(33)413 『10.その後の虹』



―嫌や…持ってかんといて…!
―それは私の大切な…っ

「…いちゃん!愛ちゃんっ!」
「――っ!…れいな?」

顔を上げたら、私を心配そうに見つめるれいなと目が合った。

「大丈夫?」
「うん…ありがとう」

なんだか夢を見ていた気がする。
大事なものが無くなってしまう…そんな夢を。

身体を起こす時に肩からずり落ちそうになった毛布を、咄嗟に手を伸ばして掴んだ。

「れいなが掛けてくれたん?」
「いや、昨日はれいな達のが先に寝たけん…」
「そう…やんな…」

自分で掛けた覚えもない。
そもそも、わざわざ部屋から毛布を持って来るぐらいなら、自分の部屋で寝ているはずだ。

「絵里達は?」
「まだ寝とー」
「そっか…」

昨日の記憶がはっきりしない。
いつものように後片付けをしていて、それから…?


「昨日は何時に帰ってきたんですか?」
「え?」
「確か…れいな達が映画から帰ってきた時おらんかったような…」

確かに外に出ていた気がする。
もうすっかり止んでいるが、酷い大雨だった記憶がある。

「…全く思い出せん…」
「愛ちゃんも?れいなも朝起きた時から頭がぼんやりしとって…」

なんやこれ…。
思い出そうとすると、頭ではなく胸が痛む。
でも、絶対に忘れちゃいけないことだったはず。

「頭もすっきりせんけん、さっさとランニング行ってくるっちゃ」
「ん、気をつけてね」

れいなを見送ってから、私は店内を見回した。
店内は何も変わっていない。
キッチンも、いつもと変わらず綺麗だ。
むしろ、綺麗過ぎるぐらい。

なんなんや…?
この胸にぽっかり穴があいたような、どうしようもない寂しさは。

もう一度思い出せ。
よく考えろ。


この空虚感は、気のせいなんかじゃない。
でも、何を忘れている?
何かを忘れているはずなのに、それがどんなものなのか、全く思い出せない。
苛立ちと焦燥感に駆られて、落ち着いて考えることが出来なかった。

「あかん、一回落ち着こ…」

一度落ち着く必要があると感じ、水を飲む為にキッチンに向かった。

「ん?」

その時、初めて自分が何かを握っていることに気付いた。

「お守り…?」

黄色のフェルトで作られたお守りには、緑色でRと書かれている。

何かが全身に響いた。
同時に心臓が大きく高鳴った。

「なんや…この感じ…」

とても大事なものだった気がする。
少しボロボロになっているが、確かに大切にしていたものだ。
それでも何のお守りかは思い出せず、私はそれをポケットに入れた。

昨日の記憶を思い起こしながら、コップを手に取り、蛇口を捻って水を出した。

―昨日ここに誰かと立ったよな…?

誰かとここで料理をしたはず。
その記憶は確かにあるのに、それが誰だか思い出せない。


「くっそ…」

コップの水を一気に飲み干して、空いた手で前髪を掻き上げた。
焦る気持ちを抑えられず、私はコップを勢いよく流し台に置いた。

こんな時いつもどうしとったっけ…。
私が苛々したり焦ったりしてると、いつも安心させてくれる存在がおったはずや。

れいな…絵里…さゆ…小春…愛佳…ジュンジュン…リンリン…

リゾナンターのみんなを一人ずつ思い浮かべてみたけど、誰でもない気がした。
なんでや…おるはずやろ…。
私がいつも頼ってばっかやった人が、おったはずやろ。

―…誰か…ねぇねぇ誰か…!

