本編20 『みんなの夏休み ~石田亜佑美合流スペシャル~』


夏休みも半ばを過ぎた。連日のうだるような暑さで
子供たちの中にもそろそろ遊び疲れた気だるい空気が漂いはじめたある日。

里保はそわそわしていた。

いつものように道重家で、さゆみ、衣梨奈、遥、優樹と食卓を囲む。
すっかり慣れ親しんだ風景。

「あ、みんなありがとね、今日」

里保の言葉に衣梨奈が笑顔で肯く。

「うん。にしても里保の部屋って…」

「鞘師さんの部屋汚い」

優樹が真顔で呟いた言葉に、里保は思わずご飯を詰まらせた。

「こらこらまーちゃん。でも何で殆ど家に帰ってないのにあんな散らかるんすか?」

遥の追い討ちに、里保は頬を膨らませて視線を下げた。

「それはさぁ、その…」

「ま、里保は変わって無いってことっちゃね」

笑って言う衣梨奈を、里保が不満げに睨み付ける。
さゆみはそんな子供たちの会話を楽しそうに眺めていた。


昼間、衣梨奈と優樹と遥に手伝って貰って本来の里保の部屋を掃除した。
数日前に、里保の元にもう一人執行局員を派遣するという局長からの通達があったからだ。

その人は里保の隣の部屋に住み、里保と共に任務に当たることになっている。
局は里保が人手の必要を感じた場合に備えて、はじめからもう一つ部屋を押さえていたらしい。

その人が赴任するのが明日。
そしてそれが、里保が落ち着かない理由だった。
里保にとっては初めての部下になる。
里保の補佐として送られてくるから、M13地区での任務は里保が主導し、協力して当たるように、
またいろいろと指導するようにと局長から申し付けられた。
しかし実際のところ、里保は人の上に立って指示を出したり、ましてや指導なんてしたことが無い。
この街に派遣される前は単独で各地を飛び回るか、どこかのチームに合流して客員扱いで作戦に当たることが殆どだった。

「それで、どんな人が来ると?」

衣梨奈の言葉に里保が困ったように笑う。

「それが分かんないんだよ。女性としか聞いてなくてさ。
明日その人と合流するまでには基本データくらいは送るって言われてるけど…」

「あれ、まだ聞いてないの?」

「はい…」

さゆみの言葉に里保が肯く。
さゆみは少し意外そうな表情をしたあと、何かを察したようにニヤニヤと笑いだした。

「なんかめっちゃ適当っすね」

「うん。前までの局長じゃ考えられない」


協会が新体制に移行した報せを里保はM13地区の中で聞いた。
新会長の元、協会は大きく変わりはじめている。
資料として里保の元に送られてきた、新しく出したという会員募集のチラシを見て
里保と遥は脱力し、衣梨奈と優樹が爆笑していた。
それはよく言えばポップ、悪く言えばふざけたチラシで、まるで地方のスポーツクラブの折込チラシのような内容だった。
協会全体に何か緩い空気が蔓延している。
局長もその空気に当てられたのかどうかは分からないが、以前の真面目なイメージとは違う面がよく見られるようになった。

「女の人かぁ。えりの知ってる人の可能性もあるっちゃんね」

「うん、まあ。でもえりぽんの知ってる人だったら、うちの先輩ってことになるしやりづらいよ。うう、緊張する」

「ま、明日のお楽しみだね」

含み笑いを浮かべたまま言うさゆみの言葉に里保はうなずき、落ち着きなく食事を進めた。

食事を終え、さゆみ、里保と衣梨奈、遥と優樹が交代でお風呂に入り
寝る前のひと時の雑談をしている間も里保のソワソワは治まってくれそうも無かった。


「ううー緊張するー。サヤッシー!」

「…鞘師さんが壊れた」

「いや、やすしさんは元からあんなんだよ」

遥と優樹の会話に苦笑しながら、衣梨奈がさゆみに話しかける。

「まあ、でも里保の気持ちも分かりますよね。やっぱ初めての人とか初めてのことってドキドキしますもん」

「そうだね」

さゆみが生返事を返す。目を細め、何故か神妙な面持ちでじっと里保を見ていた。

「どうしたんですか?」

「そんなことより、りほりほが明日から暫く自分の家に帰っちゃうことの方がさゆみにとっては大問題なの」

さゆみが重々しく答える。
衣梨奈は思わず苦笑いしながら、不思議な動きで緊張を表現する里保に視線を戻した。


.

 


M13地区の駅に降り立った亜佑美は、肌を刺す魔力に緊張を強めていた。

その街の危険さ、監視の対象となる”大魔女”道重さゆみの恐ろしさは局長から十分に聞かされていた。
本来なら新人の亜佑美が担える仕事では無い。
それは局の最強クラスの魔道士であり、局長の娘である里保が一人で請け負っているという事実からも十全に理解出来た。
それでも、亜佑美は絶対にこの仕事を他に譲る気にはなれなかった。

優樹と遥の身に起こったことを知り、優樹が捕まったことを聞いてから、
亜佑美は失意の中で、どうしたら優樹を救い出せるのかを模索していた。

そんな折に局長に呼び出され、こっそりと教えて貰った事実。
『優樹は捕まっていることになっているが、遥と共にM13地区にいる』
そして、今M13地区で任務に当たっているのが鞘師里保であること。
局長が今、里保の補佐に当たらせる魔道士を探していること。
亜佑美は考える間も無く、その役目を志願した。

後になって考えれば、あれは局長の優しさだったと分かる。
その場では、新人には重すぎる任務だと難色を示していたけれど、結局亜佑美の志願を受け入れてくれた。

そして最大限の注意と、上司である里保の指示を厳守することを言い含められ
今日、赴任となった。


優樹と遥に早く会いたい。
何も知らず、苦しんでいた二人に何もしてあげることが出来なかった。
今二人が戻ることも出来ないならば、自分が側にいてあげたい。
これからは自分が二人を守ってあげたい。

ただ二人が街のどこに居るのかは分からない。
単独行動で二人を探す余裕があるだろうか。
それよりも、里保に正直に事情を話し、協力を仰ぐべきだろうか。

以前遥が『親切な人にお世話になっている』と言っていた。
その人には絶対にお礼を言いたい。

亜佑美はまた、里保にも思いを馳せていた。
自身が執行局を目指すきっかけになった人。憧れ、とは違うのかもしれないが
色々な意味で、亜佑美の中でとても大きな位置を占める人だ。
ただ一度会ったことがあるだけの人。
それがこんな形で、再び巡り合えることになるなんて、人生というのは本当に分からない。

