夕陽に黄昏

黄昏時。 

太陽が沈みうっすらと夕焼けの名残が残る、空が闇に覆われる直前の時刻。 
魔のモノが多く出没するという「逢魔が時」でもある。 

「近道しようなんて横着するんじゃなかったな」 

神社の裏手、木々の間を縫うように続く小径の途中。 
帰宅が遅くなりつい裏道を選択したことを、聖はひとり後悔していた。 
昼間であれば木漏れ日が気持ち良い散歩道でも、 
この時間帯になると様相が一変し、何が出てもおかしくないような 
得体の知れない不気味さを感じてしまうのは、辺りの暗さのせいだろうか。 

「薄……」 

……暗くてなんか怖い、と続けようとして思いとどまる。 
口に出すと余計に怖くなりそうだったから。 


「……ましたか?」 

「ひぃっ!」


後方から突然声をかけられ、聖は思わず悲鳴を上げる。 
それは囁くような小さな声音で、一瞬空耳かと疑う。 
いや、空耳であってほしいと念じながらそっと振り向くと、 
いつからいたのか、そこには見慣れない女性の姿があった。 

顔は宵闇のせいでよく見えないが、特徴的なのはその服装。 
知識のない聖にはよくわからなかったが、真っ白な……和服? 
まるで時代劇の中で見るような、そんな服装だと感じた。 

これでもし足元が霞んで見えなかったりしたらどうしよう。 
ドキドキしながら視線を下へ向けると……良かった、ちゃんと足はあった。 
どうやら幽霊ではなく普通(にはまったく見えないけど)の人のようだけど、 
一体どうしてこんなところにいるんだろう。 

「な、なにかご用ですか?」 

恐る恐る訊ねてみる。 
しかしその女性は、返事もなくぼんやりと聖の顔を見つめるばかり。


「え、えっと……あの」 

「あなた……あたしに似てる」 

まったく予想もしない一言。 
どう反応していいかわからず身を固くする聖に、さらに思いもよらない言葉が放たれる。 

「その子のことが、好きなんだね」 

「えっ!?」 

「好き」という単語に反応して、瞬時にある人物の顔が頭に浮かぶ。 
でも、なんでいきなりそんなことを……。 

「あたしだったら、その願い、叶えられるかもしれない。 
だから……あたしと一緒に行きましょう」 

生気のない、まるで棒読みのようなか細い声。 
だが聖には、それがたまらなく魅力的に響いた。 

そして聖は、そっと手招きするその女性のもとへ、 
まったく抗うこともなく引き寄せられていった。 

 


譜久村さんがさらわれた!! 

黒猫姿の春菜が飛び込んできたことで、さゆみ邸に緊張が走った。 

一体誰が聖のことを? もし魔道士が聖を狙ったというのなら、 
まさか以前道重さんが言っていた「因子」がその原因? 
いや因子を認識できる魔道士なんて今はほとんどいないって 
道重さんも言っていたし、さすがにそれは考えすぎ? 
でも世の中にはまだどんなすごい魔道士が隠れているかもわからないし……!? 

突然の事態に混乱したまま、反射的に家を飛び出そうとする衣梨奈。 

「ちょっとえりぽん、またウチを置いていくつもり?」 

「逸る気持ちはわかるけど、とりあえず座りな生田。 
はるなんから詳しい話を聞かないと、焦って家を飛び出しても 
どこをどう探せばいいのかもわからないでしょ」 

「……はい」 

里保とさゆみに止められ、仕方なく衣梨奈が席に着く。 
その様子を確認してから、さゆみは春菜に状況の説明を求めた。 

「2人の会話まではよく聞き取れなかったんですけど……」 

そして春菜の話を聞き終えたさゆみは、眉をひそめたまま黙り込んでしまった。


「何を考えてるんですか道重さん! 
衣梨奈がそいつをぶっ飛ばして聖を連れ帰ってきますから!!」 

「それは無理ですよ! 一見大人しそうな様子ですけど 
あの人すごい魔力の持ち主でしたから!!」 

焦れてさゆみをせっつく衣梨奈を、春菜が慌てて押しとどめる。 

「そうだね、生田じゃ絶対かないっこない。 
さゆみでも色んな意味でまともには相手したくない人だし」 

「道重さんはその人のことを知ってるんですか!?」 

里保の言葉にはあえて答えず、衣梨奈に目を向ける。 

「でも大丈夫。フクちゃんは無事だし、 
やり方さえ間違えなければちゃんと連れ帰ることができるから」 

さらわれたと聞いて最悪の事態まで頭をよぎっていただけに、 
聖の無事を断言するさゆみの言葉にその場の雰囲気が少しだけ和らぐ。 

「で、そのやり方っていうのは!?」 

「いい、一度しか言わないからよく聞きなよ」 

さゆみの一言一言を真剣な表情で聞き入れる衣梨奈と里保。 
そしてさゆみの話が終わると、待ちかねたように2人は家を飛び出していった。

 


