本編5 『デート!』

 


雨もすっかり上がった朝明け時。
深い眠りについていた里保は、けたたましいチャイムの音に目を覚ました。

今日は休日。
里保の予定では、昼過ぎまで、寝れるだけ寝て
それから任務がてら街を散策するつもりだった。

そんな予定をものの見事に壊した早朝の訪客に、何事かと
慌てて跳ね起きた里保の耳に間延びした声が届く。

「りほー、起きてるー?」

眠りを邪魔した犯人は疑いようもなく衣梨奈だった。
里保は身支度をしようという気も失せ、無視して布団に
飛び込もうかという誘惑を渋々断ち切り、玄関の鍵を開けた。


扉を開けると、まだカーテンも開けてない薄暗い部屋に
青い朝の光と風がさっと流れ込む。
眩しい光の中から覗き込んでいるのは果たして、衣梨奈の満面の笑みだった。

「おはよう、里保!」

爽やかな朝に似つかわしい衣梨奈の声が
かえって里保の頭に響く。
まだ外ではカラスや小鳥たちが朝の挨拶を交わしていた。

「なに?」

眩しさと眠さとを最大限に湛えた不機嫌な声。
里保は朝が弱いことを、衣梨奈は充分承知で
だから里保の反応がこうなることも当然知っている。

「遊ぼう!」


「眠い」

「いいやん。里保は朝の気持ちよさを知るべきやと、えりは思う」

「お布団の中が一番きもちいいもん」

「そう言わんと」

今にも部屋の奥に引き籠もりそうな里保に、珍しく衣梨奈が強引だ。
一緒に暮らしていた頃は、衣梨奈も諦めて一人で遊びに行っていた。
それから昼頃もぞもぞと起きだした里保が、合流して一緒に遊ぶというのが
休日の流れだった。

やっぱり衣梨奈は少し変わった、とぼんやり思う。
なんというか、強くなった。


まだ朧げな里保の思考を他所に
衣梨奈は「おじゃまします」と返事も待たず部屋に上がりこみ
さっさとベッドサイドのカーテンを開け放つ。

一気に光が溢れ、再び眩しさに目を細めた里保は
今更布団に戻る気にもなれず、ただ部屋を歩き回る衣梨奈を見ていた。

「何で朝からそんな元気なの」

「うーん、なんかいい夢見たけん」

夢と聞いて、いつぞやの恥ずかしい朝を思い出す。
内容を全く覚えていないのに、衣梨奈と夢というワードが揃うと
また少し恥ずかしくなった。

「なに、どんな夢?」

部屋に散らかった服や私物を勝手に片付け出した衣梨奈に
半ば呆れながら里保が尋ねる。


「ぜんぜん覚えてないと。でも、いい夢やった。嬉しい夢。
だから気分爽快!今日はお休みやしね!」

結局、衣梨奈の勢いに乗せられるまま
里保もお出かけを承諾して、身支度をすることになった。
怒ってないだろうか。
さゆみのことと共に、そんなことを考えて、煩悶した
昨夜の時間を返して欲しい。
とはいえ、衣梨奈が里保の元に
変わらぬ笑顔で訪ねてくれたことは、純粋に嬉しかった。

着替えを済まし、顔を洗って家を出ると
太陽はもう強く大きくなっていて
夏を思わせる強い日差しが、すっかり雨の跡を消していた。

「今日はお仕事しようと思ってたのに」

ずんずんと歩く衣梨奈の半歩後ろを歩きながら、
まだ納得がいかないと言うように里保が頬を膨らませる。

「どんな仕事?」

「……街の調査とかだよ」

「じゃあ、調度いいやん」

衣梨奈がからからと笑う。

 


結局、もう家を出てしまったし
衣梨奈と一緒に歩く時間を他に変える気なんてさらさら無い。
そんな内心を見透かされてはいないだろうけれど。

「どこに行くの?」

里保の問いに衣梨奈が少し考えるそぶりをする。

「海の方とか、まだ行ったこと無いやろ?」

「うん」

丘の上や、夜の空から海を見た。
地図の上では海辺までM13地区が広がっていることは知っていたが
如何せん生活の範囲の外にあるためまだ行っていない。

「喫茶店とか、おすすめのお店とか
いろいろ行くよ。えり、この街のプロやけん」

ドヤとばかりの衣梨奈の顔と、言い回しが可笑しくて
里保は思わず吹き出した。
笑ってしまったらもう負け。
里保は不機嫌な振りをするのももう辞めて
朝の散歩を楽しむことにした。

 

 

 


海辺までは本来ならバスに乗るのが速い。
でも街を見ながら歩くのは、それはそれで楽しかった。
不思議な、面白い街だ。

「あそこの花屋のおじさんも魔法使いっちゃよ。
普通のお花もあるし、魔法の素材になる花も売ってて
よく届けてくれると」

「結構みんな普通に分かるとこにいるんだね」

協会の勢力下では、魔具や魔法の素材を研究している特定の魔道士達は
協会によって守られている。
そんな庇護の無いこの街で、堂々と看板を下げることが些か無用心なようにも思えた。

「うん、だってお店の人は皆にとって大切やけんね。
もし何かしたら、道重さんじゃなくても皆が怒ると」

衣梨奈の言葉に、里保は不思議な驚きを覚えた。


沢山いる魔道士達も、この街で暮らしている以上どこかで研究をしている。
春菜が言ったように、それは個々の生活の中で緩やかに繋がっていて
程よい距離感を保ちつつ連帯しているようだった。
勿論誰とも関わりあいにならない魔道士も多くいるだろうが。

協会と関わらないこの街でも魔道士の営みが保たれていることが
里保には新鮮だった。
いつからさゆみがこの街にいるのかは分からないけれど
その存在が大きいことは間違いないだろう。

朝の人気の少ない街に
衣梨奈の格好は些か奇抜で、場違いな雰囲気を醸し出していた。
それすらも楽しんでいるように大股で歩く衣梨奈の後ろを
里保も何だか楽しくなっていそいそと続く。


やがて坂の道の向こうに海が見え出した。

「海だ」

思わず感嘆の声を上げた里保の眼前に広がっていたのは
朝の陽光にキラキラと輝く、どこまでも大きな海と小さな船の影。
夕方に見るのとも夜に見るのとも全く違う
強く鷹揚なその姿は、なるほど朝の海に違いない。
癪だが、衣梨奈の言う『朝の気持ちよさ』を、里保は今ひしひしと感じていた。

暫く歩くと海岸線や船着場が見え出す。
どこを目指すのかと衣梨奈に目を向けると
心の声が届いたように衣梨奈が振り返った。

「もうちょっと行ったとこに道重さんスポットがあるっちゃん」

「道重さんスポット?」

「そ、道重さんのお気に入りの場所で、魔法がかけてある場所」

ああ、と里保は思い出した。
春菜の言っていた場所が海辺にもあるらしい。
変なネーミングをするのはやめて欲しい。


海鳥の声が木霊する入江の
石畳の小さな海浜公園がどうやら『道重さんスポット』のようだった。
海風が気持ちよく、見渡す限りの水面がキラキラと輝いていて
波の寄せ返す音が心地いい。
足を踏み入れると、やはり身体を仄かな優しい魔力が包んだ。

「ここだと魔法使いの喧嘩も無いけんね」

春菜に教えられて知っていたことを得意げに言う衣梨奈が
何だか可笑しくて、里保は笑いながら頷いた。
その笑みをどう捉えたのか、衣梨奈も満足そうに頷く。

公園には先客がいた。


「いた!おーいお爺ちゃん!」

先客の老人、腰が曲がり襤褸を纏ってギターを抱いた老人に衣梨奈が駆け寄る。
里保も慌ててその後を続く。

「おお、えりなちゃん、いらっしゃい。久々じゃね」

「うん、久しぶり!今日は友達と聴きに来たとよ!」

よく分からない状況に戸惑う里保を見た老人は
好々爺の笑みで数度頷いた。

「里保、魔法楽団のお爺ちゃんっちゃよ」

「魔法楽団?」

「いかにも、わしが魔法楽団じゃ。初めましてお嬢ちゃん。
折角じゃ、ジジイの音楽を聴いていっておくれ」


折角じゃ、じじいの音楽を聴いていっておくれ」

促されて腰掛ける衣梨奈の横に、里保もちょこんと座る。
魔道士なのは間違い無いが、衣梨奈の態度と老人の様子に
警戒するのも初めから忘れていた。

老人が徐ろにギターを弾く。
するとふわりと風に乗って音楽が聴こえ出した。
まるで空気そのものが奏でているような音楽。
知っているような知らないような、様々な楽器の音が踊りながら耳に届く。
不思議で優しい音に、里保はたちまち虜になった。
踊りだしたいような気分。
となりを見ると衣梨奈もニコニコと嬉しそうに耳を傾けていた。


