本編3 『へんな黒猫』


今日は朝から雨。
教室に入りながら聖は、昨日の転校生のことを今一度考えていた。
昨日も一晩、里保のこと、というより里保と衣梨奈のことをずっと考えていた。
いろいろと訳のありそうな転校生。小さく可愛らしい容姿とは裏腹に
落ち着いていてクールな印象を受けた。
でも、衣梨奈との再会で見せた不器用な笑顔は
彼女の秘めた優しさの欠片だったようにも思う。

衣梨奈にとって里保が大切な人であることはすぐに分かった。
クラスに早く溶け込ませようと世話を焼いていることも。
だから自分も協力したいし、里保とも早く仲良くなりたい。

前向きな気持ちしかないはずなのに、何故か心がモヤつく。
雨のせいだろうか。
それとも、自分が何も知らないせいだろうか。

もっと知りたいと思った。里保のこと、衣梨奈のこと、自分のこと。
バカな頭が恨めしい。


「あ、おはよう聖ちゃん」

「おはよう、香音ちゃん」

親友の笑顔に、少しだけ心が晴れた。
やはり香音の笑顔は偉大だ、と改めて感心する。

「聖ちゃん昨日、雨濡れなかった?」

「うん、ちょっとだけ。なんとか大丈夫だったよ」

「えりちゃんたちはやばかったかもね」

「うん、聖たちより家遠いもんね。里保ちゃんも、濡れちゃったかな」

 

香音と朝の世間話をしていると程なく
教室に衣梨奈の声が響いた。


「おはよー」

「あ、えりぽんおはよー」

既に来ていたクラスメイトが口々に衣梨奈の挨拶に応える。
衣梨奈の後ろから里保も遠慮がちに挨拶をした。
二人は一緒に登校したらしかった。

「あれ?」
聖が二人を見つけ、声をかけようとすると
里保の後ろの廊下に何か横切った気がした。
猫?でもまさか校舎の中に猫がいるわけもない。
気のせいか、と収めたところで、衣梨奈と里保が二人の元に来た。

「おはよう、聖、香音ちゃん」
「おはよう」

衣梨奈と里保が声をかける。


「おはよう、えりぽん、里保ちゃん」
「おはよ、二人共今日は同伴出勤?」

香音がニヤニヤしながら訪ねると、衣梨奈が事も無げに答えた。

「うん、昨日里保うちに泊まったけん」

「なし崩し的に……」

香音がおお、それはそれはと喜んでいる横で、聖は
どんな顔をしていいかわからず曖昧に微笑んでいた。

「今日は、二人ともうちに来れん?里保は毎日うちにご飯食べに来ることになったけん、
二人にもご馳走するとよ」

「ちょっと待って。うちも自分家をそんなほったらかしに出来ないし
今日は遠慮しとくよ。道重さんによろしく言っといて」

「うーん、そっかぁ。それもそうやね」


里保と衣梨奈の会話のテンポは早い。
聖は内容について行くので精一杯になる。
香音と衣梨奈の場合もそうで、だからあまり発言出来ない聖は
物静かな子だと思われていた。

「じゃあ、香音ちゃんと聖はどう?えりのご飯食べたくない?」

「しょーがないな。道重さんにも会いたいし、行ってやりますか」

「早い目に家に連絡すれば大丈夫だと思う。聖もお邪魔しようかな」

「やっつー」

衣梨奈の家に行けるのは嬉しい。
衣梨奈の料理は美味しいし、さゆみにも会いたい。
そして、あの一風変わった家に行けば
もっともっと衣梨奈のことを知れる気がした。


そのままほかのクラスメイトと会話をしに行く衣梨奈の背中を
里保がじっと見ている。聖はその横顔を見つめていた。
ふいに里保が聖の方に顔を向けたので、二人の目がバッチリと合う。
聖はドキリとして、咄嗟に下手くそな笑顔を作った。
少し不思議そうに首を傾げた後、里保がニコリと笑う。

聖は何故かほっとしていた。
嫌われてはないみたい。昨日の今日で嫌われることなんてしてるはずも無いのだが。
それにしても、聖から見ても里保の笑顔は可愛らしい。
席は隣同士。
頑張って、仲良くなろう。
聖は今一度ちゃんと笑顔を作り直し、里保を席に促した。



里保は朝から複数の視線を感じていた。
衣梨奈は気付かなかったらしい、巧妙な、恐らく魔法を使った監視。
自分が、目立つ協会の紋章を付けていることは重々承知していたので
こういったことも想定の範囲内。
しかし、学校に入ってからも、時折見られているような
感覚に襲われることが気になった。
普通の魔道士ならば、一般生徒が沢山いる場所で襲いかかったり
接触を計ったりはしないはずだが
果たしてこの街にいるのが『普通の魔道士』ばかりだろうか。

自然に振る舞えるように、それでも最低限の警戒をする。
これでは学校でも、家でも落ち着くことはできそうにない。
奇しくも、さゆみの家でなら他の魔道士への警戒を解けそうなことが
何だか可笑しかった。

まだ二日目ではあるが、大分クラスの雰囲気も分かってきた。
自分から話しかけたり出来ない里保だが、休み時間には聖や香音が
側に来てくれて気遣ってくれることが嬉しい。
衣梨奈も、そんな里保達の様子に満足そうにしていた。


