本編32 『大魔女の森』

 

空が白んできた。
もう日の出までも遠くは無く、月は姿を潜め雲の稜線が濃くなっている。
それが眼下にあるという異様な光景。
だけどそれ以上の異様な光景が、亜佑美の頭上には広がっていた。

ずっと首を真上に向け、見守ることしか出来なかった地上の様子。
聖がつんくの魔法の射線に入った時は息が止まるかと思った。

聖が助かり、さゆみと合流した。
その次の瞬間地上から爆発的に伸び上がった植物達は、瞬く間に城の残骸を飲み込み
島を覆って大森林を作りあげた。
あまりにも巨大なその樹々の梢は、遥か天にいるはずだった亜佑美たちのすぐ側まで伸び上がり
青白い空の光を微かに受けて柔らかい緑を投げかけて来る。

つんくがそうであるように、さゆみもまた途轍もない魔道士なのだと
ただそう思うことしか出来なかった。
こんな二人の戦いの場所に来て、自分は一体何をするつもりだったのか。

「亜佑美ちゃん、立てる?」

恐怖にへたりこんだままだった亜佑美に里保が声を掛けた。
言われて、亜佑美は自分が幾分落ち着いていることに気付き、一つ肯く。

その時見返した里保の表情が亜佑美を驚かせた。
決然とした、戦士然とした顔をしている。
大魔道士の魔法によって戦いのステージから強制的に退場させられた。
里保も亜佑美も、その立場は全く同じはずなのに。


亜佑美は立ち上がり、少し首を回した。
ずっと真上を見ていたから首が痛い。
だけど上を見ていないと、それはそれで目が回るような気がした。

亜佑美が立ち上がったのを確認して里保が小さく笑う。
それから衣梨奈に声を掛けた。

「えりぽん、飛べる?」

里保は先程も似たような質問をしていた。
上下が逆さまになったことで、感覚が滅茶苦茶に狂ってしまっている。
魔法なんか、使えるはずが無い。
だけど、衣梨奈の返答は亜佑美が予想していた物とは違っていた。

「うん、たぶん」

その言葉に驚いたのは亜佑美だけでは無かった。
遥も春菜も、驚き衣梨奈に視線を寄せる。

衣梨奈は小さく笑った。

「だいぶ慣れて来たけん」

呆気にとられる亜佑美の側で、里保が肯いた。

「うちも、慣れて来た。多分飛べる」

わけが分からなかった。
仮にこの状況に慣れて、飛べるとして、だから何だと言うのか。
成す術も無く『逆さま』にされて空に落された。
そんな相手に、『逆さま』のままもう一度立ち向かおうとでも言うのか。


「ウチ勘違いしてたみたい。道重さんはこれを狙ってたんだね」

里保はそう言ってみんなに示すようにもう一度地上を見上げた。
島を覆い尽くした大森林。
そこにはもはや欠片もつんくの魔力は残っていない。
島の全てが”大魔女”道重さゆみの領域になった。
これまでの圧倒的に不利な環境が、一気に逆転している。

「これを準備するために道重さんは時間を使った。
つまり道重さんはさっきの数分、回復はしてない」

「やね。いくら地の利が出来ても道重さんがへろへろなんは変わらん。助けんと」

里保と衣梨奈の中では既に了解が出来ているらしかった。
確かにこの状況を作り上げる為に魔力を使い、その為に時間稼ぎをさせたのだとすれば
さゆみはまだ深いダメージを負っていることに変わりはない。
つんくの方は地の利を奪われたとはいってもまだ、余力があるだろう。

亜佑美は今一度、地上を見上げた。
もう森に隠されて、さゆみもつんくも、聖も香音もさくらもどこにいるのか分からない。

「でも、こんな状況で…」

亜佑美は思わず衣梨奈と里保の会話に割り込んだ。
さゆみがまだ危険なのは分かる。聖も香音も。
だけど、無茶としか思えなかった。

「うちらに出来ることなんかあるんですか…」

文字通り、二人の大魔道士は自分たちとは次元が違う。
言ってしまってから、亜佑美は情けなさに俯いた。
大魔道士に怖気づくのは今日何度目か。だけど気の持ちようだけでは埋められない差が
そこには確かにあるのだ。


