本編33 『夜明け』

 

つんくがそう答えるであろうことを、さゆみは分かっていた。
どんな状況であろうと、決して負けを認めることはない。
負けを認めること、奪われる条件を満たしてしまうことは
三大魔道士にとって直接死を意味するからだ。

そして首だけになったとは言え、これ以上追撃することも難しかった。
つんくは既に全力で逃げる体勢に入っている。

不老長寿の魔法を会得した魔道士が
最初に考え、手にしなければならない力が「逃げる力」と「死なない力」。

おかしな話ではあるけれど、半永久的に生きられるこの魔法を手に入れた瞬間、
その魔道士の死のリスクは跳ね上がる。
他のあらゆる魔道士に狙われる存在となるからだ。

三大魔道士は死なない。
それは、自身が死なない為にあらゆる考えを尽くし、如何なる状況でも死なないよう様々な魔法を身に着けたから。
そうして初めて、『不老長寿の魔法』が意味を持つ。

負けなければ死なない。そして、死ななければ負けない。

さゆみが心臓を貫かれても生きていたように、つんくが首を刎ねられても生きていること。
それがまさに死なない為の魔法。
子供たちには考え及ばないこと。
ただ首から四肢の生えた化け物に見えても、同じ立場のさゆみからすればその姿は合理的なものだった。
もっとも、もう少し見てくれをよく出来ないものかと思わなくは無いけれど。


「うわぁ!」

不意にさゆみの頭上から声が降ってきた。
衣梨奈や里保たち、『逆さま』にされて木にぶら下がっていた子供たちが落ちて来たのだ。
どうやらその魔法も解除されたらしい。
幸い下には遥が作った水溜りがある。助けは必要無いだろう。

案の定子供たちは姿勢を安定させることも叶わず、ドボンドボンと水の中に落ちていった。

「ちょ、ちょっとどぅー!水、水引いて!」

「うわ、待って!感覚が!」

てんやわんやの末、遥が水を引かせて
衣梨奈達は漸く地に足を着けて普通に立てるようになった。

子供たちはまだつんくを警戒している。
首だけになった状況でも、まだ何か仕掛けてくるのではないかと。
だから上下が戻った感覚を取り戻そうと必死になっているようだった。

「逃げる気?」

さゆみも木の枝から飛び降り、地に足を着けてつんくを見上げた。
逃げる気であることは明白。
だがすぐに動こうとしないことを訝った。

実際、全力で逃げる気になった三大魔道士を追いつめることは同じ三大魔道士でも難しい。
まして、聖と香音を置いていくしかないこの状況で、さゆみがこれ以上つんくを追いかける意味も無かった。

里保たちはまだ、決着したのかそうでないのかを測りかねて
さゆみとつんくのやり取りを注視している。


「いやいや逃げるとか。名誉ある撤退や。
せやけどその前に」

そうつんくが零し、視線を遣った先。
水の引いた森のぬかるみの上を、りえが歩いてい来る。
その後ろにさくら、さらに後ろから聖と香音が付いてきていた。

つんくの弟子であるりえとさくらには、この状況が既に決着であると分かったらしい。
さゆみも、4人がこの場に着くのを待った。

もう警戒することは特にない。
今の状況でつんくが聖と香音に出来ることも無い。

聖と香音も集まり
この島で戦った全員が一同に会することになった。
さゆみとつんくの二人以外は、まだはっきりと状況を飲み込みきれず
不安気に視線を彷徨わせている。

「譜久村、鈴木」

不意につんくが発した言葉にビクリと身体を震わせ
聖と香音は異様な化け物じみた風体のつんくを見上げた。

「悪いな、二人とも。
お前らを魔道士にしたるっちゅう話やけど、こんだけ道重に邪魔されたら流石の俺でも無理や。
もっと落ち着いてやらな実験は成功せんからな」

つんくのその言葉に、里保や衣梨奈、亜佑美と遥と優樹と春菜は
漸く戦いが終わったのだと悟った。


「俺もお前らを魔道士にしてやりたい気持ちはあんねん。
せやから、ほんまに魔道士になりたい思うんやったら
今度は道重に邪魔されんように、道重を黙らせてから俺んとこ来てくれや。待っとるで」

つんくがそう言って笑う。
衣梨奈は、聖と香音の方を注視していた。
そもそもの一番初め、この戦いの発端は
二人が魔道士になるということだった。
それがどんな想いで二人の中にあり、どんな気持ちで戦いを見守っていたのか
まだ知らない。

