涙ッチ


それは京都公演も無事終了し、東京公演に向けての舞台稽古の前のことやった。

ちょうどメンバー全員が集まっている時に、
マネージャーさんより衝撃の情報が告げられた。

新垣里沙さんの結婚。

新垣さんといえば、「愛ガキ」「ガキカメ」という偉大なカプを生み出した
カプヲタ界隈にとっても大きな存在感を示す先輩の一人や。
ただ新垣さんのキャラ故かカプ特有の湿り気はあまりなく、
どちらかと言えば名(迷?)コンビとしてのイメージが強いというのはあるんやけど。
ラブコメとしての新垣さんのカプやったらそれこそ、
某屋根スレの「俺ガキ」の方がよっぽど……おっと、ついつい話が逸れるところやった。


そして、現メンバーにも繋がる新垣さんの主要カプがもう一つ。
それが、新垣さんと生田さんの「生ガキ」。

生田さんが新垣さんLOVEなことは当然周知の事実やったからこそ、
新垣さんの結婚話を聞いた時、はるなのみならずメンバーみんなが、
まるで図ったかのように生田さんの方にパッと視線を送ったのも無理のないことやった。

その時の生田さんは、傍目には特に動揺した様子もなく
薄らと笑みすら浮かべてマネージャーさんの話に聞き入ってはった。
きっと新垣さんの結婚については初耳でなく、事前に情報を入手済やったんやろうね。

そんな生田さんの表情に、はるなは不思議な既視感を覚えていた。
以前どこかで同じような表情をしてはるのを、はるなは見たことがあるはずや。

必死に記憶の糸を手繰って、はるなはついに気づく。
そうや、今の生田さんは、鞘師さんの卒業を聞いた時と同じ表情をしてるんや。

あの時も、初めて聞いたメンバーが動揺しそして泣き出す中で、
9期さんは事前に話を聞いてはって、特に生田さんは涙も見せずに
鞘師さんからの卒業を決めた話に聞き入ってはったんや。

あの頃の苦い記憶が、はるなの中に鮮明に蘇ってくる。

新たな一歩を踏み出そうとする鞘師さんに対してネガティブな姿は見せられんと、
自分の気持ちを心の奥底にグッと押し込んで、最後まで笑顔を貫いた生田さん。
あの時のはるなは魔法の習得もまだまだ未熟で(今もそんなには変わらへんけど)、
生田さんの複雑な想いの詰まった笑顔を本物の笑顔に変えるには完全に力不足やった。

そして、今また同じような表情を見せる生田さん。

きっと、新垣さんへの様々な想いを、今回も心の奥底にグッと押し込んで、
新垣さんの結婚を笑顔で祝福しようと心に決めてはるってことなんやろう。
それが生田さんなりの美学なんやろうけど、でも……。

ホンマにそれでええんやろか??

はるなの中に沸き上がる胸のモヤモヤは、
舞台稽古が始まるとさらに大きくなっていった。


その日の舞台稽古は、京都公演で実際に本番をおこなったことにより見えてきた
細かい不備や不具合を修正していくためのものやったんやけど、
生田さんの演技は明らかにいつもと違っていた。

何が違うか。
一言でいうとズバリ「粗い」。

立ち振る舞い、台詞、そして殺陣。
その全てが、ほぼ完璧だった京都公演での演技とは程遠く、
自分自身の動きを上手く制御できずに苦戦している、はるなにはそう見えた。

当然見過ごしにするはずもない演出家さんからダメ出しを受け、
悔しそうに唇を噛む生田さんの姿を目の当たりにして、はるなは思う。

生田さんはやっぱり苦しんではるんや。
どうにか自分自身の感情を抑え込もうとしながら、
心の内で暴れる気持ちを完全には抑制できず、それが粗い演技として表出する。
生田さんの強靭な意志を以てしてもどうにもならへんのから、
心の内に潜む新垣さんへの想いの大きさは推して知るべしってやつやな。

