(34)127 『ヴァリアントハンター外伝(6)』



調整が終わった。
彼女は歓喜に打ち震え、哄笑だけで周囲のガラスを粉微塵に変じさせた。
白衣の"ニンゲン"たちの、恐怖に満ちた悲鳴が心地良い。
研究所を警報機の大音響と赤色灯の明滅が蹂躙している。
それすらも、彼女には彼女の"誕生"を祝福する演出に思える。
と、かたわらに人影が音もなく輪郭を現した。
人影が告げた情報を耳にし、彼女は再び哄笑を発する。
彼女の雇用主はどうやら不要な"小細工"をろうしているようだが、
そんなものはもはや知ったことではない。
彼女は彼女の野望のためだけに動く。
人影が恭しく差し出した衣服に身を包み、彼女は研究所の壁に大穴を穿った。
まずは、この新たな肉体の機能を試すことから始めてみよう。

  *  *  *

『説明は後や。とりあえず田中、そこのヴァリアントさっさと片づけたれ』
「は? え、いや、それはちょっと――」

中澤の指示に、色を変えたのはむしろ二人のハンターだった。

「待った。さっき話はつけたやろ。アレはあーしの獲物や」
「獲物がどうとかは置いといて、絵里も自分の仕事を譲る気はないよ」

今にも銃口を跳ね上げそうな剣幕にれいなはたじろぐ。
現場のそんな様子を感じ取れない愚かな上司でないことは承知しているが、
中澤は容赦なく口調を強める。

『命令や。十秒以内に対象殲滅。できなきゃ左遷。
 そやな、ヴァリアントの発生なんぞほとんどないドのつく田舎の駐在所にでも――』
「わ、わかりましたよ! お二人ともすいません! アルエッ!」
『了解。SSS起動準備』


十秒以内という常識的にありえない中澤の要求と、
それを渋々といった風情で、しかしできないとは一切考えていない様子で承諾したれいな。
それらに驚いたのか、二人のハンターは虚をつかれたようだった。
チャンス。
れいなはその隙を逃すことなく、スーツの巨体からは想像もできない俊敏な動作で屋上の手すりに駆け寄る。

「ま、待――!」

我に返って咄嗟に二人が銃口を向けて来ようとするのが気配でわかるが、もう遅い。
れいなはすでに眼下のヴァリアントに照準を合わせている。

『SSS起動』

背部から電源供給ケーブルが排除される。
そこからは文字通り刹那の光景だ。
砲声と、れいながビル側面を蹴ったことによる衝撃が轟き、衝撃波の突風が二人のハンターを襲う。
二人が手すりに駆け寄って眼下を見下ろした時、もはやそこに先ほどまでのヴァリアントはいない。
あるのはただ残骸と形容するのが相応しいほどに原型を失い周辺に飛び散った肉片と、
同心円状に広がる血痕の中央に佇む、真新しい紅に全身を染めた青い巨人。

「な、にあれ……?」
「ばけもん、や……。」

増幅された聴覚で、れいなは二人の畏怖と驚愕の織り交ざった声を聞く。
二人が現役のヴァリアントハンターだからこそ漏れた感想だろう。
彼女達が普段、命がけで破る"障壁"を異にも介さず、
純粋な物理的破壊力のみで高ランクのヴァリアントを屠ったのだから当然と言える。


『内部電源、活動限界まで残り11分56秒』

すでにSSSは解除してある。
SSS起動時の電力消費は1秒あたり通常時の約28秒分。
今のヴァリアントを殲滅するのには1秒も要らなかったから、内部電源にもまだ余裕があった。

「さて、と。上の二人になんて説明するかなぁ。……ま、中澤さんが責任もってやってくれるか。
 とりあえずケーブル取りに戻――」
『待った。田中巡査』
「……うん、れなも感じた。なん、これ」

武の道を一定以上極めた者には一種の危機感知能力が備わる。
その"脅威"がとりわけ強大なものであれば、その感性はより鋭敏に働く。
ビルの上を一瞥すると、さすが彼女たちも百戦錬磨の猛者、
同じ何かに気がついた様子で空を仰いでいる。

「……ヴァリアント?」
『周辺を乱された磁場の波長は確かに同一。でも、強さは規格外。前例がない。
 加えて――』

網膜上に衛星が撮影したと思われる画像が表示される。
一体どんな速度で飛行しているのか、輪郭はぼやけているが、

「これ……人間?」
『体長、外見に関しては確かにそう。けど違う』
「人間でもヴァリアントでもないって――」
「どうなっとるん? これ、アンタも感じとるやろ。こっちに近づいてくるで」


瞬間移動で下りてきたのか、高橋がれいなの傍らに現れる。
すでにその目にれいなのスーツに対する畏怖はない。
いや、より上の畏怖によって塗り潰されたと言うべきか。

『人間。超能力者。ヴァリアント。地球上、どの生物のデータとも一致しない』

外部スピーカーから漏れたアルエの音声に、高橋は瞳の奥の困惑を深める。
れいなも同じだ。
まさか、魔術師?
いや、それなら生物学上のデータは超能力者に分類されるはずだ。
疑問を重ねること数十秒。
"脅威"はぐんぐんと膨れ上がり、やがて、規格外の存在感を伴ってれいな達の眼前に降り立った。

「あ、れって――」
「……ご、」

"脅威"はしかし、優雅だった。
飛来した速度が嘘であるかのようなゆるやかさを伴い、ヴァリアントの肉塊が転がる死地に降り立つ。
栗色の長い髪。
彫像のように整った美貌。
膨張色であるはずの純白のコートとスーツを身にまとい、
しかしその四肢は恐ろしいほどにしなやかで、細い。


「久しぶり」

気安げに紡がれた言葉は、音節すべてが魅惑の呪力を帯びているかのように美しかった。
赤黒い血だまりの中、彼女はただ一点の穢れもない白い存在。
まるで赤と白で描かれた絵画のようだと思った。
そして直接の面識はないがれいなと、誰よりも、傍らで驚愕に全身を震わせる高橋愛にとって、
彼女は見知った存在だった。

「後藤さん――ッ!?」

撃墜王。
かつて"暗闇の星―ダークネス・ノヴァ―"のエースと呼ばれた最強のヴァリアントハンター。
レベル12、つまり最高ランクの念動力能力者(サイコキネシスト)。
れいなたちの眼前に舞い降りたのは、すでに故人であるはずの彼女、後藤真希その人だった。



最終更新:2014年01月18日 11:41