ええか!?


どんよりと灰色の雲に覆われ、いつ泣き出してもおかしくない空。
日も暮れる時間だというのに一向に涼しくなる気配もなく、ジメジメと息苦しい大気。

いかにも気が滅入るような気候ではあったが、桃奈はまったく意に介していなかった。
いやそれどころか、他人の目もあるし身体も疲れ果てているため実際にすることはないが、
できることならスキップしながら帰路につきたいくらい、浮かれた気分に満たされていた。

執行魔道士になりたい、という夢を抱いて桃奈が魔道士協会に所属してから早一年。
入会当初はまだまだ未熟で普段からそれほど目立った存在ではなかったが、
先日の魔法競技会でよもやの優勝したことから一気に脚光を浴びることとなり、
その流れでついに執行魔道士昇格と、とある小隊への加入が決定したのだった。

ここだけの話、一番入りたいと思っていた小隊とは別だったものの、
それでも憧れの執行魔道士に自分がなれるというだけで十分すぎるほど大満足で、
今日も小隊への合流準備のため散々しごかれてフラフラとなっていたが、
そのキツささえも執行魔道士になれる喜びで全てプラスに転換できるほどに、
今の桃奈は幸せな感情に包まれていた。

だが。

浮かれた頭とボロボロの身体。
このアンバランスが注意力散漫を誘発していたのだろう。

「うわぁ!!」

スマホを覗き込みながら前から歩いてきたサラリーマンと正面衝突しそうになり、
よろめきながらギリギリのところでどうにか身を躱した桃奈。

一方のサラリーマンは振り向いて謝ることもせず、
まるでぶつかりそうになったことすら気づいていないかのように
そのままの足取りでスマホと睨めっこしながら歩き去っていく。


「何よちょっと危ないじゃないの!」なんて文句を言う度胸も持ち合わせていない桃奈は、
サラリーマンの背中をせいぜい睨みつけることくらいしかできなかった。

あれはきっと今話題のポケモンGOで遊んでいたんだろう。
桃奈にとっても気になるゲームだったが、執行魔道士昇格が決まった現在、
そんなものに気を取られてる暇はないと手を付けずスルーしていた。

ただ実際に外でポケモンGOにハマり込んでいる人々の姿を目にすると、
はっきり言って邪魔に思えることも多々ある。
それでも傍目で眺めている分にはまだいいけど、
こんな風に実害まであるというのはホント勘弁してほしい。

憮然としながらも、気を取り直してさっさと帰ろうと踵を返す。
すると……。

いつからいたのだろうか。そこには見慣れない細面の中年男の姿があった。

ファンキーな服に身を包み、無駄にニヤニヤと口元を緩めている男が、
桃奈の方に向けてスマホをかざしている。

ああこの人もまたポケモンGOをやってるんだな。
ちょうど自分の立ってる辺りにポケモンがいるんだろうか。

内心ウンザリしながら、軽く迂回して男を躱そうとする桃奈。
だが、男のスマホもまた桃奈に照準を合わせるかのようにその後を追っていた。


もしかしてこれって……ポケモンじゃなくてももが狙われてる!?

「これはなかなかのレアもんやな。
まだひよっこもひよっこやけど、今後の進化次第では大きく化けるかもしれんで」

相変わらずニヤつきながら意味不明なことを呟く男。
桃奈の全身に得体のしれない戦慄が走る。

なんだかよくわからないけどこのままだと危険だ、とにかく逃げなきゃ!!

疲れた身体に鞭打って、男に背を向けて桃奈が走り出そうとした矢先。

「おっと、せっかくのレアもんに逃げられちゃかなわんがな」

男のスマホから巨大なボールの立体映像が飛び出し、一直線に桃奈の背中に重なる。
すると、瞬く間に桃奈の身体が取り込まれ、そのまま男のスマホの中に吸い込まれていった。

「ハロメンゲットやで!! ……ってな」

そしてその場には、ニヤついた笑みはそのままに
おどけた様子でスマホ画面を眺める男の姿だけが残された。



「……なんて魔法アプリを開発してみたんやけどな。どうやろ、イケてると思わへんか?」

自慢げにスマホの画面を見せびらかす師匠に、りえは思わず恐怖を覚えた。

実在の魔道士を、否応無しに取り込んでコレクションしてしまうという恐るべきアプリ。
あくまでゲーム内での仮想現実だけの話ならともかく、
実際に取り込まれた魔道士はその後どうなってしまうのだろうか。

取り込まれた側のことなどまったく考慮することもなく、
ただただ楽しげにアプリを披露する姿は明らかに常軌を逸しており、
三大魔道士の一人として常人とはまったくかけ離れた思考の持ち主だと改めて実感する。

