本編25 『大魔道士の弟子』


衣梨奈は雨に濡れながら、暫し呆然として
さゆみが消えた暗澹たる空を見ていた。

そして、振り返る。
同じように濡れている里保。
里保も衣梨奈の方を見た。

「行こう、里保」

衣梨奈の言葉に、里保が肯く。

「生田さん!」

二人のやり取りを風に乗せて聞いた春菜が叫ぶ。
衣梨奈と里保はは一度身体を回し、部屋の中に戻った。

ぐちゃぐちゃに掻き回された部屋。
窓際の床はもう水溜りになっていた。
一旦窓を閉める。


「行くって…道重さんの後を追うつもりですか?」

春菜が不安気に二人に尋ねる。
衣梨奈の横で、里保がもう一度強く肯いた。
春菜が驚きの表情を浮かべる。

「道重さんのあのスピードにはとても追いつけない。
うちとえりぽんが全力で飛んでも。だけど、目的地は分かってるから」

「西の大魔道士の所に行くって言うんですか…?」

今度は衣梨奈が肯いた。

「あんな道重さん、初めて見た」

部屋中に魔道士の映像を映し出し、もう一人の三大魔道士を頼ってまで情報を得た。
形振り構わない行動。
そこには、嘗て見たことのない焦りがあった。
あのさゆみが、完全に出し抜かれたのだ。

それをさせた相手が、同じ三大魔道士であるとするならば
いくらさゆみの常識を超えた力を知っているつもりでも、不安は拭えない。
さゆみは無敵で、自分が行ってかえって足手纏いになるのだとしても
じっと家で帰りを待つことなど到底できないと思った。

聖と香音のこともそう。
二人が因子持ちであることを知っていた。
さゆみからも、守ってあげるようにと言われ、守ると誓った。
それなのに、目の前で、何も出来ず二人は連れ去られたのだ。

泣きたいくらい、胸が軋む。
どんな顔で、じっとさゆみの帰りを待つことなんて出来るだろう。


そしてさくらのこと。
隠し事をされていた。さくらが言う「先生」が西の大魔道士のことならば、彼女は三大魔道士の弟子。
はじめから因子持ちの二人を連れ去るつもりだった。
だけど、本当に悪意だけがあって衣梨奈達を欺いていたのだと、そう思えない。

ただ目的を達するだけならばいくらでも手っ取り早い方法も、タイミングもあった。
悪魔の薬を飲んでいたさくらを誰一人疑っては居なかったのだから。

最後に聖達とさくらの間で交わされた会話。
具体的な意味は今でも分からないけれど、あれだってただ連れ去るならば必要の無いやりとりだったはず。
さくらの表情は寂しそうだった。

昨日と今日、一緒に遊んだ時の笑顔。
あの笑顔が偽物だとは、衣梨奈にはどうしても思えなかった。

さゆみが一人で全てを解決してしまうならば、さくらを気に留めることは無いだろう。
西の大魔道士との間に決着をつけ、聖と香音を連れて戻る。
さくらとはそのまま、永遠に会えなくなる。
さくらの行動の意味も、その気持ちも知れないまま。

さくらが不意に衣梨奈に尋ねた「二つの選択」
質問の意図や意味は今も分からない。
だけどやっぱり衣梨奈は今でも、同じ答えを出す。

自分がそこ向かわなければ、どんな結果になっても絶対に後悔する。
後悔しない結果を目指すことさえ出来なくなる。
それならば行く。
その結果を、どんな結果であろうと受け止める覚悟で。


目を合わせた時里保も同じ気持ちなのだと、そう思った。
それを肯定するように里保が口を開く。

「相手が同じ三大魔道士である以上、道重さんだって『絶対』じゃない。
それに…うちは小田ちゃんの気持ちが知りたい。ふくちゃんと香音ちゃんを攫うだけの目的なら
うちらと一緒に過ごす必要なんて無かったはずだし」

里保の言葉に、亜佑美と遥が俯く。
優樹は強い視線で里保を見返し、肯いた。

「そもそも何で…譜久村さんと鈴木さんを連れてったんですか?
だって二人は魔道士でも無いのに…」

遥がポツリと口にする。
衣梨奈は里保と目を見合わせ、それから言葉を出した。

「二人は『因子持ち』なんよ」

「因子…?」

「うちらも具体的にそれが何なのかは分からない。
だけど、凄く特別な存在だって前に道重さんが言ってた。
大昔にはその身体が、魔法の実験に使われたりしたって…」

「そんな…そんなのうちら聞いてない」

亜佑美が苦し気に顔を歪める。


「殆どの魔道士はその存在すら知らない。それこそ道重さんくらい昔のことを知ってる魔道士しか…。
だからうちらも、多分道重さんも油断してた。そのことを聞いた時も『頭の片隅にでも置いておけばいい』って
そう言ってたから」

