本編34 『台風一過』

 


飛竜に乗って舞い戻ったM13地区は、秋だった。
昨夜の台風で散り散りに飛ばされ、道に張り付いた濡れた木の葉を
穏やかな高い空が見下ろしている。

まるで昨日とは何もかも違っているような街の様子が
子供たちに酷く懐かしい感覚を起こさせた。

一晩の戦いにどんな意味があったのかは誰にも分からないまま
確かな変化を齎している。
それは季節の移ろいのように、自然なこと。


朝の街の上に竜が飛来したことに色めき立った街の魔道士たちも
さゆみの目論見通り、それが道重邸の庭に降り立ったのを認め
直ぐに日常へと戻った。

飛竜は10人の乗員を全て下すとまた飛び立ち、島へと帰っていった。

いろいろなことを後回しにする。
子供たちは、もう殆ど眠気に抗えなくなっていたから。

聖と香音をそれぞれの家に送ると、
衣梨奈、里保、亜佑美、優樹、遥、春菜、そしてさくらは
道重家のリビングのソファの上で泥のように眠りについた。


さくらがふと肌寒さを感じて身体を起こすと、辺りは真っ暗だった。
肩からタオルケットがずり落ちる。
眠りについたときには無かったものだ。

見回すと月明かりの中に浮かび上がるリビングで眠る子供たちには
みんなタオルケットが被さっていた。

「寒い?」

ふと声の方に顔を向けると窓際の椅子にさゆみが腰かけこちらを見ていた。
月明かりの逆光の中に仄かな微笑みが見える。

さくらが小さく肯くと、さゆみが指をかざした。
やわらかな魔力が部屋を満たし、ふわりと暖かくなる。

「まだ寝てていいよ」

さゆみの穏やかな声に、さくらは酷く安心して
それから自分は肌寒さとともに、大きな不安を感じていたことに気付いた。

不安が温もりの中に溶けていく。

「そうさせてもらいます」

さくらはそれだけ眠たげな声でさゆみに告げると
下げた頭をそのままソファにうずめ、また寝息を立て始めた。


.

 


慌ただしく新学期が始まった。
夏休み最後の一日を全部寝て過ごした子供たちは
朝になって大わらわになる。
ドタバタと忙しい朝をさゆみとさくらは笑いながら眺めた。

優樹、遥、亜佑美にとってはこの街での転校初日。
新しい日常の幕開け。

そんな転校初日にやっぱり優樹を中心とした一騒動があったことを
さくらは皆で囲む夕餉の食卓で聞いた。


ゆるゆると穏やかに季節は流れていく。


衣梨奈、里保、優樹、遥、亜佑美が学校に行っている間
家ではさゆみとさくらの二人きりになる。
さくらは積極的に家事を手伝い、時間が出来れば街を見て歩いた。

さゆみはあまりにも自然に道重家に馴染んでいるさくらに驚き
それを楽しんでいた。

もともとさくらとさゆみとは何の縁も無くて
戦いの途中出会った時には殆ど会話もしていない。
彼女を道重家に招くということも弟子の衣梨奈の提案だったわけだから
さゆみから殊更何かをしてあげるということもなかった。

勿論さくらが困っていたならば手を差し伸べたかもしれないけれど
彼女が驚くほど新しい環境に順応してみせたから
他の子達と同じように以前から道重家にいた住人のようだとすら思える。


家の掃除を終えてリビングに戻って来たさくらが
手持無沙汰そうに椅子にちょこんと腰かけた。

パソコンに向かっているさゆみを上目使いに遠巻きに見上げる。
その目は観察しているようにも、何か言葉を待っているようにも見えて
そんなさくらが可愛らしいと思った。

「小田ちゃん」

「はい」

さゆみが声を掛けるとさくらが小さく声を弾ませた。

「さゆみね、明日ちょっと出かける用事があるから
生田達が帰って来るまでお留守番お願いしてもいいかな?」

さくらが目を見開く。
それから苦笑を漏らし言った。

「構いませんが…いいんですか?私なんかが『留守番』で」

さゆみもそっと苦笑する。
さくらはまだ自分をこの家の住人と認めていない。
いや認められるべきではないと思っている。
こんなに馴染んでいるのに。
だけど、そういう変に頑固なところも嫌いじゃない。