「2人に全てを託してしまって本当に平気ですかね?」 

送り出したさゆみの表情が曇ったままなのを気にしながら、春菜が訊ねる。 

「後はあの子達の意志の強さ次第だけど、まあ大丈夫でしょ。 
万が一に備えてこれから助っ人にも声をかけておくし」 

大丈夫と言いながらも、なぜだか憂鬱そうに軽くため息をつくさゆみ。 

「助っ人ですか?」 

「まあはるなんも気になるだろうし、念のため後を追って2人のことを見守っといてくれる?」 

「……わかりました」 

本当は助っ人のことやさゆみの険しい表情の理由など、 
気になることや確認したいことはまだ山ほどあった。 
しかしとてもではないがそれ以上深く詮索できる雰囲気にはなく、 
すっきりしない気持ちを抱えたまま、春菜もまた2人を追ってさゆみ邸を後にした。 

 

 

雑木林に囲まれた小さな神社。 
「道重さんスポット」の一つとはいえ、さすがに夜の来訪は気味の悪さが先立つ。 

「この先の小径でフクちゃんがさらわれたんだね」 

「もう結構時間も経っとるし、本当にまだこの場所にいるっちゃろか」 

「大丈夫、道重さんの言ったとおりにやってみよ?」 

神社の鳥居を前にした里保と衣梨奈が、手をつないで視線を前方に向ける。 
そのまま2人で「バルス!」と唱えると、神社の崩壊が始まるんじゃないか。 
木陰から様子をうかがっていた春菜は、思わずそんな幻想にとらわれた。 

しかし当然そんなことはなく、さゆみの指示通りに2人が唱えたのはまったく別の呪文。 

「幸が薄い!!」 

それは聖をさらった相手を召喚する奇妙な一言だった。 

「……呼びましたか?」 

にわかに響く鈴の音とともに、闇の中から不意に目的の女性が姿を現す。 
真っ白な和装に、手には持鈴と編笠、そして金剛杖。 
それはまごうことなき遍路装束であった。

 

「あ、あなたが……」 

「こんばんは。幸うす子です」 

そしてうす子に寄り添うようにもう一人、同じ装束に身を包んだ人物の姿が。 

「聖!!」「フクちゃん!!」 

「みずき? この子はそんな名前じゃないわ」 

その言葉を受けて、聖が初めて口を開く。 

「こんばんは。幸うすきです」 

聖の声は弱々しく、視線は虚空を漂ったままだ。 
魔法の影響であんな風にさせられてしまったのだろうか。 
すぐにでも聖の元に駆け寄りたい気持ちを抑え、2人はまずうす子に意識を集中する。 

「聖をさらうだなんて、なんでそんなことを!?」 

さゆみに言われたことの一つ。 
決して手荒な真似をしたり、その女性を怒らせるようなことをしてはいけない。 

「さらう? あたしはそんなことしてない。 
ただ、誘っただけ。一緒に巡礼に行かないかって」


「なんでフクちゃんがうすきだなんておかしな名前を名乗ってるの?」 

「あたしと一緒に巡礼に行くということは、それはあたしの妹だということ。 
もちろん彼女も快く承諾してくれた。これからは幸うすきとして生きていくことを」 

噛み合わない返答に2人はそれ以上の会話を諦め、改めて聖に向き直る。 

「聖、巡礼なんて行かないでえり達と一緒に帰ろ?」 

さゆみに言われたことの一つ。 
聖を連れ戻すには、聖本人を直接説得すること。 

だが、聖は黙ったまま頭を振る。 

「どうして? フクちゃんには巡礼なんて行く理由なんかないでしょ!?」 

「だって、うす子お姉様が言ってくれたから。うすきの願いを叶えてくれるって」 

「聖の願いって?」 

「そう、一緒に巡礼に行けばうすきの大好きな……」 

まさか、こんなところで本人を前にして告白を!? 
思わぬ展開に木陰にいる春菜の好奇心が一気に刺激される。 
そして、聖の次の言葉をドキドキしながら固唾を呑んで見守った。 