「まさか他の三大魔道士が狙ってくるなんて想像もしとらんかったけん…」

沈黙が流れる。
亜佑美たち4人の頭には様々な思いが駆け巡っているらしかった。
ガタガタと揺れる窓の音の隙間から、時計の秒針が動く音が聞こえる。

どうしたってさゆみに追いつけないけれど、それでも早く向かわなければならない。

「とにかくうちらは行ってくるから、御免けど亜佑美ちゃん、留守をお願いするね?」

「ちょっと待って下さいよ! あたしも行きます!
うちだって譜久村さんと鈴木さんが心配だし…何より小田の奴をとっちめてやらないと!」

「ハルも行きます!譜久村さん達を実験台になんて絶対させられない!」

「マサも行く!」

続けざまに上げられた声に、里保はびっくりしたように目を見開き
それを一度閉じて、開いた。

「気持ちは分かるけど亜佑美ちゃんたちを連れてくわけにはいかないよ。
これは局の仕事じゃないし、うちは局長から亜佑美ちゃんのこと任されてるけど
今回は相手が相手だから…。うちじゃとても亜佑美ちゃんを守り切れないと思う」

里保が諭すように言った言葉に、亜佑美の頬がみるみる紅潮していくのが分かった。


衣梨奈は隣でやり取りを聞きながら、里保の悪い癖が出たなと思った。
本人はいたって真面目なのだけれど、いらんこと言いで一言多い。
里保もたいがい、KYなのだ。
これは亜佑美が怒るだろう、そう思った直後亜佑美が声を張り上げた。

「何言ってんですか、鞘師さん!!
鞘師さんだって道重さんの言いつけそっこーで破ろうとしてる癖に!!」

亜佑美が声を張り上げたことに相当驚いたのだろう、
里保は小さな目を一杯に見開き硬直してしまった。

「局の仕事が関係ないなら、うちだってうちの意思で動きますよ!
子供じゃないんだから、鞘師さんに守って貰おうなんて思ってませんから!!」

「で、でもさ…三大魔道士と戦うことになるかもしれないんだよ…」

「それは鞘師さんだって同じでしょ!?
それとも鞘師さんなら三大魔道士にも負けないって言うんですか?!」

「い、いやそういう訳じゃなくて…。
うちはただ亜佑美ちゃんを危ない目に会わせたくないって…」

里保のその言葉に、亜佑美の熱がさらに上がった。
さすがに見かねて衣梨奈が割って入る。

「でもどうやって行くつもりなん。亜佑美ちゃんもどぅーも優樹ちゃんも飛べんやろ?」

「う…」

衣梨奈の一言に、亜佑美の勢いが止まる。


「そ、そうだよ亜佑美ちゃん、西の大魔道士の島は海の真ん中にあるんだよ?」

衣梨奈の言葉を助け船とばかり里保が言う。
亜佑美は苦々しい顔で里保を睨み付けた。
と、優樹が静かに声を出した。

「アレ、やってみようよあぬみん」

亜佑美が振り返る。
遥も優樹の方を見て、何か合点がいったという風に肯いた。

「そうだね、アレならハル達も行ける」

遥に遅れて理解した亜佑美が大きく手を叩く。

「そっか、そうだよ。こんな時の為のアレじゃん」

3人の謎の会話を、衣梨奈と里保は胡乱げに見ていた。
そんな視線の先でもう一度うなずき合った3人が改めて衣梨奈達に向き直る。

「ハル達はハル達なりの方法で向かいます。
だけど鞘師さんと生田さんのスピードにはとても追いつけないから、後から合流します」

「ちょ、ちょっと待って…。だから危ないから…」

「居ても立ってもいられないのはハル達だって同じです。
そりゃ、道重さんの足手纏いになるかもしれない。
でもそれだって分からない。何も行動しないうちに、諦めて待ってるなんて出来ません」

はっきりと告げられる遥の言葉に里保が狼狽える。
その横で、衣梨奈は一つ肯いた。
気持ちは皆同じ。遥たちの気持ちを否定することなんて、出来るわけがない。


「来れる方法があるんやったら、任せるよ。
やけど本当に何があるか分からんけん、覚悟だけはせんとね。
それは自分がどうにかなるっていうことだけじゃない。
自分のせいで道重さんや、聖や香音ちゃんを危険に晒すことになるかもしれんってこと。
一生後悔することになるかもしれん。その覚悟がいるとよ」

衣梨奈の言葉に、亜佑美と遥と優樹は肯く。
その言葉の意味が分かって、それでも尚強い目をしている3人に里保も何も言えなくなった。

”西の大魔道士”つんく。
さゆみと同格の、さゆみに匹敵する力を持つと思われる魔道士。
それに、さくらも敵として立ちはだかるかもしれない。
自分たちの力が果たして通用するのか、そんなことは分からない。

多分後でさゆみにこっぴどく叱られることになる。
それでも、少しでも出来ることをしたい。
衣梨奈達も、魔法使いだから。

「じゃあ、えりたちは先に行くとよ」

もう一度窓を開ける。
雨に冷えた風が室内に流れ込むのに逆らって、衣梨奈と里保は庭に降りた。


「本当に気を付けてよ、亜佑美ちゃん。どぅーと優樹ちゃんも」

「鞘師さんと生田さんも」

遥が言う。

「出来るだけ連絡をとりあいましょう。また後で」

亜佑美の言葉に衣梨奈は小さく手を上げ、スケボーを取り出した。
里保の周りで、荒れ狂っていた風が従順に円を描いて回りだす。
衣梨奈がスケボーに飛び乗ると、里保と共に空に舞い上がった。

