本編6 『まーちゃんとくどぅー』




梅雨も明け、本格的に夏が来た。
学生にとってはもうすぐ夏休み、の前に試験の季節がやってくる。
里保は、眠い目をこじ開けて、なんとか午後の授業を受けていた。

照りつける太陽が窓の外で校庭を灼いている。
蝉の声が、遠くから響いていた。

この街に来てから一ヶ月と少し。
相変わらずさゆみはよく分からないまま、気持ちだけが近づいた。
未だ緊張が無いわけではないけれど
毎日のように家に通い、衣梨奈と三人で御飯を食べるうち、随分親しくなったと思う。

学校ではすっかりクラスにも溶け込め
聖、香音とはかなり仲良くなった。
放課後には衣梨奈を含めた四人で街をぶらつくのが日課になっている。
まだ4人で休日に遊べたことは無いが、それが実現するのも時間の問題だろう。

協会の魔道士としての活動は、殆ど出来ていなかった。
そもそもの目的が漠然としていたし、来てすぐの頃に戦闘して以降
自分を襲撃する魔道士もいない。
里保が大人しくしていることで、はじめ色めき立っていた街の魔道士たちも
だんだん興味を失っているらしかった。
春菜をして、望ましい状態に落ち着きつつある。

里保自身この街で暮らすうち、協会魔道士としての自分が
異物であるということを実感していた。
独自の営みを持つ街の安定を壊してまで、協会が介入することに
意味があるのか、そんなことも時々考える。
いろいろなことを知るほど、どんどん難しい、分からないことが増えて
それをさゆみに言うと「いい傾向だ」と笑っていた。

とにかく、目前に迫った試験に集中しようと睡魔と戦うくらいには
里保は気を抜いていた。

なんとか授業を乗り切り放課となる。
さすがに試験が近いので、このまま遊びにいこうという空気にはならないが
それでもちょっと気の緩んだ時間帯に聖や香音とお喋りに興じていた。

「うー、数学わかんないよぅ」

聖の弱音に、里保と香音と衣梨奈も同調の溜息をつく。

「えりちゃんと里保ちゃんは一緒に勉強してるんだよね?うちも混ぜて貰おうかな…」

香音の言葉に、里保が難しい顔をした。

「まあえりぽん結構頭いいからね、役に立つこともあるんだけど…基本、気が散るんだよ」

「あー、確かにそうかも…」

「えー、里保だってそうやん」

勉強以外にも、魔法の研究をしたりもするが
とにかく衣梨奈の話は方々に飛びやすい。
一緒にいて楽しいからいいけれど、人数がもっと増えたらお喋りに花が咲いて
勉強どころじゃなくなる気がする。

「だれか聖に教えてくれないかなぁ…。期末テスト、ほんとにヤバイ…」

「聖ちゃんはお手伝いさんに教わってるんだよね?」

「そうだけど、わかんないんだもん」

早く帰って勉強すればいいのだが
試験が迫っている時ほど、この放課後お喋りが盛り上がって長引いてしまう。
里保はそんな学生の常を、はじめて経験していた。

不意に里保のポケットから大きな音が鳴り響いた。
驚いて身体が跳ね上がる里保と衣梨奈を見て、聖と香音が不思議そうに首を傾げる。
この音は協会の端末のアラートで、魔力を持った人にしか聞こえない。
どうやら局長からの連絡らしい。

里保は衣梨奈と目配せして
時計を確認するようなフリのあと

「ごめん、うちちょっと用事があるから、先帰るね!」

と言い捨てて教室を飛び出た。
少し心配そうな衣梨奈と、戸惑う聖と香音に心の中で謝る。

局長からの直通の連絡は珍しい。
普通の用事や、定期報告ならばメールですませる場合が殆どだ。
衣梨奈もそれを感づいているらしい。

里保は下校する生徒の間をぬって、校門付近の人の少ない場所で声を抑えて通信に出た。




「どぅー、あとどれくらい?まさ疲れたぁ」

「あーもう、もうちょっとだよ。もうすぐ」

M13地区にほど近い田舎道を二人の少女が歩いている。
散々歩いたり、走ったり、戦ったりして、もう二人はクタクタだった。
髪の短い少女、工藤遥が、隣で顔を顰める佐藤優樹を宥める。
遥は携帯端末の地図をもう一度確認した。