亜佑美の記憶にある里保は、小柄な自分よりも更に小さく幼い容姿の少女。
でもその表情はクールで大人びていて、外見からは想像もつかない鋭い、力強い魔法の使い手だった。
局長の娘であり、若くして重要な任務をいくつも任されるエリート。
自分とはかなり違う。

会うのが楽しみなのは間違いない。
でも少し、怖くもあった。


亜佑美は、肌を刺す魔力に局長の再三の注意を改めて思い出し
身を強張らせながら辺りを窺った。
駅まで里保が迎えに来てくれることになっている。

と、視界の端にこちらに歩いてくる一人の少女が映った。
きょろきょろと辺りを見回し、誰かを探している素振り。
記憶にあるよりも幾分背が伸びて、ほんの少しだけ女性らしさも帯びている。
でもそれは間違いなく鞘師里保だった。

亜佑美が、どう声を掛けていいのか分からず不審者のような足さばきでそっと里保に近づく。
里保もそれに気付き、ぱっと目があった。

「あっ」

「ど、どうも…」

伏し目がちに発した声。
亜佑美は心の中で自分に、何が『どうも』だよ!と激しく突っ込んだ。

「あ、えっと、鞘師里保さん…ですよね?私執行局の石田亜佑美と言います」

「あ、唇の…」

「は?」

「い、いや何でもない。石田亜佑美ちゃんだよね。私は鞘師里保。局長から話は聞いてるよ。案内するから着いてきて」

とても気まずい、余所余所しい空気のまま、亜佑美は里保の後に続き歩き出した。

 

言葉少なに道を歩く。
亜佑美は里保の数歩後ろを遠慮がちについていった。

里保は亜佑美の顔を見た瞬間、彼女のことを思い出していた。

何年か前に協会の魔法競技会の決勝で戦った相手。
可愛らしい容姿の中に、気迫を剥き出しにした強い目をした女の子。
決勝に敗れ、悔しそうに震わせていた
ぽってりとした愛らしい唇の質感が何故か強く印象に残っている。
里保はその時ずっと、彼女を目で追っていたのを思い出した。
確か当時の自分は、亜佑美のことをとても魅力的な女の子だと感じていた。


里保が魔法競技会に出場したのは一度きり。
だから亜佑美に会ったのも一度だけのことだった。
それがこんな形での再会となることに、里保は不思議な高揚を覚えていた。

「あ、えっと…すぐ近くだけど。荷物重い?持とうか?」

何となくもう一度その顔が見たくなって振り返った里保が、ついでに発した言葉に、
酷く慌てた調子で亜佑美が答えた。

「え、いえ、全然ぜんぜん!大丈夫です!」

「そう?」

バタバタと手を振りながら言う亜佑美の唇を盗み見てから
里保はまた前を向き歩き出す。


程なく里保が住むマンションに辿り着いた。

「こっちがうちの部屋、でこっちが石田…さんの部屋。はい、これ鍵ね」

「すみません」

「最低限の家具は揃ってると思うから、一応荷物置いて、見といて。
それからうちの部屋に来てね」

「はい、わかりました」

相変わらずの硬い会話。
二人は取りあえず一度別れ、それぞれの部屋に入っていった。

里保は自室に入ると、肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
初めてじゃなかったけれど、ほぼ初めてと言っていい相手を前に
やっぱり緊張して随分硬くなってしまった。
上司が相手ならばともかく、いくら同じ年頃の相手とはいえ彼女は部下。
冷たい、とっつきにくい相手と思われてないだろうか。


じきに来るであろう亜佑美の為に、使い慣れないキッチンで紅茶の準備をしながら
里保は改めて今回のことを考えていた。
局長は里保の補佐として、もう一人局員を派遣すると言った。
新人だけれども、魔道士としての才能はあって、面白い奴だから
きっと里保の助けになる。
局長は亜佑美のことをそんな風に紹介した。
経験は不足しているから、色々と教えてやるように。

しかし改めて考えれば考えるほど、里保には今回の亜佑美の派遣が不思議に思えた。

そもそも自分の任務は、補佐がいるようなことだろうか。

この街に来たばかりの頃は、意気込んで街で見聞きした魔法やさゆみのことを
逐一局長に報告していた。
けれど、人前で魔法を使いたがる魔道士なんてあまり居ないのはどこも同じ。
すぐにネタ切れの感が出て、報告の回数も減っていった。
さゆみとの関係は少しづつ変化していて、その中でだんだんと分かって来たこともある。
けれど、さゆみのこと、さゆみと自分のことを積極的に協会に報告する気にはなれなかった。

自分の報告如きでさゆみがどうにかなるわけはない。
だけど、今となっては心から慕っているさゆみのことを、人にあまり知られたくない。

優樹たちの事件以来、里保は協会に何を報告し何を報告しないかを考えるようになり、
結果定期報告の内容もどんどん薄い物になっていった。


亜佑美が里保の仕事を手伝うと言うけれど、
里保は改めて思い返すと自分が殆ど仕事をしていないことに気付いた。

局長もそんなことは分かっているはずで、だからこそ亜佑美を寄越した理由が分からない。
里保のお目付け役、といった所だろうか。

とは言え、新人で単身自分の補佐の為にこの街に来てくれた亜佑美に
先輩として、上司として何も出来ないのでは申し訳なさ過ぎる。
折角なら、任務の間に得るものがあって欲しいし、少しぐらいは里保の下で働いて良かったと思われたい。
自分は少なくとも数年はこの街に留まることになっている。
亜佑美がどのくらいの期間を言い渡されているのかは分からないけれど、
その間、彼女に対して自分は出来るだけのことをしよう。

