(30)482 『少年の瞳(3)』



「あ~ん?誰だよ…?」
吉澤が、今さっきまで命のやり取りをしていたとは思えない、気の抜けた声を出す。
しかし、次の瞬間吉澤は再び“戦闘者”の表情になると、銃を構えなおしドアへと近づいた。

襲撃が想定される場合、ノックされたドアに正面から近づくのは危険だ。吉澤はセオリー通りドア横の壁際に立ち、一度ドアノブを回して音を立てて見せる。

…しかし、外からは何の反応も無い。

「うおおおおい!!誰だあ!?」
突然、面倒になったのか、吉澤が大声を上げる。小春の肩がビクっと動いた。
「俺っす!ヒロシっす!」
さっきの少年の声だ。

「あ~んだよぉ!今取り込み中だっつの!!」
「スンマセン!ちょっとだけでイイす!みんな集まったんで!」
「…みんな… って…え? なんだよ…?」
吉澤はいぶかしげにつぶやくと、右手でドアを少し開けて外を透かし見る。

「…!?」
バンッ!っと吉澤があわてた様にドアを閉め、小春を振り返る。もとより吉澤の大きな瞳が、さらに大きく見開かれ、小春を見ている。
「…ぬ…!?なんなんですか!?」

「久住… おまえって、『月島きらり』なんだよなあ…」
「…?…」
「一時休戦だ…。逃げるなよ」
吉澤はそう言うと両手の拳銃を無造作に放り投げる。クルクルと回転して落ちる拳銃は、床に触れる直前に光となって消えた。


「…普通逃げるっつーの」
小春は小さな声でつぶやく。
吉澤はそんな小春の声が聞こえているのかいないのか、かまわずに今度はドアを大きく開け放った。

「あれ…!?」
小春が声を上げる。
ドアの向こう、アパートの前の路地には、瞳をキラッキラに輝かせた、10数人の少年少女たちが待ち構えていた。
「まったくよお!!あんだけ秘密だっつったろーがYO!!」
吉澤が外に歩み出ながらあきれたように叫ぶ。

「いや、大丈夫っす!全員“秘密にする”って約束させましたから!!」
ヒロシがキッパリと答える。
「…そ~ゆ~ことじゃ~ね~だろ~が~…!!」
「あ…、痛い痛い!兄貴グーはやめて!」
ヒロシが吉澤にグリグリと小突かれているのを横目で見ながら、小春も外に出る。

唖然としている小春に、眼を輝かせた子供等が駆け寄ってくる。
「わ~、本物のきらりちゃんだ~!!」
「…サインしてくれますか!?」
「これ、見て!!きらりちゃんのお洋服も買ったの!!」
CDや、中には『月島きらり』のコスプレの衣装を持った女の子までが、一斉に小春を囲んで話し掛けてくる。

これは…どうしたものか…?と、小春が吉澤の様子をうかがうと、吉澤はヒロシにヘッドロックをかけながら、
「あー、とりあえずサインとか、してやってくんないかなあ?」
と、緊張感のかけらも無い。


それならば…と、小春の『きらりモード』のスイッチが入る。
当初は『クールビューティー』なイメージで売りだされ、持ち前の美貌から大きな注目を集めていた小春=『月島きらり』であった。
しかし、最近は小春自身の心境の変化からか、時折見せるようになった明るい、ポジティブな表情が世間に受け入れられ、少年少女を中心に、大きな人気を呼ぶに至っていた。

「じゃあ、サイン欲しい人は並んでくれるかなー!?」
「はーい!!」
小春の声と共に、周囲へ『アイドル』『スター』としてのオーラが放たれる。暗い下町の路地裏の一角が、明るく、華やかな空気で満たされたように感じられた。

子供らにサインをしてやりながら、小春はそれとなく吉澤の様子をうかがう。しかし、吉澤は空港で小春に書いてもらったサインを、サインを待つ子らに見せびらかしていた。
「…能天気なヤツ…!」
小春はひそかにつぶやきながら、子供たちに向きなおった。

ひとしきり子供等と言葉を交わし、サインをし終えると、吉澤がアパートの中から猫用のバスケットを抱えて現れる。
「…これ、使えや」
小春が中をのぞくと、行儀良く座っている猫の垂れ耳が見える。

「…どういうこと…!?さっきの続きは…!?」
「ふん…、シラケちまったよ…。あいつらの前でドンパチでもねえだろ?」
「手段は…、選ばなかったんじゃないんですか?」
「いざとなればな…。ただ、別に今回は俺の任務でもねえしYO! それに… 約束もあるしな」
「約束…?」
小春の問いかけに、吉澤はニヤッと笑って見せただけだった。


「えー!!『ミー子』、きらりちゃんにもらわれてくの!?」
「えー!!マジ!?すげー!!」
子供達はみな『ミー子』を知っているらしく、再び小春の周りに集まってくる。

