小さなしるし

 

ぽかぽか陽気の昼下がり。
テスト前ということで衣梨奈は少し早めの帰宅。
一緒にテスト勉強をしようということで、里保も道重家へとお邪魔することに。

手洗いうがいを済ませると衣梨奈は
「おやつの用意してくるけん、里保先に始めとって」
そう言ってキッチンへ向かった。
こういうことは衣梨奈に任せておくのが良いと分かっているので
里保も素直に従ってリビングへと向かった。

さて何の教科から始めようかと考えつつリビングに入ると、
大魔道士・道重さゆみがいつもの定位置、パソコンの前に座っているのが見えた。
しかしどうやらうたた寝でもしているらしく、小さく船を漕いでいる。
どうりで今日は「おかえり」という声が聞こえなかった訳だ。

それにしても。
こんな無防備な姿を見ていると、本当にこの人がそんな凄い魔道士なのかどうか、分からなくなる時がある。
いつもミステリアスな笑みを浮かべ、多分この街で起こっていることのほとんどを把握し、
そしてこの先起こるであろうことも予見している―なんて、今のさゆみの姿からは到底想像もできないのだ。

起きる気配のないさゆみを、里保はあらためてまじまじと観察する。
この人のことだからもしかしたら、里保と衣梨奈が帰ってきていることなどとっくに気がついているのかもしれない。
もしそうだとしても、そのうえでこんな無防備にしているというのなら、それだけ自分が信頼されているということだろうか。

魔法使いを束ねる協会ですら、触れることの出来ない大魔道士。
こんなにも美しいその女性と、自分との間に、何か特別な関係が築かれているようで、
里保は嬉しいようなむずむずするような気持ちが湧き上がってくる。
そしてそれは、ちょっとしたいたずら心も芽生えさせた。


ピクリとさゆみが動き、のろのろとその目を開いた。
自分の左手に違和感を覚え、ゆっくり顔を上げる。
視界の隅で、リビングのソファに座っている里保が自分から目を逸らすように素早く下を向いたのが分かった。
と同時に、左手の違和感が解ける。
寝起きでうつろなさゆみの視界に、とても細い糸のようなものがはらはらと消えていくのが一瞬見えた。
(今のは何だろう?)
まだ少しだけじわじわと痛いような熱いような感覚があり、さゆみは自分の左手の指を確認した。

左手の薬指、そこには細い何かで締め付けられたような痕がついていた。

(あぁ、そういうことね)
そこをそっと撫でると、微かにあの子の魔力が感じられる。
そういえばあの子はこの街に来てから、蜘蛛の糸の魔法を”奪った”んだっけ。
(可愛いことするなぁ、もう)
ふふ、と小さく笑うとさゆみは顔を上げてあらためて里保を見る。
里保はというと、まだ下を向いたままでその顔を上げるつもりはないらしい。
しかし髪の隙間から見えるその耳は真っ赤になっていて、そんな姿がまたさゆみの心をくすぐる。

自分の大切なものには、自分だけの『しるし』を。
そんな他愛もない独占欲が、さゆみにとって可愛らしくもあり、そしてそんなことができる里保が少しだけ羨ましくもある。
けど微かにつけられただけのそれは、多分すぐにでも消えてしまうだろう。
さゆみは引き出しからキャラクターが描かれたピンクの絆創膏を取り出すと、里保がつけた痕を覆うようにそれを貼った。
痕が消えても、そこに『しるし』があったということを残しておけるように――。

 

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最終更新:2014年02月04日 19:41