具体的には何も思い浮かばないまま、そう心の中で意気込んだ折
里保の部屋のドアが遠慮がちにノックされた。

ドアを開け、亜佑美を招き入れる。
亜佑美はどこか強張った顔のまま、促されて里保の部屋に入った。


「ま、適当に座ってよ。ちょっと待ってて、今紅茶淹れるから」

亜佑美は少し視線を彷徨わせた後、小卓の脇に腰を下ろした。

里保の部屋は、まるで殆ど使っていないかのように物が少なく
綺麗に片付いている。

里保がすぐに戻って
お盆からポットとカップを置いて座った。

「あ、外暑かったよね。冷たい飲み物の方が良かったかな…」

「い、いえ、全然大丈夫です。すみません、いただきます」

紅茶からはいい香りが昇り立っていて
一口つけると冷房の効いた部屋で冷まされた身体に柔らかい暖かさが広がった。

「美味しいです」

亜佑美が紅茶に口を付けるのをじっと見ていた里保の視線に気付いて慌てて声をだす。

「そう?よかった」

里保は小さく笑った。

亜佑美は改めて鞘師里保という人物に驚いていた。
局長の娘で、執行局屈指の天才魔道士。
言葉数が少なくクールで、若くして一人暮らししていながら部屋はピカピカ。
しかも優雅に紅茶なんか振る舞って、それがまた美味しい。

自分なんかとは何もかも違い過ぎると思った。
本当にこれからこの人の下でやっていけるのだろうか。


「えっと、うちも実は局長から話を聞いたの最近でさ。
石…亜佑美ちゃんは、局長からどういう風に言われてるの?」

「はい、えっと…。鞘師さんの任務の補佐ということで、現場では鞘師さんの指示に従うようにと…」

「任務の内容については聞いてる?」

「はい。”大魔女”道重さゆみの監視・報告と、ここM13地区についての調査だと聞いてます」

「そっか…うーん」

亜佑美の言葉を聞き、里保は何か困ったように長い髪に手を当てた。

「調査って言ってもね、自分から動くことって殆ど無いんだ。
協会員として動こうとするとかえって自分の身が危険になりかねないし、うちはかなり長期任務で来てるしね」

「…やっぱり、相当危険な任務なんですか?」

駅に降り立った時から、亜佑美も明らかに他の街とは違う空気を感じていた。
局長の再三の注意。特に道重さゆみに対して、何か間違いを犯せばすぐにこの世から消えて無くなるという言葉は
亜佑美を震えさせた。
だけど一魔道士として、それほどの力を持った魔道士に対しての好奇心が湧きたつのも事実。

「危険…そうだね、気を抜くのは危険だね。
実際うちも襲撃されたこともあるし…」

やはりそういうこともあるのだろう。
協会内での訓練や、遥や優樹との派手な喧嘩ならば沢山してきた亜佑美も
奪う、奪われるの実戦の経験はまだ無い。
しかしここに来て、里保に守ってもらうわけにはいかない。
そんなことで二人を見つけ出すことなど出来るはずもないのだ。


「これからのことも考えなきゃだけど、すぐにすることは無いからさ。
とりあえず亜佑美ちゃんにはこの街に慣れて貰って、それから考えてこう」

「はい」

「えっと、うちは今夏休み中なんだけど、亜佑美ちゃんも新学期から学校通うんだよね?」

「あ、いえ、えっと、私は協会の教育課程を一応修了しているので、
学校に関しては鞘師さんの判断で必要があれば通う、みたいな感じで言われてます」

「そうなの?」

言われて里保は複雑そうな苦笑いを浮かべた。
それからまた何か難しそうに考え事をはじめる。

亜佑美には里保が何を悩んでいるのかはよく分からなかった。
特殊な街、特殊な任務だ。
恐らく協会員が一人増えるだけでも、微妙な問題が沢山出てくるのだろう。
何となくそんなことが想像された。

「やっぱうちだけじゃ難しいや。えりぽんにも」

里保から小さな独り言が漏れた。
亜佑美が視線を向けると、何かを決めたような里保の顔と目が合う。

「とりあえず今から、道重さんの所に行こう」

「え?」

亜佑美はその言葉に心底驚いて、思わず声を漏らした。
監視の対象、恐ろしい”大魔女”にいきなり会いにいくというのか。


色々な疑問を抱きながらも、亜佑美は一人合点している里保に何も尋ねることが出来なかった。
考えなしということは無いのだろう。何せたった一人で任務を遂行している人なのだ。
しかし、具体的にどんなことをしていて、里保にとってさゆみが、さゆみにとって里保がどんな立場なのかということは
今まで考えていなかった。
恐ろしい相手と聞かされていただけに、当然緊張感を持って対峙しているか或は直接の接触を避けて任務に当たっているのだと
思っていたけれど、里保の「道重さん」という呼称はそんなイメージとは少しずれている。


行先は決まったものの、熱いお茶を一気に飲み干すわけにはいかず
二人はまたどこか気まずい沈黙の中でカップを傾けていた。
亜佑美が里保の視線を感じ顔を上げると、里保がどこか照れたように小さく笑って口を開いた。

「亜佑美ちゃん、さ」

「はい?」

「うちのこと、覚えてる?」

里保のその言葉に、亜佑美は何故だか自身の顔にカッと血液が昇るのを感じた。

忘れるわけはない。それはつい先刻も思い出していた、亜佑美にとって忘れられない出来事。
だけど、里保もまたそれを覚えていてくれているとは夢にも思っていなかった。

「魔法競技会の…」

「うん、そう!」

亜佑美の小さな言葉に、里保は嬉しそうな声を出した。
その声を聴いて、亜佑美も何故だか嬉しくなる。
少しだけ肩の力が抜けたのを感じながら、亜佑美も笑みを浮かべ言った。

 

「忘れられるわけ無いじゃないですか。私本当に悔しかったんですから」

「そ、そうなの?」

「はい。まさか決勝まで勝ち上がって…失礼かもしれないですけど、同じくらいの歳の女の子が相手だなんて思わなかったですし、
その人に自分が負けるなんてもっと思わなかったですもん」

「あはは。うちもビックリしたのは同じだよ。でもなんか不思議だね」

「不思議、ですか?」

「また会えると思って無かったからさ。
こんな形で会うことになるなんて、不思議だよ」

「…そうですね」

「でもまた会えて本当に嬉しい」

里保の笑顔と無邪気な言葉に、亜佑美はまた顔の熱が高まるのを感じて返事を詰まらせた。

「ぶっちゃけうちさ、この任務に就くまでも一人で飛び回ることが多くてね。
初めてなんだ。その、『部下』っていうか…誰かに手伝って貰うのって。
だからいろいろ迷惑かけることもあると思うけどさ、改めて、宜しくね亜佑美ちゃん」