今までに聞いたこともない音楽が
朝の気持ちいい海風と共に暫し二人を包み込んだ。

最後にギターを掻き鳴らし、演奏を終えた老人が軽く頭を垂れる。
一拍あと、衣梨奈と里保の手から大きな拍手が鳴り響いた。

「ありがとう、ありがとう。気持ちよく演奏できたよ」

「いやー、やっぱりお爺ちゃんの音楽最高!里保にも是非聴いて貰いたかったっちゃん」

二人に視線を向けられた里保がたどたどしく言葉を紡ぐ。

「あの、凄かった…。素晴らしかったです。
こんな音楽あるなんて。魔法の音楽なんて考えもしなかったから」

「むふふ、ありがとうお嬢ちゃん。
でもワシもまだまだなんじゃ。また良かったら聴きに来てくれんかね」

「ぜひ!でも、まだまだなんですか?こんなに素敵なのに」

演奏のかわりに、海の向こうから汽笛の音が響いた。
老人は少し目を細め、ゆっくりとギターを置くと
懐から紙タバコを取り出し指先で火を点けた。


「お嬢ちゃん、最近噂の協会の魔道士だね。
みんな心配してるよ。いじめられやしないかとね」

突然の話題にすっと里保の表情が締まる。

「大丈夫です。私は強いので」

「そうかいそうかい、ふふふ。ワシもね、若い頃は血の気が多くてね。
音楽は好きじゃったが、ただ楽器を自動で演奏させるとか
そんな魔法を研究するのが関の山だったんじゃ」

あちこちに飛躍する老人の話に、里保は少し戸惑い
大人しくじっくり聞こうと思い直した。

「でもそんなもの、普通に機械で出来るようになったしね。
身体が衰え始めてから、初めて思ったんじゃ。
自分が魔法使いになりたかったのは、素晴らしい音楽を作りたかったからだってね」

横の衣梨奈も話に聞き入っている。
初めて聞く話なのだろうか。

「音楽に魔法は要らないかもしれない。
でも魔法使いになったからには、魔法使いにしか出来ない音楽が作れないかと
そんな風に思って研究を始めたんじゃな。だからまだまだ、初心者じゃよ。
七十にして、ようやくスタートラインじゃわ」

楽しそうに笑う老人の口から、煙草の煙が揺れ登る。
潮の匂いに乗って、仄かに里保の元にもその香りが届いた。


「お嬢ちゃんは、戦うのが好きかい?」

突然振られた里保は、答えに窮して口篭った。
好きなわけではない。でも、それを否定して、一体自分に何が残るというのか。
老人の話を聞いた後で、いったい何と答えるのが自分に対して正直なのか。
衣梨奈が里保を見る。
その視線を、受けたくないと思う気持ちが、ただ浮かんだ答えだった。

「すまんすまん、意地悪な質問だったね」

老人の変わらぬ穏やかな言葉に
何か発しかけた里保の口は再び閉じられる。

「嬢ちゃんたちみたいな才能もあって若い魔道士は
もっと好きに自由に生きていいと思うんじゃがね。
魔法は好きに生きる為の物じゃよ。あの方は、そうは言わんかい?」

「道重さんですか?」

衣梨奈が問う。老人が頷いた。


「あの方は言わんかもしれんな。それも含めて、好きにさせたいのかもしれん。
君らのお父さん、協会のお偉いさんになった男にも、結局何も言わなんだ」

「パパ?」
「局長ですか?」

里保と衣梨奈の声が重なった。
まさかここで、局長の名を聞くことになるとは、二人共思っていなかった。

「やっぱりパパと道重さんってちゃんと知り合いなんですか?」

「知り合いも何も、あの男が若い頃、暫くこの街に住んでいたこともあるよ。
ちょうど、お前さんらの年頃じゃな。随分とあの方を慕っておったぞ」

「何、全然知らんかった……。里保知ってた?」

「うちも聞いてない、そんなこと……」

「はっはっは、いろいろ言えんこともあるんじゃろ。
わしから見ればあの小僧、あのお方にほの字じゃったしな」

二人は驚きの余り目を丸くして声を上げた。
よく知る、落着いて風格もある局長が
少年時代にさゆみに想いを寄せていた姿など想像だに出来ない。


「驚くのも無理はないが、ここに住む魔道士なら皆似たようなもんじゃ。
男も女も、一度はあのお方に憧れて焦がれるもんさね」

確かに、と里保は思い直した。
昔の話だからイメージは湧きにくいが、今と変わらぬ姿のさゆみに
男性が惹かれない訳がない。
女の自分でも魅力的だと思ってしまうのだから。

「お爺ちゃんもそうだったんですか?」

衣梨奈がニヤニヤしながら尋ねる。
老人は苦笑した。

「藪蛇じゃったな。ワシにだって若い頃はあったんじゃ。
まあ今となっては、ただただ尊敬するお方じゃがね」

改めて語られるさゆみの話に
よく知る父と言える人の名前まで登場して
里保はすっかり話に引き込まれていた。


「君らのお父さんは、そりゃ才能溢れる若者じゃったし
あのお方も目をかけておったよ。でも結局袂を分かち、協会に戻ったな。
まあ、イイ女を捕まえたからじゃろうな。ほら、君らのお母さんじゃ」

悪戯っ子のように無邪気に笑う老人に、里保と衣梨奈も顔を見合わせ微笑んだ。

「そっか。その頃にママと会ったっちゃね」

「それじゃ、しょうがないね」

「うーん、それにしてもパパが道重さんの弟子だったなんて」

「いや、弟子じゃないよ。あの方は弟子は取らんと思っとった。
だから衣梨奈ちゃんが弟子になったって聞いたときは驚いたよ」

「そうなんですか?何で弟子取らんかったっちゃろ」

もう煙の出なくなった煙草を老人がぐっと拳の中に押し込める。
ぱっと開くと手の中の煙草は消えていた。

「あの方の考えは分からんよ。でも、気に入ったんじゃろ。
衣梨奈ちゃんのことを」

「そうなんですかね?あんまり魔法教えてもらったりせんけど……」


衣梨奈が不安そうな表情を覗かせる。
老人が二本目の煙草を取り出し同じように火を点けた。
それから舞い降りる海鳥に視線を移し、重く煙を吐くと
また衣梨奈に微笑みかける。

「あの人は苦手なだけじゃよ。
不器用なんじゃな。だからこそ、今でも戦い続けられるんじゃ」

「道重さんが不器用?」

「今でも戦ってるんですか?どういうことっちゃろ」


二人の疑問の声を聞きながら、老人は一度腕を上げ大きく背伸びをした。
それから腕を組んで考える仕草をし、徐ろに話し出す。

「三大魔道士のうち、他の二人の事を知っとるかい?」


不意の質問に里保はまた戸惑った。衣梨奈の頭上にもハテナが舞っている。
三大魔道士の名前くらいは一応知っている。
でも、さゆみ以外がどこに住んでいて、どんな魔道士なのかは全くと言っていい程知らなかった。

「一人は魔道士として極めんが為にか、人であることも棄て只管研究に没頭しておるそうじゃ。
まるで魔法に取り付かれたようになっておるらしい。
一人は逆に、魔道士であることを棄て、魔法を断ち、人の営みの中でひっそりと暮らしているそうな」

「全然知らなかった……」

「魔法使いとして、人と関わりつつ人の世で生きているのはあの人だけなんじゃ。
本人は『自分は中途半端だから』なんて苦笑いしておったが、ワシはあの人の生き方が
一番難しく一番苦しいように思う」


里保も少しだけ考えたことだった。
永遠に近い時を生きられる人が、人と関わることに苦しみを伴わないはずがない。
それでも生きなければならないなら、何かを捨て去る方がずっと楽だ。
それなのにさゆみは、何も捨てようとしていないと感じた。

「ワシの爺さんが子供の頃くらいまで、三大魔道士の他にも
『不老長寿の魔法』を持つ魔道士が僅かにいたそうじゃ」

里保が衣梨奈の方を見る。
知っているのかどうか考えたこともあったが、その表情は勿論知っていて
もっと知りたいというように真剣だった。
その魔法が失われた過程が、争いによるものだったことも知っているのだろうか。

老人はこわばった里保の表情に何かを察して
安心させるように二三頷いた。

「数が減ったのは奪い合いによる為らしいがね。
その頃になるともう、大魔道士同士の争いなんて殆ど無かったそうじゃよ。
ただ、その残った大魔道士たちも、姿を消してしまった」

「なんで居なくなってしまったと?」

「自ら命を絶ったそうじゃな」


背筋に何か冷たいものを当てられたように、里保と衣梨奈の身体がぶるりと震えた。

「……どうして?」

恐る恐る尋ねる里保に、老人は首を傾げた。

「さあ。疲れたのかもしれんな」

里保は『不老長寿の魔法』が、何か想像していたよりもずっと恐ろしいもののように感じた。

「魔道士は時間と戦っているとはよく言われるが、ワシみたいなジジイが言うのも何じゃが、
時間など関係ない。魔道士が真に戦うのは自身の気持ちじゃよ」

「自分の気持ち…」

「ワシは自分の気持ちに偽りなく生き、その為の魔法を研究する道に随分遅くなってから気付いたよ。
でも、遠回りはしたが、今が楽しいんじゃ。残りの人生、大して研究は進まんじゃろうが
やりたいことが山ほどあるからね」

