(30)363 タイトルなし(道重さゆみ・久住小春生誕記念作)



―――道重さゆみは、悩んでいた。
主に自分に関することだが、解消するどころか思い溜息ばかりが吐き出される。
何かと想像をするのがさゆみの息抜きの一つなのだが、それすらも
出来ない状態に苛立ちだけが募っていく。

 正直な話、さゆみは今後喫茶「リゾナント」に行くのを辞めようかと思っていたのだ。

喫茶店の常連客との会話は楽しいし、何よりも9人で集まった時は至福を感じている。
16歳の子から23歳までという年の離れた9人で結成された超能力者組織「リゾナンター」
としての自分も誇らしく思っていた。
全員が女の子という事もあり、何度も衝突したり、喧嘩をしたりもしたが
それさえも自身に対する成長として受け止めていた。

 それが今現在、さゆみに与えられたとんでもなく大きい影響である。

道重さゆみという人間の歴史には、人並みの幸福が全くと言ってない。
まるで何処かに落としてしまったかのように"優しさ"を失ったあの日から。
さゆみには小学時代、親友と呼べる存在が居た。

その存在を何としても守る為に、さゆみは自分に出来る事をし続けた。
いつも通りに過ごし、いつも通りに話し、いつも通りに笑って
そして親にはあまり心配かけないように。

少しでも可能性を信じて、さゆみは維持し続ける努力をした。
だが、自分に成れるものなどなかったのだと気づかされたのだ。
高校進学によって親友とは離れ、少し頭が良かったからといって大学に入ったが
それが何の役にも立たないことを知った。
周囲には、自分以上の才能に恵まれた学生がたくさん居る。
だがどんどん埋もれ、才能を無駄にしていく人間もたくさん居た。


現実を目の当たりにして、さゆみは自分が斜めに世界を見ていることに気づいた。
真っ直ぐに見られない自分に対し、思う。

 ―――いつから自分はこんな風になったんだろう。

楽しい時間。仲間と過ごす充実感。
なのに時々どうしようもなく寂しくなったり、皆と居るのにひとりぼっちみたいに感じる。
何故、こんな風になってしまったのだろう。

 ちゃんと笑えている自分が居るのに。
 心が、笑っていなかった。

小学校の親友も、さゆみだけが"親友"だと思っていたのかもしれない。
今では、顔さえも思い出せないのだから。
ああ、そうだったんだ。
ずっと。笑ってた。

どうしようもない自分を笑って。ただ笑い続けて。
仲間に囲まれて笑っていた。
自分を判ってくれた仲間がいたから笑えてて。

 心の底から笑って、心の底から泣いた。

道重さゆみは二十歳になった。
"独立"する年齢だと思っていた年に、さゆみはなってしまったのだ。
一人で考えてもしょうがないと思い、携帯を取り出してみるものの、指が動かない。
バイトでもしてみようかと思ったが、コンビニやファミレスで働いた経験の無い
さゆみとしては、多少の抵抗があるのも事実。

 これからもずっと、喫茶「リゾナント」や仲間達に頼り続けて良いのだろうか。


初めてあの場所に行った頃のさゆみは、反抗心からだった。
両親からの拒絶。同級生からの畏怖を込めた視線。
真っ直ぐに自分を見つめてくれた仲間達の声。

不意に、病室に居る彼女の顔が浮かんだ。
もしもさゆみが喫茶「リゾナント」へ行きたくないと言い出したら。
彼女はどんな表情を浮かべて、どんな言葉を告げるだろうか。

 困惑して、理由を問いただすだろうか。
 少し不満そうに頬を膨らませて怒るだろうか。
 冗談交じりで笑顔を浮かべるだろうか。

彼女は優しい。
他人にも自分にも。
明るくて少し優柔不断の性格で、それでも誰に対しても分け隔てなく同じように接する。
サイアクの出遭いを経て、やがてそれは信頼になり、愛になり。
彼女と"親友"になるまで、そう時間は掛からなかった。

 その時に思えたのだ。
 過去がなければ今が無いなら、道重さゆみは過去を無駄にしない為に今を生きようと。

だからこそ、さゆみは悩んでいた。
二十歳になった自分のためにも、このままで良いのかと。

 「お待たせしました」

その時、さゆみの前にコーヒーとケーキが並べられる。
ヴォリュームは小さかったが、ヘッドフォンで音楽を聴いていたのと
物思いにふけっていた事で、気配すら気づかなかった。


ポータブルのミュージックプレイヤーに繋げたヘッドフォンを外し、店員さんへとお礼を告げる。
店内の天井に設置されたスピーカーからはフレンチポップスが流れていた。

 「ありがとうございます」
 「またいらっしゃったんですね」
 「あ、はい。ここのお店って凄く入りやすいから…」
 「そういってもらえると嬉しいです」

この店員はどこか彼女に似ている雰囲気があり、ワガママながら
さゆみはこの店員が自分の席に近づいた時を狙って注文をしていた。
店員はさゆみのミュージックプレイヤーを見て、問いかける。