「はい…宜しくお願いします」

亜佑美は、さっきとは違う種類の妙な緊張を感じて
やっとそれだけ、小さな小さな声で返した。

262 名前:名無し募集中。。。@転載は禁止[] 投稿日:2014/06/12(木) 21:10:19.18 0
少しだけ、里保と打ち解けられそうだと感じだした頃、二人のカップも漸く空になった。
里保がカップを持ち立ち上がるのを慌てて亜佑美が手伝おうとして、笑顔で押し返される。

それから二人は改めて外に出た。
午後の日差しに照りつけられた街は灼け付くような熱気で二人を包む。

里保が目を細め、大きく空気を吸い込む。
亜佑美もそれを真似てみると、夏のどこか懐かしい香りが胸に広がった。

歩き出した里保に続きながら、亜佑美はやはり先ほどの疑問を里保にぶつけようと思い直した。
さっきよりも今の方が、変な緊張が解けている。
いずれ遥と優樹の話も切り出したいから、いつまでもまごついているわけにもいかない。

「あの、鞘師さん」

「んー?」

「『道重さゆみ』に会うって仰いましたけど、
そんな簡単に会えるものなんですか?敵対してるんですよね?」

「へ?いや、別にしてないよ?」

「は?でも局長が…」

亜佑美の言葉を聞き、里保はまた少し考える仕草をした。

「局長さ、道重さんのことはどんな風に言ってたの?」

尋ねられ、今度は亜佑美が改めて局長の言葉を思い返す。

「恐ろしい大魔女で、一つ間違えれば命も落としかねない、協会さえ滅ぼしかねない人物だと…」


亜佑美の言葉に、里保は大きく目を見開き、
それから楽しそうな笑い声を上げた。

「あは。局長そんなこと言ったんだ。
うふふ。うん、間違いじゃない、間違いじゃないけどさ。ひひ」

笑われた理由が分からず、亜佑美はいくらか憮然として里保を見た。
それに気付いた里保が、なお笑いながら「ごめん」と一言。
それから、無邪気な笑顔を消し、どこか頼もしい笑みを浮かべて言った。

「確かに局長の言ったことは間違いじゃないかもしれない。
道重さんは本当に凄い魔法使いだからさ。
でもね、凄く素敵な人だよ。優しくてあったかい人。
亜佑美ちゃんも会ってみれば分かると思うよ」

この街を訪れた時の緊張感を思えば拍子抜けするような里保の言葉に、亜佑美はただ肯くことしか出来なかった。
局長の言葉と里保の言葉の折り合いがまだ頭の中でつかず、考えが絡み合う中
亜佑美はただ里保の笑みに見惚れていた。


.


「あ、里保ちゃん」

暫く歩いていると不意に声が聞こえてきた。
亜佑美と里保が振り返る。
そこには亜佑美と同年代くらいに見える二人の少女が立っていた。

「ふくちゃん、かのんちゃん」

里保の返事で、亜佑美はどうやらその二人が里保の知り合いであるらしいと理解した。
里保は学校に通っているということなので、学校の友達だろうかと推測する。

「あ、もしかしてそっちの子って例の?」

香音が亜佑美に視線を向け里保に尋ねた。
どう反応していいものか分からず、亜佑美が曖昧に会釈する。

「うん。協会魔道士の石田亜佑美ちゃんだよ」

里保に紹介され、二人の視線が自分に注がれたのが分かり
亜佑美は居心地悪そうにもう一度会釈をした。

「ど、どうも」

言って、何がどうもだ、と今日2度目の突込みを自分にする。
いささか不躾な態度を、里保を含めた3人ともさほど気にしていな様子に胸を撫で下ろした。

「…可愛い」

聖がぽつりと言った言葉を、亜佑美は聞き間違いだと判断した。
その証拠に、まるで意に介している様子もなく香音が元気な声を出す。


「あ、あたし鈴木香音。里保ちゃんの友達だよ。よろしくね」

聖もそれに続いた。

「譜久村聖です。よろしくね、亜佑美ちゃん」

「石田亜佑美です。よろしくお願いします」

二人の親しげな柔らかい挨拶に、亜佑美も少しだけほっとして言葉を返した。
果たして里保の級友とよろしくする意味はあるのかと若干の疑問も抱きつつ。

「二人ともどっか行くところなの?」

「うん。えりちゃんとこ。聖ちゃんの宿題の進捗がやばいから勉強会しようってことで」

「ちょ、ちょっと香音ちゃん。そんなこと言わないでよぅ」

学生らしいやりとり。
亜佑美は少しだけ遥や優樹とのやりとりを思い出していた。

「あー宿題かぁ」

「里保ちゃんはえりちゃんと一緒にやっててけっこう進んでるんだよね?」

「うん、まあ。でも道重さんちでやるの?
うるさくて勉強どころじゃない気もするんだけど」

「うんそう、うちらも最初はそう思って図書館でも行こうかって話してたんだけどね。
なんかえりちゃん以外出かけてて今居ないんだって。だから折角だしね」


「え?3人とも居ないの?」

「うん、みたいだよ。あれ、里保ちゃんは何か聞いてないの?」

「うん…。うちらも道重さんに会いに行こうと思ってたんだけどさ。
そっか、居ないのか」

亜佑美は何となく会話の流れを追っていた。
だけど『道重さん』以外に分かる登場人物はおらず、すぐに追うのを諦める。
どうもこの二人も道重さゆみと少なからず関わっているのだということだけは理解した。
そしてあと何人か、里保ともさゆみとも繋がりのある人がいるということ。