衣梨奈と里保は夜闇を切り裂き、次第にその中に溶け見えなくなった。

「さ、うちらも行くよ!」

二人を見送った亜佑美が声を掛けると遥と優樹も外に飛び出した。

「ほら行くぞはるにゃんこ!」

優樹が春菜の首根っこを掴む。
バタバタと手足を動かし、何とか地面に下して貰った春菜は
走り出した3人を追いかけながら安堵の息を吐いた。

「よ、よかった。私も連れて行ってくれるのね」

「当たり前でしょ!」

3人と一匹は庭から表に回り、嵐の夜の町を駆けだした。


 

 

嵐の夜の坂道。
吹き上げる暴風の上を転がるように、坂の下へと駆けていく。
横殴りの雨が顔を叩いて、目を開けるのもままならないけれど
気持ちの急かすのに任せて、亜佑美達は全力で走っていた。

「掴まって!」

不意に優樹が叫ぶ。
亜佑美と遥が横目に優樹を見、肯いた。

優樹が走りながら、みるみるうちにその姿を変えていく。
犬の姿になった優樹の両肩の後ろに、魔力で生成したトゲが二本ニョッキと生えた。
亜佑美と遥がそのトゲに掴まる。
春菜も、訳も分からず優樹の背に飛びつくと、優樹は3人を連れて弾丸のような速さで走り出した。

「ところで!アレってなんなの!?」

春菜が必死でしがみ付きながら、暴風の隙間に叫ぶ。
亜佑美が優樹のトゲにしがみついたまま得意気に言った。

「うちら3人の合体魔法だよ!」

「なるほど!」

春菜はそう返したけれど、優樹にしがみつくのに必死で
まるでイメージすることが出来ないでいた。


あっという間に海岸についた優樹は、荒れ狂う海を前に一度立ち止まった。
亜佑美と遥が一度優樹から離れ、春菜も息も絶え絶えに優樹の背から降りる。

海は恐ろしい風雨を纏って、暴君のように黒々とした水面をうねらせている。
いつもは遠くに見える船の灯りも、灯台の火も見当たらなかった。

「…それで、合体魔法とは?」

改めて春菜が尋ねると
亜佑美がずぶ濡れのまま海に向かって仁王立ちしながら言う。

「昔うちら3人で開発した魔法」

「まあ、子供の発想なんだけどね。
でもハル達割とガチでこれで海外旅行しようとしたのよ。
先生に怒られて実現しなかったけど」

やけに自身あり気な亜佑美と遥に、春菜はかえって不安になった。
優樹は雨に濡れながら大きく伸びをしている。

「ところではるなん、そのなんとかって魔道士の島の場所覚えてる?」

「え?うん、一応」

「じゃあ、先導宜しく!」

「は?」

亜佑美に言われて、春菜はさらに不安を募らせた。
そもそもまだ、どうやって行くのか知らされていない。


「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だよ。
ま、見ててよ」

遥かが言い、亜佑美と目配せする。
遥が小さく魔力を込めると、荒れ狂っていた波が割れ、海に平坦な道が出来た。
続いて亜佑美が魔力を込めると、その平坦な海の道がみるみるうちに凍りつく。

「どぅーが均して、あたしが凍らせて…」

さらに亜佑美が優樹に向けて魔力を込める。
優樹の四肢が柔らかい青い魔力で覆われた。

「この『すべりブーツの魔法』をまーちゃんに、っと。よし、準備完了!」

「行こう、まーちゃん!急がないと鞘師さんたちに追いつけない!」

遥の掛け声に優樹が一つ肯き、身をかがめた。
亜佑美と遥がもう一度優樹のトゲに掴まり、春菜が慌てて背中に飛び乗ると
優樹はまた勢いよく走り出し、『氷の道』に乗った。

すると道に乗った4人の身体が凄まじい勢いで滑り出した。


春菜は漸く「合体魔法」の意味を理解した。
波のデコボコを遥の水を操る魔法で平坦にし、亜佑美の魔法で水面を凍らせ
優樹の魔力をブーストにしてその上を滑る。
実に子供の発想だ。

だけど実際に、嵐にうねる海面をものともせず、4人は凄まじいスピードで海の上を走っていた。

 

優樹のスピードに合わせて、遥と亜佑美が「道」を作るため魔力を注いでいる。
前方に集中しながら、だけどやけに余裕ぶって亜佑美が言った。

「ところではるなん、その島って遠いの?」

「いや、ちょっとそれ出発前に確認することだよね!?途中であゆみん達の魔力が尽きたら海にドボンなんじゃないの?!」

「いや、大丈夫だよ。本気で海外旅行出来るぐらい省エネ魔法だから。
ハルは海の上だったら魔力とかほぼ尽きないし、疲れても休めるし」

「うちも広範に凍らせればいつでも休めるから。
でもほら、時間がどれくらいかかるかって気になるじゃん?」

春菜は今更ながらに、里保や衣梨奈に連れて行って貰えれば良かったと後悔した。
猫の姿ならば、衣梨奈のスケボーに引っかかればいいだけでそれ程負担にもならないし。


だけど、この3人と一緒に居るのも楽しいと思ってしまう。
遥と優樹がこの街にやってきて、亜佑美がやってきて、気が付けば普通にため口をきいてしまっている3人。
衣梨奈や里保に比べれば頼りないけれど、妙に頼もしい、そして底抜けに明るく楽しい3人が
春菜は好きだった。

