(33)519 『釣り堀も任せ……ろ?』



「…………ねぇ、愛ちゃん………」
「なんやー?」
「いくらなんでもこれは渋すぎるよねー…うん。渋い……」
「たまにはこーゆーのもええやよ」
「だからって釣り堀はないよね。うん。ない。」
「自然の中でゆっくり釣り糸を垂らす…なんや穏やかな気持ちにならんか?」
「ならないねー。ぜんっぜんならないね、うん。大体、自然の中じゃないし」

隣り合って古びたビールケースに座る愛と里沙の背後で電車が轟音を撒き散らしながら走り抜ける

「しかも穏やかな気持ちとかならないし」

里沙は愛を挟んで反対側に座る愛佳の様子を伺いながらため息を吐く
愛佳も愛と里沙と同様に釣り糸を垂らして座っていたが、その表情に色はなく釣竿を持つ手は震えていた

「愛佳。そんな緊張しとったら、いざという時にすぐ動けんくなるやよ?」

ガチガチに固まっている愛佳に愛は優しい声をかけるものの、当の本人の耳にはまったく届いていなかった

「そんなにスゴい敵がこんな所に現れるわけ?イマイチ実感湧かないんだけど…」

完全に怯えきった愛佳の様子と平和すぎる昼下がりの釣り堀の雰囲気のギャップに里沙は首をひねった

「ほやけど愛佳はここにダークネスが現れるって予知したんやから、現れるんやろ…そのうち」
「そのうちねぇ……ってかさっきから魚がぜんっぜん釣れないんですけど…ココ、本当に魚がいるの?」
「里沙ちゃん。餌、何付けたんや?」
「え?餌?スルメ」
「アッヒャー!ザリガニ釣りやないし!」
「え?ダメなの?だってアタシ、ミミズとか触れないんだもん!」
「別にミミズやなくてもええやよw」


リーダーとサブリーダーの、戦いの前の釣り堀デートは和やかに進んでいた
しかし愛佳の胸中は様々な感情が複雑に絡まって釣り堀の隅に捨てられた釣り針の様にこんがらがっていた

今朝、予知した内容をすぐ愛と里沙に報告してしまった事への後悔
釣り堀に到着した後に視えたその予知のさらなる未来
その裏に隠された真実
そして、その未来を変える知恵も力もない己の未熟さ

今更ながらに愛佳は自身の能力を恨んだ

愛佳は神様に、仏様に、お釈迦様に祈った
通学路の途中に佇むお地蔵さんにも、修学旅行の時に見た通天閣のビリケンさんにも祈った

 ──このまま何も起こりませんように──

『うわぁい!パパー!釣れたよ!お魚釣れたよ!』

愛佳の必死の祈りは背後の親子連れの歓声で途切れた
「ホレ里沙ちゃん、根気よく待っとったらあの男の子みたいに釣れるんやよ」
「………ちょっ……愛ちゃん……あの魚……おかしくない?」

親子連れの方を振り返っていた里沙が眉をしかめる
その言葉に愛も振り返って釣り上げられた魚を注意して見てみた

「? どこがおかしいんや?まるまる太った良いフグやん」
「おかしいから!釣り堀でフグとかおかしいから!」
「なんでや?フグも立派な魚やよ?」
「魚とか魚じゃないとかそーゆー問題じゃなくて!」
「実はあーし、フグの調理師免許も持ってるんやよ」

すごいやろ?と満面の笑みで愛佳に自慢する愛だったが、愛佳はフグに当たったかの様に青ざめた顔で頷くだけだった


「うぇぇ?そうなの?愛ちゃん、凄いじゃない!」
「ほやろ?あーし、ふぐ刺しがてっさ好きやったから試験受けたんやよ」
「なにそのダジャレーw」

釣り上げられたフグから意外な愛の一面と思わぬ駄洒落が飛び出し、場が和む
しかし愛佳はますます追い詰められていた

(アカン…いよいよ始まってもうた…ホンマにマズい…)

しばらく考えて意を決した愛佳は震える声で釣糸の先を真剣に見つめる愛に言葉を掛けた

「あの…なんやダークネスが現れる気配もないみたいなんで…そろそろ帰りません?」
「いやや」
「え?」

愛は真剣な表情のまま、愛佳の提案をバッサリ切り捨てた

「ダークネスが出ようが出まいがあーしはフグを釣るまで帰らんがし」

(えええええええええええっ!?)