「まあでもすぐ帰ってくるでしょ。今日ほら、バーベキューやるからってうちらもお呼ばれしてるしね。
そんでついでだからって話だし」

「え?バーベキュー?」

「あれ? 道重さんがお家のお庭でバーベキューするからおいでって聖たち誘われたんだけど…」

「うち聞いてないよ…?」

「うそ」

大魔女の名前がぽんぽん出てくる割に、随分のどかな会話だなとぼんやりと感じていた亜佑美は
次第に里保の表情が暗くなっていくことに遅れて気付いた。

「だって今日亜佑美ちゃん来るから、うちは戻れないって知ってるはずなのに」

「いやいや、多分言い忘れてただけだよ。ほら、里保ちゃん呼ばないとかありえないでしょ。
多分亜佑美ちゃんも一緒に来ると思ってるんじゃん?」

「……でも呼ばれて無いのに行くわけにいけないもん」


雲行きが怪しい。
里保が拗ねた子供のような顔になっていた。
亜佑美は、先ほどの里保の頼もしい顔を思い出し、表情のコロコロよく変わる人だと興味深く眺めていた。

「あ、じゃあどうせ聖たち道重さんの家行くし、聞いてみるよ」

「道重さん今いないんでしょ?」

「そ、そうだけど。じゃ、帰ったら聞いてみるからさ。そしたら連絡するから。
ほら、里保ちゃん、道重さんが里保ちゃんを仲間はずれとかありえないから、ね?」

「…うん」

そのままいくつか言葉を交わし、聖と香音は道重家へと向かった。拗ねた里保を残して。
唇を突き出し、つまらなそうに佇む里保を前に、亜佑美はどう声を掛けたものかと思案していた。
イメージしていたより、そして出会った第一印象よりも鞘師里保は随分子供なのかもしれない。

日差しの強い道の真ん中でいつまでも突っ立っているわけにもいかない。
亜佑美は恐る恐る里保に声を掛けてみた。

「あ、あのー…鞘師さん?」

里保はたった今亜佑美のことを思い出したというようにハッと肩を震わせて、それからキリリとした表情を取り繕った。

「あ、ご、ごめん。そうだね、道重さん居ないみたいだし…。
折角だから街を案内するよ。買い物する場所とかいろいろ知っといた方がいいしね」

「は、はぁ…」

亜佑美は一連のことをどこか他人行儀に眺めていた。実際他人だが。
そしてぼんやりと里保に対して感想を抱く。
鞘師さんって可愛い人だなぁ、と。


 

 

気を取り直して里保が歩き出す後に、亜佑美も続いた。
マンション近辺のスーパーやコンビニ、商店街を巡る。
任務のことで頭が一杯だったけれど、この街でこれから生活しなければならないことを改めて思い出していた。
協会施設や協会の寮で暮らしていた亜佑美は、完全な一人暮らしの経験が無い。
だから里保が隣に住んでいるということにほっとしていた。

街を覆う魔力は、もうすっかり気にならなくなっていた。

里保とも必要な会話をする時のぎこちなさは随分解消されていた。

「んー、だいたいよく行く場所はこんなとこかな。ちょっと遠くまで遊びに行ったりもするけど」

「有難うございます。なんか、穏やかな街ですね」

「そうでしょ?基本的にのんびりしてていいとこだよ」

里保が目を細めて笑う。
緊張感を無くさないようにと自分に言い聞かせてはいるけれど、里保といるとどうも気が緩んでしまう自分に気付いていた。

「協会の力が及んでなくて、しかもめちゃくちゃ魔道士がいるのにトラブルとか無いんですか?」

「うーん、無いことはないけど、皆あんまり気にしてない?」

「え?それっていいんですか?」


「なんていうのかな。魔道士の間で衝突とか小競り合いみたいなことって結構あるんだけどさ、
みんな自分たちの問題として処理しようという意識みたいなのがあるんだよね。
だからそんなに大事にはならないし、他の魔道士じゃない人に迷惑かけるようなことも殆どしないかな。
ま、もしそんなことになったら道重さんに怒られるしね」

亜佑美はこの数時間、里保の言葉の端々からさゆみへの思いを感じ取っていた。
憧れ、敬意、そして大きな好意。
まだ会ったことが無い。だから自分の目で確かめるまでは何とも言えないけれど
この街に来る前に抱いていたイメージとは随分と違う人なのかもしれないと思い始めていた。
それとも、里保が道重さゆみにマインドコントロールされている、というようなこともあり得るだろうか。

「道重さゆみって、この街でどんな立場なんですか?」

「そだねぇ。先生みたいな感じかな」

「先生ですか?」

「うん。みんな道重さんのこと尊敬してるし、言うことは聞くよ。
でもいつかは超えたいと思ってる。道重さんもそれは分かってて、皆のこと見守ってくれてる、って気がする」

言って里保はどこか遠くを見つめるように笑った。
何かさゆみとの間にあったことを思い出しているのだろうか。

一番日差しの強い時間は過ぎたとはいえ、まだまだうだるような暑さ。
でも少しだけ気持ちいい風は吹きはじめていた。

「ちょっと休もっか。もうちょっと言ったとこに展望スペースがあるの。
街全体が見渡せる気持ちいいとこだから、行ってみよ?」

「はい!」


亜佑美はいつしか見知らぬ街の散策を楽しんでいた。
そして里保と一緒に歩くことを。
いろんな不安を抱えていた。
初めての任務のこと、里保のこと、そして遥と優樹のこと。
電話口では強がっていただけで、今も辛い思いをしているんじゃないか。
ずっとそんなことを考えていた。
だけど、この街に来て、歩いて、なんとなくほっとする。

優しい街だ。
里保も、可愛らしくて優しい人だった。
勿論凄腕の執行魔道士としての顔はまだ見ていないけれど、亜佑美はそれでも里保のことが好きになれると確信していた。

「うわー、すっごい」

「んふ、綺麗でしょ」

「はい!海が近いんですね」

「うん、海岸までも歩いてすぐだよ。今度あっちの方も行ってみよっか」

展望スペースから見下ろす街の全景に亜佑美が歓声を上げる。
里保はベンチに腰かけて、どこか懐かしそうな顔で辺りを見回していた。

もう日は随分傾いていた。
緑地になった展望スペースでは蝉の大合唱。
それに合わせて夜の虫たちも声を出し始めている。

カナカナカナ。
亜佑美はその声に、夏の終わりの音が混ざっていることに気付いた。


暫く二人は黙り込んで暮れゆく夏を感じていた。
里保が亜佑美を見て笑うと、亜佑美も照れ臭くなって笑う。

これからきっとこの街で色んなことを経験する。
そうなってから、多分今日のことを、初めて街を訪れ、初めて里保と言葉を交わした日のことを思い出すんだろう。
ふと亜佑美はそんなことを考えて、それが何だか可笑しくなった。

「なになに、思い出し笑い?」

暫くぶりに里保が声を出した。
その顔が夕焼けに照らされて、美しく燃えている。

亜佑美は不意に、里保に話そうと思い立った。
優樹と遥のこと。
自分が任務以外にも目的があってこの街に来たこと。
今見下ろす景色のどこかに二人がいるのだと思うと、居てもたってもいられなくなる。
里保は決して自分の気持ちを蔑ろにはしないだろう。まだ短い時間しか一緒に居ないけれどそれだけは確信できた。

「あの、鞘師さん」

「んー?」

里保が首を傾け、少し眠たげな声を出す。
本当に可愛い人だなと思いながら、続けようとした言葉が、突然の別の声に遮られた。

「あ、鞘師さん。こんなとこに居たんですね!」

亜佑美が言いかけた言葉を飲み込みそちらを向くと、奇妙な黒猫が自分たちの側へ歩み寄っていた。


.


