本編11 『好晴/暗雲』

 

その部屋はもう随分長い間、物置として使われていた。
大きめのベッドが一つあるから、小さな優樹と遥が一緒に寝るには
充分だけれど、その上には埃が積もっている。
それに、部屋にはよく分からない大小様々な物が埃を被ったまま置いてあった。

「うーん、まずこの物をどげんかせんといかんね。
道重さん、これどうします?」

部屋の様子を改めて確認した衣梨奈がさゆみに尋ねる。

「使って無いものだし、捨てちゃっていいよ。欲しいものがあればあげるけど」

里保はそれを聞いて勿体無いと思ったけれど口に出さなかった。
そういう割り切れない考えが片付け下手にしているのだと
以前衣梨奈に指摘されたこともあったから。

「ここって聖とか香音ちゃんが入っても大丈夫ですか?」

「たぶん危ないものは無いはず。書庫とかさゆみの研究部屋には入らないようにね」

さゆみが一応の注意を促して、後を任せると
一同が部屋の中に入っていった。
まず窓を開け放つと、空中に漂う埃が午後の日差しを受けてキラキラと舞う。


「すごーい。ここで隠れんぼしたいね、どぅー」

「ばか!ハル達の為に片付けてもらうんだからね」

優樹と遥が、どこかウキウキして話し出す。
聖と香音も、すっかりやる気になっていて、
今まで謎の多かったさゆみの家の一角に興味津々という体。
里保と衣梨奈も、何だか楽しくなってきた。

きゃっきゃとはしゃぎながら、噎せるやら騒ぐやらの大掃除が始まった。

まず部屋にある大きな物を、とりあえず外に運び出す。
古いオルガンの様な楽器、箪笥や本棚、よく分からない置物。

どれもこれも相当な年代物で、価値があるんじゃないかと思えたけれど
無頓着なさゆみの手前、里保は淡々とそれらを運び出した。


数人がかりで運ばないといけないような重いものもあって
それぞれの額に汗が浮かぶ。
でも、騒ぎながら埃っぽい汗を拭うのもまた楽しいと思えた。

「どぅー、優樹ちゃん、無理しないでいいとよ。
まだ身体万全じゃないっちゃから」

衣梨奈が二人に声をかける。

「全然大丈夫っすよ。こんくらい!」

「まさもー」

楽しそうに作業する二人を見て、衣梨奈も笑う。

「何かここにいると、身体が楽っていうか
魔力が戻って来る感じなんですよ」

遥が続けた言葉に、衣梨奈が頷いた。


「それね、道重さんの魔法っちゃよ」

「やっぱそうっすかー」

「え、道重さんの魔法ってどんなの?」

聖が興味を示したことで
作業の手が止まって、『道重さんスポットの魔法』についての
衣梨奈の講演が始まった。

「へー、じゃああの神社とかもそうなんだ。
道重さんって凄い人なんだね」

香音が感心したように呟く。
聖も、目をキラキラさせて衣梨奈の話を聞いていた。

「あと、海辺の公園とかもそうだよね。うちもどれくらいあるのか良く知らないけど」

里保も何故か得意げに話に加わった。

遥は改めて、さゆみの魔法のスケールに驚いていた。
やっぱりさゆみの力は底知れないなと思う。


雑談を交えつつ作業を再開するうち、それぞれが随分と打ち解けていた。
さゆみや衣梨奈や聖を通して、それぞれに好意の線が繋がっていたから
もともと互いに悪い印象は無い。
それが、同年代の女の子ともなれば、一緒にはしゃげるようになるのもすぐだった。
一部、里保と遥のように互いに絡みにくい相手もいたにはいたけれど。

大きな物を出し終えると、次は細かい物をより分けていく。
紙の束や本の束は、珍しい物が多くて
一々関心を寄せられるうち作業のペースも落ちていた。
でもみんな、それで構わないと思っていた。
早く終わらせるのも大事だけれど、折角なら楽しく作業したい。

「道重さんはああ言ってたけど、この辺は簡単に捨てれないよね」

里保の言葉に衣梨奈が頷く。

「うん、これ普通に魔道書も混じってるっちゃん。
危ないような感じやないけど」

部屋に残された物の中からは、僅かな魔力が漂っていた。
それは、はっきりとした魔法の力では無くて
思い出の残り香のように、頼りなくどこか懐かしい魔力だった。


 

 

