本編27 『大地と石の少女』

 

りえは次々と大地の形状を変化させ、さゆみに攻撃を仕掛けながら機を窺っていた。
さゆみは相変わらずそれをギリギリで交わし、まだ仕掛けてはこない。

さゆみが分身したことで、背後からの挟撃も警戒していたけれど
間もなくもう一人のさゆみの魔力が感じられなくなったことで、それは無いと判断した。
もう一人の道重さゆみは城の中に入ったのだ。
つまり、本当に『半分』だけで自分の相手をするという意思。

りえは気持ちを切り替え、それが大魔女から自分に下された評価だと割り切った。
それならば今目の前にいる『半分』を倒し、その評価を覆してしまえばいい。

実際、さゆみの魔力は巨大で、その無駄の無い動きからだけでも圧倒的な戦いの経験を窺わせる。
だけど先ほどまでの、一人だったさゆみに比べれば随分と威圧感は小さくなっていた。

りえの攻撃をただ避けるだけ、恐らく相手の魔法を見極めようとしているさゆみ。
それはりえにとっても好都合だった。

りえの魔法は大地に根ざし研ぎ澄まされてきたもの。
地に足をつけている限り、大地から魔力の恩恵を受け、自身の魔力消費を最小限に抑えられる。
つまり持久戦も望むところ。
そしてまだまだ見せていない切り札もある。

りえの攻撃が激しさを増した。
さゆみは相変わらず涼しい顔をして避けているけれど、動きの余裕はだんだんと無くなっていった。
手に持っていた剣も、避けきれなくなった攻撃を払う為に使用している。
りえはさゆみからの攻撃に備えつつ、休む間を与えることなく攻撃しつづけた。


「そういえば、君も小田さくらちゃんもつんくの弟子らしいけど、弟子ってけっこういるの?」

さゆみが攻撃を避けながらのんびりとした口調で話しかけて来た。
りえがそれに答える。
警戒はしつつ、隙を伺いながら。

「そうですね、けっこう居ます。多分20人くらいは」

「そんなに居るんだ。
変な感じ。ずーっと1人で引き籠ってるって話だったのに。
りえちゃんはどうしてアイツの弟子になったの?」

さゆみが軌道を変え、一気にりえの元に迫った。
咄嗟に地面に手を翳す。
すると足元から魔力を纏った鉱石の昆が伸び、りえの手に収まった。

さゆみの斬撃を受け止める。
巨大な魔力の衝突による衝撃波が広がり、海面を揺らし暫時二人の身体も、蠢いていた大地も静止した。

「……噂を聞いて、志願しました」

りえは改めて間近でみるさゆみの美しさと、その存在感に小さく震えていた。

「なるほどね。じゃあ結構前からアイツ弟子とか取ってたんだ」

「弟子を取り始めたのは10数年前からだと聞いています。先輩も沢山いましたが、今は私が一番上になりましたけど…」

さゆみの剣とりえの昆の魔力は拮抗している。
一度弾き、再び刃を交えるも、やはり衝撃が起こり止まる。
りえとさゆみは至近距離で目を見合わせ会話していた。


お互い隙あらば相手を一気に押し切ってしまおうとしているはずなのに、さゆみには世間話でもしているような余裕が感じられて
りえは必死にそれに合わせて平静を装っていた。
だけどその瞳と禍々しい魔力とは不釣り合いな笑みを見ているうち、妙に落ち着かない気分になる。
仄かに顔が紅潮していくことに、りえ自身は気付いていなかった。

「そういや、前の会長が言ってたっけ」

「会長?」

「うん、魔道士協会の会長ね。10数年前からアイツの動きが不穏だって。
丁度その頃からから引きこもりをやめたってことなのね。
でも、協会に所属してたらさすがに三大魔道士の弟子にってわけにもいかないだろうし、どんな子達が弟子になるの?」

りえはもう一度さゆみの剣を弾き、今度は思い切り昆を突き出した。
さゆみが後方に大きく飛び距離が出来る。
少しだけほっとして、りえはまた遠隔で岩を繰り出しさゆみを襲ったけれど、やはりふわりと交わされてしまった。