何事も無ければ、1時間もかからずM13地区内に入れる。
けれども、その前にある協会の支部が怪しい。
わざわざそれを避けて、往来も無く民家もまばらな田舎道を通って来たけれど
それも読まれて待ち伏せされているかもしれない。

「ねぇどぅー」

地図を見返し、嫌な想像に悩まされる遥に、優樹が声を掛ける。

「ねえ、どぅーってば」

「何?」

「やっぱりどぅーだけ帰りなよ。どぅーだったらごめんなさいしたら許してくれるよ」

「はぁ?今更何言ってんの。ここまで来て。
 だいたいまーちゃん一人でM13地区まで行けないでしょ」

「行けるよ。だってどぅーはまさのこと助けてくれただけなのに
 どぅーまで逃げるの変だよ。うん、変」

「関係ないでしょ。それにはるだって協会の魔道士もう10人くらいぶっ倒してるし
 今更ごめんなさいしたって許して貰えないよ。てか許してくれたってこっちからお断りだわ。
 もう協会なんて一生戻らない。こんなものっ」

遥はそう言って、自分の腕についていた協会の腕章を引きちぎり、投げ捨てた。

「うーん……」

優樹が納得しかねるというように眉根を寄せる。
それでも渋々と歩を進めた。

細い道路の両脇には高い夏草が生い茂り、空き地や田んぼののどかな景色が広がっている。
日差しは強くじりじりと照りつけ、二人の体力を削っていた。

暫くして、優樹が立ち止まる。
遥が振り返ると、優樹が道の遥か向こうを強い視線で睨みつけていた。

「どうしたの、まー。もしかして」

「前にいるなう」

「何人くらい?」

「10人くらい」

「まーちゃん一人にどんだけ本気なんだよ…」

遥達が電車を使おうと駅に行ったら協会魔道士が待ち伏せをしていた。
あそこで突破しようとしたらどうする気だったのだろう。
普通の人が大量にいる駅で乱闘でもする気だったのか。
とにかく、動員されている魔道士の数が普通じゃ無い。
一人や二人の協会魔道士が相手ならどうということもないが、既に30人近くと接触している。

とはいえ、ここを超えれば、流石にもう待ち伏せもないだろう。
M13地区に入ってしまえばこっちのもの。協会魔道士はそこでは活動できない約束になっている。

遥はくさくさした頭を奮い立たせ、優樹の方を見た。

「どうする、まー。回り道する?」

「えー、まさもう疲れたよぅ。歩きたくない」

「じゃあ戦う?どっち」

「んー、どぅーに任せる」

「じゃあ強行突破ね」

「うん!」

歩くよりもよほど疲れるだろうけれど、とにかく早く休みたい。
魔力ももう限界に近い。
でもこれで最後というならば、派手に暴れてやりたい気もした。
二人なら、協会魔道士の10人くらいなんとかなる。

意見の一致した遥と優樹は、少しだけ笑い合って
敵の待ち伏せている方に駆け出した。







通話先から局長の声が聞こえてくる。
里保は暫くぶりに聴く声を懐かしいと思った。
しかしすぐに気を引き締める。局長の声はいつになく硬い。

『すまないな、突然連絡を入れて』

「いえ。何かありましたか?」

『急な話だが、里保に頼みたいことがある。協会の仕事だ』

下校途中の生徒に混ざりながらも、会話が聞かれないように周囲を警戒する。
「協会の仕事」という言葉に、里保は変に緊張した。
この街に来てから協会魔道士として具体的な『仕事』をしてはいない。
随分と久しぶりのことのように感じた。

