本編9 『道重さんの”お話”』


さゆみが眠る遥の頭を撫でていると
片付けを終えた衣梨奈が戻って来た。

「あ、寝ちゃったんですね」

「そうみたい。ベッドに運んであげて」

「はい」

そっと、起こさないように衣梨奈が遥を抱き上げる。
それからどこがいいかと思案しながら、その場を離れた。

さゆみは暫しその後ろ姿を眺め
徐ろにノートパソコンを立ち上げた。
そして、春菜に通信を入れる。
春菜はすぐ通信に応じ、画面にその姿が映し出された。


『道重さん、こんばんは』

「こんばんは、はるなん。人の家の団欒を覗き見るのは、いい趣味とは言えないよ?」

『す、すみません。つい、気になったもので』

含み笑いを浮かべながら言うさゆみに、春菜が慌てる。
さゆみはそれを見て、クスクスと笑った。

「はるなんはどう思う?協会のこと」

『そうですね……。私はこの街の外のことに関しては門外漢なので、
魔道士協会のこともそんなに詳しくないんですが、変な感じがします。
何か嫌な予感がするというのも同感です』

「そうなのよね……」

言ってさゆみが溜息をつく。
経験から、自分の想像していることはそう遠くない未来に起こるだろうと確信している。
別に協会が何をしようと、街の外がどうなろうと知ったことでは無いけれど。


『道重さんは、何か読めているような感じでしたけど、何があるんですか?
もしかして未来を視たんですか?』

「視なくても分かることってあるのよ。はぁ…ヤだなぁ」

優樹や遥、そして里保も既に大きく関わってしまっている。
結局誰がどんな風に行動しても、結果があって、それは歴史となるだろう。
喜ぶ人間も、苦しむ人もいる。
さゆみはもう、そんな歴史をいくらでも見てきた。
小さなことでも、大きな転機にも、誰もが幸せになるような結末なんてない。

でも単純に、好きな人の辛い顔を見るのは嫌だと思った。
あの子達の悲しむ顔は、出来ることならば見たくない。

『……どんなことが、起こるんですか?』

さゆみの表情に、不安の色を浮かべて春菜が尋ねた。
物憂い笑みを浮かべて、さゆみが春菜を見つめる。

「はるなんでも考えれば分かるよ。それに100%じゃないから教えてあげない。
はるなんにとっては、チャンスになるかも、ね…」

『私にとってチャンス…ですか?それは何か、私たち、というか、この街に
 
大きく関わるようなことなんでしょうか』

「関係無いから、安心して」

『分かりました。もう少し考えてみます』

「うん、じゃーね」

『あの子を抱く道重さん、天使みたいでした。それでは』

春菜が言って通信を切った。

さゆみはそのままネットパトロールに向かう気にもなれず
パソコンの電源を落として閉じる。
もう随分と晩い時間になっていた。
長い一日だ、と思う。
さゆみは、立ち上がり優樹が寝ている部屋に向かった。


さゆみが戸を開けると
里保はまだ一心不乱に優樹の傷口を撫でていた。
数瞬の間があって、里保が振り返る。

「あ、みっしげさん…」

「どう?様子は」

「わかりません…」

里保は自信無さげに眉を落とした。
さゆみが近寄り、優樹の傷口を覗く。

「うん。大分良くなってるみたい。さすがりほりほは勘がいいね」

複雑な表情で里保が笑った。

「どうすればいいのか全然分からなくて…。たださすってることしか出来ないんです」

「でも実際、まーちゃんの傷は癒えてるみたいだよ。
魔力もちょっとずつ戻ってるみたい。ね、りほりほ、難しく考えなくていいの。
ごめんね、さっきは意地悪な言い方しちゃった」

