私がこの美術館に来るのは、今日で一週間目。
学校が終わった後に、私は毎日「彼女たち」に会いに来ていた。
でも、それも今日で終わり。
私は、「彼女たち」を見張るのに丁度いい位置にあるソファーに座って、その時を待っていた。
早く、閉館時間にならないかな・・・
私は、壁に掛かっていた大きな時計をまじまじと見た。
今日ここに来てから、その時計を何度確認しただろうか。
閉館時間までは、あと20分もなかった。
・・・もう少しだ。
今日閉館すれば、ようやく長かった展示会は終わる。
・・・やっと、一緒に帰れる。
館内には、もう観覧客の姿は見当たらずに、係員の人たちも閉館準備を始めていた。
私はいてもたってもいられなくなって、「彼女たち」のもとへ走り寄った。
「彼女たち」・・・その絵を、私は見上げた。
私の、大切な絵。
大切な「宝物」・・・
「素敵な、絵ですね」
その突然の声に、私は心臓を揺さぶられた。
目を見開いて、声のした方へ振り向く。
私の隣に、いつの間にか女の子が立っていた。
笑顔を私に向けてくるその子に、私は思わず狼狽した。
もう他のお客さんは、みんな帰ったと思ったのに・・・
まだ、残ってた人がいたの?
「あなたも、この絵が気に入ってるんですか?」
その子は、私の目を見ながら丁寧な口調で訊いてきた。
私はその質問に答えようとして・・・
「あ・・・う・・・」
思ったことが、うまく声にならない。
私は、初めて会った人に対しては、いつもこうだ。
「今日、この美術館の絵は全て見回ってきたけど、この絵が一番好きです」
そう言って、その子は私の絵をじっと眺めた。
私はそれを聞いて、顔が熱くなるのを感じた。
私の絵を、好きだって言ってくれた・・・
そんなこと、お父さん以外では初めてだ。
横目で彼女を確認してみる。
私と同じくらいの歳だろうか。身長も、同じくらい。
しかも、肌の色まで似ている。私と同じで、色黒だ。
でも、着ている服が、私と圧倒的に違っていた。
その、キラキラした装飾がついた可愛らしいワンピースは、彼女が着るために作られたんじゃないかと思うほど似合っていた。
二人を並べて見てみると、私の使い古した服が、一層ダサく感じた。
そんな彼女は、キラキラした大きな目で私の絵を眺め続けていたけど・・・
「・・・でも、なんでこの絵には名前がないんだろう?」
彼女はふと、首を傾げながら言った。
絵の下にあるプレートを見て、不思議に思ったみたいだ。
『 〔和田彩花〕』
「他に展示されてあった絵は、全部名前があったのに」
「・・・名前、つけないの」
私がぼそっと呟いた。
「え?」
「描いた絵に、名前・・・つけたことない」
私が彼女の手の辺りを見ながら言うと、その子が軽く息を呑むのが分かった。
「もしかして・・・この絵を、あなたが描いたんですか?」
その質問に、私は彼女から視線を逸らしたまま頷いた。すると・・・
「本当!?凄いっ!!」
そう叫んで、彼女は私の両腕をがっしり掴んだ。
私は、心臓の方も掴まれた気がして、そのまま硬直してしまった。
彼女の顔が、私の目の前にある。
「これ、地区の絵画コンクールの最優秀作品じゃないですか!」
「・・・うん」
「大人に混じって、あなたみたいな子が描いた絵が、選ばれるなんて!!」
目の前の彼女は、そう言いながらぴょんぴょん跳ねた。
手を掴まれている私も、それにつられて腕が上下する。
ふと、後ろの方で咳払いが聞こえて、彼女はピタッと動きを止めた。
係員の人の視線に気付いて、舌を少し出して笑う彼女の仕草が、妙に似合っていた。
「じゃあ、あなたの名前は「和田彩花」さん?」
「・・・うん」
私がその質問に頷くと、彼女は私の手を放してから自己紹介をしてくれた。
「私は、飯窪春菜。「はるなん」とお呼びください」
「はる・・・」
「はるなん。春菜だから、はるなん。この絵を描いた人に会えて、光栄です」
私は少し呆気にとられながら、彼女・・・はるなんを見た。
なんだか、少し変な子だ。
いきなり、自分の事をあだ名で呼ばせてるし・・・
それに、話し方も、大人と話す時みたいに、ずっと丁寧だ。
そう思いながら私は、ふと自分がおかしいことを考えてるのに気付いて笑ってしまった。
私も、相当変わってる方なのに、人のこと言えない。
「・・・どうしたんですか?何か、おかしかったですか?」
「ううん、なんでもないよ」
「なら、いいです。それにしても、本当に絵がお上手ですね」
そう言ってはるなんは、にっこりと笑顔を見せた。
なんだか、くすぐったくなってくる。
「・・・褒めすぎ・・・だよ」
「そんなことないですよ。だって、実際コンクールで選ばれてるじゃないですか。見る目がある人が、あなたを認めてるんですよ」
私は、相当顔が赤くなっていただろう。顔を背けて、頭をかいた。
お父さん以外の人に、ここまで私の絵を褒められたことはない。
まあそもそも、今まで私の絵を他人に見せたことがないんだけど。
「そうだ。少し、おしゃべりしませんか?」
はるなんは、そう提案した。そして、後ろにあるソファーに、私を誘った。
私は再び心臓を掴まれた気になった。
私が・・・おしゃべり?
