「お邪魔します」
香音が嬉しそうに笑い、聖が優しく微笑み、衣梨奈の家に上がり込む。
衣梨奈と里保、それに優樹と遥とさくら、先に来ていた春菜と亜佑美が、笑顔で二人を迎え入れた。
お互いお仕事が忙しくて、なかなか会えない日が続いている。
だから、聖たちがこの家に足を踏み入れるのも、随分久しぶりのことだった。
「あー、やっぱ落ち着かないけど落ち着くわ、この家」
香音が言う言葉に、一同は妙に納得してしまって大いに笑った。
子供時代から、9人が一緒に過ごした衣梨奈の家。たくさんの想い出が詰まった
大きくて不思議な魔法使いの家。
「聖も香音ちゃんも、忙しそうやね。いいことっちゃん」
「そうだね。でもえりぽん達も結構忙しいんでしょ?」
「まあね。小田ちゃんがそこらじゅうの依頼をぽんぽん受けるから」
「えー、鞘師さん、私のせいですか?みんな似たような物だと思いますよ」
「まーでも、小さな仕事が沢山あるほうがいいよね。ハル達が7人がかりになるような大仕事が無くて」
「平和ってことだもんね」
子供の頃から見知った同士、会話は弾む。
「はるなんとはしょっちゅう会ってるよね。なんせこの街のボスだし」
香音の言葉に春菜が苦笑する。
「いやあ、ボスだなんてそんな。私はただ名前だけの、この街の魔道士の代表ですから」
協会をしてM13地区と呼ばれるこの街は、春菜の元に一つになった。
”二大魔道士”に匹敵する力を持つ7人の大魔道士が君臨するこの街は
協会の秩序から離れ、それでも協会と足並みを揃えながら穏やかに毎日を送っている。
協会や、その他の魔道士たちも
様々な問題解決を積極的に手伝ってくれる若き大魔道士たちを慕い
よくこの街を訪れる。
相変わらず表の世界に公にはなっていないけれど
聖や香音の手助けもあって、その力は色々な人の助けとなっていた。
お茶を飲みかわし、一頻り世間話に花を咲かせた9人は、少しだけ子供時代のことに思いを馳せていた。
「それにしても、本当に変な家だよね」
香音の呟きに、皆が同意する。
「家主の生田さんでも、よく分からないものが沢山ありましたもんね」
「自慢じゃないけど未だによく分からんものだらけやけんね」
亜佑美の言葉に衣梨奈が何故か得意げに胸を張った。
「きっと、凄い魔道士が建てたんでしょうね」
春菜の言葉に一同が肯く。
「どんな人だったのかな…」
◆
「やっほー、ガキさん」
突然背後から声を掛けられた里沙は、驚き振り向いた。
見知った声。見知った顔。
旅の途中に立ち寄った街の波止場で、里沙は苦笑した。
「相変わらず突然現れるね、さゆみん」
「ふふふ。あー風が気持ちいい」
里沙の隣に腰かけたさゆみが、水平線の向こうを見つめ目を細める。
「さゆみんも、旅行?」
「うん、そんな感じ」
里沙が小さく、寂しそうに笑った。
「……この間生田と鞘師が来たよ」
「そう」
「『道重さん知りませんか!?』って血相変えて。
あたし的にはあの子達と会う時はもうちょっと感動的な再会になるかと思ったのに、
まあバタバタと、今のさゆみんみたいに突然来て慌てて帰っちゃったわ。
ほんと、弟子は師匠に似るんだね」
「何にも教えて無いけどね」
さゆみは変わらず遠くを見ている。
その黒髪が、海風に引き寄せられ儚げに揺れた。
「随分派手な魔法使ったね。世界中の人が、さゆみんのことを忘れる魔法?」
「うん、そんなとこ。生田達には大分効果が遅かったみたいだけどね。もうさすがに忘れたでしょ」
「……良かったの?」
里沙の目に、美しい横顔が映る。
自分も大概の歳になったのに、さゆみの顔は初めて会った時と同じ、いやそれ以上に美しい。
「どうだろう」
柔らかい笑みの浮かんだ口元。
寂しげなさざ波の音と聞きまごうような小さなつぶやき。
「でもま、あの子達もいつまでもさゆみの弟子なんてわけにもいかないもんね。
さゆみの背中なんて見てたら、生田もいつまでたっても世界一の魔法使いになれないし」
