春 ビューティフル エブリデイ


魔道士というのは、素養がなければなることができない一種の選ばれし者だけに、
その感性も常人離れしている、はっきり言ってしまえば変人が多い。
長年魔道士協会に所属し数多くの魔道士と接してきた生田も、
当然そのことは嫌というほどわかっているつもりだった。
だが、同じ変人にしても色々なタイプがいるものだと、改めて思い知らされることとなる。


その日の業務も一段落し、そろそろ帰宅するかと腰を上げかけた時のこと。
まるでタイミングを見計らったかのように局長室のドアがノックされた。

この時間には特に面会の予定など入ってないことをさっと確認し、
誰だろうととりあえず声をかけて入室を促すと、一人の少女がおずおずと顔を覗かせた。

彼女は……そう、先日執行魔道士として入局したばかりの新人だ。
大人びた容姿に勘違いしがちだが、まだ童女から少女へ変貌を遂げる最中という若さで、
しかもどちらかというと引っ込み思案なところのある彼女が、
わざわざ局長室まで自らの意志で出向くというのはよほど重大なことがあるに違いない。

何があったのかといぶかしげに思いながら、とにかく用件を話すよう促したが。

「あ、あの……」

伏し目がちな瞳で、どうにか声を振り絞ろうとするものの、なかなか次の言葉が出てこない。

仕方がない。こちらからうまく誘導して話を引き出すしかないか。
自分では普通に話しているつもりでも、委縮している少女が相手では
必要以上に怖がらせてしまうことも十分考えられるので気を付けなければ。

たとえ局長相手でも気に入らないことがあればかまわず食って掛かる
石田のような気の強さがあればまた違ってくるのだろうが、無い物ねだりしても仕方ない。
それに執行魔道士がみんな石田のように勝気な性格だったりしたら、
それを統率する立場の俺もかなり大変なことになるだろうしな。

そんな他愛もない想像が頭に浮かび、思考が脱線したことに気付き内心苦笑しながら、
とにかく声をかけようとしたその時、ようやく決意を固めた様子の少女が口を開いた。

「私……すでに覚悟はできています」

覚悟? 一体何のことだ??

「だから、遠慮せず私に命令を下してください」

この娘は一体何を言ってるんだ??

まったく話が見えず困惑した生田が、詳細な説明を求めようとするのを遮るように、
少女――桃奈の口からまったく予想もしていなかった衝撃的な一言が発せられた。

「私に、大魔女道重さゆみさんの元へ生贄として赴くように……と」


桃奈の突拍子もない申し出に対し問い質したいことは山ほどあったが、
生田にはまずやらねばならないことがあった。

「何を馬鹿なことを言ってるんだお前は!!
魔道士協会が大魔女へ生贄を送るなど、そんなことあるわけないだろうが!!」

強い口調で桃奈を一喝する。
これについては真っ先に否定しておかねば、魔道士協会の沽券に関わる。

「自分が大魔女の元に生贄として送られるなどと、
なんでそんな馬鹿げた発想を思いついたんだお前は」

「……先輩方がこっそりと噂話をしているのを盗み聞きしてしまったんです。
今度の新人は大魔女への生贄とする目的で入隊させたんじゃないかって」

魔道士協会が大魔女へ生贄を送っているという、不名誉極まりない噂話。
それが会員の一部に広がっていることは協会も当然把握しており対応策も講じていたが、
まさか俺の直属の部下でそんな噂を信じる愚か者がいたとは……。

情けない思いに襲われた生田ではあったが、具体的に誰がその噂話をしていたか
桃奈から先輩の名前を聞き出したことで、すぐにそうではないことに気づく。

あの3人なら間違いない。噂を信じているのではなく、新人をからかうために
荒唐無稽な内容をわざと噂話として桃奈の耳に入れたに違いない。

「私、この頃ずっと寝る前に天井をボーっと見つめながら考えていました。
執行魔道士に抜擢されたのは涙が出るほど嬉しかったけど、
何もかも未熟な私が執行魔道士なんかになってしまって本当に良かったのか、
実力者揃いの小隊に入隊して足手まといにしかなってないんじゃないか、と。
でも、先輩方の話を聞いてやっとわかったんです。
こんな私が執行魔道士になれた理由は、生贄となるためだったんだ、
私にもできる役目がちゃんとあったんだって」