「あるよ」

里保の声にパッと顔を上げる。
その声は穏やかで、強がりにも聞こえない。
どうして、里保と自分がこんなにも違うのだろう。

「はっきり言って、うちにはそれが何なのか全然分かんないけどね」

里保はそう付け足して少し照れたように笑った。

「来るときさ、うち亜佑美ちゃんに偉そうなこと言ったよね」

「いえ…」

「うちも結局西の大魔道士には手も足も出なかった。
もう死ぬんだって何度も思った。思ったんだけど生きてた。道重さんがいたから」

衣梨奈が嬉しそうに笑う。
遥も春菜も優樹も、里保の言葉にじっと耳を傾けていた。

「道重さんに言われた。『一緒に戦って欲しい』って。
ふふ、それでね、なんかそれだけで、もうダメだって思ってたのなんて全部吹っ飛んじゃった。
道重さんが言うんだから、ウチにも出来ることがあるんだって、戦えるんだって思った。
我ながら単純だなって思うけどさ」

そこで初めて、亜佑美は里保が自分とまるで違う精神状態にいる理由を知った。
さゆみに頼られた。
大好きな人、絶対的な人からのたったの一言が、里保を変えたのだ。

「そんなん初めてのことやけんね。
えり達にも、ほら」

衣梨奈が嬉しそうに付け足し、指さす。
そこには遥か地上から伸び上がってきた大樹の枝。
亜佑美たちの固まっている岩のすぐ側まで来て、まるでステージに上る階段のように
逆さ向きの枝を順に張り出していた。
一度ステージから退場させられた子供たちを、再び舞台の上にエスコートするように。


「行かなきゃ。道重さんを助けなきゃ」

里保の呟きに衣梨奈が肯く。

それから里保は亜佑美に向け、柔らかい笑みを浮かべた。

「亜佑美ちゃん、一緒に戦ってくれる?」

亜佑美は、里保の言葉に、カッと身体が熱くなるのを感じた。
思えば道重邸を出るとき、里保は亜佑美を置いていこうとした。
自分が激昂してしまったのは
どこかで里保との差を痛感していたからだ。
もちろん経験値の差は大きい。
だけど、隣に並ぶ資格も無いと烙印を押された気がして、堪らなく嫌だった。

今里保がかけた言葉は、魔法のようにそんな亜佑美のモヤモヤを吹き飛ばした。
里保が単純だというのなら、亜佑美だってかなり単純だ。

さっきまであれだけ怖気づいていたのに、たった一言で
戦える気がしてきているんだから。

「ずるいですよ。鞘師さん」

「え?」

里保が戸惑いの声をあげる。
だけど次の亜佑美の言葉に、里保は満面の笑みになった。

「上司なんだから、命令してください」

「わかった。亜佑美ちゃん、一緒に戦おう!」

「はい!」

春菜と遥は、それも命令じゃないと思ったけれどそっと心に仕舞っておいた。


「優樹ちゃんとどぅーとはるなんも、一緒に戦ってくれる?」

「もちろんです」

6人は意思を確かめ合い、再び森を見上げた。

「よし、行こうか」

衣梨奈が告げて、木に飛び移ろうとした時、慌てて春菜が声を出した。

「待ってください!」

視線が春菜に集まる。
まさかここに来て引き止めるつもりでも無いだろうに、一体なんだろうと。

「折角道重さんが、『私たちに有利な環境』を作ったくれましたが
一つ失われたものがあると思いませんか?」

久々に喋った春菜は少し緊張しているようにみえ
亜佑美にはそれが何だか可笑しかった。

「というと?」

「視界です。さっき鞘師さんが言ってたように、近づくのが危険ならば
基本的には離れて戦う戦法になりますよね?」

「うん」

「だけど相手の姿も、道重さんや譜久村さんたちの姿も見えない状況では
上手く狙えなかったり、誤爆の恐れも出てきてある意味戦いにくいと思うんです」

「確かに。それではるなんはどうするのがいいと?」

衣梨奈の問いに、黒猫は小さな胸を張った。


「私の魔法を、みんなに分けます。
少しじっとしてて下さい」

春菜が魔力を込め、里保と衣梨奈と優樹と遥、そして亜佑美の身体が淡い光に包まれる。
その光は5人の目に集まり、消えた。

「どうですか?」

何がどうなのか分からなかった亜佑美は、里保や衣梨奈達にならって森を見上げた。
すると、深い森の奥に、確かに見えている。
大魔道士つんくの姿、そしてさゆみ、聖、香音、さくらの姿が。