聖や香音のこと、さくらのことと西の大魔道士のことを考えれば
楽しんでいる場合ではないのだけれど。

「…はぁ。まあ、海の上だからそれなりに遠いけど、狗族の郷に行くのを考えれば近いから。
このスピードなら数時間で着けると思う。ちゃんとあたしの先導に従ってね」

「おっけー!よっしゃ待ってろ小田ぁ!!」

亜佑美の威勢のいい声と共に、優樹が更にスピードを上げる。
4人は荒れる海の上を快調に滑り続けた。

 


.

 

南西の海の上、そこには何か異様な光景が広がっていた。
周りの空に、島を取り囲むように大小無数の岩が数キロに渡って浮かんでいる。
その中央にある孤島は黒い岩山で縁どられ
お伽噺に登場する城のような巨大な建物が連なり、島との境界も曖昧に広がっていた。

一見すると幻想的な風情に似つかわしくない、巨大なダイナモが二棟。
無意味に光るネオンサインや広告看板が至るところに立ち、だけれども人気は無い。

航空機も船も、魔道士も近づくことは出来ない島。
三大魔道士の一人、西の大魔道士が所有するその島は、到底常人には理解しがたいセンスに彩られた異界の体を成していた。
周りの海を、海竜が回遊する。
だれも人が近づくことが出来ないその島は、彼らにとって随分と居心地のいい場所であるらしかった。


島のどこに位置するのかも分からない、気が狂いそうになるほど入り組んだ建物の窓に人影が映っている。

ファンキーな服に身を包み、無駄にニヤニヤと口元を緩めている男。
この男こそ三大魔道士の一人、”西の大魔道士”つんくと呼ばれる男だった。

その傍らに、常に眉を垂れている金髪の少女が一人。

「ああ、やっぱり無茶だったんですよ先生。大魔女のところにさくら一人で行かせるなんて…」

少女が何度目か分からないため息と共に空を見上げる。
つんくは安楽椅子に深く腰掛け、ニヤニヤと笑いながら答えた。

「大丈夫やって。ほんまりっちゃんは心配性やなぁ。
小田はああみえて要領ええから、なんとかするて」


りっちゃんと呼ばれた少女、金子りえが弱々しい視線で師を睨む。

「だってもう3日目なんですよね…?」

「せやから、そろそろ帰ってくるやろ。
あいつは優秀やで?何でも必要なもん持ってけって言うたら、まあ正解選んでいきよったし」

「薬と飛竜…ですか」

「そうそう。しかしあの薬、あった分全部持ってきよったんはどうかと思うわ。
アレめっちゃ作るんめんどいっちゅうねん。
もう少し謙虚さが無いと、一人前にはなれんと俺は思いますね」

りえは、どの口が言うんだと思ったけれど、黙った。

「それよりりっちゃんの方がビビったわ。
久々に会ったら金髪にピアスやもん。どないしたん?失恋か?」

「…ただのイメチェンです。触れないで下さい」

表情を変えず、時々格好つけてグラスを傾けるつんくに
また一つため息を吐き、りえは窓の外に視線を戻した。

師に呼び出され、島に訪れたのが昨日。
妹弟子にあたるさくらが、たった一人でお使いを頼まれたことを聞かされた。

内容は、師の口から以前聞いたことがあった実験に関すること。
「因子持ち」の人物が二人いる場所がある。その二人を連れてくるというもの。
だけどその場所を聞いて、りえは耳を疑った。
M13地区。
”大魔女”道重さゆみが住む街だった。


あまりにも危険な任務をさくらに任せた師に、りえは酷く憤った。
さくらの身が心配であることは勿論。
だけど内心では、つんくの弟子の中で自称リーダーの自分に任されなかったことへの不満もあった。
さくらの魔道士としての才能が秀でていることは、勿論りえも認めてはいたけれど。

りえ自身が呼び出された理由については、まだ詳しくは聞いていない。
さくらの仕事が無事に終われば、実験の手伝いをしてほしいとのことだった。

実験。
魔道士を作る魔法の実験。

だけど、「因子」の話は聞いていても実際に見たこともないりえには
まるで想像出来ないことだった。
そんな実験をする意味も理解出来ない。
わざわざ、殆ど居ないという因子持ちの人を、リスクをおかして連れて来て、魔道士を作る意味。
魔道士なんてそこらじゅうに沢山いるのに。

もっとも師の考えていることを全部理解しようとしても、無駄なことは分かっているけれど。

とにかく、さくらが無事に戻ってこないことにはどうしようも無い。
無事に戻って来たとしても、「因子持ち」を連れてくることが出来なければ同じ。

「ほら、そんな話しとったら帰って来たで、小田」

不意に告げられた師の言葉に、りえは慌てて窓に張り付き、無数の岩の浮かぶ夜空を見上げた。
遥か彼方に、月光を背に見覚えのあるシルエット。
飛竜の翼が美しくはためき、独特の羽音を響かせ近づいてくる。