同い年くらいの子と・・・?
私が視線をキョロキョロと彷徨わせていると、はるなんは・・・
「ね、いきましょう!」
「うぁ!」
私の腕を掴んで、ソファーの方へ引っ張り出した。
私は驚いて・・・でも、なすがままはるなんに付いていく。
今日は心臓が大忙しだな、と思いながら、高鳴る鼓動を聞いていた。
ソファーに座ると、はるなんは私に自分の事を話し始めた。
私はぼそっと相槌を打つだけだったけど、なんとなく彼女の事がわかった。
同じ地区に住んでいる女の子。
通っている学校は違うけど、住んでいる家は私の家と少し近い。
絵を見るのが好きで、今日は一人でこの美術館に来たらしい。
「私も絵を描いたりするんですよ」
「・・・え?」
「とはいっても、漫画やアニメのキャラクターのイラストを落書きする程度ですけどね」
そういって、はるなんはえへっと笑った。
素敵で、可愛らしい笑顔だと思った。
「彩花さんは、いつから絵を描いているんですか?」
「・・・いつから、かな」
はるなんの質問に、私はあいまいに答える。正直、自分でもいつからかは覚えていない。
お父さんが言うには、私はいつの間にか絵を描くようになっていたらしい。
まあ、あんな家で育ったんなら、仕方が無い気もするけど・・・
その時、時計の音が鳴り響いた。
私は立ち上がって、時計の時刻を確認する。閉館時間だ。
「あ、もうこんな時間ですね」
はるなんも立ち上がって、時計を見た。
「・・・どうしたんですか?」
その質問に私は答えず、後ろの方ををジッと見つめていた。
さっき咳払いをした係員の人が、私たちの方へ向かって来る。
でもその人は、私たちを通り越してそのまま進み、私の絵の元へ近づくと、その絵を壁から取り外した。
そして、私にその絵を手渡しながら、優しい声で言った。
「もう、持って帰っていいよ。一週間お疲れ様」
「・・・ありがとう・・・」
私はその人にお礼を言うと、絵を丁寧に丸めてから、ポケットに入っていた袋に包んだ。
私がそれをバックに入れるのを見て、はるなんは納得した様子だった。
「ああ・・・コンクールの入選作品の展示は、今日までだったんですね」
「・・・うん」
「でも・・・もしかして、一週間ずっとここに通っていたんですか?」
不思議そうに訊いてくるはるなんに、私は少し俯いて答えた。
「うん・・・「この子たち」が、寂しくないようにって」
「え?」
「一週間、知らないところで貼られたままじゃ寂しいだろうから・・・私が、一緒にいてあげようって・・・」
そこまで言って私は、今の自分の言葉をこの子が聞いて、私の事をどう感じるだろうと心配した。
たかが絵にそこまでするなんて、相当変わった子だと思ったかな・・・
「そうだったんですか!」
はるなんは、少し声を張り上げて頷いた。そして・・・
「彩花さんは、とてもその絵を大切になさっているんですね!」
「え・・・?」
「私、感動しました!!」
私は唖然として、彼女の顔を見つめた。
はるなんは、目を輝かせながら、私を笑顔で見つめている。
・・・やっぱり・・・
この子も、少し、変わってる。
美術館を出た私たちは、その敷地内のベンチに座った。
外はまだ明るくて、もう少しで夕方という時間だ。
「彩花さん、さっきの絵を、もう一度見せてもらえませんか?」
はるなんが私にこうお願いしてきたけど、私は正直、あまり気が進まなかった。
そもそも、私は自分の描いた絵を、あまり他人に見せたくない。
町のコンクールに出したのも、お父さんが勝手に応募してしまったからだった。
それがなければ、私はこの絵を家の外に出そうとは思わなかっただろう。
私が黙っていると、はるなんは真剣な目を向けながら言った。
「私、あなたの絵が、とても・・・とても気に入ったんです。だから・・・お願いします!!」
両手を合わせて、しかも少し泣きそうな目になって・・・
私は、ため息をついてからバックの中に手を入れた。
「・・・はい」
「ありがとうございます!!」
はるなんは嬉しそうにお礼を言いながら、私から絵を受け取ると、それをゆっくり開いて眺め始めた。
しばらくの間、はるなんは無言で絵を見続けていた。
ふと私は彼女の隣で、なんだかだんだん恥ずかしくなっていく自分に気付いた。
自分の描いた絵を見られ続けるのもそうだが、女の子と一緒にベンチに座ってこうしてゆったりしている自分にも、そう感じていた。
今まで、こういうことなかったから・・・照れるな・・・
「・・・彩花さん」
「ひゃい!」
「・・・どうしました?」
「な・・・んでもない」
「そうですか・・・あの、ちょっと訊いていいですか?」
はるなんは、私の絵を指差しながら質問してきた。
「そもそも、この絵はなんの絵なんですか?」
私の絵に描かれていたのは、六人の女性だった。
全員が、真っ白な衣装に身を包んでいて、踊り歌っている。
その周りには、沢山の観客が彼女たちに向かって歓声をあげていて・・・
「これは・・・コンサートをしているところ」
「コンサート?じゃあ、歌手の皆さんなんですか?」
「歌手・・・というより、「アイドル」」
「アイドル?」
はるなんは、首を傾げながらも、再び絵を指差した。
「でも、ここに描かれている真ん中の人は、もしかして彩花さんですか?」
はるなんが指をさしていた場所には、黒髪で長髪の女性がこちらに綺麗な笑顔を向けている。
「うん・・・そう。よくわかったね」
「はい。とてもよく似てらっしゃいますよ。でも、どういうことですか?随分大人の方に見えます」
その質問に、私はゆっくりと説明し始めた。
「この絵は、私が想像して描いた、私の未来の姿なの」
「想像で?」
「うん・・・「もし、こうだったらいいな」って考えて、浮んだ風景を描きだしたの。全て、私の妄想」
「なるほど・・・じゃあ、将来彩花さんは、アイドルになりたいんですか?」
「え!?う・・・ちがっ・・・」
私は顔が熱くなって、俯いてしまった。
私が、アイドル・・・ありえない!!
