(33)836 『ヴァリアントハンター外伝(4)』



本来、ソレには人格があった。
生い立ち、名前、生涯。
だが今は記憶がない。
ただ、キオクというものがあったような感覚だけが脳のどこかに澱のように沈殿している。
しかし、その感覚もすでに薄れ始めていた。
誰かがいる。
自身の中に、別の誰かが。
その誰かはソレの人格を塗り潰し、徐々に、ゆっくりとソレを別の"誰か"へと変えていく。
抗う術はなかった。
ソレはただ、抗う意思すら奪われて、静かにガラスの中で眠る。
そうしてやがて、ソレの持つソレ"自身"は、周囲の液体に溶けるように霧散した。


  *  *  *


『脊髄リンクオンライン』

アルエの音声と同時。
脊髄に挿入された針を通し、人工的な電気信号がじかに全神経を疾駆し、侵し、支配していく。
動脈から毛細血管に至るまで冷水に満たされる感触。
視界が暴力的なまでの速度で広がっていく。

『――ンク、クリア。運動神経リンク、クリア。自律神経リンク、クリア。副交感神経リンク、クリア』

耐Gスーツの圧迫感が消失し、全ての五感が研ぎ澄まされる。
脳がアルエの本体であるスーパーコンピュータと融合し、肉体の全機能が拡張、強化されていくのを実感した。

『システムオールグリーン』

軽く拳を握り、れいなは動作に支障がないことを確認する。


掌を開き、閉じる度に木霊する機械的で無機質な作動音。
最先端科学の結晶に身を包み、しかしれいなの意識はそれとは真逆の世界へと飛んでいた。

「ん? なにか問題でもあった? れいな」

無言のれいなを訝しんでか、あさ美が声をかけてきて、それで意識を引き戻された。
つい先日に中澤から聞かされた話のせいで、やはり動揺しているのかと自問する。

「や、ちょっと美貴ねえ……いえ、姉のこと思い出してたんですよ」
「ああ例の……。そりゃ、あんな話聞いた後じゃ心配にもなるよね」

藤本美貴。
苗字こそ違うが、血の繋がったれいなの実姉である。
彼女は魔女だった。
なんの比喩でもなく、本物の魔女。
より正確に言うのなら魔術師だ。
魔術師。
超能力者が現れるより遥か昔、それこそ紀元前の頃からそれは実在した。
魔道を探求し、人であることを捨て、人智を超えた神秘を体現する者たち。
れいなの生家である藤本の家系も、
開国後に大陸からもたらされた西洋魔術とアイヌの精霊術を組み合わせた魔道を探求する魔術師の血統だった。
そして両親は共に出自が極東の島国の身でありながら、
魔術の本場イギリスの魔道協会に行けば名を知らぬ者はモグリと言わしめるほどの凄腕の魔術師だ。
その血を受け継ぐ姉の美貴も、若くして"氷結の魔術師"の高名を轟かせる才覚ある人物だった。
魔術師には生来生まれ持った素養がある。
大別するとそれは四大元素。地、水、火、風の四つだ。
姉の美貴は強い水の素養を宿して生まれ、長い時間をかけ積み重ねられた魔術研究の成果を修得、応用し、実践によってそれを氷結まで高めた。
しかし、次女であるれいなにはそのどの素養もなかった。
端的に言えば、魔術師として落ちこぼれだったわけである。
結果、両親は幼いれいなを福岡に住む遠縁の親戚の下へと養子に出した。


なにも両親に愛情がなかったわけではない。
職業柄、海外を転々とする多忙な身でありながら、暇があればれいなに会いに来てくれるし、
西洋じこみの厚い抱擁には溢れんばかりの愛が詰められている。
だがそんな両親のような魔術師を統括、管理する魔道協会には鉄の掟がある。

魔術とは神秘なり。神秘はその全容の秘匿があってこそ神秘たりえる。

魔道協会は魔術の実在を徹底的に秘匿する。
その体質は、中世に行われた教会による魔女狩りという歴史を経て、より強固なものとなった。
魔道協会には魔術の戦闘運用に特化した魔術師が籍を置く部署があり、誰あろう藤本家の人間もみなその部署の人間だった。
職務内容は、魔術の実在を世間へ露見させうると判断された人物の抹殺。
研究に没頭するあまり、周囲の被害をかえりみない実験、
悪質なものでは意図的に一般人を実験用のモルモットとして使用するような外道も存在するのだ。
協会はそういった魔術師を徹底的に追い詰め、容赦なく削除する。
それが協会の体制だった。

北海道に居を構える藤本の屋敷には魔術の真髄とでも呼ぶべき魔道書、
両親や姉、先祖の遺した膨大な魔術研究に関する書籍が存在している。
そんな場所に魔術師としてなんの素養もない人間を置いておくわけにはいかない。
れいなを養子に出すことは、両親にとって苦肉の策だった。
協会本来の徹底ぶりを考慮すれば、記憶の抹消、肉親との接触すら禁止される可能性も高かった。
れいながこうして魔術師に関する知識を持ちながら一般社会への存在を許されているのは、
両親のそれまでの協会への貢献から許された恩情、ひとえにただ幸運だったとしか評しようがない。