「うわー、あいつほんまに薬全部使いよった」

そう呟いたつんくの顔は、言葉とは裏腹に相変わらず笑っていた。


 


暗い夜空と海面の間をさゆみが飛ぶ。
その速さの為に、輝く翼は、一筋の光の線となって海と空とを隔てていた。
嵐の雲の下を抜け、星空が顔を出している。

空を飛んでいると、少しだけ落ち着く。
さゆみは冷静になった頭でもう一度、状況に思いを巡らせていた。

また気付いたミスが一つ。
衣梨奈や里保が、黙って家に留まるはずがない。
いくらさゆみが言って聞かせたところで、彼女達の気持ちと
性格を思えば、必ず後を追ってくるだろう。

家に魔法で縛りつけてこればよかったのかもしれない。
だけどさゆみには、そんなことは出来なかった。

西の大魔道士のことや薬のこと、そもそもソレを告げるべきでは無かったのだ。
そして真希との通信も聞かせなければよかった。
そうすれば、絶対にさゆみを追ってくることも出来ない。

そこまで考えて、クスリと笑う。
もしかしたら、それでも彼女達はさゆみの向かう先を割り出してしまうかもしれない。
子供たちの気持ちの強さ、それが大きな力を発揮することをさゆみは知っていた。
春菜や里保には、断片的でも様々な知識もある。


きっと、あの子達が大人しくしていることなんて無い。

それならば、仕方が無い。
子供たちが到着する前に、全てを終わらせることが出来ればいいけれど
それが叶わなくても、必ず守ればいいのだ。
衣梨奈も里保も、春菜も優樹も遥も亜佑美も。

そして聖と香音も。

自分は大魔道士と呼ばれるようになった。
大昔、何一つ守れなかった頃の自分と、変われているだろうか。


さゆみの自身への信用に、根拠は無い。

衣梨奈と春菜は、死んでいてもおかしくなかった。
そのことが強く胸を騒めかせる。

もし「小田さくら」が、完全につんくの支配下にあったならば
二人は殺されていた。
仕事を全うする上で、さくらが迂遠な手順を踏んだ理由はさゆみへの警戒。
だとするならば、状況から「つんく」へと辿り着き、後を追っている今
部分的に仕事は失敗していることになる。

衣梨奈や春菜の口から状況が漏れる前に、殺してしまうのが正解だった。
二人は何の抵抗も出来ず気絶したのだし、さくらにとって造作もないことだったはずだ。

それをしなかったことは、さくらが自らの意思を持ち、感情を持っていた証拠。
さくらに救われた。


まだ会ったことは無い。
昨夜から、衣梨奈達に話を聞いて、興味を抱いていただけの少女。
その裏切りが、酷く衣梨奈達の心を傷つけたのも事実。

だけどさゆみは、衣梨奈達を殺さなかったさくらの心に、少しだけ感謝していた。
そこに心があったことに。
自分の失態で、唯一の弟子と親しい友人を失う、そうならなかったことに。

これから会えるだろうか。
その心を知れるだろうか。

つんくと対峙する。
その上で、さくらのことを気にする余裕はあるだろうか。
恐らく敵として立ちはだかることにもなるだろう。

皆、守る。
大切な子供たちを。大切な子供たちの気持ちを全部。
出来るか、じゃない。
やる。
そんなことも出来ない”大魔女”なんて、ただのお笑い種。
ピエロもいいところじゃないか。


さゆみは口の端に小さな笑みを浮かべ、一層速度を増した。
根拠も自信も無くても、ただひたすら走って来た。
それが”大魔女”道重さゆみの、長い長い時間の全てだから。

 


.


広大な城の広間にさくらを下した飛竜は、大きく伸びをして
島の山の頂、自身の塒へと帰って行った。

つんくとりえがさくらを出迎える。
さくらは二人の姿を見つけ、小さく頭を下げた。

「戻りました。りっちゃんも来てたんですね」

「おう、お疲れさん。
金子にも手伝って貰おう思てな」

「ふぅ、無事でよかった。心配したよ」

さくらはりえと小さく笑みを交わし、それからつんくに目を向けた。

つんくは城の中へ歩きながら、相変わらずの笑みを浮かべてさくらに問いかけた。

「そんで、どうや?」

「連れて来ました」

さくらは、ポケットから小瓶を取り出してみせた。
小さくなった聖と香音が、柔らかい布の上で静かに眠っている。

「さすがやな。ご苦労さん。
その子らの部屋一応用意しとるから、はよそっから出してやりや」

「はい」


城の中の入り組んだ道をついていく。
全体が大きな魔力、それも大魔道士が長い年月を費やした魔力で形作られている城は
あまりにも奇妙で入り組んでいて、ともすればすぐ迷子になってしまう。

どこをどう歩いたのか、つんくが一つの部屋の前で立ち止まった。
扉を開けると、いくらか普通の部屋がある。
ベッドが二つ並んでいて、小卓があり
申し訳程度に女の子好みのする調度が揃っていた。

