見えたからです。

・・・手紙?

私は立ち上がって、窓に近づいてそれをよく見てみました。
落ちていたのは、可愛らしい模様の封筒でした。
差出人の名前は記入されてませんでしたが、私はひらめくものがあって、すぐにその封筒を開いてみました。
中には、真っ白な紙が一枚入っているだけで・・・
私は、急いで白い紙をめくってみると、裏に一行だけ文が書いてありました。


『本屋にきてください。あなたの探しているものがあります。』


・・・道重さん!!

私は、すぐにそう確信しました。
心臓の高鳴る鼓動を感じながら、私は慌てて着替え始めました。

・・・道重さんが、見つけてくれた!
私の、魔法を解く方法を!

私は着替え終わると同時に、サイドバックを引っつかみ、自分の部屋を飛び出しました。


夜道は足元が何も見えずに、所々の街灯だけが最低限の視界を確保してくれました。
私は、転びそうになりながら、全速力であの本屋に向かって走りました。

道重さん・・・
道重さん・・・

私の全身からは汗が噴出し、口からはぜーぜーという音が聞こえます。
私の肺機能が限界を訴え続けましたが、私はペースを緩めませんでした。

しばらくすると、私の視界にあの本屋のシルエットがうっすらと入って来ました。
よく見てみると、店の入口が街灯に照らされていて、そこに人らしき影を確認することができました。

・・・道重さん!!

私は更に速度を上げて・・・その人物の外見が明らかになってくるにつれて、
私の足は徐々にペースを落とし始めました。

そして、店の手前20メートルほどのところで、私は完全に立ち止まりました。

・・・誰?


私が道重さんだと思っていたその人は、全くの別人でした。
街灯の明かりに照らされて、その人は私に向けて微笑んでいます。

「お待ちしておりました」

その声に、私は無意識に足を動かしていました。
店の入り口に着くと、私はその顔をよく見てみました。

・・・誰だろう・・・

その人は、年齢は私と同じくらいで、不思議な雰囲気を携えた女性でした。
黒い髪が美しく・・・私は少しの間、見とれてしまいました。

「夜中に、お呼びして申し訳ありませんでした」

その声に、私は我にかえりました。
彼女の声はとても聞きやすく、はっきりとした口調が印象的でしたが、
私の関心は、全く別のものに向いていました。

・・・道重さんじゃ、ない・・・
この人は・・・一体?

「あ・・・あの、誰ですか?」

私は思い切って質問をしてみましたが、彼女はそれには答えず、ふっと微笑みながらこう言いました。

「ここに、あなたが求めるものがあります」

私が戸惑っていると、彼女は体をずらして、店の入り口に向けて手を差し出しました。

「どうぞ、お入りください」


私は、それでもどうすればいいのかわからずに、ただその場で立ち尽くしてしまいました。
私が動けずにいても、彼女のほうもそのままの体勢のまま、黙って私の顔を見つめています。
しばらく静寂が支配して・・・私は、彼女の顔を見ているうちに、胸の中がざわめき始めるのを感じました。

この女性の事は、全く知らない。記憶に無い。
なのに・・・
なのに、なんだろう・・・

どこかで、会ったことがある気がする。

私が、その記憶にない記憶をたどりながら、不思議な感覚と闘っていると・・・

「・・・あなたの、「鍵」があります」

その言葉に思考が停止して・・・

「・・・え?」
「私を、信じてください。あなたにかかっている魔法が、必ず解けます」

そういって、彼女は私の目を見つめました。

・・・私の、「鍵」。
私の魔法が、解ける・・・

私は、彼女の目を見返しました。
再び訪れた静寂・・・突然、私の胸の鼓動が、ふっと静かになりました。

・・・大丈夫。
この人は、大丈夫。


私の胸の中から聞こえた声が、私の頭に響きました。

「・・・わかった、信じる」

私がそう呟くと、彼女はにこっと笑いながら、少し後ろに下がりました。
私は、入り口に近づいて扉を開けようとして・・・

「・・・good luck」

彼女の声が聞こえるのと同時に、私は扉の中に吸い込まれていきました。


第二章  第四章

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最終更新:2015年02月22日 12:37