ドラマティック モンスター


きっかけは、よくある些細な日常の一コマだった。

「鞘師さんと生田さんって、ホント仲いいですよね~」

「やすしさんはうぃくたさんのことが大好きだから」

事あるごとにからかい交じりで冷やかされ、
さすがの里保も我慢の限界とばかりついに声を荒げた。

「ちょっともういい加減にしてよ!
人の言動を勝手にドラマティックに解釈したり、
うちがえりぽんのことを大好きすぎるとか勝手に決めつけたりされても
ホントいい迷惑なんだからさ!!
別にうちはえりぽんのことなんて大好きじゃないし。
……普通。うん、ドラマティックじゃなくて
他のみんなと同じ普通でしかないんだから!!」

その言葉に過剰に反応したのが、まるで自分のことを否定されたように
受け止めてしまった衣梨奈だった。

「何それ。
そんなこと言ったらえりの方が巻き込まれてよっぽど迷惑やけん。
里保のことなんかえりも別に普通やし、
えりにとっては里保よりも聖の方がずっと仲いいし」

「何さもう!
えりぽんなんかよりうちの方がずっとさ……!!」


気づけば周りを置き去りにして、激しく口喧嘩を繰り広げる里保と衣梨奈。
その行きつくところは必定であり……。

「もうえりぽんなんて知らないんだから!!」

いかにも頭に血が上った挙句の捨て台詞とともに、道重邸を飛び出す里保。
衣梨奈もまた引き留めようともせず、憤懣やるかたない様子で
大きく足音を立てながらリビングを出て自室に引き籠ってしまった。

「……なんか、悪いことしちゃったかな」

すっかり取り残され、ばつの悪さ全開で呟く遥に対し、
一方の優樹は納得いかない表情で不満げな声を上げる。

「本当のことを言われて怒るなんておかしいし!」

「本当のことだからこそ怒るんだよ」

パソコンから顔を上げることもなく、さゆみが冷静に指摘をする。

「えー!? そんなの意味わかんない」

「りほりほも素直になれないお年頃だからしょうがないの。
そんなところもりほりほの可愛らしさの一つだしね」


じみしげさんはホントやすしさんに甘いんだから、という
嫉妬に満ちた視線を投げかけながらも、不承不承口を閉ざす優樹。
代わって喧嘩の責任を感じている遥が、いかにも困った口調で訊ねた。

「でもこのままでいいんですかね、あの2人」

「うーん。はるなんはどう思う?」

「えっ!?」

さゆみにいきなり訊ねられ一瞬驚きを見せた春菜だったが、
すぐに取り直していつものようにそつなく返事をする。

「生田さんと鞘師さんの、ここまで激しい喧嘩を目にするのは久しぶりですけど……。
2人の喧嘩自体はよくあることですし、冷静になれない状態で
変に仲を取り持とうとしても逆効果になる可能性が大きいですし、
とりあえずは落ち着くまでしばらく様子見が無難じゃないでしょうか」

「なるほど、犬も食わないような痴話喧嘩は放っておけというのがはるなんの意見なわけね」

だが、そんな考えはあまりに楽観的だった。
数日後、春菜は自分の言葉を省みてそう悔やむ羽目になった。



道重邸を飛び出した里保が訪れたのは、雑木林に囲まれた小さな神社だった。
衣梨奈と喧嘩した後は、「道重さんスポット」のあるこの場所に足を運び
高ぶった気持ちを落ち着けるのが、里保のいつもの行動パターンとなっていた。

だが久々の大喧嘩だったということもあり、
今日に限っては「道重さんスポット」の魔力を浴びても
里保の心はなかなか晴れることがなかった。

夕陽を受けてオレンジ色に染まる神社の前で、里保は独り延々と自問自答を繰り返す。

――うちのことを普通だとか迷惑だとかひどいよえりぽん!

――――でもそれって自分がえりぽんに言ってたのとおんなじことでしょ?

――それはそうだけど……。でもうちの言ってる普通はえりぽんのそれとは違うから!

――――何がどう違うっていうの?

――それは……。うまく説明できないけどとにかく違うものは違うんだから!!