それでも生田さんはきっと感情を抑え込み続け、
最後にはきっと完全にフタをしてしまうんやろう。
新垣さんを笑顔で送り出す、ただそれだけのために。

でも……。
はるなにはやっぱり納得できひん。

生田さんの美学はよくわかる。
ただ、その信念を貫くたびに、生田さんの心は大きく傷つき、
生田さんから本当の笑顔がまた一つ消えていく。

鞘師さんの時もそうやった。
そして今回も。

鞘師さんの卒業時、非力なはるなにはどうすることもできんかった。
でも今は。多少なりとも魔法を使いこなせるようになった今なら。
はるなの力で、ほんの少しでも生田さんの本当の笑顔を取り戻せるかもしれへん。

内心で決意を固めたところで、ふと我に返る。
でも、具体的にどうすればええんやろ??

時間を巻き戻し、新垣さんの結婚に至る過去を改竄して生田さんと結ばれるようにする。

まず荒唐無稽なシナリオが頭に浮かび、思わず苦笑する。
そんな無茶な魔法は存在するわけもないし、もしあっても許されるものやあらへん。
もっと現実的な方法はないやろか。

生田さんが溢れ出す感情を胸の内に溜め込まへんようにするのが一番なんやろうけど、
それができれば苦労はせえへんし、確固たる美学を傷つけるわけにもいかへん。

もっと単純に、その全部を溜め込まずほんのちょっとだけでもガス抜きできれば、
それだけでも生田さんも今よりはずっと楽になるんやないかな。

方向性はどうにか見えてきた。後は具体的な方策や。
はるなはさらに脳内をフル回転させていく。

いっそ生田さんを怒らせてみる?
あまりに怖すぎる方法やけど、もしうまくいけば効果は期待できるかも……。

でも、はるながどんな言葉を投げかけてみても、どんな魔法の力を借りても、
うまく怒らせ、ガス抜きのための風穴を開けられる気がせえへん。
それほどに生田さんは自制心の強いお人やから。

ならばどうすれば……。

はるなの脳裏に、先ほど苦戦していた生田さんの姿、抑えきれへん感情が
本人の意志を離れて粗い演技として表出していたあの姿が浮かび上がる。

そうや、感情を表すことができるのは言葉だけやあらへん。
新垣さんへの熱い想いを、生田さんに身体で表現、発散してもらうことはできひんやろか。

今の新垣さんは、舞台女優。
そして今回の生田さんの役柄は……。
そこに重なるものは……。
ならばはるなができることは……。

はるなの中でついに一本の道筋が繋がる。
ただ、今のはるなにははっきり言うてかなり荷が重い方法やと思う。

それでも、鞘師さん卒業時のように何もできずただ傍観するしかできひん、
あの頃の苦い想いを繰り返すことだけは絶対にゴメンや。
生田さんのために、そしてはるな自身のためにも、この手で必ず笑顔を取り戻してみせる!

困難な道のりを前に、はるなはそう腹をくくったのやった。


舞台稽古終了後、はるなはマネージャーさんに演技を勉強するためと頼み込んで、
新垣さんが出演している舞台のDVDを何枚か借りて帰った。

自宅でDVDを観て、新垣さんの演技のレベルが違いすぎることにまず感嘆する。
なんといっても動きのキレが全然違う。

はるなもいつか、新垣さんみたいになれるんやろか……。

そこにたどり着くまでには気が遠くなるような努力が必要やろなと感じながら、
はるなにとってはいつかのことよりまず明日だと、
新垣さんの演技を脳内に叩き込むために、集中してDVDに見入ったのやった。


そして翌日。昨日に続く舞台稽古で、生田さんは見事に粗い演技を修正していた。
ただ、感情を強引に抑え込みすぎてまるでロボットのような人間味のない言動になり、
ちょうどクールな役のためそんな違和感はなかったとはいえ、
それはやっぱり京都公演の時とは別物の演技やった。