「これ何だろう」

聖が、隅に置かれた布包を手にとった。
里保は、咄嗟にその物からも魔力を感じとっていた。
けれどもそれが優しいものだと分かり安堵する。

窓ガラスの半分くらいの大きさの板状の物に布が被さっていた。
興味本位で布を外すと、仄かな、何とも言えない匂いと共に、小さな額が姿を現す。

「絵、だね」

木作りの、相当に年季の入った額に収められていたのは
そちらもかなり古いであろう一葉のポートレートだった。

「これ、道重さんかな…?」


皆がその絵を覗き込む。
所々に色が落ち、痛んだ紙の上に奔放に描かれていたのは、
どこか不思議な、抽象的と言えるタッチの少女の肖像だった。
太陽の下で黒髪の少女が満面の笑みを見せている。

決して写実的では無いけれど、その絵の中の溌剌とした少女はさゆみに違いないと思った。
明るい色使いと、活き活きとした絵は、描き手がさゆみへの溢れる愛情を形にしたよう。
皆言葉を潜めて、その絵に魅入っていた。

里保も、その絵をじっと見つめ、不思議な気持ちになっていた。
そこに描かれているのは間違い無く道重さゆみ。
その美しい姿は今も殆ど変わっていないけれど、絵の中のさゆみは『少女』だと思った。
楽しそうに、嬉しそうに笑うさゆみ。
もしかしたらこれは、さゆみが本当に子供だったころを描いたものなのかもしれない。


部屋からはしゃぎ声が聞こえなくなって不思議に思ったのか
さゆみが様子を見に戻った。
そして、部屋の一角に集まって何かを一心に見る子供達を見つける。

「どうしたの?そんなとこで集まって」

さゆみの声に一同が振り返り
それから聖が声を出した。

「これ、道重さんですよね?」

どこか嬉しそうに、ちょっとした秘密を暴いたような気持ちで
皆が笑顔でさゆみを見た。

さゆみはその絵を見て一瞬驚いた表情を見せた後
すっと目を細めて、何か呟いた。

里保の耳だけがさゆみの唇から「えり…」という音を聞き取った。
それは、衣梨奈とは別の『えり』なのだろうと直感する。

さゆみはすぐにパッと華やかな
楽しそうな笑顔を作った。


「うわー、懐かしい。そんなのまだあったんだね。凄い。あっははは」

何か本当に楽しいことを思い出しているように笑うさゆみが、
絵の中の少女のように幼く見えて里保の中に新鮮な驚きが湧いた。

「へったくそでしょ。それね、さゆみの友達が描いてくれたの。
もう本当にかなり古い物だよそれ。よくまあ残ってたわ」

さゆみが近づき、絵を手に取る。
「下手くそ」と笑いながら呟くさゆみの横顔を里保はじっと見ていた。

さゆみは局長や街のお年寄りも「あの子」と呼ぶくらいだから、
そんなさゆみが「友達」という相手は本当に昔の人なんだろう。
そして多分、もう今は居ない人。
里保は懐かしむさゆみの、少女のような瞳の奥に
光る涙の幻を見た。
決して口には出さないだろうし、表にも見せないだろうけれど
さゆみは懐かしみ、寂しく思っている気がする。
それは、自分がそうあって欲しいと思うから見えた幻なのだろうか。

ふと衣梨奈と目が合った。
何故か衣梨奈も泣きそうな顔をして微笑んでいた。
多分衣梨奈も、同じように感じたのだ。
さゆみの長い長い時間。それは想像することしか出来ないけれど
確かに今目の前にいる大好きな人の、実際に経験し刻まれた時間。


一頻り懐かしんだあと、満足したのかさゆみはポートレートを床に置いた。
また一瞬、すっと目を細め、それから衣梨奈と里保に振り返る。

「これ、いる?フフフ、ま要らないよね。捨てちゃっていいよ。
それか、古い魔法のかかった紙や木だから、何かの材料になるかもね」

どこか清々しいようなさゆみの笑顔に、里保も衣梨奈も
かえって身体を固くする。

「そんな、捨てるなんて勿体無いです。こんな素敵な絵なのに…」

「そうですよ、道重さん。どっか飾りましょう?あ、それか、えりの部屋に飾っててもいいですか?」

衣梨奈の言葉に、さゆみは少しだけ言葉を詰まらせて、
それからまた明るい笑顔になった。

「えー、何か恥ずかしいなぁ。でもま、何でもあげるって話だしね」

「やっつー!」

衣梨奈は喜んでそれを手に取った。
それから里保の方を向く。
里保と衣梨奈の視線が合って、ニコリと笑って頷きあった。


「さ、そろそろいい時間だけど、あとどれくらいかかりそう?」

気を取り直してさゆみが尋ねる。
部屋はおおよそすっきりしたけれど
外に出した物の処分等が決まっていないし、部屋自体の掃除もまだ。
衣梨奈がそう説明すると、さゆみはしょうがないと笑った。