 「それって新しいヤツですか?」
 「え?あぁ、ちょっと可愛かったんでつい…」
 「いいなぁ~、私機械モノが全然ダメなんで、凄く羨ましいですっ」
 「そんな、さゆみも全然たいしたこと出来ないんですよ」
 「さゆみさんって珍しい名前なんですね。由来とかあるんですかっ?」
 「ゆ、由来?えっとぉー…」

店員は何処か話の軸が普通とは違うらしく、さゆみは天然なんだろうかと思う。
だが凄く親しみやすく、言葉には一切の棘もなく、まるで小さな子供のように会話を弾ませる。
純粋、といえば言いのだろうか。

 「すみませーんっ」
 「あ、はーい。すみません、つい熱くなりすぎちゃって…」
 「こちらこそごめんなさい。お仕事中なのに」
 「どうぞごゆっくり」

丁寧におじぎをして、店員は行ってしまった。
注文を受ける店員の姿を見ながら、さゆみはフォークで掬ったケーキを口に入れる。


ふと、思い浮かんだのは喫茶「リゾナント」の事。
何度かピーク時の店内に入った時に、忙しそうに働く愛達の姿を見た。

愛はカウンターの方で常連客と話をしていたが、その表情は笑顔だった。
「リゾナンター」としての愛はキリッと真剣で、まるで遠い人のように感じる。
だがそこに居る愛は、人間らしさがあった。
さゆみと同じ、笑って怒って泣いて、そして、悩みを持っている。

 「誰かに頼ることは、かっこわるいことじゃないよ」

まるで姉のように慕ってくれる愛を、さゆみは尊敬していた。
そんな愛が営む喫茶「リゾナント」で、誕生パーティが開かれる。
当然さゆみのだ。事前に連絡も受けている。
あの喫茶店に出入りをしてから、何度も年を重ねる子達を見てきた。

中には「今のままが良い」という子も居るが
誰かに自分の誕生日を祝ってくれると言うことは、さゆみ達は幸福な方なのだろう。
フォークをお皿に置き、カップに口を付けながら携帯画面を見つめる。

その幸福な日に連絡を入れないままでは心配するに違いない。
愛、特に里沙は心配性なところがあり、探しに来るような事があればあまりにも申し訳ない。
既に予定の時刻を過ぎており、携帯のボタンへと指を近づけた―――その時だった。

 「…こんな所に居たんですね」

背後から呼ばれ、さゆみは反射的に振り返る。
予想もしていなかった声の主に、一瞬さゆみは声を出すのを忘れた。
サラサラとした黒い長髪が顔を動かすたびに揺れ、長い睫毛の下にある大きな両目はどこか険しい。

 「出ますよ」


有無を言わさない威圧のある言葉を告げ、久住小春はテーブルに置かれていた会計表を取る。
さゆみが何かを言おうとし、場所が場所だと思い返す。
先ほどの店員が少しだけ驚いた顔でこちらを見ていた事に対し、頭を下げるしかなかった。

 *

一年ほど前、河川の整備が行われた。
昔の河川敷ならば下は土だったが、現在は整備されてるので見事にコンクリートになっている。
近所の人によると、数十年前には此処にもホタルが住んでいたらしい。
それほど好きと言うほどでもないのだが、滅多に見られないものが見られるというのは
どこか、特別なことのように思えた。

 「ここって、昔はホタルが見えたんだそうです」

「知ってる」という言葉はあえて口に出さず、「そっか」と相槌を打った。
小春と居ると必ず彼女のペースでしか話が進まないからだ。
さゆみはコンクリートのブロックの上に座り、彼女は川辺ギリギリの所で水面を見ている。
ただ静かに水の流れる音だけが鳴るそこは、「リゾナント」からそう遠くは無い場所にあった。

膝を折り、小春は水辺へと手を入れると、水を掬い上げた。
指と指の隙間、そして手の平から堕ちて行く雫は、何の変化も見せずに水面へと戻っていく。
弾けて消えて、また静かな水音だけが残る。

 「小春も、ずーっとあのお店に居ました」

あまりにも唐突だったが、さゆみは何処となく気づいていたような気がする。
芸能人である小春だけが持つ、特有の雰囲気というのだろうか。


 「ちょっと暇潰しにって思ったら、道重さんが入ってくるのを見つけました。
 でも小春のこと、まるで気づいてないカンジだったし
 音楽を聴いたとたん動かなくなったから、そのまま放置しました」

突っ込みたい所だが、さゆみは我慢する。
意識が飛ぶのはさゆみも自覚している。癖なのだ。
大学でもほぼ授業中は頭の中でいろんな事を巡らす。
答えが出なくとも、その浮かぶ事象を想像する事で満足できる。
何もかもを空っぽにして、何もかもを自分の思う通りの道筋へと繋げていく。

