(32)634 『09.狐の嫁入り』



記憶を消す作業は淡々と終わっていった。
一切の感情から目を伏せて、何も考えないように精神干渉を行った。

だけど、何も思い出さないなんて到底無理なことだった。
ほんのささいなことでも、私にとっては大切な思い出だ。
次から次へと、みんなのことが浮かんでくる。

『新垣サン、アメ食ベマス?』
ごめんね、リンリン。
あの時襲われること、私は知ってたんだよ。
リンリンのことだから、もしかしたら気付いてたかもしれないけど。
なのに…いつも笑わせてくれてありがとう。
リンリンの笑顔が大好きだよ。

『ありのままがイチバンいいんだ、人間も、バナナも』
あの時はありがとう、ジュンジュン。
鍋もジュンジュンもあったかくて、すごくほっとした。
いつかありのままの私を見て欲しいな。
これからも、その不器用な優しさでみんなを助けてあげて。

『新垣さんのおかげで私は自分の能力が・・・自分のことが好きになれそう』
みっつぃーは、本当に強くなったね。
きっとみっつぃーの目には、光輝いた未来が視えているんだろう。
私もそうだと信じてる。
揺るぎないその心を、ずっと忘れないで。


『新垣さん。新垣さんは今・・・孤独じゃない?』
私はもうみんなとは仲間じゃなくなるけど、それでも孤独じゃないと思えるよ。
小春も、もう孤独じゃないよね?
小春の元気でみんなも元気になれるってこと、覚えといてね。
でも、調子には乗らないこと!

リゾナントに戻ってくると、こんな時でも心がほっとした。
カウンター席では、まだ愛ちゃんが気持ち良さそうに眠っている。
そのことに安心しながら、慣れ親しんだ階段を上がった。
その足取りは重く、今にも闇に飲み込まれてしまいそうだった。

こんな気持ちでここに来る時がくるなんて思いもしなかった。
今にも吐きそうなぐらい、胸や頭の中が渦巻いている。
口の中もすっかり渇き切っていた。
それでも何も考えないようにしながら、田中っち達が眠る寝室の扉を開けた。

『アイツらに何かあったら、れいなが守る』
田中っちは、出会った時からずっと変わらないね。
その強く真っ直ぐな気持ちに憧れたこともあったな。
こんなこと言ったら、怒られちゃうかもしれないけど…
愛ちゃんのこと、お願いね。

『時々、絵里が凄く羨ましく思えるんですよね』
あれからどう?
私は、相変わらず弱虫なままだよ。
弱虫だから、愛ちゃんに本当のことを告げた。
弱虫だから、愛ちゃんにだけ本当のことを言ったんだよ。
さゆみんには、たくさんの仲間がいるってこと、絶対に忘れないでね。
共鳴出来る仲間がいるって、本当に素敵なことだから。


『でも、絵里は力が欲しかったんです』
昔のカメからは考えられないぐらいの、本当の強さを見つけたよね。
もう、あんな馬鹿な真似はしないでよ?
カメのみんなを守りたいという気持ちは、誰にも負けないから。
自分を信じて、仲間を信じること。
…私も、これだけは忘れないから。

もうすぐ朝だ。
ひとりの朝が、来る。

静かにリゾナントの階段を降り、カウンター席に近付く。
ぐっすり眠っている愛ちゃんに近付き、大きく息を吐いた。

絶対に触るな。
顔を見るな。
何も思い出すな。

自分に言い聞かせながら、私は強く目を閉じた。
さよなら、愛ちゃん―

『あたしも、里沙ちゃんのこと守るね』
今までたくさん心配かけたよね。
スパイである私に気付いていながら、何も言わずにいてくれたんだもん。
ずっと信じてくれて、本当にありがとう。
もう一緒にはいられないけど、絶対に忘れないから。
私はずっと覚えてるから。
だから…どうか思い出さないで。

精神感応が終わった時、愛ちゃんの手の中にお守りが見えた。
そうだ、お守りも回収しないと…。
愛ちゃんの手からお守りを取った瞬間、胸が強く高鳴った。


――里沙ちゃんと一緒に、また笑い合えますように。


「…!」

胸の奥にじんわりと沁みるような、何か暖かいものと同時に流れてきた言葉。
さっきまで聞いていたのに、なんだか久しぶりに声を聞いたような気がした。
それは、あまりにも優しすぎて。

また、会いたいと思ってしまった。
みんなと一緒に笑い合いたい。
リゾナントに戻ってきたい。
心の奥底にしまい込んでいたはずの思いが、どっと溢れてきてしまった。

『あんたはなんも心配せんと待っとけ』
そう言った愛ちゃんの笑顔が浮かぶ。

本当に信じてもいいの?
待ってても、いいの?


私は唇をギュッと噛み締めたまま、カバンからRと書かれたお守りを取り出した。
Aと書かれたお守りは、カバンではなくポケットに入れた。

「約束したんだから、守ってよ?」

Rと書かれた方のお守りを愛ちゃんの手に握らせてから、私は涙を拭った。
一度だけ上を向いて、そっと深呼吸。

もう泣かない。
お別れじゃないんだ。
みんなともう一度会う時まで、絶対に泣かない。

「…よし」

そろそろ時間もいい頃だ。
しっかりと前を向いて、リゾナントの扉を開けた。
さよならは言わないでおくけど、これだけは言わせて。

「みんなに会えて良かった」

今にも朝日が射し込みそうなリゾナントを背に、闇色のゲートを出現させた。
ダークネス本部へと繋がる道に向かって、ゆっくりと足を踏み出す。
そっと呟いたありがとうの言葉は、誰に届くでもなく闇の中へと消えた。



最終更新:2014年01月18日 10:18