「凄い…」

「これで相手がどこにいても問題ありません。
道重さんの『森』とあわせて、かなりの好条件で戦えるはずです」

なるほど。春菜の魔法については亜佑美も、里保たちさえよくは知らなかった。
だけどこれほど有用な補助魔法を、一度に5人に分け与えることが出来る魔道士。
心強いことこの上ない。

「なるほど、はるなんはいつもこれで覗きしとったっちゃね」

衣梨奈の言葉に、笑いが起こる。

「そ、その話は今はとりあえず置いておきましょう。さ、行きますよ!」

春菜の言葉に、みな今一度気を引きしめなおし
『逆さま』のまま、さゆみの伸ばしてくれた階段を駆けあがった。

 

 

 


さくらは自分でも驚くくらい冷静に、じっと戦況を見守っていた。
聖や香音とは何かしら話したいこともある。
だけど戦いの最中、世間話をしているわけにもいかないことはお互いに感じていたのだろう。
チラチラと視線を送り合うにとどまっていた。
衣梨奈達とも、聖と香音ともキチンと話をするのは、勝負の決着がつくまでお預け。

さくらは一瞬にして生み出された大森林を一度見回し
それから視線をさゆみに向けた。

相変わらず立ち上がることもままならず蹲っている。
回復するどころか、これだけの魔力を放出したのだから当然。
だがさゆみの表情には、どこか余裕さえ感じさせる笑みが戻っていた。

あまりにも途轍もない魔法で、一瞬思考が停止したのは事実だが
師と大魔女の戦いということに目を向け直した時、この森を生み出した意味がよくわからない。

確かに師の魔力が城の残骸に残っている状況では
それを利用した伏兵に常に備えている必要があった。
その可能性を消したことは大きいだろう。

だけどこんな、島中を覆う森を生み出してしまう必要が本当にあったのだろうか。
多分この森には、師に直接攻撃を加えるだけの力が無い。
多少の足止め、それに目眩まし。
長い年月をかけて作ったものならばともかく、この森は大魔女の魔力と血だけを吸って一瞬で生み出されたものなのだ。

おそらく大魔女にとって感覚器官としての役割も持っているだろうから
師の動き、攻撃には今まで以上に対応もしやすいだろう。
しかし、それに構わず師が再び「黒い蛇の魔法」を放ったらどうするのだろう。


さくらは何となく、師が再びあの魔法を使うことは無いと考えていた。
聖から射線を逸らせた。きっと聖たちを巻き込んでまで勝ちにいくことはしないつもりなのだと。
どうして師がそんなルールを設けたのかは分からないけれど、気まぐれな師でも
いちどそう決めたことを戦いの中で覆すことはないと思える。

でも道重さゆみも同じ認識をしているはずはない。
そんな楽観的な思考では到底師に勝つことは不可能だ。
さっき魔法を逸らしたのは、圧倒的有利な状況でわざわざ目的である被験体を失うこともない、
そういう判断だと考えて、再び撃たれることに対して何らかの対策を用意している。そのはずだ。

さゆみの目的が二人を取り返すことである以上、どうしたって師とさゆみでは聖と香音の存在の重さは違う。
何の備えもせず、再び「黒い蛇」を放たれ、身を挺して二人を庇うことになれば
もう師の勝ちは揺るがないし、二人を守り切れず失ったとしてもそれは師の「勝ち」を意味するだろう。

さくらはそこでふと考えた。
もし自分の予想に反して、師がその魔法を使ったら自分は死ぬ。
師は別に自分を巻き込むことには頓着しないだろうし、さゆみにも自分まで守る理由は無いから。

何故か笑いがこみ上げてきた。

今は魔力が無い。
二人の戦いになんらの手出しも出来ないただの傍観者。
だからこそ今さくらは自分が何者でもないと感じていた。

道の端に転がる石ころのようなもの。

そんな何の力も無い自分が、大魔道士の戦いを見て
自分ならどう戦うか、西の大魔道士の魔法にどう対処するか、大魔女の魔法をどう切り返すかを考えている。
それが凄く滑稽で、笑える。