――――ふーん

――えりぽんもそれをわかってくれてるはずなのにあんなこと言うなんて、ひどいよえりぽん……


本当の答えはすぐ目の前にある単純なモノのはずなのに、
真実から頑なに目を背け続けているからこそ生じる自縄自縛のラビリンス。
そんなメビウスの輪から抜け出せずもがく里保は、とにかくジッとしていられず
神社の周囲の雑木林を訳もなく徘徊することとなった。

裏手にある木々の間を縫うように続く小径からも外れ、
草叢を八つ当たりのようにかき分けながら、道なき道を当てもなく彷徨い歩く里保。
こうして我武者羅に身体を動かしていると、少しだけ気持ちが紛れる気がする。

とはいえ、ただでさえ粗忽者の里保が心ここにあらずで歩き回れば、
その結果生じる事態は目に見えるわけで。

「痛っ!!」

何かに足を引っかけて派手にすっ転ぶ里保。

「ちょっとなんでこんなところに変なのがあるのさ!」

転ぶ原因となった足元の綱のようなものを、腹立ちまぎれに引きちぎり放り投げる。
だが、冷静な状態の里保なら気づいていたであろう。
それが、この一帯を封印するため密かに設置された、重要な役割を担うしめ縄であったことに。

「あれ? こんなところに道なんてあったっけ??」


ようやく立ち上がった里保が、すぐ横に人が一人どうにか通れるくらいの
目立たない細い獣道があることに気づく。
深く意味も考えずに足を踏み入れると、その先は少しだけ拓けた場所となっており、
そこにひっそりと小さな社が建てられていた。

お稲荷様を祀ってるかのような可愛らしいサイズの古びた社ではあるものの、
それにしても神社の裏手にこんな場所があったなんて全然気づかなかった。

恐る恐る社の前まで近づき、半ば呆気にとられながら様子を観察する。
そんな里保の心の間隙を縫うかのように、突然、社の観音扉がひとりでに開帳した。

「!!」

社の中から現れたのは、一人の中年男性。
剃髪はしていないが、袈裟を身に纏っていることからおそらく僧侶なのだろう。
だがそれよりまず注目すべき驚愕の事実があった。

その身体全体が薄らと透けていたのだ。

……まさか幽霊!? 
いや、顔つきが細面のつり目に出っ歯でどことなくキツネっぽくもあるので、
もしかしたらお稲荷様のお使いなのかもしれない。

あまりにも現実味のない光景すぎて、逆に驚くことも忘れて立ち尽くす里保に、
その人物が独特のイントネーションで語りかける。


「封印の解いてくれたのはお前か」

「えっ!? あ、あなたは……」

「俺か。俺はなぁ、明石上人っちゅうもんや。これでも昔は偉い坊さんやったんやけどな」

「はぁ……」

「なんや反応薄いなぁ。そこはもっと『ホンマでっか!?』とか
驚くなり感心するなりしてもらわんとオモロないやんけ」

軽快な口調で捲し立てる明石上人のペースにまったくついていけず、
ただただ生返事を漏らすことしかできない。

「それはそうと、お前、なんか悩みを持っとるやろ」

「えぇっ!?」

いきなり指摘され、里保の脳裏にまた衣梨奈の姿が思い浮かぶ。

「偶然とはいえ封印を解いてくれた礼もあるしな、
この上人がいっちょその悩みを聞いたろうやないかい。
いつまでもボーっと突っ立ってないで話してみいや」

明石上人に急き立てられ、まるで魅入られたかのように
里保はそこで自分の悩みを吐露することとなった。



里保と衣梨奈の大喧嘩から3日。
未だ里保は道重邸に顔を見せることがなかった。

愛しのりほりほと会えないことで、当然さゆみの機嫌も右肩下がりに悪くなっていく。
おかげで重苦しい空気が漂い、里保の代わりに夕飯のお相伴に預かっていた春菜も
肩身の狭い思いをしながら黙って食後のお茶を啜ることしかできなかった。