眉をしかめて生田さんの演技を凝視していた演出家さんは、
一つため息をつくと「生田はもっと感情表現を考えておくように」とだけ告げて、
その日の舞台稽古は終了となった。


更衣室に戻り一息つく。
メンバーそれぞれおしゃべりに興じながら、さあこれから着替えて帰宅するかという時。
和やかな空気を一変させる出来事が起こった。
そしてそれを引き起こしたのが……はるなやった。

「すみません生田さん。この後ちょっとだけ時間をもらえませんか?
生田さんに殺陣の動きをチェックしてもらいたいんですけど」

はるなからの突然のお願い。
自分のことで精一杯な今の生田さんが、いきなりこんなことを言われても
いい返事をくれるとは最初から思ってへんかった。

「いやえりは……」

「新垣さんの殺陣を勉強して自分なりに動きを掴んだと思うんで、
生田さんに見てもらいたいんです」

はるなの一言をきっかけに、周囲の空気が凍り付く。
昨日からずっと、生田さんのいる場所で新垣さんの話題を出すのは
みんな暗黙の了解でタブーとなっていた。
それをあっさりと破り、よりによって生田さんに直接新垣さんの話をするという
はるなの大胆すぎる行動に無言の非難を投げかけるとともに、
今後どうなるのか耳をそばだてている周囲の様子が、はるなにもひしひしと伝わってくる。

生田さんの表情の変化も劇的やった。
新垣さんの名前を耳にして、生田さんがはるなに睨みつけるかのような鋭い視線を送る。
ただ真面目な表情をしていただけで不機嫌そうに見えることもある生田さんだけに、
そのプレッシャーは並大抵のものやなかった。

ここで怯んだらあかんと、お腹に力を込めて生田さんの視線を受け止めるはるな。
その緊迫した見つめ合いが、どれくらい続いたやろか。
きっとほんの数瞬程度の時間やったと思うけど、
はるなにとっては永遠にも感じられるものやった。

「……わかった。尾形がそう言うんなら、少しだけなら付き合ってもいいよ」

視線を外した生田さんがぶっきらぼうに承諾すると、
固唾を呑んで見守っていた周囲のメンバーから思わず安堵のため息が漏れる。
はるなもホッとして危うく脱力しそうになったけど、安心するのはまだまだ早い。
ホンマの山場はここからや。

他のメンバーには先に帰っておいてくださいと頭を下げ、
心配げな視線を背中に感じながら、事前に延長使用のお願いをしておいた
レッスンルームに生田さんと2人で移動した。


舞台で使う小道具の剣を片手に、生田さんと対峙する。
それだけで足のすくむような威圧感を受けて気持ちが萎えそうになるんやけど、
今更逃げ帰るわけにもいかずどうにか気持ちを奮い立たせる。

「じゃあ、尾形が掴んだっていう新垣さんの殺陣の動きとやらを見せてみな」

「はい。全力でいかせてもらいますね」

ここまで来たら、毒を食らわば皿までや。
最後のひと押しを、はるなは敢然と生田さんに投げかけた。

「だから……。生田さんも、全力でお願いします」

挑発的にすら聞こえるはるなの一言により、生田さんの眼光がまた鋭さを増す。

「尾形……。お前、今自分が何を言ってるかわかってる?」

「もちろんです」

「ふん、まあいいや。
もし尾形の殺陣に見るべきものがあったら、その時はえりも全力でいかせてもらうわ」

軽くあしらわれるのもまあ仕方のないこと。
もとよりはるなの言葉だけで、生田さんの本気を引き出せるとは思っておらへん。

はるなは剣を構えると、目を閉じて頭に新垣さんの姿を思い浮かべた。
生田さんには届かないくらいの小声で呟くように呪文を唱えながら、
頭に浮かんだ新垣さんの殺陣の動きを自分自身に重ね合わせていく。