確かにそう願っていた自分がいたから描いてしまっているはずだけど、改めて他の人に言われると・・・
「でも、彩花さんならなれると思いますよ」
「え?」
「だって、とても可愛らしいですし・・・」
「違う!!違うの!!そうじゃないの!!」
私は、「可愛らしい」という言葉が頭を何周も駆け巡るのをそのままにしながら、全力で否定した。
「私がなりたいのは、画家なの!!絵を描く人!!」
「あ、そうなんですか」
「そう!!画家!!アイドルじゃないの!!」
私は少し息を切らしながら、はるなんの顔を見つめた。
はるなんは、ニコニコしながら私の様子を眺めている。
私は、少しからかわれた気がして、視線を逸らした。
「あの、ごめんなさい。気を悪くしないでください」
「・・・・・・」
「本気で、そう思ったんですよ。あなたなら、と」
はるなんは申し訳なさそうな口調で謝ると、急にこんなことを訊いてきた。
「このアイドルグループは、なんて名前なんですか?」
「え?」
私は、彼女がその質問をする意味がわからなくて、一瞬呆然としてしまった。
グループ名・・・
でも、その直後・・・その質問に対する答えが、頭に急にフワッと浮んできた。
「スマイ・・・」
「住まい?」
「いや・・・スマ・・・レ?」
私がなんとなく頭に浮ぶ言葉の欠片を、なんとか形にして口から出そうとしていると・・・
「スマイル、じゃないですか?」
「え?」
「「スマイル」・・・とても素敵なグループの名前です」
はるなんは笑顔で頷くと、勝手にそう名付けてしまった。そして・・・
「わかりました。じゃあ、『笑顔』ですね!」
「・・・え?」
「この絵のタイトルです」
そう言ってはるなんは、私の絵を私に見せるように掲げた。
「『笑顔』?」
「はい。だって、この人たちの名前が「スマイル」ならピッタリでしょう?それに、この人たちの顔!」
そして、「彼女たち」の顔を指差しながら、こう言った。
「皆、こんなに輝くほど素敵な笑顔をしているじゃないですか!!」
少し興奮した様子で、私の顔に絵を近づけてきたはるなんに、私は呆気にとられてしまった。
タイトルって・・・
絵に、名前を付けるの?
「どうですか?」
「・・・えっと・・・」
私は、はるなんの紅潮した顔を眺めながら考えてしまった。
今まで、一度も自分の描いた絵には名前を付けるという発想すら湧いてこなかったけど・・・
『笑顔』・・・『笑顔』か・・・
悪く、ないかも・・・
「はい、ありがとうございました!」
はるなんは、お礼を言いながら私に絵を返してくれた。
受け取った私は、「彼女たち」に心の中で呼びかける。
・・・『笑顔』だって。
みんな、どう思う?