「そんなこと言わないでくださいよぅ…」

「変な顔しなさんな、別に今日明日死ぬというんじゃないぞ。
ただワシも人間じゃから、お迎えが来る日はくる。
ワシがもし『不老長寿の魔法』を持っていたとしても
今の魔法が完成したら、もう時間はいらんと思うかもしれんな」


夢があって、夢を叶えたらもう時間はいらない。
魔法使いはどんな夢でも叶えられると、小さい頃の寝物語に教えられた。
衣梨奈の夢は世界一の魔法使いになること。

里保は思う。
それは漠然としていて、とてつもなく大きくて、でも魔法使いなら叶えられるかもしれない夢。
その気持ちに勝ち続けられるなら、衣梨奈はいつまででも戦えるのだろうか。

では、自分はどうだろう。
自身に目を向けた里保の頭の中が、突然真っ白になってしまって愕然とした。
自分はいったいどうやって、戦い続ければいいのだろう。
わからない。

「あの方がどんな思いで今も戦い続けてるのかは分からん。
でも、やはりジジイは、戦い続ける姿が美しいし、カッコイイとも思うんじゃな。
嬢ちゃん、そんな顔しなさんな。嬢ちゃんはまだまだ時間がある。
じっくりと考えればいいんじゃ。時間は敵じゃないんだよ」

いったいどんな顔をしていたのだろうか。
でも老人のその穏やかな声に、里保の心は幾分軽くなった。


「ワシにももう少し時間があったら弟子でも取ってこの『音楽の魔法』を引き継いで貰いたいんじゃがな。
如何せん、自分でもっと研究したいもんじゃから」

話題を変えるように老人が言う。
その言葉に衣梨奈が反応した。

「え、じゃあお爺ちゃんが居なくなったら
せっかくの『音楽の魔法』無くなっちゃうんですか?」

「それも惜しいので、ジジイが逝く時にはあのお方に預かって貰うことにするよ」

「あっ」

意味が分からず首を傾げる里保の横で、衣梨奈が何かに気付いたように声を漏らした。

「知っているかな?『奪う魔法』と言われておる魔法は
本来は師から弟子への伝達の魔法なんじゃ」

また意想外の言葉に里保が驚く。
今度は衣梨奈も知らない話だったらしく、驚いた顔を見せた。


「なんであんな面倒くさい魔法なんだと思ったことは無いかな?
元々はちゃんと弟子が師を超えたことをお互いが認めた上で、秘伝の魔法を託す為の儀式だったんじゃ。
だから勝負は何でもいい、トランプでもチェスでも魔法の発動は出来るんじゃよ」

「知らなかった……」

「じゃろう。協会じゃあ教えてくれんしな。
かくいうワシもあのお方に聞くまで知らんかったんじゃ。でもそれを聞いて安心したよ。
あの方になら安心して『音楽の魔法』を託せるからの。
まあそう言ったら『教えるんじゃ無かった』と膨れておったが」

古くからある魔法だとは知っていた。
協会ではそれを、魔道士の争いを回避する為の魔法だと教わった。
でも、他人の魔法が奪える魔法で争いを回避するということに、矛盾を感じなかったわけではない。
師が、自分の研究した魔法を自分を超えたと信頼する弟子に託す、その為の魔法だと言われれば
その方がずっと得心がいく。

ふと、さゆみが衣梨奈を弟子にした理由を考えたが、すぐに打ち消した。
考えすぎるのはよくない。


「……それで新垣さんも」


不意に衣梨奈からこぼれた名前に、里保はハッとした。
その名前を今ここで聞くことになるとは思わなかったからだ。
心当たりはあった。そして恐らく、衣梨奈の家出と深く関わる名前であることも。

老人は二人の顔を交互に見
取り出そうとしていた三本目の煙草をそっと仕舞い直した。

「さて、お天道様も高くなってきたな。
暑いと年寄りには辛いのでそろそろ帰るとするよ。
すまんな嬢ちゃんたち。年寄りの長話に付き合わせてしまって」

「いえ、そんな。とんでもないです。貴重なお話ありがとうございました」

立ち上がる老人に、里保も慌てて立ち上がり声を掛ける。
それに衣梨奈も続いた。

「お爺ちゃん、すっごい物知りなんですね」

「はっは。ワシはあの方に比べれば全然ものを知らんよ。
中途半端に知っとる者ほど、偉そうに語りたがるもんじゃ」

言い置いて老人は陽気にギターを抱え歩き去った。
里保と衣梨奈がその後ろ姿に手を振る。
やがて見えなくなると、また一つ警笛が辺りに轟いた。


「さ、えりたちも行こっか」

髪をかきあげ、笑顔で告げる衣梨奈に里保が静かに尋ねる。

「えりぽん、新垣さんのこと、何か知ってるの?
えりぽんの家出と関係あるの?」

「……朝ごはん、食べに行こ。そこで話す」

「分かった」

二人は海風を背にし、柔らかな魔力の広場を後にした。

 


海辺を歩く二人の口数は減っていた。
以前尋ねて、その時は答えてくれなかった衣梨奈の家出の理由。
そこに関わる人のこと。これから聞く話は衣梨奈にとって大切な話に違いない。
里保は歩きながら衣梨奈の表情を覗っていた。
思っていたよりも固いものではなく、ただ何かを思案しているよう。

里保は今一度、新垣里沙という人に思いを巡らせた。

元協会の執行局魔道士。
その人は、里保や衣梨奈が幼い頃既に最前線に立ち
執行局最強の魔道士と言われていた。
局長の部下ということで、幼い頃から里保も衣梨奈も可愛がられていて
特に衣梨奈は相当里沙のことを慕っていた。

里保にとっても、強く、実直で、まさに理想の戦士であり
半ば彼女を目指して協会魔道士としての道を歩んだと言ってもいい。

でも、里沙はある日協会を脱会し、姿をくらませた。
何があったのか、どこに行ったのか、まだ子供だった里保達には
何も教えて貰えなかった。
衣梨奈が家出する半年程前の話だ。

局長に食い下がっても、今どこにいるのか、何をしているのか
教えて貰えなかった。
衣梨奈にとっては勿論、里保にとってもずっと心に蟠りを残している出来事。

いったい衣梨奈は何を知っているのだろう。
そしてそれは、さゆみとどういう関係にあるのだろう。


里保は自身の鼓動の高まりを感じていた。
そしてその為に、すっかり街並みを見る余裕を無くしていた。

「朝ごはん、ここでいいよね?」

立ち止まった衣梨奈の前にあったのは
外国語の看板の下がった小さなカフェという雰囲気の店だった。
木造りの優しさと、店内にもよく届いている日の光が
暖かいお洒落な雰囲気を作っている。
里保が頷くと衣梨奈は店の戸を開けた。

席につきモーニングのメニューを少し眺め
トーストとメロンソーダを頼む。
何となく、サイダーが飲みたい気分だったから。

そんな里保に「相変わらずやね」と笑みを向け
衣梨奈はトーストとフレッシュジュースを頼んだ。


「んとね、新垣さんのことやけど、えりも実はあんまり分からんと」

「ん?どういうこと」

徐ろに話しだした衣梨奈は、まだ考えが纏まっていないようだった。

「今何してるかとか、どこにいるのかとか」

「そっか…」

「でも、あれから一度だけ、新垣さんに会ったっちゃん」


衣梨奈の覚束無い話は、三年前の家出の頃から始まった。

当時毎日里沙のことを気にしていた衣梨奈は
たまたま協会で里沙に関する噂を耳にしたらしい。

「里沙は仕事で失敗した」
「三大魔道士の一人、道重さゆみに破れ、協会を追われた」

局にとって重要人物である里沙の突然の脱会に
様々な噂が飛び交っていたことは里保も知っていた。

衣梨奈はその噂の真相を父である局長に問い詰めたらしい。
衣梨奈なりにいくつかの噂を掛け合わせ
さゆみが関わっていることには確信を持っていた。
しかし局長はそのことを否定し、里沙のことをこれ以上詮索しないようにと
強く言いつけたことが喧嘩の発端となった。

結局衣梨奈は一人で真相を確かめるべく、家出してM13地区に乗り込んだ。


「なんで一人でそういうことしちゃうかな……」

「ごめん、だって、なんかパパ、ピリピリしとったし
里保を巻き込んだらまた里保まで怒られるって思ったけん……」

「突然居なくなられるより、一緒に怒られたほうがずっといいよ」

里保の言葉に、衣梨奈は眉尻を下げながら
困ったように、嬉しそうに笑って頷いた。

「ま、もう心配かけたことに関してはね、許しちゃったから。いいよ、続けて」


再び衣梨奈が話出す。

 