「ふふふ。私は小田ちゃんの元先生と同格の魔道士だよ?
もしつんくに家の留守番を任されたら、家探ししたりする?」

「……大人しくしておいた方がよさそうですね」

何を想像したのやら、さくらが少し頬を引きつらせる。
さゆみは楽しそうに笑った。


「うそうそ。別に危ないものなんて無いよ。
ま、でも家でじっとしてるのが退屈なら外に出ててもぜんぜんいいけど。
ドアは熊太郎のオートロックだしね」

「それじゃ留守番にならないと思うんですけど」

「ふふ、それもそうだね」

さゆみがそういってニッコリと微笑む。
さくらは敵わないとばかり息をついて、笑みを返した。

さゆみが自分を既にこの家の住人と認めていることにも気付いている。
さゆみのような大魔道士にとってただの女の子一人、
何も変わりはしないと。
それでも、魔力を失い今までとはガラリと変わった小田さくらをスタートさせなければならない今、
さゆみの優しさに縋り溺れてしまうわけにはいかないのだ。

「そうそう、それとそろそろ小田ちゃんの部屋も用意しないとね」

不意にさゆみが話題を変えたことで
さくらは既に留守番を請け負ったことになった。
勿論全然構わないのだけれど、自由にしていていいというのは存外困る。

「さすがに生田とりほりほと三人で一つのベッドは狭いでしょ。
石田も佐藤と工藤のベッドで三人で寝てるし、新しく部屋用意して
石田と小田ちゃんの二人部屋にしちゃおっか」

「えっと、石田さんとですか?」

「いや?」

「嫌、じゃないですけど、石田さんはどうなんですかね」

さくらの困惑気味の声にさゆみがニヤニヤと笑う。

「どうなんだろうねぇ」

さくらはこういう時、やっぱりさゆみは少し先生に似てると思った。
言葉に含みがあって、それに気付かなくても何もないけれど
妙に気になる。
色々な物事が見えている人特有の言動、なのだろうか。


さくらは不意につんくのことを思い出していた。
破門され別れてから何となく考えが纏まらず、師のことが分からなかった。
今ならば、さゆみに尋ねても大丈夫だろうか。

「あの、道重さん」

「うん?」

「先生は、何をしたかったんでしょうか」

さゆみの目がすっと細まった。
それはリビングに入り込んだ午後の日差しのせいばかりではない。
だけど相変わらずその顔は優しかったので、さくらは言葉を継いだ。

「譜久村さんと鈴木さんの『因子』を使って実験したかった、というのは勿論本当だと思いますけど、
だったらもっと色々上手くやる方法はいくらでもあったんじゃないかって、思うんです」

「そうだね」

「私に二人を連れ出させたことも、結果的にそれが道重さんの怒りを招いて
後を追われたわけですから、私の失敗ですけど、先生の人選の失敗でもありますよね。
それに先生が、道重さんが私を追って島まで来るという展開を予想できなかったとは思えないんです。
なんだかわざとそうなるように仕向けたみたいな気がして」

「そうかもしれないね」

「だとしたら何故なんでしょう。
道重さんと戦うことになったら、実験どころじゃなくなるのに」


さゆみは視線を窓の外に向け、小さな声で言った。

「構って欲しかったのかもね」

さくらはその言葉を意外に感じながらも
どこか自分が納得していることに気付いた。

「戦ってる途中でね、ちょっと二人で話してたの。
私とつんくでね。
それで何となく思ったんだけど、気になったんじゃないかな」

「気になった、ですか?」

「自分と同じ立場の人間が今、何を考えてるのか。
私はもうあんまりそういう感覚って無くなってたんだけどね。
つんくとか後藤さんと同じ立場だとか。時間が経ち過ぎてるのもあるし、私は私、あの人達はあの人達、って感じで」