「魔道士協会とは確かに距離を置いています。
先生の情報が協会に渡って怒られるのも困りますし。
弟子は、いろいろです。
身寄りのないような子もいますし、名門の家の子でこっそり弟子入りしてる子もいるみたいです」

「弟子入り出来る基準とかあるの?」

「…分かりませんが、先生は『面白そうなヤツ』を弟子にするって仰ってました」

「ふふ。その辺だけは昔と同じみたいね」


ふいにさゆみの周りの空気が変わる。
聞きたいことは聞いたというように、会話を終え攻撃的な魔力が練られ剣に集まりだした。
やはりというか、先ほどまでの攻撃が全力で無かったことを思い知る。
今先ほどと同じように斬撃を受け止めようとすれば、昆もろとも粉砕されることは明白。

だけどそれはりえにとっても好機だった。
布石も敷いてある。
まだお互いに魔力も体力も十分ではあるけれど、次の一瞬で勝負が決まる。
そうりえが直感した刹那、さゆみが再び猛然と飛び込んできた。


りえの仕掛け。
それは常に地に足をつけ、自身は動かず大地を操って攻撃し続けたそれ自体にあった。
自分の魔法の性質を相手に分からせること。
たしかに最も戦い安い方法。
だけどそれしか出来ないと相手が見くびった時が勝機。

さゆみがりえの懐に入る直前、りえは昆を捨てこれまでと別種の魔力を込めた。
さゆみの周囲に突如美しく輝く無数の光玉が現れる。
気にせずに突進してくるさゆみを、一気に包み込んだ。

さゆみが一瞬驚いた顔で動きを止める。
だけどもう遅い。
光玉は固まり、巨大なクリスタルとなった。
その中に驚いた表情のままさゆみが固められる。

辺りは再び静かになった。


空中に魔力を持った巨大な鉱石を出現させる。
それは大地を操ることに比べれば遥かに魔力を消費すること。
だけどそこに閉じ込めてしまうことが出来れば、さしもの大魔女も手も足も出ない。

りえはゆっくりと歩き、さゆみの元に来た。
現に大魔女は、驚いた表情をそのままに標本のように月光を照り返すクリスタルの中に収まっていた。
その大きな翼も覆ってしまう巨大なクリスタル。
その中にいるさゆみは、何か美術彫刻のように、完成された美しさのまま固まっている。

勝った、とはいえ相手はまだ半分。
完勝でないことが悔しく、だけど師と同じ三大魔道士に勝ったという事実に興奮がせりあがる。
恐らくまだ奪うことは出来ない。あと半分が残って居るから。
しかし師を相手にもう半分も無事であるだろうか。

中途半端な結末。
これからどうなるのか、師がどうするのかは分からない。

りえは改めてクリスタル越しにさゆみの顔を見た。
本当に綺麗な人だと思う。
それだけに、驚きの表情のまま固まってしまったことが些か残念。
先ほどまでのような笑みが浮かんでいれば、世界一美しい宝石だろう。
そんなことを考えて、りえは自嘲した。
猟奇的な趣味があるわけじゃない。

さゆみは死んでいるわけじゃないし魔力も残していた。

普通は砕いてしまえば間違いなく死ぬ。
だけどこのさゆみは『半分』だからどういうことになるのか分からなかった。
そして、大魔道士の弟子として、魔道士として色々な経験をしてきたりえだけれども、人を殺したことなんか無い。
ここからどうすればいいのか分からなかった。


りえはただじっとさゆみを見つめていた。
まるで吸い込まれるような黒く美しい瞳を。
瞳の中には、自身の姿がくっきりと映し出されていた。

さゆみが微笑む。
そうだ、その表情がいい。心を奪われるような笑顔。

そこでおかしさに気付く。
動けるはずが無いから、表情が変わるはずはないのに。
りえの思考が不意の混乱に侵される。

さゆみが柔らかく笑い、パチリとウインクする。
ドキリと心臓が揺れ、りえは動けなくなった。

かわりに、クリスタルの向こうでさゆみが動き出す。
翼をはためかせ、肩を回す。
りえは、動けない。

本当に、指一本動かすことが出来なくなっていた。
そして気付いた。
『自分』がクリスタルの中に居る。

一体何が起こったのか分からない。さゆみと自分の位置が入れ替わった。
慌てて魔法を解除しようとする、が出来ない。
自分の魔法なら簡単なはずなのに。
回りを覆うクリスタルの魔法が、書き換えられている。
確かに自分の魔法を基調としながら、さゆみの魔力が混ざり意のままに操ることが出来なくなっていた。

