しょうがない 夢追い人

〇月△日(晩春)

M13地区に隣接する地区にある小さなワンルームの一室。
家具や荷物も最低限にしか揃っていないその部屋の真ん中で大きく背伸びをした彼女は、
自分の頬を両手で「パンッ!」と叩いて気合を入れた。

今日からここで彼女の新たな生活が始まる。

『本当はお前の様な実績のある魔道士に頼むような仕事ではないんだがな。
病み上がりのリハビリ替わりと思って、普段はノンビリ過ごしていてくれ。
だが近いうちにきっとお前の力が必要となる事態が訪れるはずだ。
その時はよろしく頼むからな』

局長の言葉が、脳裏に蘇る。
確かに物足りない仕事ではあるけど、マイペースにゆったり過ごすのも嫌いじゃない。
いざという時の真打登場の機会が訪れるまで、しばらくは力を貯めることにしようか。

そして彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、
来るべき活躍の機会を想像して自分の世界に浸り込んだ。



〇月▲日(梅雨)

もうすぐさゆみの家に着く。
今日はどんなことを話せるだろう。
もう少し、踏み込んだ話も出来るだろうか。さゆみの考えが、思いが、聞ければ嬉しい。
寝る前には衣梨奈とどんなことを話そうか。衣梨奈は明日提出の宿題をちゃんとやっているだろうか。

里保がすっかり、少しの未来に想いを馳せていた折、
不意に緊張が襲った。

衣梨奈も立ち止まる。
見れば自分たちを待ち構えるように立っている男が三人。
明らかに魔道士だった。
それもはっきりと、敵意らしきものを向けている。

里保と衣梨奈が立ち止まったのを見て、男たちは徐ろに二人に近づいて来た。
微妙な距離を開けて、道を塞ぐように立ち止まる。

瞬時に警戒を強めた里保は、感覚を研ぎ澄まし
目の前にいる三人以外にも二人、同様の敵意を示して潜んでいる魔道士の存在に気付いた。

睨み合い、少し距離を取る。
いつでも魔法の発動に対応出来るよう、集中する里保を制するように
衣梨奈が一歩前に出た。

「えりぽん、うちが」

すかさず里保も前に出る。





M13地区の一角に広がる、糸を張ったような緊張感。そして強大な魔力。
それは近隣の地区にいても、常に鋭敏なアンテナを張り巡らせている一流の魔道士なら
即座に反応するレベルのものであった。

その瞬間、彼女は……。

新たな生活拠点となった近隣地区にあるスーパーに足を運び、
総菜コーナーの前をうろつきながら来るべき時を待ち侘びていた。

いくつか近くのスーパーをチェックしてみたが、このスーパーが一番安いようだ。
そしてこの時間帯、総菜コーナーに半額シールが貼られることを彼女はついに突き止めた。

値引きシールを手にして、店の奥から店員が出てくる。
その瞬間を虎視眈々と狙っていたおばちゃん集団に負けじと、
彼女は過酷な戦いに身を投じたのだった。



●月□日(初夏)

「狗族の娘が逃亡した!? 一体どういうことだそれは!!
……それで、彼女達の足取りはつかめているのか?
このままだと程なくしてM13地区に逃げ込まれてしまうだと!?
一体これまで何をしてた! なぜもっと早く執行局に連絡してこなかったんだ!!
…………いや、いい。ではこちらからも至急手を打たせてもらう」

叩きつけるように受話器を置いた局長は、深いため息をついた。

狗族の娘が逃亡してすぐ執行局に連絡が入っていれば、
迅速に執行魔道士を派遣し事態を収束できていたであろう。
だが、初動が遅れて2人がかなり逃げてしまった今からではもう到底間に合わない。

執行局に情報が届かなかったのは、上層部の意向が反映されてのものに違いない。
彼女達を故意にM13地区に逃げ込ませ、それを口実に狗族へ無理難題を突き付ける。

狗族の魔力を奪おうとする協会の陰謀を未然に防ぐため、
今の俺にできるのはあいつの力を借りることくらいしかないのか……。

一つの決意を固めた局長は、そして受話器を手に取った。





通話先から局長の声が聞こえてくる。
里保は暫くぶりに聴く声を懐かしいと思った。
しかしすぐに気を引き締める。局長の声はいつになく硬い。

『すまないな、突然連絡を入れて』

「いえ。何かありましたか?」

『急な話だが、里保に頼みたいことがある。協会の仕事だ』

下校途中の生徒に混ざりながらも、会話が聞かれないように周囲を警戒する。
「協会の仕事」という言葉に、里保は変に緊張した。
この街に来てから協会魔道士として具体的な『仕事』をしてはいない。
随分と久しぶりのことのように感じた。

『二人の魔道士が、M13地区に逃げ込もうとしている。それを阻止して欲しい』

 

里保にまーどぅーのM13地区逃亡阻止を託した局長。
候補として選ばれなかった彼女はその時……。

暇に飽かせて新たに通い始めた英会話教室で、
「L」と「R」の発音の違いをマスターしようと悪戦苦闘していた。



★月▲日(晩夏)

つんくの周りを、三度黒い渦が廻りはじめる。
動けず、翼も失ったさゆみにさらに追い打ちをかけようとしていた。

聖は気付けば一歩を踏み出していた。

あそこにさゆみがいる。
それなのにここに自分がいることがおかしく思えていた。

もう間もなく、つんくが三発目の「黒い蛇の魔法」を放つ。
それを感じ取った聖が、全力で走り出した。

「聖ちゃん!?」

「譜久村さん!」

香音とさくらの声が背中に届く。
だけど聖は一心不乱に、さゆみに向かって走っていた。
足元は崩れた瓦礫の連なり。ともすれば足を取られて転んでしまう。
だけど聖は、まるで足に羽が生えているかのように軽やかに瓦礫の間を縫っていた。


つんくがトドメの魔法を放った。
目を瞑り、対処に集中しようとしていたさゆみは
突然自分と黒い蛇の射線上に聖の気配が現れたことに気付き
目を見開いて立ち上がった。

聖が巻き込まれる。
それも一瞬後に。

誰もがもうダメだと思った時
黒い蛇は急激に舵を切って聖から逸れ、唸りを上げて遠くの山肌に激突し爆発した。

見守っていた誰もが、一瞬何が起きたのか分からなかった。
つんくとさゆみを除いては。


つんくの魔法をはじいた人物が、空からゆっくりと舞い降りてくる。

「どうやらギリギリ間に合ったようやな」

真打としてついに表舞台に登場した彼女は、
ドヤ顔で里保や衣梨奈のいる方向に軽く手を振った。





『では鞘師里保、M13地区への配属を通達する。
 任務は三大魔道士の一人”大魔女”道重さゆみの監視、及び情報収集、報告。
 一人での任務になるが、常時M13地区近隣で自由に動かせる魔道士を置くよう手配する』


物語の始めにM13地区の近隣に配属されながら、指示した当人である局長にも、
そして本編作者さんにも完全にその存在を忘れられてしまった一人の魔道士。

自分がそんな哀れな存在に堕してしまっているとは露知らず、
彼女は今日も自分が最後の切り札として大活躍する幸せな夢に浸り込み、
満足げな寝言を漏らすのだった。

「それにしてもみんなボロボロやな。ちゃんと練習してきたん?」


(おしまい)

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最終更新:2017年02月26日 21:19