師は今の自分にいったいどういう評価を下しているのだろう。
衣梨奈に負けたことはともかく、今この瞬間、先生では無く大魔女の側にいることを。
魔力が無くても師の為に出来ることがあるだろうか。その勝利の為に。
それを考えようともせず、傍観している自分はやはり落第なのだろうか。

さくらは何となく、自分が「考えようともしない」理由に気付いていた。

この戦いの決着が自分にとって何を意味するのか分からない。
何かを得るのか、何かを失うのか。
師が勝った場合。大魔女が勝った場合。

ただその時、「何者でもない自分」が「何者か」になるのだと思った。
その時に生まれる小田さくらを想像することはまだ上手く出来ない。
だけどもし、師が勝った場合、その時のさくらには許されないことがある。
聖と、香音と、そして衣梨奈や里保と改めて語り、気持ちを伝え合うこと。
”大魔女”が敗れた後では、それは決して叶わない。

さくらは決して積極的にでは無いながら、心のどこかで大魔女の勝利を願っている自分に気付いていた。
それはもう、純然たる師への裏切りであると分かっていながら。

つんくに対して恩義も敬意も勿論ある。
だけど衣梨奈達ともう一度話したいというエゴの為だけに、自分の心は師を裏切っていたのだ。

きっとその心はたちどころに師にも読まれることだろう。
自分が「何者か」になった時、その時は師に見限られる時。そんな予感がしてならなかった。


「黒い蛇」の追撃は無い。
さくらの予想通りかどうかは分からないが、師はまだその魔法を選ばず
今の消耗しているさゆみと接近戦で決着をつける為に森を進んでいるらしかった。

さて、大魔女は一体どう戦うつもりなのだろうか。

その時ふと背後に気配を感じた。
驚いて振り返ると同時に、声が届く。

「さくら…?道重、さん…
一体どうなってるの、この森」

「りっちゃん…?」

そこには、魔法を返され石に閉じ込められていたりえの姿があった。
さゆみはその接近に気付かなかったのだろうか。
いや、そんなはずは無い。
この森はさゆみの感覚器官でもあるはずだから。

りえの声を聞いても、さゆみは振り返ることはしなかった。

りえはうずくまるさゆみの背中、そしてさくらと側にいる聖、香音に視線を彷徨わせ
硬い表情の中に戸惑いを隠しきれないでいる。
見ていたさくらでさえ、ついていくのがやっとという戦いだから無理もない。


「りっちゃん、もう抜けられたんだ。流石だね」

さゆみは振り返らず、僅かに笑みを浮かべて言い放った。
りえがまた表情を強張らせ、ちらりとさくらの方を見る。

「さくらも、負けたんですね」

「私じゃないけどね。
どうするりっちゃん?今の私ならりっちゃんでも頑張れば勝てるかもしれないよ。
君の先生も迫って来てるしね」

さくらから見ても、さゆみの不敵な笑みが空恐ろしかった。
さくらは戦えないとしても、師とりえの挟撃という状況でそれほど余裕を見せられるものだろうか。
りえと一度戦っているならば尚更、侮れない魔道士であることは知っているはず。

だけどりえは一度眉根を寄せ険しい顔を作った後
ふと力を抜いて首を振った。

「残念ですが、『自分の魔法』から抜け出すために殆どの魔力を使ってしまって
もう一度あなたと戦うことは出来そうもありません」

「そう?」

そこでさくらは漸くさゆみがりえに対処しようとしない理由を悟った。
魔力を失って、どうやら自分は他の魔道士の魔力に対してもかなり鈍感になっているらしい。
りえがもう戦えるだけの魔力を残していないこと、それがさゆみには分かっていたのだ。

「全部終わってからにならなかったのは不幸中の幸いです。
私も、さくらと一緒に見守らせてもらいます。あなたと、先生の決着を」

「そっか。じゃありっちゃんも見てて。
君の先生と、私たちの決着を」

さゆみがそう告げた時、視界の先、折り重なる木々の枝の遥か向こうに
つんくの姿が見えた。


黒い鎌で辺りの枝を薙ぎ払いながら一歩一歩近づいてくる姿はなるほど
さくらをしても恐ろしい威圧感に満ちていた。

さあ、決着の時。
未だ立ち上がる気配が無いさゆみが、一体どう戦おうというのか。

さくらが一つ息を呑む。
ふいに、また予想だにしていなかったことが起こった。

つんくの頭上に、突如として現れた火球。
巨大な火球が師に降り注ぎ爆散したのだ。
微かな視界の中で、師が直撃を避け木の枝に飛び移った姿が見えた。

続いて降り注ぐ氷の刃。
つんくには届いていない。
だけど、さゆみに辿り着く前に別の相手に対処する必要に迫られていた。

「あんたも弟子を取ってる癖に、知らなかったの?
子供の適応力はいつも私たちオトナの想像を超えるのよ」

さゆみが呟く。
それがつんくの愚痴に対する返答だと、さくらには何となく分かった。

 