「ふー、結構買っちゃったね。二人とも大丈夫?重くない?」

「はい!だいじょーぶです!」

夕刻の道をさゆみ、優樹、遥の三人が歩いていた。
優樹と遥の手には大荷物が揺れている。
今日は昼から3人で出かけて、沢山の買い物をしていた。
遥の手には今日買った二人の服や鞄。優樹の手には食材で膨らんだスーパーの袋が揺れている。

「道重さん、なんかほんとすんません。またこんな色々買って貰っちゃって」

遥が言うと、さゆみが嬉しそうに笑う。

「どういたしまして。でも荷物持って貰ってるし、さゆみも助かったよ。
それにしても結構買っちゃったね。ま、皆育ち盛りだからこのくらい食べちゃうよね」

「おにくおにくー!」

「なんかめっちゃ豪勢な感じですね。でも何で急にバーベキューなんすか?今日何かありましたっけ」

「ふふふ。あるでしょ。りほりほが初めて先輩になる記念日だよ」

「あー、そういや鞘師さん、今日来れるんですかね?」

さゆみはそんな遥の疑問に、得意気な顔を作る。


「来てくれないと。はるなんがちゃんと連れてくるでしょ」

「んー、まあ協会の仕事っつても鞘師さんいつも暇そうですしね」

遥が言うと、優樹が楽しそうに笑う。
さゆみもクスクスと笑いながらそれに同意した。

「だから今日買った服、帰ったたら二人とも着てみてね」

「…何がだからなんすか。てかよそ行きじゃないですかこれ」

「えー、着てよ。おめかししなきゃ。今日は二人にとっても大事な日なんだから、ね」

さゆみの言葉に遥と優樹が首を傾げて顔を見合わせた。
暫くにらめっこをしてみたけれど、何も思い当るようなことは無い。

「なんかありましたっけ?」

「これからあるの」

そういってさゆみが楽しそうに、優雅に笑う。
こういう時のさゆみは、問い詰めても答えてくれないし、さゆみがこういう顔をしている時に悪いことなんて絶対に無い。
それが分かっているから、遥はそれ以上質問せず、かわりに優樹と心当たりを言い合ってみた。
それが次第に大喜利大会に発展してゆく。
楽しそうな声が弾む帰り道。
間もなく日が暮れようとしていた。

 

 

猫に話しかけられたという事実に酷く動揺した亜佑美も
すぐに魔法だということに気付いた。
警戒に身を固くする、その横で里保がのんびりと話しかける。

「はるなん…こんなところにって、結構前からうちらのことつけてたよね?」

「あ、やっぱり気付いてましたか。さすが鞘師さん」

どうやらこの黒猫も里保の知り合いらしい。
猫は固まっている亜佑美に向き直って、猫なりの慇懃さで頭を下げた。

「あ、どうも初めまして。私、飯窪春菜って言います。
この街に住むごく普通の一般的な魔道士です。どうぞ宜しくお願いします」

「は、はぁ。どうも、石田亜佑美です」

改めて黒猫を見やる。
優樹をはじめ変身の魔法が使える魔道士がいることは勿論知っていたけれど
普段からその姿でいる魔道士を亜佑美は初めて見た。
その時点でどう考えても普通じゃない。
そして、里保が随分前からつけられていたという言葉にもまた驚いていた。
自分は全然そのことに気付いていなかった。

「で、どうしたのはるなん。いきなりわざとらしく出てきて」

「そんなわざとらしくだなんて。そろそろ頃合いだと思ったので、お二人をお連れしようと思いまして」

猫の表情は読めない。
里保が自然に話しているから、しぶしび警戒を解いたけれど
亜佑美からすれば春菜は怪しい魔道士以外の何物でもなかった。


「頃合い?」

「はい。今日道重さんの家でバーベキューをするそうなんです。だから」

あ、まずい、そう思って亜佑美が目を向けた先には
思い出してまた頬を膨らませ、拗ねる里保の顔があった。

「うち呼ばれてないもん」

「そんなことありませんよ。私は道重さんからお二人を連れてくるように言われましたから」

「え、そうなの?」

その言葉を聞いて、里保の仏頂面がみるみる晴れていく。
実に分かりやすい人だ。

「でもそれだったら何で先に連絡くれなかったんだろ…。やっぱり道重さんうちのこと忘れてたのかな…」

「あはは。道重さんが鞘師さんのこと忘れるわけないじゃないですか。
理由は行けば分かります。さ、暗くなる前に行きましょう。勿論石田さんも招待されてますから」

そう言うと春菜は尻尾を翻し
ぴょこぴょこと左右に振りながら歩きだした。
亜佑美と里保が思わず顔を見合わせる。

「…何で今日来たばかりの私が招待されてるんでしょうか」

「うーん…。道重さんの考えてることって時々よく分からないから。
でも今日亜佑美ちゃんがこの街に来ることは知ってたし、歓迎してくれてるってことかな」

亜佑美は里保の返答に曖昧に笑った。
ある意味敵と思っていた人に歓迎されていたというのは複雑な気分。


春菜に先導されて亜佑美と里保は丘を下り歩き出した。
涼やかな風が吹き夕闇が迫る街には、ポツリポツリと明りが灯りはじめている。
鈴虫やコオロギ、キリギリスの合唱が響く道の上を蝙蝠が低く飛んでいた。

やがて住宅街の一角に、異様な雰囲気を纏った豪邸が姿を現す。
亜佑美は、いよいよ大魔女と対峙する時間が迫っているのを感じて一つ息を飲み込んだ。
春菜と里保はまるで気にせずどんどんと歩を進める。