2つの姿が完全に重なり合った瞬間。
はるなは目を見開くと、生田さんへ射抜くような視線を向けた。

「いきます!!」

力強く宣言して、生田さんの元へと一気に迫り、横薙ぎに素早く剣を払う。

想像以上の速攻に、生田さんの余裕の表情が凍り付いた。
慌てて身を引き攻撃を躱すも、はるなの苛烈な追撃は止まらず、
続く二の太刀、三の太刀を手持ちの剣でどうにか受け流すのが精一杯となっていた。

生田さんも、まさかはるながここまで華麗な剣捌きを見せるなんて思ってもみなかったやろな。
そして、これまでずっと新垣さんの演技を見続けてきた生田さんなら、もう気づいてるはずや。
その動きが、新垣さんの殺陣と瓜二つであることに。


はるなが唱えたのは、憑依の魔法。

ただ憑依といっても、実際に誰かを自分の身体に憑依させるということやない。
いや、この魔法を極めればホンマに憑依させることすら可能やという話なんやけど、
もちろんはるなにはそこまで使いこなせる力量はあらへん。

この憑依の魔法は、自分の頭の中に思い浮かべた対象となる相手の動きを、
まるで憑依したかの如くコピーできるという、それだけでも十分に強力な魔法や。

事前に術者が対象となる相手の動きをしっかり記憶に焼き付けておく必要はあるものの、
例えばもしこの魔法を使えば、はるなが鞘師さんのダンスを
完璧に踊りこなすことだって夢じゃないわけや。
ちなみにその歌声までコピーできるかどうかは試したことないんやけど、
道重さんがこの魔法を使って歌唱力が劇的に向上したなんて話は聞かへんかったから、
きっとそこまでは対応してないんやろうなとは思う。

新垣さんの殺陣の動きを前にすれば、きっと生田さんの心も揺れ動くはずや。
しっかりとフタをしてカギをかけたはずの感情を、
新垣さんと剣戟を交えることにより身体で発散してもらうことができれば、
必ず生田さんの気持ちも楽になると、はるなは確信していた。

そのためには、生田さんにもっともっと本気になってもらわなあかん。
余裕から驚愕、焦りと変化していった生田さんの表情は、
今はもう真剣そのもので、全身を躍動させてはるなの猛攻を受け止めていた。

よしこのままいけばきっと……!

なんて思ったのもつかの間。

はるなが更なる攻撃をと大きく踏み込んだ時、
ふくらはぎに電流のように鋭い痛みが走った。

危うく苦痛の声を上げそうになるのをこらえて、どうにか体勢を立て直す。

これだけ強力な魔法だけに、厳しいリスクも当然あるわけで。
自分の身体能力以上の動きを魔法の力で無理やり強いているのやから、
身体に蓄積されるダメージは半端なものやない。
魔力の消費以上に身体的ダメージの影響が大きすぎて、
とてもやないけど長いこと魔法を持続させるのは困難なんや。

悲鳴を上げ始める身体に、そろそろ限界が近いことを嫌でも思い知らされる。
でも、あと少し、生田さんの感情が溢れ出すまであと少しなんや。
はるなの身体よ、もう少しだけ持ちこたえてくれへんか。

腕に、肩に、太腿に、身体全体が軋む。
顔を顰めながらも攻撃の手を緩めることのないはるなやったけど、
駆け抜ける激痛にほんの一瞬動きを止めたのは、一生の不覚やった。

その隙を逃さず、生田さんが一気に間合いを詰める。
次の瞬間、はるなを襲う激しい衝撃。

生田さんの強烈な体当たりにより、はるなの身体は大きく吹き飛ばされ、
レッスンルームの壁面へと思いっきり叩きつけられて崩れ落ちる。

まだや……。
こんなとこでは終わらせられへん……。
立ち上がれ……立ち上がるんや…………。

朦朧とした意識だけがグルグルと頭の中を巡り、
そしてはるなの視界はそのまま暗転した。



崩れ落ちた春水の姿に、衣梨奈がハッと我に返る。

新垣さんの殺陣の動きを掴んだなんて言ってもどうせ高が知れてるだろうと、
内心嘗めてかかっていたことは否定できない。
でも、尾形の動きは新垣さんの殺陣に酷似していた。
動作の端々も、俊敏な身のこなしもその全てが、
えりが舞台で観てきた新垣さんの動きそっくりだった。

これまでえりはひたすらに新垣さんの演技を追い求め、
あの殺陣の動きを目標として頑張ってきた。
なのにどうして、俄かで覚えただけなはずの尾形ごときが
えりなんかよりずっと新垣さんらしい動きができてるんだよ……!!!!