動けない。
りえは漸く自分の身に起きた恐ろしい状況を理解した。
だけど恐怖に頬を引きつらせることさえ、叶わなかった。


「さすが西の大魔道士の弟子、『筆頭』ってだけあるね。
才能豊かなりっちゃんにお姉さんがアドバイスしてあげる」

楽し気にさゆみが口を動かす。
りえはこの状態から、果たして自分がどうなるのか、恐怖の為に頭が真っ白になった。
大魔女はやはり、大魔女だった。

「一対一で戦う時は思い切りが大事だよ。
特に自分より経験の多い魔道士とやるときはね。
いろいろ考えて準備してる同じだけの時間、相手も考えられるから。
経験が多い分、より沢山のことをね」

殺されるのだろうか。
死ぬということが分からない。
身の程知らずゆえに、愚かだったためにこんな所で終わってしまう。
せめて”大魔女”に殺されることが救いだろうか。そんなこと魔道士として何の慰めにもならない。

りえの頭は混乱し、取り乱し、秩序を失っていた。
ただおだやかなさゆみの声がクリスタルの向こう側から聞こえる。


混乱した頭はリアルを失い、”大魔女”ではなく道重さゆみという美しい女性の手にかかるならばそれでいいと思い始めた。
あまりにも荒唐無稽な想いに自身でもほとほと呆れる。
だけど、最期なんて案外そんなものかもしれない。

「あと一つ。
さゆみ的にはもうちょっとナチュラルメイクの方が好みかな。
また今度機会があったらコーディネートしてあげるね。
じゃあ、今は急ぐから、またね」

さゆみが言い残し、飛び去る。
りえは動かない身体の中で、心臓だけがはっきりと動いていることを思い出した。

負けた。

温く緩んだ頭の中で一つぽっかりと言葉が浮かんだ。

 


 


りえの元から離れ城を見下ろす場所まで来たさゆみは、暫く考えた後翼を散らした。
半透明の美しい羽が辺りに舞い、さゆみの身体が落ちていく。
と同時にさゆみの身体は光り、徐々にキラキラと光る塵のように崩れていった。

光の塵になって城の中に流れ込む。
先ほど自分が開けた穴を通り、出来るだけ辿った道を通ってもう一つの身体へと向かった。

城の中のさゆみは、その瞬間つんくが何か仕掛けてくることを警戒していたけれど
特に大きな動きはないまま分身と合流する。
光の塵はさゆみを包み込み、その体の中に戻って行った。

『おしかったなぁ、りっちゃん』

また城の中につんくの声が響いた。

さゆみは再び一つになった体の感覚を確かめながら歩き出した。

『遠慮なく石ごと叩き壊しとったら、もうちょっとええ勝負になったやろにな』

つんくの声は相変わらず楽しそうだった。
りえを利用して優位を築こうという考えは最初から無かったらしい。
現にさゆみは、敢えて力を分断することでつんく本人からの仕掛けがあることを期待し、その対策に集中していた。
だけどつんくは、城の魔力を使ってじわじわと地味な攻撃をしてくるばかり。
長期戦の構えを崩さなかった。
恐らくりえが自分からさゆみと戦いたいと申し出たのも事実なのだろう。

『まあ、りっちゃん優しいからでけへんか』

「そうね」


つんくは弟子に、戦士としての強さを教えていない。
りえの甘さが、さゆみにそれを教えた。
さゆみも衣梨奈にそれを教えてはいない。

魔道士が戦うということが、即命のやり取りに繋がるという時代でも無くなった。
それは協会が目指し、成しえた成果の一つでもあるだろう。
生きる為に非情であること。
それが魔道士である以上当然という時代も確かにあった。
そしてさゆみは、過去に出会ったそんな魔道士たちの生き様と死に様とに、あまりいい思い出が無い。