「ちょっと生田、いつまでりほりほのことを放置しておくつもりなの」

「別に放置なんてしてませんよ。鞘師も偶々家に来てないだけで、
その気になったら自分の方から来るんじゃないですか」

里保のことをあえて苗字で呼んでいる時点で、
衣梨奈のわだかまりも解けていないことが一目瞭然だ。

「ふーん。生田がそう言うなら別にいいけどね。手遅れになっても知らないよ」

冷ややかに発せられるさゆみの意味深な一言。

手遅れ? 一体どういうことだろう??
鞘師さんに会えなくてへそを曲げた道重さんが、ただ憎まれ口を叩いているだけ……。
なんていうこともさすがにないだろうし。

「好奇心猫を殺す」ではないが、口を挟みにくいこの場の空気以上に
さゆみの言葉が引っかかってしまい、意を決して春菜が割って入った。


「手遅れって、どういう意味ですか?
もしかして鞘師さんの身に何かあったんですか?」

「さあどうだろうね。
はるなんも情報屋なんだから、気になるんなら自分で調べてみれば?」

にべもないさゆみの返事。
だが聡明な春菜は、さゆみの言葉の裏にある真意をしっかりと汲み取った。
それは則ち、意固地になってる衣梨奈の代わりに動いてくれというさゆみからの要請。
どうやらこれは、見過ごすことのできない重大な何かが発生しているらしい。

「ごめんくどぅー! あゆみんに連絡を取ってくれるかな?
あゆみんに、家にいる鞘師さんの様子を確認してもらって!」

「えっ!? うんわかった」

春菜の真剣な口調にただならぬものを感じた遥が、大人しくその指示に従う。

『……えっマジで!? ……ああそうなんだ……ううん大丈夫、わかったありがとう』

そして亜佑美との電話を終えた遥が、焦燥感に満ちた声を張り上げた。

「鞘師さんここしばらくずっと家に帰ってきてないそうです!
あゆみんはずっと、鞘師さんが道重さんのところに泊まり込んでるものだと思い込んでいました!!」

「え~!? それってもしかして!! ……ど~ゆ~こと?」

みんなの顔色が一気に青ざめる中、ノー天気な優樹の質問に思わず脱力しかけた春菜だったが、
状況を整理するにはちょうどいいかと思い直し、努めて冷静に説明する。


「鞘師さんが生田さんと大喧嘩してこの家を飛び出したのは3日も前のことでしょ?
私達はみんな、鞘師さんが素直に自宅に戻ったんだとばかり思っていたんだけど、
それが3日間ずっと帰らないままだということがあゆみんの話でわかったんだよ」

「ここにもいないで自分の家にも帰ってないんなら、やすしさんは今どこにいるの?」

「それがわからないからみんな焦ってんじゃんかよ」

「おおなるほど」

遥のツッコミもありようやく得心した表情になる優樹。
マイペースな様子にその場の空気もほんの少しだけ和らいだが、
気を取り直して春菜が衣梨奈に訊ねた。

「生田さんだったら鞘師さんがどこにいるか見当がつきませんか?」

里保の行方不明は自分との喧嘩が原因だということが明白なため、
それまでのわだかまりも吹っ飛び里保の身を案じる衣梨奈だったが、
いざどこにいるかとなると想像もつかなかった。

一番ありそうなのは聖や香音の家に泊まっているという可能性だけど、
もしそうなら2人から事前に連絡があるだろうし、
かといってただでさえ友達の少ない里保に、このM13地区で
泊まらせてと転がりこめるような場所が他にあるとも思えない。


「普段りほりほのことを守るとか勇ましいこと言っときながら、
いざという時に居場所すらわからないなんてホント情けないなぁ。
りほりほが生田と喧嘩した後、いつも行くところはどこなの?」

「…………神社!!!!」

見かねたさゆみが呆れた口調で助け舟を出すと、
ようやく思考の結びついた衣梨奈が一声大きく叫び、
そして勢いよく道重邸を飛び出していった、

喧嘩したのが3日前のことなのだから、たとえ神社に行っていたとしても
今日まで3日間ずっとそのままというのも考えにくくはあるけれど、
道重さんがわざわざ示唆したということは、
少なくとも鞘師さんは今神社にいるということなのだろう。

ともあれ衣梨奈が里保の元へと走ったことで、これで事態は収束に向かうだろうという
どことなく緊張のほぐれた弛緩した雰囲気となったが、そこで春菜がはたと気づく。
さゆみの表情が未だに硬いままで戻らないことに。

その様子にふと生じた嫌な予感が拭いきれず、恐る恐る確認してみる春菜。

「先ほど道重さんは『手遅れになっても』っておっしゃってましたけど、
もしかして鞘師さんは何か危険な目に遭っていたりしますか?
だとしたら生田さんを一人で行かせてしまって大丈夫しょうか?」

「大丈夫かと言われたら、まあ無理だね。
生田では、りほりほを助けることができない」

さゆみの思わぬ一言に、その場の空気が再び凍りついた。



雑木林に囲まれた小さな神社は、月明かりに照らされ神秘的な雰囲気を醸し出していた。
息を切らせてようやくたどり着いた衣梨奈が、「道重さんスポット」の温もりを感じながら
まずは気持ちを落ちつけようと大きく深呼吸をする。