教室の一角を遠巻きに眺めながら、気がついたことを声に出す。

「えりぽんって、人気者だね」

「そうなんだよ」

聖が苦笑しながら同意する。
香音もそれに続いた。

「まあ、変人ではあるけど、いい奴だからね」

三人の視線の先には他のクラスメイトに楽しそうにいじられる衣梨奈の姿がある。
聖や香音と特に仲がいいというのは間違いないが、他の生徒にも
好かれていて、クラスの中心的な存在のようにも思えた。
里保の印象にあった、どこか弱気な衣梨奈とは随分違う。


「二人は……えっと、香音ちゃんと譜久ちゃんはえりぽんといつから友達なの?」

聖の呼び名を、クラスメイトの多くが使っている「譜久ちゃん」としたが
いざ声に出すと何だか照れくさくなって語尾が萎む。
それでも香音や聖は気にする風でもなく、質問に答えくれた。

「三年前にえりぽんが転校してきてからだよね」

「うん、何の腐れ縁か、えりちゃんとも聖ちゃんともずっと同じクラスだし」

「最初会った時は、あんまし仲良くなれると思ってなかったけど」

聖が懐かしそうに微笑む。


「そうそう、なんか危ない奴かと思ってたよ」

「香音ちゃんは結構喧嘩とかもしてたよね」

「まーね。うちも最初はこの子絶対無理とか思った。ま、今じゃ笑い話だね」

里保は二人の話をじっくりと聞いていた。
ずっと一緒にいたこと、その間にいろいろなことがあったことも
話を聞いていて伝わってくる。
そして、三人お互いが大切に想い合っているのが伝わり
それが嬉しくも羨ましくもあった。

ニコニコと話を聞いている里保に、聖が振る。

「里保ちゃんとえりぽんのことも聞きたいな。いつから友達なのかとか」


「うんとね、うちはなんていうか……家庭の事情?で
物心ついた頃からえりぽんの家で育ったの。
だから本当に、兄弟みたいな、ていうか姉妹か、そんな感じだった」

里保は、昨日の反省から、二人に聞かれた時にどう答えるかを考えていた。
嘘では無いし、何となくそれ以上は踏み込みにくい言葉を含めて
追求を逃れる目算だ。

「そうなんだ……姉妹みたいに、かぁ」

「へぇ、里保ちゃんとえりちゃんって一緒の家で育ったんだ。
じゃあね、じゃあ、生田が家出したっていうのは本当?」

香音が興味津々といった感じで追求する。

「本当」

「そうなんだ……」

「どんな感じだったの?」

聖が戸惑っているのに対して、香音の興味は尽きないらしい。


「どうもこうも無いよ。きょく…えりぽんのお父さんと大喧嘩して
次の日の朝には家出してたもん。うちに何の相談もしないでさ」

当時のことを思い出して、里保の言葉に熱が籠もってきた。
クールな印象のあった里保の、どこか子供らしく拗ねているような口調に
聖と香音は少し驚いた。

「それから一度も帰ってないの……?」

「うん、そうだよ。ありえないよね。
どうせすぐ帰ってくるかと思ったら『道重さんの所にいます』って手紙よこすし」

里保が怒っている。
聖も香音も、すぐそれに気付いた。
でもその怒り方が何だか可愛らしくて、微笑ましい。
聖たちが大好きな衣梨奈のことを、この新しい友達も大好きだということが伝わってくる。