「さゆみも手伝うから、早く終わらせよ」

ハイと元気よく返事をして一同が作業に戻る。

さゆみが運び出した荷物を一つ一つ確認していく。
それから一つ頷くと、指をかざし、魔力を込めた。
みるみるうちに、荷物か小さくなって、それが
いつの間にかさゆみが持っていた小瓶に吸い込まれる。

遥や優樹は一瞬あっけに取られてそれを見ていた。
聖と香音は、初めて見た本格的な魔法に歓声をあげる。
衣梨奈と里保は顔を見合わせ、目だけで
「初めから道重さんに任せれば早かったのに」と笑いあった。
だけれども、みんなで片付けをする時間は楽しかったから
何も問題は無い。


「さ、りほりほ。物も無くなったし、魔法で埃を払える?」

「はい、やってみます」

里保は細かい魔法が苦手だけれども、
風の魔法ならばコントロール出来る。
ドアを閉めて、ベッドだけになった部屋の窓を開け放つと
魔力を開放した。
部屋の中で小さな嵐が巻き起こり
旋回しながら部屋をかき回した後、窓の外に飛び出した。
後には幾分爽やかな空気が残る。

「凄い!里保ちゃんかっこいい!」

香音の感嘆の声に
里保は照れくさくなって頬を掻いた。
上手くいって良かったと思う。
そして、香音も聖も、すっかり魔法の存在を
受け入れてくれていることが嬉しかった。


後に箒や雑巾で仕上げ、日暮れ前に大掃除は終了した。
途中掃除道具を取りに向かい、デッキブラシを持ってきた里保に
一同からの総突っ込みが入る一幕もあったけれど
それも賑やかな笑いに変わり、楽しみのうちに作業を終えた。

「何かベッドだけだと、かえって寂しくなっちゃったね」

片付けた部屋で達成感に浸りながら聖が呟く。
部屋の物は殆ど運び出していたから、今は大きなベッドがあるだけの四角い部屋。

「何かと要る物もあるでしょ。明日お買い物だね。
生田とりほりほ明日学校休みだよね?」

さゆみに尋ねられ、二人がはいと返事をする。

「お買い物、付き合ってあげてね」

「はい、もちろんです。んふふ、どぅーと優樹ちゃんに街の案内もしたげるけんね」

「あーいいなー。聖も一緒に行っていい?」

「それだったらあたしも」

仕事をやり終えテンションの上がった子供達が口々に明日の予定を語る。
遥と優樹もすっかり楽しくなったようで、気を張っていた昨日よりも
随分と子供らしさが戻っていた。

さゆみはそんな様子をニコニコと眺めていた。
テストが近いこと、皆忘れてるんだろうなぁと思いながらも
黙っている。
折角新しい友達が出来た記念すべき日なんだから、水を差すもんじゃない。


賑やかに話していると、不意に優樹がよろけた。
いち早くそれに気付いた里保が、咄嗟に優樹を支える。

「あぶないあぶない。お疲れ様優樹ちゃん。疲れちゃったよね」

支えながら里保が労うと
優樹が里保を見上げ「にひひ」と笑った。

「あ、ちょっと!」

里保に先を越されたのが悔しかったのか
遥が駆け寄り二人を引き剥がす仕草をするけれど
優樹はそのまま里保にしがみついた。
それから、里保の肩にピトっと手を当てる。
里保は少し驚いて、それからすぐにその意図が分かって微笑み返すと
自分の手を優樹のお腹にあてがった。

「ちょっと、ちょっと何してんだよ!」

お互いを触れ合い笑い合っている優樹と里保に、遥が怒ってにじり寄る。
自分が知らないうちにすっかり仲良くなって、しかもよく分からない暗号めいた行動で
通じ合っているなんて認められない。
ぷりぷりと怒る遥が可愛らしくて、衣梨奈と聖と香音が大いに笑う。


「どぅーもおいでよ」

優樹が言うや、怒っている遥の手を引いた。

「ばか、やめろー」

「怪我人同士、仲良くしようよ」

優樹に悪乗りして里保も遥の手を引いた。
優樹が遥のお腹に手を当てる。

「ここらへん?」

「いや、もうちょい上……って違うでしょ!なんだよこれ」

また部屋に笑い声が響いた頃、
夏の長い日が漸く沈もうとしていた。

 