つんくが何を思い、どういう方針で弟子を育てているのかは分からないが
多分さゆみと同じ。辟易しているのだろう。殺伐とした過去に。

とは言っても、さゆみもつんくも旧い魔道士。
こうして敵意を持って対峙している以上、命のやりとりになるのは必然だった。
これまで無数の魔道士と命のやりとりをしてきて、一度も殺されなかったから生きている。
それはさゆみも、つんくも同じことだ。

りえをさゆみにぶつけて来たことからも分かる。
つんくは弟子の命に頓着していない。

『大魔女』を相手に戦って敗けて、今りえが生きていること。
それはさゆみの気まぐれであり、りえの幸運であったとつんくは十分承知しているはずだから。

さゆみは一度りえと、もう一人この島にいるであろうつんくの弟子、小田さくらに人質として、
或は何らかの利用価値があるかを考えたけれど、その考えは破棄せざるをえなかった。
西の大魔道士は弟子の二人を守ろうとはしないだろう。


つんくも同じことを考えているのだろうと思った。
つまり、聖と香音に人質としての価値があるのかどうか。

当然、因子持ちであり貴重な存在である二人をみすみす失いたくはないというのは間違いない。
さゆみも二人を取り戻したいのだと分かっているから、こうしてじりじりと細い攻めを続けている。
つんくにとって困るのは、さゆみが焦れて二人のことなんてどうでも良くなって
城ごと破壊して炙り出されることだろう。
因子持ちの二人を失い、折角の優位な地の利を失うことになる。
その上で三大魔道士が向き合ったならば、お互いただでは済まない。

つんくにすれば、この戦いを優位なまま進めたいことは間違いない。
だから二人を露骨に盾にして煽ったり、自ら姿を見せるような真似はしにくいのだろう。

目下のところ、持久戦模様は続く。
つんくはこのまま城の中で、何時間でも何日でもさゆみの魔力を削り続け確実な優位を広げたい考え。
さゆみはそれを受けつつ、時間をかけてでも城を攻略していき、二人を見つけ出す。
途中でつんくが痺れを切らし自ら攻めて来てくれれば御の字。
現在のさゆみとつんくの力関係がどうなのかは分からないけれど
少なくともさゆみは真っ向勝負で負ける気は全くなかった。

そして、二人を絶対に失いたくない。
絶対に、盾にされるわけにはいかない。
『大魔女』と呼ばれはじめた頃の自分ならば、こんな風には思わなかっただろう。
そもそも不利を承知で敵地に単身乗り込むこと自体がありえなかった。
もう自身でもはっきりと自覚している。
明らかな弱点を持ち、不安定で弱い自分へと変わっている。

だけどそれは、まだ不老長寿の魔法を得る前、仲間たちと必死でもがいていた頃の自分。
変わったのでは無く、戻ったのか。それともずっと変わっていなかったのか、分からないけれど。

つんくにそれを気取られるわけにはいかない。
また、全部を失ってしまうことになる。それだけは嫌。


だから『大魔女』としての鋭い敵意と、決壊寸前であるような苛立ちと破壊衝動を
常に醸し出していなければならない。つんくにそう思わせるように。
それでいて冷静に、守るべきを守る。

以前の自分には出来なかったこと。
守るべきものを失い続けた。
だけど今の自分は三大魔道士”大魔女”道重さゆみ。
不可能なんてあってはならない。


.