さゆみに詳細を聞くこともなく飛び出してきてしまったが、はたして里保はどこにいるのか。
目につく範囲にその姿は見当たらないが、衣梨奈はそっと目を閉じ、
五感を集中させて里保の気配を感じ取ろうとした。

……聞こえる。

おそらくは神社の裏手辺りの方角。わずかだが誰か話してるらしき声が耳に届いた。
里保のものかどうかも判別できないほんの小さな声音だが、
人気のない神社の周辺から聞こえている時点でその可能性は十分ありそうだ。

一度捕らえたその音をかき消さないように、抜き足差し足の静かな歩様で
裏手にある雑木林の中へと足を踏み入れていく。
徐々に聞こえる話し声が大きくなってくるのを感じながら、
慎重に草叢をかき分けて道なき道を進む衣梨奈。
外灯もない夜道ではあったが、幸い十三夜の明かりが強めに周囲を照らし、
木漏れ日ならぬ木漏れ月のおかげで、そんなに苦労せず音を辿っていくことができた。

しばらくして、木蔭から垣間見える視界の先に、少しだけ拓けた空間が出現する。
そこにあったのは、見覚えのない小さな社。……と、衣梨奈が探し求めていた姿だった。

間違いない、里保だ。


「……!!?」

その姿をはっきりと視認した衣梨奈が、木蔭から飛び出そうとして思わず躊躇する。
それは、里保の様子があまりにも異様なものだったから。

里保は小さな社の前にちょこんと座りこんでおり、
どうやら社の中にいる人物と会話をしているようだ。
具体的な話の内容までは聞き取れないが、相手の声は男性のものであり、
会話といってもほとんど相手が一方的に話し、里保は時折その相槌を返す程度。
だが問題は、会話自体よりも会話をしている里保の面貌にあった。

目の下は真っ黒な隈に覆われ、頬も心なしかこけて見える。
完全に病人のような容貌だったが、そんな中で瞳だけは爛々と輝き、
力強い、まるで魅入られたか憑りつかれたかのような怪しい光を放っていた。

どう考えても里保の様子がおかしい原因は、その話し相手にあるはずだ。
迂闊に近づくのは危険だろう。まずは相手をしっかり確認しなくては。

今の衣梨奈はちょうど里保の横顔がよく見える位置におり、社の中を覗くことはできない。
まずは里保の真後ろ、つまり社に正対する場所まで移動して、相手の存在を見極めてやろう。

気づかれないよう慎重に木蔭を移動する衣梨奈。
それに呼応するかのように、月が雲に覆われて辺り一面が闇に沈んでいく。
暗闇の中どうにか望みの位置取りは確保できたものの、
月が雲から顔を出すまでしばらく息を潜めて時を待つこととなった。

やがて、月がゆったりと雲を抜け出し、月光により視界が徐々に回復してくる。
その光は里保の背中を照らし、そしてついには社の中まで達した。


「う!! ぐぅ……」

そこで目にしたあまりに衝撃的な光景に思わず叫び声を上げかけた衣梨奈が、
不意に後ろから口を塞がれ、くぐもった呻きを漏らす。

「静かに! 声を上げたらアイツに気づかれてしまいますから!」

いつの間にか衣梨奈の背後に陣取り、咄嗟に口を塞いで警告の囁きを発したのは、春菜だった。
一瞬パニックになりかけた衣梨奈だったが、
それが春菜の声だと気づいたことでどうにか最低限の理性を取り戻す。

「は、はるなん。あれって……」

震える指先で社を指し示す衣梨奈。
社の中には、衣梨奈が想像していたような人物は誰もいなかった。
代わって社の中に鎮座していたのは、一つの古ぼけた髑髏。

それもただの髑髏ではない。
その顎がカタカタと大きく動いていることが、衣梨奈達の位置からもはっきりと見て取れる。
さらに、前方にせり出した前歯の間から覗くのは、本来あるはずもない生々しいピンク色の舌。
それが一枚……二枚…………いや三枚。

そう。里保と会話していた相手は、髑髏。
それも三枚の舌を巧みに操り、矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出している。
その光景は、この世のものと思えないまさに異形の空間だった。


「あれは、妖怪『さんまい舌』です」

「さんま……い舌」

「三枚の舌を駆使して巧みに言葉を操り、
聞く者を魅了して相手の生気を奪い取ってしまう恐ろしい魔物です。
おそらく魅入られている鞘師さんには、あの髑髏の姿ではなく
普通に中年男性と会話しているように見えているはずです」

呆然と春菜の説明に耳を傾けていた衣梨奈だったが、里保の名前を聞き身体を強張らせる。

このままじゃ里保が危ない! 早く助けなきゃ!!