なんとかM13地区に辿りついた衣梨奈は、そこでさゆみと邂逅することになる。
細かい会話は覚えていないが、衣梨奈はその時、さゆみに戦いを挑んだ。

「なんて無茶をするんだ、なんて無茶を」

「だって道重さんが、新垣さんの魔法使ってみせて挑発してくるけん…
噂は本当やったって、カッとなって『新垣さんを返せ!』って」

さゆみもさゆみだ。子供か。

「結局何されたかもわかんないで、気がついたら道重さん家のベッドに寝てたっちゃん」

「ま、そうだろね。あの時のえりぽんじゃ、どう頑張っても道重さんとやりあえると思えない」

「うん。で結局何も分からんかったと。新垣さんのこと。道重さんが
えりの考えてることは違うって言ったっちゃけど、じゃあどういうことなんかって
教えてくれんかったし」

その後面倒くさそうに衣梨奈の相手をしていたさゆみが
実際に本人に会って聞けばいいと提案したそうだ。
そして、さゆみの魔法で里沙の元に連れて行かれた。
扉をくぐると一瞬で、見たこともない街に降り立った衣梨奈は
それがどこだったのかもまるで分からなかった。


しかしそこには里沙が確かにいた。
さゆみに連れられ突然現れた衣梨奈に、酷く驚いて。

「道重さんの魔法で、会ったんだ……。瞬間移動の魔法かな」

「分かんない。不思議な魔法やったけど」

さゆみにことのいきさつを聞いた里沙は苦笑して衣梨奈に語った。
それは、自分が協会を抜けることになった経緯では無く、今の自分のこと。

衣梨奈はその時の里沙とさゆみと自分の会話を一つ一つ思い返していた。
当時分からないことが多くて、それは今思い返してもはっきりとはしない。
でも少し成長した今、何となく、感じられることは里沙の優しさだった。


さゆみの魔法で降り立った場所は
どこか知らない異国の、高い樹と岩の点々と転がる古い街だった。
道の脇の岩の上で、荷物を抱えた里沙が腰掛け、休んでいた。


「何、あんたさゆみんに挑んだの?本当に無茶するね」

「ほんと、こんな子供にガチで挑まれたの始めてだよ。誰に似たんだか」

「まあ、局長ではないかな」

「案外、ガキさんに似たんじゃないの?」

「いやあ、あはは」

親しげな里沙とさゆみに衣梨奈は戸惑っていた。
少なくとも、さゆみが里沙の仇だと思っていた自分が
大きな勘違いをしていることは分かった。
そのことに忸怩たる思いもあって、二人の会話に中々踏み込めない。

「ほら、あたしとさゆみんは、別に生田が思ってるようなんじゃないからね?」

「でも、道重さん、新垣さんの魔法使ってたんですよ」

「それはね、あたしがさゆみんに託したからだよ」

この頃はその意味が分からず酷く戸惑った衣梨奈も
『奪う魔法』の本質を知った今ならなんとなく分かる。


「どうしてあたしが協会を抜けたのかはね、ま、今はまだ教えないことにするよ。
大人になればそのうち知る機会もあるでしょ。別に大したことじゃないけどね」

「さゆみも知らないんだけど」

「別に大したことじゃないから」

苦笑する里沙に、衣梨奈はどうしていいかも分からず
その顔をじっと見ていた。

「別に協会が嫌いになったとか、あんたのパパと喧嘩したとかじゃないから。
ただちょっと、自分を見つめ直したいというか、もう一度魔道士として
それか、人としての自分をやり直したいと思ってさ」

「で、それが何でさゆみのとこに来ることになるのかな」

「だってさゆみんは魔道士の駆け込み寺じゃん」

「そんな覚えないんだけど」

二人の会話は終始和やかで、一人緊張していた衣梨奈は
その空気にそぐわない強ばった顔をしていた。


「新垣さん、戻ってきてくれますよね?
えり、新垣さんみたいに成りたいんです」

切羽詰った表情でずいと迫られた里沙が困ったように頬を掻く。

「あたしはもう魔力も無いし
今まで研究した魔法、何も使えないんだ」

その言葉を聞いて、衣梨奈の目から涙が溢れ出した。
ただ里沙の言葉が悲しく、幼い衣梨奈には
その悲しさが一体どこから来るのかも分からなかった。

「全部さゆみんに託したからね。
研究が消えちゃったわけじゃないけど、これからはさ、
また新しい新垣里沙としてやっていこうと思うわけ。
ちょっとちょっと、そんな泣かないでよね」

優しく抱きしめる里沙の胸で、衣梨奈は暫くの間泣き続けた。

「託すって、さゆみが負けたらどうするつもりだったの?」

「そしたら、何か旅に役立つ魔法でも一つ貰ってたかな」

笑い、里沙が衣梨奈の頭を優しく撫でる。


「あたしは暫く一人で旅してみるからさ。そのうちまた会えるよ」

そっと告げる里沙に、衣梨奈はむずがる子供のように頭を振る。

「じゃあ、えりも、えりも新垣さんと旅します。
えりが新垣さんを守ります。新垣さんみたいな強い魔法使いになって」

「違うでしょ」

里沙の言葉に泣きはらした衣梨奈が顔をあげた。
そのおでこを里沙がピン、と弾く。
貰い泣きしたように、里沙の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。

「あんたは強い魔法使いになりたいの?世界一の魔法使いじゃなかったの?」

「世界一の、魔法使いになりたいです……」

「ちゃんと思い出しなよ。どんな魔法使いになりたかったのか。
あたしみたいに戦ってばかりいたら、それも忘れちゃうから、さ」

この時里沙に言われた言葉は
後後になっても衣梨奈の魔法研究の糧となった。
一番最初に、魔法使いを目指した時の気持ち。
具体的ではなくても、その気持ちを忘れないことが大事だと、自分に言い聞かせている。


里沙はその言葉を聞きながら尚も涙に顔を濡らす衣梨奈に苦笑し
暫し思案したあと、さゆみの方を見た。

「さゆみん、いろいろ頼んじゃって悪いんだけどさ、
もう一つ頼まれてくれないかな。この子のこと」

「えー、面倒くさい」

「若くて可愛くて、さゆみん好みでしょ?」

「まあ、ね」

「今は生田もさ、協会にいるより少し外にいる方がいいと思うのよ。
局長が何て言うかは分からないけど、さゆみんに文句も言わないでしょ」

「言わないだろうね。ま、暇だし、別にいいけど」

頭上で交わされる会話を聞いていた衣梨奈は戸惑った。

しがみついていた衣梨奈をはがし、肩に手を置いて里沙が告げる。


「生田、この人は三大魔道士の道重さゆみ。
私が全力で挑んでも勝てなかった強い魔道士。
だけどそれ以上に、生田の目指す魔法使いに一番近い魔法使いだよ。
この人から、いろいろ勉強しなさい。あんたが世界一の魔法使いになるの
私は凄く楽しみにしてるんだからね」

里沙の真剣な表情と、横で自分を見つめる美しい人を見比べ
衣梨奈は小さく頷いた。

何一つ理解出来なかったけれど
二人の優しい魔道士が、自分を案じ、自分のことを真剣に考えてくれていることを
子供の直感で感じとった。
里沙を通してしか見ていなかったさゆみを今一度真っ直ぐに見る。
また子供の直感で、この人の教えこそが自分に一番必要なのだと悟った。

里沙に促され衣梨奈がさゆみの方を向く。
さゆみは吸い込むような美しい、黒く大きい瞳で衣梨奈を見ていた。

「まだよく分かってないかな?
あんたを、さゆみんの弟子にって思うんだけど」

「いえ、わかります」


さっきまで泣きじゃくっていたとは思えない真っ直ぐな目がさゆみを射抜く。

「世界一の魔法使いを目指してる生田衣梨奈です。道重さんの、弟子になりたいです」

どこかたどたどしかった衣梨奈がはっきりと告げた言葉に
里沙もさゆみも驚き、そして微笑んだ。

あたりの景色が揺れ、三人の空間に少しの沈黙と
柔らかい風が流れる。

「さゆみ、弟子はとらない主義なんだけど。ま、見習いでいいなら
好きにすればいいよ」

少し照れたように視線をそらし告げたさゆみに
里沙が衣梨奈の肩を叩き、衣梨奈は「ありがとうございます」と頭を下げた。

そろそろ戻るというさゆみ。
衣梨奈は名残惜しむように里沙と会話したが
それは家族の近況や、里沙との思い出話で
結局里沙の脱会の理由には触れないまま、別れの刻となった。