衣梨奈の視線の先で、聖の顔にあった戸惑いが晴れていく。
それから聖は一度背筋を伸ばし、つんくに向けて深々とお辞儀をした。
香音もそれに続いて頭を下げる。

明らかに敵であった、たった今までさゆみ達が戦っていたつんくに、二人が頭を下げる。
その状況を、不思議と誰も不自然だとは思わなかった。

衣梨奈や里保も戦いが終わった今
その途轍もない力を持った「西の大魔道士」に対して、一魔道士として敬意を抱かずにはおれなかった。

つんくは二人の礼に満足気に肯き、視線をずらした。


「ちゅうわけでりっちゃん」

「はい」

「俺は今から撤退するわけやけど、ついでにちょっと身を隠すわ。
流石にこんな格好やと人前に出れんし、魔力もカツカツやしな」

「身を隠す…ですか?では、弟子たち…私たちは?」

「せやから、りっちゃんから他の子らに伝えといて欲しいねん。
俺は暫くおらんくなるから、俺を探してみってな。
誰か一人でも俺を見つけられたらレッスン再会や。まあそんな簡単にはいかんやろうけどな」

りえは師の言葉を聞き、なんとも言えないため息を吐いた。

「わかりました」

「その間すまんけど、りっちゃんがあの子らの面倒見たってな。
まあゆうて、みんな優秀やから心配はしとらんけどな」

巨木の森の隙間を縫って、木漏れ日が差し込む。
いつの間にか海風がさらさらと葉を揺らす心地い朝が訪れていた。

「心配いりません。私が、すぐ先生を見つけますから」

「んはは、頼もしいなりっちゃん」


衣梨奈はつんくとりえの会話を聞き、それからさゆみを見た。
さゆみもじっと、つんく達の話を聞いている。
自分達以外の三大魔道士、その師弟の会話。
その関係性は、自分達と随分と違うように思えた。

師と弟子。
それも色々な形のある関係。だけどそこに存在するのは、家族のような血の繋がりでも
恋人同士のような深い愛情でも、仲間同士のような信頼関係でも無い。

明確にそこにあるものが何なのかよく分からない。
だけど深く繋がっていると思える。
師弟というのは不思議な関係だと、衣梨奈はぼんやりとそんなことを考えていた。

「それから、小田」

「はい」

「お前は、破門や」

その言葉に、りえも、衣梨奈達も一様に「え?」と声を漏らした。
突然言い渡された破門。
何故破門なのか。そしてそれがさくらにとってどういう意味を持つのか
衣梨奈たちには分からない。

だけど当のさくらの顔は、既にそれを受け入れているかのような落ち着きがあった。


「ちょっと待ってください!何でさくらが破門なんですか!?」

りえが声を荒げる。

「そら、小田自身が一番よく分かっとるんちゃうか?」

「はい」

さくらは少し寂しそうに微笑み、肯いた。
りえがさくらと師の顔を戸惑いがちに見渡す。

「そんな…」

師と妹弟子であるさくらとの間には、既に了解が出来ている。
二人の視線と表情がそれを物語っていた。

だけどさくらは、いくら弟子達の中で飛びぬけて優秀だとしても
今現在魔力を持っていない。
いや、そんなことよりも、身寄りの無いさくらにとって、師は唯一の保護者といってもいい存在だった。
はた目には全然そんな風には見えなかったけれど、親代わりとさえいえる関係。

師はそんなさくらを、魔力すらも失ったさくらを放り出すというのか。
さくらも、そんな仕打ちを受け入れるつもりなのだろうか。

「心配せんでも、小田は要領ええし大丈夫やって。
しかし相変わらず可愛げのないやっちゃな。普通そんな簡単に受け入れるか?」

「駄々をこねた方が良かったですか?」

「いや、それもなんや気持ち悪いな」


衣梨奈はまた、不思議な師弟関係を見ていると感じていた。
破門を言い渡す師匠と、それを受け入れる弟子。
それなのにつんくとさくらの間には、何かしらの絆がある。
それくらい二人は、互いを柔らかい目で見ていた。

「まあ折角やし、最後に餞別っちゅうか、
一つアドバイスをやっとくわ。
小田、しぶとく生きろや。俺みたいにな」

つんくの言葉に、さくらは笑って答えた。

「そのつもりです。
先生みたいになる気はありませんが」

つんくが満足気に笑う。

「ほんまに可愛くないやっちゃ」

それから話は終わりとばかり、一度首から生えた四肢をぐっと伸ばすと
さゆみに向き直った。

「ほなな、道重。次は邪魔せんといてくれや」

「あんた次第よ」

つんくの周り、木漏れ日の差す木の枝が
不意に黒い影に包まれた。
その黒はどんどんと濃くなり、つんくの顔を包み込む。
一度黒に埋め尽くされたその場所も、次第に次第に薄まり、元に戻った。
あとには何も残らなかった。