 


その森は、里保たちにとって間違いなく「戦いやすい場所」だった。
足場が欲しいと思えば枝が張り出し、死角が欲しいと思えば木の葉が覆う。
さゆみが、全ての木の幹と枝と葉を戦況に合わせて仔細にコントロールしてるのだと思えば
その凄まじい魔力に呆れるばかりだが、今はそれが頼もしかった。
さゆみと一緒に戦っている。そう思えた。

だけど状況は楽観出来るものではない。
里保と亜佑美が遠隔からつんくへの攻撃を試みる。
それらの攻撃を、つんくはいとも容易く躱してみせた。

つんくは勿論里保たちが戦いの舞台に戻ったことを認識している。
だけどそのことに動揺する様子は微塵も無かった。

いくら戦いやすい場をさゆみが作ってくれたとしても、相手が遥か格上の魔道士であることに変わりはない。

「全然当たる気がしない…。なんなんですか、あの動き…」

木の枝の上を跳ねながら、亜佑美が里保に漏らす。
つんくはさゆみに一直線に向かうのを中断し、こちらに意識を向けている。
いつ攻撃が来るのか、油断ならない状況。

だけど亜佑美の身体は、さっきに比べれば随分と自由に動いた。
里保が隣に居て、さゆみが包んでくれる中でみんなと一緒に戦う。
その状況が亜佑美に持てる以上の力を齎しているとさえ感じていた。

「あれでも道重さんの攻撃受けて大分鈍ってるはずなんだけどね」

里保の返答に亜佑美が苦笑する。

「聞かなきゃよかったです…」


『鞘師さん、やっぱり闇雲に攻めて勝てる相手じゃなさそうです!
何か作戦は無いですか?あ、全員テレパシーの魔法も付けといたので、動きながらでも相談できます』

二人の頭に春菜の声が響く。
森の中、固まって動くのはまずいと散っていたから
テレパシーは有難い。

里保は注意深くつんくの動きを見ながら、亜佑美と共に一旦距離をとった。

やはり近付くのは危ない。
近接戦闘を得意とする衣梨奈や優樹でも、流石につんくと直接やりあっては無事では済まないだろう。
だけど亜佑美と里保、二人がかりの波状攻撃も何の手応えも無いとなれば
こちらの魔力が先に尽きるだけだ。

そしてもう一つ厄介なことがある。
こちらが逆さまであること。
つんくが地に足を着けているということは、里保たちからすれば天井にぶら下がっているのと同じ。
常に地面の位置を気にしなければならず、自分たちにとって上から攻めることが出来ない。
仮に衣梨奈達が直接殴りに行くとすれば、特に地面の近さは問題になる。

さらに、その魔法をつんくがいつでも解除出来る点。
突然「逆さま」が元に戻ったら、その瞬間は間違いなく感覚が混乱し身体の制動を失うことになる。
攻撃を受けて避けようとしている時に、同時に解除されでもしたら終りだ。

「やっぱり接近して戦うのはまずい。
なんとか動きを止められればいいけど…。
あと、何とか大魔道士の足を地面から離したい」


不意に里保の横を影が掠めた。

「うわっ!」

背後で亜佑美の声。
里保が肝を冷やし振り返ると、亜佑美が突然揺れた木の枝から盛大に滑っていた。
そして間一髪、さっきまで亜佑美が居た場所につんくの「影の魔法」が突き刺さる。

「あゆみちゃん!大丈夫!?」

追撃が来るのを感じて、里保が一気に飛び亜佑美の身体を救い上げる。

「び、びっくりした…。道重さんに助けられました…」


更に距離を取り、再び木の枝へ。
自分たちからつんくは見えている。だけど相手からは折り重なる木の枝で見えないはずなのに
つんくは真っ直ぐこちらに身体を向け、不敵な笑みを浮かべていた。