さくらがビンの蓋を開け、魔力を込める。
すると二人の身体がゆっくりとビンの外へ出て、元の大きさに戻ってそれぞれのベッドに横たえられた。

「すみません。もうすぐ目を覚ますと思うんですが…」

「かまへんて。疲れとったら考えるもんも考えられへんやろ。
ゆっくり休ましたったらええねん」

りえは、ベッドで静かに寝息を立てる二人をじっと見ていた。
因子を感知することが出来ないりえには、ただの可愛らしい女の子に見える。
だけど特別な存在、なのだろうか。
自分たち魔道士よりもずっと。

「まあどっちにしろ、暫くはここにおってもらわなあかんからな。
小田と金子は、とりあえずこの子らの面倒見たってな」

つんくの言葉に、さくらは肯き、りえは胡乱げな視線を向けた。

「私が来たのは、そのためですか?」

「ん?そうやで。実験の為にも大事なことやからな」

相変わらずニヤニヤと笑っているつんくの顔からは、何も真意を読み取ることは出来ない。


「ま、取りあえず目覚ますまで待とうや。
小田もそれまで休んできたらええやん。お疲れやろ?
目覚ましたらお前にも知らせるからな」

「はい、そうさせて貰います。
…先生、私の仕事はこれでよかったですか?」

さくらがぽつりと付け加えた言葉に、つんくは笑みを深めた。

「85点やな」

「合格点、だけど完璧ではない…?」

「俺は満点やってもええんやけどな。
お前自身が、納得しとらん顔しとるからなぁ」

さくらはその言葉を聞いて、つと押し黙ってしまった。

「ま、いろいろ考えたらええねん。
おもろいことになりそうやし、俺は満足やけどな」

そういって、顔をどこか遠くの空に向けたつんくの仕草を
りえは不思議に思った。
だけどその言葉の意味は、やはりよく分からなかった。

さくらはもう一度頭を下げ、仮住まいにしている自室へと戻って行った。

 


 


さくらを見送った二人は聖と香音の部屋を離れ
別の適当な場所に移動して腰を落ち着けた。
りえも暫く休もうかとも思ったけれど、疲れてはいないし
部屋に戻ったところですることも無い。

城の中には無数に部屋や廊下があり、それを全く把握出来ていないりえには不用意に歩き回ることも出来なかった。
さらに悪いことに、この城では部屋も、道も、重力の向きさえも主と同じように気まぐれに動き回る。
冗談抜きに一度迷えば、永遠に彷徨うことになる。
そうなってしまえばそれこそ、壁や天井を破壊して、一直線に外へでるしかなかった。

だから、決まった道順以外の場所は師と共にでないと歩くことも出来ない。

テーブルとイスが無造作に並べられた部屋。
つんくが冷蔵庫からペットボトルのジュースを取り出しりえに渡すと
りえは頭を下げ、一口飲んだ。


「なんだか浮かない顔してましたね、さくら」

同じようにジュースを飲み腰かけたつんくに、りえがぽつりと言った。

「そうやな。人と会ったんやろ」

つんくの返事に、りえが首を傾げる。

「どういう意味ですか?」

「小田とか、りっちゃんもそうやけどな、そんくらいの年頃の子やったら
どんな人と会ってどんな人と喋るかで、その後の人生180度変わるくらい影響受けるもんや。
別にいい悪いとちゃうで?
そうやって色んなこと考えながら大きくなったらええねん。
それが良かったんか悪かったんか、そんなんは死ぬ間際にでも決めたらええ。別に決めんでもええけどな」

りえは一つ肯いた。
師の言葉は、分かるような分からないような。
どうしてそんなに嬉しそうなのかは分からなかった。

ただ、さくらはM13地区で誰かと会って、何かを迷っているのだと、
そう師が言おうとしていることは分かった。

「あの子は魔力も魔法の才能も凄いけど、まだ不安定ですからね」

りえがそう言うと、つんくは可笑しそうに声を出して笑った。

「ハハッ、りっちゃん言うなぁ。
ま、アイツがこれからどっちに転ぶんかは、一番おもろそうなとこやしな。
でもな、小田のヤツ結構俺に似とるからなぁ」


つんくの言葉にりえが思わず顔を顰める。

「どこがですか…」

「どこがやろな。考えてみ?」

つんくは歯の奥で噛みしめるように笑って、もう一口ジュースを飲んだ。

りえは少し考えて、どこをどう見てもつんくとさくらに似た部分など思い浮かばず
馬鹿らしくなって考えるのをやめた。
つんくはそんなりえの様子を面白そうに見ながら、リズミカルな鼻歌を口ずさんでいた。

「…それで、いい加減実験について詳しく教えて貰えませんか?」

何となくりえは、バカにされているような気分になって強引に話題を戻した。
つんくも鼻歌を辞め、椅子に深く掛けなおしてりえを見る。

「せやなぁ。何から聞きたい?」

「まず『因子』について、ですかね。それと、なんでわざわざ魔道士を作るのか」

「そか。んじゃ『因子』からな。
『因子』が何かって言われたら、よーわからへん」

「はぁ…?」

「ま、そらそういうモンやと思うしかないなぁ。
要するに、魔力のカタマリや」

りえはそれを聞いて、ふと脳裏に過ったことを声に出した。

「つまり、魔力の結晶体ですか?」


実際、気体でもなければ液体でもない、漠然としたものである魔力の『結晶』が存在する。
りえ自身も見たことはないけれど、それは鉱物に混じって本当にごく稀にあるらしい。
砂粒ほどの大きさでも、凄まじい魔力を秘めているとされるそれは、魔道士にとってとんでもない宝であり火種でもある。
現在確認されている物の殆どが大きな組織や、機関に管理されていると言われている。