「今晩は釣ったフグでふぐ刺しとふぐちりやよ!」
「ちょっと愛ちゃん、ちゃんと捌けるのぉ?食中毒とか嫌だからねぇ」
「おう!任しとけ!あーしフグ捌くのてっさ上手いからのぉ!」
「ちょっと~まだそのダジャレ使うんだーw」

(却下されたで!愛佳の提案、あっさり却下されたで!愛佳、完全に八方塞がりですやん!)

あまりの衝撃的展開に愛佳は持っていた釣竿を落としそうになった
すると今度は向かい側のカップルが歓声を上げた


『キャァ!指輪だわ!指輪が釣れたわよ!?』
『えっ?えぇっ?ほ、本当だね、指輪だね…』
『これって…もしかして…』
『えっ?えぇっ?あっ、あの…けっ…けけけ…結婚…して、下さい…』
『……ダーリン……もっ、もちろんよっ!』
『ハッ…ハニー!』

人目もはばからずガシッと抱き合うカップル
周りから沸き起こる祝福の拍手

「え゙え゙話や゙の゙ぉ~」
「ニクいプロポーズだねぇ」

もらい泣きする愛と感心しきりの里沙

(これはますますマズいことになっとりますやん~…あの人ら、愛佳達がおる事完全に気付いてはらへん…)

愛佳は苛立ちのあまり、持っている釣竿をへし折りたくなった
その後も愛達の周りでは錦鯉やらスッポンやら宝くじやら壺やら…釣り堀とは思えない品々が釣り上げられた

そして夕方…

愛達は一匹の魚も釣り上げられないまま閉場の時間を迎える事となった

「愛ちゃん、も~帰るよ!」
「いやや!でっかいフグ釣るまで帰らん!」
「ワガママ言わないの!フグなら帰りにスーパー寄って買えばいいじゃない…」
「いやや!あーしが釣ったフグをあーしが捌いて晩ご飯にするんやよ!」
「もぉ~子供みたいな事言わないの!愛佳も困ってるでしょ?」
「いややいやや!ぜってー帰らんからの!」


