時の縦穴


道重邸の屋根裏の長い廊下の一番先に、その部屋はある。
十二畳ほどの窓も調度品もないその部屋の真ん中には、常時見張り役の大きな熊のぬいぐるみが入口を向いて立っている。
その背後にある古い木製の両開きの扉が『時の縦穴』の入口だ。
それは直径5メートルほどの上下に伸びた全長250メートルほどの縦穴で、入口はその真ん中にある。
そして内部には強力な時空間魔法が施されている。
そのため穴の中では深さによって時間の進み方が違う。
簡単に言えば、約3メートル上がるごとに時間の進む速さが倍になり、3メートル下がるごとに半分になる。

判りやすく説明しよう。
通常なら入口から落とした物は5秒足らずで底まで達するが、時の縦穴の中では数千年かかるのだ。
それがどういう風に見えるかと言うと、最初の1メートルほどは普通に加速するが2メートルで速度が上限に達した後は減速し続け、
40メートル落ちる頃にはほとんど静止したようになる。
その時までに30分近く経過しているはずである。
しかし落下する物や生き物にとっては通常の時の流れと変わらない。
5秒後には時速150キロ以上のスピードで穴の底に衝突してしまうだろう。
そして落下する者が入口にいる人物を見たら、急速に動きが速くなっていくように見えるだろう。
数秒後に死が迫っている者にそんな観察をする余裕があればだが。
しかし入口で見ている者からすれば助ける時間はほぼ無限にあるのだから、落下する者が助かるチャンスは大いにある。
 

逆に入口から上に高く投げ上げられた場合は、入口から見るとまるでゴムに引っ張られて天井で跳ね返って来るように見えるだろう。
天井まで高く投げ上げたとしても入口から見た時間はほとんど変わらない。
投げ上げられた者にとってもそれは10秒足らずの時間でしかない。
しかし高い位置にとどまった場合は、外部では数分しか経過しない間に数時間でも数日でも過ごすことが出来る。
その状況で事故で身動きが出来なくなった場合、本人にとっては何年も何千年も救助が来ず手遅れになる事態がありうる。
そのような事故を防ぐのも見張り役の大事な役目である。

さゆみ自身も時々上のレベルで過ごすことがあった。
邸内の子供たちに気付かれることなく快楽のひと時を楽しむのだ。
そして休養のために上で何年間も眠ったこともある。
食料や生き物を保存するために深い穴に落としたりもする。
戦乱の時代には治療の時間を稼ぐために重症者や重病人をどんどん放り込んだものだ。
それらの物や人の出入りを監視してさゆみに注意を促すのも見張り役の役目である。

そして見張り役であるぬいぐるみは知っていた。
何百年も前、最初に落とされた人物を。
治療法を見つけるという約束を信じて百メートル以上落下し続けながら眠ったままの女性を。
絵里を。


おわり

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最終更新:2017年08月26日 16:58