(33)883 『蒼の共鳴第二部-巡り会い、前夜-』



ひゅ、と短い呼吸を繰り返しながら久住小春は迫り来る“ピアノ線”をかいくぐっていく。
普通の人間から見れば何の変哲もないピアノ線でしかないが、小春の瞳はそれに纏わり付く薄い緑の光を捕らえていた。

意思をもった生き物のように、うねりながら小春を、そしてもう一人の少女を追い込むかのようにピアノ線は空中に閃く。
軽く息を吸い込んだタイミングで、小春は常人の目では視認不可能な加速を伴いながら地を駆ける。

小春の視界に映る、ピアノ線を操る主。

小春の驚異的な加速を見ても、一切顔色を変えることなく。
淡々とピアノ線を繰り続けるその姿に、小春は迷うことなく両腕を突き出し力を生み出す。

赤い鮮やかな光が、その姿を現すよりも先に。

小春の動きはそこで完全に停止した。

いつの間にか、腕に緩く巻き付いていたピアノ線。
自分の力を持ってすれば焼き切ることなど容易いはずのもの、だった。

だが、そうしようと思う小春の意思に反して、両腕はぴくりとも動かない。


「…まぁ、こんなところじゃない?
小春もみっつぃーも、昨日よりはよくなったよ」

「ありがとうござい、ます」


穏やかな顔で微笑む新垣里沙に、共闘していた光井愛佳が悔しげにお礼の言葉を紡ぐ。
小春は歯噛みしながら里沙の方を見つめることしか出来なかった。


二対一という、ハンデ。

勝って当たり前でなければならない“訓練”で、未だに小春と愛佳は里沙を圧倒することが出来ずにいた。

ピアノ線を回収した里沙は休憩してくると言い残して、展開していた“結界”を解く。
スタスタと樹海に消えていく後ろ姿を見つめながら、小春はその場にだらしなく膝を付いた。

途中まではこちらの方が優勢だったのだ。
愛佳と連携を取りながら、里沙にピアノ線を使わせないようにと波状攻撃をしかけていたというのに。

ほんの一瞬、生まれた隙。

里沙はそれを見逃すことなく、得意のピアノ線を行使し始めた。
己の意識を半分だけ対象物にのせ、自在に操るその術は里沙が最も得意とする戦闘スタイル。

ピアノ線を焼き切ることは不可能ではなかったが、一度焼き切ればそれで終わるわけでもない。
小春と愛佳が考えたのは、どちらかが囮となり里沙の意識を引き付けた隙に一気に距離を詰め王手をかけるということだった。

一度に二人、しかも一線級の超能力者を捕らえるのは、さすがの里沙でも難しいだろう。
必ず、どちらかに集中せざるを得ないはず。

その読みは外れてはいなかった、だが、当たりでもなかった。
里沙はどちらか一方に的を絞ることなく先程までと同様にピアノ線を展開し、一気に距離を詰めてきた小春、囮の愛佳どちらとも捕らえた。

―――捕らえてしまえば、そこで終わり。

命を賭けた死闘であったら、間違いなくあの瞬間に切り裂かれて死んでいただろう。

穏やかな微笑みを浮かべていた里沙の姿、それとは裏腹にピアノ線から“侵入”してきた意識は恐ろしく研ぎ澄まされていた。
例え仲間であろうとも手に掛けねばならないのならそうする、それだけの覚悟が里沙から伝わってきた。

離れた位置で同じように膝をつく愛佳を視界の端に捉えながら、小春は息を吐く。


「…強くなったはずだけど、まだまだだね、あたし達」

「そうですねぇ…ま、ここで暗くなってもしゃーないですし。
気分切り替えましょ、次は絶対うちらが勝てますから」


そう言って微笑む愛佳の方へと歩み寄り、手を伸ばす。
手を握り返す感覚と同時にその手を引いて愛佳を立ち上がらせた小春の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。