「……あの子はさゆみんが世界一の魔法使いだって思ってただろうね」
「ふふふ。全然違うのにね。
魔道士としてはとっくにさゆみなんか超えてるのに。7人とも」
「その割には、『忘却の魔法』には掛かっちゃうのね…」
「そういうのはさゆみの得意分野だもん。さすがにね」
里沙も旅を続けて、色々なことを学んだ。
だからこそ、さゆみの考えていることが何となく分かる。
言葉で説明は出来ないけれど。
「鞘師もさ、今のさゆみになら真っ向勝負でも勝てるのに、挑んで来ないんだもの。
逆に傷つくよ。未だに『道重さんを早く超えたいです』とか言われるの」
「あの子、さゆみんから『不老長寿の魔法』奪うって宣言したんでしょ?いいの?」
「本当に欲しいと思ってたらあげるけどね。
あの子は別にこの魔法が、時間が欲しいなんて思ってないもの。
さゆみに楽させたいとか、そんな感じだからね。
酷くない?完全におばあちゃん扱いだよ」
楽しそうにさゆみが笑う。
里沙は、上手く笑うことが出来ず、風に流された髪を何度も掻き上げた。
「だからあげない。りほりほには必要無いし、こんな魔法もう誰にも必要無いの。
ガキさんが欲しいって言うならあげるけど?」
「……いらないわ」
「ふふふ」
さゆみがすっと立ち上がる。
会話は終わってしまった。
里沙は、何か言いたいことがあったはずなのに、ついに言葉にできなかった。
「じゃあね、ガキさん。元気でね」
「うん。じゃあ」
さゆみも元気で、とはとても言えない。
最後に交わす言葉がこれじゃああんまりだと思った。
だけどこれも、さゆみらしい。
◆
「なんや珍しいな」
高い山の頂。寥々たる風の吹き込む部屋の中で、男は訪客に向かって呟いた。
「一応、あんたにも何だかんだ言って昔はお世話になったしね」
「雪が降るんちゃうか」
「ふふ。どこかでは降ってるでしょうね」
「せやな」
さゆみは近くの椅子に腰かけ、開け広げられた窓から吹き込む風を感じていた。
「あんたも意地張ってないで弟子たちのとこに帰ってあげなよ。もうずっと探してるみたいよ?」
「ま、誰か一人でも俺を見つけられたらな。これも俺なりの指導や。
そういや、小田は元気か?」
「元気だよ。もうあんたもビックリするくらいの大魔道士になってるよ。
やっぱり、さゆみの所に来て正解だったみたいね」
「あいつは元々才能が抜けとったからな」
男がどこか嬉しそうに笑う。
さゆみも、最後に自分の元に来た少女の顔を思い浮かべ微笑んだ。
「それで、何の用や?お前の弟子の面倒やったら見いひんで」
「あんたになんか死んでも頼まないって」
「そうか」
日が傾き、気が付けば夜になった。
しかしすぐにまた日が昇る。
山には不思議な時間が流れていた。
けれどもさゆみは特に気にしない。
「あの人にもさっき一応挨拶してきたし、あんたとも古い付き合いだからね。挨拶、それだけ」
「なるほどなぁ」
曖昧な、感情の読めない笑みを浮かべ男が言う。
「俺もあいつも、三大魔道士とか呼ばれてるけど、もう死んでるようなもんやしな。
お前がおらんくなったら、『大魔道士』なんてもうおらへん。
ま、別にええんやけどな。お前はいろいろ頑張ったと思うで」
さゆみは男の意外な言葉に少し目を見開き、それから小さく笑った。
「あんたはまだ頑張るの?」
「…今の弟子達の面倒くらいは見たらななぁ」
「そんなこと言って、また新しい弟子を見つけて来るんでしょ」
「なかなかおもろい思える奴がおらんくならへんからな」
以前は殺し合いもした相手。でも今、二人は穏やかに笑みを交し合った。
「じゃ、そろそろ行くね。ありがとうございました。つんくさん」
「おう。お疲れさん」
◆
衣梨奈達は思い出話に花を咲かせるうち
子供の頃のように家の中を探検していた。
大魔道士と呼ばれる魔法使いが7人いても、未だに次々に面白い物が見つかるこの家を