 

 

夜、すっかり片付いて些か殺風景になった部屋の
大きめのベッドで優樹と寄り添いながら、遥はぼんやりと考え事をしていた。

熱帯夜。
優樹がしがみついてくるから、一層暑苦しいのだけれど
嫌だとは思わない。
今こうして隣に、穏やかに居られることが本当に有難い。

暫くはここにいさせて貰えることがようやく現実感を帯びる。
具体的なここでの生活が少しだけ見えてきた。
何故だか分からないけれど、さゆみや衣梨奈は歓迎してくれているようですらある。
聖や香音も、当たり前のことのように自分達を受け入れてくれた。
多分、こんな幸福なことはそうそう無い。

そして里保も、昨日トンネルの外で対峙した時とは随分印象が変わった。
どこかズレていて、基本的にどんくさい。
そして、友人たちと話す姿は、遠慮がちながらとても楽しそうだった。
どちらも本当の顔なのだろうけれど、
凄腕の協会魔道士であっても、同年代の女の子なのだ。
好きにはなれないけれど、優樹があれだけ気を許しているのに
尖った態度を続けるのも馬鹿らしいと感じはじめていた。


「どぅー」

「ん?」

耳元で優樹が囁く。
遥の視界に、殺風景な天井が戻った。

「みんな優しいね」

「うん」

「よかったぁ」

「そだね。本当に」

眠たげな優樹の声。そこには多分に安堵の色が混ざっていた。
優樹だって不安に違いない。
これからのことはやっぱりまだ何も考えられていない。
自分達がどうやって生きて、どうやって大人になればいいのか。
誰かの優しさに甘えずに生きられるようになった時、
自分達はどんな大人になっているのだろうか。


「星が綺麗」

顔を上げた優樹が、淡い光の差し込む窓のはるか向こうを見ながら呟いた。
いくつもいくつも、数え切れない星が優しい光を落とす。
多分あれは夏の星座。
習ったはずだったけれど、遥はその名前を忘れてしまった。

「ほんとだ」

遥は窓を見上げ、じっと星を数えた。
目を凝らすとどんどん見える星の数が増えて、瞬きをすると消えてしまう。
結局、夜空に幾つ星があるかなんて分かりっこない。
分からないけれど、それでも本当に綺麗だと思った。
そんなことを考えているうち、すーすーと穏やかな寝息が聞こえてくる。
それを聞いていると何だか自分も眠たくなって、
遥も程なく眠りに落ちた。



朝、衣梨奈に揺り起こされて里保は目を覚ました。
衣梨奈が隣で「おはよう」と微笑む。

窓からは暖かい日差し。
今日は休日のはずだから、もう少し寝ていたいと思ったけれど
衣梨奈に言われて昨日の約束を思い出した。

殆どの朝をさゆみの家で迎えるようになって
さすがに休日でもお昼まで寝ていることは無くなったけれど
やっぱり里保は朝が弱い。
まだ夢現の頭を徐ろに起こすと
衣梨奈は里保の手を引いてさっさとベッドから降りてしまった。


二人寝ぼけ眼で顔を洗い、並んで歯を磨いていると
後ろからさゆみが顔を出す。

「おはよう二人とも」

「おはようございます」

「おはようございます、道重さん」

見ればさゆみはもう洋服を着ていて
お出かけするような格好。

「あれ、道重さんお出かけですか?」

珍しいなと思いながら衣梨奈が尋ねるとさゆみはにこやかに答えた。

「うん。さゆみもついてくことにしたの。暇だし。
それによく考えたら、大きなお買い物するのに生田が持ってるだけじゃ
お金足りなくなるかもしれないでしょ?」

さゆみと一緒にお出かけなんて初めてかもしれない。
何だか嬉しい。里保は口角が上がった自分の顔を鏡の中で見つけた。


「おはようございます」

里保と衣梨奈が身支度を終えた頃、眠そうな声が三人の耳に届いた。
短い髪の毛をボサボサに立てて目をこすりながら歩く遥。
そんな遥に手を引かれて歩く優樹は、まだ殆ど眠っていた。