「でもそれは本当にありえないね。里保ちゃんが怒るの無理ないわ」

「えりぽんのパパは、それで結局許してくれたの?」


「うちはよく知らないけど……道重さんと話でも付けたのかな。
結局、家出を認めた。凄い、てんやわんやだったんだよ」

里保が当時のことを思い出して熱く語っていると
変な雰囲気を察知したのか、衣梨奈がつつと三人の側によってきた。

「何?どうしたと?喧嘩……?」

声をかけた途端、睨むやら呆れるやら苦笑するやら
三様の視線を向けられ、衣梨奈が身を竦める。

「生田の家出話を里保ちゃんにしてもらってた」

「えー、里保、何いいようと?」


「うちやお父さんに、どれだけ迷惑かけたかってこと」

「ちょっとちょっと、それはちょっと。
ねーもう許してよ里保。ごめんってば」

「許さん、って昨日も言ったじゃろ」

畳み掛ける里保に、衣梨奈が困り顔で狼狽える。
その掛け合いが何ともコミカルで、香音と聖は笑いながら二人を見ていた。

「うーん、もう、分かった」

「何が?」

急に笑顔になる衣梨奈に、里保が訝る。


「里保が衣梨奈のこと許してくれて、衣梨奈のこと
好きになる魔法かけてあげる!」

聞いた里保は、机に突っ張っていた手の力が抜け
危うく額を打ち付けそうになった。

「里保ちゃんがずっこけた。リアクションすげぇ」

香音が大笑いする。
顔を上げた里保は、何を言っているんだコイツはという目で衣梨奈を睨んだ。
まさかクラスメイトの前で、自分が魔道士であることをバラしているのか。

里保の視線などお構いなしに、衣梨奈が里保の鼻先に指をかざす。

「ちちんぷいぷい、魔法にか~かれ!あ、かかっちゃった!」

お決まりの気の抜ける掛け声。
魔力は感じない。何この茶番。
呆気に取られる里保を無視して、衣梨奈が続ける。

「ごめんね、もう許したでしょ?」

ぶりっ子気味な演技に、小首を傾げ手を組むジェスチャーまで
付けてやりきった衣梨奈は、その態勢のまま里保につぶらな瞳を向けた。

何となく注目していたクラスメイトも

聖も香音も、どうしていいか分からない空気のまま停止している。

その空気に耐えられなくなった里保が
重く息を吐いた。

「……うん、もういいよ」

「やったー!有難う里保!」

わざとらしく喜び里保にハイタッチを求める衣梨奈に
もうどうでもよくなって付き合うと
楽しそうに元居たクラスメイトの輪に戻っていった。


ようやく空気が氷解した場で、香音が里保に笑いかける。

「生田は魔法使いだから。えりちゃんって昔からああなの?」

「いや、昔はもうちょっと、なんていうか、おとなしかった」

「ふふふ、でも聖えりぽんのあれ結構好きかも」

聖の何気ない呟きに、信じられないという視線を寄せる里保と香音。
それに気付き慌てて言葉を付け足した。

「あ、いや、なんか確かにどうしようっていう空気になるけど
なんていうか、凄いえりぽんって楽しいから、うんなんだろう」

要領の得ない言葉を彷徨わせた聖が、ふと思い出したように続ける。


「あ、でも聖、えりぽんって本当に魔法使いなんじゃないかと思ってる。ふふふ」

何を思い出したのか楽しげに笑う聖に、里保も香音も
何事かと顔をしかめる。

「なんかね、聖が体育で怪我したことあったじゃん」

同意を求められた香音が頷く。

「その時えりぽんが飛んで来てくれてさ、保健室連れてってくれて
ふふっ、その時ね、足撫でてくれたの。そしたらね、凄く痛かったのに、
凄い痛かったんだよ?それが急に、痛くなくなったの」

聖が興奮したように語る話を聞いて
香音が呆れたように「あーはいはい、それは気持ちの問題だわ」と
呟く横で、里保は別の意味で呆れていた。
(あー、それは魔法だ……ていうかえりぽん、何普通に魔法使ってるんだよ)

「あーでも、うちもちょっと不思議な経験あるかも」

里保は香音が続いたことに些か驚き、顔を向けた。
聖も興味深そうに耳を傾ける。

「なんかえりちゃんと二人で歩いてたとき急に雨に降られてさ、昨日みたいに。
で、やばい傘無い、屋根のあるとこまで走ろうって思ったらえりちゃんに手掴まれて
そしたらなんか、雨が?降ってるはずなのに、全然濡れなかった、っていうか。
いや、まあ結構前だからそんな気がしただけかもだけど、そんな感じのことあったなぁ」

(傘の魔法じゃん)
里保呆れて、衣梨奈の方を見た。
相変わらず楽しそうにクラスメイトとじゃれている衣梨奈に、香音と聖も視線を送る。

「なんか、不思議だよねぇ、えりぽんて」

どこか嬉しそうに呟く聖の言葉を聞いて、里保はまた溜息をついた。

 

 

学校生活二日目の放課後。
もう慣れたと言えば嘘になるけれど、それでも学校が楽しいと思えるようになった。
それは衣梨奈がいてくれること、香音や聖、それに他のクラスメイトも
里保によくしてくれることが大きい。
任務や身の安全を考えれば、浮かれてはいられないが
それでもまだ子供の里保には、新鮮な学校生活が嬉しった。


昨日と同じように4人で学校の門を潜る。
篠突く雨。
雨に包まれた街は、音も景色も空気も、靄に覆われているようで
まるで街中が魔法に包まれているような不思議な雰囲気があった。

今日はそれぞれに傘を差しているから、4つ、綺麗な花が並んで咲いている。
里保はさゆみから借りた、少しくすんだ赤い傘を差していた。
里保のイメージに合うと言って出して貰った傘。
何となく、好きな色だった。
強い色のはずなのにどこか落ち着いた赤。

また返しに来るという里保に、さゆみは笑ってプレゼントすると告げた。

「傘もりほりほを気に入ったみたい」

さゆみの言葉に、里保は少しだけ嬉しくなった。


「そういえば昨日さぁ、えりちゃんと里保ちゃん、濡れたでしょ?」

傘に跳ねる雨音を楽しみながら香音が言う。
里保は『傘の魔法』を思い出し、咄嗟に何と答えるか迷った。

「うん、最終的には二人共びしょびしょ」

衣梨奈がこともなげに言うのを聞いて、夜二人で雨の空を駆け回ったことを思い出す。

「そうだね。そのせいで結局道重さんの家に泊まることになっちゃったから」

「そっかぁ」

聖が二人の会話に相槌を打ち、続ける。

「これからも雨の日が続くんんだよね。ちょっと憂鬱だなぁ」

「梅雨だもんねぇ」

「毎日濡れるのは、ちょっと嫌っちゃね」

衣梨奈の黄緑色の派手な傘が、聖の可愛らしいピンクの傘に当たって
雫を散らした。


「二人はこの後うちに来れると?」

「行くよ。久々に生田の手料理を堪能しに」

香音が嬉しそうに言う。
給食の時間に感じたことだが、香音は食いしん坊だ。

「聖も、直接お邪魔していいって。
なんかママ、道重さんの所って言えば全然厳しくないの」

「じゃあさ、どっかで遊んでいかん?ゲーセンとか」

里保も加えて4人で遊びたいという衣梨奈の提案に
聖と香音が賛同する中、里保は別のことが気になっていた。

今朝から感じていた視線。
多分自分は特別警戒心が強い。
戦いに身を置いている時間が長かったせいで身についてしまった感覚だろう。
衣梨奈は特に気にもしていないが、里保は酷く気になってしまっていた。
複数の魔道士に注目されているという感覚とは別の
明らかに自分を追跡し、監視していると思われる視線が一つ、いや二つ?