『あいつの足を地面から浮かせる。
ハルがやりますよ』

「どぅー?」

『ハルにとっても、もっと戦いやすい場所にしてやる』

視線を向けると、森の向こうに遥の姿が見えた。
既に魔力を練り始めている。
つんくはそちらにはまだ向いていない。


「ちょっと、大丈夫?どぅー、道重さんたち巻き込まないでよ?」

亜佑美が里保から身体を離し、心配そうに声を出した。

『大丈夫だって、多分。
えっと、下に引っ張って、上に落す。下に引っ張って、上に落す。…よし』

不意に水柱が上がる。
島を取り囲む海から、幾筋もの水柱が高々と上がり、里保達の視界の遥か下で
巨大な水の塊が浮かび上がる。

つんくもそれに気付いたらしい。
その視線が里保達からそれ、更に遠くにいる遥に向かっている。

「亜佑美ちゃん!」

「はい!」

里保達から注意がそれたこの機を逃すわけにはいかない。
里保の火球。亜佑美の氷の刃。
森の木々の間を縫って広範に、逃げ場も無い程に放つ。

だけどつんくはいとも容易くそれらを避けてしまった。


『落とします!』

遥の声。
里保達はそれを合図に、さらにつんくから距離を取った。
つんくと、さゆみ達の位置にも気を付けながら。

眼下に浮かんでいた巨大な水の塊が、一気に森に降り注ぐ。
地面が一気に水で溢れ、その水はさゆみや聖たちの居る場所を避けて森に巨大な水溜りを作った。
つんくが降り注ぐ水を一つ一つ丁寧に避け、木の枝に飛び乗る。

『里保、亜佑美ちゃん、離れて!』

続く衣梨奈の声。
里保達がつんくと衣梨奈の直線上から身を躱すと
恐ろしい速度で弾丸のような球が森を突っ切った。
つんくのいた辺りで、轟音と水しぶきを上げる。
続いて二発、三発。

土煙と水しぶきが高く立ち込め、空に舞う。
その飛沫がキラキラと光り、そこで里保達はもうすぐにでも太陽が顔を出しそうな程、辺りが白んでいることに気付いた。

里保と亜佑美、それに遥と衣梨奈。
可能な限りの遠隔攻撃をたっぷりとお見舞いした。
少しはダメージを与えられているだろうか。

そんな期待は、水しぶきの晴れた向こうで薄っすらと笑っているつんくの顔に裏切られた。

 


.


「先生が苦戦してる…?」

りえがポツリと漏らす。
森の向こうで起こっていることを全て把握できているわけでは無かった。
魔力も殆ど残っていないから、正確に魔力の動きも補足出来ないでいる。

それでも明らかに、師では無い相手方の魔法が次々と降り注いでいる様子が分かった。

「そうなのかな?」

さくらがりえの言葉に聞き返す。
さくらの目には、まだ師にはいくらか余裕があるように見えた。
そもそも本当に追い込まれた師の姿なんて見たことが無いから、どうなるのか想像もつかないけれど。

さゆみは二人の方にちらりと視線を向け
それからまた戦況を見つめた。

「膠着状態、か。ちょっとこっちが分が悪いかな」

さくらとりえ、それに聖と香音もさゆみの顔を見る。
さゆみの表情から笑みは無くなっていた。
子供たちを守らなければならない。
今のところ、森をコントロールする以外にさゆみに出来ることは無かった。
だからそれに集中している。
それでも、地力の差が出始めていると感じていた。
闇雲に突撃するよりは、慎重に戦う方がいい。
だから今の子供たちの戦法は間違っていないが、現状つんくに決定打を与える方法が無い。
長引けば長引くだけ不利になる。
つんくの魔力が先に尽きるなんて、期待するだけ無駄なのだ。

何とか動きを止めることが出来れば。
今のつんくになら、子供たちの全力を叩きこむことが出来れば勝機はある。
強がってはいるが、さゆみの攻撃は実際かなりのダメージをつんくに与えたはずなのだ。

「もうすぐ、夜が明けるね…」

香音がぽつりと呟いた。
決着が、もうすぐつく。
何となく、そこにいる5人全員がそう感じていた。

さゆみが、よろよろと立ち上がる。
慌てて聖と香音がその身体を支えると
さゆみはニコリと笑って「ありがとう」と告げた。


.