桃奈を執行魔道士に抜擢し実力のある小隊に加入させたのには、
もちろんれっきとした理由がある。
ちょうど数ヶ月前に別任務に当たらせるため小隊から一人引き抜いておりその人員補充と、
そして何より桃奈の能力、特に将来性を買っていて、
あえて厳しい環境に投じることで成長を促すという意図があってのことだ。

今回の元凶となった3人も、確かに前から人騒がせな連中ではあったが、
ようやくある程度の分別もついてきたと思っていたのだが……。
ストイックの固まりのような3人の同期がもしいればこんな悪戯も実行されなかったはずだが、
彼女が小隊を離れたことで久々に3人のタガが外れて悪ふざけが過ぎたということか。
まああいつらも桃奈が噂話を盗み聞きした直後に局長室に駆け込むという、
思いがけない行動力を発揮したことは完全に想定外のことだろうが。


背景が見えてきたことで、後は桃奈にそのことを話して納得させれば終わりのはずだったが、
それがこんなにも至難だとは生田にとっても想定外だった。

「そんなに気を使って頂かなくて結構ですから。
私はもう覚悟ができてますんで。今すぐ命令を下してください」

先輩にからかわれているだけだという生田の説明を、落ち着いてはいるが
まったく人の意見を受け入れようとしない頑な口調で桃奈が跳ね除ける。

なるほど、一度決断したらまったく周りの言葉が届かなくなるタイプの人間なのか。
入局当初は気付かなかったが、どうにも厄介な性格をしてるな。

手っ取り早く収束させるなら「いい加減にしろ!」と雷を落として追い返し、
さらに元凶となった3人も呼び出してきつく締め上げるのがわかりやすいが、
下手なことをすると小隊に後々まで悪影響を引きずる可能性があるのが悩ましい。

こんな純朴な娘をからかって余計な事態を引き起こした3人組に
恨み言を並べたくもなった生田だったが、このまま手をこまねいてもいられない。

そこで生田は、改めて桃奈の表情を確認する。

陰のある瞳に強い決意が見え隠れして、それがまた大人びた雰囲気を増幅させている。
今でも十分可愛らしくはあるが、年齢が容姿に追い付けばその時には
誰もが目を引く美女として周囲を騒がせることになるだろう。

うん、この娘ならきっと大丈夫だ。少なくとも門前払いを受けることはあるまい。
俺の力不足でまた迷惑をかけてしまうのは心苦しいが、
今回の噂の一端を担っているその責任を取ってもらう意味でも、
ここは一つあの人の力を借りることにしよう。

「わかった。俺がいくら話しても納得しないのなら、大魔女から直接話を聞いてこい。
一つだけ釘を刺しておくが、これは生贄として赴くんじゃないからな。
あくまでお前を納得させるために大魔女と会う機会を作る、というだけのことだ」

「はい! ありがとうございます!!」

恐ろしい噂ばかりが世に広まっている大魔女と会ってこいなどと言われれば、
並の魔道士なら震え上がるのが当然の反応なのに、
ありがとうございますと頭を下げるとはやっぱりおかしな娘だ。

これまでとは一転して喜色を露わにする桃奈に、生田は呆れ交じりに苦笑を浮かべた。



強い日差しが照り付ける田舎道を黙々と歩き続けてきた桃奈は、
木陰で小休止して汗をぬぐうと小さくため息をついた。

このままのペースでいけば、後1時間もかからずM13地区内に入れるはずだ。
大魔女の住まうM13地区までは電車を利用するのが手っ取り早いが、
生田局長はあえて桃奈に徒歩で向かうように指示し、
早朝に出発して数時間、ようやくゴールが見えてくる距離まできた。

生田が徒歩を指示した理由の一つとして、のんびりと田舎道を歩くことで
いい気分転換になり少しは冷静さを取り戻してほしいという期待もあったのだが、
残念ながら桃奈の強い意志はまったく揺らぐ気配もなかった。

なおこれまで歩いてきた道程はまーどぅーの逃走経路と同一なのだが、
当然そのことについては桃奈が知る由もない。
さらに言えば、実のところ桃奈はまーどぅー2人のことを見知っており、
何年も前に公園で戯れる2人のことを遠くから憧れの目で眺めていた時期がある
というのは、まーどぅーの2人はもちろん生田も知る由のない事実であった。


再び歩きだしてしばらくすると、小さな山の連なりの麓にある
歩行者用の古いトンネルが桃奈の視界に飛び込んでくる。
このトンネルを抜ければついにM13地区へとたどり着くことになる。
だが、