ふと・・・笑い声が聞こえた、ような気がした。
そっか・・・気に入ったんだね。
「彩花さん」
はるなんは立ち上がると、私の方へ振り向いてから真剣な顔でこう言った。
「私と、お友達になりませんか?」
「お父さん・・・」
「うん?」
「友達って、なんだろう」
私の質問に、お父さんはフォークを持つ手を止めた。
そして、ジッと私の顔を見つめた後に、こう訊いて来た。
「友達・・・できたのか?」
「わかんない」
私は、自分が作ったぺペロンチーノスパゲッティをフォークでくるくる巻きながら、今日の事を説明した。
「・・・で、最後に「友達になりませんか」って言われた。でも、それっておかしくない?」
「なにが?」
「友達って、そんなふうにして出来るものなの?」
私は、今日会ったばかりのあの女の子が、なぜそんな申し出をしてきたのかとても不思議だった。
「友達」・・・今まで、友達と呼べる他人は、周りにいたことがない。できたことがない。
だから、「友達」というものの始まり方が、どういうものなのかがわからなかった。
私が難しい顔をしていると、お父さんはフォークをテーブルに置いて、少し笑った。なんだか、嬉しそうだ。
「彩花、お前に、友達ができるなんてな」
「だからまだわからないって。友達かどうか」
「だが、その子には、返事をしたのだろう?「わかりました」と。だったら、もう友達だろう」
「だから・・・友達って、そんなことでなれてしまうの?私、わからない」
「今まで、友達を作ったことがなかったんだから、わからなくて当たり前さ。でも、これでわかったじゃないか」
お父さんはそう言って、コップの水をガブリと飲んだ。そしてふうっと一息つく。
でも私がまだフォークをくるくる回しているだけなのを見ると、こう訊いて来た。
「・・・なんだ、何か問題があるのか」
私は、小さく頷いた。とても困ったことになっていたのだ。
「・・・実は、その子が」
「うん」
「私の家に、遊びに来たいって」
お父さんは、少し目を見開いた。
「ここに?」
「うん・・・私が描いた、他の絵も見たいって」
はるなんがそう言ってきたものの、私はそれを断る理由が咄嗟に言えなかった。
そう、理由を言えるはずがない。
言えるはずが・・・
「いいじゃないか、遊びにくれば」
お父さんの言葉に、私は呆気に取られてしまった。
「でも・・・」
「大丈夫さ。心配するようなことは、何もない。それに、彩花の始めての友達にだろう?お父さんも会ってみたい」
そう言って、お父さんはニカリと笑った。
私は、目をぱちくりしながらフォークに巻きついたスパゲッティを口に入れた。
本当に、大丈夫だろうか。
この家にあの子を呼んで、本当に「バレない」だろうか。
・・・もっとも、もし「それ」がバレたとしても、私にはその先どうなってしまうのかは想像できなかったが。
はるなんが、家に遊びに来る日がやってきた。
私は、朝から大忙しである。
学校がお互い休みの日であるから、あの子は朝からここにやってくる。
だから、それよりも早く、私はこの家の中を「大掃除」しなければならなかった。
「彩花、朝から落ち着きが無いな」
「・・・お父さんも、少しは手伝ってよ!」
テーブルでのんびりと紅茶を飲むお父さんを睨みつけながら、私は手を動かす。
「大掃除」だから、もちろん家の中の掃除をしている。
箒で床を掃いたり、棚の上を雑巾で水拭きしたり・・・普段は年末しかしないことだ。
でも、掃除をするよりも、もっと大事なことがあったのだ。
私は、リビングや自分の部屋にある「それらしい物」を、片っ端からダンボールに放り込んでいく。
「・・・あっ、それ今から使うぞ!まだ入れるなよ」
「え、ごめん・・・ていうか、お父さん!」
「うん?」
私は、お父さんの格好に改めて気付いた。その格好は・・・どう見ても「そのもの」だ!
「ちょっと、その服は着替えて!」
「ああ、確かにこれはだめだな」
そう言って、お父さんは頭を掻きながら自分の部屋に戻っていった。
「まったく・・・」そういいつつ、私は自分の着ている服の方も、正直自信が持てなくて不安だった。
でもそれは、自分の服がお父さんと同じく「それっぽい」からではない。
ただ、この服のセンスを、はるなんがあの日着ていた服と比べると・・・
今まで、オシャレとか全く気にしたことなかったな。
私は、大きくため息をついた。
「友達」ができると、そんなことも気になってくるのか。
その時、ちりりんと鈴がなった。
この家の呼び鈴である。
「もう来た!!」
私の心臓は跳ね上がり、実際に自分の体も数センチ跳ね上がった。
ついに、自分の家に、「友達」がやってきた!
「お父さん!はるなんもう来たから!迎えにいくからね!」
お父さんの部屋の扉の方にそう叫ぶと、私は玄関へ急いだ。
心臓が、高鳴りっぱなしである。ずっと生きていて、ここまでドキドキすることもない。
でもこの鼓動の理由は、期待半分、不安半分であった。
・・・お願いだから、ばれないでよ!
私は靴を履くと、玄関を開け放った。外の光が少し目に染みる。
構わず外に出て、伸びている道を駆け降りていくと、すぐに生い茂った木々が日光を遮ってくれた。
そのまま走り続ける。息があがる。鼓動も更に高鳴る。
やっと我が家の門が見えた。そして・・・
「あ、彩花さん!」
門の格子の向こう側に、はるなんの姿が見えた。手を振っている。
私は門にたどり着くと、かんぬきを引き抜いて手前に引いた。
そして少し乱れた呼吸を整えてから、はるなんに挨拶をしようとした。
「い・・・いっっらっしゃ・・・い」
なぜか喉の奥が少し詰まったような感覚を覚えながら、私はなんとか言葉を出した。
・・・さっきまでお父さんと話していた時とは、違う口みたいだ。
はるなんはニコッと笑顔こちらに向けて、返してくれた。
「今日はお招きいただきまして、ありがとうございます!」
やっぱり、子供に似つかわしくないような丁寧語である。
私は、はるなんの首から下をチラッと確認した。
・・・あれ?