広い部屋に出た。
伽藍とした殺風景な部屋。
奥に道の続きらしい扉がある。
さゆみが足を踏み入れ、部屋の中央まで歩を進めると
突然八方から無数の矢が放たれた。

部屋を埋め尽くすような大量の矢を剣で払い、躱しながら進む。
千本、二千本、際限なく魔力を纏った矢が迫った。

受けきれなくなって腕に小さなかすり傷を負う。
矢にはご丁寧に毒が塗られていたらしい。
ピリピリと痺れる腕に慌てて解毒の魔法を施している間も
猛然と矢が迫って来ていた。

一気に魔力を開放し、自身の周りに飛来する矢を燃やし尽くす。
そのまま四方の壁を衝撃波で叩き壊すと漸く矢の嵐は止まった。

さゆみが髪を払い、また歩き出す。
これらの仕掛けを、本当にこれまでの蓄積した魔力で作ったとすると
本当につんくはいい趣味をしている。というか頭がおかしい。
そして嫌な持久戦だとも思った。
まだまだ城は広く、そこに漂う魔力には底が見えない。


「そもそも」

さゆみは冷静に、慎重に部屋を抜け、徐に話し出した。

『ん?』

初めてさゆみから話しかけられたことに、つんくがやや驚いて声を出す。

「あの子達を使って何しようっていうのよ。
あんただっていくらでも時間があるんだから大きな魔力なんて自分で練れるでしょうに」

『そやな、それを最初に言うんやったな』

つんくが嬉しそうな声を出す。

『お前もそれ聞いたら、俺の実験に協力しようっちゅう気になるかもしれんで』

「ならないから」

『魔道士を作る実験や』

さゆみはそれを聞いて、つと足を止めた。

積極的に因子の研究をしてきたわけではないさゆみも、長く生きているからそれなりの知識がある。
だからつんくの言葉が何を意味するのか、何となく分かった。


魔力の無い人間を魔道士にすること。
それは戦乱の時代に、兵士としての魔道士を生む方法として盛んに研究されていたことだった。
だけどそれはあまりに効率が悪く成功率も低く、殆ど成果を見せずに無くなっていった。

だけど因子持ちを魔道士にする、となれば話は変わってくる。
それは普通の人で行うのとは比べ物にならない、とてつもない力を生み出す可能性があること。

さゆみはそんな発想を持ったことは無かったけれど
普通は考え付いてもやろうとはしない。
リスクがあまりにも大きすぎる上に、もし成功したとしても作り手がその力を制御することは100%不可能と思えるからだ。

「正気?因子持ちの魔道士なんて、想像しただけであんたやあたしでも手に負えるもんじゃないでしょ」

『せやからおもろいんやんか。お前も日々退屈やろ?見たいと思わへんか?
俺らが想像もつかんような魔法使いよるかもしれへんねんで』

確かに、少なくとも退屈はしないだろう。
だけど見たいとは思わない。
この世界の行く末すら左右されかねない。そんな魔道士になる可能性があるのだ。
まして聖と香音。二人にそんなものを背負わせるわけには絶対にいかない。


さゆみはまた胸のうちにざわつきだした嫌な感情を抑え、低い声で言った。

「もし成功してもあんたの思い通りになんていくわけないでしょう。
それとも何、そんなリスク犯してでも使って貰いたい魔法でもあるの?」

『ちゃうちゃう。俺がどうこうしたいんちゃうて。
ただ見たいだけや。あの子らがどうなるか』

「あの子たちが…?」

『普通の学生やった女の子がいきなり世界を滅ぼすような力を手に入れたらどうなると思う?
頑張って世の為人の為に魔法使うやろか?心が壊れて暴走するやろか?絶望して死ぬやろか?
バランスが崩れた世の中はどうなるか、めっちゃワクワクせえへんか?
多感な女の子がどんな風になってくんか、人間がどうなってくんか、なぁ?』

つんくの口振りは、まるで好奇心に胸躍らせる少年のようだった。

さゆみは小さな頭痛を感じてかぶりを振った。
つんくはもはや、人では無い何かになっている。

だけどつんくの言う意味が理解出来る。
それは自分も、そうなりかけているということなのだろうか。

「興味ないわ…」

『ほんまかー。お前やったら乗ってくるか思ったんやけどな。後藤ならともかく』

さゆみはため息を一つ吐いて、また歩き出した。


 

 


さくらは短い浅い眠りから覚め、自室を後にして城の中を歩いていた。
疲れが抜けきってはいなかったけれど、ぐっすりと眠れる気分でもない。

聖と香音がいる部屋に戻り、戸をノックする。返事は無い。
そっと部屋の中に入ると、変わらず穏やかに眠っている二人の姿があった。
さくらは二人の変わらない寝顔にいくらかホッとして暫く眺めていた。