「うーん、うちはやめとくよ。結局昨日も家に帰ってないし
まだいろいろと片付けたりしないといけないことがあるから」

「そっかぁ、残念。じゃあ明日は一緒に遊ぼうね?」

香音の言葉に里保が頷く。

「うん、ごめんね。明日はいろいろ教えて」

そのまま3人で遊ぶことを促した里保は、ちょっとした繁華街の入口で
衣梨奈たちと別れた。

「里保…」

別れ際、衣梨奈が少し心配そうに里保に声を掛ける。
衣梨奈は、視線には気付かなかったが、どこか張り詰めた里保の様子には
気付いているらしかった。

「また明日ね」

心配無いと語りかけるように笑顔で告げると
衣梨奈は困ったように笑い手を振った。


一人になって暫く歩いても、感じる視線がついて来ていることを確認する。
魔法というよりは、近くにその主がいるように思えた。

里保は、いくらアウェイの地であっても、受身でいる気は毛頭無かった。
探らなければならないのは自分の方。
自分を敵視している魔道士がいるのなら、手っ取り早く『勝負』をしたっていい。

人気の無い、並木と高い塀に囲まれた路地に入り、里保は立ち止まった。
辺りを今一度見回し、魔力を放出する。

里保を中心に、激しい風が起こった。
雨の縦線をかき乱し、不自然に揺れる空気が辺りの景色を捻じ曲げる。
空気と水の擦れたようなゴォという鈍い音が響き渡り
放たれた攻撃的な魔力が木の葉を揺らす。
一気に雫が落ち、傘を打ち、雨宿りしていた鳥達が飛び去った。

反射的に強い魔力で反応した方を見ると
塀伝いの木からぼとりと黒い塊が落ちてきた。

その塊が地面に落ちる前に、風の魔法で受け止める。
思っていたよりずっと小さなそれは、黒い猫だった。

「にゃ、にゃー」

棒読みの台詞で猫のフリをするそれに里保が近づく。
空中で受け止められてコミカルに手足をばたつかせるその猫の姿に
何となく戦う気も削がれてしまった。


「朝からうちのことつけてたでしょ」

「にゃ?何のことだかわかりません?」

「猫のふりするのか普通にしゃべるのか、どっちかにしなよ」

言ってその小さな身体を風で持ち上げると
一層、猫にしては長い手足をばたつかせ、慌て出す。

「ご、ごめんなさい。はい、私です。つけてました」

両手を上げ、抵抗の意思が無いことを示す黒猫に、里保は渋々と
魔法を解いた。


「なんでつけてたの?ていうか魔道士だよね」

降ろして貰えてホッとしたらしい猫は
一度ぷるぷると水を弾いた後、背を伸ばして話しだした。

「いやー、流石です。協会最強魔道士だけあります。
私こう見えても尾行とか結構得意なんですよ?
普通に朝から気付かれてるなんて思いませんでした」

変なテンションの猫だ。

「あ、自己紹介が遅れました。私は飯窪春菜っていいます。
れっきとした普通のごく一般的な魔道士です」

そうは言うが、相当変な魔道士だと思った。


 

「まあ立ち話もなんですし、屋根のあるところに行きましょう」

戦う気もすっかり削がれた里保は、歩き出した春菜の後に続いた。
雨の中をひょこひょこと歩く猫。
可愛らしくはあるが、手足が長く妙にスマートなその姿は
どこか胡散臭い。

「もうバレてるんだから、変身解いたら?」

後ろ姿に声を掛けると春菜が振り返った。

「やだ、エッチですね。私傘持ってないんです。今元に戻ったら
スケスケセクシーになっちゃいます」

甲高い声も相まって、妙にイラっとする。

あまり強そうには見えないが、されとて協会に所属していない魔道士。
迷いなく進んでいく春菜に、里保は警戒しつつ続いた。


辿りついたのは、雑木林に囲まれた小さな神社だった。
石造りの鳥居を潜ると、ふわりと身体を魔力が包む。

「ここは…」

「ちょっとした、休憩所です」

春菜が振り返って笑う。

魔法のかかった場所に連れてこられたならば普通は罠を警戒する。
でも里保はそんな感覚になれなかった。
感じる優しい魔力の主に、何となく心当たりがある。

「道重さんの魔法…?」

「正解です。やっぱり、凄いですね。その感覚。
ここに魔法が掛かってることだって気付けない魔道士も少なくないんですよ?」

草生した石畳の奥に小さな社があって
その屋根の下に、座って休めるような縁台がある。
既に野良猫や、小鳥が思い思いに寛いでいるそこに、春菜もピョンと飛び乗って
里保を促した。

不思議なことに動物たちは、里保にも他の動物にも無関心で

横に座っても気にせずに毛繕いをしている。
中には、誰かの使い魔だろうか、見たこともない姿の動物もいるが
やはりのんびりと雨宿りをしていた。

「この街の魔道士にはちゃんとしたルールは無いんですけど
いくつか暗黙の了解があります。
ここでは争わないというのもその一つです」

のんびりと語る春菜の言葉を聞きながら
里保の身体もすっかり弛緩していた。
優しく包む魔力に、疲れが癒されていく気がする。
逆に警戒心や攻撃的な魔力の生成は、場に阻害されているようだった。

「街にはいくつかこういう場所があります。
道重さんのお気に入りの場所で、道重さんの魔法が掛かった場所です。
ま、街の魔道士たちの、一種の休憩所ですね」

「なるほどね。あの人、本当に凄いんだなぁ」

その場にいなくても、これほど影響力の強い魔法を
街のいくつもの場所に残せる魔力。
さゆみの魔法は、初めて会った時の一回きりしか見ていないが
やはり三大魔道士の一人なのだと改めて思った。


