(33)911 『昨日のために > 明日のために』



「あーあ。目が覚めたとき、絶対小春怒りようやろうなあ…」

抱きとめた久住小春の重さを腕に…そして心に感じながら、田中れいなは呟いた。
苦笑いを浮かべようとして失敗したのが明らかな表情で。

「そりゃもう激怒だろうね。『小春絶対に田中さんのこと許さない!』とか言うのが目に浮かぶよ」

努めて明るく返そうとした新垣里沙の声も、不自然に語尾が掠れたために、当初の目的を果たせたとは言い難い。

「ごめんな、ガキさん、れいな。こんな思いさせて…」

腕の中で目を閉じる光井愛佳の頬を…その涙の痕を拭いてやりながら、高橋愛は里沙とれいなに頭を下げた。

「やめーや愛ちゃん。れいな愛ちゃんに謝って欲しくなんてないけんね」
「れいなの言うとおりだよ愛ちゃん。わたしだって謝ってなんて欲しくない」

先ほどまでとは違う強い調子で、里沙とれいなは愛に非難の目を向ける。

「…そうやね。3人で話して決めたことやし。謝ったりしてごめん…あ…」

再び里沙とれいなに向かって詫びながら頭を下げた愛は、「しまった」という顔をして慌てて顔を上げた。
そのどことなく間の抜けた愛の動作に場の空気がようやく少し緩み、強張っていた里沙とれいなの表情にも微かに笑顔が浮かんだ。

「思えば…この3人から始まったんだよね最初は」

当時のことを懐かしむように喫茶「リゾナント」の店内を見回しながら、里沙が言う。

「なん言うと?ガキさんスパイやったくせして。れいなは認めんけんね。愛ちゃんとれいなの2人で始めたと!」
「あちゃー、手厳しいねえれいなは」
「当たり前やん。ガキさんなんか愛佳よりずっと後やけんね、ほんとの仲間になったんは」
「ええ~っ!じゃあ私が一番後輩なわけ~?」


2人のやり取りを聞きながら、愛もまた当時のことを思い出していた。


廃倉庫でのれいなとの出逢い。
誰も寄せ付けようとしない鋭い刃物のような空気を纏っていたれいなの心は、それとは裏腹に誰よりも強く助けを願って叫んでいた。

今思えば、あの出逢いは偶然ではなかったのかもしれない。
愛の出生と能力に大きく関わっていたれいなの両親。
そしてれいなのあまりに特殊なチカラ。
あれは運命…いや、宿命とさえ言える必然の出逢いだったと思わざるをえない。

れいなは後に言ってくれた。
あのときの愛ちゃんの言葉が自分を救ったと。
暗闇のトンネルの中を一人歩いているようだった自分に、光と居場所を与えてくれたと。
愛ちゃんとの出逢いがれいなにとっての夜明けだったと。

あのときれいなに言った言葉 ――朝は必ず来る。誰にでも。どんなときでも―― は、自分に言い聞かせた言葉でもあった。
誰の手も借りず一人きりで戦うつもりだった自分。
思えばあのときの自分も、気付かぬうちに半ば以上暗闇の中にいたのだろう。
だが、れいなとの出逢いは自分にも夜明けをもたらした。
あの出逢いがなければ、きっと今の自分はなかった。

れいなの純粋さに、愛は心を救われた。


そして、そのほんの少し後に訪れた里沙との出逢い。
こちらもかなり劇的なものだったが、あれは潜入するための芝居であったわけだ。
あのときのことを思い出してれいなが腹を立てるのも無理はないかもしれないと苦笑する。

「わたしもあなたたちと一緒に戦いたい」と言う里沙を、愛は迷わず受け入れた。
理由が単純にそれだけではないことは感じ取っていたけれど。
それ以上に、里沙の中に自分と切っても切り離せない何かを感じて。
れいなとはまた違った意味で…互いの運命の結びつきのようなものを感じて。

そのことは里沙がこの「リゾナント」を去ったときに改めて思い知らされた。
自分には里沙が必要なのだと。
里沙の存在は自分にとってなくてはならないものなのだと。
2人で交換したお守りは、里沙が帰ってきてからも決してその身から離したことはない。

一度は帰ってきた里沙が再びいなくなったときのことも忘れられない。
そして……響いてきた“声”も。

囚われた里沙を全員で救出に向かった先、冷静さを装いながら危うく愛は自分を見失いかけていた。
それほどに里沙は大切な存在になっていた。
だが、それを押し止めたのもまた里沙の存在だった。
愛のために自らの手を闇に染めようとする里沙の姿に、愛は逆に自分を取り戻した。