     *    *    *


「あ、里沙ちゃんお疲れー。
どうだった、今日は?」

「んー、もうちょいで負けてたかも。
もうちょい二人の集中力が上がればってところかな」


山梨県にある青木ヶ原樹海。
その地下に建造された施設へと戻ってきた里沙に、高橋愛が話しかけてきた。

ダークネスへと抗う超能力組織リゾナンターのリーダーである、愛。
戦闘服へと身を包んだ姿から察するに、これからメンバーの誰かと戦闘訓練を行うのだろう。

愛はそうかと呟いた後、すれ違いざまに里沙の肩を軽く叩いて去っていく。
肩に不自然に残った感触に里沙は小さく溜息を付きながら、胸元へと手をやった。

戦闘服の下に存在する、小さな鍵が付いたネックレス。

それを握りしめながら、里沙はぐっと歯を食いしばる。


『…これ、やるわ』

『え、これ…』

『ばぁばから昔貰ったんよ』

『そんな大事なもの、あたしが貰って』

『里沙ちゃん以外に渡せる人はおらん、頼むから受け取ってほしい』

『そんなの、そんなのって…』

『…万が一、何かあった時は皆を頼むで、里沙ちゃん。
それは、あーしの心を、想いを託した証やから』


もう就寝しようかと思っていた矢先に呼び出されたあの日の夜が、里沙の脳裏にフラッシュバックする。
呼び出された先にいた愛は、今まで見たこともないくらい真剣な表情を浮かべていた。

その真剣な表情に戸惑いを覚えるよりも早く、愛の口から告げられた衝撃の事実。
それは半ば予測していたこととはいえ、里沙の胸には余りにも重すぎる事実であった。

穏やかな微笑みを浮かべた愛が里沙へと手渡したネックレス。
それは、愛が普段から身につけている錠前型のネックレスと対になる鍵型のネックレスだった。

告げられた事実と、それを託されることの意味が里沙の胸にと重くのしかかる。
重さを伴う痛みに目尻に熱いものがこみあげるのを感じて、里沙は慌てて服の袖で目元を擦る。


「あ、新垣、ちょうどよかった。
ちょっと相談したいことがあるからあたしの部屋まで来て」

「…はーい、今行きます」


少し離れた、部屋と部屋を繋ぐドアのところから顔を出した施設の主“保田圭”へと返事を返すと、里沙は手首に巻いたブレスレットに軽く触れる。
程なく、里沙の身を覆っていた黒い戦闘服は霧散し、普段着姿となった里沙はゆっくりとした足取りで奥の部屋へと進んでいく。

脳裏に過ぎる愛の笑顔をかき消すように、里沙は奥にいる主に向かって大声をあげた。


     *    *    *


愛との戦闘訓練を終えたれいなは、一人あてがわれた自室へと足を進める。
首にかけたタオルで汗を拭いながら、れいなの目は自然と細められる。

あの日の夜。

愛と里沙のやり取りの一部始終を見ていたれいなの胸に去来する想い。
それは寂しさにもよく似た感情だった。

愛に何かあった時に全てを託せるのは里沙一人しか考えられないことくらい、分かっている。
それはしょうがないと、受け止めているつもりだった。

それでもやはり、複雑な気持ちではある。
寝食を共にしてきた同居人である自分にも、せめて何か一言くらい伝えて欲しかったと思ってしまうのだ。

だが、愛が里沙にだけ全てを打ち明けた理由も考えも理解出来るから。
だから、このもやもやとした気持ちを抱えるしかなかった。


もやもやとした気持ちを洗い流すかのように、れいなは自室内に設置されたシャワールームへと足を踏み入れる。
少し熱いくらいのシャワーに打たれながら、れいなは唇を噛みしめる。

二人の会話が、今も耳に木霊して離れない。
愛が里沙に告げた事実は、余りにも重すぎる。

そう、余りにも重い事実だから…愛は、里沙以外の人間にそれを告げることを選択しなかったのだ。
今はこれから先の戦いに向けて、士気を高めねばならない時期。

耳に木霊する言葉を打ち消すように、れいなはシャワーの勢いを強くする。
熱いくらいのシャワーに打たれながら、バスタブで一人膝を抱えるれいな。

愛を、そして皆を守らなければ。

そのためにも、この気持ちを消化して力に変えなければならない。


『…あーしの体は、そう長くは持たんらしい。
能力を行使せんように努めても、後数年以内に副作用が出る…無論、能力を使いまくれば発現はより早くなるんやと。
―――現時点で、それを食い止める方法は見つかってない』