「高橋さん…もう帰りましょ?愛佳、高橋さんが作ってくれたやつやったらなんでも美味しく食べますから…」
「いややって言うてってうええおえっ!?」

駄々を捏ねていた愛が突然、奇妙な声を上げた
愛が必死に握って離さなかった釣竿の先が激しく上下に揺れている

「キタキタキタ!キタヤヨ━━━━*’∀’)━━━━!!」
「うっそ!今頃!?」

興奮のあまり立ち上がってピョンピョン飛び跳ねる愛
その間にも釣竿の反応は大きくなる

「これはかなりの大物やよ!!里沙ちゃんも一緒に引っ張るがし!」

愛はアヒャヒャと笑いながら両手でしっかりと釣竿を握りしめて里沙にも応援を求めた
里沙は慌ててふらつく愛の両手に自分の両手を重ねる

「なになになに?スッゴい引っ張られるんだけど!」

二人がかりでも適わないほどの力で魚が釣り堀の中で暴れている

「ちょ!愛佳!愛佳も引っ張って!」
「埋宮達男もビックリの一本釣りやよおおおおぉぉぉぉっ!!」

焦る里沙とトランス状態の愛は釣り堀の中の大物に前後左右へと振り回される
しかし愛佳は足が竦んで一歩も動けなかった
釣り堀の中の大物の正体が視えてしまったから……

「里沙ちゃん!一気に釣り上げるがし!」
「わかった!っ……せーのっ!」


腕力を共鳴させて、しなった釣竿一気に引き上げる
水面がゴボゴボと音を立てて大きな山になり、その中から姿を現わしたのは……

「フグーーーーーッ!!!!!」
「デカーーーーーッ!!!!!」

人間よりも大きいフグだった

「てっさデカいやよーーーーーッ!!!!!」
「愛ちゃんしつこいからっ!って言うかこのフグ、デカすぎだからーーーーーッ!!!!!」

釣り上げられた体長約2mのフグ
化物のようなフグが体を大きく膨らませてビチビチと跳ねている

「ちょっ……なんこれぇぇぇええええっ!?」

(いくら何でもこれはやりすぎやろ……)

「アッヒャー!こんなん普通の包丁で捌けるんやろか?!」
「そこ?心配するトコ、そこ?!」
「あ」
「え?」

思わぬ大物に興奮状態でフグの腹をペシペシ叩いている愛の背後に奇妙な物を見つけた愛佳が声を漏らす
その声を聞き逃さなかった里沙も愛佳の視線を辿って、その奇妙な物体を見つけた

釣り堀の水面に突き出た竹の棒

「………」
「……ねぇ、愛佳……なに、これ?さっきまでなかったよね、こんなの……」

(まっ……まさか……)


「……あ、動いた……」

愛佳がまさかの可能性に言葉を失っていると、謎の竹の棒がスススーと音もなく移動し始めた
それは小さな波ひとつ立てずにゆっくりゆっくり移動する
そして釣り堀の隅に無理矢理建てられた様な小さなほっ建て小屋の前でそれはピタリと動きを止めた
里沙と愛佳が視線を上に移すと、そこにはこの釣り堀の管理人とおぼしきおじさんの姿
おじさんは竹の棒を上から覗き込みながらにこやかに声を掛けた

「今日はもう店じまいだから上がっておいで」
「ハイハーイ!」

ザバァッと水しぶきを上げて水面に浮上してきたのは……リンリンだった
紺色のスクール水着にゴーグルを着用して、片手に竹の棒を持ったリンリンだった
さらにはほっ建て小屋の扉から出て来たのはさゆみとれいなだった

「みんなお疲れさん。はいよ、今日のバイト代」
「いやーん、こんなに貰っちゃっていいんですかぁ~?」
「いやいや、君らのおかげでここ最近、願い事が叶う釣り堀って噂で繁盛してきたからね」
「じゃー遠慮なくいただくと!」
「リンリンも風邪ひいちゃうから早く上がっておいで」
「ハイハイ。デモ今日暖かたカラ大丈夫デス~」
「それにしてもリンリンの潜水はすごいっちゃね!釣りしとー人、釣り針にリンリンが仕掛けとーの全然気付いとらんかったっちゃん!」
「ハイハイ。ワタシ日本ノ忍者憧れテいぱい練習しまシター!」
「リンリン凄いの!フツーは練習したからって出来ないの!」
「道重サンのチカラもすごカタデス!ちっさい魚、スグおーきくなりマシタ!」
「でも、初めての経験だから加減がわからなくて、大きくしすぎちゃったのw」
「ハッハッハッ!さゆ、やりすぎやし!見てみーよ!あれじゃ化物やし……って……あ。」

れいながビチビチ跳ねる体長約2mのフグを指差した時、初めて目が合った

キレガキさんと……


「こっ…ここ……コラァァァァァァッ!!!!」
「うわぁっ!あれ、ガキさんやったとかいな!?」
「そうよ!新垣里沙よっ!なんか文句あるわけ!?」
「いや、別に文句はないの」
「アイヤ~…」
「なんやれいな、また変なバイトしとるんか?」
「…まぁ…はい……そんなトコです…」