つんくの魔力も消えた。

 

 

 

つんくの存在を付近から感じることが出来なくなって
いよいよ完全な決着が訪れたことをここにいる皆が感じていた。
緊張感からの解放。
だけど、問題が全て解決したといえる状況では無かった。

ここにはさゆみがいて、衣梨奈と里保、亜佑美と優樹と遥と春菜、
それに聖と香音がいる。そしてさくらとりえ。
それぞれのそれぞれに対する想いは複雑すぎて、何を何処からどうきり出せばいいのか分からない。

森は静かだった。
ついさっきさゆみの魔法で生み出されたばかりの巨木の下には、生き物の気配は無い。
風が木の葉を揺する音。海岸から漂ってくる仄かな波の音。
それに樹々の上からは早速どこからやってきたのか、鳥達の囀りも少し聞こえていた。

暫しの沈黙。
子供たちにとって疲労と達成感と共に感じるその沈黙は不快では無かったけれど
少しだけ気まずいものに思えていた。

そんな沈黙を嫌ったのか、優樹が人間の姿に戻る。
それから大きな声を出した。

「つかれたぁー!ねむーい!」

木の根元にごろんと腰を下ろし、それからまだ残っていた水気にお尻を濡らされて
ひゃーと声を上げる。
そんな優樹の様子に、皆の相好が崩れた。

「もう朝やけんね。えりたち完全に徹夜したっちゃんね」

衣梨奈が笑って言う。
それから、切っ掛けを得たとばかり、聖と香音の方へ視線を向けた。

二人はさゆみを見ている。
さゆみも、聖と香音に優しい笑みを送っていた。


「ふくちゃん、香音ちゃん、やっぱりまだ魔法使いになりたいと思う?」

さゆみが切り出した言葉に、何か言おうとしていた衣梨奈も里保も亜佑美も押し黙った。
それは、今回のことの核心の部分。
皆が知りたいと思っていた二人の気持ちに、直接触れる言葉だった。

「えっと…」

香音が少し戸惑ったように声を出す。
その横で、聖は自分の頭の中が酷くクリアになっていることに気付いた。
さゆみ達が戦っている間、何も出来ずただ見ていて、その間に考えていたこと。
何となく自分が辿り着いた答え。

普段ならば聖がそんな自分の中だけの考えを決して口にしない。
だけど今は話すべきだと思った。
胸に秘めるばかりで、言葉が足りない故のすれ違いや誤解はもうこりごりだから。

「はい」

聖の返事に香音は驚いたように顔を向けた。
さゆみは相変わらず優しく笑っている。

「そっか。でもねふくちゃん。
さゆみは反対。絶対に。
もしまた魔法使いになりたいってつんくの所に行こうとするなら、全力で止めるよ。何度でもね」

聖もそれに肯いた。
聖の口元には、仄かに笑みすら浮かんでいる。
その理由は自分でもよく分からなかった。


「なんでさゆみが反対なのかは説明しない。
理由は勿論あるけど、いくら口で説明してもふくちゃんたちに理解して貰えないと思うしね」

「分かります」

聖の答えに、さゆみも少し意外そうな顔する。
聖ははっきりと笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「私と道重さんとじゃ、魔法と魔法使いについて、それからいろんな世界について知ってることが違いすぎるから。
私が知ってること、今までに経験して過ごしてきた時間の中で分かったことじゃ
絶対に理解出来ないような理由が沢山あるんですよね?」

さゆみがふっと笑う。

「私は魔法使いになりたいです。
だけど、どんな魔法使いになりたいとか、どんな魔法が使いたいとか、そもそも魔法って何なのかとか全然分からない。
自分がどんな人間になりたいのかも、もし魔法が使えたらその魔法でどんなことがしたいのかも。
きっと私は、今の私じゃ魔法使いになる資格なんてない。
魔法を使う、大きな力を使うのに相応しい心の持ち主じゃないんです」

聖の口は止まらなかった。
普段の自分は決してお喋りでは無いと自覚していたから不思議な感じがする。
だけど自分の言葉をさゆみが、それに香音や衣梨奈や里保たちも真剣に聞いてくれているから
出来る限り全ての想いを言葉にしてしまおうと思った。