「いえ、そんな…」


さゆみが里保の傍らに屈み、優樹に宛てがわれた手の上に手を重ねる。
里保に少しずつ流れていた魔力の道が、すっと閉じた。
あ、と里保が思わず声を上げる。

「お腹空いたでしょ?今日はもうここまでにしよう。
りほりほだってまだ身体万全じゃないんだし。この子のこと、もう心配する程じゃないからね」

「でも……」

「生田が残念がってたよ。温かいうちに、りほりほにも食べて貰いたかったんでしょうね」

里保は衣梨奈の顔を思い出していた。
少なくとも衣梨奈がしてくたことが無ければ、優樹に何も出来なかったと思う。
今日、昼間から自分は衣梨奈に助けられてばかりだ。
何度、どれくらい、里保自信の気持ちが衣梨奈に救われたか分からなかった。
優しすぎる。優しすぎて、愛おしすぎて、自分が側に居られることが奇跡のようにさえ思える。
さゆみもそうだ。
どうしてこんなに卑小で惨めな自分に、二人共こんなに優しくしてくれるんだろう。
優しいから、ますます自分のことが分からなくなる。

こんなに、守られていると感じたのは始めてだった。
それが申し訳なく、苦しく、そしてたまらなく嬉しいと思う。


自分は強く無い。
でも、改めて強くなりたいと思う。
この人達にただ守られるだけじゃなく、せめて何か返せるような
願わくば支え合えるような気持ちの強さが欲しいと思った。
そんな理想には、まだまだ遠すぎる。
少しずつ、心に翳る問題に当たっていく。その為にも今は、さゆみに従うことにしよう。

一人でも生きていけるなんて思っていた。
今となってはもう、考えられない。

里保は立ち上がり
優樹の身体に毛布を掛けて、その穏やかな額を撫でた。
この子も、優しい子だった。交わした言葉に、どれほど里保の気持ちが救われたか分からない。
遥もきっと、優しい。


「ありがとうね、優樹ちゃん。また」

優樹の寝顔に里保が声を落とす。
さゆみが少し以外そうにそれを聞いて、微笑んだ。

「さ、ご飯食べて。お風呂に入って。休も」

「はい」

優樹の仄かな寝息を残して、二人は部屋を出た。


里保が遅い食事をしていると
衣梨奈が戻って来た。

「うーん、どこがいいとかいな…」

「どうしたの、えりぽん」

「工藤ちゃん、えりのベッドに寝かしたけん
えりたちどこで寝ればいいかと思って」

聞けば、余った部屋に遥を運ぼうとしたものの、長く使って居なかったせいで
埃っぽく、とても弱った遥を寝かせられなかった為、自分のベッドを使わせたらしい。

それは普段衣梨奈と里保が使っているベッドで、だから二人は今日別の場所で寝なければいけない。
こんな時間から部屋の掃除を始めるというのも嫌だけれど、仕方ないかと
二人が話していると、お風呂から上がってきたさゆみが割り込んだ。

「いいよ。今日は二人共、さゆみのベッドで寝な。
狭いけど三人くらい入るから。多分ね」

「おお、いいんですか?」

申し出に、掃除をする気になっていた衣梨奈は喜びの声を上げる。
逆に里保は、驚き固まっていた。

「え、道重さんと…一緒に?」

「ふくちゃん達のこととか、後でお話してあげるって言ったしね。
あ、そういえばりほりほと一緒に寝たこと無かったね」

笑うさゆみに、里保の顔が赤く染まる。


「え、えりぽんは、道重さんと一緒に寝たことあるの?」

「うん、たまに」

「そ、そうなんだ…。い、いいんですか?」

「なになに、りほりほ、どうしたの?全然いいよ。もしかして緊張してる?」

「い、いえ…」

里保の様子が可笑しくてたまらないというように、さゆみに笑顔の花が咲いた。

「じゃあ、待ってるから二人共早くお風呂済ましておいで」

「は、はい」

慌てて食器を片し、里保が風呂場へ向かう。

「あ、待って里保。えりも入る」

衣梨奈も慌ててその後を追った。


 