だが、木蔭から飛び出そうとする衣梨奈を制して、春菜がその肩をグッと押さえつけた。

「ダメですよ生田さん! 
この場所は『道重さんスポット』の範囲内です。
力ずくで無理やり鞘師さんを助けることはできませんから。
無暗に近寄ってもアイツの喋りに取り込まれるだけですよ!」

「そんな……。じゃあどうやって里保を救い出せと?」

「だから……」

悲痛な表情で問いかける衣梨奈に対し、春菜は一息だけ間を置き、
そして決意に満ちた顔つきで力強く言葉を返す。

「私が、鞘師さんを助けます」



「大丈夫かと言われたら、まあ無理だね。
生田では、りほりほを助けることができない」

さゆみの思わぬ一言によって凍りついた空気。
そこからまず立ち直ったのは遥と、そして優樹だった。

「じゃあハルが行って鞘師さんを助けてきます!」

「まさも行く!!」

だが、さゆみは残念そうに頭を振る。

「その気持ちは有難いけど、残念ながら2人でも無理なんだよね」

「そんな! じゃあどうすれば鞘師さんを助けられるんですか!!」

「だから……」

そこでさゆみは、視線を春菜へと向けた。

「はるなんに、りほりほを助け出してもらいたいの」

「わ、私がですか!? 
そんな、生田さんやくどぅー達でも助けられないのに私なんかがそんなこと……」

突然の指名に慌てふためく春菜に、さゆみが安心させるように柔らかく笑顔を送る。

「大丈夫、今回ははるなんが一番の適任なんだ。
きっとさゆみよりもずっとうまくやれるはずだから」





「おいそこ! 誰や知らんけどコソコソ隠れてないで出てこいや!!」

春菜の回想はほんの一刻だったが、その間隙を抉るかのようにさんまい舌の怒声が響く。
不意を突かれた形の春菜だが、臆することなく衣梨奈に指示を飛ばした。

「アイツのことは私が全て引き受けます!
生田さんはアイツの注意が逸れたのを見計らって、鞘師さんを避難させてください」

「う、うんわかった」

気迫に押されて頷く衣梨奈を残し、春菜が木蔭を出て慎重な足取りで社へと向かう。
近づくにつれて社の中に鎮座されていた髑髏が霞みがかっていき、
替って痩身の中年男性が春菜の視界に姿を現した。

なるほど、これが今鞘師さんの目にしている光景なのか。

「お初にお目にかかります、明石上人様。わたくし、飯窪春菜と申します。
上人様のご高説を拝聴したく、まかり越しました」

「なんやそんな耳触りの良いこと言って人を油断させといて、
その隠し持ってるお札で俺のことまた封印してやろうとしとるのバレバレやで」


さゆみから託された、切り札となるお札の存在を瞬時に見破られた。
だが、春菜は内心の動揺をおくびにも出さずに切り返す。

「これはただの護身用ですのでお気になさらず。
それに上人様ともあろうお方が、こんなチンケなお札一つに恐れをなすとも思えませんけど」

「ふん、なかなか言いよるな。まあ話くらい聞かせてやってもいいけどな。
しっかしお前薄っぺらい身体しとんな。おっぱいは一体どこにあるんや。
まるで『一反もめん』、いや『ぺったん揉めん』やないけ!」

気丈な返しにニヤリと口角を上げたさんまい舌だったが、そのつり目の奥は明らかに笑っていない。
そして今度はセクハラ発言でプレッシャーをかけてきた。
だが春菜も然る者、余裕の表情で微笑みを返す。