「さっきつんくさんが言っていたみたいに、せめて道重さんを納得させるだけの
理解と考えと心の強さが無いと、きっと魔法使いになんてなれない。
ううん、魔法使いにもしなったとしても、悲しいことにしかならないと思うんです。だから」


スッと息を吸い込む。
こんな大それたこと、余りにもバカげた夢想を口にするような
自分はそんな性格じゃ無いと思っていたんだけれど。
内心で自身に苦笑しながら聖はゆっくりと言葉を紡いだ。

「今度つんくさんに会いに行くときは、私が道重さんを超えてないといけないと思います。
魔法使いでは無いですが、それでも道重さんを超えるような『人』になって、
その時私にとって必要な物が魔法であるならば、改めてつんくさんを訪ねようって、そう考えてます」

聖が言い切ると、辺りはまた沈黙に包まれた。
急激に恥ずかしくなって、不安になる。
あまりにも馬鹿なことを言っていると思われていないだろうか。

だけど聖にとっては、間違いなく衷心からの言葉だった。
これまでぼんやりと、周りに流されるように生きて来た。
普通の同世代の子達はみんなそうで、責められるようなことでは無いと分かっていても
衣梨奈や里保達に出会い、何か信念を持って戦う姿を見るうちに
ぼんやりとこのまま大人になることへの漠然とした戸惑いを覚えていたのも事実だ。

そして今、今回の出来事を経て聖の中にははっきりと
自身の先に見据える物を見つけた。
魔法のことを知りたい。誰よりも知りたい。
そして魔法以外のあらゆることを。
人の心に寄り添い、支えられる心を持ちたい。そんな人間になって
衣梨奈や里保、そしてさゆみの助けになりたいと。

どうしても魔道士でなければ出来ないことがあるかもしれない。
だけど今は何も知らないから、それすら分からない。
魔法使いになるというのは、それ以外に出来ることを全てしてそれでも必要だと感じた時の
最後のピースとして取っておくのだと。

二つの選択肢がある。さくらはそう言った。
だけど自分の前に示された二つの道は、ただ運を天に任せてえいやっとどちらかを選ぶような道じゃない。
その道を辿る意味もリスクも全てを理解した上で、どうしても必要と感じた場合にだけ選ぶ脇道なのだ。


「なるほどね」

暫しの沈黙の後、さゆみがニヤリを笑って言った。

「でもそうなるなら、さゆみを超えるなんて目標じゃ簡単すぎるかもね。
生田やりほりほが魔法使いとしてさゆみを超えるっていうのはま、結構大変だけど
『人間として』のさゆみなんてちっぽけなもんだよ」

どこまで本気なのか謙遜なのか。
その場にいる誰もが思った。
道重さゆみという『人』を超えることは、下手をすれば”大魔女”を超えることより難しい。
さゆみの魔法の凄さは一目瞭然なのに、その人としての魅力、惹きつけられてやまない
宇宙を流れる音楽のような美しさは、いったいどこから来るものなのか誰にも分からないから。


「香音ちゃんは?」

さゆみに話しを振られ、香音は困ったように眉を落として笑った。

「ウチは道重さんを超えるなんて冗談でも言えないし今の今までそんなこと考えもしなかったんです。でも…」

一度言葉を切ると香音の顔に朗らかな笑顔が戻った。

「先に決めちゃったんですよ。
とことん聖ちゃんに付き合うって。
だからあたしも魔法と、魔法使いのことをもっと知って、道重さんを超える『人』を目指します」

「そっか。楽しみにしてるよ、二人とも」


衣梨奈にも里保にも、二人と改めて話したいことが山ほどあった。
尋ねたいことも沢山ある。
そのはずなのに、今さゆみと二人の会話を聞いて、なんだか満足してしまっていた。
話したかったことが何なのかももうよく思い出せない。
ただこれからはもっと、色々な話を分け合おうと、二人にどんな些細なことでも聞いて貰いたいと思った。
その時間はいくらでもある。
まだまだずっと、一緒に居られるのだから。

 

.