「どうかしましたか?」
「ううん・・・こっち、家だから、案内、する・・・」
「はい!」
私が家に向かって歩き始めると、はるなんは後ろをピョコピョコ付いてきた。
少しの間、森の中のゆったりとした上り坂が続く道である。
私は歩きながら、はるなんの今日の服装が気になっていた。
なんていうか、普通だ。
これだと、逆に私の今の服装が、ちょっと浮いている感じ。
この前に会った時と、全然違う。
・・・本当に、よくわからない子だ。
上り坂が終わって森を抜けると、視界が開けた。
「わあ!素敵なお家ですね!!」
はるなんが感嘆の声をあげた。
「なんだか、時代を感じさせる雰囲気があるお家ですね。おとぎ話に出てきそうな!」
・・・それって、要するに「古臭い」と言ってるんじゃ・・・
褒められているのか、けなされているのかわからない。
私がちらっとはるなんを見ると、彼女はキョロキョロと私の家の外装を見渡している。
「やあ、いらっしゃい」
その声に私達は玄関に視線を向けると、いつの間にお父さんが立っていた。
にこやかな笑みを浮かべている。服装は・・・うん、普通だ。
「あ、はじめまして!彩花さんのお父さんですか?飯窪春菜といいます」
「ああ、よろしくね」
お父さんはそう言って・・・少し目を見開いた。
「ふむ・・・そうか、なんだ」
そう呟くと、私に向かってこう言った。
「彩花、どうやらお前の心配は、杞憂に終わったみたいだな」
「・・・え?」
「春菜くんも、魔道士のようだ」
・・・・・・・・・・・・・
そのあまりといえばあまりの発言に、私は口をポカンと開けたまま・・・
「・・・え?」
そう呟いたのは、私ではなくて後ろのはるなんだった。
私がゆっくり振り向くと、はるなんは・・・キョトンした顔でこっちを見ながらこう言った。
「え?え?・・・もしかして、気付いてらっしゃらなかったんですか?」
「・・・え?」
「私が魔道士だって事・・・え、でもどうして?彩花さんも魔道士ですよね?それなのに・・・」
私は、頭がこんがらがってしまった。
え・・・はるなんが、魔道士?
それで、私が魔道士だっていうのも気付いてた?
どうして?なんで?
私が魔道士だったら、なんで気付かなくちゃいけないの?
私は再びお父さんの方へ振り向いて、説明を求めるかのような表情を作った。
お父さんは・・・やれやれ、と肩をすくめてみせた。
「彩花・・・魔道士ってのは、その魔力の流れを感じ取って、相手が同類だということをなんとなくわかってしまうものなんだよ」
「・・・そうなの?」
「ああ。だけど、それは最低限「魔法の研究」で魔法の基礎が出来ている人間に限っての事だけどな」
その言葉に、私の胸は鈍い音を発した。要するに、「ギクっ」としたのだ。
「春菜くん、すまないね」
「はい?」
「彩花はね、魔道士ではあるんだけど・・・全く、魔法が使えないんだよ」
「・・・え!?」
「つまり・・・生まれてこのかた、魔法の研究をしたことがないんだよ」
はるなんは驚いた顔でこちらを見つめてきた。
「そんなばかな」って顔をしている。
「魔法の研究を、したことがない?」
「ああ。そのかわり、朝から晩までずっと絵ばかり描いているんだよ・・・なあ、彩花?」
そう私に振ってきたお父さんを私は見ないようにしながらも、心の中で睨みつけた。
・・・普段私がお父さんの小言を無視して研究しない事を、これがチャンスとばかりに・・・
・・・その言い方は、ずるい!
私があさっての方向を向いたままなのを見て、お父さんはため息をついたようだ。
「・・・まあとにかく、春菜くん。せっかくきたんだし、ゆっくりしていきなさい」
「・・・あ、はい!ありがとうございます!」
そういって、お父さんは家の中に入っていった。
少しの沈黙が流れる。
私がちらっとはるなんを見ると、彼女は意味ありげな笑みを浮かべていた。
「そうだったんですね。私の事、魔道士だときづいてなかったんですね」
「・・・うん、ごめん」
「え?どうして謝るんですか?」
・・・そういえば、なんでだろう。
はるなんは、なぜか嬉しそうな顔で私を見つめている。
魔道士、の女の子。
お父さん以外の魔道士に、生まれて初めて会った・・・
「とにかく・・・ここ、家」
「はい!」
私は入り口の扉を開けて、はるなんを家の中に案内した。
リビングには、お父さんの姿がなかった。
自分の研究室に入っていったんだろう。
たぶん、いつもの魔道士らしい格好に着替えているに違いない。
「・・・あ」
私はテーブルの横にダンボールを出しっぱなしにしていた事に気付いて、なんだか力が抜けてしまった。
ダンボールには、家の中の「魔法道具」を全て詰め込んである。
でも、それも意味のないことだったのだ。
あとで、元にもどしておかなくちゃね。
「じゃあ、こっちが、私の部屋だから・・・」
そう言って自分の部屋の扉を開けると・・・
「え・・・うわっ!!すごおい!!!」
はるなんが驚愕の声をあげた。
私はその反応を予想してはいたけど、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「これ・・・全部、彩花さんが描いた絵ですか!?」
私が頷くと、はるなんは更に驚いたように息を吐いた。
私の部屋の壁には、隙間の無いほどに絵が貼り付けられている。
全部、私が今まで描いた絵だ。
そう・・・全部、私の宝物。
「あの・・・見せてもらっても、いいですか」
「・・・うん」
はるなんは入り口に一番近い絵から、順番にひとつひとつ見ていった。
私ははるなんを少し後ろから眺めながら、自分の顔が火照ってくるのを感じた。
・・・やっぱり、自分の絵を人に見られるのは、恥ずかしい。
私は・・・思い切って、はるなんの隣に立った。
はるなんの顔を見ると、ものすごく真剣な目で私の絵を見ていた。
その目をみていると・・・なんとなく、「恥ずかしさ」とは別の気持ちが湧き上がってくるのを感じた。
なんだろう・・・私・・・
嬉しい・・・のかな?