『二人の魔道士が、M13地区に逃げ込もうとしている。それを阻止して欲しい』

「犯罪者ですか?」

『……そうだ。何としても、その街に逃がすわけにいかない。
 しかしとにかく敏捷くて、もうかなりその街に迫っている。
 俺の所為で招いた事態だ。
 悪いとは思っているんだが…頼まれてくれるか?』

「もちろんです。では、すぐに向かわないと」

『今は学校か?』

「はい、出たところです」

『そのまま北東に向かって街の外れまで行ってくれ。
 二人の動いている予想ルートを後で端末に送る』

里保は、通話したまま生徒の群れを分けて、指定された方向に駆け出した。
緩やかな坂になっている街を海と逆の方向に駆け上がる。
午後の強い日差しが里保の肌から汗を滲ませた。

「向かっています。二人の特徴は?」

『子供だ』

「え?」

『といっても、既に協会魔道士が20人近く倒されている。
 かなりの手練と思っていい。…すまない、本当はお前にさせるべき仕事じゃないんだが』

「……いえ、この街にいる以上、犯罪者の流入を阻止するのも私の役目だと思っています」

『本当にすまない。データは送った。詳しい事情はまた後で伝える。
 目下、二人の街への侵入阻止に専念してくれ。捕縛出来ることが理想だが
 侵入を阻止さえできれば、こちらでも人員投入を間に合わせられる。
 戦闘になることが予想される。くれぐれも無理はしないように』

「わかりました。ではまた後ほど」

通信を切り、端末に送られた地図を頼りに走る。
局長の声はどこか切羽詰っていて、事態が逼迫していることが伝わった。

子供が二人。いったいどういう事情で、何をして逃げているのかは分からない。
それでも自分が協会魔道士である以上、止めなければならない。

以前は、こういうことが里保の仕事の主たる部分をしめていた。
この街に派遣されてから暫くは遠のいていたが、昔のことを思い出す。
相手がどんな事情であろうと関係ない。無感情に、冷静に仕事を全うしていたはずだ。

まばらな住宅街の緩い坂の上に小さな山の連なりがあって
その麓に、歩行者用の古いトンネルがある。
それを潜ると、一気に景色が田舎のそれに変わった。
むせ返るような緑の匂いと、細く続く道、その脇に空き地や田畑が広がっている。
上からは蝉たちの今日一番の鳴き声が響き、低い場所からは夏の虫が歌を奏でていた。

ここはM13地区の外。
このトンネルの外は、協会の影響下にある場所だ。

里保は一度汗を拭うと、トンネルの影に身を休め、改めて辺りを見渡した。
風が穴を吹き抜け、一気に里保の身体を冷ます。
二人はこのトンネルから街に入ろうとしているらしい。
見通しの効くこの場所で待っていれば、鉢合わせることになるだろう。
ここを管轄する協会魔道士達の包囲が破られた場合に、だが。

いつになく頭の中が落ち着かないことを感じて
里保は大きく息を吐き、意識を集中させた。

程なく、里保の感覚が、二つの魔力を捉えた。


「大丈夫?どぅー」

「全然、余裕だよこんくらい」

優樹が不安げに遥を見る。
待ち伏せしていた協会魔道士たちを派手に蹴散らした遥と優樹は
そのまま真っ直ぐ目的地を目指していた。

「まあ、ちょっと正面から行き過ぎたかな。でもね、もう流石に追っ手も来ないでしょ」

「うん」

遥は戦闘の途中、軽い手傷を負っていた。
いくら弱い魔道士が相手とはいえ、数が多い上に自分たちが万全でないことを考えると
すこしばかり無茶な戦い方をしたとも思う。
でもそんなことよりも、目的地がもう目前にあることが嬉しかった。

「見てよまーちゃん、あそこの山、見える?」

「どれ?あれ?」

「そう。あの山のトンネルを抜ければゴールだよ」

「ほんと?やったぁ」

先のことなんて何も考えていない。
でも、遥は、取り敢えずその街へ行けば
優樹の身が安全になるという一点に安堵していた。

自分でもよく分からない。
始めは、馬鹿でいけ好かない奴だと思っていた優樹のことを
何故こんなにも気にしているのか。
これからは、M13地区で二人で生きていかなければならない。
冗談じゃない。でも、それもいいかもしれない。
相反する自分の気持ちが可笑しくて、遥は笑った。