「道重さん、私はこれで失礼します」

聖達との会話がひと段落したタイミングを見計らって、りえがさゆみに声を掛けた。
みんなの視線がりえの方に向く。

「うん。りっちゃん、元気でね」

りえはさゆみに黙礼し、さくらの方に視線を向けた。

「さくら…。
どうするの?連れてってあげたいけど、今の私じゃ自分一人この島を出るので精いっぱい…」

「心配しないでりっちゃん。何とかするから。
この島だって先生の家の残骸もまだあるし、魔力もそのうち戻ると思う」

さくらが朗らかに笑った。
りえの目から見て、強がっているようには見えなかったけれど
現状を楽観視しすぎているようには感じていた。

だからといって今自分がしてあげられることは殆ど無い。
さゆみとの戦いで魔力を殆ど使い果たしていることもそう。
そして、師からは他の弟子達の面倒を見るように言われたけれど
身寄りの無い、魔力の無いさくらの面倒を生活から全て見ることはりえにはとても出来ない。
なにより、そんな無理をしての助力をさくらは決して受け入れてはくれないだろう。


師とさくらの間には何かしらの了解があった。
それを信じて、さくらを一人残すしかないのだろうか。

さゆみや、さくらと何かしら関係のありそうな少女達がさくらの居場所を作ってくれたりはしないだろうか。
そんなことを考えてりえは無責任な姉弟子だと自嘲した。
それから、もう姉妹弟子ですらないのだと思い至り、寂しくなった。

きっともう、別々の道を往くべきなのだ。
さくらは先生の残した言葉通り、逞しく、しぶとく生きてくれると信じて。

「道重さん、またいずれリベンジしにM13地区に伺うつもりです。
その時は宜しくお願いします」

「うん、待ってるよ」

「それでは」

りえは踵を返し森の中を海へ向かって駆け出した。
別れ際、さゆみはりえを優しい目で見ていた。
まるで全てを包み込むような、そんな目で。

りえが期待し、視線だけでさゆみに訴えたことが伝わっただろうか。
伝わるわけは無い。

だけど去り際に見た、さゆみと、聖、香音、それに名前も知らない5人の少女と一匹の猫は
優しくさくらを包み込んでくれているような、そんな気がした。

 

 


りえが島を出たことで、さくらはこの場所で唯一の『異物』となった。
仲間同士、友達同士とは違う、敵として戦った相手。
だけどさくらは不思議なくらい、ふんわりとその場所に馴染んでいた。
誰ももうさくらを敵だとは思っていなかったし
多くの不安を抱えているであろう彼女の心に、どうすれば寄り添ってあげられるのかを考えていた。

森に朝の気持ちいい風が吹き抜けている。
少し冷たい。
昨晩通り過ぎた台風が、この南方の島にも秋の香りを運び込んでいたらしかった。

里保は改めて考えていた。
西の大魔道士との戦いは決着し満身創痍ながらさゆみも無事。
衣梨奈も亜佑美もみんな、くたくたにはなっていても
大きな怪我はしていない。
聖と香音の想いを聞けた。

嵐の中、不安と衝動に駆られて道重家を飛び出した時の目的は
ほぼ達成できた。
これからのことも頭の中に浮かんでくる。
さゆみや聖や香音ともっと話して、もっとお互いを知っていきたい。

そして、さくらのこと。

衣梨奈と『勝負』し、敗れたさくら。
そこで衣梨奈とどんなやりとりがなされたのかは分からない。

魔力を失い、師を失った彼女が今、とても穏やかであることが不思議だった。
だけど多分それが、衣梨奈が『勝負』を持ちかけた目的なのだろう。
そこには鎧を取り払った、素のままの小田さくらがいた。


「さくらちゃん」

衣梨奈が声を掛ける。

「なんかさ、色々話したいって思っとったっちゃけど、
ぶっちゃけあんま思いつかんよね」

衣梨奈の苦笑に合わせて、さくらも小さく笑った。

「私もです。
生田さんにも、鞘師さんにも、譜久村さんや鈴木さんにも、
沢山話したいことがあったはずなんですが…」

自分は、と不満げに指さす優樹を横目に
里保も同じ気持ちだと笑った。

きっと、自分たちが望んでいたのは
こうして穏やかに向かい合い、笑いながら話せる状況。
だから内容なんてそれほど重要なことでは無かったのかもしれない。


「これからさ…」

衣梨奈が言いかけた時、不意に音が聞えた。

奇妙な風の唸りに全員が身を強張らせて上を向く。
その直後、恐ろしい地響きが起こり大地が揺れた。

「な、何!?」

遥が叫ぶ。
その上を、木の枝を突き破って巨大な黒い塊が落ちて来た。
近くにいた優樹と亜佑美と春菜も慌てて避け、散り散りになる。

さゆみが聖と香音の手を取り、自分の元に引き寄せた。

地鳴りは止まない。
恐ろしい音と、海に立ち上る飛沫。

必死に逃げ惑ううち、子供たちも漸く理解した。
元々つんくの物であったこの島。
その上に浮かんでいた無数の岩が、落ちているのだ。

「魔力の回収、だね」

さゆみが呟く。

「回収、ですか…?」

香音がさゆみにしがみつきながら尋ねた。

「うん。さすがのつんくもあんな状態じゃ、こんなどうでもいいことに魔力使ってる場合じゃないでしょ。
だから岩を浮かしてた魔力を回収してったってわけ。全く、最後までほんと迷惑な話だわ」