風呂から上がり、髪を乾かしながら、里保は些か緊張していた。
心なしか、身体を入念に洗った気がする。
何でそんなことをしたのか、自分でもよく分からなかった。
そういえばもう、かなりこの家を訪れ寝泊りしているけれど
さゆみの部屋に入ったことが無い。
やはり遠慮もあったし、何か開けてはいけない扉のようにも感じていた。

フランクに接してくれてはいるけれど
自分とは遥かにキャリアの違う、大先輩にあたる魔道士で
その部屋には、その長大な時間で培った魔法の秘密があるような気がする。

しかし、さっさと前を歩く衣梨奈に従って
踏み込んだその部屋は、思いのほか普通だった。

こざっぱりとした調度。
魔具や魔道書の類も、最小限しか置いていない。
大きなベッドの周りに、縫い包みが数個並べてある、少女のような部屋だった。


さゆみはパジャマを着て、部屋の机で何か本を読んでいた。
衣梨奈と里保が戸を叩き入ってくると、笑顔で二人を迎え入れる。

「さ、寝ますかー。りほりほもそんなに緊張しないでよ。さゆみまで緊張しちゃうじゃん」

緊張の解けていない里保にさゆみが笑いかけた。
衣梨奈は勝手知ったる様子で、持ってきた枕をベッドに並べる。

さゆみも、さっさと布団を捲り、そこに潜り込んだ。
衣梨奈がその隣に潜り込む。中々来れない里保を、さゆみが手招きした。

「ほらおいで、りほりほ」

「は、はい。失礼します…」

さゆみを真ん中にして、三人川の字で横になる。
暖かさに包まれた里保は、何だか擽ったいような気持ちになって
仄かに頬を染めていた。
さゆみが指を振ると、照明が落ちて、代わりに柔らかい常夜灯がともった。

「んふふ、なんかママと里保と一緒に寝てるみたい」

「だれがアンタのママよ。りほりほ、もうちょっとこっち来て。端から落ちちゃうよ」

身を固くしていた里保を、さゆみが引き寄せ
衣梨奈もそれに併せてさゆみに引っ付く。
二人がさゆみに寄り添うような体勢になった。

さゆみの温もりを直に感じて、里保は緊張しながらも、大きな安心感に包まれていた。
この部屋は、窓の外から虫の声がよく届いて、静かで賑やかしい夏の夜が包み込む。


「道重さん、お話してくれますか?」

暫くの沈黙の後、衣梨奈が呟いた。

「ああ、そうだね。えっと、なんだっけ」

「ふくちゃん達に、魔道士のことについてお話してもいいのかって話ですか?」

里保も話に参加する。
二人の声が小さく近くて、里保の胸が妙にドキドキと高鳴った。

「そうだね。うん、別に話してもいいよ。二人は、話しちゃダメって言われてた?」

里保は少しだけ思い返してみた。
そもそも環境柄、魔道士以外の人とあまり接触してこなかった。
学校等では魔道士のことや協会のことは言ってはいけないと言われた気もする。
はっきり注意されたというよりは、そういう雰囲気が生田家にあった。

「うーん、言っちゃダメって言われたような気がする。ねえ、里保」

「多分、そんな気がします。学校とかでは」

「ま、積極的に言いふらすことでも無いからね。それに、子供には言っちゃだめ」

「なんでですか?」

「だって、夢が無くなるでしょ?」


少し意外だと思った。
子供にとって魔法や魔法使いの存在は、寧ろ夢の顕現なんじゃないだろうか。
里保も小さい頃はいろんな寝物語で魔法の世界に触れて
自分にもそんな魔法使いになれる才能があることが嬉しかった。

「うーん、どういうことっちゃろ。逆じゃないですか?」

「まあ、サンタさんみたいなもの。サンタさんとは逆かもしれないけど」

サンタさんは、実際には居ない。
里保も衣梨奈も小さい頃はその日が楽しみで、毎年クリスマスの夜こっそりと
プレゼントを置いてくれる、サンタさんという、凄い魔法使いがいると信じていた。
少し大きくなると、局長が二人のためにそんな演出をしてくれていて
プレゼントをくれていたことを知った。
知ったことで、少し残念な気持ちにもなったけれど、それ以上に局長への
感謝の気持ちに包まれたのを覚えている。