「争う気が無いってのはわかったよ。それで、えっと飯窪、だっけ?
なんでつけてきたの?」

「あ、私のことは気さくにはるなんって呼んでください」

どうもリズムが掴めない。
というか、表情の読めない猫の姿なのに
ニコニコと笑っているのが分かって、変な感覚になる。
それに馴れ馴れしい。
でも何故か、不快にも思わなかった。

「えっと、鞘師里保さん、ですよね?」

「うん」

どこで自分の名前を知ったのかしらないが、違うと言っても進まないので素直に頷く。


「鞘師さんは今、時の人なんですよ。
一昨日からこの街に、魔道士協会の凄腕の魔道士が入り込んでるって、それはもう噂で持ちきりで」

「どこの噂?この街に魔道士のコミュニティがあるってこと?」

「いや、そういうのは無いです。でもほら、何となくあるんです。
協会みたいな組織に比べれば全然、無いに等しいんですが
情報を共有する機会とか。この場所も言ってしまえばその一つです」

「なるほどね」

「で、ですね。そんな時の人の鞘師さんのことが知りたくて」

「そういうのいいから」

「はい、すみません。でも半分は本当です。
私もこの街に住む魔道士の一人として、鞘師さんがどんな人なのか凄く関心があります。
もう半分は、えっと、道重さんに鞘師さんを守るように言われて」

「嘘でしょ」

「はい、嘘です」

「怒るよ」

「ごめんなさい、ごめんなさい。えっとですね、つまり、アドバイスというか
そういうことをしたいと思ったんですよ」


どうにも真意の読めない春菜に、疑念の晴れない里保だったが
言いにくいことを隠しているというよりは、こういうテンポの猫なのだ
とも思えた。

「アドバイス?」

「そうです。鞘師さんは協会のお仕事でこの街に来たんですよね?
目的は多分、協会の手の届かないこの街や、道重さんについて調査すること」

その通りだったが、返事はしなかった。
気にせず春菜が話を続ける。

「はっきり言ってしまいますが、協会魔道士がこの街にどうどうと入り込んだことに
一部の魔道士が色めき立ってるんです。
協会の大規模な介入があるんじゃないか、とか、道重さんと協会の間で
戦争が起きるんじゃないか、とか」

協会から逃れてきた魔道士も多くいるこの街。
それ以外でも、少なくとも協会の影響を嫌ってこの街にいる魔道士は多いだろう。
さゆみと協会の戦争というのは飛躍しすぎているが
いずれ協会が介入したいと考えているのは事実だ。


「なので、あまり刺激をしていただきたく無い、というかですね」

「うちから他の魔道士に対してどうこうする気は無いよ」

「協会から犯罪者として追われている魔道士もいます。
そういう魔道士を見つけたら、鞘師さんは……捕まえますよね?」

「そりゃね。でも不意打ちとか、そういうことはしないし
ここでは協会のルールも通じないなら一魔道士としてちゃんと『勝負』して
捕まえるつもりだけど」

「出来ればなるべく『勝負』も避けて欲しいんです。
協会魔道士にこの街の魔道士が捕まったってなると
やっぱり結構騒ぎになると思うんです。
でも、さすがに魔道士間の『勝負』に横槍を入れるわけにもいきませんからね。
ただ、この街にはそういう『魔道士としてのルール』すら守らない魔道士もいます」

「……やっぱり」


「なので、なるたけ魔道士との接触を避けて貰いたいです。
これは私のお願いです。見返りといっては何ですが、この街のことや
この街の魔道士のこと、私の知っていることを色々お教えします」

申し出は助かる。
しかしどこか、春菜のことを信用しきれないのも事実。
他の魔道士との接触を避けて欲しいという、それだけの『お願い』の為に
一日つけまわしたりするだろうか。
自分を通して協会を探ることが目的と見るほうが正しいだろうか。

されとて、すっかりさゆみの魔力に毒気を抜かれてしまった里保には
猜疑心を凝らすのも億劫で、この猫の言うことを聞いてもいいかという気になっていた。

いざとなれば、自分の身くらいは自分で守れるし
里保自身から協会の重要な情報が漏れるということもない。
何故なら里保は大人の話はあんまり知らないからだ。


返事はすぐに決まったが、少し勿体ぶって考えるふりをする。

「どうですか?」

「まあ、情報を貰えるのなら助かるし
うちもあんまり他の魔道士と接触したくないしね」

「ありがとうこざいます!」

「早速教えて欲しいんだけど、朝からもう一人、うちのことを見張ってたのがいるよね。
それ、誰だかわかる?」

「うーん、心当たりがあるような、無いような」

「頼りないなぁ」

「でも、考えてる人であってるなら、別にその人も鞘師さんに敵対する感じじゃないと思います」

敵意が無くとも、監視されるのがいい気分なわけはない。
それは春菜についても同じだが、
何故だろう、もうすっかり慣れてしまって、友達に話すような口ぶりになってしまっていた。

多分さゆみの魔力のせいだ。
眠くなってきた。

「じゃあ鞘師さん、改めて、よろしくお願いします」

「うん、よろしく、はるなん」

雨のしとしと降る蒼然とした境内を眺めながら握手をした里保と春菜は
揃って縁台に伸びて、暫くの間だらけきっていた。



さゆみの家で、衣梨奈、聖、香音とさゆみは
衣梨奈の手料理を頂きながらお喋りに花を咲かせていた。
話題はとりとめのない日常のこと。
それから、新しく転校してきた友達である里保のことだった。