島の上には大小無数の岩が浮かんでいた。
それが今一斉に落ちているのだとすれば、その数は凄まじい。
ただ落ちて来るだけとはいえ、疲れ切っていた子供たちには脅威。
必死になって逃げ惑う。
さゆみは魔力を高め、聖と香音を覆うように淡い光の防壁を張った。

落ちきってしまうまで、逃げるしかない。
厄介なことに思いのほか脆い巨岩は、樹の枝にぶつかっては割れ四散し、さらに無数の礫を降らせて来た。

「危ない!!」

不意に声が響いた。
一同の視線が向いたその先で
今まさに、さくらの頭上を家一軒ほどもある黒い岩が襲っている。
さくらはぼんやりとそれを見上げていた。

危機一髪。
神速で飛び込み、さくらを身体ごと掻っ攫ったのは
さっき大声を上げた亜佑美だった。

その様子に皆がほっと胸を撫で下ろし
再び降り注ぐ岩に注意を払う。

そうして数分の間逃げ続け、ようやく全ての岩が島と海に落ちきった。


.


再び静寂が訪れる。
青々と茂り、花を咲かせていた森は
あっという間に荒れ果ててしまった。

だけどこれで完全に、つんくの影響が島から消えた。
西の大魔道士の縄張りであった島。
それが今、大魔女の物となった。


「何ぼーっとしてんのよ!」

さくらを抱きしめ守っていた亜佑美が
周囲が落ち着いたことを受けて無造作にその身体を放り、叫んだ。

衣梨奈は、勝負が終わった時
さくらが岩から落ちそうになったことを思い出した。
あの時と同じ。
まださくらは、『魔力の無い自分』に慣れていないのだ。
衣梨奈はそのことをすっかり忘れてしまっていた自分を心の中で叱責し、
咄嗟に彼女を助けてくれた亜佑美に心から感謝した。


「すみません…魔法が使えないことを忘れてました」

さくらは幾らか明るい口調でそう言い、頭を下げた。
だけどその唇が僅かに震えている。
亜佑美でもそのことに気付いた。
きっとさゆみは勿論、衣梨奈や里保も気付いただろう。

弱みを見せたがらない子。
多分魔道士としては才能もあって、器用で
だからこれまでも、頼られてはいてもあまり人に頼らず生きてきたんだろう。
ふと亜佑美の脳裏には、そんなイメージが湧いた。

素直に頭を下げられて、その唇の震えを見てしまっては亜佑美の気勢も削がれていた。
さくらから視線を逸らし、ぶっきらぼうに言葉を紡ぐ。

「しぶとく生きるんじゃ無かったの?そんなんじゃ命がいくつあっても足りないじゃん…」

「そうですね」

笑い声を含んださくらの返事に、亜佑美は居た堪れなくなって
視線を彷徨わせた。
優樹と遥の方、それから聖と香音、そしてさゆみ。

亜佑美の目が困惑したように、何か助けを求めるように仲間を見る。
その目が何を意味するのか、みんな分かった。

さゆみが亜佑美に笑って応えて、衣梨奈と里保の方へ視線を促す。

流れついた亜佑美の視線の先で、衣梨奈と里保は一歩さくらに歩み寄っていた。


「さくらちゃん、えりたちと一緒に、えりたちの街に来ん?」

その言葉に驚いたのは、さくらただ一人だった。


「え…?」

「こんなとこに置いてけないよ」

衣梨奈に続いて里保が言う。
さくらには、二人の言葉の意味がよく理解出来なかった。

「あの街に、ですか…?」

戸惑いを隠せない。
昨日まで訪れていたM13地区は確かに心惹かれる素敵な街だったけれど
そこに自分の居場所なんて無いのだ。

「うん、一緒に、帰ろ?」

衣梨奈はニッと笑う。
どこに?と反射的に出そうになった言葉を、さくらは辛うじて飲み込んだ。

さくらが目に見えて狼狽している。
その姿が面白かったのか、衣梨奈と里保の表情は随分余裕のある笑みに変わっていた。

「でも、私には住む場所は無いですし…」

「うちに来ればいいやん」

衣梨奈は満面の笑顔でそう言い放った。


さくらの目が信じられないものを見たというように見開かれる。

本当に昨夜不意打ちで気絶させて、大切な友達を奪って逃げた自分に向けられた言葉だろうか。
島に帰って来た時、衣梨奈達には一生憎まれることも覚悟していたのだ。
それなのに受け入れてくれるという。
甘えてしまっていいのだろうか。

