老婆と少女

 

「ここは……どこだろう??」

繁華街の雑踏から離れた薄暗い裏通り。
小さな少女が不安げに辺りを見渡し、そして目を伏せた。

ビルに囲まれ人の気配もほとんどない路地裏は、
まだ小学生にもなっていないであろう少女が一人でいるような場所ではなく、
それは明らかに……。

「おや、どうしたのかな? 迷子かい??」

後ろからいきなり声を掛けられ少女が振り向くと、
そこには3人の男の姿があった。

一人は、相撲取りのようなでっぷりとした大男。
一人は、天然パーマが特徴的な小男。
そして最後の一人は、細面の坊主頭の男。

「こんなところに独りぼっちでいると危ないぞ。
お兄さん達が安全なところへ連れて行ってあげようか」

少女を怖がらせないためのにこやかな笑顔……を、男達は作ってるつもりかもしれないが、
どう見てもそれは気持ちの悪いニヤついた笑みでしかなかった。

言い知れぬ危険を感じた少女は、ためらうことなく男達に背を向けると、
一目散に逃げ出そうとして勢いよくすっ転ぶ。

「おっとどこ行くんだよ。そんなに慌てちゃ危ないだろうが」

大男が下卑た笑いとともに、転んだ少女を掴みあげると軽々と腕の中に抱え込んだ。

「茶番はもういい。さっさとさらっていくぞ」

「へへへへ、こいつの親が金持ちだといいんだけどな」

人さらい!

ついに本性を現した男達に、どうにか逃げだそうと少女が必死に抵抗するが、
力自慢の大男の腕の中から抜け出せるはずもなく。

「おいおいそんなに暴れるなよ。
大人しくしてりゃあ痛い思いしなくてすむんだか……痛ってぇ!!」

少女に思いきり腕を噛みつかれた大男が、腹立ちまぎれに大きく腕を振り払う。

憐れ、高々と弧を描いて吹っ飛ばされた少女。
そのまま地面に激突するかと思われた直前、フワリと柔らかく誰かに受け止められた。

「危機一髪だね。大丈夫だった?」

それは、紺色の生地に桜の模様が映える綺麗な着物を着た、小柄な老婆だった。
少女を降ろした老婆が、顔を覗き込みながら安心させるように少女の髪をそっと撫でる。

腰も曲がり武骨な樫の杖を手にした老婆は、ちょうど少女と目線が合うくらいに小さかった。
それでも不思議と弱々しさを感じさせないのは、
皺だらけの顔に似合わぬほど生気に溢れた輝きを持つ猫目と、
年齢を重ねても潤いを失っていないぽってりとした唇のせいかもしれない。

「なんだババアは。痛い目に遭いたくなかったらさっさと消えな」

「こんな無力な娘をかどわかそうだなんて、男の風上にも置けない最低の奴らだね!
あんたらの方こそ、痛い目に遭う前にさっさと失せなよ!!」

男達の方に向き直った老婆が、見事な啖呵を切った。

「クククク、死にかけのババアが面白いことほざいてくれるじゃねーか。
その痛い目とやらに、遭わせてもらおうか」

ボキボキッ。ボキボキボキッ。

大きな音をたてて拳を鳴らしながら、大男がゆっくりと近づいてくる。

「お嬢ちゃん。こいつらにお灸をすえてやるから、ちょっとの間だけ離れててくれるかな」

少女が壁際まで離れたのを確認した老婆が、樫の杖を逆手に持ち変えると、
杖を腰元に寄せてただでさえ小さい身体をさらに低く構える。

己の肉体を過信し、そんな様子を気に止めることもなく近づいてくる大男。
その瞬間、老婆が地を這うかのように地面すれすれを跳躍した。

年寄りとは到底思えないようなスピードと跳躍力。
そして目にも止まらぬ早業で振るわれた杖は、まるで長さを増したかのように
一気に大男の向こう脛を捕らえ、したたかに打ち据えていた。

「ウオォ!!!」

向こう脛を押さえて悶絶する大男。
その下がった頭を目がけて、脳天を直撃する老婆の鮮やかな面打ちが決まり、
大男は何もできぬまま大の字に崩れ落ちて気絶した。


「よくもぶーちゃんを。ババア、もう手加減できねーから覚悟しとけよ!」

天パの小男が懐から取り出したのは、サバイバルナイフだった。
幻惑するように左右に猛スピードで持ち変えながら、用心深く老婆に近づいていく。

先ほどと同じ低い体勢で杖を構えて待ち受ける老婆。
直前で軽いステップを踏んだ後、天パが一気に間合いを詰めて老婆に襲いかかる、
ように見せかけて、なんと真横へと飛んだ。

狙いは壁際の少女。
少女さえ手中に収めてしまえば、簡単に形勢を決することができる。

しかし、驚くべきことに老婆もほぼ同じタイミングで真横に飛んでいた。
しかも俊敏なはずの天パよりその動きはさらに速かった。

まさか自分の動きに即座についてこられるとは思っていなかった天パの反応が遅れた
その一瞬の隙をついて、老婆の杖がナイフを持つ天パの左手首にクリーンヒットする。
そして、ナイフを取り落してうめく天パの首元を袈裟斬り一閃、
天パもまた、ぶーちゃんに折り重なるように倒れた。


「こんなババア相手に俺が出張ることになるとはな。
だがもう後戻りできないぜ。さっさと死になババア」

一人残された坊主頭が集中とともに呪文を唱えると、掌の上に火球が出現した。

「ふーん、あんた魔道士だったのか。近頃の魔道士はタチが悪くなったもんだね」

魔法を目の当たりにしても動揺を見せることのない老婆が、
それまでの低い構えを解いて正眼の構えに移行する。
背筋がピンと伸びた体幹のぶれないその構えは、
先ほどまでの低い姿勢とのギャップからか老婆の姿をやけに大きく見せていた。