無邪気に探検していた9人は、衣梨奈と里保の部屋に来ていた。
久しぶりにはしゃいで、心地いい疲れが部屋を覆う。
「そういえば」
不意に亜佑美が言葉を発した。
壁に寄せられた視線。
一同がその先を追うと、一葉のポートレートが掛けられていた。
「あの絵、昔からありますね」
それは陽光の中華やかに笑う少女の絵。
美しい黒髪の、可憐な少女。
「うん。いつやったかな、見つけて、ずっと飾ってるとよ」
「まーちゃんとどぅーが来た時くらいだよね。確かあの部屋で見つけた気がする」
9人は、吸い込まれるように絵を見ていた。
◆
「あ、さゆ来たんだ」
「うわーめっちゃ久しぶりっちゃん」
「ほんと、久しぶりだね。絵里、れいな」
どこか知らない場所で、二人の少女がさゆみに笑いかけた。
「とうとうさゆも来たかぁ」
「てかまだ生きてるっちゃろ?どうやって来たと?」
れいながカラカラと笑う。
絵里はニコニコとさゆみの顔を眺め、その手を握った。
「さゆみまだ生きてるのかな?」
「あはは、うける」
「さゆー、しっかりしてよぉ」
「いや、ほんとに分かんない。でもま、どっちでもいいや」
さゆみが穏やかな笑みを浮かべた。
「おつかれ、さゆ」
「おつかれさん」
「ありがと、二人とも」
懐かしい顔。遠い遠い昔に一度別れた二人。
さゆみは何だか照れくさくなって目を伏せた。
「さゆはさ、あの子達に『記憶を消す魔法』じゃなくて『忘れる魔法』かけたんだね」
「……さゆみ、酷いかな?」
「まあ、いつか思い出すかもしれんけんね。けど」
「さゆらしくていいと思う」
「さゆめっちゃ寂しがり屋やけんね」
「…誰かさん達に置いてかれたせいでね」
「う…その節は」
「まあ、いーやん。そのおかげであの子らに会えたっちゃろ?あーれいなもちょっと会ってみたかったな。ちょっとでいいけど」
「そうだね。長生きしてみるもんだと思ったわ」
「もう、いいの?」
「うん。本当に…頼もしくなったから。さゆみもね、最高楽にしかったよ」
「そっか、うん。あの子達に感謝、だね」
「ほんとに、ね」
「お疲れ様、さゆ。ありがとう」
「おつかれいな、ま、ゆっくり休み。れいな達みたいにこっから見守れるけんね」
「また会えるかもしれないしね」
「ふふ、絵里は相変わらず適当だね」
3人で笑い合う。声が響く。
どこか知らない場所で、楽しそうなはしゃぎ声がいつまでも響いた。
◆
「どうしたの?まーちゃん」
遥の声に、絵に見とれていた視線が優樹に向けられた。
優樹はじっと絵を見つめている。その双眸から涙が零れていた。
「…分かんない。なんか、寂しい」
部屋に、静寂が訪れた。
里保はもう一度優樹が見つめる絵に視線を移した。
愛らしい、黒い髪の少女。
優しい、綺麗な、大好きな、知らない人。
寂しい。
優樹の言葉が、頭の中を駆け巡る。
寂しい。
どこから来るのか分からないけれど、寂しかった。
部屋にいる全員がそれを感じていた。
窓の外から子供の声が聞こえる。
まだまだしたいことがある。街の人にも世界中の人にも、自分たちに出来ることがある。
協会の仕事に没頭していた子供時代から、いつの間にか紡がれていた自身の想い。
何が切っ掛けだったのか、前向きになれた。色々なことにぶつかる勇気が出た。
見渡せば頼もしい、大好きな8人の仲間。
色々な人とこれからも出会えるだろう。
楽しみ。楽しい。
だけど今、寂しい。悲しい。
ただ、寂しい。
『寂しい気持ちや、悲しい気持ちはずっと残るの』
風が告げる。
みんな大人になったから、寂しいのかもしれない。
涙が流れる。
9人分の涙。
分からないから。きっとこの寂しさはずっと続く。
『でも今、嬉しいよ』
絵の中の少女が微笑んでいる。
寂しいけれど、嬉しそうに。
里保は少し乱暴に涙を拭うと、笑顔を作って大きく息を吸い込んだ。
「そろそろ、行こうか」
8人の少女達もまた、同じように涙を拭い、笑顔で肯いた。