自室のベッドに横になりながら、さくらはずっと自分のしたことを考えていた。
そして二人のことを。

いつか師に、自分と似ていると言われたことがあった。
その意味が当時は分からなかったけれど、今ならなんとなく分かる。

「人間」が好きなのだ。

師も自分も、人間を見るのが好き。
どこか遠目で、無責任に観察するのが好き。

さくらは街を歩くのが好きだった。
街中で、人と人の表情や行動を見る。
小さな親切を見つければ幸せな気持ちになるし、悪意を目にすれば悲しい気持ちになった。
それらを、そのまま人の姿として、心の戸棚にそっと飾る。
それを眺めて、静かに感情を揺らしていた。


自分が誰かと関わった時も同じ。
どこか遠くから、人を見ていた気がする。
人の領域に深く踏み込むことはしなかったし、誰もさくらの領域に踏み込んではこなかった。
もちろん同門の魔道士たちとは仲良くしていたけれど、共に生活をしていたわけでもない。
仲間には違いないけれど、さくらにとっては彼女達もまた観察の対象だったのかもしれなかった。

そう思うと罪悪感も沸く。
だけど、自分はそういう人間なのだ。

聖と香音に対してもそうだった。
純粋に二人が魔道士になって、どんな風になるのかが知りたかった。
幸せになってくれたら嬉しい。
だけどもし不幸になってしまったら、その責任を負いたくない。
自分たちで決めたことじゃないかと言い訳できるように。
さくらが二人に対してとった迂遠な方法の理由がそれだと気付き、悲しくなった。

聖や香音のことを好きだと思った。
だけど自分には、そんなことを声に出して言う資格は到底無い。

さくらは二人の側を離れ、隣接の簡易キッチンに立った。
電気ポットでお湯を沸かす。

二人が目を覚ましたら、色々と話さなければならない。説明もしなければならない。
だけど上手くきり出せる自信が無かったから、まずはお茶を振る舞おうと思った。

『小田、おるかー』

不意に声が響く。
さくらは顔を上げ、一度聖と香音を見てから声を出した。


「先生?」

『おう、おはようさん。
お前が寝てる間に大変なことになっとるで』

さくらはビクリと肩を震わせた。

この部屋に来るまでの間、城の様子がいつもと違うことに気付いていた。
その魔力が何かピリピリとした敵意のような物を孕んでいる。
気のせいだと思いたかった。

「何か…ありましたか…?」

動悸がする。
すぐにいくつも嫌な予感が過った。
それを自分は今まで、考えないようにしていたのだ。

『大魔女さまのお出ましや。お前が連れてきよった、な』

「大…魔女…」

分かっていた。
その可能性が十分にあることに。
衣梨奈や春菜に止めを刺すような真似は出来なかった。
二人が目覚めれば、そして”大魔女”道重さゆみに話せば、いくら薬を飲んでいたとしても状況から推測される。
遅かれ早かれ、大魔女の知るところになると。
言ってしまえば自分は大魔女の街から二人の少女を拉致したのだ。
怒りを買うのには十分なこと。

中途半端な自分の行動は、全て裏目に出た。


『りっちゃんが外で食い止めに行ってくれたんやけどな、ボロボロにやられて死にかけや』

師の言葉に血の気が引いた。
明らかな自分の失態で、姉弟子の命が危ない。

さくらは部屋を飛び出し、窓を目指した。

「すぐ向かいます」

『おう、そうか。頼むで』

窓に足を掛け、外に飛び出す。
その時に感じた城の様子は、まさに非常事態という風に剣呑な魔力に満ち、激しく蠢いていた。
これに今まで気付かなかったのだから、現実から逃げようとする心は本当に厄介だ。

さくらは入り組み延々と続く城の尾根をピョンピョンと跳び、高い尖塔に上った。

辺りを見渡すと、島の外れから幾らか離れた海に、明らかに不自然な岩山の隆起を見つける。
りえの魔法だと気付いたさくらは、急ぎ空に浮かぶ岩を伝ってそちらに向かった。

僅かなりえの魔力を感じる。
大魔女と思われる魔力は見当たらない。
一体どういう状況になっているのか。
さくらは逸る気持ちを抑えきれず、全力で岩の上を跳ねて行った。