「ま、似たようなもんと考えて貰ってもええけどな。
せやけど、不思議なんは、なんで普通の人の親から突然そんな子供が生まれるんか。
しかも骨も筋肉も脳みそも、全く普通の人と同じ機能を果たすしな。
その魔力も、言うたら超安定状態で一切漏れへんし、意味無いねん。
『因子』の身体の細胞を魔法に利用しようと思ったらほんま大変やで。ほんのちょっと魔力を取り出すんも大仕事や。
まあ、そのほんのちょっとでもものごっついんやけどな。しかも普通の『結晶体』と違て、色んな属性が含まれとるし」

「身体の全部が魔力の結晶体…?」

「まあ似とるけど全然別物と考えた方がええやろな。
俺も結構長いこと研究しとったけど、まあ『因子』は不思議やわ。意味が分からへん。
生き物が何で生まれてきて死んでいくんか、それと同じレベルの謎やね」

つんくは早口に、楽しそうに話した。
魔法に関する探究。
それが本当に楽しいのだろう。まるで少年のようだとりえは思った。

そして、『因子』についての話を聞くうち
りえにもぼんやりと、今回の実験の全貌が見えて来た。

「ちょい分かってきたやろ?
因子持ちを魔道士にする理由。
言うとくけど、普通の人間を魔道士にする実験はもう成功しとんで?
200回以上は成功してます」

また適当なことを、と思ったけれど黙って先を促す。


「元々魔力の無い人間が魔法使えるようになったって、出来ることは高がしれとんねん。
しかもどっかから魔力を補給せなあかんし、めっちゃアホらしいで。
せやけど、『因子』持ちが魔法使えるようになったらどないなると思う?」

そこまで聞いて、りえは漸く理解した。
身体が魔力の結晶。それは、言うなれば無限の魔力を体内に保有しているということだ。
もし魔道士として、自由に自身の身体から魔力を取り出すことが出来れば。

「つまり…」

「そや。理屈の上では、俺の魔力なんかカスみたいに思うくらいの魔道士が生まれるわけや」

りえは、ぞっと背筋に冷たいものが伝う感覚に襲われた。
りえからすれば師も十分に『化け物』といえる魔導士。
だけど、『因子持ち』の魔道士が誕生すれば、更に想像を絶するものになるというのか。

「まあ、実際そんなうまくいくか分からへんけどな。
わくわくせえへんか?
一体そんだけの魔力があったら、どんな魔法が使えるんか。俺らみたいな凡百の魔道士が
想像もつかんような魔法も使ってまうかもしれへん。せやろ?」

りえにわいたのは、どちらかと言えば恐怖だった。
既に世界に影響を及ぼすほどの魔道士である師。それを遥かに超える魔道士が突然誕生したならば
世界の在り様は変わってしまう。
それは、破滅のイメージを持ってりえの脳裏をよぎった。

どうして師は、『わくわくして』いられるのだろう。
もし実験が成功したら、三大魔道士としての自信の立場すら危ういかもしれないというのに。


「せやけど最初の関門は、なってすぐやな。
りっちゃんも初めて魔法使えるようになったときはよう失敗したやろ?
自分の魔力が上手く制御できへんで。
あの子らの場合その桁がちゃうからなぁ。よっぽど上手く制御させてやらんと、全部おじゃんや。
ゆうたらこの実験の成否は、その一点やね」

「おじゃんってつまり…」

「この島が消し飛ぶくらいの爆発で収まってくれたらええなぁ」

ニヤリと笑うつんくに、りえはまた背筋を冷やした。

「俺はまあ死にはせんけど、りっちゃんも小田もひとたまりもないやろなぁ。
折角の因子持ちの子らも木端微塵になってもたらどうしょうもないし」

様々な光景が次々と思い浮かんだ。
さっきみたあの二人が、魔道士になった途端バランスを崩す。それはありえる事態。
そして、その魔力が暴走する可能性も高い。
いや、よほどの対策を講じなければ、ほぼそうなる。
そして自分や、さくら諸共消し飛ぶのだ。


「…他の子達が呼ばれてなくて良かったです」

「いや、だから失敗せんように頑張るんやで?
また被験体探すんも大変やし、自分らが死んでまうんもアレやし。
せやから小田とりっちゃんにあの子らのお世話係として働いて貰おう思ったんやん。
鍵は精神状態やからな。
ちゃんと心身が一致した状態で、納得して実験に協力して貰えるように
心のケアをして貰おう思ってな」

りえは顔を青くし俯いた。
脳裏に、先ほど見た聖と香音の顔が浮かぶ。
多分これまで、殆ど魔法と関わらずに生きて来たのだろう。
本当に、そんなとてつもない事実を受け入れることが出来るのだろうか。