言わば自分の中で、物語を綴っているようなものだ。

 「そしたら店員さんが来たら急に元気になったりして、凄い変な人でした」
 「変ってちょっと酷いかも…あ、うーんでも確かに挙動不審だったかもしれない」
 「誕生日の前に、ケーキを食べる人もどうかと思いますけどね」

ポチャンと、水面に波紋が出来た。
小石をわざと大きく振りかぶり、小春は水面へと投げていく。
手持ち無沙汰になるのが嫌なのだろう。
表情はいまだ不機嫌極まりないが、口数は減らない。

 思えば、彼女と二人っきりで話すのは、凄く久しぶりだった。

空を仰ぐように見上げ、さゆみは小さく吸い、吐いた。
ここ数年、七夕に雨が降ることが多かったらしいが、今年は快晴だった。
広い夜空に天の川が延々と流れ、9人全員で見たのを思い出す。


去年は病院で過ごしていた"親友"もまた、その中で満面の笑顔を浮かべていた。
それはいつも浮かべていた作り笑いではなく、本物の笑顔で。

 「……ですか」
 「え?」
 「「リゾナント」に、行かないんですか?」
 「小春ちゃんは行っててもいいよ。さゆみはもう少し」
 「行きません」
 「い…え…?」
 「小春は行きませんから」

 「道重さんが一緒に来てくれるまで、小春は行きません」

ポチャンと、手から投げ出された石は水面へと沈んだ。
今度はこちらを振り向かず、断固拒否を決め込むかのように背中を見せたまま。
大きくて背筋がピンと伸びた後ろ姿は、それでも何処か脆さを感じた。

思えば、何故小春はあの時、さゆみへと声を掛けたのだろう。
普段はメンバーであっても関心を持っているのか分からないほどマイペースなのに。
まるで、さゆみの止まりそうな何かを無理矢理動かすように。

 心の中にある大きなモノ。
 空にある瞬き続ける星空の光。
 静かな流れにある風の匂いと、指先に触れたコンクリートのヒヤリとした感触。

記憶の点を線で繋ぎ、光の軌跡を描くように浮かんだ、小さな天の川。

―――あぁ。そうか。
さゆみは、道重さゆみは分かっているんだ。


分かっているからこそ、答えが出ていたからこそ悩んでいた。
ずっと経ち続ける時間の中で、流れが無い流れに流されていた自分。

 ただ、悩み続けていないと、自分が置いていかれているような気がした。
 頼ったままだと、自分の時間が自分のとは思えなかったのだ。

新しい自分が欲しくて、新しい道が欲しくて。
目の前の少女もそうなのだ。
彼女も、小春も明後日には17歳になる。

意地を張り、自分の進んでいた道を馬鹿にし、強がることしか出来なかった自分から。
泣いたこと、笑ったことを全てに色を付けて、新しい自分へと。
季節は巡る。
巡った時に、雨上がりの眩しい太陽を見上げれるように。

 小春が投げていた石は、ただ変わらないまま流れて行く。
 それでも自分達は、誰かに流されなくても自分で流れて行く事が出来る。

いつもそう。
誰かに励まされる。
彼女もまた、そんな人間の一人だった。

 「小春ちゃん、ありがとう」
 「…?」
 「初めから、さゆみを探しにきてくれてたんでしょ?」

大きな両眼をさらに大きく開き、小春は振り返りながら立ち上がった。
意外な言葉を投げかけられて、言葉を詰まらせる。


大きな両眼をさらに大きく開き、小春は振り返りながら立ち上がった。
意外な言葉を投げかけられて、言葉を詰まらせる。

 「何となく分かってたから。多分愛佳ちゃん辺りが来るんじゃないかって思ってたけど
 まさか小春ちゃんが来るとは、ちょっと意外だった」
 「……」
 「ごめんね、心配かけて。でも、もう大丈夫」
 「…小春は」
 「え?」
 「小春は、正直、どうでも良かったんです。
 でも―――主役の居ない舞台なんて小春は許さない」

そんな小春の手を、さゆみは優しく掴んだ。

 「なら、主役のお姫様をエスコートしてくれるんでしょ?12時までにいかないと魔法が解けちゃうの」
 「二十歳になる大人の言うことじゃないと思いますけど」
 「ヒドーイッ、小春ちゃんだって昔はお姫様に憧れたクセに」
 「その時にはとっくに小春はお姫様でしたから」

何処かの雑誌で、久住小春の芸歴を見たことがあるのを思い出す。
さゆみは眉毛をつり上げたが、すぐに表情を崩し、笑い出した。
それにつられて小春が笑い出す。
なんとなく、嬉しかった。
ただ、この"なんとなく"でも良いと思う。

なんとなく精一杯生きて。
この"なんとなく"を、力一杯生きよう。

今の自分で、"今"から紡がれた新しい道へ。



最終更新:2014年01月17日 18:12