「あら、ありがとうございます。
火星人、ポッキー、ななふし、ごぼう……」

「なんやそれは」

「これまで付けられた私のあだ名です。上人様のおかげでまた素敵な仲間が加わりました」

「なんやけったいな奴っちゃなあ。
まあええわ、お前の望み通りじっくり話聞かせたろうやないかい」

さんまい舌の興味を引くことで、どうにか門前払いは免れることができた。
いまここから、春菜とさんまい舌による本格的な舌戦が始まる。


さんまい舌の注意が完全に春菜に注がれているのを確認して、
衣梨奈が木蔭から出てこっそりと里保の元へ駆け寄る。

だが里保の熱い視線はさんまい舌に向けられたままで、
衣梨奈が耳元で声をかけても肩を揺さぶっても反応を見せない。
おそらく春菜も衣梨奈も、里保の目にはまったく映っていないのだろう。

魅了が解けない状態で強引にこの場から避難させようとしても、
きっと里保の抵抗を受けさんまい舌の注意を引くだけの結果に終わりそうだ。
ここは無理に動かさず、春菜がさんまい舌を封印するのを期待するしかないか。

やむなくそう判断した衣梨奈は、その場に膝をついて里保の肩を抱き寄せると、
黙ってさんまい舌と春菜の対話を見届けることにした。

さんまい舌が繰り出すマシンガントークを、春菜は軽やかに受け止め
そして嫌味にならないレベルで相手を褒め称える。
2人の会話は見事に絡み合い、それはまるで聴衆を一大歌劇の世界に
引き込んでいくかのような、壮麗なハーモニーを織りなしていた。

いや違う。これはそんな生易しいものじゃない。

2人の会話に心を奪われかけていた衣梨奈が、しばらくしてようやくそのことに気づく。

にこやかな笑顔でさんまい舌に対峙する春菜の横顔。
その余裕の表情と相反するように、こめかみからは冷や汗が絶えず首元へと流れ落ち、
月明かりを浴びてキラキラと美しく輝いていた。


さんまい舌の放つ息つく暇も与えない喋りは、その一言一言がとてつもない重圧を伴い、
少しでも隙を見せると瞬く間に絡め取られ魅了されてしまう。
それを春菜は一寸の見切りで躱し、いなし、切り返し、巧みに相手をおだてていく。

あまりにハイレベルな攻防が結果的に壮麗なハーモニーに感じられただけで、
その実態は言葉と言葉の激しいせめぎ合い、紛れもない命がけの戦いだった。

もしも万が一、春菜がさんまい舌に押し切られて魅了されてしまったら。
その時は衣梨奈が、春菜の後を継いでさんまい舌に戦いを挑まなければならない。
だが果たして春菜のような真似ができるのか。まったく自信はない。
でも、その時はやり遂げるしかない。里保と春菜を助けるために……。

最悪の事態まで想定しつつ腹を括った衣梨奈は、祈りとともに春菜の奮闘を見守った。


果てしなく続くかと錯覚させるような春菜とさんまい舌のせめぎ合い。
そして、漆黒の闇に覆われていた東の空が徐々に青みがかり、
太陽の気配を仄かに漂わせ始める頃。

「ファーwwwwwwwwwwwwww」

さんまい舌の一際大きな引き笑いが、雑木林一帯に響き渡った。


「しかし見上げた奴っちゃなぁ飯窪は。
どうせ会話の途中で隙を見計らって俺のことを封印しようとするやろから、
その時は思いっきり噛みついてやろうかと手ぐすね引いとったんやけどな。
まさか俺のことをこないにも気分良く楽しませてくれるとは思わんかったわ」

手を叩きながら気持ちよさげに呵々大笑するさんまい舌。

「そんな、私の方こそ本当に楽しい時間を過ごしていますし、
とっても勉強させてもらってますから」

「せっかく目覚めたんやからホンマは現世でもっと好き勝手させてもらうつもりやったけど、
こないにも満足してもうたからにはしゃあないな」

「仕方がない……というと?」

「飯窪の願い叶えたるわ。俺のこと封印したいんやろ。
お前の顔に免じて、もう少しだけ眠っといてやるから感謝せい」

さんまい舌の言葉に、思わず喜色を顔に出しそうになり、危うく表情を引き締める春菜。
さゆみからは、とにかくひたすら相手を持ち上げて気分良くさせれば
必ず封印の機会が訪れるからとのアドバイスをもらっていたが、
まさかさんまい舌が自ら封印を申し出てくれるとは。

「あ、ありがとうございます。
でも、これで上人様とお話しできる機会がなくなってしまうかと思うと寂しいです」

「安心せい、俺はショートスリーパーやからな。
何かあれば声をかけてくれたらすぐにでも起き出してやるわ。
……おい今の『お前の時代にショートスリーパーなんて単語ないやろ!!』って
ツッコむところやからな! ボーっとしとったらあかんぞ!」