さくらには、どこか遠くを見つめるさゆみの視線の意味が分からない。
だけど何となく、『孤独』という言葉が脳裏に浮かんでいた。

「でもふっと、今何してるのかなぁ、とか思う時が無いわけじゃないから。
分からなくもないんだよね。つんくの気持ちも。分かりたくもないけど」


つんくが弟子を取り始めたのは10数年前、さゆみが初めて弟子をとったのが3年前。
長い長い二人の時間を思えば、突然同時期に同じことをしだした三大魔道士。
さゆみはつんくが弟子を取っていたことを知らなかったけれど、つんくは多分知っていただろう。
別に隠していたわけでもない。

さゆみが衣梨奈を弟子にしたのはほんの気まぐれ。
だけど薄くても協会との繋がりも、他の魔道士との繋がりもあったさゆみがそうすることは
それほど不思議なことではない。

しかし何十年、何百年の間殆ど他と関係を持たず一人でいたつんくが
突然弟子を取り始めたことは、何か大きな心境の変化があったという可能性を否定できない事実。
つんくのことだから、それも気まぐれと言われればそれまでだけれど。

さゆみには何となく、つんくには何かしら思う所があったのだと感じられた。
それが『因子持ちの魔道士を作る』という、自分達にとってもとんでもない実験を推し進める理由にもなったのではないだろうか。

「私も、何となくわかりました」

呟くさくらを見て、さゆみはまたふっと笑った。
衣梨奈や里保も年齢にそぐわない聡明さを持っているけれど
この子は少し違う。
多分感覚的に、『寂しさ』をよく知っている。
だからちょっとだけ似ているのだ。つんくや、自分と。


「だけどそれであんな大変な戦いして、自分も死にかけて、ちょっと私には真似出来ないですね」

「ほんと、いい迷惑だよね。
さゆみも二度と御免だよ。いまだに身体のあちこちが痛くてさ、魔力も全然だし、
ピンピンしてる生田たちが信じられないわ」

戦いを終えて日常に戻っても、さゆみの傷は癒えてはいない。
以前より少し痩せ、動くことも億劫になっていた。
さゆみほどの大魔道士が、外面にまで影響を及ぼすほどに消耗しているのだ。
そしてその失った魔力が膨大であるために、いつになれば元通りになるのか見当もつかない。

子供たちはそんなさゆみを気遣って、今まで以上に何かしようとしてくれる。
今街の魔道士に襲撃されるようなことがあったら、自分達がさゆみを守るんだと息巻いている会話も漏れ聞いた。
嬉しくもあり、要介護のお年寄りみたいな扱いが面白くなくもあり、複雑。

だけど弟子たちからも身をくらませたつんくと今の自分の様子は随分違っている。
衣梨奈や里保に、弱っているさゆみの寝首をかくなんて発想は微塵も無いだろう。


「つんくが弟子たちの所に帰らなかったのって
弟子達にやられるかもしれないってことだよね?」

さゆみが意地悪な笑みを作って尋ねると、さくらは事も無げに肯いた。

「そうですね。というか先生自身、『隙があればいつでもかかってきなさい』みたいなこと言ってたので。
まああの姿になった先生でも、ちょっと勝てる気がしないんですけどね。だれも」

「でも心配?」

「まあ、少しは」

「ふふふ」

「先生はあんなですけど、ただ頭のおかしい化け物っていうだけでも無かったんですよ」

「わかるよ」

さゆみがゆっくりと椅子から立ち上がり、さくらの頬をそっと撫でた。

「りっちゃんとか、君のこと見てればね」

そう言うとさゆみはぐっと伸びをして台所の方へ行ってしまった。

「明日宜しくね」

遠くからそんな声が聞える。
さくらはまた苦笑して、さゆみに触れられた頬に手を当てた。
カッと熱くなっていたのは手の方か、頬の方かはよく分からなかった。

 

 

 