門の内側の庭から、煙が立ち上り、幾人かの楽しそうな声が聞こえてきた。

「あ、じゃあ鞘師さんと石田さんはちょっと待ってて下さいね。道重さんに任務完了の報告をしてきます」

「うちもなの?」

「はい、少々お待ちを」

亜佑美は、春菜がどこか含み笑いをしているように感じた。猫なのに。
春菜が門の中に入っていくのを見送り、また亜佑美と里保は顔を見合わせた。

程なく中から人影が現れた。


「おかえりりほりほ。それと、いらっしゃい、石田亜佑美ちゃん」

声と共に門灯に照らされた顔を見上げ、亜佑美は一瞬息を呑んだ。
想像していたどんな”大魔女”像とも違う、見たこともないような美しい女性が
優しい笑みを湛えて二人を見ている。
亜佑美はこの人こそ「道重さゆみ」だと直感した。

「ただいま、道重さん」

隣から聞こえる声。
さゆみから視線を反らすことが出来ず、亜佑美は視界の端で里保を見た。
どこかはにかんだ様な、嬉しさを湛えた顔。
里保はこの人のことが大好きなんだと、そう思った。

「えっと、もう知ってるみたいですけど、
魔道士協会執行局魔道士の石田亜佑美ちゃんです」

「うん。初めまして。私は道重さゆみ」

柔らかい声で微笑みかけられ、意味も分からず頬を上気させる。


「あ、えっと、石田亜佑美、です」

言葉に詰まりながらやっとそれだけ言うと、さゆみは鈴が鳴るように小さく笑った。

「待ってたよ二人とも。
主役が来ないとバーベキューパーティーも盛り上がらないもの」

「え…?主役ですか?というか何のパーティーなんですか?」

里保の疑問に、さゆみが指を折る仕草をする。

「りほりほが初めて先輩になった記念でしょ。
それと、石田ちゃんの歓迎会。
それから…再会記念」

「再会記念?」

「ふふふ。さ、おいで」

さゆみが手招きし、里保と亜佑美は門を潜った。

広い庭の真ん中でパチパチと火を立てるバーベキューセット。
そのぐるりに数人の女の子。
昼に会った聖と香音もいる。
そして亜佑美は、どうしても会いたいと思っていた二人の顔をその中に見つけた。


「え…」

「あゆみん…?」

不意に音が遠のき、景色からその二人が浮かび上がる。
亜佑美は何度も何度も二人の姿を見た。
何度見ても、そこには工藤遥と佐藤優樹がいた。

「どぅー…まーちゃん…」

「あゆみん……あぬみん、あぬみーん!!」

優樹が飛びついてくる。
それを受け止めた亜佑美は、その衝撃も温もりも声も
間違いなく自分の知っている優樹の物だと思った。
優樹が亜佑美の胸に縋りつき声を上げて泣き出す。

「うそ、なんで…?あゆみん…」

優樹に遅れて遥も亜佑美に近寄る。
その目にはやはり涙が光っていた。
そして亜佑美は、自身の頬にもそれが伝っていることに気付く。

「ここに、居たんだ…二人とも」


「あゆみん…」

「会いたかったよ、どぅー、まーちゃん。心配、したんだからね…」

「ごめん…」

遥も、その言葉と共に亜佑美にしがみつく。
堪え切れず嗚咽が漏れ出た。

「本当に、本当に…無事でよかった」

亜佑美は二人をきつくきつく抱きしめ、涙に顔を濡らしながら微笑んだ。
優樹と遥がその顔を見上げ、またこみ上げる涙を今度は我慢することもやめて、大声で泣いた。
三人の姿を見守っていた衣梨奈や春菜、それに聖と香音も
事情を察し、静かに貰い泣きしている。
一番最後に状況を察した里保もまた、こみ上げる涙を我慢することはせず
抱き合う三人を優しく見守っていた。

 


抱き合う3人を眺めて、里保はなんとなく状況を理解した。
火と煙に揺れる庭の草を踏み、さゆみの隣に移動する。
目を細めて3人を見ていたさゆみは、隣にちょこんと収まった里保に微笑みかけた。

里保も小さく微笑みを返してさゆみに言った。

「こういうこと、だったんですね」

「うん。こういうことだったの」

「偶然…では無いんですか?」

「偶然の部分もあるし、そうじゃない部分もあるかな」

また分かりにくい言い方をする。
もうさゆみのそういう部分にもすっかり慣れてしまった里保は
少しだけ苦笑を浮かべて、視線でさゆみに続きを促した。

「あの子が執行局に入ったのは偶然みたいよ。それも、佐藤と工藤と入れ違いみたいにして。
で、その後のことは大体りほりほ達のパパの仕込みかな」

そう言われて里保はふと局長の言葉を思い出した。
あれは優樹の奪還を果たしてこの街に帰って来たとき。
一番自分たちの気持ちが不安定で、子供だと思い知らされたときのことだ。

里保に会わせたいおもしろい新人がいる。それは狗族とのことで局長をどやしつけた人。
そして里保の元に一人の魔道士が派遣された。
漸く話が一本につながった。


「…分かりました。でもそれだったらうちにも教えてくれてても良かったのに、道重さんも…」


「ふふ、さゆみは生田パパに乗っかっただけだよ。
りほりほは当然聞いてると思ってたら、直前まで全然石田ちゃんの情報聞いてないって言うからさ。
生田パパがこんな悪戯するなんて珍しいでしょ?だから協力してあげたの」

言われて里保は成程と思った。
思えば局長の行動もどこか不自然な所があったけれど
それもこのサプライズの演出の為だったのだ。
それにしても、それなら自分も仕掛ける側に回りたかったという思いも拭えない。
まだ納得しかねるという表情の里保に、さゆみが付け足した。

「それに、りほりほがもし最初から知ってたら、早く3人を合わせてあげたくてお仕事どころじゃなくなるでしょ?
さっきも言ったけど、りほりほが初めて先輩になる相手でもあるんだから、先入観無く初対面を迎える方が良かったんじゃない?」

「うぅ…まあ、そうかもしれません」

里保も、もし先に知っていたらと想像してすぐに納得してしまう。

「大丈夫だよ。さゆみがりほりほのこと忘れるわけないでしょ?」

可笑しそうに言うさゆみの言葉に、里保は顔の温度が上がるのを感じた。
先にここに来ていた聖や香音に、自分が誘われていないとむくれていたのを伝えられただろう。
それを思うと無性に恥ずかしくなった。