さゆみと衣梨奈と里保が、そんな二人を見て楽しそうに笑う。
朝から随分と賑やかな道重家を、太陽が思い切り照りつけていた。


聖や香音とも待ち合わせて、昨日の7人が揃った。
天気は快晴。西の空にかかる入道雲が、夏を主張している。
既に騒ぎ始めた蝉の声を、柔らかい風が運んでいた。

すっかり打ち解けた遥と優樹を
衣梨奈と聖と香音が囲み、楽しそうに話しながら歩く。

少し後ろを、歩みの遅い里保とさゆみが並び行く。
話の輪には入っていないけれど、里保はこの雰囲気を楽しんでいた。
この街に来てから、朝のお出かけがいくらか好きになっている。
何だかんだというけれど、衣梨奈の影響は大きい。

「どう、りほりほ。問題は解決しそう?」

突然さゆみに話しかけられて、振り向く。
さゆみは相変わらずの優しい顔で笑っていて、
一瞬何のことだろうと思ったけれど、すぐに思い至った。
一昨日家に帰ってきた時の自分は、やはりさゆみの目から見ても
相当おかしかったんだろう。
実際、色々と頭の中を懊悩が飛び跳ね、それは何一つ解決も、前進もしていなかった。
さゆみにも随分心配を掛けていたのかも知れない。
それは自惚れだろうか。


里保は苦笑して答えた。

「全然です。でも……二人が今居てくれてよかったです」

少なくとも、優樹と遥が今前を楽しそうに歩いていることが
一昨日の煩悶の一つを前進させてくれている。
前を歩く優樹と遥を見る。
遥は、相変わらずぶっきらぼうだけれど、朝里保にもおはようと言ってくれた。
同じ屋根の下で過ごすことを受け入れるくらいには、里保に対する敵意を
引いてくれている。
凄い子だと思った。
親友を、大切な人を深く傷つけた張本人に「おはよう」と言えること。
里保自信、もし立場が逆だったら、そんな風には振る舞えないだろうと思う。
衣梨奈が傷つけられたら、そんな場面を想像すると自分が冷静でいられなくなる姿がありありと見えた。
里保は遥に感謝していた。
そして、そんな自分は本当に勝手な人間だなと自嘲する。

優樹と遥がいてくれてよかった。
その意味で言った言葉だけれど、里保はその言葉にこっそりと
別の意味を加えていた。
衣梨奈とさゆみがいてくれてよかった。
それから、聖と香音がいてくれてよかった。


「そうだね」

さゆみは、いつものようにニコリと笑った。

「ありがとうございました、道重さん」

「なにが?」

「えっと…心配してくださって」

「ふふふ、どういたしまして」

優樹と遥を受け入れてくれて、というとあまりにも自惚れが過ぎると思って
慌てて言葉を変えたけれど、何となくさゆみには見透かされているようで気恥ずかしい。
里保は意味も無くあたりをキョロキョロと見回して
一つ一つ夏を見つけながら歩いていった。


「そうっちゃん、はるなんのことも紹介せんと!」

前で談笑していた衣梨奈が突然声を上げた。

「はるなん?古本屋さんのはるなん?」

聖が不思議そうに尋ねる。
どうして急に、との思いが伺えた。
遥と優樹も突然飛び出した初めて聞く名前に首を傾げる。

「うん、聖と香音ちゃんにも改めて紹介するとよ!」

「うちら、はるなんのことなら知ってるけど」

「やけん、魔法使いとしてのはるなんを!」

「え、はるなんも魔法使いだったの…?」

人通りも無い朝の小径とはいえ
随分大きな声で会話するものだと、里保とさゆみが顔を見合わせて笑う。
それから、少し後ろを振り返り、とたとたとついてくる黒い猫にも笑いかけた。

「おはよう、はるなん。呼ばれてるよ?」


里保の声に、猫の姿の春菜が眉を下げて苦笑する。

「おはようございます、道重さん、鞘師さん。
私は、このタイミングで出て行ってもいいんでしょうか」

「おはよ、はるなん。いいんじゃないの?
多分あの子達ならストーカーだなんて思わないよ」

可笑しそうに笑うさゆみに
春菜は笑顔で溜息を一つ。
もう自分の尾行がこの二人にバレることに関しては諦めたけれど
それをネタにからかわれるのはちょっと辛い、なんて思いながら。
勿論、そうやって軽口を飛ばしてくれること、本当は全然嫌じゃないけれど。