亜佑美達の学校生活が始まって1週間。
ようやく新しい環境に慣れ始めていた。

朝は道重家から里保や衣梨奈と一緒に登校する。
終業後は、衣梨奈や里保たちとはクラスが違うからバラバラに帰宅。

明日はようやくの休日。
一週間の緊張で凝り固まった身体を伸ばしながら
亜佑美は優樹、遥と共に帰途についていた。

暫く歩いていると、黒猫姿の春菜もひょこひょこと現れて亜佑美たちに並んだ。
春菜はいつも暇そうだ。

秋の匂いが風に乗って舞っている。
涼しくなったかと思えば汗ばむ陽気の日もあって
そんなふうにして季節は移ろっていた。

「はぁー、やっとお休みだぁー」

優樹が大きく腕を伸ばしながら言った。
それに亜佑美と遥が苦笑する。

これまでと全く違う環境。
魔法を使うことも無く、魔道士であることも口にはしないで
普通の生徒として通う学校は新鮮で、だけどどうしても気を張ってしまっていた。


「でも最初は大丈夫かって思ったけどさ、
なんか上手くやってけそうじゃない?」

優樹に手を振り回されながら遥が言う。

「うん。みんないい顔してるよ」

のんびりと告げる春菜に優樹が唇を尖らせる。

「学校楽しいけどさ。疲れるんだよぅ」

亜佑美はそんな三人のやり取りを笑いながら見ていた。
そもそも優樹は我慢するのが苦手な子なので、以前協会の学校に通っていた時も同じだった。
友達と遊ぶのは楽しい。だけどじっと座って授業を受けるのは苦手。シンプルで分かりやすい。

自分はどうだろう。
魔道士が殆ど居ない学校で、魔法とは一切関わりの無い学び舎で
人間関係を築き、適応して生活していくことがこれから出来るのだろうか。

楽しみと不安が、まだ半分ずつ亜佑美の中にあった。


会話が途切れ、何となく四人は空を見上げた。
雲が高い。
鳥達が遊ぶ空には、柔らかい風が流れていた。

亜佑美はふと、戦いのことを思い出していた。
この街、M13地区に派遣され
優樹や遥、そして里保と再会したときのこと。
共に過ごした夏休みの最後、さくらと出会い、そして『西の大魔道士』と戦った。

僅かひと月の間の出来事だ。

亜佑美の心には焦りがあった。
つんくとの戦いは、魔道士としての自分にとって
これまでで最も恐ろしい体験であり、最も大きな経験のはず。

だけどその戦いの末に自分に何が残ったのかが分からなかった。
初めて死の恐怖を味わい、三大魔道士二人の、次元の違う応酬を目の当たりにし
初めて里保達と共闘した。

それだけの経験をしたのに、分からない。
分からないまま、学校に転入してバタバタと慌ただしい「魔法と関係のない」生活に追われて
時間が経過することに焦燥していた。
いったいあの戦いにどんな意味があったのか。

「ねえ、まーちゃんとどぅーとはるなんはさ」

ふと亜佑美が切り出した。

「怖かった?あのとき」

短い言葉。
だけどその意味を三人は瞬時に悟った。

みんなまだ、あの出来事を飲み込めていないのだ。


「うん」

まず優樹が答える。

「そりゃね」

遥も短い言葉で返した。

亜佑美は二人の返事にどこか安心し、
安心している自分が酷く情けないと思えた。

亜佑美は魔道士協会の執行魔道士。
この街では里保と二人だけの。

「正直さ、あんなの次元が違うよね。怖がるなって方が無理だよ」

亜佑美は春菜の答えを待たず笑いながら言った。
その横顔が痛ましくて、遥も優樹も同じように笑うことは出来なかった。
空元気や強がりが亜佑美は下手だから。

「鞘師さんや生田さんは、何で向かって行けたのかなって」

ぽつりと呟いて
亜佑美はそこで初めて、自分の中にあった焦りの正体に気付いた。

 

さゆみとつんくからすれば里保も衣梨奈も亜佑美もさくらもみんな同じ。
ただの子供。ひよっこ魔道士のはずなのに。
里保と衣梨奈は絶望的な力の差にも臆することなく立ち向かっていった。

亜佑美は戻ってから、里保が傷ついたさゆみと聖と香音を庇いながら
たった一人でつんくと戦っていたことを知った。
一人で。
果たして自分にそんなことが出来るのか。
考えるだけで虚しくなった。
だって自分は少しつんくの魔法を見ただけで、腰が砕けてしまったのだから。