「…!」

私が思い出せずにいる“誰か”に呼び掛けた時、それに答えるように微かに声が聞こえた。

「…誰や?」

胸に響くこの感じは、確かに共鳴者による声だった。
その声は、自分の記憶にある仲間の誰でもない別の共鳴者によるものだ。
だけど、決して初めて感じる共鳴ではなかった。

「なぁ…あんた…もしかして…」

僅かに共鳴する声が聞こえやすくなった。
とても温かくて、とても懐かしいその声に、不意に涙が込み上げた。
そして、全ての記憶が頭の中でフラッシュバックする。


「…里沙、ちゃん…」

ようやく思い出せたその人の名前を呟いた時、お守りのことを思い出した。
慌ててお守りをポケットから取り出すと、その声はもっと聞こえやすくなった。

「なぁ、里沙ちゃんやろ?」

相手からの声は聞こえるのに、相手に私の声は届いていないようだった。
それがすごくもどかしくて、今すぐ会いたくなった。

なんで、忘れてしまったんだろう。
こんなに大切な人のことを、どうしてすぐに思い出せなかったんだろう。
お守りをぎゅっと胸の前で握り締めると、すぐそばに彼女がいるように感じた。

―カランカラン

「ただいまーっ」

れいなが帰ってきたようだ。
いつもより帰りが早いのは、やっぱりれいなも記憶がないことが気にかかるからやろうか。

「れいな!」

私がキッチンから顔を出すと、れいなは驚いた様子でこちらを見た。
きっと私がひどい泣き顔をしているからだろう。
でも、今はそれに構っている暇は無い。

「急いでみんなを集めて!」
「な、何かあったと?」
「思い出したから!無くなっとった記憶全部!思い出したで!」
「…!わかった!」


れいなの呼び掛けに、みんなは1時間もしない内には集まってくれた。
中には記憶が無くなっとることに気が付いてない子もおるやろう。
私はお守りを高く持ち上げてから、大きく息を吸い込んだ。

「みんなに、お願いがある」

どうやら私たちの里沙ちゃんに関する記憶だけが無くなっているらしい。
里沙ちゃんが望んでやったことなんか、ダークネスの指示なんかはわからんけど、
里沙ちゃんの精神干渉能力によって記憶は消されたんやろう。
みんなが里沙ちゃんのことを思い出すことは、
里沙ちゃんが望んでいることじゃないかもしれない。
だから、これはあくまで私からのお願い。

「今から、ある人のことを思い出してほしい」

ガキさんのこと、スパイやったこと、それでも私は仲間だと思っていること、全てを話した。
みんな真剣な表情で、私の決して上手くはない話を聞いてくれた。

「ここからは、私のわがまま」

真実を知って、みんな動揺が隠せないようだった。
それでも、私はそのまま言葉を続けた。

「迎えに、行きたいと思う」

誰も何も言わなかった。
みんないろいろ思うことはあると思う。
残念だけれど、不満な人だっているはずだ。
行きたくなかったらいいと言おうと口を開こうとした時、れいなと目が合った。

「れいなも行きたい。本人から直接話聞くまで、納得いかんけんね」


れいなはわざとらしくため息をついた後、私の顔を見てニッと笑った。

「絵里に勝手に消えるなって言っといて、こんなのズルイですよ」
「新垣さんにはいてもらわないと困りますからね」
「小春の記憶を消した罪は重いですよー!」
「まだまだ教えてもらいたいことがいっぱいあるんです」
「まだいっしょに鍋しかたべてナイ」
「みんな仲間デス!」

れいなの言葉をきっかけに、みんな口々に喋り出した。
なんや…さすが里沙ちゃんやな。
みんながあーだこーだ言い合っているのを見て、私は思わず笑ってしまった。

「よし、それじゃあ…行こう」
「でも、場所わかってるんですか?」

愛佳からの問いに、私は自分の胸を叩いて答えた。

「里沙ちゃん…ガキさんの声が、聞こえるから」

扉を開けて空を見上げると、大きな虹がかかっていた。

「みんなで迎えに行くから、待っとってな」

お守りを腰に提げて、そっと虹に向かって呟いた。
今、約束を果たしに行くから。

私が毎日笑って過ごせるように。
一緒にまた笑い合えるように。

今から、迎えに行くよ。



最終更新:2014年01月18日 10:34