「あ、はるなんいたー!」

後ろでの会話を耳に入れた衣梨奈が振り返り、
さゆみと里保に寄り添って歩く黒猫を見つけて嬉しそうに言った。

次々と振り返る先頭集団。
衣梨奈の言う「はるなん」が黒猫のことだと、遅れて気付いた
聖と香音が呆気にとられる。

その横で
「かわいー!」
と歓声を上げ、優樹と遥が駆け寄ってきた。

「今しがたご紹介に上がりました、私飯窪春菜と…ぐぇ」

優樹に有無を言わさず抱き上げられた春菜がジタバタと暴れる。


「うりうり。すごーい!どぅー、この猫喋るよ」

「ほんとだおもしれー」

「ちょっとちょっと、下ろして…」

春菜にじゃれつく遥と優樹を囲んで一同の歩みが止まる。
猫で遊ぶ悪ガキ二人といった微笑ましい風景に頬を緩めるさゆみと衣梨奈と里保。
それとは対照的に、聖と香音は何か不思議な物を見るような表情。

すっかり玩具にされている春菜を見て、

「やっぱり人間に戻ってから登場した方がよかったみたいね」

と、さゆみが意地悪な笑みで呟いた。

 


結局、優樹と遥に散々弄ばれて開放された春菜は
人の姿に戻るタイミングも掴めず、猫のまま同行することになった。
改めて香音と聖に挨拶をすると、二人は喋る猫に心底驚いていたけれど
声や話し方が春菜そのものだったので、次第に慣れてしまった。

里保はそんな二人の順応力に関心しながら
後ろをついて歩いていた。

のんびり歩いて、商店街へ。
衣梨奈の先導で店を回る。
7人と一匹で賑やかに話しながら、お買い物は進んだ。
優樹と遥に二人で一つ、小さな勉強机を買う。
勿論運べないから後で配達してもらうことに。
それから椅子も二つ。
道重家を捜索すれば、使っていないそれらもどこかに眠っていそうだけれど
折角なのでと大盤振る舞いするさゆみに遥は恐縮しきりだった。
一時の雨露をしのがせて貰うつもりだったのに
気がつけばどんどんと道重家の一員になる準備が進められている。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、
さゆみ達の優しさが嬉しかった。
優樹もそれを感じとって大いにはしゃぎ、みんなを楽しませる。
不安が大きかった分、安堵も喜びも倍増していた。


猫を連れて入っても気にしない緩い店が連なる商店街を一巡。
最後に洋服屋さんに入っていった。
さゆみの今日の目的の一つでもあった、遥と優樹に似合う服を選ぶ為。
家にあった可愛い服を着せるのもいいけれど、折角ならば二人の普段着を新調したい。
何せ二人は街に逃げ込んできたその時の服しか持っていない。

難色を示した遥を押し切って
わいわいがやがや、優樹と遥のファッションショーが始まった。
5人と1匹がそれぞれ渾身のコーディネートを披露して、
ノリノリの優樹と照れて真っ赤になった遥に着せていく。

大いにお店に迷惑をかけて昼近くまで盛り上がった後、
固辞しようとする遥を無視してさゆみの財布で大人買い。
それから揶揄い過ぎたお詫びにと、遥の希望である動きやすいカジュアルな服も
数点買って店を出た。

それぞれの手に大荷物を抱えて歩く前を
手ぶらでひょこひょこと歩く春菜。
一同、その左右に揺れる尻尾を見ながら、
沢山の戦利品を得た満足感に浸り街を闊歩した。

「いやー、二人共超可愛かったわ。いい買い物したねほんと」

心底満足気に微笑むさゆみに、聖も続く。

「本当ですね!聖なんか感動しちゃいました」

「美少女は何着ても絵になるって本当だね」

香音も続けて面白そうに笑った。
遥は苦笑い。優樹はニコニコ。


「どぅーがあんな美少女だとは思わなかったよ」

里保もすっかり気分が高まって
遥に向かって笑いかけた。

「どういう意味っすか!」

遥が反射的に里保を睨みつける。
でも全然怖くなくて、里保は尚笑う。
照れているだけだと分かっているし。
気付けば普通に会話出来るようになっていた。
しかも、衣梨奈や聖や香音の手前かもしれないけれど
ぶっきらぼうながら敬語で話してくる遥が、とても可愛く見える。
出来れば嫌われたままでいたくない。
出来れば自分のことも好きになって欲しいと思うくらいには
里保は遥のことが好きになっていた。