『もしも、このトンネルを使ってもM13地区へ到達できなかったら、
それは大魔女に面会を拒絶されたということだ。
その時は資格がなかったと諦めておとなしく帰ってこい』

生田から受けた警句が桃奈の脳裏に蘇る。

到達できないとは一体どういうことだろう?
どうにも意味がよく理解できないが、わからないことを今更悩んでも仕方がない。
桃奈は意を決してトンネルへと足を踏み入れた。


強い日差しから逃れ、ヒンヤリとした空気が桃奈の身体を包む。
トンネルの中は薄暗いが電灯が必要なほどではなく、
目線を上げるとおそらく100mもしない距離に出口の明かりがはっきりと認識できた。

だが、いざ出口に向かって歩きだしていくと、周りが徐々に暗さを深めていき、
いつの間にか桃奈の周囲は漆黒の闇に覆われていた。

遠くに見える出口の明かりはそのままで、どういう仕掛けが施されているのか
一歩踏み出すごとに足元がほんのりと光を放つため、
闇に埋もれて立ち往生する危険性はなさそうだが、
自然ならざる力が働いているのは疑う余地もない。

これは大魔女の結界だろうか。
私は大魔女に拒まれているのだろうか。

そのような不安に襲われてもおかしくない状況ではあったが、
桃奈にはまったくもって迷いがなかった。

自分は必ず道重さんに会える。会わなきゃいけないんだ。

胸の奥から湧き出てくる何の根拠もない強い想いに突き動かされるように、
出口の明かり目指して一歩一歩着実に歩き続けていった。

まったく出口に近づく気配もないままただひたすらに歩き続け
時間の感覚も失われた頃、突如出口の明かりに変化が生じた。
思わず足を止めた桃奈の前で、それは徐々に形を変えていき人型を象る。
そして気づけば、幼さと妖艶さの同居したような美女が桃奈に微笑みかけていた。

「こんにちは。これまでずっと歩きっぱなしで疲れたでしょう」

ついに対面を果たしたさゆみの前で、桃奈は凍り付いたように動かなくなった。


驚いたような表情でさゆみの顔を凝視したまま
声も出せない少女を前に、さゆみは思わず苦笑する。

このトンネルには魔法をかけており、通り抜ける最中に少しでも不安や後悔など
ネガティブな感情が心を支配した時には、すぐ入口に戻されてしまう仕様となっていた。
それを容易くクリアしたのだから、相当に胆力のある娘だと思ったのだけど……。

「どうしたの? 実際にさゆみの姿を目にして、震え上がっちゃったのかな?」

さゆみの声に夢から覚めたようになった桃奈が、顔を赤らめて俯く。

「ごめんなさい、あまりの美しさに釘付けになってしまいました」

「あらありがとう。よく知ってるけど、そう言ってもらえるのは嬉しいな」

その恥ずかしげな反応からも、決してお世辞というわけでもなさそう。
怖気づいた様子がまったくないというのはなかなかやるけど、
思ったことがそのまま口に出てしまうのは見た目よりずっと子供なんだろう。


さゆみの生贄になると勘違いしてさゆみに会いたがってる部下がいるので
直接会ってその誤解を晴らしてやってくれないかと、事前に生田より要請を受けていたが、
さゆみは唯々諾々と従うつもりなど毛頭なかった。

さゆみがわざわざ桃奈に会おうと思った理由はただの暇潰し、
せいぜい弄り倒して楽しませてもらおうかという程度の軽い気持ちからだった。
今さゆみの元にいる娘達とはまた違うタイプの美少女だという、
生田が最後に付け加えた一言に興味を動かされたこともまあ否定はできないが。


さゆみが改めて桃奈の様子を観察する。

整った肢体と愁いのある表情で年齢以上に大人びて見える。
うん、生田の言葉通り、確かにこれまでの娘達とは違うタイプの美少女だ。
どちらかと言えばふくちゃんに近いかな。