「じゃあ、道重さんも里保ちゃんとは最近初めて会ったんですか?」

「うん、そう。でもまあ知り合いの、
っていうか生田の家の子だから話は聞いて知ってたんだけどね」

衣梨奈と違ってさゆみの口からは淀みなく
当たり障りのない言葉が出てくる。
衣梨奈はいつも、それを感心しながら聞いていた。
こんな変な家に住んでいる、こんな変人なのに、魔道士であることがバレていない。
まあ聖も、香音も、薄々感づいているのかもしれないが。

「あ、もうこんな時間」

すっかり暗くなった窓の外と壁に掛けられた時計を見比べて聖が呟いた。


名残惜しいが、いつまでも居座るわけにはいかないと
聖と香音がお暇を告げる。

「結構遅くなっちゃったね。
今日は楽しかったよ、ありがとう。またいつでも遊びに来てね」

柔らかく微笑み言うさゆみに、聖と香音は頬を染め頷いた。

「生田、二人を送ってあげな。後片付けは私がしておくから」

「はーい」

道重家から帰る時はいつも衣梨奈が、二人の家まで送っていく。
最初は遠慮もしたが、結局さゆみと衣梨奈の強い押しに、聖と香音が折れる形になった。
夜道を歩くのは危ない、とはいえ、二人を送った帰りには衣梨奈が一人になってしまう。

「ああ、生田は大丈夫だから」

そのことについて、さゆみは軽く流し、衣梨奈も自信満々に頷くので
結局唯一の大人であるさゆみの言葉に従うことになった。

「ご馳走様でした。おじゃましました」


二人がさゆみに挨拶し、衣梨奈と共に道重家を後にすると
さゆみは衣梨奈の『お片づけの魔法』を真似た魔法で、さっさと食器を下げ
食洗機に並べ入れた。
それからリビングに戻り、止みそうもない雨の降る黒い空を暫し眺め
パソコンの電源を入れる。

急に人が居なくなって静かになった部屋がつまらなくて
さゆみが雨に向かって指を振るうと
バラバラだった雨音が、まるで打楽器の大演奏のように
複雑なリズムを刻みだした。
高い音、低い音、様々な雨の音で奏でられる音楽を伴奏に
さゆみが鼻歌を歌う。
随分個性的な鼻歌だ。

パソコンから通信のアラートが鳴った。

『こんばんは、道重さん、今よろしいですか?』

ちょっとだけ魔法を使ってセキュリティを強化した
いわゆるインターネット式のテレビ電話。
その画面には、浅黒い肌と大きな目の美少女が映っていた。


「いいよ。どうしたの、はるなん」

『今日、鞘師さんと接触しちゃいました。それでご報告を、と思いまして』

さゆみは、カップにお茶を注ぎながら椅子に深く腰掛けて
春菜の話に耳を傾けた。
昼間里保との間であった顛末を、春菜が話し出す。

口の中で鼻歌を転がしていたさゆみは
春菜の話が一段落したところで、ふふと笑った。


「なに、結局そっこーで尾行がバレちゃったの?
情報屋さんとして、大丈夫?はるなん」

『いやー、でも実際、鞘師さんの感覚半端ないですよ。
あれが才能っていうんですかねー。朝から普通に気づかれてたとは
もう恐れ入ったというしか無いです』


「確かにりほりほ才能ありそう」

里保のことを褒められ、何故かさゆみが自分のことのように得意げに頷く。

『まあでも、結果的には早く接触出来て良かったです。
他の魔道士に先に接触されて〈勝負〉になったりしたら、困ったことになりましたし。
まだそこまで私のことを信用して下さってはいないと思うんですが、それでも
話は聞いて貰えそうなので』

「そう?よかったね、はるなん。大いなる野望の為に頑張って」

ニヤけながら告げるさゆみに、春菜が大仰に慌てた素振りを見せる。

『野望だなんてそんなそんな。私はただ、この街で平和にやっていきたいだけです』

「ふふふ、じゃあそういうことで」


『本当、敵いません。
ところで道重さん。道重さんは鞘師さんのこと、そのぅ、結構お気に入りでいらっしゃいますよね?』

「うん?うん、りほりほ可愛いからね」

『多分いくら注意していても、今後魔道士に襲われたりっていうことがあると思うんです。
私としてはその事態も避けたいんですが、多分無理だと思うんですよ』

「まあ、そうだろうね。りほりほ協会の紋章外す気無さそうだし」

『そうですね。で、そうなってしまった場合に、道重さんが鞘師さんを
守って下さるということはできませんか?
私の考えでは、それだけで〈協会魔道士〉としてでなく〈道重さんの知人〉として
鞘師さんの身がかなり安全になると思うんです。
協会と道重さんの関係について疑心が生まれる、という恐れも無きにしも非ずですが…』

「えー、いやだよそんなの。面倒くさい。
りほりほだったら大丈夫だよ、強そうだし、多分。
それに若いうちは1回や2回や3回勝負に負けるくらいが調度いいのよ」


『……普通そんなに負けたら魔道士として立ち直れませんけど。
うーん、でも残念ですがそれなら仕方ありませんね。また色々と考えなおします』

「考えな。はるなんも生田もりほりほも、若いうちは色々迷って考えないとね」

『私から鞘師さんに、魔道士のことや道重さんのこと、協会のことを教えてしまってもいいんですよね?』

「どうぞ。りほりほはまだまだこれからいっぱい悩むことになるだろうしね。
はるなんからも、生田からもさゆみからも、いろいろ聞いて悩んで、判断すればいいよ」

紅茶を飲み干し、コップに残った薄い層をくるくると回す。
春菜の話しぶりは、どんなさゆみの答えに対しても一定のリズムがあって
それが面白いと思った。
恐らく、さゆみがどう返答するか、何パターンも事前に考えているのだろう。
フリ以外で動揺している春菜を、さゆみもあまり見ていない。
もっと本気で慌てふためく春菜を見てみたい。