だが、春菜の期待に反して、聖の一言が予想外の大混乱を引き起こすことになる。 

「フクちゃんの大好きな!?」 

「亀【ピー】里さんにきっと会えるって」 

「ちょ、聖!?」 

「ダメですよ譜久村さん!! 
その名前を出すと本編にも色々差し障りが出ますし、第一この物語の中では 
譜久村さんはその人のこと知らないはずじゃないですか!!」 

「咄嗟に飛び出して『自主規制音の魔法』を被せるなんてさすがはるなん! 
でも興奮しすぎてツッコミが完全にメタになってるよ!!」 

「……なんのことかよくわからんっちゃけど」 

そんな惨状を前にしてもまったく動じる様子もない聖が、うす子に語りかける。 

「そうですよね、うす子お姉様」 

「そう。しばらくずっとひとりきりの旅だったけど、 
巡礼を続けていればきっと再会できるはず。亀……いえ、あたしの妹、幸うす江に」 

うす子の言葉に心なしか嬉しそうに頷く聖。

 

「お2人とも早く譜久村さんを説得してください! 
このまま放置しておくとまたどんな危険なフレーズが飛び出すかわかりませんから!!」 

「言われんでもわかってるとよ!」 

しかし一体なんと言って説得すればいいのか。 
うまく言葉が浮かばない焦りともどかしさで、 
半ば無意識の内に聖の腕を掴もうと衣梨奈の身体が動いていた。 

「ダメだよえりぽん!!」 

さゆみに言われたことの一つ。 
説得するときには、決して相手に近づいてはいけない。 

うす子の身体から放出され周囲にわだかまる、圧倒的なまでのネガティブオーラ。 
それは衣梨奈を標的にして放射されているわけでは決してなかった。 
しかしあまりに強大すぎるその力は「道重さんスポット」の魔力すらも無効化し、 
無防備に足を踏み入れた衣梨奈と、止めようとその肩をつかんだ里保を包み込む。 

聖を説得? 衣梨奈にそんなことできるわけない。 
だって聖が自分の意志でついていくと言ってるんだから、 
衣梨奈なんかがそれに口出しなんてできるはずもない。 

あっという間にネガティブな思考に支配され、重圧に耐えきれずその場にひざまずく衣梨奈。 
それは里保も同様だった。


「どうせウチなんてポニョだしシジミ目だし部屋はまともに片づけられないし 
ミントはカビるしバジルはカイワレ化するし寝坊はするし歩くのも遅いしよくこけるし 
ホントはえりぽんのこと大好きなのにえりぽんは他の子にモテモテで 
ウチのことなんて全然振り向いてもくれないしこの頃はキス魔になってるくせに 
ウチにはちゅーを迫ってくる気配すらないし……」 

その場に俯いたままで立ち尽くし、ひたすら自虐的に呟き続ける里保。 
しかしそれを気にかける余裕も、もはや衣梨奈にはなかった。 

そんな様子を無表情で眺めていたうす子が、興味を失ったかのように視線を外す。 

「うすき、行くわよ」 

「はい、お姉様」 

「譜久村さん!」 

春菜の呼びかけもむなしく、2人は小径へ続く暗闇に向かって踵を返す。 

ああ、衣梨奈は守りたいと思っていた友人を引き止めることもできない、情けない人間なんだ。 
自分への失望感で思わず涙が溢れてくる。 

しかし悲観的思考に囚われた衣梨奈には、もはや立ち上がる気力すら残されていなかった。

 

 

ネガティブオーラに取り込まれた衣梨奈と里保を残し、 
聖達が暗闇に足を踏み入れようとした、その時。 

「諦めないで!!」 

神社全体に響き渡るその声が、周辺にわだかまっていたネガティブオーラを一気に吹き飛ばした。 

「生田のその子に対する想いはそんな程度なのか!? 
本当に取り戻したいのなら、全力で自分の気持ちをぶつけてみな!」 

そうだ、なにをウジウジと思い悩んで勝手に諦めようとしていたんだ。 
ただ自分の思ってることをそのまま、心のままに聖に伝えよう! 

「聖、お願いだから行かないで! 
聖は聖、幸うすきなんかじゃない。聖は幸が薄くなんかない。 
だって聖も自分で言ってたやん、見た目は幸薄く見えるかもしれないけど 
みんなに『幸(こう)譜(ふ)久(く)』を呼ぶのが譜久村聖だって! 
衣梨奈もこれまで聖からたくさんの幸福をもらってきた。そして、これからもそう。 
聖は衣梨奈にとって大切な親友。聖がいなくなってしまうなんて耐えられないし。 
だから、衣梨奈のために、お願いだから行かないで聖!!」


