明日を作るのは君


真夜中のこと。
衣梨奈は不思議な胸騒ぎを感じて目を覚ました。

暗闇と静寂が支配する自室。
いや違う。聞こえてくる音が一つ。

それは、衣梨奈の隣で身体を丸めて熟睡している里保の、緩やかな寝息だった。
寝ている時は幼さが前面に表れる里保の様子に、衣梨奈にも自然と笑みがこぼれる。
そして、里保の寝顔を眺めていると、胸騒ぎも徐々に落ち着いてきた。

里保がM13地区の住居にほとんど戻らず実質的にさゆみ家の住人となってから、
このように2人して一つのベッドで寝るのが当然の習慣となっていた。

隣に温もりがある幸せ。
ふとそんな言葉が頭に浮かび、思わず苦笑する。
別に里保が来る前も、一人で寝ることに何の抵抗もなかったというのに。

「ねぇ、えりぽん……」

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

物思いにふけっている最中にいきなり里保から声をかけられ、我に返る。
衣梨奈の気遣いに軽く首を振った里保が、思い詰めたような視線を投げかけた。

「えりぽんに、聞きたいことがあるんだ」

「うん?」

「もしもさ、もしもうちが、えりぽんの前からいなくなっちゃうとしたら……。
えりぽんはどうする?」

「何それ?」

「うちも何でいきなりこんなことが頭に浮かんだのかよくわかんないんだけど。
でも……。訊きたいんだ」

衣梨奈を見つめるその真摯な瞳に、茶化したりはぐらかしたりすることもできず、
否応なく里保の質問に向き合うこととなった。

「えりだったら……。きっと、どうもしないかな」

「えっ?」

「えりの前からいなくなるというのが、里保が自分で選んだ決断なのだとしたら、
それは考えなしの勢いでのものじゃなくて、悩んで悩んで悩み抜いた挙句に出した結論だと思うから。
その決断に、えりが引き留めて足を引っ張るようなこともできんし。
それに、3年前なんの相談もなしに家出して、里保の前からいなくなって
道重さんのところに転がり込んだえりが、もし逆の立場になって
里保がいなくなるのが嫌だなんて、そんな虫のいいことは言えんとやろ」

「フフ、えりぽんらしいね」

考えながらの衣梨奈の返答に軽く微笑んだ里保だったが、
すぐに真剣な表情に戻り、更なる問いを発した。

「じゃあさ、聞き方を変えるね。
もしもうちが、えりぽんの前からいなくなっちゃうとしたら。
えりぽんは……どう思うかな?」


M13地区に来てさゆみの弟子となってから3年間、里保が側にいない生活が当たり前だった。
でも今は違う。
どんな時でも里保が衣梨奈の隣にいる。それがすでに日常の一部となっていた。

里保がいなくなってしまったら。これまでの日常が崩壊してしまったら。
えりは一体、どうすればいいんだろう。

衣梨奈の心の内から、不意に抑えがたい感情がこみ上げてくる。
そう。喧嘩したり疎遠になったこともあったけど、なんだかんだ里保とはいつも一緒だった。
いつも一緒に泣いたり笑ったり、苦楽を共にし、同じ時間を共有してきた。

魔法の修行の時も、学校でも、食事の時も、お風呂でも、寝る時も……。
楽屋でも、ダンスレッスンやレコーディングの時も、雑誌の取材でも、ライブの時も……。

なんだこれは。

衣梨奈の中にまったく知らない記憶が湧き上がってくる。
でもそれは確かに、他の誰でもない自分自身の記憶。
何故かはわからないが、それだけははっきりとわかる。
衣梨奈の記憶と衣梨奈の記憶が、衣梨奈の中で混線している。

「えりぽん……」

気遣わしげな里保の声に引き戻され、そこでようやく気付く。
今この瞬間、自分が泣いていることに。

この涙ははたして、今の衣梨奈が流すものか。
それとも衣梨奈の知らない衣梨奈の記憶が流させたものか。

もうそんなことはどうでもいい。
たとえ記憶にないとしても、それは紛れもない衣梨奈自身の本心だ。
衣梨奈はそっと目を閉じ、心の内の全てを受け止めた。


里保のいない日常。
それだけで自分の周りの全てが灰色に染まっていく。
そのことがわかっていたから、直視できなかったから、えりはずっと目を背け続けてきた。

毎日のようにアップしていたブログ更新が急に激減したのも、
卒業までのカウントダウンをしているようで辛かったから。
最後の武道館でのメッセージで、えりだけ9期のことを中心に話をしたのも、
卒業を控えた里保のことを真っ向から話すのを、自分の中で受け止められなかったから。
その日のブログで、どうにか里保へのメッセージを書いたけど、
それでもそこに「里保」と名前を書き込むことはできなかった。