「それで、あなたがさゆみの生贄になりたいんだって?」

「はい」

「生贄って一体どんなことされるのか、わかって言ってるの?」

暇潰しの弄りとして、まずはちょっと怖がらせてみようか。

「わかりません」

「ふーん。じゃあ一から全部聞かせてあげようか。
さゆみの生贄となったらどんなことをされちゃうのか」

「いえ、必要ありません」

「そうなの? 
あんなことやこんなこと、色々さゆみにとって楽しいことばっかりなんだけどな」

軽く意地悪そうな笑みを浮かべるさゆみ。
だが、桃奈の返事はさゆみの予想の斜め上だった。


「生贄としてたとえ何をされても全て受け入れる覚悟はできてますから、
どんなことをされるかなんて、別に聞く必要もないです」

「あら、そうなんだ」

なるほどこれはなかなか手強い相手かも。
生田が匙を投げてさゆみのところに押し付けたくなるのもわかるかな。

そんなに頑なに生贄になりたいと言われると、
天邪鬼なさゆみとしてはそれを拒みたくなってくる。

「うーん、残念だけどあなたじゃさゆみの生贄は無理かな。
あなたも確かに可愛いんだけど、さゆみのタイプとはちょっと違うんだよね」

「そんな! それじゃ困ります!!」

さゆみの前で初めて焦った様子を見せる桃奈。

「困るって何が困るのよ。生贄にならずに済んでよかったじゃない」

「私が生贄にならなくても、替わりに誰か他の人が生贄になるだけですから。
そのことの罪意識で幸せになれないと思うからです」

へー、そんな考え方をするだなんて、なんて面白い思考をしてるんだろう。
一体過去に何かあったのか気になってしまうくらいに。


でも……。
なんだろうこの違和感は。
あまりに頑なすぎるこの反応。

目を細めたさゆみがジッと桃奈の顔を見据える。
桃奈も目をそらさず、2人の視線がぶつかり合う。

そして流れる沈黙。

不意にさゆみが、視線を和らげ微笑んだ。

「なるほどね。
それで、あなたはさゆみにどんな用があるというの?
自分が生贄になってもいいなんて、そこまで思い詰めてまでも
さゆみに会いたいというのだから、よっぽどのことだと思うんだけど」

さゆみの指摘に反応して、桃奈は大きく肩を震わせ、
さらに顔面全体が先ほどの比ではないほどに紅潮していく。

なんかおかしいと思ったら、やっぱりそういうことだったのか。
「生贄になりたい」じゃなくて、「生贄を口実にしてでもさゆみに会いたい」が、
頑ななまでの行動力の源だったわけね。

「せっかくこうして会えたんだから、なんでも遠慮せずに言ってみなよ。
さゆみに聞きたいこととか相談したいこととか何かあるんでしょ?」

ようやく桃奈を動揺させることができて内心してやったりのさゆみだったが、
桃奈の次の一言でさゆみはまさかの壮大なドンデンガエシを食らい、
逆に大きく動揺させられることとなった。


「道重さんは、ご存知でしょうか……」

桃奈の、大きくはないが強い意志の秘められた声がトンネル内に木霊する。

「かめいえりさんのことを」

えり…………!?
そんな、なんでこの娘がえりのことを!?

桃奈の口からこぼれ出たまったく想像もしなかった名前に、
さゆみの余裕の笑みが瞬く間に凍り付く。
そんなさゆみの動揺を肯定と見て取った桃奈が、初めて嬉しそうな笑みを浮かべた。

「やっぱりご存じなんですね、道重さんは」

さゆみがフリーズした思考を回復させるまで、ほんの数秒間。
2人にはその数秒間の沈黙が永遠にも感じられた。

「……うん、良く知ってるよ。そういうあなたはなんでえりのことを知ってるわけ?」

本来あり得ないこととはいえ、目の前にいるこの娘が
えりの名前を口にしたことは紛れもない事実。
とにかく一度気持ちを落ち着けて、まずはこの娘の話を聞いてみよう。


「かめいさんの名前は、我が家に代々語り継がれているんです」

「えりの名前が?」

「はい。かめいさんは私の遠い祖先の窮状を救ってくださった、命の恩人なんです」

えりが人助けねぇ。
さゆみよりもずっとズボラで面倒臭がりなえりが人助けとはあまりピンとこないけど、
目の前で困ってる人がいたら見過ごしにはできない性格を考えれば、
実際にそういうことがあってもおかしくはない気もする。

「私は小さいころからずっと祖父母や両親よりかめいさんの話を聞き続けて、
かめいさんのように私もなりたいといつしか憧れを抱くようになりました。
私が魔道士になろうと心に決めたのも、かめいさんの存在があったからなんです」