「あ、ごめんなさい、あまりの切れ味に対応できませんでした」

「まあええわい。俺もこう見えて寂しがり屋やし、
ちょくちょくこの社に顔を見せてくれたら嬉しいわな。もちろんお供え物は大歓迎やで」

「わかりました。では今度、先ほどお話させていただいた
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の漫画を持参してお伺いしますね。
上人様ならきっと、つるこちゃんなんか特に気に入ってもらえると思いますよ」

「そうかそうか、楽しみにさせてもらうわ」

上機嫌で笑うさんまい舌。
その様子を封印の許可と受け取った春菜が、お札を手にゆっくりと近づく。
衣梨奈が固唾を呑んで見守る中、鎮座した髑髏の額にお札を張り付けると、
ピタリと動きが止まり、三枚の舌も瞬く間に消え去り、小さな社は静寂に包まれた。

それとともに。

「里保!? 里保!!」

さんまい舌の魅了が解けた里保が、まるで操り人形の糸が切れたように
ぐったりと衣梨奈に身を預けて倒れ込んだ。



「それで、りほりほの様子はどうなの?」

「今は生田さんの部屋のベッドで熟睡中で、生田さんが付きっきりで看病しています。
倒れた原因はおそらく、不眠不休でさんまい舌の話を聞き続けたことによる
過労が限界まで達したためじゃないかと思うのですが……」

春菜の報告に、さゆみは安心させるような笑みとともに軽く頷いてみせる。

「うん、そうだね。
悪い呪いにかかったとかじゃないから、とにかく休んで体力を回復させれば大丈夫。
風邪をこじらせたとでも思って一週間くらいゆっくり寝て過ごせば、
元通りいつもの元気なりほりほに戻れるんじゃないかな」

さゆみの太鼓判にその表情も晴れるかと思いきや、
なにやら思い詰めたように珍しく言いあぐねている様子の春菜。
それだけでさゆみにはだいたいの察しがついたが、素知らぬ振りで訊ねてみる。

「どうしたの? 言いたいことがあるなら遠慮せずにどうぞ」

「あの……。
道重さんは、鞘師さんが誤ってさんまい舌の封印を解いてしまい、
あの話術に囚われてしまっていることを当初からご存じだったんですよね。
ならばどうして、もっと早くそのことを伝えてくださらなかったんですか?
せめてあと2日、いえ1日だけでも前に助けることができれば、
鞘師さんがあそこまで危険な状態になることもなかったはずです」


あの春菜がさゆみに対して物申すとは、普段ならまず考えられない大事件といえる。
だが、それはあくまで里保の身を案じて思い余っての発言だとわかっていたので、
さゆみも腹を立てることなく、遠い目とともに語り出した。

「あのさんまい舌ってね、ずっと昔に明石上人と名乗ってこの一帯に教えを広めていた、
知る人ぞ知るとってもすごい僧侶だったの」

「明石上人という自称は、法螺じゃなくて本当にそうだったんですね」

いきなりさんまい舌の話をされるとは思っていなかった春菜だが、
さゆみのことだから何らかの意図があるのだろうと、素直に返事をする。

「彼はね、笑いの力で人々を救うという崇高な使命を帯びて布教していたのだけど、
志半ばで非業の死を遂げてしまってね。
この世の未練断ちがたく、ついには妖怪さんまい舌となってしまったんだ」

「そうだったんですか……」

「今の彼が話す言葉は、100の内99までが人を惑わすただの大法螺だけど、
その内たった1つだけ、相手の心を揺り動かすような真理を授けるの。
だからりほりほも、彼の話を聞いてうまくその真理を掬い取ることができれば、
それがきっとりほりほの成長に繋がるんじゃないかと、しばらく静観してたんだけどね」

そこで、それまでパソコンに身体を向けていたさゆみが春菜に正対すると、軽く頭を下げる。

「でも確かに、ちょっとやりすぎだったね。
はるなんが怒るのも無理ないと思うの。ホントごめんね」


まさかさゆみに頭を下げて謝られるとは想像もしておらず、周章狼狽する春菜。
その様子を微笑ましく眺めていたさゆみだったが、悪戯っぽい口調で言葉を重ねた。

「謝りついでに悪いんだけど、はるなんに一つお願いがあるんだよね」

「えっ!? あ、はいなんでしょう。私にできることでしたら……」

「明石上人のことなんだけどね。
再び封印はしたけれど、しばらく封印が不安定な状態が続くと思うの。
だから、封印がしっかり定着するまでの間、下手に彼が暴れ出して荒魂となってしまわぬよう
定期的に参拝して鎮めてあげてほしいんだ」

