「高橋さん、お誕生日――おめでとうございます」
誰もいない場所で、誰にも聞こえないような声で、私は小さくそう呟いた。
誰に聞かせる必要もないその言葉は、私自身の胸を温め、微かに切なく締め付ける。
初めてその言葉を口にしたときは、今とは違い私の前にはもちろん高橋愛本人の姿があった。
そのとき愛が浮かべた心底嬉しそうな表情を思い出し、私は知らず笑みを浮かべる。
「生まれてきてよかった」
そう心から思える今が本当に幸せだと、あのとき愛は言っていた。
愛のような精神感応の能力を持たない私にさえ、心の中まで透けて見えるような幸福そうな笑顔で。
生きている意味を見失っていた私に、“未来”を与えてくれた愛。
その愛自身も、自分が生まれてきた意味を必死で探してきたのだと気付かされたのは、不覚にもそのときが初めてだった。
愛に初めて「おめでとう」を言ったその日。
今でも昨日のことのように思い出せる。
だが、当時の愛の年齢を私は既に越えてしまった。
それを思うと、身が引き締まるような思いが胸を満たす。
あれから幾度か今日―9月14日を迎え、私はその度必ず「おめでとう」を言葉にしている。
本人の笑顔が返ってこなくなってからも―――必ず。
「生まれてきてくれてありがとうございます」の気持ちを込めて。
「私と出逢ってくれてありがとうございます」の感謝を込めて。
未来はこの手の中に。過去はこの胸の中に。
高橋愛の願った明日、そしてその笑顔はこれからもずっと私たちと共にあるから。
最終更新:2014年01月18日 10:33