「正直さ、鞘師さんとか生田さんの実力上だとは思ってたけど、そこまで差は無いんじゃないかとかね。
思ってたんだけどね。ぜんぜん、そんなこと無かった」

亜佑美の目に涙が浮かぶ。
悔しさなのか、情けなさなのか。
こんなことで泣くのなんてそれこそ情けないと分かっていても、視界はどんどん霞んでいった。

「しょうがないよ」

春菜が優しい声を出す。

「経験の差もある。
それに目的意識の差もあったよね」

目的。自分があの場に向かった目的は何かを思い返す。
勿論聖と香音を連れ戻すこと。さくらともう一度会うこと。
だけどどうしても自分が向かいたいと思ったのは、ただの意地だった。
置いて行かれるのが嫌で。


思えば嵐の道重邸で駄々をこねた時から
里保に対して引け目があったのかもしれない。

普段頼りなくておっちょこちょいな里保なのに
魔道士の顔をした途端、強くなる。
魔法の技術だけじゃない。正確な状況判断と的確な戦略。
そして断固とした意思の強さで道を切り開いてしまう。

敵わないと思ってしまったのだ。

ずっと里保へのリベンジに燃えて、執行魔道士を目指していた。
里保に負けた時よりも自分はずっと強くなったはずなのに。

「確かに、それもあるかもね。
でもなんかさ、自分って魔道士としての才能無いのかなって思っちゃうよね。
特に執行魔道士なんて戦う魔道士の代表なのに、こんなビビリじゃさ」

自虐を始めた亜佑美に、春菜も遥も優樹も何と声をかけていいのか分からなかった。
里保や衣梨奈との実力以上の差を、亜佑美でなくとも少なからず感じていたこともある。

今回の戦いはまだ子供の自分達が受け止めるには余りにも相手が大きすぎた。
だからこそ、考えてしまうのだ。
自分の魔法は、いったい何のためにあるのかと。


「やっさんもビビッてたと思うけどね。いくたさんも」

ポツリと優樹が言った。
亜佑美はそんな優樹を睨んだ。
何故睨むのかを考えて、
「鞘師さんがビビるはずがない。私の憧れの鞘師さんを貶めるな」という意識の所為なのだと気付き愕然とする。
そこまで自分は里保に対して遜ってしまっているのだ。

「ハルもそう思う」

遥まで優樹に同意したことに亜佑美は酷く戸惑った。


「あんな歴然とした実力差があって、全く怖くないなんてそれこそすぐ死んじゃうよね」

春菜も続ける。
里保も衣梨奈もつんくを相手にして恐れをなしていたと。

「でも、そんな素振り一切見せずに実際向かっていったし」

亜佑美が涙の溜まった目を細めて優樹に言うと
優樹は真っ直ぐ前を見て歩きながら口を開いた。

「だってすずきさんとふくぬらさんとみにしげさんがいたもん」


その言葉にハッとする。

目的。
さっき春菜の口からも出たその言葉が、もう一度亜佑美の頭に響いた。

確かに里保だって衣梨奈だって怖くなかったはずがない。
三大魔道士の敵意を前にして何も感じないならば、それはただのバカだ。

だけどそんな恐怖に晒されながら、それでも戦わなければならない理由。
聖と香音、そしてさゆみを守ること。
それが里保や衣梨奈にとって、あの場面でどれだけ大きな意味を持っていたのか。

「二人は譜久村さんと鈴木さんが『因子持ち』なことを前から知ってたしね。
それに、道重さんのことも、私たちが知らない何かを知ってるかもしれないし、
あの戦いの結果次第で三人を失うことになる可能性があると誰よりも感じてたんじゃないかな」

春菜の言う通り。
実際、亜佑美は聖と香音が『因子』を持つが故につんくに誘拐されたのだと知っても
それが具体的にどういう意味を持つのか全然想像出来なかった。

だから怒りを顕わにしたさゆみや、里保や衣梨奈に戸惑っていたのも事実だ。

「結局『気持ち』なんじゃない?」

遥の言葉。

「結局『気持ち』か」

亜佑美がついオウム返しする。
一拍の間の後、それが可笑しくて笑いが起こった。


笑ったことで、深刻な空気はいっぺんに飛んでしまう。
ぐちゃぐちゃ考えたことの結論は何一つ出ていないけれど
遥の一言が結局全ての答えなのだと、そんな風に思うと
亜佑美の心は不思議と晴れていた。