そんなさゆみのお願いに、ようやく動揺から立ち直った春菜が
打てば響くような受け答えをする。

「そんなことでしたら喜んで。私も同じことを本人と約束しましたから。
ではせっかくなんで鞘師さんが回復したら2人で定期的に、
週一くらいのペースでお参りに行ってきますね」

「そうだね。じゃありほりほと一緒によろしく頼むの。
たまには生田や石田なんかも連れて行ってあげると、いい刺激になるかもしれないね」



押し寄せる言葉の濁流。
為す術もなく飲み込まれ、揉みくちゃに翻弄される。
耳元で響き渡る引き笑い。
どうにか抗おうとしても、まるで麻痺してしまったかのように身動きが取れない。
このままうちは、死んでしまうんだろうか。
遠のいていく意識の中で、ぼんやりとそんなことを考える。
もう身体中の感覚も薄れてきた。心も身体も冷え切って……。
いや違う。
この右手に感じる温もり。
うちが今、生きている証。
この温もりだけは絶対手放してはいけない。
そう、絶対に……。
ああ……。
えりぽん!!!!



そして里保は、長い長い夢から目覚めた。

首を傾けて視線を横にずらすと、ベッドの側に椅子を置き、
里保の右手を握りしめたままウトウト舟を漕いでいる衣梨奈の姿があった。
状況が把握できぬまま呆然としていると、気配を感じ取った衣梨奈が飛び起きる。

「里保!! 大丈夫? 痛いところとかない!?」

「うん。ちょっと頭がボーっとしてるけど大丈夫」


里保の返事に、泣き笑いの表情でギュッと里保の右手を握る衣梨奈。

「良かった……。もしかしてホント死んじゃうんじゃないかと思った」

そっか。うちは、一歩間違えたら死んじゃうかもしれなかったんだ。

『生きてるだけで丸儲けや!!』

突然、明石上人の声が里保の脳裏に響く。
この言葉、いつどのようなタイミングで言われたんだろう。全然覚えがない。
でも。

生きてるだけで……丸儲け。
そうだよ、うちは今生きてる。
だからそのことに感謝して、今できることをしないと!!

「えりぽん……ごめん。
下らないことでえりぽんと喧嘩して、おまけにこんなに迷惑もかけて。
全部うちが悪いんだ」

「ううん、えりの方こそごめん。
もっと里保のことわかってあげられたら、こんなことにはならなかったのに」

やっと伝えられた謝罪の言葉。
胸のつかえのようやく取れた2人が、顔を見合わせて照れたように笑いあう。

ただ……。まだ、伝えたいことがあるんだ。


「ねぇ、えりぽん。
うちがまた元気になったらさぁ。
一緒に、朝ご飯を食べに行かない? ……2人で」

これまで里保の方から衣梨奈のことを誘うなんて、まずなかったのに。
一瞬驚いた表情を見せた衣梨奈だったが、すぐに満面の笑みで大きく頷いた。

「うん! 行こう!!」

「あ、でも、これって別にドラマティックとかそんなんじゃないからね全然。
朝ご飯に行くといっても珍しい店じゃなくて駅前のジョナサンとかだし、
食べるのもハンバーグとか普通のやつだし……」

そこで言わずもがなの余計な弁解を付け加えてしまうのが、
里保がまだ素直になりきれていない何よりの証拠。

「うん、わかっとうよ。
別にドラマティックでも何でもないし。誰に何をからかわれたって関係ない。
だってこれが、うちら2人にとっての日常やけん」

「そうだね……。ただの日常……」

衣梨奈に優しく受け入れられ、ようやく安心した里保の瞼が急激に重みを増す。

「だから2人で朝ご飯行けるように、しっかり休んで早く元気にならんと」

「うん……。楽しみに……してるから…………」

愛おしげに髪を撫でつける、心地良い衣梨奈の掌の感触。
心に染みわたるその温もりに身をゆだねながら、里保はゆっくりと眠りに落ちていった。


(おしまい)


オマケ

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最終更新:2015年06月02日 00:01