衣梨奈の中に強烈な嫉妬心が沸き起こり、気づいた時には春水を
手加減なしの体当たりで吹き飛ばしていた。

今ので怪我を負わせてしまってないかと青ざめた衣梨奈が、
春水に駆け寄って助け起こそうと動きかけた時。

剣を杖にして、春水がゆっくりと身体を起こす。
良かった、少なくとも大きな怪我はなさそうだと安堵したのもつかの間のこと。

立ち上がる際に春水の左手が壁際に転がっていたもう一本の剣を掴み、
低い体勢で二本の剣を構えてみせた。

まだ殺陣は終わっていないという意思表示。
そしてその構えは……二刀流!?

つい先日新垣さんが出演した舞台では、殺陣で二刀流の剣技を披露していたという。
ただ日程が京都公演と重なっていたため、その姿を生で拝むことはできなかった。
それなのに、なぜ尾形が二刀流を!?
えりでさえ観に行く余裕がなかったのに、尾形が新垣さんの二刀流を目にすることも、
ましてや習得なんてできるはずもないのに。

戸惑いながらも釣られたように剣を構える衣梨奈。
準備が整ったのを確かめた春水はニヤリと笑みを浮かべると、
再び衣梨奈へ猛然と斬りかかっていった。

先ほどの春水の動きから、油断してはいけない相手であることは十分承知のはずだった。
それでも春水の二刀流は、警戒以上の動きで鋭く衣梨奈を攻め立てる。
そして、たとえ舞台での姿は観ていなくても、
それが里沙の二刀流だと衣梨奈は直観的に理解していた。

このままでは一気に押し切られると、とっさの判断で大きく後ろに飛びしざり
どうにか間合いを取り直そうとする。
そうはさせじと追撃を喰らうだろうと覚悟はしていたが、
予想に反して息を合わせたように春水もまた後方に下がり、仕切り直しとなった。


先ほどの尾形の動きも新垣さんらしいと感じたけど、
二刀流になってからの尾形はそれ以上、完全に新垣さんそのものだ。

先ほどとの違いはなんなのか、春水の構えを見ながら考え、そこでようやく気づく。

春水の身体全体を覆う不思議なオーラの存在。
そのオーラを感じ取ろうとすると、春水の姿がどんどん里沙と重なっていく。

新垣さんと尾形は確かに薄くて軽いという共通点はあるけれど、
それ以外、特に身体能力なんて雲泥の差があるというのに。
オーラに気づいてからはもう目の前にいるのが新垣さんにしか見えなくなっている。
これは一体どういうことなんだ……!?

衣梨奈の戸惑いに気づいた春水が、軽く微笑んで構えを緩めた。
それとともに。

『さあ今度は生田の番だよ。生田の全力をあたしに見せてごらん』

それは春水の口から発せられたものではない。
衣梨奈の頭の中に直接響いた、紛れもない里沙の声だった。

『いつまでもイジイジと胸の内に抱え込んで、そんなの生田らしくないでしょうが。
そのモヤモヤを遠慮せずにぶつけてみな。大丈夫、あたしが全部受け止めてあげるから』

えりは今、夢の中にいるんだろうか。
でも……こうなったら夢でも幻でもなんでもいい! 
えりの全てを新垣さんに見てもらうんだ!!