我に返った里保もそれに続く。 

「そうだよフクちゃん。えりぽんだけじゃない、ウチにとってもフクちゃんは大事な親友。 
ウチらのことをおいて一人で行っちゃうだなんて、そんなの悲しすぎるよ!」 

「えりぽん……。里保ちゃん……」 

聖の眼差しに初めて感情が戻る。 
そして、ひざまずいたままの衣梨奈とそれに寄り添う里保の元にゆっくりと近づき、 
衣梨奈の手を取って助け起こした。 

「うすき?」 

そんな聖の行動に、意外そうな面持ちで声をかけるうす子。 
うす子の方へ向き直りしばらく逡巡した様子を見せた聖だったが、 
やがて決心したようにはっきりした口調で語りかける。 

「……ごめんなさい。聖は、一緒に巡礼には行けません。 
だって、聖の大事な人達が、聖のことをこんなにも必要としてくれているから。 
わざわざ誘ってくれたのに、本当にすみません」


「聖……」「フクちゃん……」 

「ありがとう、えりぽん、里保ちゃん。 
2人があんな風に引き止めてくれて、聖、嬉しかった」 

「うん、お帰り聖」 

「戻ってきてくれてホントよかった……」 

みんなで抱き合って喜びを分かち合う3人。 
それを涙目になりながら見守る春菜。呆然とした様子で見つめるうす子。 

そしてもう一人。その光景を満足げに眺める人物の姿があった。 

 

「振られちゃったね、梨華ちゃん」 

「あ……よっすぃ」 

「でも仕方ないよね、本人の口からあんなにはっきりと断られちゃったんだから」 

「……うん」 

いつの間にかうす子の隣に現れ、優しく語りかけた人物。 

「吉澤さん!」 

ようやくその存在に気付いた衣梨奈が驚きの声を上げる。 

「久しぶり。ホントはもう少し早めに合流するつもりだったけど、 
遅くなっちゃったね。でもギリギリ間に合ったようでよかった」 

そう、わだかまるネガティブオーラを一声で吹き飛ばし、 
さらには心の折れかけた衣梨奈に叱咤激励した人物こそ、 
さゆみの言っていた「助っ人」のひとみだった。


「その人は吉澤さんの知り合いなんですか?」 

「ああ、この子はあたしの相棒の石川梨華ちゃん。 
普段はこんなんじゃないんだけど、ちょっと躁鬱が激しくてね。 
ネガティブモードの時は、『幸うす子』としてこうやって巡礼の旅をするんだ。 
とは言っても本来はそれだけで、他人に迷惑をかけることなんてなかったんだけどね」 

困ったように頭をかくひとみ。 

「実は以前巡礼を一緒に廻ってくれた子がいたんだけど、 
色々あって今はひとりで行くことになっちゃって。 
きっとそれが内心寂しかったんだろうね。 
だからといっていくら似たような雰囲気の子に偶然会ったからって、 
普通の子を誘って連れて行こうとするとは、さすがのあたしも予想外だったわ。 
まあその子も色んな意味で普通ではないみたいだけど」 

「すみません、なんかみなさんにご迷惑かけてしまって」 

ひとみに笑顔で見つめられ、顔を赤くしながら恐縮する聖。 

「まあ憧れの存在のことをダシに誘われちゃその気になるのもしょうがないよね。 
でももう大丈夫。はっきりと断った相手を無理やり連れ去ろうとするほど 
梨華ちゃんもひどい子じゃないし、今後は安心していいから」 

ひとみの言葉に改めてホッと安堵する一同。


「……ねえよっすぃ。あたしもう行くから」 

「うん、じゃあ梨華ちゃんも道中気をつけて、気が済んだら早めに帰ってきてね。 
ケメコも退屈しのぎにまた遊びに来いってうるさいし」 

「……うん」 

そして幸うす子こと石川梨華は闇の中へと姿を消した。 

「じゃああたしもそろそろ行くわ。 
今回みんなには色々迷惑をかけたし、その埋め合わせはきっとさせてもらうから 
もしあたしにできることがあれば気軽に言ってよ」 

それは普通に受け取ればよくある社交辞令だろう。 
道重さん以外にすごい魔道士とのツテができただけでもとても大きな収穫だと、 
春菜はそれだけで十分に満足していた。 

だが、社交辞令なんて考えないKYのまったく予想だにしない一言が、 
その場の空気を一気に凍りつかせることになる。 

 

 