「いやだってさ、最初会った時なんて普通に男の子だと思ったよ」

「そうなんですよ!どぅー髪の毛伸ばしたらめっちゃ可愛いのに、伸ばさないんですよ」

「いやだって、面倒くさいし…」

「髪長いのも似合いそう。折角可愛いんだし伸ばしてみたらいいじゃん」

「やですよ!」

優樹が話しに加わり、遥の髪の毛談義に花が咲く。
わいわいと盛り上がる里保と遥と優樹を
今度はさゆみと衣梨奈と聖と香音、それに春菜が遠巻きに眺める格好になった。


「里保ちゃんって、なんか普段はめっちゃ大人っぽいけど
急にすっごく子供っぽくなることあるよね」

香音が笑いながら言う。

「可愛い…」

聖の呟きは無視して、衣梨奈もニコニコと3人を眺めた。

「里保本当はめっちゃお子様やけんね」

「あんたもでしょ、生田」

「いやー皆さん本当に可愛らしくて、青春って感じで素晴らしいですね」

「はるなん、いつまで猫でおると?」

午前中の大人気が嘘のように、空気のように寄り添っていた春菜が悲しげに呟く。

「完全にタイミングを逸しました…」


お昼ご飯はペット持ち込みOKな洋食屋さんで
里保と衣梨奈のスパゲッティを分けて貰い、結局春菜はずっと猫の姿で通した。
聖も香音もすっかり猫の春菜に慣れてしまって
店内で静かに猫のふりをしているのがかえって変な感じ。
スパゲッティを食べる猫でも充分変なのだけれど。

レストランでも長居してお喋りに興じた一同は
昼下がりを終える頃、店を出てようやく帰路についた。
みんな荷物を抱えているし、一日随分歩き回ったものだから
いくらか口数も減って落ち着いた雰囲気。

それほど暑くないなと不思議に思って空を見上げた里保は
太陽を隠して西から空に広がっている分厚い雲を見つけた。
夕立が来るかもしれない。

帰り道の途中、駄菓子屋さんの軒先を通った衣梨奈が楽しげな声を張り上げた。

「花火!花火やりたいです!道重さん、花火買ってもいいですか?」

優樹も続く。

「はなび!やりたーい」

夏といえば花火。
皆の心が一気に、夜空に開く大輪の華や
硝煙の匂いと賑やかに爆ぜる手持ち花火に飛ばされる。
でもその空想はさゆみの言葉に打ち消された。

「ダメ、夏休みに入ってからにしようね。
みんなもう完全に忘れてるみたいだけど、もうすぐテストでしょ?」


その言葉が楽しい気分に包まれた学生達の心を、容赦なくどん底に沈ませる。

「あぁぁ……そうだ、テスト、テストがぁ」

「み、聖ちゃん落ち着いて。まだ一週間くらいはあるから」

「そうだよ。テストを乗り切って無事夏休みを迎えられたら、皆で花火しよ?
さゆみが特性のを用意してあげるから、ね」

迫る現実とテスト前の休日を買い物に費やした事実が重い。
でも、さゆみの優しい言葉と、テストの先に待っている夏休みを想うと
楽しみな気持ちも膨らんで、ちゃんと頑張ろうという気になった。

「絶対、約束ですよ道重さん!あーめっちゃ楽しみ。ね、里保」

「うん、楽しみ。だからテスト頑張ろうね」

辺りが暗くなった。
空が灰がかって、気付けば青が見えなくなっている。

「一雨来そうだね。じゃあふくちゃんと香音ちゃんは先にお帰り。
荷物ありがとうね。生田に持たせればいいから。りほりほ送ってあげてくれる?」

「はい」

折りよく聖と香音の家の方向とさゆみの家との分かれ道に差し掛かり、さゆみが声を掛けた。
今度は花火で、このメンバーで楽しむ為にもテスト勉強に励もうと考え直していた聖と香音は
その言葉に素直に従う。