「ミー子、きらりちゃん家で飼われるの?」
「ううん、あたしとお友達と、みんなでだよ」
「ふ~ん… さびしくなるなあ…」
「ごめんね… でも、この子はあたしのとっても大事な子なの。大事にするから、許してね?」

「そーだ、きらりちゃんところにいったら、なまえ、かわっちゃうの?」
「う~ん…そうだなあ… ねえ、『ミー子』を短くして、『ミー』にしてもいい?」
「うん!それならいいよ!!」
たずねた少女の顔がパッと明るくなる。
「今日からきみは『ミー』だよ!かわいいなまえになるね!元気でね!」

*** ***


路地の一角にずらりと並んだ子供達と吉澤に見送られながら、小春はタクシーに乗り込んだ。タクシーが走り出し、手を振り続ける子供達が見えなくなる頃、小春はシートに深々と沈み込み、ほうっと大きな溜息をつく。
「…疲れた…」
ぐったりとシートにもたれかかりながら、それでも小春はバスケットの網目の隙間から、『ミー』の様子をのぞき込む。

バスケットの中では、ミーが行儀良く座りながら、まん丸な眼で小春を見つめていた。
「…よかった…。でも、ごめんね…?また危ない目にあわせちゃったね…」
小春はバスケットのふたを少し開け、ミーの喉をくすぐってやる。ミーは以前と同じように、幸せそうに目を細めて喉を鳴らし続けていた。

ふと、小春は目を上げてつぶやく。
「“約束”って… 何の事だったんだろ…」


*** ***


小春を乗せたタクシーが走り去ると、見送っていた子供達は、それぞれに昂ぶった心を抱え、笑顔で家路についた。

後には、少々不満げな顔の吉澤と、満ち足りた顔で眼を輝かせている、『ヒロシ』の二人だけが残る。

「…うおい…!」
吉澤が声を上げる。
「ヒロシ、どういう事だよ!?AA(ダブルエー)ランクを取り逃がしちまったじゃねーか!?」
「…まあ、あんまり気乗りのする仕事じゃなかったが… バレたら、なかざーさんが怒りまくるぜ!?」

「逆ですよ、兄貴!!…彼女らは『AAランク』なんかじゃねーす!」
「あんだとぉ…!?」
「LAで後藤さんに会ったってーのは偶然です!しかも、なんと後藤さんの襲撃を正面から退けちまったってんで、逆に今までの『Bランク』から、今じゃあ『S』扱いです!」
「ん…! なかざーさんの直轄対応かよ!?」

「そーす!そんで、とりあえず中澤さんの指示が出るまでは監視続行、勝手な接触は厳禁、つーことです」
「ま、オイラの考えじゃあ、中澤さんが直接『組織』への加入要請に動くんじゃあないかと」
「…おまえの考えなんてどーでもいいんだよ…。しかし、そうだったのか…。ヤバかったな…」
吉澤はぺろりと舌を出すと、首をすくめて見せた。


「だが…これで、あいつらが今後『仲間』になる可能性も、全く無い訳じゃないんだな…」
吉澤がつぶやく。
「そうっすよ!兄貴!…あの『きらり』ちゃんがオイラたちの仲間に…!?」
「いや、『きらり』じゃねーつーの…。つーか、おまえずっと“透視(み)てた”だろ!?あんだけ“透視(み)る”なっつってんのによ!」

「いや、仕方ないじゃないですか!あの『きらり』ちゃんですよ!?本当はどんな娘なのか、知りたいじゃないすか!?」
「あー、やだやだ。そういうのをスケベ心って言うんだよ…。なんでおまえみたいなのに、そんな『透視能力(チカラ)』がついたかねえ…」
「なんつーこと言うんすか兄貴!こんな純粋な男の子をつかまえて!それに、オイラが止めたから大事にならなかったんですよ!」

「まあ、そりゃそうだな」
吉澤はあっさりと認める。
「ただまあ、あのまま行ったとしても、殺しちゃいないだろうけどな…」
「兄貴、気に入ってましたもんねえ…」
ヒロシがぼそっとつぶやく。

「お、わかったか?」
吉澤はニヤリと笑う。
「兄貴、後輩とか部下とか、怒らせるの好きっすよねえ?つーか怒って向かってくるようなヤツが好きって言うか…」
「…うるせえよ…。スゲー嫌なヤツみてえじゃねえかソレ」

「つーか兄貴、そういえばあの『きらり』ちゃんへの質問、正解ってなんなんすか?」
「…アホかおまえ。あんな質問に『正解』なんてあるわけねーだろが!!」
吉澤はあっさりと言い放つ。
「げっ!そりゃひでえや…」


「ばーか。ちげーよ、どんな『選択』だって、そいつが信じて選んだ『選択』なら、それがそいつにとっての『正解』に決まってるだろうが!!」
「じゃあ、『きらり』ちゃんの『選択』は…?」
「ふん…。まあ大正解ど真ん中って事よ…。つーか『きらり』じゃねーっつの」

「まあ、あいつがああするのは読めてたからな…。そこはまだ経験が足りない…。カウント2か、3の段階で仕掛けられてたら、俺も危なかったがな」
「兄貴、カウント4で完全に声大きくなってましたもんね!」
「うるせーよ…。おまえ、細かいトコ見てんな~?」

「いや、しかし、『きらり』ちゃん、最高っすよ!惚れ直しました!」
「ふん…。そうだな…」
「兄貴、俺、決めましたよ!」
「ん…?なんだよ?」

「…『月島きらり』は俺の嫁…!」

…ガッ!!…

「…兄貴…だからグーは止めて…」


そんなヒロシ少年の瞳にも、来るべき『新世界』の姿は見えているのか…?