「えり、世界一の魔法使いになって、今度は自分の力で新垣さんに会いに来ます」

「うん、楽しみにしてる」

「新垣さん、大好きです。さようなら」

「うん、うん、元気でね」

また涙顔になっている衣梨奈と、別れの抱擁が済むと
潤んだ里沙がさゆみに顔を向けた。

「生田のこと、宜しくお願いします」

「うん」

「それと、本当はもう一人さゆみんに頼みたい子がいるんだけど」

「いい加減にして」

「ふふふ、でもあの子も、鞘師もいずれはさゆみんの所に来る気がするから。
さゆみん好みの子だよ」

「ほんと?」

笑い合うさゆみと里沙に、衣梨奈もつられて笑い、今度こその別れとなった。


「そっか。新垣さんは今、旅してるんだね」

「うん、流石に魔力はもう戻ってると思うけど、昔の魔法は何も使えないって」


里保は衣梨奈の話を聞き、当時の情景と里沙のことに今一度思いを馳せた。
何も分からないと衣梨奈が言うように、何があったのかは分からない。
でも尊敬する大先輩が、変わらず優しく自分たちを気にかけてくれたこと、
今もどこかで、前に進んでいることは嬉しかった。

「それにしてもさ、何でこの間は教えてくれなかったの?」

「えっと、何か不安やったけん」

「なにが?」

「里保が、久しぶりやったしさ。
道重さんのことも、よく知らんかったわけやん?
『不老長寿の魔法』のこととか、何で知っとっと?」

「はるなんに聞いた」

「あーね」


焼きたてだったトーストはすっかり冷めてしまっていた。
話の一段落に、二人してかぶりつき、笑い合う。

衣梨奈は、今さら、あの時里保に言えなかった理由に思い至った。
協会の優秀な魔道士となってこの街に訪れた里保と、あの時の里沙のことをどこかで重ねていて
不安だったのかもしれない。
里沙のように里保がいなくなってしまうことが。

衣梨奈は思う。
子供だった当時の自分には何も出来なかった。
でも、今は違う。自分の力で里保を引き止めることも出来る。
まだまだ力は無いけれど、気持ち一つで行動が出来るくらいには
成長したはずだ。

メロンソーダを飲んであどけない笑顔を見せる里保を見て
衣梨奈は、里保に対してもう隠すことも、遠慮することもやめようと思った。
どんなに里保が強くても、自分が弱くても、大切な友達だから守りたいと思う。
世界一の魔法使いになるために、そんな気持ちも貫けないでは
どうしようもないじゃないか。


 

 

 

 


店を出るとすっかり日差しが増していて
強い光に里保は目を細めた。
梅雨とは思えない陽光と、乾いた風が気持いい。

さて、これからどうするのだろうと衣梨奈を見ると
もう既に行き先を決めているらしく、にこやかに手招きしていた。
すっかり衣梨奈任せになっている。
でもそれもいい。
行動力のある衣梨奈について歩くのは昔からのことで
楽しいことも、ドキドキすることも、衣梨奈がいたからこそ
色々な経験が出来た。
それは、子供としても、魔道士の卵としても必要な経験だったと
今里保は、何となく感じている。


「さ、次は商店街行こう。
里保も女の子やったらもうちょっとお洒落せんと」

「いや、ちょっと待って。えりぽん自分の格好見て言ってる?」

「可愛いかろ?」

「ぜんぜん」

「なんでよー、もー」

原色のドクロがあしらわれた派手な柄と、大胆に肩の開いた衣梨奈のファッションは
「女の子らしいお洒落」とは程遠いように思う。
衣梨奈が似合っていないとは言わないが、そういう格好を自分もするのは
御免こうむりたいと里保は思った。

尤も、朝急かされた里保は殆ど身支度する間も無くて
適当に着合わせた格好でいたのも事実。
お洒落に興味が無いわけでは無いが、殆どの日を学校の制服で過ごすと思うと
あまり拘ることも無くなっていた。

ともかく二人は連れ立って商店街に入った。

休日の昼前とあって人通りが多く
魔力の気配がそこかしこで漂っている。
でも里保は、もうすっかり慣れっこになっていて、さしたる緊張もしなかった。
ここはそういう街なのだ。

 

里沙の話をしてから、衣梨奈はどこか吹っ切れたように気持ちが晴れていた。
里保がすんなりと話を受け入れてくれたこと。
分からないなりに、しっかりと自分の気持ちを確かめられたこと。
魔法楽団の老人から聞いたさゆみの話も、衣梨奈には強い刺激となっていた。

完璧に思えるさゆみも、時々寂しそうな顔をする。
いつも強がっている里保も、どこか悲しそうな表情を見せる。

自分がそんな二人を、心からの笑顔で過ごせるように出来れば嬉しい。
多分、それが自分の目指す世界一の魔法使いなのだと思った。
衣梨奈を包む小さな世界。でもその世界で一番の魔法使いになることが
結局何よりも大事なのだ。

二人で商店街の服屋さんを回りながら
改めて向き合うと決めた里保をよく見る。


いつも強く、高い壁のように感じていた里保。
でも、見れば見るほど小柄な可愛らしい女の子で
衣梨奈の勧めにいちいち文句を垂れながらも楽しそうに付いてくる。
真面目な里保はかっこいいけれど
やっぱり里保は可愛いな、と思う。

少しでも長くこういう里保を見ていたいと思った。
これからは、そうしよう。きっと楽しい。

「結局たくさん服買っちゃった」

神妙に呟いた里保が、どこか嬉しそうで衣梨奈は笑った。

「いいやん、この黒のワンピースとか、絶対里保に似合うとよ」

「そうかなぁ」

「うん、今度来て見せて。絶対可愛いけん」

言うと里保が照れたように一瞬俯いてから
何故かぶっきらぼうにうん、と呟いた。
そういうところがまた可愛い、と衣梨奈が心の中で笑う。


「次ね、映画見にいかん?里保映画館とか殆ど行ったことないやろ?」

「失礼な。あるよ、2回くらい」

アニメ映画くらいしか見に行ったことのない里保が
強がって胸を張る。
正直、今どんな映画を上映しているのか全く知らない。
でも、なんとなく休日に二人で映画を見に行くという状況が嬉しかった。
それは物語の青春みたいで、くすぐったい。

太陽はすっかり中天を過ぎ
少し汗ばむくらいの陽気になっていた。
映画館に向かう道すがら、衣梨奈が露店でポップコーンを買う。

「里保、ありがとね」

不意に衣梨奈が振り返った。
何に対するありがとうだろう。
分からなかったかれど、ただ衣梨奈の表情は真っ直ぐで
その気持ちだけははっきりと分かった。

「うん」

頷いて、少し考え、里保も告げる。

「こっちこそ、ありがとえりぽん」

衣梨奈も笑顔で頷き、二人は映画館に入って行った。


甘いラブロマンスやアクション映画が上映しているなか
衣梨奈が選んだのはホラーで、文句を言う暇も無くチケットが購入される。


上映中、里保は殆ど覚えていないまま
ただ衣梨奈にしがみついて恐怖をやり過ごしていた。


二人、恐怖に泣きそうになりながら館を出る。
衣梨奈は怖がりながらも随分楽しそうにしていた。
一方里保は青白い顔で衣梨奈にしがみつきながら歩く。

もう二度と衣梨奈と映画館になんか行くものかと思った。
それから、衣梨奈の笑顔を見て、次もホラーだったら三度目は無い、と思い直した。

 

 


休日の昼下がり、春菜とさゆみは行きつけの喫茶店でお茶を飲んでいた。
さゆみからの誘いで時々こうして一緒に過ごすことがある。
春菜はそれを嬉しくも恐れ多くも感じていたが
情報屋としても、街の象徴であるさゆみと直接話せることは有難かった。

もっとも、さゆみがどういう意図で春菜とお茶をするのかは分からない。

「今日はりほりほに付いてなくてよかったの?」

軽い口調で言うさゆみに、春菜は苦笑した。


もしかしたら、情報屋である自分の方が探られているのかもしれない、とも思う。
でもそれは思い上がりというもので、春菜が話すまでも無く
大抵のことは、さゆみは既に知っていた。

「今日はお休みですし、多分鞘師さんは午後まで家で寝てます。たぶん。
まだちょっとしか見てないですけど、鞘師さんてそんな感じの方みたいです」

「ふーん、そう?」

含みのある笑みに、春菜は少しドキリとした。

何か自分の考え違いがあるのだろうか。
でも、春菜が本気で困る事態に対して、さゆみは笑ったりしない。
笑っている以上、自分はここにいていいんだと思うことにした。

「もしお出かけしてても、折角道重さんが誘って下さったんですから。
たまには私もお休み、ということで」

「そうそう、そんなに根を詰めたって、思う通りに行かないからね。
逆にほったらかしてたら、いいことがあったりして」

「そうですね。私の性格上難しいですが…」


梅雨の晴れ間のうららかな午後、
落ち着いた店内に柔らかい時間が流れていた。

普段、愛想笑いの板についている春菜の顔が、苦笑いで引き攣るほど
さゆみには色々なことを見透かされている気がする。
でもそれは心地よくて、やはり自分はさゆみのことが好きなのだと思った。

「それで、付いててどうなの?りほりほは、思い通りに行きそう?」

春菜はさゆみに自分の目的を話していない。
そもそも、目的という程の大それた物ではなく、ぼんやりとした目標があるだけだ。
その為に自分が動いていることは確かだが、今里保と接触していることが
直接目的に結びつくようにも振舞っていない。