 

『それにしても、協会についてはどうお考えですか?
M13地区に介入したいというのは目に見えていますが、鞘師さん程の魔道士を送り込むなんて
明らかに道重さんに対する挑発だと思うんですけど』

「そう?さゆみは協会からの貢物だと思ったけど?」

『なにそれこわい』

「ま、冗談はともかく、協会は私に敵対するようなことはしないよ。絶対」

『何でですか?』

「さゆみが一番まともだもん。他の二人に比べれば、話が通じるのってさゆみくらいじゃない?」

『三大魔道士の残りのお二人ですか…私は道重さんにしか会ったことありませんが
噂では相当変わった方みたいですね』

「そ、だからね、りほりほが来たことにはそんな深い意味無いよ」

『そうなんですかね……とてもそうは思えませんけど』


不意に玄関先で
「道重さん、今日も可愛いですね」という衣梨奈の声が聞こえてきた。
少し訝しげに考えこんでいた春菜がパッと笑顔に戻る。

『あ、生田さん帰って来ましたね。じゃあこれで失礼します。
私なりに、いろいろとやってみます』

「うん、頑張ってね」

『今日の歌も個性的で素敵でした、道重さん流石です。それではー』

言い捨てて、春菜との通信が切断された。

「はるなん、時々ちゃんと褒めれてないときあるのよね……」

消えた画面に向かってさゆみが呟く。
衣梨奈のパタパタと近づく足音が聞こえてきた。
そういえば、と思い出す。
適当に教えた玄関の合言葉、いまだにちゃんと言って入ってくる衣梨奈が可愛い。
本当は衣梨奈の声なら何を言ってもノブについたクマの熊太郎が開けてくれるのだが。
律儀に毎回言うものだから、熊太郎も今更衣梨奈に言い出せなくなっているのが笑える。


「ただいま、道重さん」

「おかえり」

「ちょっと練習してきます」

「雨降ってるんだから、ほどほどにね」

「はい」

衣梨奈は帰るや否や自室に飛び込んでいった。
どこか焦っているような表情。
里保の魔力を目の当たりにして、相当刺激を受けたらしい。
焦っても成果は上がらないけれど、今は好きなだけもがけばいいと思う。

さゆみはまた窓の外を眺め
雨のリズムを変えてご機嫌に、下手くそな鼻歌を歌い始めた。

 

 

 

里保は夢を見ていた。


自分の部屋で寝ている里保の肩を衣梨奈が揺する。

「ねえ、起きて。起きて里保」

「起きてるって」

「起きてないやん、早く起きて」

衣梨奈に揺すぶられていやいや目を開けると
満面の笑顔の衣梨奈が窓枠に座っていた。

「ねえ、なんでえりぽんウチの部屋にいるの?」

「ここ、衣梨奈の部屋っちゃよ?」

なるほど、言われてみると、壁のポスターや整頓された机は衣梨奈の部屋のそれだ。
でも散らかったダンボールとか、寝ていたベッドとか、カーテンの柄とか
は里保の部屋。そういえば、生田家に住んでいた自室にも似ている。
いろんな部屋が混ざり合っていた。
さゆみの家のリビングにあった縫い包みや鏡もある。


「やっぱりうちの部屋だよ。えりぽんうちの部屋来たことないじゃん」

里保がぶっきらぼうに言ってまた横になると
いつの間にか衣梨奈も里保の隣に寝そべっている。

「なんで里保はそんなに寝ると?」

「だって寝てる時が一番幸せなんだもん。
寝てる時はどんな魔法でも夢の中で使えるもん。
うちは魔法使えないもん」

「里保は魔法使いやん」

「だってえりぽんみたいな魔法使えない」

開けっ放しだった窓から、風が入ってきて里保の寝ていたベッドが吹き飛ばされる。
気がつくとベッドごと、空を飛んでいた。


「ほら、早く起きて」

衣梨奈が里保のベッドに並走するように、空を飛んでいた。
(何だもう、うちが居なくても飛べるじゃんか)
里保の声が聞こえなかったのか、衣梨奈は笑っている。

周りは海だ。それから青空、月も浮かんでいるけど、無数の星の方が明るくて
なんだか月が可哀相だった。

里保が紅茶を飲む。
美味しい紅茶だ。多分衣梨奈が淹れてくれたものだろうと思った。
街を見下ろせる小高い丘の、ベンチに座って紅茶をいただく。
膝の上には春菜が猫の姿で丸くなっていた。


「りほりほはどうして魔道士になろうと思ったの?」

さゆみが訪ねる。
どうしてか、優しいさゆみの表情が里保を小馬鹿にしているようで
怒りがこみ上げてくる。

「最初から、物心ついたときからうちは魔道士じゃ」

「それは可哀相ですね」

膝の春菜が笑いながら言うので、里保はそれを払いのけた。


「りほりほは魔法使いになりたかったんだね」

さっきと同じ優しい表情で告げるさゆみ。
夕日がさゆみの顔にかかって美しく、
その顔を見た里保は突然、さゆみが決して自分を小馬鹿にしているのではなく
心配してくれているのだと思った。