『そんな…!』

『だから、里沙ちゃん…もしも、もしもこの戦いの最中にあーしが命を落とすようなことがあったら、
そん時は…皆のこと、頼むな』


けして、里沙の方を振り返ることなく去っていった愛。
愛が立ち去った後、その場に蹲って嗚咽を堪えていた里沙の姿。

あの日、里沙を奪還するために乗り込んだ敵地。
そこでの最後の戦いの際に、愛が嚥下したという能力増強剤。


能力増幅剤がもたらす、デメリット―――それは強力な副作用だ。
愛の体に起きつつある異変、それはやがて愛自身の生命を脅かすことになるだろう。

それを分かっていて、愛はそれを飲んだ。
今はまだ影響はないと言っていたが、それが真実であるかは誰にも分からない。
ひょっとしたら、愛は既に副作用が出ているにも関わらずそれを黙っている可能性だってないとは言い切れないのだ。

れいなは強く強く己の肩を抱きしめる。

この戦いに終止符を打つ頃には、きっと圭や麻琴が愛の体の治療法を見つけ出してるはず。
そう信じて、これから先に待ち受ける最終決戦に備えて己を鍛え上げるしかない。

大丈夫だと、愛を…皆を、絶対に死なせはしないと。
この腕で、この力で皆を守りきってみせる。

そう思いながら、れいなは目を伏せる。

頬を伝ったのは、シャワーの水滴か、あるいは。

れいなはしばらくの間、その場から動けなかった。


     *    *    *


ここのところ、愛と里沙、そしてれいなの様子がおかしい。
そう言ったきり、亀井絵里は口を閉ざした。

絵里の方を見つめながら、道重さゆみはそっと、自分が腰掛けるベッドを二度叩く。
それに促されるようにさゆみの隣に腰掛けた絵里は、華奢な肩へと頭を預けた。


触れた部分から伝わってくる、言葉以上の想い。
それはさゆみ自身もずっと感じてきていた、三人それぞれへの疑念だった。

訓練で対峙する度に感じる、それぞれの態度の違い。
何かを隠しているような愛と里沙、そして時折苦しそうに顔を歪めるれいな。

おそらく、何かを隠しているのは愛か里沙のどちらかで、れいなはそれを知っているのだろう。


「…何か嫌だよ、すごく、胸の辺りがもやもやする。
何を一体隠してるんだろ、れいなは何で知ってるのに絵里達に打ち明けてくれないんだろ」

「絵里…」

「れいなの声…すごく小さい。
絵里達に気付かれないように、必死に心を押し殺してる。
そうまでして黙っていなきゃいけない秘密が、あの二人にはあるのかな…」


少し震えながら紡がれる絵里の言葉に、さゆみは何も言えずにその肩を抱くばかりだった。

れいなが自分達にも何も言おうとせずに、一人で抱え込もうとしている。
それだけで、間違いなく絵里やさゆみ、そして他の仲間達にとってもいいことなわけがないのだ。

だが、それでも。

さゆみはれいなにだけ届くように共鳴の声を上げる。
いつか、れいなが抱えてしまった秘密を打ち明けて欲しいと。

一人ではいつか、れいなが潰れてしまう。
そうなってしまう前に、自分達に打ち明けて欲しい。
それがどんなに重い秘密であっても、絶対にれいなを支えてみせる。


さゆみの上げた声にれいなが返事を返す気配はない。
だが、聞こえてはいるはずだ。
深く繋がる共鳴の絆がある限り、自分の声は、仲間の声はれいなの心に届き続けるのだから。