恐らく、今師の口から語られた言葉のどれをとっても、彼女達の想像の外にある話ではないだろうか。

「怖いんやったら降りてもええで。
他の奴に代わりに来て貰わなあかんけど」

つんくの言葉は、りえを試していた。
りえは青ざめた顔を上げ、幾らか強い視線でつんくを睨み付けた。

「…自称リーダーとして、他の子達にさせることなんて出来るわけないじゃないですか。
さくらはこの話を知ってるんですか?」

「まあ、失敗したら木端微塵とは言うてへんけどな。
せやけど、今回の実験については興味深々やったな。
あいつも魔道士やし、それなりの失敗のリスクは想像ついとるやろ」


りえは一度頭をぶるぶると振って
嫌な想念を吹き飛ばそうとした。

正気の沙汰ではないと思える。
もっとも自分の師が正気でないことなどとっくに分かっていたつもりだけれど。

その一方で、大魔道士の、或は歴史を変えてしまうかもしれない実験に立ち会えることを心のどこかで嬉しく思っていた。
その自分を発見して、恐怖する。
偉大な魔道士になりたい。人から憧れられるような。
だけど、ただ努力を積み重ねただけでそうなれるのでは無いのかもしれない。
人としての殻を突き破るような、人では無いもののような意思が必要なのだろうか。師のように。


「あの二人にも失敗したらとか言うたらあかんで。
そんなん聞いたら気持ちが萎えてまうからな」

りえはもう一度つんくの顔を見上げた。
終始、自分は師に試されているように思う。
一体どういう結論を出すことが、正解なのだろうか。この人の弟子として、魔道士として、人として。

多分りえがどういう考えを持ち何をしようと、師は笑っているのだろうと思った。
長年、つんくの元で魔法を磨き、自分でも実感できるくらい自信をつけた。
いずれ、師を超える。その時は遠く無いとさえ感じていた。

だけどその精神は、まだ遥か向こうにあると思い知らされた。


.

部屋にはいくつも壁掛け時計があった。
だけどその全てが違う時間を差しているから、正確な時刻は分からない。
分かるのは、今が夜だということだけ。

りえは、とにかく落ち着こうと思った。
まだすぐに何かがあるわけでは無い。
急ぐことでも無い。
もし自分が降りるといえば、他の妹達に声が掛かるだけ。
それならば、ちゃんと自信の気持ちにも整理をつけなければ。
いろいろなことに。

りえが、ジュースを飲み干す。
それから自分も休むとつんくに告げようとした瞬間、突然閉まっていた窓が大きな音を立てて開いた。
ぎょっと身体を竦ませ、それからすぐに警戒して立ち上がる。
窓はただ開いただけで、涼やかな夜風が流れてくる。

この城特有の、悪趣味な師の仕掛けだろうか、
そう思ってりえが視線を向けると
つんくは椅子に腰かけたまま、窓の外を見てニヤリと笑った。

「やっかいなもんが来たなぁ。『大魔女』のおでましや」

りえが驚いて窓の外に意識を向ける。
すると、遥か遠くから凄まじいスピードで近づく、強大な魔力に気付いた。
それは、まるで空と海と空気を揺らしながら迫る天災のように、恐ろしい存在感と威圧感を放っていた。

「そんな…三大魔道士が、ここに?」

「小田のヤツが連れてきおったなぁ。
これは大変やで。責任問題やなぁ」


まだかなり遠くにあるはずなのに、恐ろしい存在感を放つ魔力。
それを感じてもつんくが慌てている様子が殆どないことに、りえは今更ながら驚いた。
今目の前にいる人もまた、近づいてくる怪物と同格の魔道士なのだ。

そして、改めて思う。
師も、『大魔女』も、超えるべき壁なのだ。
それはこれまでずっと、ひたすら情熱を費やしてきた、自分の魔法の目的なのだと。

いくら師が慌てていなくとも、間違いなく緊急事態ではある。
明らかな怒りを感じる。
その矛先が、師とさくらに向いているとするならば、『大魔女』の前にさくらを立たせるわけにはいかない。

そして師と大魔女が邂逅してしまうことがどんな意味を持つのか
それも想像の範囲を超えていた。
恐ろしいことであるのは間違いない。


小田を起こすか、とぶつぶつと呟いているつんくに
りえは言った。

「さくらは休ませてやって下さい。私が止めてきます」


つんくが一瞬驚いた顔をして、それからまた笑った。

「マジかりっちゃん。アイツゆうても『大魔女』様やで?」

「いずれあなたを倒すんですから、その予行演習に丁度いいです」

りえは立ち上がり、窓枠に足を掛けた。
こう告げて、師がどんな反応をするかと思ったけれど
案の定、ニヤニヤと笑っていた。

別に構わない。
大魔女。今の自分の力を試すのに絶好の相手だ。
それに少し、外の空気を吸いたいと思っていた。

「そか、まあがんばりやー」

つんくがひらひらと手を振る。
りえは一つ肯き、窓枠に足を掛けると外に飛び出した。

 

後ろ姿を見送り暫くしてから、つんくが独り言ちた。

「若さやなぁ。俺かてキレた道重と正面衝突なんか嫌やっちゅうねん。
さて、迎える準備せななぁ。ほんま大変やで」

徐に立ち上がるつんくの顔は、やはり楽しそうだった。


 

 

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最終更新:2015年07月11日 23:12