そう思うと、強い言葉を返してしまったことが申し訳なく
春菜を力任せに払いのけたことが辛く、里保は悲しくなった。
謝ろうと口を開けた時には、さゆみも春菜ももういなかった。

里保は誰もいない学校の教室でさゆみと春菜を探した。
きっと二人共自分をどこかで見てくれているだろう。
悲しくて、早く謝りたかった。
でも、さゆみも春菜も、教室や、職員室や、廊下には居なかった。

「何を探してるの?」

 

教卓の前で教鞭をとっていた聖が語りかける。
周りに沢山の生徒がいる中で声を掛けられたことが気恥ずかしかった。

「あの、探しています」

「何を?」

もう里保は、誰を探していたのかすっかり忘れていた。
大切なことなのに、さっきまで覚えていたのに、全然思い出せない。
悲しさだけが残った。

「急いで里保ちゃん。悪い魔道士が来るから」

聖に急かされて、里保は教室を飛び出した。

 

クラスにいた、生徒だと思っていた人達がみんな『悪い魔道士』だと気付いたからだ。
逃げるなんて性に合わない。
でも逃げないと、あんな数を一度に相手にしたら負けてしまう。
負けたくない。負けるのは嫌だ。
だから里保は逃げた。

もっと凄い魔道士にならなければ。

不意に、廊下の奥の夜の駅に
衣梨奈の後ろ姿を見つけた。
自分はずっと彼女を探していたのだと思った。
嬉しさがこみ上げる。

「えりぽん!」

大声で呼びかけると、衣梨奈がゆっくりと振り返る。


急に怖くなった。もし、衣梨奈が怒っていたらどうしよう。
ずっと起きなくて、衣梨奈が自分に呆れていたら。
寝ぼけてぶっきらぼうにあしらったことを後悔してももう遅い。

果たして、振り返った衣梨奈は何か悪戯を企んでいるような含み笑いで
里保はひとまず胸をなで下ろした。
駅のホームの街灯の下で、里保を見つけた衣梨奈が里保を抱きしめた。

「ちちんぷいぷい魔法にかーかれ!」

「な、なにするんだ」

「里保を魔法に掛けたと。衣梨奈を好きになる魔法」

「かかってないよ!」

衣梨奈に抱きしめられた里保がバタバタと手足を動かす。
顔が見えないのが不安で、とにかく早く衣梨奈の顔が見たかった。

 

「うちは前からえりぽんのこと好きだから、その変なのは違うよ!」

「前から好いとうと?」

「違う!えりぽんの魔法のせいで好きになっちゃっただけだよ!」

「まあどっちでもいいやん」

すっかり呆れたように里保を開放した衣梨奈の表情に
確かにどっちでもいいと思う。
好きでも嫌いでも何でも、どうせ衣梨奈は自分の中で一番大きな部分だ。

「衣梨奈は里保のこと好きっちゃよ?」

「うそ」

「ううん、嫌い」

「どっち!?」


もやもやして、焦れて里保は叫んだ。

「じゃあちゅーしてみたら分かるかも」

何故か香音が二人の間に立って変なことを言う。
スーツ姿の聖が、紅白の旗を持ってジャッジしている。

何故二人がここにいるんだ。
ここは生田家の庭で、よく衣梨奈と二人で遊んだ噴水花壇だ。

「じゃあ、してみて」

「やだーハレンチな」

煩い外野を他所に、衣梨奈は真面目な顔で里保の肩に手をかけた。
顔が迫ってくるのを見ながら、とりあえずちゅーすれば
自分は勝てるのだと思った。
こんなに簡単な勝負は無いと独りごちながらも
迫る衣梨奈の顔に心臓が高鳴る。

「やっぱり」

ダメだやめようと、衣梨奈の肩を押した手に、手応えは無かった。


.

 

夢から覚めた里保は、辺りを見回し
そこがM13地区の自分の部屋であることを確認し、息を吐いた。
夢の大部分は忘れてしまった。
でも最後の部分だけ、妙に生々しく映像が残っている。
鼓動も激しい。

「うちは何をやってるんだ……」

呟いた声が耳に響いて、すっと現実が引き寄せられた。
夢の残像は跡形もなく消えて、その代わりとてつもない恥ずかしさが全身を埋める。
とにかく早く起きてしまおうと時計を見ると、起きるべき時間をかなり過ぎていた。

「本当に何やってるんだ」

慌てて飛び起き、身支度をして家を飛び出す。
空には晴れ間が覗いていた。

飛んでいければ間に合うだろうが、朝から街中を飛び回るわけにも行かない。
走って、遅刻かどうか微妙なライン。


「里保遅い!」

ひた走る里保の前方に、衣梨奈がいる。

「ちょっと、遅くなった!」

「もう、何かあったかと思ったやん!」

里保に合わせて衣梨奈も走り出した。

「寝坊!」

力強く言う里保に、衣梨奈が笑う。

「やっぱり衣梨奈が毎朝起こしてあげんとダメやね!」

「いい!起きれる!」

朝の何か分からない恥ずかしさを思い出して
衣梨奈の顔を見ることが出来なかった。
走っているから、前だけ見ていればいい。前を見ないと危ない。
そう言い聞かせて、全力疾走した結果
なんとか転校三日目にしての遅刻は免れた。

その代わり、衣梨奈と共に朝からたっぷり汗をかいてしまった。

 

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最終更新:2014年07月14日 22:58