…『能力者たちの新世界』への道程は未だ遠い。




< epilogue >

数日の後…。あるよく晴れた初夏の日の午前、喫茶『リゾナント』では、小春が光井愛佳と窓際の、同じテーブルで向き合っていた。
たまの小春の休暇に、二人で出かけようと『リゾナント』で待ち合わせたのだった。
窓のすぐ外、街路樹が作りだす木陰に置かれた、喫茶『リゾナント』のスタンド看板の上には、まだ表情に幼さを残した『ミー』が、ちょこんと座っているのが見える。

「…あれはほんまの〝看板猫”ですねえ…」
「…うふふ…。そうだねえ…」
二人は、ミーの様子を飽きもせずにずっと見ていた。

〝モーニングセット”を求めるお客の波が去り、今はゆっくりと時間を過ごす、常連客の多い時間帯となっていた。
時折カラン…とドアを鳴らして入ってくるお客も、ミーに手を振ったり、軽く頭に手を置いて、この店の〝看板猫”に敬意を表してくれる。

ふと、小春はなぜか少し気弱そうな表情になり、愛佳に問い掛ける。
「…ねえ…、ミッツィー…。もしも…、もしもだよ…?」
「…はい…?」
「悪いヤツが来てさ…、こうやってさ…、ピストルを突きつけて、ミーか小春か、どっちかの命を“選べ”って言われたとしたら…、ミッツィーなら…、どうする…?」
小春は両手をピストルの形にしてひろげて見せる。

「…なんですのん、そのシチュエーション…?」
愛佳が眼を丸くする。
「いや…!だからさ!…もしも、だよ!もしも…!」
小春が慌てて手をぶんぶんと振る。

しかし、愛佳は考え込む様子もなく、あっさりと答える。
「…そんなん、簡単ですやん」
「ええ!?…そう? …こ、小春を、選ぶ…?」
そう、恐る恐る聞く小春に、
「違いますよお~」
と、愛佳はニッコリと笑って答える。


「ええ~!?違うのお!?」
小春が悲しげな声をあげる。

「…違います!…愛佳は…、その“悪いヤツ”をぶっとばします…!!」
愛佳はそう言うと、ぐっと握った小さな右手の拳骨を突き出して、もう一度ニッコリと笑って見せた。

その細い腕と小さな拳…、そして愛佳の笑顔を唖然として見比べていた小春は、
「ミッツィー!!…大好きだあ!!」
そう叫ぶと、愛佳に抱きつく。
愛佳は、拳骨を突き出したポーズのまま、まん丸な瞳をキョロキョロさせていた。

*** ***


そんな二人の様子を、カウンターにもたれながら、田中れいなが見ていた。
「…あの二人、いつからあんなに仲良くなったとやろか…?」
「…んー?」
カウンターの中から、高橋愛が顔を出す。
「…いい事やないの…?ミーが帰ってきたのに…、小春、なんだか落ち込んでるような感じもあったからね…」
「…あんな小春の笑顔、久し振りに見たっちゃ!」

「…ミーも…、色んなことがあったみたいやけど、とりあえずひと安心みたいやね」
「そうっちゃね!…ね?…ミーの“お母さん猫”って、どっかにおるんやろね!」
「あー…、そうやね…。きっと…、この空の下のどこかに、おるんやろうねえ…」
愛は窓の外の青空を見つめ、なぜか少し寂しげな表情を見せた。

れいなは、そんな愛の表情には気付くことなく…、カウンターを離れると、カラン…と音を立ててドアを開けると、看板に載ったミーの横に立つ。
…そして、右手の拳を空に向けて突き上げると、
「ミーはねえ!『リゾナント』の“看板猫”として、元気にやっとーよ!!」
青空に向かって叫ぶ。


そんなれいなの姿を、愛はカウンターから静かに笑って見ていた。
「田中さん…、何してるんですか…?」
れいなが振り返ると、あっけにとられた顔の小春が立っていた。
「キシシ…。ミーの先輩として、ミーの“お母さん”に報告してたっちゃ!」

「…田中さん…、“先輩”って…なんの?」
小春が笑っている。
「“看板猫”っちゃ!!」
れいながニヤリと笑って答える。
小春ももう一度、大輪の向日葵のような笑顔を見せた。

「…うにゃあ~ん…」

そんな小春をまん丸な眼で見上げながら、ミーも嬉しそうに鳴いた。



最終更新:2014年01月17日 18:16