「里保が自分で決めたことだから」なんてわかった風を装ってきたのも、
自分の本当の気持ちと向き合わないようにするための言い訳。

でも、卒業までの時は容赦なく迫ってくる。
どんなに辛くても、逃げ出すことはできない。

自分の中でずっとずっと押し殺し続けてきた、えりの素直な気持ち。それは……。

「嫌だよ! 里保が卒業するなんて、えりの前からいなくなるなんて、嫌に決まってるやん!!」

溢れだす想いとともに、知らず衣梨奈は叫んでいた。

「これからもずっと里保とは一緒にいたかったのに。一緒にいられると思っていたのに。
でも、そんなことを里保に言えるわけもないし、こんな姿を里保に見せられるわけもないから、
だからずっと自分の中に想いを閉じ込め続けてきたのに。
……ひどいやん里保。どうせえりの気持ちなんてとっくにわかっとうくせに、
えりの口から無理矢理それを言わせようとするなんて……」

「ごめんね、えりぽん」

最後は涙声で、駄々っ子のように恨み言を吐き出す衣梨奈。
その頭を里保がそっと引き寄せ、自らの胸に顔をうずめさせる。
堪えきれずに嗚咽を漏らす衣梨奈に、柔らかく語りかけた。

「でも……。嬉しかった、えりぽんの本音をちゃんと聞けて。
心のどこかで不安だったんだ。
えりぽんは、うちがいなくなっても別に何にも思わないんじゃないかって」

しばらくの間、黙ったままでそっと衣梨奈の髪を撫でつける里保。
衣梨奈の嗚咽もようやく収まってくると、そこで里保が強い決意を秘めた言葉を発した。

「女の子ってさ、内心でどんなにわかっていても、
本当に大事なことは口に出してはっきりと伝えてほしい。きっとそんな生き物だと思うんだ。
だから……。うちも今、えりぽんにちゃんと伝えるね」

ただならぬ声音に、衣梨奈が涙塗れの顔を上げる。
紅潮した顔の里保もまた、目元に一杯の涙を溜めていた。

「うちはずっと……えりぽんのことが…………」

流れる沈黙。
そして……


「フフフフ、やっぱりやめとく」

「ちょ、なにそれ!」

「楽しみは明日の本番に取っておいた方がいいかなって」

「人のこと泣かせてえりに散々恥ずかしい思いをさせておきながら、
自分はそうやって逃げるだなんて、いくらなんでもひどすぎるやろ!!」

衣梨奈の猛抗議も虚しく、何か吹っ切れたような表情で楽しげに笑う里保の様子に、
いつしか衣梨奈も笑いが止まらなくなり、しばらく2人してベッドの上で笑い転げた。

笑いすぎで流れ落ちた涙を拭いながら、里保が軽い口調に深い想いを込めて呟く。

「……明日ははたして、生田衣梨奈ちゃんもボロボロ泣いてくれるんでしょうか」

「えりはもう泣かんけん。里保のこと最後まで笑顔で送り出すって決めとうし」

「ふーん。いつまでその強がりが続くのか、楽しみにしてるね」

「何その余裕の発言! なんか腹立つわ~!
そういう里保は、さっきの続きちゃんと聞かせてくれるんやろうね?」

「どうしよっかなぁ。いっそ留学から帰った後に伝えるっていうのはどうかな」

「それはさすがにもったいぶりすぎやし!!」

真夜中すぎの2人のじゃれ合いは、それからまたしばらく続いたのだった。



泣き疲れ、そして笑い疲れた衣梨奈と里保がいつしか眠りに落ちた頃。
その枕元にたたずみ、2人の様子を見つめる人影があった。

ピッタリと寄り添いながら、満ち足りた穏やかな寝顔を見せる2人のことを確認し、
一人頷いたさゆみが、めくれた布団をそっと整えてやりながら独りごちる。

「次元を超えて、別次元の自分に託してまで相手に伝えたいと希求するほど強い想い……ねぇ」

それは衣梨奈と里保、2人だけのことではなかった。
多かれ少なかれ少女達に影響を及ぼしており、
特に感受性の豊かな娘ほど強くそれを感じ取っていた。

さゆみが今回のことに気づいたのも、優樹から突然抱きつかれ、

「時間を戻したいときってどぉーやって戻すの?
時間って本当に人間は動かせないの?
誰が決めたの……。そろそろ教えてょ……」

と、号泣されたからだった。

だがそれも、明日で一区切りつく。
それが少女達にどのような影響を与えるのか。どのような成長を促すのか。
こればかりは当日になってみないとわからないけれど……。

2人の目尻に残った涙の痕を指先で軽やかに拭い取るさゆみ。
そして、寝入っている衣梨奈と里保を通して、別次元の2人に優しく語りかけた。

「2人とも、明日は悔いのないようにね」


(おしまい)


※2015年12月30日投稿作品

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最終更新:2016年03月08日 23:04