パンダ(中の人はジュンジュン)で荒稼ぎしていたいつかのバイトを咎められた苦い思い出がれいなの脳裏に蘇る

「まぁ、田中も良かれと思ってやったバイトやねんから、そう目くじら立てんでもええやろ」

そんなれいなを叱ろうと里沙が一歩踏み出した時、足元から聞きなれた声がした

「あ、ボス……」

里沙と愛の足元にはいつの間にかボスがデーンと座っていた

「ボス!?いつから居たんですかぁ!?」

いきなりの登場に二、三歩後退りながら里沙が問う

「最近、誰も相手にしてくれへんからな…着いて来てみた」

(…確かに…最近ほったらかしやったもんな…ボス……)

愛佳はちょっと反省して、かなり同情した

「ところで、道重…」
「はっ、はい!」

久々に会った気がするボスにいきなり話を振られたさゆみは緊張の面持ちで返事をする


「このデカいフグは食べても人体に…いや、猫体に影響はないのか?」
「はい……さゆみのチカラで成長させただけですので…たぶん……」
「ほう……それでは……」

さゆみの説明に納得したボスはおもむろにフグの背中に齧りついた

「ボス……やめといた方がええんとちゃいます?」

冷静に愛佳が突っ込みを入れる

「なに、フグと言えども毒は限られた部分にしかないからな……カプッ…モグモグ…うむ…」
「いや、でも……やっぱり危ないから……」

さすがの里沙も心配顔でボスの大胆な行動を諫める

「……ふむ…絶妙な弾力……これはなかなかのっ……ウッ!!!!?」
「ボスッ!?」

急に顔を顰めるボスに焦るリゾナンター達

「グッ…ウウッ!!??」
「ボスッ!!!」

一番近くに居た愛がうずくまるボスを抱きかかえる

「ボス!しっかりしてください!」
「だからやめときなさいって言ったでしょーが!!」

里沙がキツーい雷を落とす

「うっ…ぅうっ…」


愛の腕の中でグッタリするボスが愛を見上げて何かを伝えようとしている

「ボス!しっかり!しゃべったらアカンやよ!」
「解毒解毒!田中っち!カメに連絡して!」
「はっ、ハイ!」

れいなは急いで携帯を開く

「ぅっ……ぅう………」
「ボッ…ボスーーーーーッ!!!!」


「ぅ………ウマい……」


「………え?」

「……美味すぎやな、このフグ」

ペシッ

愛は泣きそうだった表情を一転、抱いていたボスを無表情で釣り堀の水面に叩きつけた

「ぐわぁぁあああっ!たっ、高橋ぃぃっ!ワシはおよっ!泳げないんだぞっ!」
必死の形相で藻掻くボス

「知らんやよ!」
「ひぃぃぃ~っ!ねっ、猫がしゃべったぁ!?」

愛達の居る場所から少し離れた所で釣り堀のおじさんが腰を抜かしていた

「えぇぇ?今頃ぉ?!」


「ひぃぃぃ!お魚くわえたどら猫裸足で追い掛けた時の祟りじゃぁ!!」

そう叫んでおじさんは裸足で逃げ出した

「ヤバーい!田中っち!あのおじさん追い掛けてってえぇぇ?!」

里沙が振り返った時、先程まで立っていた場所にれいな達は居らず

「ホレwホレw」
「釣りゲームみたいデス~」

れいなとリンリンは溺れるボスの頭上に釣糸を垂らして遊んでいた

「たっ、田中ぁ!リンリン!もっと下に!届かんやろ!釣糸をもっと下げんかっ!」
「ホレホレwもうちょい手ぇ伸ばすったいw」
「ハハハ!ボス必死デス!」
「コラーッ!田中っち!リンリン!ボスで遊ばなーい!」
「ねぇガキさん。管理人のおじさん、逃げちゃったの」
「さゆみん!気付いてんだったらさゆみん追い掛けて!」
「さゆみの足じゃ追い付かないの」
「なぁ里沙ちゃん…このフグ、どうやって持って帰ろーか?」
「今、それどころじゃないからーっ!!」


「…………むちゃくちゃや………」


愛佳は惨状を見守るしかできなかった……



最終更新:2014年01月18日 10:57