頭が痛い。鼻が重い。喉がイガつく。
どうやら本格的に風邪を引いてしまったようだ。
風邪なんてどれくらい振りだろう。ほとんど記憶にないくらいだ。
風邪の原因もほぼ想像は付いている。こんな理由で体調を崩すとは
我ながら情けないと思っても、こればかりはどうしようもない。
魔法の力で強引に治すという方法もある。
しかし、これまでの経験則から、原因が精神的なものである場合は特に、
自然の回復に任せて無理せずゆっくり休むのが結局は最良の手段だと知っていた。
他の子に風邪を移すわけにもいかないし。
夕食もそこそこに切り上げたさゆみは、さっさと寝室にこもって早々に布団を被り、
そして大きくため息をついた。
○
道重さんの様子がおかしい。
今日はいつも以上に無口だったし、心なしか顔色も良くなかったし、
食事もあまり取らずにすぐに寝室に引き上げてしまった。
あんな道重さんを見るのは初めてだったけど、
もしかしたら風邪を引いているのかもしれない。
心配になった衣梨奈は、さゆみの寝室に足を運んだ。
軽くノックをして「道重さん」と小さく声をかけたけど、反応がない。
これで部屋に鍵がかかっていたらそっとしておいてということだろうけど、
ドアノブを回すとあっさりと開けることができた。
「道重さん?」
もう一度小さく声をかけ部屋の中を覗き込む。
返事はなく、代わりにベッドから荒い息遣いが聞こえてきた。
一瞬危険な方向に妄想が流れそうになるも、すぐに思い直してベッドに近づく。
布団から出した顔を紅潮させて、苦しげに息を継ぎながら眠っているさゆみ。
やはり風邪にやられているようだ。
そっと額に手を置く。熱い。
はたして衣梨奈の魔法にどこまで効果があるか。
わからないながらも、載せた右手に魔力を込めた、その時。
「……えり……えり」
その名前が、さゆみの口からうわ言のように溢れ落ちた。
「大丈夫ですよ、えりはずっと道重さんのそばにおるけん、今はゆっくり寝ていてください」
衣梨奈がやさしく語りかけると、さゆの呼吸は徐々に落ち着き、
苦しげな表情も和らいでくる。
その様子に安心した衣梨奈は、さゆみの目尻から流れ落ちる一筋の涙には気づかぬままに、
改めて魔力を込めた右手に意識を集中した。
○
「大丈夫だよ、えりはずっとさゆのそばにいるから、今はゆっくりと寝ていなよ」
それはただの幻聴でしかないとわかっていた。
でも、その言葉とともに胸のつかえがすっと抜けて
身体が一気に楽になったことだけははっきりと覚えている。
朝、重みを感じて目が覚めると、さゆみの布団の上に倒れこむような形で生田が眠っていた。
その姿で状況を把握したさゆみは、生田の額にそっと手を当てる。
大丈夫、風邪を移してはいないようだ。
結果オーライとはいえ、相変わらず無茶なことをするものだ。
生田の髪をゆっくりと撫でながら、さゆみは小さく呟いた。
「ありがとう、えり」
○
「昨夜さぁ、衣梨奈は風邪を引いた道重さんの看病をしたっちゃよ」
「そうなんだ」
「そうしたら道重さんが寝言でえり、えりって名前を呼んでて、
なんだかんだ内心では弟子の衣梨奈のことを頼ってくれてるんだなって」
「……えりぽんってさ、ホント空気が読めないKYだよね」
「ちょっ、なにいきなり!?」
「でもそのKYさで道重さんが元気になってくれるなら、一応は役に立ってるってことなのかな」
「なんか褒められてる気が全然せんのやけど」
「でも道重さんには早く良くなってもらって、今日のMステはみんなで出たいよね」
「うん。……って里保今なんて??」
「ううん、なんでもない」
(おしまい)
※さゆの早期回復を祈念して……