「助けてくれてありがとう」

だからあのとき、そう言いたかったのは本当は自分の方だった。

里沙の他者を思い遣る心に、そしてその存在自体に、愛は心を救われた。


“仲間”はその後も増え続けた。

自らの身を傷つけて発動するそのチカラ故に深い闇を抱えていた亀井絵里。
逆に、他人の傷を治すチカラを持つが故に闇に押し潰されかけていた道重さゆみ。

愛が初めて出逢ったとき、絵里とさゆみは人間不信から半ば2人だけの世界に閉じこもっていた。

さゆみを守ろうと愛を“攻撃”した絵里のその異質なチカラ、そして心に抱える闇に愛は息を飲み、そして涙した。
精神感応のチカラを用いずとも、絵里が歩んできたであろう道のりは容易に想像がついたから。

愛ですら見たこともないほど強力な治癒能力を持つさゆみも、おそらく同じであったに違いない。
その優しいチカラに違わない優しい心を持っていればこそなおさら。

「来てほしい、わたしたちと一緒に」

あのとき思わずそう言ったことが正しかったのかどうか…それは今でもよく分からない。

ただ、絵里もさゆみも、皆と出逢うことで本当の意味での笑顔が浮かべられるようになったのはきっと確かだ。
だから…正しかったのだと思いたい。

絵里とさゆみをこの「リゾナント」に連れてきたことも。
2人の“想い出”の中に自分たちが存在しないことも――

愛も2人に出逢えて本当によかったと思う。
絵里の芯の強さに、さゆみの優しさに、愛は心を救われた。


小春に出逢ったときのことも、まるで昨日の出来事のように頭に浮かぶ。

職業柄、自信に溢れているように見える立ち姿とその振る舞い。
誰をもたじろがせるような毅然としたオーラ。
自己中心的で、協調性の垣間見えない発言。
誰もが身をすくませるだろうあの場面で咄嗟に対応した機転と勇気……そして優しさ。

だが、本当はその心は怯え、震えていた。
心から信じ、繋がり合える存在を求めて叫んでいた。

だから愛は声をかけた。
「力を貸してほしい。わたしたちには仲間が必要なの」…と。
小春を救いたいという思いから――

だが、念写能力という特殊なチカラを持ったが故に抱え続けねばならなかったその心の闇は、仲間に加わって後もなかなか取り除けないほど深く、重かった。

信じたい、だけど信じるのが怖い。
大切に思う、だからこそ踏み込めない。

かつて引き起こされた“逆念写”事件は、そんな小春の思いそのものであったと言えるだろう。
あのとき、“裏切者”が誰であるのか、愛には想像がついていた。
しかし、愛は敢えてそのことを伏せた。
思い返せば…それは単なるエゴだったかもしれない。
“仲間”に去られることを小春以上に恐れる自分の。

結果、小春を傷つけてしまったことへの自責の念は今でも拭い難い。
幸いにして仲間たちの思いやりが、小春と…そして自分を救ってくれたけれど。

やがて小春は愛たちと過ごす空間を自分の居場所と認め、完全に心を開いた。
一度守ると決めたものを全力で守ろうとするその意志は誰よりも固く、それを行動に移す際も迷いはなかった。
その誰よりも真っ直ぐな思いに、愛は心を救われた。


李純―ジュンジュンとの出逢いもまた強烈な印象を残している。

心の片隅に響いた微かに助けを求める声。
その声を頼りに“飛”んだ先にあった光景。

廃墟となったビルの一室。
ただでさえ荒れているその部屋は、さらに無残に荒らされていた。
割れて散らばる窓ガラス、粉々の木片、床や壁に飛び散る血痕、手足をおかしな方向に捻じ曲げられてうずくまる男達。
そして、その惨状の中、申し訳程度の布きれで体を隠した全裸の女性…

「ナニカ、キルモノ、ナイデスカ」

初対面である自分に対して、開口一番そう言ったときのジュンジュンの無垢な目は忘れられない。

セリアンスロゥプ――いわゆる獣人。
獣へのメタモルフォセス。
他の能力とはまた質の違うそのチカラは、おそらくその持ち主を悩ませ、苦しめてきたことだろう。

だが、ジュンジュンはいつでも無邪気で明るかった。
愛の次に年長者でありながら、誰よりも純真で無垢だった。
それでいてその内面は母のような慈愛に満ちていた。

その透き通るようでいて温かい慈しみに、愛は心を救われた。


銭琳―リンリンとの出逢いはその後すぐ。
ジュンジュンが「トモダチデス」とこの喫茶「リゾナント」に連れてきたのが最初だった。

当初は戸惑い、どこか警戒し、心を開いていなかったリンリンもやがて心からの笑顔を見せるようになった。
そして、しばらくして起こったある事件を契機に、リンリンは本格的に仲間に加わった。
あのときの嬉しそうな2人の顔を思い出すと、今でも微笑んでしまう。