それでもさゆみの言葉には、鎌をかけるとかそんなものではない
確信めいた響きがあって、春菜はさゆみが全部知っていると疑わなかった。


「そうですね…。昨日の戦闘の様子で、今までの印象と随分変わりました。
なんというか、もっと生田さんみたいな緩い感じの方だって勝手に思ってたので」

「りほりほは、魔道士だね。協会の」

「そうですね。それも歴戦の。冷静で躊躇がない、強い戦士でした。
強い戦士であることは歓迎ですが、心を変えるのは考えていたよりずっと難しそうです」

「ふふ」

「変ですか?」

「まあ、まだ1週間ちょっとでしょ。さゆみから見ればりほりほは
全然違って見えるけど、はるなんの見方も、これから変わってくるかもしれないよ」

さゆみが衣梨奈を交えて里保と数度会食していることは春菜も知っている。
でも、その時の会話だけで里保のことをどれだけ分かったのだろうか。


春菜は里保との会話の中で、里保がまださゆみに対して警戒心を抱いていると感じていた。
人としてさゆみに惹かれていても、協会魔道士としての里保はまだ心を開いていない。

「やっぱり道重さんの言葉は難しいです。でも、まだ一週間ですから
気長にやってみます。鞘師さんは数年はこの街にいるそうなので」

さゆみ同様、いやそれ以上に自分に対しても
里保が心を開いていないのは分かっているけれど、信用されたいと思う。
それは目的の為でもあるし、春菜自身、里保に対して魅力を感じているからでもあった。

春菜の言葉に、さゆみはつと黙りこんだ。
それから憂いを孕んだ短い息を吐き、小さく呟く。

「……それも、どうなるか分かんないけどね」

さゆみは、何を見ているのだろうか。


ふと、以前のさゆみとの会話を思い出した。


さゆみが悪戯に春菜に「もし自分の魔法が奪えるなら、どの魔法が欲しい」と尋ねたことがあった。
暫し考えた後、春菜は「未来を見る魔法が欲しい」と答えた。

「ああ、よく知ってるね。さゆみの魔法のこと」

「風の噂で聞いて。道重さんは未来を見る魔法が使えるって」

「夢を壊すようで悪いけど、そんなに凄い魔法でも、いい魔法でも無いんだよね。
若い頃に必死で研究してね。完成した時は凄い興奮したけど、すぐ使わなくなっちゃった」

「どうしてですか?」

「見える未来なんかつまらないから、全部変えちゃったもの。
だから一度も成功したことが無い魔法」

その時の笑うさゆみの表情も、どこか同じような憂いを含んでいた気がした。
その魔法は、どんな精度で、どんな範囲で未来を見ることが出来るのだろう。

『不老長寿の魔法』にしても『未来を見る魔法』にしても
自分のような一般の魔道士が憧れる凄い魔法には、それを持つ人にしか分からない
大きなリスクがあるのかもしれない。


不意に店のドアが開く鈴の音が聞こえて
思考が戻った。

「あ、きたきた」

さゆみの言葉に振り返ると、今まさに衣梨奈と里保が店に入って来る。

「え?」
「道重さん…?」
「え?道重さんとはるなん?」
「え?はるなん……?」


視線が合った瞬間、春菜と衣梨奈、それに里保から三様の驚きが漏れた。
一人ニヤニヤと笑っているさゆみを見て、春菜が諦念の息を吐く。

「生田さんたちが来るって分かってたんですか?」

「そんなに睨まないでよ。いいじゃない、りほりほと昨日
『次に晴れた日に元の姿で』って約束したんでしょ。
今日は晴れ。約束果たさないと、ね」

そもそも、その話だってさゆみにはしていないのだけれど。
さゆみの茶目っ気なウインクに頬を上気させながら、春菜は
さゆみと自分に視線を彷徨わせている里保に笑いかけた。



 


さゆみが、まるで待っていたとでも言うように里保と衣梨奈を手招きする。
里保は不意のさゆみとの再会に酷く戸惑っていた。

三日ぶりだろうか。
その間に、春菜から話を聞き、楽団の老人から話を聞き
衣梨奈からさゆみと里沙の話を聞いた。
それまでぼんやりとしていた、『魔道士 道重さゆみ』のイメージに
色が付き始めていて、だからこそ、まだ会いたくなかった。

得体の知れない大魔道士。不老長寿の魔法を持つ、超越的存在。
人の心を保ち続け、戦い続ける孤独な魔道士。人の想いを受け止める優しい魔道士。
僅かな間に、そのイメージは随分と変遷している。

里保は自分が、『魔道士 道重さゆみ』に対しても、強く惹かれているのを感じていた。

あまり近付き過ぎてはいけない。
だからこそ、さゆみに会うことが怖かった。
本人と改めて話して、自分のイメージが肯定されることも、否定されることも怖かった。

そんな里保の気持ちを知ってか知らずか、さゆみは相変わらず
息を呑むような美しい微笑を湛えている。


どんな風に振る舞えばいいか分からず視線をちらつかせた里保は
すぐにさゆみの横に座る少女のことにも気付いた。
そして、その姿を見て呟いた衣梨奈の言葉に、驚く。

「え?はるなん…?」

さゆみが笑いながら何か言った後、その少女が里保に微笑みかけた。

「こんにちは、鞘師さん、生田さん」

歩み寄り、その声を聞くとなるほど、春菜の物に間違い無い。
ただ咄嗟には返す言葉が出なかった。

自分に対して敬語を崩さない話しぶりや、甘い声から
勝手にもっと幼い姿を想像していた里保は
目の前の黒髪の美女を春菜のイメージと重ねあわせることに難儀していた。

「ま、つっ立っててもなんだし、座りなよ二人共」

さゆみに促されて、衣梨奈と里保が着席する。


「道重さんたちもここに来てたんですねー」

「ほんと、偶然だね」

さゆみと衣梨奈がマイペースに会話を進めている横で
里保は一人まごついていた。
散々楽しんだショッピングの戦利品達が、里保の足元で所在なさげに音を立てた。


「生田は朝早くから出かけたと思ったら、りほりほとデートだったの?」

「そうなんです!久々に晴れたんで、おう、これは行くしかないと思って」

「今日はふくちゃんと香音ちゃんは?」

「二人とも何か用事があったみたいで」

「ふーん」

衣梨奈とさゆみの会話を聞きながら、何か言葉を発しようとした里保に
先にさゆみから声が掛けられた。


「どうしたのりほりほ、黙っちゃって。
あ、そっか、はるなんとりほりほって初対面だっけ」

「あ、いえ…」

分かっている癖に、と思いながらも
そういう方向に話を運んでくれたほうが有難いとも思った。
少しだけ後ろめたいから。

「この子は飯窪春菜ちゃん。街の古本屋さんでバイトしてる女の子で」

さゆみの言葉を、機会を覗っていた春菜が引き次ぐ。

「魔道士の間では『情報屋』ということになっています。
この姿では初めましてですね、鞘師さん。改めて宜しくお願いします」


「あ、うん、宜しく、お願いします…」

「驚いてます?」

いたずらっぽい春菜の表情に、猫の時の面影を見つけて
里保は少しほっとして力を抜いた。

「うん、ちょっと。どこがブサイクなのさ」

「はるなんはすぐそうやって謙遜するけんね」

衣梨奈も話に入って来る。

「なぁんだ。りほりほとはるなん、もう知り合いだったの?」

さゆみがわざとらしく肩を上げる。
その白々しい素振りになんの意味があるのか、里保には分からなかった。
やっぱり思いのほか、さゆみは得体が知れなくて、それに少しだけ安心する。


里保は改めて春菜について説明を受けた。
胡散臭いと思っていたのは、春菜のことを何も知らなかったからで
自分が何も知ろうとしなかったせいだと改めて気付く。


春菜は街の古本屋でバイトをしている魔道士。

そこは店主の趣味で魔道書や魔法関連の書籍もこっそりと扱っている
街の魔道士ご用達の店で、さゆみや衣梨奈もよく訪ねるらしい。
店主が魔道士では無いため、それらの扱いや管理を
春菜がお手伝いしている。
実際危険な代物もあるし、魔力の無い人には扱えないものもある。

社交的で巧みな話術を持つ春菜の元には、街の魔道士に関する様々な情報が舞い込んできた。
また、春菜は豊富な魔法の知識を持つ優秀な魔道士としても信頼されていて
街の中で少し特殊な立場だった。
その立場を利用し、街の情報交換を手伝う『情報屋』を始めた。


「最近はるなん、お店に殆どおらんよね。
情報屋さんの方が忙しいん?」

「忙しいというか、お店の方はいつも暇ですからね。
ずっと漫画を読んでのんびりするのもいいですが、働けるうちは働こうかと」

ここ数日は里保に付きっきりになっているが
そのことは春菜も里保も口にしなかった。


「『情報屋』って、何するの?」

「そうですね。この街の魔道士間でのコンタクトを仲介したり
人探しが主ですかね。それ以外にも細々としたことをいろいろと」

「はるなんは物知りっちゃからねー」

衣梨奈にそう言われた春菜は、隣で微笑むさゆみをチラッと見て
面映ゆそうに顔を伏せた。

 