えりに憧れを抱く少女。
そんな娘がまさか存在しているとは、世の中わからないものね。
えりがそのことを聞いたら一体どんな顔をするのかな。

「我が家に残っていた伝承の中で、意味のよくわからない不思議な一文があったんです。
それが『さゅぇりは永久不滅』というものでした」

さゆえり……。
懐かしいその呼称。


「これが何を意味するものか、誰も理解できないままに伝えられていたのですが、
ずっとこの言葉を暗唱し続けてきた私は、ある時ふと気づいてしまったんです。
この『さゆ』というのは道重さゆみさんのことで、
道重さんはかめいさんのことをよくご存じなんじゃないか、
2人には深い繋がりがあるんじゃないか、と」

桃奈の口調が、徐々に熱を帯びてくる。

「この推測が正しいかどうか、道重さん本人に確かめてみたい。
もし本当にそうなら、道重さんから憧れのかめいさんのお話を色々伺ってみたい。
そんな欲求にかられたのですが、偉大なる三大魔道士の道重さんとお会いできる機会なんて、
凡庸な駆け出し魔道士の私に作れるはずもありません。
そんな時でした。私が道重さんの生贄として選出されるのではないか、
という噂話を先輩方より耳にしたのは」

なるほど、そういう流れなのね。ようやく話が見えてきた。

「生贄の話を聞いた私は、矢も楯もたまらず生田局長の元へ駆け込みました。
これで道重さんの元へ会いに行ける。推測の真偽を確かめられる。
そしてもし道重さんから直接かめいさんのお話を伺うことができたなら、
後はもう生贄として何をされても、この身の全てを捧げても構わないと、
そう心に誓ったんです」

世の中長く生きていると、本当に色々なことがあるものだ。
これも何かの縁というやつなのかな。

「あなたの推測通り、さゆみはえりのことをよく知ってる。
だからえりの話を聞かせてあげてもいいんだけど、
でもその前にあなたの家に残るえりの伝承というのを、詳しく教えてくれない?」

「はい! 伝えられてるかめいさんの話は、一字一句違えず暗唱できるくらいに
私の頭の中に収められていますから!!」


喜々として桃奈が、えりの伝承を語り始める。

伝承の中には明らかに他人のエピソードが混入されていると
さゆみにはすぐにわかるものもあったが、
そのほとんどがあの日のえりの姿を活き活きと浮かび上がらせていた。
飛び抜けてズボラで、よく突拍子もない言動をして、でもいざという時には
誰よりも相手を思いやり、いつも楽しそうにヘラヘラと笑っているあの姿。

いつしかさゆみの心もあの日へと飛び、
桃奈が全て語り終えてもしばらく2人は緩やかな余韻に浸っていた。

「ありがとう。久しぶりに懐かしい記憶が蘇ってきたよ。
お礼にさゆみからも、えりとの思い出話をほんの少しだけ聞かせてあげる。
でもこの話は、他の誰にも教えちゃダメだからね。
さゆみとあなただけの大切な思い出として胸の中に収めておくこと。約束だよ。
あなたはまだ思い出の中で生きるような年齢じゃないんだし、
この話を聞いたらまた執行魔道士としての自分の生活に戻りなさい。
生贄? ああもうさっきの話でそれ以上のものをもらったから心配しないでいいよ。
まあ元から生贄になんてなってもらう気はなかったけどさ」

そしてさゆみが紡ぎ出す、えりとの遠い思い出。
共に過ごした、麗らかな春の素晴らしき日々。
さゆみにも、そして目を輝かせてさゆみの話に聞き入る桃奈にもはっきりと、
思い出の中で尊い光を放つさゆえりの姿が映し出されていた。



『今回の件は本当にありがとうございました。
桃奈も帰ってきてからすっかり見違えて……というほど見た目には変わらないものの、
道重さんのおかげで気持ちがすっきり晴れわたったようで
表情も立ち振る舞いも若干明るくなったように思えます。
道重さんと会って一体どういう話をしたのかについては、
約束したからと言ってまったく教えてはくれませんでしたが』

パソコンの画面に映し出された初老の男が頭を下げる。
それに対してさゆみが不機嫌そうな声を上げた。

「あんたもいい大人なんだからさ、自分のところの不始末を
さゆみの元に押し付けてくるのはいい加減に勘弁してよね。
なんかこの頃さゆみのことをいいように使ってやろうとか思ってない?
どうせ可愛い娘がいるからと言えば、さゆみが喜んで話に乗るとでも思ってるんでしょ」