詳しい話は敢えて聞かなかったが、故あって幼い頃から国家機関で特殊訓練を受けていたらしいことは話してくれた。
そのこともあり、体術や対応力・決断力などにおいてダントツの能力を持っていたリンリンには戦闘面でも随分と助けられた。
また、その優れた能力は戦闘面のみならず料理や裁縫など多方面に渡り、その世話になったことも数え切れない。

生まれると同時に母を亡くし、そしてまだ幼い頃に父をも亡くしたらしいリンリンの過去は、想像を絶する辛いものであったに違いない。
母の形見だという小さな赤瑪瑙のペンダントを愛しげに眺めていた淋しげな横顔は、一度見ただけなのに鮮明に脳裏に焼きついている。

だが、リンリンはそれらを微塵も感じさせない明るさと笑顔で、いつも空気を和ませてくれた。
真面目で、努力家で、人知れず皆を見守り助けるリンリンの存在なしには今の自分たちはなかっただろう。

その控えめで、それでいてひたむきで熱い真心に、愛は心を救われた。


そして…愛佳との出逢い…

どの出逢いも愛にとって特別だった。
だが、その中でも愛佳との出逢いは特別なものを感じずにはいられない。

自分の腕の中で、その閉じた目に涙を浮かべる愛佳の顔を見ながら、愛はあの駅のホームでの邂逅を昨日のことのように思い出す。

ひと気のない夜のホームに独り佇む愛佳。
その静かな表情と立ち姿からは想像もつかないほどに、愛佳の心は助けを求めて叫び、泣いていた。
下手をすればその命すら散らしてしまいかねないほどの絶望感に包まれながら。

「飛び込むんなら、次の電車にしてよね。あたし、帰れなくなっちゃうから」

だが、愛は敢えて突き放した言葉をかけた。
愛佳の中に「強さ」を感じたから。
自らの力で、自らの意志で明日に立ち向かってゆける確固たる魂の強さを。

そして…愛佳は明日を変えた。
目を背け続けていた“未来”に真正面から立ち向かい、自分を変えた。
愛の想像を、期待をさらに越えて強く、逞しく。

その誰よりも強く前を見据える姿に、愛は心を救われた。


皆と出逢えて本当によかった――改めてそう思う。
どの出逢いが欠けていても、自分は「高橋愛」を保てなかったかもしれない――そうも思う。
自分の心が闇に侵食されることなくいられたのは、揺るぎない意志を貫けたのは…皆が支えてくれたからこそだと。

だけど…いや、だからこそなのかもしれない。
自分がこの選択をしたのは。

自分勝手と言われるかもしれない。
裏切りだと言われるかもしれない。

分かって欲しいと望むのは身勝手にすぎるだろう。
こうするしかなかったのだと言うのは言い訳に聞こえるだろう。
それでも…それでも自分の思いが少しでも伝わっていて欲しいと思わずにはいられない。

「じゃあ…行くね、愛佳。もしもあーしらが…」

腕の中の愛佳に何かを言いかけた愛はその言葉を途中で止め、愛佳の体に置いていた手を自らの体へと静かに滑らせる。
再び愛佳の上に戻ってきた愛の手には、パステルカラーのお守りがあった。

「R」

そう縫い取られた手作りのお守り。
愛にとって特別な意味を持つ…里沙手作りのお守りが。

「愛ちゃん、それ…!」

自らの手の中のそれを愛佳の手の中に移した愛に、れいなが驚いたような顔を向ける。
そのお守りを、どれほど愛が大切に思っていたか知っているから――


「あ、別に形見とかそういう意味やないんよ」

慌てたように愛は言った。

「あーしらが無事に戻って来られるおまじないというか、あーしらの思いを愛佳たちに分かってほしいというか――」
「おまじないかぁ。それいいね」

懸命に弁解じみた説明をしている愛の言葉を遮るようにそう言うと、里沙も自らのお守りを外し、れいなの腕の中で目を閉じる小春の手に握らせた。
愛のものとは違う色で「A」と縫い取られたそのお守りを。

「れいなだけ何もないっちゃけど…気持ちはおんなじやけん」

そう言うと、れいなは握り込んだ拳を小春の心臓の辺りにポンと当てた。
自分の心の一部をそこに置いていくというように。

「ガキさん、れいな。…行こう」

決然と顔を上げ、愛は里沙とれいなに声を掛けた。
頼もしい笑みを浮かべ、2人が力強く頷く。


そして――

小春と愛佳を2階の寝室に寝かせ、3人は慣れ親しんだ喫茶「リゾナント」を後にした。

それぞれの因縁に決着をつけるために―――
希望という名の青空を未来に託すために―――



最終更新:2014年01月18日 11:39