四人での時間がゆっくりと流れる。
春菜の話を中心に、里保が今日歩き回った街のこと、
まだ知らない街のことを話した。

さゆみの口数は少なく、里保たちをただ優しく見守っているようだった。

衣梨奈に連れ回された一日の疲れを溶かすように
のんびりとした時間を過ごすうち
店の外はすっかり夕闇の迫る時刻となっていた。


会話が途切れ、気怠さがゆるゆると通り過ぎた折、不意にさゆみが呟いた。

「りほりほ」

「はい?」

「ふふ、呼んでみただけ」

呼ばれて里保がさゆみの方を見ると、さゆみも真っ直ぐに里保を見ている。
里保はドキリとして目を伏せようとしたけれど、優しく柔らかく強いさゆみの視線から
目を逸らすことが出来なかった。

「今日はあんまりさゆみのこと見てくれないから」

真っ直ぐ視線を合わせたままの言葉。

里保は今までさゆみに対してどんな視線を向けていただろうかと考えた。
少しでもこの人の考えを読み取り、『大魔道士』について知ろうと
盗み見るような視線を送っては目が合い、気まずく思っていたような気がする。

今日の自分は、確かに違っていた。
さゆみのことをちゃんと見れない。もっと知らなければならないのに
この人のことを、これ以上知るのが怖い。

 

里保が何か返事をしようとする前に
さゆみがふっと視線を外した。
射竦められたように留まっていた里保の目や顔も
ようやく自由になる。

「今日はうちに来てくれる?」

先ほどとはうって変わって、目線を僅かに泳がせながら言うさゆみに
里保は不思議な安堵を覚えて、小さく頷いた。

「はい、お邪魔します」

春菜が小さく笑っている。
話の展開が分からず衣梨奈は不思議そうに眉を寄せた。

「道重さんのこと、ちゃんと知りたいです」

里保はもう一度真っ直ぐさゆみの顔を見て
自分にも言い聞かすようにはっきりと言った。

さゆみが少しびっくりしたように目を開いて、それから華やかに笑う。

「私もりほりほのこと、もっと知りたいな」

二人の奇妙なやり取りに、衣梨奈が神妙な面持ちで呟いた。

「二人共、何やっとうと?」


 

さゆみが、先に戻ると言って席を立ち
4人分のお代を置いて店を出た。
残された3人は、何となく退店するタイミングを逃し
話すともなく、世間話を続け、ゆらゆらと揺れる時間を過ごしていた。

「道重さんって、鞘師さんのこと大好きなんですね。羨ましい」

春菜が急に言った台詞に、里保が驚いて聞き返す。

「え?どういうこと…」

「なんとなく、さっき見てて思っただけです」

含み笑いを堪えきれず言う春菜に、里保は難しい顔をした。
言葉の意味がよくわからない里保だったが
春菜の笑みに不快な感じもなく、単純に好かれているとすれば嬉しいと思う。


今日の春菜はすっかりオフモードで、猫の姿で接していた今までより
ずっと近しい感じがした。
美人だし、やっぱり表情が豊かな人間の姿の方がいい。

「道重さんは里保好きやね。たぶんね、めっちゃ好みのタイプやと思う」

「生田さん、それだとなんか変な意味に聞こえちゃいます」

「いや、道重さん変人やし」

里保は、居ないと思って好き放題言う春菜と衣梨奈に呆れながらも
二人のさゆみに対する想いも感じて、釣られるように笑った。
実際のところ自分がどう思われているのか、
それはこれから接していくうちに分かるだろうし、変化もしていくだろう。

 

「すっかり晩くなっちゃいましたね。そろそろ出ましょうか」


気付けば、店の外はすっかり夕闇の帳に包まれていて
もう随分長く話していたことを報せていた。

 

店を出ると、紫色の雲が細く広く繊細に伸びた空と
濃い群青の中に一番星の煌く空が混ざり合って3人を包んだ。

「じゃあ私はこれで。生田さん、鞘師さん、また是非ご一緒しましょう。
それと、道重さんに改めてご馳走さまでしたと伝えて下さると嬉しいです」

「うん、またねはるなん」

「また。次からはその姿で来てよね」

「うう、恥ずかしいですが、出来るだけ努力します」

手を振る春菜を見送ってから、里保と衣梨奈も帰途についた。


歩いているうち、陽は沈み果せて、街の灯がともり
星がポツポツと姿を主張し始める。

衣梨奈と並んで、里保は無言で歩いていた。
さゆみと約束したから、今日はさゆみの家に行くことがもう決まっている。


「なんか、だいぶ遅くなったっちゃね」

「うん」

昨日戦闘したばかりで、夜に街を歩く自分が無用心なようにも思えたが
そもそもこの街では魔道士が夜活動を始めるという概念すら通じないと思い直した。

今日は魔道士にも沢山出会ったけれど、それ以上に一日遊んだ心地いい疲れが勝っている。
こんな風に遊んだのはどれくらいぶりだろうと考えて
まだ衣梨奈が生田の家にいた頃まで遡ることに思い至った。

自分は衣梨奈がいないと遊び方すら分からないのかと苦笑する。

「えりぽん」

「うん?」

「ありがとね」

少し前を歩く衣梨奈に声を掛けると
夕闇に翳った優しい顔が振り返った。


「楽しかった?」

「うん」

「また遊ぼ。聖や香音ちゃんも一緒に。
まだまだ里保に見せたいもの、いっぱいあるけん」

「うん……。ホラー映画はもう見ないからね」

「えー、里保の怖がり方最高やったっちゃけど」

「いや、えりぽんだって怖がってたでしょ!だいたいえりぽんがー」

じゃれあいながら歩いていると、塀伝いの民家から
美味しそうな晩御飯の匂いが溢れ出してくる。

頬を膨らます里保の言葉をわざと遮って衣梨奈が言った。

「あー御飯どうしよ。遅くなっちゃったし、スパゲッティにしよっかな。簡単やし」

「あー、うん」

晩御飯の話になると弱い。少なくともその時間だけは
里保にとって衣梨奈が先生になるから。


「明太子クリームスパやね。決定。里保も好きっちゃろ?」

「うん、スパゲッティ好き」

近所から漏れてくる匂いもあって、その出来上がりを想像するだけでお腹がすいてきた。
最近お腹がポニョっとしていることを気にしていないでもない里保だったが
やっぱりお腹は空く。それは仕様がない。

もうすぐさゆみの家に着く。
今日はどんなことを話せるだろう。
もう少し、踏み込んだ話も出来るだろうか。さゆみの考えが、思いが、聞ければ嬉しい。
寝る前には衣梨奈とどんなことを話そうか。衣梨奈は明日提出の宿題をちゃんとやっているだろうか。

里保がすっかり、少しの未来に想いを馳せていた折、
不意に緊張が襲った。


衣梨奈も立ち止まる。
見れば自分たちを待ち構えるように立っている男が三人。
明らかに魔道士だった。
それもはっきりと、敵意らしきものを向けている。

里保と衣梨奈が立ち止まったのを見て、男たちは徐ろに二人に近づいて来た。
微妙な距離を開けて、道を塞ぐように立ち止まる。

瞬時に警戒を強めた里保は、感覚を研ぎ澄まし
目の前にいる三人以外にも二人、同様の敵意を示して潜んでいる魔道士の存在に気付いた。

睨み合い、少し距離を取る。
いつでも魔法の発動に対応出来るよう、集中する里保を制するように
衣梨奈が一歩前に出た。

「えりぽん、うちが」

すかさず里保も前に出る。


 

糸を張ったような緊張感の中、男の一人が言った。

「君たちが何もしなければ、我々も何もしない。
私たちの目的は、『大魔女』だけだ。だからくれぐれも邪魔をしないで貰いたい。
邪魔だてするというのならば、君たちも傷付くことになるだろう」

その言葉に里保は、過去に衣梨奈や春菜から聞いた話を思い出した。
さゆみを狙う魔道士の組織まである。
この五人組も、そのうちの一つに違いないと思った。
タイミングから見て、自分が昨日戦闘を行ったことで、さゆみの近くに
不確定な要素が出現したことに焦り今日決行したというところか。

それにしても。
里保は改めて、目の前にいる三人を探り見た。

既に戦闘態勢の男たちからは、一人一人から大きな魔力を感じる。
立ち姿には隙が無く、経験もかなり積んでいることが分かった。


一人一人を相手にすれば、自分なら勝てるだろう。
でも、もし五人同時に戦ったら。
どんな魔法を使うのか分からない。その上、連携もするだろう。
正直、勝てるかどうかは分からなかった。