心地良い夜風が里保の頬を撫ぜる。

「それで、どうだった?半日だけだけど先入観無く一緒に過ごしてみて。どんな子?」

さゆみの言葉に里保は少し考えてから口を開いた。

「真面目な子なのかなって思いました。だけど…」

改めて抱き合う三人を見る。
泣き声はもう聞こえないけれど、肩を震わせて身を寄せ合っている。
いつまでもいつまでも、互いの存在を確かめ合うように。

「仲良くなれる気がします」

「そうだね。それと、ちゃんと先輩として面倒を見てあげないとだね」

「はい」

すっかり夜の帳の降りた庭は、燃える火といくつかの灯りが照らすばかりになった。
3人の様子が落ち着いたのを見計らってさゆみが声を掛ける。

「さ、じゃあそろそろはじめよっか。生田お願いね」

待ってましたとばかりに衣梨奈が腕まくりをする。

「はーい。じゃんじゃん焼いてくよー。もうお腹ぺこぺこやけんね」

すっかり熱せられた網の上に次々とお肉や野菜が並べられていくと、その度に小気味良い音と香ばしい匂いが広がる。
衣梨奈の声に抱擁を解いた亜佑美と遥と優樹は、漸く今いる場所を思い出したように濡れた顔を赤らめた。
里保も準備に加わり、いつの間にか人の姿に戻っていた春菜と聖と香音も手伝って飲み物が回る。
亜佑美も戸惑いがちにそれを受け取った。
全員の手に飲み物が渡ったのを確認し、さゆみが告げる。


「さ、今日は佐藤と工藤のお友達、りほりほの後輩の石田亜佑美ちゃんの歓迎会。
それと、残り少ない夏休みを満喫するためのちょっとしたパーティーだからね。
多分話したいこととか、いーっぱいあると思うけど、どんどん食べて、食べながらお話しよ。じゃ、生田音頭お願いね」

「はーい。じゃみんなー準備はいい?かんぱーい」

衣梨奈の声と共に夏の夜空に楽しげな音が響いた。
優樹と遥に手を引かれて遠慮がちに食べ物を皿に盛る亜佑美。
その周りに聖や香音が集まり改めて挨拶かたがた質問を浴びせる。
衣梨奈と春菜が次々と肉を焼く。
それをひょいひょいと皿に載せた衣梨奈が、里保とさゆみの所に持ってきてくれた。

「結局えり、まだ自己紹介も出来て無いっちゃけど」

困り顔で言う衣梨奈にさゆみと里保が笑った。

「ありがと、生田。まだまだ時間はあるから」

「ありがとうえりぽん。うちも、完全にまーちゃんとどぅーに亜佑美ちゃん取られちゃった」


それから優樹と遥が亜佑美を連れ回してさゆみや里保、春菜も改めて挨拶をした。
衣梨奈と亜佑美の初対面から、生田局長の話にもなり、局長の実の娘と大魔女との関係に亜佑美は酷く驚いていた。

「やっぱりえりのことって協会ではあんまり知られてないっちゃね」

複雑そうな顔をする衣梨奈を里保が咎める。

「そりゃ、あのときどんだけ大変だったと思ってるの。局長だって言えるわけないよ」

「ごめんってー」


「でもこうして見ると世間ってけっこう狭いっすね」

「お肉美味しいねーあぬみん」

亜佑美を囲んで、いつまでも話は尽きなかった。
戸惑っていた亜佑美も、優樹と遥の楽しそうな様子に乗って次第に口数が増える。

「どう、石田ちゃん。もうさゆみのこと怖くないでしょ?」

さゆみに尋ねられて亜佑美は苦笑した。
さも恐ろしい相手であるように散々言い含められたさゆみ。
局長は優樹や遥がさゆみの所に居ることも知っていたし、ましてや自分の娘が世話になっている相手なのだ。

「はい…。私局長にからかわれてたんですね」

「ふふ。君のことよっぽど気に入ったんでしょ。あの子が…生田パパがこんな悪戯するなんて珍しいからね」

「はは…そうなんですかね」


亜佑美が優樹や遥の種々の事情を尋ねる。
皆の想いは数週間前の事件を辿っていた。
遥や里保、衣梨奈や春菜の口から語られる事実に亜佑美は衝撃を受け、
亜佑美の口から語られた協会や執行局の動揺と苦悩に、里保達は改めて考えさせられた。
どんな出来事にも、関わる人の数だけ想いがあり、苦悩がある。

里保は今日また一つ、大人になったと感じた。


たっぷりあったお肉を全部平らげ、後かたずけをした後も、さゆみの家のリビングに移動して9人は夜遅くまで語り合った。
楽しさも、切なさも共有した8人はすっかり仲のいい友達同士のようになっていて、それをさゆみが嬉しそうに眺めている。

夜中まで続いたお話も、優樹が船を漕ぎ出したのを見てお開きになった。
聖と香音、それに春菜はさゆみの家に泊まることにしていて、
亜佑美もさゆみの言葉に甘えてそうさせてもらうことにした。

代わる代わるお風呂を頂いて衣梨奈の部屋に5人。優樹と遥に引っ張られて亜佑美は3人ベッドで寝ることになった。

亜佑美は改めて遥や優樹と会えなかった時間を埋めるように語り合い
優樹の寝息が聞こえだしてから自分も目を閉じた。

今日一日のことを思い出す。
いくつもの出会い。
新しい街と、新しい環境。先輩。大魔道士。
そして、一番会いたかった二人との、これ以上ない形での再会。
嬉しくて、夢のようで、眠るのが怖いほどだった。
目が覚めたら夢だった、なんてことにならないだろうか。

でもそんなことは無い。
明日からも日々は続いて、これからもずっと続いていく。
楽しいことばかりではないだろう。
だけど、今日出会った人達と一緒ならば、遥と優樹と一緒ならば何も怖くないと思った。

神様がいる。
神様なんて信じて無いけど、今日だけは信じてもいいかなと思った。
窓から見上げる夜空が、優しく亜佑美を眠りにいざなう。
亜佑美が眠り、3人の寝息が静かに響き出した頃、空に一つ流れ星が瞬いた。

 

 

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最終更新:2014年09月15日 22:17