「何笑ってんの?」

「なんでもないよ」

「なんだよぅ」

「いーじゃん。行くよ、まーちゃん。もうちょっと、ほら」

晴れやかな気分で歩調を早めた遥が
はたと足を止めた。
優樹もそれに続いて足を止める。
視界に見えた件のトンネル。そこに人が立っている。

遠目にも、自分たちとそう変わらない年頃の少女だと分かる。

しかし、その腕にははっきりと、協会の紋章が光っていた。

「まだいんのかよ…」

遥は、たった一人で堂々と待ち伏せるその人物に訝しく思ったが
気分が高揚していることと激しい戦いを終えた勢いとで
軽くねじ伏せられると思い、再び歩き出した。

その腕を優樹が掴み、止まらせる。

「なんだよ」

「どぅー、だめ」

どこか怯えたような優樹の表情と声。
遥はもう一度前に立つ協会魔道士を見やった。

不意に辺りに風が巻き起こった。
戦闘態勢をとった里保から発せられた魔力に
一瞬、蝉も夏虫も鳥も声を潜める。

その魔力を感じ取った遥は、始めて優樹の様子の訳を知った。
そして遥の足も同じように固く重くなり、二人案山子のように里保を見る。

「嘘でしょ……なんだよ、あれ」

遥は唇を噛み締めた。
やっとここまで辿りついたのに、逃げるのも戦うのも、今まではうまくやってこれたのに。

今目の前には、消耗した自分たちが
どうにか出来るレベルをはるかに超えた魔道士がいる。






可愛らしい子供が二人、里保の視線の先にいる。
二人から感じる魔力は些か弱弱しく、かなり疲弊しているのが分かった。
里保が刀を取り出し、ゆっくりと二人に近づく。
強い視線で里保を睨みつける少年のような少女。
そして、その腕を取って怯えたように見ている少女。

少しだけ、胸が苦しくなった。

お互いの顔がよくわかり、声も何とか届く場所まで来て、里保が立ち止まる。
遥と優樹は、近づいてくる里保に後ずさることも出来なかった。
どちらにせよ、もう退くことなど出来ない。
残り僅かな魔力を練り上げ、次の瞬間に備える。

予想に反して、遥たちの耳に里保の声が届いた。

「悪いけど、M13地区に君らを入れるわけにはいかない。
 抵抗しなければ、傷つけるようなことはしないから」

宥めるように言ったはずが、里保は自分でも驚くくらい低い威圧的な声を出していた。
遥と優樹がさらに表情を固くし、里保を睨みつける。

遥は、どうすべきかをぐちゃぐちゃと考えていた。
二人での奇襲を考えたけれど、隣の優樹が既にほとんど戦意を失っている。
まともな方法でぶつかって、勝てるだろうか。
やってみなければ分からないけれど、可能性は低い。

二人とも無事にM13地区に逃げ込めるとは、もう思えなかった。

「あんた、協会魔道士だよね?たった一人で、ハル達を止められると思ってんの?」

強がりだと、3人ともが分かっている。
それでも里保は、遥の言葉に応じた。

「魔道士協会執行局魔道士、鞘師里保。戦わないで済むなら、それが一番いい」

「……執行魔道士かよ」

遥は思わず漏らした。
協会の中でも、特に戦闘を得意とするのが執行局の魔道士。
その肩書きを持つだけで、今まで蹴散らしてきた相手と違うことは分かる。
でも目の前の魔道士は、ただの執行魔道士とも思えなかった。