魔法を相手に杖一本で対抗しようとする無謀を鼻で笑った坊主頭が、
気合とともに火球を投げつける。

火球はスピードと大きさを増していき、ついには老婆を丸呑みせんとする。
そのまま老婆が火球に包まれるかと思われたその寸前、
杖が青白い光を放つのを、少女の視線が確かに捕らえた。

「フンッ!!」

老婆の放つ無駄な動作のまったくない幹竹割りが、火球を真っ二つに切り裂く。
そして裂かれた火球は急速に凍りつき、細かい氷片となって砕け散った。

「そ、そんな馬鹿な……」

「魔法を使えるのが自分だけだと思っちゃいけないよ」

渾身の魔法を破られて呆然とする坊主頭。
ドヤ顔の老婆がその隙を逃すことなく一気に間合いを詰めると、
必殺の突きが喉元に突き刺さり、坊主頭もまたビルの壁面に叩きつけられて動かなくなった。


「今まで怖かったでしょう。でももう大丈夫だからね」

悪漢を退治した老婆に優しく声を掛けられた少女の瞳から、緊張が解けたためか
その時になってようやく大粒の涙がポツリポツリと流れ出してきた。

「やっぱり怖かったよね。えっ、そうじゃない?
そうか、何もできなかった無力な自分が悔しいんだね。
わかったよ。お嬢ちゃんを家に送ってあげる前に、
あたしがほんの少しだけ剣術の基本を教えてあげようか。
そうすれば護身術くらいにはなるだろうから」



「……さん! 鞘師さん!!」

強い呼びかけに、うちはようやく我に返る。
顔を上げると、そこには氷の剣を手にした亜佑美ちゃんが、
怒りを露わにしながらうちのことを睨みつけていた。

「勝負の最中にボーっとするだなんて、完全に人のことを舐めてますよね!
別に本気出さなくても簡単に勝てると余裕をかましてるってことですかそれは!」

そうだ、亜佑美ちゃんから魔法ではなく剣技で勝負してみたいと要請を受けて、
今は模擬戦の真っ最中だったんだっけ。

「ご、ごめん。舐めるだなんてそんなつもりはまったくないからさ。
ちゃんと真面目に勝負するから安心して」

「当たり前ですよそんなこと!
あーもう本気で腹が立ってきた。絶対鞘師さんから一本取ってやるんだから!」

でもなんで、いきなり過去の記憶が溢れだしてきたんだろう。
そんな疑問をとりあえず頭の片隅に追いやって、うちも慌てて刀を構える。

「行きますよ!!」

亜佑美ちゃんがグッと姿勢を下げ、氷の剣を逆手に持ち腰元へと寄せる。

それは既視感のある光景だった。
どうして亜佑美ちゃんが……。なんて考える間もなく、
地を這うかのように地面すれすれを跳躍して襲いかかってくる。

この攻撃は、見た目以上に速く、そして伸びてくる。
後ろに下がってやり過ごそうとしてもまず逃げきれない。
もしこれが初見だったら、きっとうちも対応しきれなかっただろう。

でもうちは、この攻撃を知っている。

電光石火の剣撃をあえてギリギリまで引きつけ、うちもまた前方へと跳躍した。
そして亜佑美ちゃんの腕が引き戻される寸前の隙を逃さず、
すれ違いざまにうちの刀が亜佑美ちゃんの手首を綺麗に打ち据えていた。


「あー悔しいなぁ。
この攻撃だったら絶対鞘師さんから一本取れると思ってたんだけど」

真っ赤に腫れ上がった右手首を魔法で作り出した氷で冷やしながら、
認めたくないように亜佑美ちゃんがぼやく。

「ごめんね亜佑美ちゃん。手加減できずに本気で打ち込んじゃって」

「もし手加減してたらそれこそホントに怒りますよ」

「ところでさ。さっきの攻撃って誰かに教えてもらったの?」

「もちろん自分で考えだしたんですよ」

そうか、自力であの型にたどり着いたんだ。
やっぱりすごいな亜佑美ちゃんは。

「そういう鞘師さんは、誰かに剣術を習ったりしてたんですか?」

その時、うちの脳裏にまた過去の記憶が溢れだしてきた。

『なんであたしがこんなにお節介を焼くのかって?
そうだね、お嬢ちゃんのその負けず嫌いな瞳に引きつけられたのと……。
実は、あたしにはお嬢ちゃんと同じくらいの年齢のひ孫がいるらしいのよ。
これまでずっと家庭とは縁の薄い人生を送ってきてるから、
その娘には一度も会ったことがないし、風の噂で耳にしただけなんだけどね。
もしかしたら、見たこともないその娘のことを重ね合わせてしまったから、
お嬢ちゃんをほっとけなくなったのかもしれないね』

「ちょっと鞘師さん!!?
またいきなりボーっとして、さっきからなんか変ですよ」

不審げな様子でうちの顔を覗き込んでくる亜佑美ちゃん。
その生命力に満ち溢れた猫目と、ぽってりとした厚手の唇が、
記憶の中のものとピッタリ重なった。

もしかして、亜佑美ちゃんが……。
いやまさか、そんなわけないか。

「うちには、剣術を教えてくれた師匠のような人がいるんだ。
基礎と心構えだけ教えた後すぐに、風のように去って行っちゃったんだけどね」

「そうなんですか。その師匠ってどういう人だったんですか?」

「優しくて、力強くて、男前で、魅力的な唇をしてて……。とっても素敵な人だったよ。
そう、亜佑美ちゃんみたいにね」


(おしまい)

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最終更新:2015年12月14日 00:20