里沙の声に導かれ、ついに衣梨奈の胸の奥に秘められていた感情が一気に溢れ出す。

想いを込めた衣梨奈の剣が、里沙のオーラを纏う春水に襲いかかる。
その一打一打を、丁寧に受け止める春水。

一つ打ち込むごとに、衣梨奈の脳裏に里沙との思い出が浮かび上がり、そして消えていく。


右も左もわからなかったデビュー当時。
新垣さんに惚れるきっかけとなった『リボーン~命のオーディション~』の舞台。
涙々の新垣さんの卒業。
一ファンとして乗り込んだファンクラブバスツアー。
新垣さんと2人で行ったディズニー。
……


とめどなく溢れ出す里沙への熱い想い。いつしか涙を流しながら剣をふるう衣梨奈。
重苦しかった胸の内が、涙とともに軽くなっていく。

『生田の想いってそんなもんなの!? まだまだ足りないでしょ!
次で終わりだというくらいの気持ちで全てを込めて打ち込んできな!!』

里沙からの叱咤を受けて、衣梨奈の目の色が変わる。

「大好き大好き世界一大好き!!!!!!!!!!!!!」

ありったけの想いを乗せた下段からの逆袈裟斬りが、
受け止めようとした春水の左右の剣を華麗に弾き飛ばした。

大きく中空を舞う二本の剣。
流れで上段からの袈裟斬りに移行しようとする衣梨奈。
そして春水は剣を捨て素早く間合いを詰めると……。

衣梨奈の身体を、強く抱き締めた。

『最高の一撃だったよ。成長したね、生田』

温かい里沙の言葉により一気に緊張の解けた衣梨奈が、
剣を取り落とすとそのまま胸にしがみついて号泣する。

『ふふふ、いつまでも子供なんだから。まあそういうところも含めて生田らしいけどね』

「新垣さん……。大好きです」

『うん知ってる。
ずっとずっと、変わらずにあたしのことを想い続けてくれてありがとう。
でもあたしは、あたしにとって一番の存在を見つけちゃったんだ。
だからもう、生田の想いには応えられない。ごめんね』

「はい……。新垣さん……ご結婚…………おめでとうございます…………」

嗚咽交じりながらも、どうにか祝福の言葉を伝えることができた。

『ありがと。生田に祝ってもらえて、本当に嬉しいよ。
生田もさ、これからは自分にとってかけがえのない一番の存在を見つけなさいね。
心配しなくても、案外近くにいるのに気づいてないだけかもしれないよ』

もう言葉を返すこともできずただ泣きじゃくるしかない生田の髪を、優しく撫で付ける。

どれくらいそうしていただろう。
涙もようやく落ち着いてきた衣梨奈に、里沙が惜別の言葉をかけた。

『生田はもっともっと上を目指せる娘だからね。これからの活躍を楽しみにしてるよ。
幸せなひと時を、ありがとう』

そして春水の身体が急に脱力し、そのまま衣梨奈にもたれかかった。

「新垣さん!? ……いや、尾形!? 尾形!!!」



なんやろうこの感覚は。
自分の身体がまるで自分のものでないような、不思議な感覚。
そうか、憑依の魔法なんて使って自分の能力以上の動きをしたから、
きっとこんな風に感じてるんやろな。

……憑依の魔法!?
はるなは今、どうしてるんやろう??


そこでようやく意識を回復したはるなが、慌てて起き上がろうとして、
身体中に走った痛みでうめき声を上げてまた横たわる。

「ああ、ようやく目を覚ましたのね。
いきなり動くと身体に響くから、もう少しそのまま寝てた方がいいよ」

この声は……飯窪さん?
恐る恐る首を傾けて周りを見渡すと、どうやらここは更衣室で、
はるなはソファーに横たわって寝てたようや。

あの時はるなは生田さんの体当たりを受けて気を失い……。
そこでハッと気づく。生田さんは今どこにいるんやろ??