遥が腕を掴む優樹を振り払い、構える。
優樹も一歩だけ足を引き、遥の出方を伺うように視線を向けた。
小声で遥が優樹に言う。

「まーちゃん、まだ走れるね?」

「え?」

「変身して、全力で走って、あいつの横すり抜けて一気にトンネル抜ける、自信ある?」

「ない」

優樹が里保をちらりと見、遥を見返して答えた。

「無くても走って。ハルがあいつを引き付けるから」

里保に視線を向けたまま、低い声ではっきりと告げる遥に、優樹は戸惑った。
遥は優樹の返事を待たず、里保に聞こえる不自然に大きな声を張り上げる。

「執行局魔道士だったら、相手として不足は無いね。あんた、ハルと『勝負』してよ」

これを相手が受ければ、優樹だけでも逃がすチャンスはある。
しかし遥の期待とは裏腹に、里保は表情を変えることもなく、機械のように冷徹に
変わらず低い声で言い放った。

「悪いけど、それは出来ない。
 うちの任務は『二人をM13地区に入れないこと』だから。一対一の勝負を受けるわけにはいかない」

遥は舌打ちして、改めて魔力を練り上げ、攻撃の態勢に入った。
里保も刀を構える。

「あー、そうですか。そんなら遠慮なく二人がかりでぶっ飛ばしてやる」

戸惑いがちな優樹も、いよいよ戦う空気を察して構えを取る。
どちらにせよ、遥と連携して戦わなければ万に一つも勝目が無いことは優樹も分かっていた。

「まー、下がって!」

遥の声と共に、優樹が後方に大きく飛び、それに合わせて遥の周りを淡い光が包む。

里保は今この瞬間飛び込めば、すぐに終わると思った。
けれど自分から仕掛けることが出来ない。
二人の小声の会話も里保には聞こえていた。
決死の覚悟。そして、少年の方は少女を逃がす為に身を張ろうとしている。
その悲愴な顔を見ると、まるで自分が虐めているような感覚になった。

任務は遂行しなければならない。
でも出来れば、二人を傷付けたく無かった。

遥の魔力に呼応して、周囲の田畑や畦から、小さな水滴が浮かび上がって来た。
それは遥の切る印に応じふわふわと周り
無数の水滴がくるくると回転しながら、空間を水玉模様で埋めた。

遥の汗が顎から滴り、水玉の防壁に加わる。

優樹は、遥のその魔法に些か驚いて行動を選びかねていた。
連携が出来る類の魔法では無い。

「じっと待ってるとか、ハルのこと舐めすぎでしょ。もう遅いけどね。
 穴だらけになって死んでも知らないよ」

挑発の言葉と同時に、水滴が弾丸のように一斉に里保に向かった。
それは弾幕のように広がり、逃げ場も無いかに思われた。

しかし里保は、刀を掲げるだけで逃げようともしない。
刀身から放たれる赤い光が強まり、それが里保の身体を覆うと
里保に向けて直進してくる水滴が全て、里保に触れる前にジュンという音を立てて蒸発し、消えた。

炎の魔法だと気付いた時には、遥の『弾』は全て空中に雲散してしまった。


遥の後ろから、優樹が飛び出す。
それを感じて遥もすぐに横にステップして、魔力を練り直した。

優樹の左拳の先には魔力で精製したトゲ。
それを猛然と突進しながら里保に繰り出す。
しかしそれも刀で軽くいなされ、弾き返された。

続く遥の魔力を込めた手刀は、里保に触れることもなく、
里保がかざした手から旋回する暴風に弾き飛ばされる。

二人は一度距離を取って態勢を立て直し
改めて里保を見やった。
一連の動きの中で、更に魔力を消耗し肩で息をする遥と優樹とは対照的に
里保の顔は変わらず、眉一つ動かしていないように見えた。

「どぅー、どうしよう…」

里保の魔力の強さがハリボテでは無く、戦闘の経験も豊富なことを思い知らされた。
それを知る代償に、さっき以上の消耗、そして力の差は確実に開いている。

「どうしようって言っても…やるっきゃないっしょ…
 いい、まーちゃん。聞いて」

「なに?」

「二人で行くのはもう無理だって、割り切ることも大切だと思うわけ。
 ハルはさっきまーちゃんが言ってたみたいに、まだ協会魔道士だし
 捕まってもゴメンなさいで許して貰えるの。でもまーちゃんは無理でしょ。
 だから、まーちゃんだけでも何としてもあっち側に行って。
 ハルだって殺されはしないでしょ。あいつさっきから攻撃してこないし」