「大丈夫、絶対。
だから、絵里…さゆみ達はさゆみ達に出来ること、ちゃんとやろう」

「…うん」


頷きながら、ようやく口角を釣り上げた絵里の頭を軽く撫でるさゆみ。
肩にのしかかる重みに目を伏せながら、さゆみもまた小さく微笑む。

胸にわいてくる温かな気持ちは、生まれてしまった不安を覆い隠すように広がっていく。

次の訓練の時間まで、二人はそのままの姿勢で動かなかった。


     *    *    *


フッと息を吐きながら、リンリンは後方へと飛ぶ。
瞬間、ほんの数秒前まで立っていた地面に大小の亀裂が走る。

速さと重さを伴った拳が、リンリンの動きを止めようと次々と繰り出されてくる。
それを舞うように避けながら、リンリンは掌に力を籠める。

刹那、深緑色の念動刃が幾つも生み出され、前方の女性へと繰り出された。


直撃すれば、間違いなく命はないであろう攻撃。
女性はとっさに両腕を突き出し、己の前に念動力による障壁を築き上げる。
念動刃はその壁にぶつかり消えていった。


「…さすが、ジュンジュン。
そう簡単に1本は取れないね」

「そっちこそ、なかなかやるな。
でも…もうそろそろ、ケリをつけさせてもらう」


短い言葉を交わした後、二人は一斉に駆け出す。
先程以上に鋭い攻撃がぶつかり合い、その衝撃に大気が震える。

互いに手の内を知り尽くしているパートナーが相手だからこそ、相手の裏をかかなければ勝ち目はない。
リンリンもジュンジュンも、攻撃を繰り出しながら仕掛けるタイミングを量っていた。

念動力を駆使しながら出方を窺うリンリン。
痺れを切らしたのはジュンジュンだった。

結界内に響き渡る咆吼。
獣化したジュンジュンは飛来する念動刃をもろともせずに突き進んでいく。

獣化した体には生半可な攻撃は通用しない。
距離を詰めたジュンジュンの渾身の一撃がリンリンの顔面を捉えたかのように見えた、その瞬間。

首だけでその攻撃を避けたリンリンの手が、ジュンジュンの腕に触れる。

視線と視線が交錯する。
そのまま、二人は動くことが出来ぬまま動きを止める。


「…まだまだ私も甘いな」

「訓練だから気にしない、それより…ジュンジュン服を着て下さい」


溜息を吐きながら、リンリンは触れた腕から手を下ろす。
獣化が解け、一糸纏わぬ姿になったジュンジュンは左手首に巻かれたブレスレットへと右手を伸ばした。

瞬く間にジュンジュンの体を包み込む、黒い衣服。
保田圭の力によって創造されたというブレスレットのおかげで、
ジュンジュンは後々のことを考えることなく獣化能力を行使できるようになったのだった。

衣服を纏ったジュンジュンの方に視線を向けながら、リンリンは口を開く。


「一旦休憩しましょう、もうそろそろ次の人達の番ですし」

「そうだな…」

「焦っても仕方ないです、今は己の技を高めながらその時を待つだけ」

「ああ、分かっている。
しかし、新垣さんを助けてからもう2ヶ月も経つんだな…」


ジュンジュンの何気ない言葉を聞きながら、リンリンは結界を解除する。
―――囚われの里沙を救い出し、住み慣れた街から脱出した時から既にそれだけの時間が経過していた。

未だダークネスは一切何の動きも見せていない。
行方をくらませた自分達の捜索をするわけでもなく、他の組織との抗争もないらしい。
独自の情報網を駆使しダークネスを監視し続けている圭も、麻琴もそのことを不審がっていた。


一体、ダークネスで何が起きているというのだろうか。

訓練に明け暮れ、己の技を磨き続ける日々の繰り返し。
無論、いつ何があってもいいように緊張感は持ち続けなければならないと分かってはいるのだが。


施設へと戻る二人の足取りはどこか重かった。


     *    *    *


夕食前の僅かな空き時間。
シャワーで汗を流した愛佳は髪の毛を乾かすのもそこそこに、ベッドの上で参考書を読んでいた。

二ヶ月もの時間が経過した今となっては、参考書を空き時間に読むくらいでは到底追いつけない程授業は進んだことだろう。

極力、今までと変わらない自分でいたい。
その想いから、愛佳は普段の日課であった参考書読みを欠かさずにいた。
もう幾度となく読んだ内容だが、不思議と数式を見ていると気持ちが落ち着いてくる。