「・・・彩花さん!」
「ひゃい!!」
「ここにある絵は全部、彩花さん自身を描かれているんですか?」
その質問に、私は胸を押さえながらもなんとか答えた。
「・・・うん。あの・・・「笑顔」と同じ。「将来、こうだったらいいな」とか、「こんな私がいたらいいな」って想像して、描いたの」
「なるほど。それにしても、すごい数ですね]
はるなんは部屋を見渡すと、あらためてため息をついた。
そして私に向き合うと、少しいたずらっぽい顔でこう言った。
「それは、これだけの絵を描くのは、魔法の研究をしていたら無理ですよね」
「うぐっ」
私は、顔をしかめてそっぽを向いた。
いきなりそんな事を言われるとは、思わなかった。
・・・でも、なんだろう、この感じ。
あんまり、嫌じゃない?
はるなんは私の様子にフッと吹き出すと、こう続けた。
「でもやっぱり私、あなたの絵、大好きです」
「・・・え?」
「あ、そうだ!!」
はるなんは思いついたように自分の手を叩くと、私に顔を近づけながらこう言った。
「ここにある絵に、タイトルをつけましょう!」
「・・・は?」
「だって、彩花さんは描かれた絵にタイトルをつけないって言ってましたよね?だから私が名付けていってあげます!」
私が今だにさっきの「大好き」という言葉を頭の中で噛み砕いている間に、はるなんはどんどん話を進めていく。
「じゃあ、この絵からですね・・・えっと・・・彩花さん!」
「え?」
「この絵の中の彩花さんは、どういう人なんですか?説明をお願いします!」
そう言ってはるなんは私の目を真剣に見つめてくる。
私は整理のつかない頭を振って、とりあえず説明をすることにした。
「えっと・・・この絵の私は、吸血鬼なの」
「・・・吸血鬼!?」
はるなんは驚いてその絵を見つめた。
その絵には、白い服に身をつつんだ「私」が、雪降る中で立ち尽くしている様子が描かれている。
「そう。名前は「スノウ」。とても・・・とても悲しい人」
「・・・え?この人の名前は、もう決めてるんですか?」
そう訊ねるはるなんに、わたしは少し首を傾げながら答えた。
「えっと・・・私が決めた、というか・・・なんていうか、最初から決まってたっていうか」
「・・・どういうことですか?」
「ちょっと説明するのが、難しい・・・」
私は更に首を傾げながら、なんとか言葉にしていった。
「うんと・・・この「吸血鬼の私」を、想像して描こうと思って・・・そうしたら、
描いて行くうちに、この人の名前とか、境遇とか、どんどん頭に溢れてきて・・・」
「溢れてくる?」
「うん・・・よく、わからないんだけど・・・そんな感じ」
その言葉に、はるなんはこくんと頷いた。
「なるほど。彩花さんはとても素晴らしい想像力をお持ちなんですね!」
「う・・・ん?」
「想像力」という言葉には、あまりピンとこなかった。
自分でも今いち理解できないが、本当に・・・勝手に「湧き出してくる」感じなのだ。
「うん・・・よし!」
はるなんは絵の方をもう一度確認してから、こう言い放った。
「決まりました。この絵のタイトルは、「白い吸血鬼」です!」
「し・・・」
私は、はるなんと絵を見比べながら・・・何も言えなかった。
「白い吸血鬼」・・・そのまんまだ。
美術館で、はるなんが私の絵に「笑顔」と名づけてくれた時は、私はそのタイトルにセンスを感じて、とても気に入った。
・・・まぐれ、だったのか?
「どうですか、彩花さん!?」
少し頬を赤くしながらそう訊いてくるはるなんに、私はあいまいに頷くしかなかった。
「よかった!それじゃあ次、いきますよ!」
はるなんは嬉しそうに意気込むと、私の絵に次々とタイトルをつけていった。
そのタイトルの付け方は・・・やっぱり、私には「見たそのまんま」のように感じられた。
でも・・・
ま、いいか。
私は、はるなんのしたいようにさせておくことにした。
タイトルが「見たそのまんま」の方が、確かに覚えやすいかもしれない。
それに・・・
私ははるなんの真剣、かつ嬉しそうな顔を見て、なんだか自分も不思議な感じになってきたのだ。
あ・・・楽し・・・い?