今までの自分ならどうしていただろう。
これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと固辞していた気がする。
借りを増やしたくない。自分のことは自分で出来るからと。

だけど、今の自分は何も出来ない。
魔力を失い、そのことにすら感覚が追いついていない。
既に短い間に2回、命を助けられた。
西の大魔道士の弟子という立場も無くなって、ただの「小田さくら」になった。
未だに、今の「小田さくら」が何者なのかよく分からない。

そんな何もない状態になって、何も出来ないから
差し伸べられた手に甘えるのだろうか。
そんなことで本当にいいのだろうか。

「えりぽんの家じゃないよね?」

さくらの葛藤をよそに里保が軽い口調で言う。
衣梨奈は、うんと返事を一つ。
それから幾らか真面目な顔を作ってさゆみの方に向き直った。

「道重さん、いいですか?」

さゆみが口元に浮かびそうになる笑みを必死にこらえて
衣梨奈と同じように真面目な顔を作る。


「ま、うちは今更一人増えたって大して変わらないからね。
あんたが奪ったんでしょ?あんたが責任持って面倒を見なさいよ」

その言葉を受けて衣梨奈は再び笑顔を浮かべ直した。

「そういうことやけん、決定ね。さくらちゃん」

「待ってください!私は何の役にも立てないし…それに、そこまでしていただく理由が…」

さくらが言い募ろうとした言葉を衣梨奈が遮る。

「えりたち勝負したやんか?」

「え?はい…」

「もしえりが負けとったら、さくらちゃんはそのままえりのこと放ったらかしにしとった?」

その言葉を聞いて、さくらの肩から一気に力が抜けた。
答えは間違いなくノーだから。
勝負を始める前には想像が出来なかったことだけれど
もし結果的に衣梨奈が魔力を失い何も出来なくなってしまったとしたら
自分は彼女の為に何でもしただろう。
理由なんて無い。
強いて言うならば、彼女が好きだから、だ。

「いえ…」

「そういうことやけん!」

衣梨奈が勝ち誇ったように笑った。
さくらが諦めたように笑う。
それから少し目元に涙を浮かべて衣梨奈と里保に、
そしてさゆみに向かって頭を下げた。


「やぁったー!」

見守っていた優樹がさくらに抱き付く。
受け止めよろけたさくらの周りに、みんなが集まってきた。

「さくらちゃん、またお話しよ?沢山お話したい」

聖が言う。

「いやー、やっぱこのままここに置いとくとか寝覚めが悪いしね」

遥が優樹を引き剥しながら笑った。

「でめたしでめたし」

亜佑美の言葉に、辺りは爆笑に包まれる。

「ありがとうございます」

さくらはもう一度深く皆に頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「うん、宜しくね、小田ちゃん!」

口ぐちに注がれた言葉は暖かく南の島の空へ舞い上がった。


.


「帰りましょっか。もうすっかり朝ですし、みんな明日から学校ですもんね」

春菜が言うと、不意に子供たちの脳裏に学校のことが蘇り
悲喜こもごものリアクションが起こった。
遥と優樹と亜佑美にとっては明日が夏休み明け、転校の初日なのだ。

激しい戦いと、学校という日常。
その折り合いが上手くつかず、疲れや睡魔もあってなんだかみんなふわふわとしていた。

「それはいいけど、どうやって帰る?」

ふとさゆみが呟いた言葉に、一様に「え?」という言葉が漏れた。

そういえばここにいる殆どのメンバーは飛べない。

「え、道重さんがピューンって連れてってくれるんじゃないんですか?」

衣梨奈の言葉にさゆみが答える。

「翼があればそれもしてあげられたけど、無くなっちゃったしね。
てか佐藤達ってどうやって来たの?」

「海の上を走って…」

そう答えてから、亜佑美はもう一度その方法を使うことが不可能に近いことに気付いた。
亜佑美も遥もくたくたで魔法の精度が不安だし、何よりこの合体魔法の動力源である優樹が
既に半分舟を漕いでいる。変身すら出来そうにない。