「まあほら、お姉さんが超能力者だったって言っても、レベルは2でしょ?
 統計上はやっぱりハンターや警察官として殉職扱いになってる高レベルの人間の方が圧倒的に多いし、きっと大丈夫だよ」

知らず沈黙を宿したれいなに、あさ美が気遣わしげな声をかけてくれる。
おそらくは魔術師の間で魔力と呼ばれるそれが超能力エネルギーと同一のものなのか、
魔術師も超能力判定では無能力者とは判定されない。
とは言え、魔術師はあくまで術式、陣、詠唱、兵装といった媒体を介して魔術を行使するものなので、レベルはせいぜい1か2だ。
両親や姉のように戦闘魔術に特化した魔術師を知る身としては
高レベルの超能力者が魔術を身につけるとどうなるのか想像するだに恐ろしいが、
血統や家系を重んじ、幼少期から魔術修行を課される魔術師の性質を考えれば杞憂だろう。

「……そうですね。すいません、任務に集中します」
「うん。じゃ、改めて状況を説明するね。今回のヴァリアントは――」

あさ美には、魔術師については何も話していない。
話してあるのは、家の事情で苗字の違う実の姉が行方不明になっているという事実のみ。
ヴァリアント殲滅任務に志願したことについても、
自身の特異な才能を社会を守るために使いたいだけだと濁してある。
もちろんそれも動機のひとつではあるが、真の目的は行方不明になった姉の捜索にある。

美貴は、れいなにとって特別な存在だった。
両親とは違い、決して優しい姉ではなかった。
むしろその二つ名の示す通り、氷のような冷徹さを纏った人間だった。
それこそ、魔術など用いずとも視線の一瞥だけで通行人を凍りつかせるような。
グズだのバカだのマヌケだのと口汚い罵詈雑言を浴びせられたことも一度や二度ではない。
ただ、それでも両親以上に頻繁に訪ねてきてくれたし、
誰よりも早く超能力、魔術問わずにその力を打ち消すれいなの体質を見抜き、
幼少期から厳しい戦技指導をしてくれたのも彼女だった。
美貴が協会に籍を置いて多忙になってからは道場通いになったが、
暇を見つけてはれいなを訪れ、米国じこみの射撃訓練などにも付き合ってくれた。
美貴はれいなの姉であり、師であり、常に憧憬の対象であり続けた。


そんな彼女が、ある日突然姿を消した。
美貴とは旧知の仲で、魔道の家系の出でもないくせに魔術師についても一定以上の知識を持つ中澤が言うには、
掴めた最後の足取りは米国のヴァリアント出現現場。
そのヴァリアントのランクは3。
現地の警官の証言によれば、制止に入った五人の武装警官を素手で気絶させ、
そのまま活動期のヴァリアントがいる方向へと歩み去ったという。
ヴァリアント自体はその後、数時間後に米国のハンターによって処理。
現場近辺には美貴の遺体も殺害の痕跡も見つからなかった。
ちなみに両親の話では、魔道協会の粛清人としての用事も現地にはなかったはずだという。

美貴がその場に現れた意図、行方不明の原因、なにもかもが謎のままだ。

あさ美の言う通り、ヴァリアントの"材料"として拉致されたというケースも可能性としてはあるだろう。
だが、ただのレベル2の超能力者ならまだしも、藤本美貴は百戦錬磨の魔術師だ。
ランク3程度のヴァリアントや"ヴァリアントを製造している"側の人間程度に遅れを取るとは考えにくい。
その気になれば大気中の水分を掻き集め、直径20メートル以上の空間を凍結させることもできるのが"氷結の魔術師"だ。
ヴァリアントがいかに強固な障壁を誇ろうと、他の哺乳類同様に肺呼吸によって生命活動を維持する生物である以上、
そんな魔術を喰らえば酸欠死は免れないだろう。


「説明は以上。じゃ、後は手筈通りによろしく」

大型トラックを改装した運用車の後部ハッチが開く。
青いパワードスーツをまとったれいなは、車体を大きく軋ませながら外へと身を滑り出した。
手近な送電用鉄塔から運用車の底部を介して繋がるケーブルが、作業員二人の手によってスーツ背部に接続される。

ヴァリアントを追っていれば、いずれは藤本美貴失踪の謎に届く可能性は低くない。
特異体質と戦闘技術を見込まれて受けた中澤の誘い文句だが、
徐々にその推測は現実のものとなろうとしている。
今のれいなにできるのは、ヴァリアントの背後に蠢く何者かの真意を掴むこと。
その先に、きっと藤本美貴はいる。

ゆっくりと、しかし確実な覚悟を持って、れいなは標的のいる位置へと歩を進めた。
スーツの触覚を通し、踏みしめた地面が重々しく軋むのを感じる。



最終更新:2014年01月18日 11:37