「私たちみたいな魔法使いはね、ずっと子供みたいなもんだから。
実際に魔法使えるし、何か夢を自分の魔法で叶えられる可能性を信じられるの。
大きくなったら、流石にそんな簡単じゃないって分かるけどね。
生田の『世界一の魔法使いになる』って夢、魔法使いなら叶えられるかもしれないでしょ?」

里保からは見えないけれど、衣梨奈がはにかみ微笑んでいるのが分かった。

「でも魔法を使えない子達にとってはね、魔法ってもっと何でも出来る、
どんな夢でも叶えられる奇跡なのよ。自分が正義のヒーローになったり
誰にも出来ないことが出来ちゃったり。魔法使いが側にいれば、一生幸せに暮らせたり」

少しだけ、話が分かった気がする。
確かに子供の頃に漠然と夢見た魔法使いや、物語に登場する魔法使いと
現実は随分違う。魔法が使えるからって特別幸せでもないし、みんなそれぞれ悩み、もがいている。

「そんな子供たちにね、『本当に魔法使いがいる』って教えるのは残酷なのよ。
本当の魔法使いが、別に何にも幸せをもたらしてくれないし、普通に同じ狭い世界のなかで
同じようにせせこましく生きて、生活してるってことはね。
それに、魔力を持たずに生まれた子は、頑張ったって自分が魔法使いにはなれないし」

「うーん……そんなもんなんですね」


「大人になると、まあ漠然と知るようにはなるの。サンタさんよりは遅いだろうけど。
実際魔法使いも同じ世界に居て、時々は魔法を使ってお仕事してるわけだからね。
でももし魔法使いのことを知らない人がいても、はっきりとは教えないものよ。
『魔法使いって本当はいるんじゃない…?』って誰かが言いだしたら
いることを知ってる人は『いるわけないじゃん、バカだねー』って言ってあげるのが礼儀」

「あは、なんか変ですね。本当にサンタさんと逆だ」

「んふふ。そうでしょ。そういうもんなの」

「なんか、今まで全然そんなこと考えたこと無かったです…」

里保は改めて、これまでの自分自身の人との接し方を考えてみた。
協会の執行魔道士として早くから活動していたから、組織としての秘密を守ることの一環で
やはり魔法のことも口外出来なかったというのはある。
それに、大人も皆知らないフリをしていたから、言ってはいけないことなのだと漠然と考えていた。

「じゃあ、生田とりほりほにクイズね」

「はい?」

「世の中いろんな魔法使いが、まあそれなりに魔法を使って働いてるわけだけど、
そんな中で一番軽蔑されるお仕事って何だと思う?別にさゆみはいいと思ってるけど
一般的に、魔法使いがやったら恥だと思われてるお仕事」

なんだろう。いろいろと考えは浮かぶ。
犯罪者。魔法を使って、人を陥れること。でもそれはお仕事とは言わない。
軍人?でもそれは、魔法使いが歴史の中で少なからず関わってきたお仕事だ。

「うーん、ぜんぜん分からん…。詐欺師とか?」

「それ、魔法使いじゃなくても軽蔑されるでしょ。りほりほは?」

「うちも分かんないです…」

さゆみは頭を悩ませる子供達の声を一頻り聞き、満足したあと口を開いた。


「正解はね、手品師」

里保は、それを聞き、なるほどと思った。

「えー、いいじゃないですか手品師」

「いや、えりぽん、魔道士の手品師は無しだよ。手品って、タネも仕掛けもあるけど
不思議で、頭を悩ませて、でも分からないから面白いんじゃん。
本当にタネも仕掛けもないただの魔法だったら、全然面白くない」