「うーん、イケてるかイケてないかと聞かれると、正直イケてないと思います」

そんなつんくに、穏やかな口調ながらきっぱりと異を唱えたのが、さくらだった。

なんと命知らずな、と言葉を失うりえをよそに、
つんくはあっさり否定されても腹を立てることもなく、
より一層楽しそうにニヤついた笑みを見せた。

「ふーん、小田はそない思うんか。何がそんなにイケてないんや?」

「まず実際やってみたらきっとすぐに飽きちゃうんじゃないかなぁ、と思います」

「そないなもんかな。今日試しに街に出て何人かゲットしてみたんやけど、
飽きるどころかなかなか楽しめたで」

「それは最初だけかと。
いくらコレクションしてもその喜びを共有、自慢する相手がいないと、
一人でやってても面白味に欠けるはずですよ」

「なるほどそれも一理あるかもしれんな。
ならこのアプリを全世界にばら撒いたろか。そうすればみんなで楽しむことができるやろ」


こんな危険なアプリが全世界に広まったら一体どうなってしまうのか……。
最悪の想像が思い浮かび背筋も凍るりえだったが、さくらはまた軽々と却下してのけた。

「そのアプリを使うには膨大な魔力が必要じゃないですか。
私やりっちゃんでもまったく無理なくらいですし、
先生の他に使いこなせるような強大な魔道士なんてこの世に何人も存在しませんよ」

「そうなんか。お前ら魔力弱すぎやっちゅーねん。
そないやったらこのアプリを後藤と道重に配ればええやろ。
3人で世界中の魔道士を奪い合って戦わせて、どの陣営が一番になるかを競い合えば、
結構な盛り上がりが期待できるんと違うか」

三大魔道士が全世界の魔道士を奪い合う。
そんなことがもし現実のものとなったら、巻き込まれる立場の世界中の魔道士は
間違いなく大混乱、いや壊滅的な打撃を受けることだろう。

その影響力の大きさに眩暈を覚えるほどのりえに対し、さくらはあくまで冷静だった。

「それも実現性には乏しいと思います。
後藤さんはモンハン派なのでこのアプリには興味を示さないでしょうし、
道重さんはきっとこのアプリを使ったとしても可愛い女の子の収集に熱中して、
まともに競い合うことなんてできそうもないでしょうから」

「うーん、確かにあいつらならそないな反応しそうやな。
なかなかの名案やと思うたんやけど、難しいか」

いかにも大げさなリアクションで残念そうにボヤくつんく。
だがそれだけでは終わらず、さくらが更なる追い打ちをかける。


「そんなこと以上に、このアプリには重大な欠陥があります」

「欠陥やて?」

「そうです。このアプリは今大人気のアプリ、ポケモンGOに瓜二つなんです。
それこそパクりだと言われても仕方のないレベルで」

何を今更。つんくが開発したこの魔法アプリは、
どこをどう見てもポケモンGOを叩き台にしたものに決まってる。
そのことをあえて本人に突き付けなくたっていいものを。

さくらの指摘に唖然とするりえだったが、つんくの反応はさらに意外なものだった。

「なんやて?
せっかくいいもん作れたと思うたのに、誰かにもう先を越されとったんかいな。
そいつはあかんわ。パクり言われんのも二番煎じ扱いされんのもつまらんしな」

わざとらしいまでの驚きを示すつんく。
いつもへらへらと本音を見せないだけにわかりづらいが、
どうやら冗談ではなく本気の反応のようだ。

まさか本当にポケモンGOの存在を知らなかったというのか。
三大魔道士の一人ともあろうつんくが、これほど世間を賑わせているアプリのことを
まったく認識していなかっただなんて到底信じがたいが、
常人離れした存在としてそれはそれでつんくらしいとも思った。

それに、ポケモンGOの存在を知らずにそれとそっくりのアプリを開発したとすれば
それこそとんでもない話で、やはり色んな意味で化け物じみた存在だと、
りえは半ば呆れながら再認識した。


「まあええわ。残念やけどこのアプリはお蔵入りやな。
また新しいのができたら批評よろしく頼むで」

椅子から立ち上がり、飄々と部屋を去っていくつんく。
その背中にさくらが最後の念押しをする。

「そのアプリでゲットした魔道士達は、ちゃんと帰してあげてくださいね」

「おおそうやったな。ちゃんと記憶を消して元通りにしとくわ」

手にしたスマホをひらひらと振って、
気の抜けるような笑い声とともにそしてつんくは姿を消した。


緊張が一気にほどけ、さくらに気づかれないように小さく息を吐く。
何をしでかすかわからない怖さのある師との会話は、やはり精神力を消耗する。

いくらさくらの才能が秀でているとはいえ、弟子の筆頭として妹弟子に負けはしない
という自負はあったが、それでもこれだけは叶わないと白旗を上げるしかない点が一つ。

それが、内心はどうあれつんく相手に平然と会話できるというさくらの特殊技能だった。

今回のことも、さくらが師のアプリにケチをつけたことで
結果的に全世界の魔道士の危機を救ったとも言えるわけで、
ろくに口をはさむこともできなかったりえからすると、ただ脱帽するしかない。

何事もなかったように鼻唄を口ずさみながらスマホを弄るさくらを横目で見つつ、
もしかしてこの娘は自分が思っている以上に大物になるんじゃないかと、
悔しさ交じりながらりえもそのことを素直に認めるしかなかった。


(おしまい)

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最終更新:2016年09月20日 02:42