「私もね、結構長いこと魔道士やってるけど、あんまり戦闘魔法って得意じゃないのね」

春菜が話し始める。

「それが最初は結構悔しくてさ。
でも魔法を教えてくれた人に、『戦いたいの?』って聞かれて。
戦う為に魔法を研究してるのって言われて、気付いたの。
その時初めて、『自分は何のために魔法を使うか』って考えるようになった
何で魔法を研究するのかって」

「何のために魔法を使う、かぁ」

氷の魔法は何の為の魔法だっただろう。
何となく出来た。得意だった。競技会で通用した。
全部『なんとなく』だった気がする。

「そういわれるとハルもよくわかんないや」

「まさ最初から魔法使えたからわかんない」

「まーちゃんは特別だから」

皆の声はいつしか柔らかくなっていた。
これまで『何のための魔法』かなんて考えず、ただ魔法を勉強していた。
それに気付いた途端、亜佑美は目の前が開けた感覚になった。

多分里保や衣梨奈の魔法は、大切なものを守るための魔法。
その目的と、魔法とが一致していて、だから強い。

自分達はまだまだ子供で、だから大人になる前に今一度考えようと思った。
自分が魔法で何を目指し、どんな魔法使いになるのかを。

優樹も遥も、同じだろう。
小さいころからの親友同士、少しずつ自分達も大人になっていくのだと。


「ところで亜佑美さ、聞いた?」

優樹が、話は終わりとばかり切り出す。

「え、なにを?」

「小田ちゃんと一緒の部屋になるらしいよ?」

「へぁ!?」

亜佑美の反応に遥と春菜が笑い転げる。

「いいなー、まさも小田ちゃんと一緒の部屋が良かった」

「ちょっとまーちゃん、そりゃないでしょ」

遥の抗議の声を無視して亜佑美が優樹に詰め寄った。

「何それ?なんで?誰が決めたの?」

「みにしげさんが昨日言ってたよ?」

「マジか…」

「あゆみんは嫌なの?」

春菜の問いに、亜佑美が複雑そうな表情を浮かべる。

「いや、いやじゃないけど…。なんかさ、小田ちゃんのこと未だによく分からないんだよねウチ。
馴染み過ぎじゃない?なんか、ぬるんと。どっちかっていうと、うん、嫌いじゃないけど、ちょっと苦手だわ」

「分からなくない」

遥の同意に、亜佑美が強く肯いた。

「相変わらず不思議な子だもんね。
なんか私もちょっとアレだわ。不意打ちで気絶させたお詫びって言って思い切りゴロゴロされたし」

春菜の渋い顔。その様子を想像して亜佑美と遥の顔が引きつる。


「だいたいまーちゃんが馴染みすぎなのよ。
まーちゃんと生田さんもか。まだ会って1週間とかしか経ってないのにさ。鞘師さんだってまだ微妙な感じじゃん」

亜佑美の言葉に優樹は事も無げに言った。

「やっさん誰に対してもあんなんじゃん」

「確かに…」

「とにかく、あゆみ、頑張ってね」

「ま、道重さんがそういうなら仕方ないから、仲良くなれるように頑張るわ…」

実際、驚きはしたものの同室になることが嫌なわけでは無い。
変化も受け入れようと思った。
多分、里保や衣梨奈との出会いで亜佑美が一回り成長出来たように
さくらとのこれからにも何かしら得るものがあるはずだから。
それを期待して。

さくらは本人はその気はないかもしれないけれどかなりおっちょこちょいだ。
いまだに魔法が使える気分で、危ないことをやらかしかねない。
結局魔道士としてのさくらを一度も見ていないから知らないけれど
せめて魔力が戻るまで、守ってあげる手も必要なんだろう。

たまには自分も、その手を貸してあげてもいいか。


「むむむ」

突然、春菜か声を出し早歩きになった。
三人不思議そうに声をかける。

「どうしたのはるなん?」

「珍しい。生田さんと譜久村さんが二人きりで下校中です!これはムフフの予感!追跡せねば!」

「『何のための魔法』なんだか…」

亜佑美の呆れ声を背に駆け出した春菜を追って
何となく三人も駆け出した。

 

 

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最終更新:2017年07月20日 19:57