「今日は有難うございました。優樹ちゃん、遥ちゃんもまたね」

「はい!有難うございました」

聖が挨拶を交わす。

「えりぽん、また明日」

「うん、また明日」

視線が交わり、何だか照れくさくなって二人が微笑んだ。
こんな挨拶もこんな別れもいつものことなのに、変だなと思いながら。

「すっごい楽しかったです。有難うございました。
えりちゃん、また明日ね」

「うん、また明日」

香音とも挨拶を交わし、衣梨奈が二人の荷物を受け取る。
里保が二人を送る為について、今日ずっと一緒にいた7人と1匹は
ここで分かれることになった。


衣梨奈は、何だか随分寂しくなったと感じた。
大勢でいたのが一気に減ってしまったから。
不意に冷たい風が吹く。

暫く歩いているとポツリポツリと雨粒が落ちだした。

「あー、降ってきたっちゃん…」

「ふくちゃんと香音ちゃんはギリセーフってとこかな。
生田、折角買った洋服濡らさないでね」

「はーい」

衣梨奈が『傘の魔法』を発動させる。
次第に地面の水玉が増えて来た。

「工藤と佐藤も、怪我に障ると大変だからこっちにおいで」

一瞬意味の分からなかった二人も
衣梨奈の魔法を見て理解した。

「生田のは半径55cmだけど、さゆみの傘は60cmだから3人で入れるよ。ちょっとくっつけばね」

言いながらさゆみも『傘の魔法』を発動させる。
優樹と遥を両手で引き寄せ傘に入れると、途端に雨足が強くなった。
二つの傘が大きな雨粒を軽快に弾く。

衣梨奈は、さゆみの『傘の魔法』が自分のそれとは違って、
いくらでも大きく出来るのを知っていたけれど、黙っていた。


「里保はこの分だとずぶ濡れですね…」

「うーん。通り雨だといいんだけど、結構降りそうな感じだね」

「私が鞘師さんの方に行きますよ。傘の魔法は使えませんが、傘を置いてあるので」

すっかり忘れられて雨ざらしになっていた黒猫が雨音に負けない高い声で言った。

「そう、じゃあはるなん、りほりほのことお願いしていい?」

「はい、任せて下さい!じゃあ、失礼します。またね、まーちゃんにどぅー」

春菜が来た道を戻り影のように駆けていく。

程なく、3人が家に帰りついた。

外の雨は激しくなっていて、みんな少しだけ濡れたけれど
一日の楽しさと、雨の日の程よい倦怠感に包まれて、なんだかふわふわしている。
戦利品の整理も取り敢えず後回しにしてリビングで寛いでいると
髪を湿らせて里保も帰宅した。


少しの間、4人でだらだらと過ごした後、徐ろに散会し
荷物整理やテストの為のお勉強に向かっていった。

さゆみはリビングに残り、パソコンを立ち上げた。
窓の外は夏の雨。随分と景気よく、ザーザーと音を立てて降っている。
そのせいで今日はちっとも暑くない。
それは嬉しいけれど、湿気が多くてどうも気持ちよくない。

部屋の照明をつけ、壁掛時計を見ると
今はもう夕刻だった。

今日のお買い物のことを思い出す。
遥も優樹も、本当に馴染むのが早い。
というか子供達はみんな、あんなものなのだろうか。
小さな話でも面白おかしく膨らませて、楽しむのが本当に上手いなと思った。
みんな本当に、気持ちがよくて、可愛くていい子達だと思う。
春菜も、流石の人気者ぶりで
すっかり打ち解けたようだ。
大抵の人に対して敬語を崩さない春菜が
思わず優樹と遥にはタメ口を聞いていたのが可笑しかった。

本当に賑やかになった。
ほんの数年前までなら考えられないくらいに。


不意にパソコンから通信のアラームが鳴り響いた。
あまりにも珍しい名前が画面に表示されている。
いい予感など、全くしなかった。

暫くアラームを聞いていたけれど、流石に煩くなって
さゆみは溜息を一つ。通信を繋いだ。

「どうしたの?珍しいじゃない。ていうか間違い?りほりほとえりぽん呼んでこようか?」


画面には初老の男が映った。
それはさゆみもよく知る人物。衣梨奈の父。魔道士協会執行局の局長。

『突然の通信で失礼いたしました。ご無沙汰しております。
率直に言います。娘達では無く、道重さんに、お願いしたいことがあります』

「なに?」

男の顔は強ばっていて、久しぶりに聞くその声は硬く重い。
碌な用事では無いだろうと思いながらも、続きを促すと、少し間をとって男が重々しく口を開いた。

『その街…M13地区に、先日狗族の少女が逃げ込みました。
その少女を……協会に引き渡して頂きたいのです』


「切るよ」

『このままでは狗族が滅びます』

通信を切ろうとした手を止め、さゆみはまた深く溜息をついた。

「ちょっと待ってなさい。りほりほ達を呼んでくるから。それに、当人たちも」

『これは、子供達には…』

「子供扱いするんなら、最初から巻き込むんじゃないよ」

怒気を孕んだ声で言い捨ててさゆみが立ち上がる。
画面の向こうの男は、何も言えず口を噤み、画面から離れるさゆみを見ていた。

「はるなんも入っておいで。人間の姿で玄関からね」

窓に向け冷たい声でさゆみが言う。
それから里保、衣梨奈と優樹、遥を呼びに向かった。

 

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最終更新:2014年07月14日 23:02