いやいや滅相もないと慌てて否定する生田の目がわかりやすく笑っており、
さらに付け加えた一言が決定的だった。

『でも、事前にお伝えした通りなかなかの美少女だったでしょう?』

まあ否定はしないけどと思わず苦笑してしまった時点で、今回はさゆみの負けだった。
あの頭の固い生田も、年を重ねたせいかなかなか老獪になったものだ。


「でも今回はすんなり帰してあげたからいいけどさ、
もしさゆみが本当にあの娘のことを気に入っちゃって、
生贄じゃないにしろそのまま連れ帰ったりしたらどうするつもりだったのよ」

『もちろんその可能性も考えました。
桃奈は道重さんの好みにズバリはハマっていないというのが俺の見立てだったので、
おそらく大丈夫だとは思っていたのですが、
万が一も十分あるという意味では一種の賭けでしたね。
もしもの場合は道重さんに桃奈のことをみっちりと鍛え上げてもらおうと、
内心で腹はくくっていましたが』

「賭けねぇ……。
そんなこと言ったらさゆみの方もかなり危ない橋を渡ってたんだからね。
これから先、えりが本編でどう話に絡んでくるかまったくわからないのに、
あの娘が亀ヲタだからという理由でえりのネタをメインに組み込むなんて、
なんでそんな危なっかしい話にさゆみが巻き込まれなきゃいけないのよ」

生田には理解不能なさゆみの愚痴だったが、変に口を挟まず黙って頭を下げておく方が
ここは安全だと、とっさに判断できるだけの世間知は持ち合わせていた。


「まあ今回のことはさゆみも懐かしい話ができたから大目に見るけどさ。
とにかくこんなことはもうこれっきりだからね。
それにそっちで広まってる生贄の噂もいい加減どうにかしなさいよ。
巻き添えを食ったさゆみはいい迷惑してるんだから」

『はい、わかってます。
協会としても噂の鎮静化にようやく本腰を入れ始めたところですし、
今回の発端となった悪ガキ3人にも、桃奈が無事戻ってきたところで
コッテリと絞り上げるためこの後呼び出しをかけてますから』

「ふーん。威厳の足りないあんたが叱りつけたところで、どこまで効果があることやら」

半信半疑のさゆみだったが、ふと何かを思いついたようにニヤリと笑みを浮かべた。

「じゃあさ、その3人にこう伝えておいてくれない?
『大魔女道重さゆみとは本来、その名を口にするのも憚られる禁忌の存在であり、
それをからかいのネタに使うなど、どのような災いが振りかかってもおかしくはない。
お前らは大変なことを仕出かしたのだから、今から相応の覚悟をしておくように』ってね」

『はい、伝えるのは構いませんが……。一体何をなさろうと?』

「あんたの説教だけじゃちゃんと改心するか怪しいものだから、
さゆみもちょっと手伝ってあげようと思ってね」

『手伝い……ですか。
あの、あいつらも悪戯好きとはいえ前途ある奴らですので、
できればあまりやりすぎないようにして頂ければありがたいのですが……』

一体何をやらかそうというのか不安になった生田が恐る恐るお願いするが、
さゆみの返答はあっけらかんとしたものだった。


「まあ多分大丈夫でしょ。せいぜい何日間か使い物にならなくなるくらいで
廃人までは追い込まれないんじゃないかな。
さゆみが直接手を下すわけじゃないから絶対の保証はできないけどね」

慌てた生田が制止しようとするのを無視し「それじゃ後はよろしく」と言い捨て、
さゆみがあっさりとパソコンの通信を切る。

そしてすぐさま別の相手に通信を繋ぐと、
パソコンからは待ち侘びたような楽しげな声が響いた。

『あら久しぶり、わざわざさゆちゃんから連絡をくれるなんて珍しいじゃない』

「ご無沙汰してます。実は保田さんにお願いしたいことがあって、
ちょうどいい暇つぶしにもなるんじゃないかと思って連絡したんですけど」

『嬉しいこと言ってくれるじゃないの。この頃はずっと出番もないし
暇を持て余しすぎて死にそうになってたところだったのよ。
それで一体あたしは何をすればいいってわけ?』

「実は3人ほど、夢の中に入り込んで脅かしてほしい相手がいるんです」

『なるほど、それは確かにあたしの出番ってやつね。
まずは脅かす相手のこととか詳しく経緯を聞かせてもらえるかしら。
グフフフ、どんな風に怖がらせてやるか、今から腕が鳴るわね……』


(おしまい)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年09月20日 02:56