「ま、そういうこと。子供は同じように驚いてくれるかもしれないけど
魔法使いはもちろんすぐ分かるし、魔力の無い人でも大人なら何となく分かるからね。
あー、これは最初からタネも仕掛けも無いんだって。もっと言えば、やらないだけで
同じこと出来る人なんていくらでもいるって。本当に魔力が無くても、人をびっくりさせられる
工夫とか技術とか、そういう方がずっと人の心に届くみたいね」

「うーん…言われてみればそうかも」


今まで考えもしなかった話が新鮮だった。
自分とは直接関わらないと思っていた世界。
魔道士が魔道士として生きているように、
そうじゃない人達も自分達の暮らしをしていて、それらは切り離されず、緩やかに繋がっている。

このM13地区では、その繋がりも顕著だと思った。
例えば春菜が働いている古本屋の店長さんは魔道士ではない。
でも魔法関連の書籍を扱っていて、造詣も深いそうだ。

話を聞いた後ならば、聖のお手伝いさんとさゆみの会話の意味も、何となくわかる。

 

「ま、そんな感じ。だから聖ちゃんと香音ちゃんには、ちょっと早いかもだけど、
ちゃんと教えてあげてもいいの。二人共もう随分大人になったしね。それに、漠然と知るより
あの子達はちゃんと知ってた方がいい」

里保は、そこで予てから感じていた疑問をさゆみにぶつけた。

「あの、道重さんはどうしてふくちゃんと香音ちゃんだけ、そうするんですか?
いつも何だか、二人だけ特別みたいに感じるんですけど…」

「あ、えりも気になってたっちゃん」

さゆみが少し黙り、何か考えを整理するように人差し指を口に当てる。
それから、左右の二人の顔をゆっくりと見渡して話しだした。

「それはね、うん、あの子達、『因子持ち』なの」

「因子?」

「二人はふくちゃんと香音ちゃんに、何か魔法的な力を感じたことある?」

さゆみの問いに衣梨奈がすぐに答える。

「無いです」

「うちも、今のところ無いです」


「だよね。さゆみの気にしすぎ、なんだけど。
『因子持ち』ってね、魔力は無いから魔法は使えないけど、その子自体が魔法的な…
うーん、説明難しいけど、とにかく凄い珍しい子なの。さゆみも久々に会ったし
同じ学校に二人もいて、二人とも友達同士なんて殆ど奇跡みたいな確率。
普通の魔道士なんかよりずっとずっと少ないからね」

里保はさゆみの言葉に混乱していた。
その説明で、それがどういうものなのかはまだ判然としない。
でも、衣梨奈と仲がよく、自分も友達になれた二人が、
さゆみをしても珍しいという程の何かだというのか。

里保の反対側で衣梨奈も身を固くして聞いているのが分かった。
里保よりもずっと、衣梨奈が二人のことを気にしているはずだ。

「今は見分けられる魔法使いさえ殆ど居ないからね。現に生田やりほりほには
別に他の子達と変わらないでしょ?もう随分昔に、そういうのも無くなったの。
協会も、多分詳しくは知らないはずだよ」

「その『因子』っていうのがあると、どうなるんですか?
道重さんがえりに聖と香音ちゃんのこと守るように言ったのは…」


「うん。本当に、もう殆どの魔道士にとっては関係無いし、そもそも存在すら知らないんだけどね。
随分昔には、そういう『因子持ち』の子たちが魔法使いに狙われてたの。
とにかくその身体が貴重で、髪の毛とか爪とかも魔法の薬を作る材料になったりするから。
しかも、本人達には魔力が無いから、いろいろと、ね…」

里保はその言葉に、嫌な想像を掻き立てられた。
抵抗力が無く、魔道士にとって貴重な身体を持っている。
今は失われているとしても、その技術がまだあった当時、『因子持ち』の人達が
どんな目に合わされていたのか。それは想像するだに、目を覆いたくなるようなことだった。