やがて岩の上に、月光を受けて美しく光る巨大な水晶を見つけた。
そこから感じられる弱々しい魔力はりえの物に違いなかった。

近付くと、その中にりえがいることに気付いた。


「りっちゃん!」

りえは巨大な水晶の中に、まるで琥珀のように閉じ込められていた。
魔力は感じるから、生きてはいる。
だけど手足は勿論、その表情さえ動かすことが出来ず固まっていた。

『さくら…みっとも無いとこ見られちゃった』

頭の中にりえのテレパシーが届いた。
りえの意識があることにひとまずホッとする。

「大丈夫!?りっちゃん、すぐ出してあげるからね!」

さくらが魔力を込めると、慌ててりえが遮った。

『待って、大丈夫だから。外から衝撃受けた方が危ないから、ね?』

「そっか…」

『なんとか解除出来そう。
時間も魔力も大分かかるけど…。一応私の魔法だから。恥ずかしいけど』

「それ、大魔女に…?」

『うん。身の程知らずだったみたい。
手も足も出なかった。道重さんに』

「道重さん…」

そこでさくらは漸く気付いた。
もうりえと大魔女の戦いは終わっている。
りえは恐らく自分の魔法を返されて敗れ、ここに固められているのだ。


「まさかもう、城の中に…?」

『うん。入ったと思う。今頃先生とやりあってるのかな…』

さくらは城の方を見返し、首を傾げた。
師の言い方が少し変だった。
まるで、さくらを城の外にわざと出させたよう。
中の様子は城の魔力に阻まれて分からない。

今、あの中で大魔女と西の大魔道士が戦っているというのだろうか。
だとしたら師の言葉の意図は、足手纏いになるさくらの厄介払いのようにも思えた。
さくらは、自身がどうすべきか逡巡し、美しく照らす月を何となく見上げた。

『とにかく、私は大丈夫だから…。さくらはどうする?』

「私は…」

りえが大丈夫だというなら、ここでじっとしているわけにもいかない。
聖と香音の側に戻るのも違う。

やはり、大魔女と戦いたい。
師に足手纏いだと思われているとしても。
自分で撒いた種でもある。

そして、一度会ってみたいというのも本音だった。
大魔女が聖と香音を連れ戻しに来たことは間違いない。
臆することなく西の大魔道士の島にやってきた。時間を考えれば一切の躊躇もなく最速で。
一体その人はどんな魔道士で、どんな想いを抱いてやってきたのか。

「先生の加勢をしてくる…」


『そっか。ごめんね、アドバイス出来るようなことは無いかも。
とにかく強いから、頑張って…』

りえの方を見る。
表情は驚いたような状態で固まっているけれど
テレパシーで届くその声はやけに穏やかだった。

りえは大魔女と戦って何を思ったのだろうか。

さくらは一つ肯き、城の方に向き直った。

と、その時穏やかな海と夜空の境界線の遥か向こうから魔力を感じた。
真っ直ぐにこちらに向かってくる、大きくて力強い魔力が二つ。

ほんの半日前、すぐ側で感じていた魔力。
大好きで愛おしくて、だけど悲しくて、泣きたい気持ちになった。

これも十分に予想できたこと。
なのに今こうして魔力を感じたその時まで、二人とはもう二度と会わないのだと思っていた。

「やっぱり、先に行かなくちゃならない所があるみたい」

『……そうだね。行っておいで』

二人の目的は分かっている。
大魔女の加勢。それなら、西の大魔道士の弟子として阻止しなければならない。
今度は魔道士の生田衣梨奈と鞘師里保に、魔道士小田さくらとして出会う。
はっきりと、敵として出会う。

悲鳴を上げる心とは裏腹に、さくらの頭は覚悟を決めた。
そして、迫り来る魔力の方へ一気に駆け出した。


 

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最終更新:2016年02月26日 19:36