「やだ!」

「やだじゃない。無理でしょ、どう考えても」

「どぅーが一緒じゃなきゃやだよぅ」

「いい?次ハルが仕掛けたら、とにかく思いっきり走って。
 でないと絶交だから。もう一生まーちゃんと口聞かないから」

「ヤダ!もっとヤダ!」

「じゃあ、ちゃんとしてよ!行くよ!」

優樹の返事は待たない。
こういう言い方でもしないと、優樹は言うことを聞いてくれない。
隣で葛藤の呻きを漏らす優樹の声を聞き、遥は内心で苦笑した。
成功したとして、優樹が向こうに行き、自分が協会に戻ったら
それこそもう会うことも出来ないだろう。

それだって、ここで優樹が捕まってしまうよりはずっといいはずだ。

遥が一気に魔力を開放する。
隙さえ作れればそれでいい。
もう本当に限界なんだから、無駄にしないでよと心の中で優樹に告げる。

先ほどよりも速く遥が突進するのに備えて、里保が構えた。
遥がその里保の脇をすり抜けるように進路を変える。
里保が慌てて遥の進路に割り込むと
待ってましたとばかり遥はありったけの魔力を手刀に込めて里保に叩き込んだ。

入る、そう思った遥の攻撃は
あっけなく里保の傍らの空を切った。
体勢を崩しながら、里保はカウンターのカウンターに炎を纏った拳を繰り出し
それが遥の腹部を的確にとらえる。
衝撃に浮き上がった身体が一瞬炎に包まれ、遥に残る全ての魔力が焼き尽くされ、消えた。

意識が薄れた遥は、ガクリと身体を崩し
そこにあった里保の身体にもたれ掛かる体勢になる。

意識の最後にちらりと見た優樹は、まださっきの同じ場所で佇んでいた。

「なに、やってんだよまーちゃん…絶交だかんね……」

遥の意識がすっと遠のき、閉じた。

「どぅー!!」

耳を裂くような叫び声に里保が目を向ける。
戦意を失ったと思っていたもうひとりの少女の魔力が急速に高まる。

見ればその姿がみるみるうちに変化し
犬のような狼のような姿に変わったかと思うと
暴風のような魔力を纏い猛烈な勢いで里保に突進してきた。

遥の身体を抱きかかえたままだった里保は一瞬の出来事に対応が遅れる。
鋭い爪の先のトゲが強烈な魔力を纏って迫るのが見えた。
一瞬自分の首が撥ねて転がるイメージに背を冷やし、遥の身体を投げ打って
必死の回避を試みる。

一瞬の交錯。
その瞬間で、犬に変化した優樹の前足は里保の肩を捉え重い一撃を加えた。
そして解放された遥の襟首を咥え、奪い取る。
里保は交錯する瞬間、刀を振るい、その刀身が深々と優樹の身体を通ったのを感じた。

しかし優樹は勢いのままトンネルに向かって一気に駆け抜ける。
咥えた遥を走りながら背中に放り投げると、風のような速さでトンネルの奥に消えた。

すぐに追いかけようと風の魔法を練る里保の足がガクリと折れる。
想像以上のダメージに、上手く魔法が練れなかった。

ようやく風が里保の周りを舞いだした頃には、もう二人はM13地区に入っていた。

里保は数秒、茫然と二人の消えたトンネルを見つめた。
二人が一緒にいれて、離れ離れにならなくてよかった。
現実感の無い頭がそんなことを考え、転瞬
現在の状況、事態に頭が追いつき、顔を蒼くする。
忘れていた蝉の声がやけに耳に響いてきた。

それは里保にとってはじめての、『任務失敗』だった。






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最終更新:2014年07月14日 22:59