「あの、生田さんは……?」

「生田さんなら、気絶した尾形ちゃんを更衣室に運んでそこに寝かせてから先に帰ったわよ」

読んでいた漫画を閉じて、サラリと飯窪さんが答える。

ああやっぱり。結局生田さんの心を解きほぐすこともできんまま
はるなの計画は道半ばで失敗してもうたんやな……。

落ち込むはるなに、飯窪さんが厳しい声で追い打ちをかける。

「尾形ちゃんも気持ちはわかるけど、もう少し自分の実力を考えなさい。
自分の能力以上のことばかり求めてもいい結果は得られないどころか、
逆効果になることだって十分にあるんだからね」

返す言葉もなく、ただ唇を噛むことしかできないはるな。

「まあ今回は、尾形ちゃんの必死の思いが奇跡を呼んだようだから結果オーライだけど、
いつもいつもそう上手くいくってわけじゃないからね」

奇跡? 一体何のことやろか??

「ああそうそう、生田さんからの伝言ね。
『尾形のおかげで気持ちが吹っ切れた、ありがとう』だって」

これはどういうことや? はるなの計画は失敗したのとちゃうんやろか??

「あとボロボロだった尾形ちゃんの身体は、できる限りの手当をしておいたから。
きっと東京公演までには、元通り動けるようになってるはずよ。
それまでしばらく酷い筋肉痛に悩まされるとは思うけど、
それくらいは今回の代償として受け入れないとね。
じゃあ私もそろそろ帰るから、尾形ちゃんは落ち着くまでもう少し休んでから帰りな」

混乱するはるなを尻目に、飯窪さんは言いたいことを言ってさっさと更衣室を後にした。

飯窪さんの話やと、どうやらはるなの無謀な行動が結果的にいい方向に働いて
奇跡とやらが起こり、生田さんの気持ちも楽になったようやけど、
どうしてそういうことになったのかまったく想像もできひん。
はるなが気絶してる間に一体何が……?

それに……。

飯窪さんは、わざわざ残って色々フォローしてくれてたみたいやけど、
考えすぎかもしれへんけどまるで全部わかってるかのような物言いをしてた気が……。
あと、できる限りの手当って一体何をしてくれたんやろ……??

様々な疑問が頭の中を駆け巡る。
もう少しじっくりと考えてみようと目を閉じたものの、それはすぐに妨げられた。

「はるなちゃん!!」

更衣室に駆け込んできた人物。特徴的なその声は、聞き間違えるはずもあらへん。

「野中氏! どうしてここに!?」

「一度は帰ろうと思ったんだけど、はるなちゃんのことが心配になって
戻ってみたらちょうど飯窪さんとすれ違って。
はるなちゃんが更衣室で休んでるっていうから急いで来てみたんだ」

「そんな心配してくれへんでも大丈夫やのに……アイタタタタ」

返事しながら身体を起こしたものの、きつい筋肉痛に襲われてまたうめき声を上げる。

「ほらそんなに無理しないで」

「いやいや全然大丈夫やから。だから、すまんけどちょっと肩を貸してもらえんやろか」

野中氏に肩を借りながら、ようやく立ち上がる。
うん、慎重に動けば我慢できる程度の痛みでどうにか歩くこともできそうや。

「それにしてもビックリしたよ。
はるなちゃんがいきなり生田さんに殺陣を教わりたいと言い出すなんて」

「うん、はるなも自分でも無謀やったかなと思う」

「だよね。私も思ったもん。『ホワイジャパニーズピーポー!!』って」

「いやそれ使い方間違っとるから」

野中氏の助けもあってはるなもどうにか帰宅することができ、
結果オーライとはいえ生田さんの苦しみも取り除くことができたようやし、
一応めでたしめでたしではあるんやけど、ただ……。

野中氏の登場からのドタバタによって、一度は頭に浮かんだ飯窪さんに対する疑問も、
いつの間にやら忘却の彼方へ消え去ってもうた。

そのことがはるなの未来にどのような影響を与えることになるのか。
今のはるなには、全く想像もつかへん。


(おしまい)

 

続・愛しく苦しいこの夜に  Happy大作戦

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最終更新:2016年07月17日 13:33