「五人がかりで道重さんを?それを黙って見てると思うの?」

里保の言葉に、相手の緊張感が更に増した。
隠れている二人が既に見つかっていることに、警戒心を強めたようだ。

「では先に、君たちに黙って貰うことになる」

引く選択肢は元より無い。いくらさゆみが強くても
強い魔道士が5人同時に襲いかかって無事な保証は無い。
問題は衣梨奈をどう守るか。
先に、逃げてくれるのが一番いいけれど…。

そんなことを考えながら刀を取り出そうと構えた里保の手が
衣梨奈に掴まれた。


衣梨奈が真剣な目で里保を制し
それから男たちを一瞥して、低い声をだす。

「うちらは何もせんけん、どうぞ」

「ちょっとえりぽん!」

衣梨奈の予想外の物言いに里保が慌てて詰め寄る。
手を掴んだ衣梨奈の力が思いのほか強くて、里保の勢いにもまるで解けなかった。

「大丈夫、里保。道重さんなら、負けんけん」

「そういう問題じゃないでしょ!それにあいつら、最初っからやる気じゃん」

仮に何もしないと約束したとして
さゆみが負けそうになっても黙って見ていると考えてもいまい。

「ここでえりたちとやりあっても、道重さんの家はすぐそこやけん。
飛び出して来るとよ。そしたらえり達と道重さんの三人で相手することになるけど。
それやったらおじちゃん達も、えりたちが何もしないって約束する方がいいっちゃろ?」


衣梨奈の言葉は男たちにとっても予想外だったと見え
目の前に立つ三人が小声で相談を始めた。そこに、既に見つかっていると知った二人が
どこからか降り立ち加わる。

程なく、一人の男が言った。

「距離を置いて付いてきて貰おう。
妙な真似をすればすぐに寝てもらうことになる」

一人が里保たちをしっかりと見張りながら、4人の男がさゆみの家に向かう。
角を曲がればもうすぐさゆみの家が見える。

里保は衣梨奈に手を掴まれたまま、男に警戒しつつ少しだけ歩を進めた。
衣梨奈の言動が腑に落ちなかった。
当然男たちも衣梨奈の言葉を信じた訳では無いだろうし
自分も、もしもの場合、黙ってじっとしていることなど出来ないだろう。
これが『勝負』なら、水を挿してはいけないとも思うが
五人がかりの襲撃にそんな道義は無い。

 

どのタイミングで自分たちに攻撃が向くのか
それを警戒し、さらに緊張を強めた里保に
突然、今までとは全く別種の、猛烈な違和感が襲った。

それは、何か世界が歪むような感覚で、子供の頃に、悪い夢から覚めた直後の
泣きはらした目で見た夢現の光のような、ゾッとするような違和感。

視線を感じて空を見上げた。
思わず声を上げそうになって、やっとの思いで堪える。

巨大なさゆみが、里保達を見下ろして微笑んでいた。
それは、星空の天幕の更に向こうから見ているような、途方もない巨大さで
どれだけさゆみが美しくとも、その光景はただただ恐ろしかった。

腰を抜かしそうになって脚がもつれた里保を
手を掴んだ衣梨奈がしっかりと受け止め、支える。

「もう、道重さんにつかまってる。出よう」

里保たちを監視していた男が、里保につられて空を見上げる。
しかしその表情は特に変わらず、何かあるのかと空を見渡していた。
男には、天を覆うさゆみがまるで見えていない。


「どういうこと?」

「これは道重さんの魔法っちゃ。どっからでも出れると。ほら」

衣梨奈が指し示した電柱の隅の影がぽっかりと口を開けていて
奥から見覚えのある部屋の灯りが漏れている。
これは、さゆみの家のリビングの光だ。

衣梨奈手を引かれ、その影のドアを潜ると、
見慣れた優しい暖色の、雑多に物の置かれたさゆみの家のリビングに出た。
テーブルの前にさゆみが優雅に腰掛け
現れた里保と衣梨奈に笑いかける。

「おかえり」

「ただいま、道重さん」

今起こった一連の出来事に頭のついていかない里保だけが
口をパクパクしながら声を探した。

「み、道重さん……今のはいったい?」


「うーん、『紙の籠の魔法』……だったかな」

「道重さんが開発した魔法ですよね?」

衣梨奈の突っ込みに、さゆみが頬を膨らませる。

「昔のことだもん。それに名前なんてカッコイイか可愛ければ何でもいいのよ」

あまりに普段通りの衣梨奈とさゆみのやり取りに
里保は混乱しながらも少し、落ち着きを取り戻した。

見ればさゆみの前のテーブルの上には、小さな薄い紙折りの箱が置いてある。
恐る恐る近づいてみると、中からさっき見た暗い夜の光が漏れ出していた。

「何なんですか…その魔法は。さっきの魔道士達は」

「この中だよ」

小さな箱の中に、まるで籠の鳥のように捕まっているというのだろうか。

「捕まるのを避けるのはけっこう難しいと思うけど
出ようと思えば簡単に出れる捕獲魔法、ってとこかな。
ま、出ようと思えればね」

里保は自身が『捕まっていた』時を思い出した。
あの恐ろしい感覚に襲われて、一秒だって中に居たくは無い。


「だから生田もりほりほもすぐ出てこれたでしょ?
でもこの子達はどうかな?自分たちが捕まってるって、気付くかな?」

そう言って嗤うさゆみの顔は、どこか虫をいじめる子供のような残酷さがあって
里保は背筋が震えるのを感じた。

「どこか、外国にでも捨ててきて」

さゆみが言うと、それまで壁際で剥製のようにじっとしていた一羽のふくろうが
頷き、静かに羽ばたいてそれを咥え、窓の外に飛び立った。

「さあ、どこで気付くかな。なるべく早く気付いて抜け出さないと
リベンジしにここに帰ってくるのも大変になっちゃうよ。ま、五人もいるし
どっかで出れるでしょ」

そう言って伸びをするさゆみが、改めて畏怖される三大大魔道士の一人だと思い知る。

「あの、どうしてあの魔道士達は気づかないんですか?
だって空に、道重さんが……」

少し唇を青くして、声を微かに震えさせる里保を見て
さゆみがいつもの優しい表情に戻った。


「りほりほは、何か思い出した?」

「え?」

「違和感、あったでしょ?」

「あ、はい…何だか子供の頃に、ふと空を見上げたら誰かが見下ろしてるんじゃないかって
怖くなって何度も空を見たことを思い出しました。本当にちっちゃい頃の……」

そんな幼少期のちょっとした思い出があるからこそ
実際に見下ろすさゆみを見て尚の事恐ろしく感じてしまったのかもしれない。

「そういうもの。想像して空想して妄想して
それが広がって魔法使いは魔法を使うの。
『そんなことあるわけない』そんな風に思うようになったら
もう、魔法使いじゃなくなっちゃうんだよ。あの子達は多分、さゆみを倒す為に
いろいろ考え過ぎたんだろうね。頭を凝らすんじゃなくて、頭を柔らかくしなきゃ」

子供に言い聞かすみたいに優しい声。
里保が一目強いと思った魔道士が五人。さゆみにとっては、『魔法使い』ですら無いというのだろうか。

「あの男たちでは、奪うまでも無い……ということですか?」

「うーん、りほりほはまだまだ柔らかいから、いろいろ吸収してけばいいけど。
あの子達の場合は奪われて挫折するよりも、ちょっと子供の頃の怖い思い出でも
思い出すほうが成長すると思うからね。やる気があればまた、成長してリベンジしに来るでしょ」

奪いに来た敵、とすら見ていないさゆみに、里保は驚嘆の溜息を吐いた。


「道重さんってやっぱり、大魔道士……なんですね」

「さゆみのこと、怖くなった?」

優しい含み笑いを湛えてさゆみが言う。

「はい、少し」

里保は正直に答えた。

「ふふ、これが道重さゆみ。魔法使い道重さゆみ。生田の師匠だけど、
どう?りほりほも『世界一の魔法使い』目指してみない?」

衣梨奈が少し驚いたようにさゆみと里保を見比べた。


里保はさゆみの、心に直接響くような優しい言葉の響きに
湧き上がる興奮や嬉しさや不安や、そんなものを全て押さえつけて
少し重い声で言った。

「それは、私は、出来ません。『世界一の魔法使い』にはえりぽんがなって欲しい。
私は、協会の魔道士です。魔道士協会、執行局魔道士、鞘師里保です」

沈黙が流れた。
里保はさゆみを見、さゆみは里保を見ている。
ややあって、さゆみが溜息を吐いた。顔は笑っている。

「はあ、生田ぁ、りほりほに振られた」

わざとらしく衣梨奈にしなだれかかるさゆみに
衣梨奈あっけらかんと言い放つ。

「ま、しょうがないですね。それより今日は明太子クリームスパにしようと思うんですけど」

打って変わって大喜びするさゆみに、里保の緊張も解かれ
三人は賑やかしい夕餉の時間へと向かった。

 

 

 

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最終更新:2014年07月14日 22:59