 

 

里保達は、まだつんくの攻撃を受けたわけでも無いのに
追い込まれていると感じていた。
安全に距離をとっての遠隔攻撃は、もはや絶対に当てられない。
闇雲に撃ち続けても、どんどん魔力を消費していくだけ。

一か八か、賭けに出るしかない。

その想いは、テレパシーを通さずとも全員に伝播していた。
つんくとの距離をさっきよりもぐっと近づけている。
ずっと魔力を練っていた優樹が、もはや巨大な魔力の塊のようになってつんくの周囲を駆け回った。
立体的に枝から枝へと跳ねまわり、つんくを牽制する。
実際、木々の枝が密集したこの場所で最も自由自在に動けるのは優樹だった。
だけど、踏み込むことが出来ない。
近付いた分だけ、皆つんくの恐ろしい魔力と威圧を感じていた。

里保も既に片手には刀を握っていた。
隙あらば斬りかかる。
だけどその隙が見つからない。

フォーメーションを組んでつんくの周りを飛び回る。
体力も少しずつ消耗しているのが分かった。

つんくは決して慌てず、様子を見ながら時折子供たちに攻撃を仕掛ける。
何とか躱しつつも、その度に肝を冷やし神経をすり減らすことになった。


「うわっ!」

「生田さん!」

衣梨奈の声、続く亜佑美の声に里保も慌ててそちらに駆け寄った。
見れば衣梨奈の脇腹から血が滲んでいる。

「えりぽん!?」

「大丈夫…掠っただけやけん…」

その言葉通り、大きな怪我では無いことが見て取れて
里保は取り合えず安堵の息を漏らした。
だけど、小さな傷が命取りになる。
今は回復している余裕も無い。

「えりぽん、かなり辛いんじゃろ?
動きがおかしい…」

「それ言ったら里保もやん。
もしかして、あいつの攻撃先に食らったと?」

「一発だけだよ。えりぽんもしかして、小田ちゃんとの勝負のダメージ残ってるんじゃないの?」

「え、そうなんですか…?」

「それはそれ、やけん」

衣梨奈が気丈に笑う。
だけど、明らかにこちらの限界が先に来てしまうことを
その引きつった笑顔が物語っていた。


まだ一度もつんくに攻撃を当てられていない。
さゆみしか、つんくにダメージを与えられていないのだ。

「勝負…そいや、えりさくらちゃんと勝負したっちゃんね」

里保は今更何を、と思ったけれど
確かにもうそんなことはずっと前のことのようにも思えていた。
ほんの数十分前のことなのに。

「鞘師さん!生田さん!来ます!」

亜佑美の言葉に、一気に3人が散開する。
その場所にあった木の枝を黒い鎌状の影が薙ぎ払い巨木が音を立てて上に崩れた。

つんくの姿が、もう目と鼻の先にある。
里保達からみれば、蝙蝠のように木の枝にぶら下がっている黒い男。
あちらから見れば、里保達がそうなのだろうが。

3人が顔を見合わせる。
再び距離を取るか、覚悟を決めて斬りこむか。

「流石に俺も疲れたわ。
追いかけっこは終わりにせえへんか?」

つんくがニヤリと笑う。
里保は、ゴクリと一つ唾を飲み込んだ。
退くか、進むか。
3人が同じ決断をしなければ、誰かがやられる可能性がある。
いや、活路を開くとするならば、それは自分でなければならない。
もし二人が退いたとしても、自分がつんくの隙を作ればいいのだ。

そう思って踏み込んだ里保の肩を、ぐっと衣梨奈が掴んだ。

「試させて」

振り返った里保が見た衣梨奈の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
まるで、いつか見たさゆみのような笑みが。


衣梨奈が声を発した。
里保にはそれだけ、分かった。
声の魔法。見たことも無い魔法。
ただ何か恐ろしい魔力の塊を発したのだと分かった。
それが真っ直ぐつんくの方に、向かわなかった。

流石のつんくも咄嗟に危機を察知したのだろう、消えるように元いた場所から飛び移っていた。
だけど別の場所で、予想だにしない場所で爆発が起こった。
凄まじい爆発。
周囲にあった樹々を吹き飛ばし、すっぽりと丸い空間を生み出してしまう、それほどの爆発。