「それじゃあ吉澤さんにお願いがあるんですけど、いいですか?」 

ひとみの言葉を真に受けてさっそく食いついたのは、やはり衣梨奈だった。 

「ああいいよ、言ってみな」 

「吉澤さん、衣梨奈の親友になってくれませんか?」 

「親友かぁ……はい!?」 

「はい、今日で大親友になりました!」 

「ちょっと何言ってんのえりぽん!?」 

「吉澤さんがどれだけすごい人なのかわかってて言ってるんですか!?」 

「ていうか親友から大親友にレベルアップしてるし、勝手に『なった』って断言までしちゃってるし」 

衣梨奈のあまりに突拍子もないお願いに慌てふためく一同。 
さすがのひとみもこれには戸惑いを隠せない。 

「大親友ですよね?」 

「……OK、OK、OKよしとする」 

「やったー!」 

「親友? しん?? ……まいっか」


衣梨奈に畳み掛けられ、自問自答しながらも承諾してしまうひとみ。 

「じゃあえりぽんって言ってください!」 

「ちょっといくらなんでも調子に乗りすぎでしょえりぽん!!」 

衣梨奈の暴走に、里保達3人はひとみがいつ怒り出すんじゃないかと戦々恐々だったが、 
梨華との付き合いで面倒くさい相手には慣れているということか、ひとみの対応は大人だった。 

「はいはい、えりぽん」 

「わーい嬉しいー!」 

「第一号の、後輩の親友か。ハハハハ……」 

困ったもんだという雰囲気を出しながら衣梨奈の要望に応え、 
そしてひとみは笑いながら暗闇の中に消えていった。 

「吉澤さんがどんな人なのか聖は理解できてないけど、 
とっても度量の大きい人だというのはよくわかったかも……」 

「これを現実世界で本当にやらかしてるんですから、改めて生田さんってとんでもない人ですよね」 

「ウチもそう思うけど、また発言がメタになってるよはるなん」 

衣梨奈のKYで一気に疲れが出た3人もまた、ひとり浮かれている衣梨奈とともに家路につき、 
普段は閑静な神社にようやくいつも通りの静けさが訪れたのであった。 

 

 

さゆみは自室のパソコンの前に座り、音声通話をしていた。 
画面には里保の様々な場面での隠し撮り画像が壁紙として映されていたが、 
これは通話相手とは全く関係がない。 

「今回はわざわざ助っ人で出向いてもらってすみませんでした」 

『いやいや、こっちこそ梨華ちゃんのせいで色々迷惑をかけちゃって申し訳なかったね』 

さゆみが恐縮しながら話す対象など、今となってはそう多くはない。 
通話相手はその数少ない一人であるひとみだった。 

「本当は石川さんの引き取りだけお願いするつもりだったんですけど、 
生田が未熟なばかりにフクちゃんの説得に吉澤さんの手も煩わせてしまって……」 

『あの梨華ちゃんが相手なんだからしょうがないさ。 
最後生田に親友になってくれってお願いされたのはさすがに驚いたけど』 

「うちのバカ生田がホントにすみません……」 

『いや、後輩と接するというのも新鮮で楽しかったから全然問題ないって。 
そうそう、生田達にも言ったけど、今回迷惑をかけた埋め合わせはさせてもらうから 
重さんもなんかあったら気軽に言ってよ。 
まあ今さら重さんがあたしに頼むようなことは何もないと思うけど』 

そんなひとみの言葉に、珍しく逡巡した様子を見せるさゆみ。 

『あれ、もしかして重さんも何かあったりする?』 

「それじゃあひとつだけお願いがあるんですけど……。 
前から何度も言ってるとは思うんですけど、 
その『重さん』って呼び方いい加減にやめてもらえませんか?」


『え、なんで?』 

声の調子からひとみが楽しそうにニヤリと笑ったのがわかり、 
やっぱりこんなお願いをするんじゃなかったかと、さゆみは早くも後悔に襲われていた。 

「なんでって、『重さん』なんて可愛くないからに決まってるじゃないですか」 

『そんなことないって。重さん本人が可愛いんだから重さんのことを重さんって呼ぶのだって 
それも可愛いに決まってるじゃん重さん』 

「いやそれとこれとは話が違いますから」 

『第一、重さんは重さんなんだから重さんのことを重さんと呼んでも 
何もおかしくはないって重さん。重さんももっと重さんが重さんて 
呼ばれることに自信を持たなきゃ、なあ重さん』 

完全に遊ばれてる。 

「……もういいです」 

強い脱力感に襲われながら通信を切るさゆみ。 

フクちゃんを連れ戻すためには必要だったとはいえ、 
だから吉澤さんにはあまり連絡したくなかったんだ。 
さゆみのことを「重さん」というあだ名で呼ぶのと、 
この悪戯っぽい性格さえなければホントいい先輩なんだけど……。 

そしてさゆみは、肩を落としながら重いため息を一つ吐き出した。 


(おしまい)
 

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最終更新:2014年07月13日 21:31