「そんな……聖たちが…」

「言ったでしょ。今の時代には普通の子と変わらない。
さゆみみたいにその時代を知ってる人間以外では、そういう存在を知ってたとしても見分けられない。
もし見分ける方法を調べ上げたとしても、その後その子達をどうこうする方法までは分からない。
一度失われた技術は、一人の魔法使いがコツコツ研究したくらいで復元出来るようなものじゃないの」

さゆみは、少し早口に言葉を並べた。
衣梨奈と里保を安心させようとしていると分かる。


現に里保も、今までそんなことはまるで知らなかったし、協会でも噂ですら聞いたことがない。
さゆみの口ぶりからは、協会が出来る以前に失われた技術だと読み取れるし
そうなると、どこかに保存されているとも考えにくい。

でも、多分さゆみは不安なのだと思う。
それは、かつてその人達が、どれだけ凄惨な目にあったかを裏付けているようだった。

「だからね、念のため。もちろんあの子達にはそんなこと教えないけど。
ただ不安にさせるだけだもんね。でも生田とりほりほは、本当にたまたまだけど
二人の友達で魔法使いなんだから、もしもの時にはちゃんと守ってあげなきゃ、ね」

「はい、もちろん…」

衣梨奈が強ばった声で返事をする。
少しだけ沈黙が流れ、夜虫の合唱が部屋に戻った。


さゆみが、小さな明るい声で沈黙を破る。

「二人とも、頭の片隅にでも置いとけばいいよ。本当に、何かある確率なんて低いから。
今はどっちかって言うと、工藤ちゃんとまーちゃんのことの方が、いろいろ考えなくちゃだもんね」

「あ、そうですね」

どこかもやついたまま、里保と衣梨奈は今聞いた話を頭の片隅に押し込んだ。
確かに現状考えなくてはいけないことは、遥と優樹のこと。

「明日から、どの部屋に泊まってもらうか、とか。
りほりほは、明日もまーちゃんを看に来るでしょう?」

「はい、そのつもりです」

里保の力強い返事に、さゆみが微笑む。

「ふふ。じゃあ工藤ちゃんとの仲直りも、早めに済まさないとね」

「う…それは」


「大丈夫やって、里保。あの子友達想いのいい子っちゃもん。ちゃんと話せば分かってくれると」

その、話せることが無いのだから、難しいのだけど。
里保は返す言葉もなく、黙り込んだ。
里保だって、遥が悪い子な訳は無く、自分が嫌われるだけの理由があるのも充分わかっている。

それに、仲良くなったとしても、まだ自分達は敵対する可能性もあるのだ。
どんな関係が望ましいのか分からない。
ただ自分が、遥と優樹のことを一方的に好いている、そんな関係が
一番いいんじゃないかとも思った。

「そんなに難しく考えなくてもいいんだよりほりほ。なるようになるから。
とにかく明日からはみんなひとつ屋根の下で暮らすの。楽しくやれたらいいね」

すっかり自分も道重家の一員に数えられている。
最近入り浸りすぎだなと苦笑する。でも里保にとってその言葉は嬉しかった。

今日一日、色々なことを考えて、何一つ芳しい結論には辿りつかなかった。
ただぞろ疲れて、混乱して、優しさに助けられて、
そんな無様を晒し続けた一日が、もうすぐ終わる。
明日はもう少し強くなれてたらいい。もう少し強くなって、改めて考えようと思った。


「二人共、今日は疲れたでしょう。お話はこれくらいにして、寝よっか」

「はい。道重さん、ありがとうございました」

「ありがとうございました。本当に…」

「また明日も頑張ろうね。テストも近いでしょ?二人共頑張りなさいよ」

「そうっちゃん…」

ああ、忘れていた。
今日は全く勉強していない。気が重い。

「ふふ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

長い一日だった。
でも、こうして一日の最後に大好きな人におやすみを告げられる。
里保は今、自分がとても幸せなのだと感じていた。

程なく里保と衣梨奈の寝息が聞こえ出す。
さゆみは二人の頬に口付けて、目を閉じた。


本編8 本編10

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最終更新:2014年07月14日 23:00