そして私達は、時間を忘れてそれに没頭していった。
とにかく、凄い数である。
でもはるなんは止まることなく、私に絵の情報を訊きながら、タイトルをすぱんと決めていった。
私も、どんどんあふれ出してくる絵の「設定」に自分で今更ながらに驚きながらも、はるなんに説明していった。
ふと・・・大体この部屋の半分の絵にタイトルを付けたところで、はるなんは一つの絵の前で止まった。
「あ・・・この絵・・・」
はるなんが、絵を凝視する。私も一緒に見てみた。
その絵の「私」は、とても不思議な格好をしていた。
「これ、なんだかアニメに出てくるキャラクターみたいな格好してますね。えっと・・・「魔法少女」かな?」
「・・・魔法少女?」
聞き慣れない言葉に、私は思わず呟いた。
「知りませんか?」
「・・・あまり、テレビ見ないから」
私が正直に言うと、はるなんは少し眉をひそめてながら言った。
「え・・・じゃあ、この服も完全に想像で描いたんですか?」
「そうだけど・・・」
「凄い!!」
はるなんは目を見開きながら、ぴょんぴょんと跳ねた。
「彩花さん、漫画家にもなれますよ!私も少しイラストを描けるし、なんならアシスタントになってあげます!」
「いや、そういうのには興味ないから」
「・・・そうですか、残念です」
少しがっかりしながらはるなんは、あらためて絵を見つめた。すると・・・
「あれっ、そういえばこの後ろの人・・・」
絵に描かれたもう一人の人物を、確認するようにまじまじと見た。
その女性は「私」と背中合わせに佇んでいた。
「私」と同じような不思議な服を身にまとっていたが、彼女の場合は「シンデレラ」をモチーフにしているように見える。
そして、肩には白い動物のようなものを乗せていた。
「この人、「笑顔」にも描かれていましたね・・・誰なんですか?」
その質問に、私は少し考えた。
・・・誰だっけ。
「ええっと、確か、ま・・・まろ・・・」
「マロ?」
「いや・・・フク・・・とか、なんとか」
「えっと、お知り合いの方ですか?」
「いや、全然・・・知らない人」
「・・・この人も、想像で作ったんですか?」
「う・・・ん?そう、だと思う。よくわからないけど」
「私」の設定とは違ってこの人物の曖昧な説明に、はるなんはきょとんとしていた。
でも、私の方もなぜかうまく説明ができなかった。
その時、私は薄く開いた入り口の方からとてもいい香りがしてきたのに気付いた。
それと同時に・・・
ぐぐうううう・・・
二人のお腹から鳴った音に、はるなんは吹き出してしまったようだった。
「あはは、もうこんな時間ですね。」
「うん」
絵にタイトルをつけるのに夢中になりすぎていて、もう時間が昼を回っていたのに気付かなかった。
「じゃあ、この絵でとりあえずラストにしましょう!」
そう言ってはるなんは腕を組みながら、絵と向かい合って黙り込んだ。
私もなんとなく絵を眺めて、ふと・・・頭に浮んできたものがあった。
この人は・・・そうだ。
フクダ・・・
「よし、わかりました!この絵のタイトルは・・・」
フクダ・・・カノン。
「「魔法少女、アヤカ☆マギカ」です!」
「さあ、遠慮せずにたくさん食べなさい」
「わあ、ありがとうございます!いただきます!」
「・・・」
お父さんが作ってくれた料理は、お父さんの得意料理だった。
明太子スパゲティ。
・・・のみが、テーブル中央のお皿に山盛りになっている。
「ちょっと、おとうさん」
私は、お父さんに小声で耳打ちをした。
「なんだ、彩花も遠慮するなよ」
「そうじゃなくて・・・もう少し、何かなかったの?」
「何かって?」
「だって・・・お客さんに出すんだから、もう少しこう、おしゃれな食べ物とか」
お父さんはそれを聞くと、少し呆れた顔になって私をかるく睨んだ。
「ばかいうな。食べるものにオシャレもくそもあるか。食べ物は、美味いか不味いかだけだろう」
「そうだけど・・・せめて、サラダとかつけたりとか」
「文句があるなら、食べなければいい。しかし言っておくが、今日のは特に美味しいぞ」
私は、ため息をついてはるなんの方を見た。
はるなんは、取り分けたスパゲティを上品に口に運んでいる。
「とっても美味しいですよ!彩花さんも、召し上がってください」
ニコニコしながら食べているはるなんを見て、それが余計な事だったことを悟った。
私は、自分のお腹の音が再び鳴る前に、フォークを掴んだ方がいいと思った。
・・・もちろん言われるまでもなく、私はこのスパゲティが美味しいことを知っている。
そう、何よりも、美味しいことを知っている。
「こんな時間になってしまいましたね・・・」
「うん・・・」
さすがに少し疲れた顔を見せながら、はるなんは笑った。でも、なんとなくすがすがしい表情だ。
それは、全ての絵にタイトルをつけることができたことに対しての達成感からだろうか・・・
私達は、森の道をゆっくりと下っていた。
辺りの景色は、夕日の赤で染め上がっていた。とてもきれいな赤色だ。
並んで歩く私達の足音だけがリズミカルに響く。
少しの間、二人とも無言のまま、歩いた。なんとなく、雰囲気がそうさせていた。
でも、急にはるなんは少し早足になって先に下りていった。
私がはるなんを見ると、彼女は少し遠くで振り返って、笑顔を見せた。
「彩花さん、今日は楽しかったです。ありがとうございました!」
「う、うん・・・こちらこそ・・・楽しかった」
私が答えると、はるなんはふっと真顔になった。そして目を細めながら、こう言った。
「・・・本当に、楽しかったですか?」
私は、驚いて立ち止まった。
はるなんは、真顔のまま私の目をじっと見つめている。
「本当に、楽しかったと思っていますか?」
「・・・なんで?」
私が訊くと、はるなんは少し下を向いた。そして、何かを呟いた。
・・・え?