ゆっくりとページを捲り、文字を辿っていく。
一部分であれば暗唱することも可能である程に読み込んだ文章に、徐々に意識が遠のいてきた。

重くなる瞼を、愛佳は必死に擦る。
後30分もしないうちに夕食の時間になるだろう、今眠ってしまうと食べ損ねてしまうかもしれない。
そうなったらそうなったで、後で作ってもらえばいいだけの話なのだが。

皆、訓練で疲れているだろう。
それは、皆のために料理の腕を振るう愛も同じはずだ。
疲れているであろう愛に、そう何度も手間をかけさせるのは悪い。


起きなければ。
眠気の原因となった参考書を閉じたところで、愛佳の瞼は一度閉じられた。

数秒もしないうちに瞼を開けたものの、すぐさまそれは閉じられる。
糊付けされたシーツの感触、暑くも寒くもない快適な空調。
シャワーを浴びて程よく弛緩した体にとっては何もかもが余りにも心地よかった。

睡魔への抵抗空しく、愛佳の意識は失墜していく。


『何やろ…』


夢に落ちた愛佳の視界に広がるのは、よく見慣れたあの街。
幾度となく電車に揺られて通った、温かな場所が存在する大切な街。
夢だからだろう、愛佳は遥か上空から街を俯瞰していた。

その視界が、不意に切り替わる。
上空からの俯瞰から、通常の視点へと。

街を歩く人々とすれ違いながら、愛佳は歩き慣れた道を歩いている。
仲間達が集う、喫茶リゾナントまでの道のり。

軽やかな足取りでそこへと向かう愛佳の前に、突如立ち塞がる人物がいた。

漫画の世界に出てくる占い師のような衣装は、上も下も全てが黒一色。
腰に届こうかという長い黒髪に白い肌、口元に引かれたルージュが血のように赤かった。
綺麗な女性だった、ただ、その美しさはどこか退廃的で近寄りがたいものを感じる。


視線が絡み合う。

刹那、心臓を鷲掴みにされたような、圧迫感。
見開かれた女性の瞳は、何の光も宿していない。

その視線が、言葉よりも早く愛佳へ意思を伝える。

此処へ来い、と。


「…っついー、みっつぃーってば!」

「うわぁ!
…何や、久住さんか…」


転た寝から覚醒した愛佳、その視界に飛び込んできたのは小春だった。
心配そうに覗き込んでくる小春の顔を見た後、壁に掛けられた時計に目を走らせる。

ほんの一瞬のようだったが、気がつけば夕食時間ギリギリまで眠っていたようだ。
軽く息を吐きながら、愛佳は額から頬の方へと伝い落ちてくる汗を服の裾で拭う。

訓練をした後のように、全身が汗をかいているのが分かって愛佳は顔を顰めた。


「夕食の時間だから呼びにきたんだけど…大丈夫?
すごい汗かいてるけど…」

「あー、久住さん、愛佳、もう一回シャワー浴びてから行きますって高橋さんに伝えといてください」

「…分かった」


部屋を出て行く小春の背中を見つめる愛佳の瞳は、煙るような光を湛えていた。
ドアが閉まったのと同時に、愛佳の唇から漏れる溜息。

シャワーを浴びるために立ち上がる体が重い。

先程見た夢が、ただの夢であればよかった。
だが、それがただの夢でないことを愛佳は誰よりも分かっていた。

予知夢。

そう遠くないうちに、自分はあの街に戻りあの女性と対峙するのだろう。
その未来を変えることなど容易い、が。


あの女性とは会わなければならない、そんな気がする。
予知夢に“干渉”してきたあの女性は―――自分と同じ、予知能力者。
しかも、類い希な程の力の持ち主、そこから導き出せる答えは。


(…保田さんなら、あの女が予知能力以外に何か能力を持っているかとか知ってるやろな。
問題は、保田さんが一時的にでも外出を許可してくれるかやなぁ…向こうさんの罠の臭いがプンプンしとるのに、
ノコノコと出ていくとか…許してくれへんやろなぁ…でも、黙って行ったら余計に怒るやろうし)


再び、口から漏れる溜息。
烈火の如く怒り狂う圭の姿が目に見えるようだった。


―――数日後、愛佳は小春と共にあの街に一時帰還することになる。



最終更新:2014年01月18日 11:38