里保も衣梨奈も、自分一人でならば飛んで帰ることは可能ではあるものの
他の皆、特に聖と香音を連れていくことは出来そうになかった。
二人を連れ帰ることを目的にここに来たのだ。
置いていくことなんて出来ない。

「なんか無いんですか?新垣さんのとこに行ったあの魔法とか」

「あれそんな便利な魔法じゃないのよ。
『さゆみが持ってる魔法の元の持ち主』を追尾出来るってだけの魔法だし。
どこでも行けるんならさゆみもわざわざここまで飛んでこないよ」

「そんな…。もしかして新学期に間に合わないパティーン…?」

優樹たちの魔力が回復するまでこの島で過ごすしかないのだろうか。
それとも里保と衣梨奈がピストン輸送で飛ぶか。
どちらにしても明日までに全員がM13地区に戻ることはどう考えても難しそうだ。

「あの」

途方に暮れていた子供たちの中心で、不意にさくらが声を出した。


さくらの目元からはもう涙も引いている。
そして皆の話を興味深く聞いていた。
学校に通っていたわけでは無いからよくわからないけれど
その日常が彼女達の中で、魔法と同居していることが不思議だった。
そして羨ましくも思う。
だから何か力を貸せないかと考えていた。
と言って、魔力も無く何もない今の自分に出来ることなんてあるはずもない。
そう思いながらふと触れたポケットの中の感触。

「使えるかどうか分かりませんが」

そう言ってさくらは小さな角笛を取り出した。
みんなそれが何を意味するのかが分からず怪訝な顔をしていたけれど
さゆみだけが「なるほど」と肯いた。

「使ってみたら?」

さゆみに促されてさくらがコクリと肯き、角笛を吹く。
音とも言い難い風を切る音が響いた。


何が起こるのかさっぱり分からず、衣梨奈たちの頭上にはハテナが浮かぶ。
やがてそのハテナを、巨大な影が覆い尽くした。

恐ろしい巨大な影。
途轍もない魔力。
子供たちには最早、何が何やら全く分からなかった。

たださくらと、そしてさゆみが落ち着いて見上げているから
それに倣うよりほか無い。

呆気に取られて見上げる空には、巨大な竜が浮かび
今まさにゆっくりと森の木々の枝を砕きながらその翼を下していた。

「来てくれた…」

さくらが嬉しそうに小さく呟く。

竜はその巨体をゆっくりと地面に下すと
グイと首を伸ばし巨大な鼻先をさくらに寄せた。

「この子に乗ってきたんだ」

さゆみの問いにさくらが肯く。

「でもまだ来てくれるなんて思いませんでした。
先生ももう居ないのに」

「別にアイツが飼ってたわけじゃなくて
居心地がいいからこの島に住み着いてただけだったんでしょ。
今まで寝てたみたいね。
流石飛竜だわ。下であれだけドンパチやってたのにね。
大丈夫だよ。君が角笛を持ってるって事を抜きにしても、気に入られてるみたい」

さゆみが苦笑する。
さくらは飛竜の鼻先を撫で、それから尋ねた。


「みんなを乗せて運んでくれるかな?」

飛竜は眠たげな鋭い目を一堂に巡らせ
されからゆっくりと顎を地面に着けた。

「ありがとう」

さくらはもう一度柔らかく飛竜の鼻筋を撫でた。

「こ、これに乗ってくんですか…?」

「こんなので戻ったら街中パニックになりませんか…?」

亜佑美と遥が不安気に尋ねる。
さゆみは笑って言った。

「上にさゆみが乗ってればまた何かしてるなとしか思わないでしょ。
いくらへとへとでも、まださすがに飛竜の魔力を覆えないくらいじゃないからね」

その言葉に、子供たちは乾いた笑いを漏らした。
今感じている飛竜の魔力はとてつもない。
それを、自分の魔力で上書きしてしまえばいいと、さゆみはそう言っているのだから。

「何の役にも立たないなんて言ってたけど」

さゆみがさくらに言葉を掛ける。

「はい?」

「もうこれだけでお釣りがくるくらいだよ。
ありがとう、小田ちゃん」

さくらは初めて大魔女に正面から微笑みを投げかけられて照れ臭そうに笑った。

「さ、それじゃ帰ろ。M13地区に」

 

 

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最終更新:2018年05月29日 22:58