「それ」を私は聞き取れなかった。なんだろう、何て言ったの?
私が訊こうとした瞬間、はるなんはスッと顔を上げた。
その顔は、笑顔に戻っていた。
「では、ここまででいいですよ。お見送り、ありがとうございました!」
「・・・あ、うん」
「また、休みの日に遊びに来ます。いいですか?」
私は、「もちろん」と答えようとして・・・ふと、言葉が詰まった。
休みの日・・・?
私は言葉が出なかったので、代わりに小さく頷いた。
「彩花さん、さようなら!」
はるなんは手を軽く振って、後ろに振り向いた。そして、そのまま門から出て行った。
私は、あらためて赤く染まった景色に妙な寂しさを感じながら、さっきの会話を思い返した。
『本当に、楽しかったと思っていますか?』
なんで、急にそんなこというかな・・・
ずっと楽しそう見えた彼女が、最後にそう訊いてきた理由が、私にはわからなかった。
私の、大切な絵の事を、真剣に考えてくれて・・・
とても嬉しかったし、楽し・・・かったよ。
そう、感じたと、思うよ。
なのに・・・
そして、はるなんのもう一つの言葉が、私の心に小さな影を落とした。
それは、あってあたりまえな可能性の存在に気付かされたからだ。
『また、休みの日に遊びに来ます。いいですか?』
はるなん・・・せっかくの休みの日。
・・・他の、友達とは遊ばないの?
あんなに「いい子」だ。他に、友達がいないわけがない。
なのに、次の休みの日も、私と遊ぶって・・・
本当に・・・
本当に、よくわからない女の子だ。
私は、はるなんが消えた方をずっと眺めつづけていた。
「お父さん・・・」
「うん?」
「お父さんにも、友達はいたの?」
私の質問に、お父さんはフォークを持つ手を止めた。
そして、少し考え込む仕草をしたあとに、こう答えた。
「友達・・・は、いなかった、かな」
「そう・・・なの」
私は、自分が作ったミートソーススパゲティをフォークでくるくる巻きながら、ため息をついた。
お父さんは私を見つめると、フォークをテーブルに置いてこう続けた。
「ただ・・・」
「え?」
「友達の代わりに、「仲間」はいたかな」
「仲間?」
「ああ・・・魔道士協会にいたときにな」
「魔道士協会」・・・
なんだか久しぶりに聞いた単語だ。お父さんが昔働いていたらしいところ。
「仲間って、友達と違うの?」
私のその質問に、お父さんはうーんと唸った。難しい顔をしている。
「説明が難しいな。なんていうか・・・うーん」
「うん」
私が続きを待っていても、お父さんは唸るだけだった。
私は諦めて、スパゲッティを食べ始めた。お父さんも食べだしたが、難しい顔はそのままだった。
部屋に戻った私は、あらためて壁を見渡した。
昨日までと、全く変わらない、風景。
一人で、絵に囲まれるだけの、静かな部屋。
今までは、それが気になることはなかった。
むしろ、誰にも邪魔されずに絵を描ける環境が、有難かった。
でも・・・
私は、壁の絵の「タイトル」を、端から順に呼びかけていった。
全ての絵の名前を言った後、私はこの部屋が、昨日までのこことは違うことに気付いた。
・・・名前をつけただけなのに。
そこにあった大切な絵たちが、本当に「命」を与えられたように感じる。
そして、今は「彼女」たちに「命の体温」を感じるのだ。
はるなん・・・
私は、後悔した。
今日私は、はるなんにお礼を言っていない。
次会ったとき、必ず言わなきゃ。
私の、友達に。
『本当に、友達?』
その声が一枚の絵から聞こえたことを、私は疑わなかった。
私は、その絵を睨んだ。
・・・いや、絵の中の、「あの人」を睨んだのだ。
『あっちは、そう思ってないかもよ?』
「その人」は、私にそう言った。
私は、その「シンデレラ」のような格好の彼女を睨み続けた。
ただ、睨みつづけるだけで・・・私は、何も言い返せなかった。
「その人」・・・「フクダカノン」を見続けるうちに、不意にさっきのお父さんの言葉の欠片が頭の中に蘇った。
「・・・「仲間」?」
「フクダカノン」は、ただ・・・「笑った」ように見えた。