その中心に、つんくが居た。
誰も、つんくも、衣梨奈自身さえ命中するとは思っていなかった。

だけど間違いなく直撃。
もしつんくでなければ粉々になっていたであろうダメージを与えたという手応え。
撃った衣梨奈が一番驚いていた。
予想だにしない軌道を描いてそれは飛んで行ったから。
さくらが使った時には真っ直ぐに向かって来たはずの『歌声の魔法』が。


土煙の晴れた中にいたつんくの顔には、笑みと共に確かに苦悶が同居していた。
里保達にとって初めてみる表情。

「お前…なんやねんその音程…ヘロヘロやないか。
さすがに、それを『歌声の魔法』とは認められへんで」

つんくが心底呆れたというように吐き捨てる。
そしてすぐに異変に気付いたらしかった。
自身の手首、そして足に太く強く、蜘蛛の糸が絡みついていることに。

「やっと、捕まえた」

つんくが里保を見上げ苦笑する。
その顎を、汗が伝っているようにも見えた。


更に蜘蛛の糸を伝うように、水溜りから氷が伸び上がり、つんくの手足をガッチリと絡めとった。
氷がキラキラと光りを照り返す。
いつの間にか朝日が昇っていた。
里保達からすれば斜め下から差し込む世にも奇妙で美しい光。

つんくがグッと四肢に力を込める。
拘束はどうやら長くは続かない。

だけど、一瞬でも動きを止められた。
この瞬間、決められる。
里保は完璧なタイミングで矢のように飛んでくる優樹の魔力を感じ
一度距離を取った。

ずっとこの時の為に狙っていた優樹の身体は最早火の玉のような魔力の塊になっていた。
その凄まじい体当たりが、完璧につんくの胴体を捉え、めり込んだ。
拘束していた氷と糸を引き千切り、つんくの身体が一直線に吹き飛ばされ
太い木の幹に直撃する。
そこに、最大級の里保の火炎、亜佑美の氷の刃、遥の水の弾丸、衣梨奈の球。
持てる全魔力を注いだ怒涛の追撃が、確かな手応えを持って降り注ぐ。


普通の魔道士が相手ならば、明らかにやりすぎという程の。
だけど相手は三大魔道士。
決めきれただろうか。
里保達は一様に肩で息をし、一点を見つめている。

さっき衣梨奈が吹き飛ばした空間の向こうから
さくら達も見ていた。

これが決着なのかどうか。

怒涛の攻撃に抉られた大木の幹。
そこにつんくの姿は、あった。

倒れてはいない。
まだ、立っていた。

ダメージは、間違いなくある。
無いはずが無かった。
それでもつんくは、尚不敵な笑みを浮かべて立っていた。

「これはちょっと、アレやな。
お見事、ちゅう感じや」

つんくのその言葉に、ぞっと背筋が凍る。
その時里保達の視界に別の影が映った。


一瞬。

一瞬にしてそこに現れたさゆみが振り下ろした剣は
息をする間も無く、つんくの首を胴体から切り離した。

「ひっ」

誰からともなく声が漏れる。
人が死ぬ瞬間を、人の首が飛ぶ瞬間を子供たちは初めて見た。
それは遠目で見ていた聖たちも同じだった。
そして初めて、今まで自分達の側にいたはずのさゆみの姿が無いことにも気付いた。

つんくの首がゴロゴロと木の枝を転がる。
そしてその胴体は、ゆっくりと落ち、森の底を埋めていた水の中に沈んだ。

さゆみは氷のように冷たい目で転がる首を見やり、
追い打ちをかけるように剣を首目掛けて投げつけた。

子供たちが次の瞬間を予想し顔を顰める前で
異様なことが起こった。
首が『跳ねて』、さゆみの剣を避けたのだ。

近くの枝に止まった首にはいつの間にか、蜘蛛の足のような不気味な四肢が生えていた。

「私たちの勝ちね」

さゆみの言葉。
首だけになったつんくが相変わらず笑っている。

「アホ抜かせ。せいぜい痛み分けや」

脚の生えた喋る生首。
余りにも奇妙なその光景に、子供たちはただ口を開けて見守ることしか出来なかった。


 

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最終更新:2016年11月23日 22:21