(34)243 『あなたの名前を呼ぶ日まで』



リゾナンターの9人は、高橋さんに呼ばれてリゾナントに集まっとった。

そこにはいつもの笑顔なんてない。
全員が、真剣な表情で高橋さんの言葉に聞き入ってた。

それは、最近リゾナントの近くをうろちょろしてるダークネスの小隊を全滅させるという、
リゾナンターにとっては今までにあんまりないような、ちょっと珍しい作戦やった。

こっちへ攻めてくるような数人の相手から自分たちを守る、
そういう戦いなら、今までにも何度か経験はある。
愛佳が知ってる限りでは、相手集団を積極的に攻めることっていうのは初めてかもしれない。

いや、そう考えると作戦自体が珍しいんとはちゃう。
ダークネスがこっちの様子をうかがってるのが珍しい、というか、不気味。
だから、相手に仕掛けられる前にこっちが仕掛ける。

『相手に先に手を出したら、さらにあっちの動きが活発になるかもしれん。
 …でもな、少なくともこの街に、リゾナンターとダークネスの争いは関係ない。
 この街に迷惑をかける前に、敵を倒す。
 それでも終わらないようならば…、一時はここを離れて、徹底的に戦わなあかん』

それは簡単なようでいて、もしかしたらとんでもない方向への第一歩かもしれなかった。
けど、誰も反対しなかったし、しようとも思わなかった。
何かが始まろうとしている、ただ、そんな予感だけをみんなも持ってたんやと思う。


「みっつぃ、何か視えたの?」
「へ?」

リゾナントでの作戦会議が終わると、久住さんに声を掛けられた。
なんか、たぶん愛佳はぼーっとしとっただけで、何かを視たとかでもなかったんやけど、
あまりにも愛佳がキョトンとしとったんやろう、久住さんは両手を顔の前で振っていた。

「あ、ゴメンゴメン、小春、変なこと言ったね」
「いや、何か今、ぼーっとしてましたから。
 何も考えてへんとかじゃなくて、何か考えすぎてぼーっとしてたっていうか…」

何かが始まる予感から、視える未来につながるんならばどんだけ楽なのか。
予知がうまくいくビジョンになればそれに従えばええだけやし、
そうじゃなければ、違う未来をたどっていけばいい。

…けど、今の愛佳はたぶん、今まで以上の緊張感でいろんなことの整理がつかなくなっとる。
9人の未来が、ビジョンどころかボンヤリとしたものにすらなってくれない。

「焦らんでもええよ、みっつぃ」

カウンターの向こうから、ココアを出しながら高橋さんが声を掛けてくれた。
愛佳はマグカップを両手で受け取る。隣の久住さんにも同じものが手渡されていた。

「何もかも視ようと思わんでええよ。
 少しずつカタチにしていけば、それだけでもあーしらは助かるんやし」

頷きながらココアに口をつける。
あったかさと甘さがすっと心の中に入ってくるみたいで、少し落ち着いた。


「じゃ、小春は先に部屋戻ってるねー」
「あ、はーい!
 愛佳ももうちょっとしたら戻りますー」

くいっとココアを飲み干してマグカップを高橋さんに渡して、
久住さんはいつもみたいに明るく軽やかな足取りで二階へ昇っていった。

「小春はいつもと変わらんなぁ」
「ホンマですねー」

口調は呆れていても、高橋さんが久住さんの背中を追う視線はやさしい。

誰もが緊張せぇへんはずはないんや。
実際、いつものリゾナントの中と空気が違う。
ジュンジュンとリンリンはもうそれぞれの部屋に戻って寝てしまってるし、
亀井さんと道重さんと田中さんは、3人でずーっと話し込んどる。
新垣さんは、少し離れたカウンターで何か考え事をしとるようやった。

…やから、久住さんは久住さんなりに、いつも通りを見せてくれてたんやと思う。
その瞬間、リゾナントにほんわかした空気が流れたのも間違いない。
そんなことができる久住さんがすごいと思うし、強いと思った。

少しぬるくなったココアを、愛佳も一気に飲み干した。


「ごちそーさまでした」

しばらくして愛佳も席を立って、部屋に戻ることにした。

「おう、明日は朝早いから、ゆっくり寝るんやで?」
「はい、高橋さんも、早よ寝てくださいね?」

マグカップを返すと、高橋さんは愛佳の頭を二、三度ぽんぽんと軽く叩いた。
たぶん、みんなが寝た後に新垣さんと打ち合わせとかしはるんやろう。
それで、ほとんど寝んままに明日を迎えて、それでもうちらを引っ張ってくれる。

愛佳は、そんな感謝の意味も込めて深々と頭を下げた。

「それじゃ、おやすみなさ……」


―――言い終わるかどうかの時に、突然頭に流れ込んだビジョンは
視るべきこの戦いの行く末を示すものではなくて、
予想すらしていなかったような、まったく別の出来事を映していた。

いや、まさか、そんな未来なんて来てしまったら―――


「…っつぃ、どした?」

愛佳はしばらく立ち止まったままやったんやろう、気付いたら高橋さんが覗き込んどった。

「あ、ごめんなさい、…おやすみなさい!」

逃げるようにして慌てて階段を駆け上ったけど、明らかに変やと思われたろうなぁ…。


2階の廊下で何度か深呼吸して気持ちを落ち着けてから、
割り当てられた自分の寝室のドアを開けた。

「…失礼しまーす…」

電気も落とされていて、中ではジュンジュンとリンリン、そして久住さんの3人が寝ていた。
一番ドアに近い布団が、まだキレイにそのままで残っている。

部屋に戻った順番に奥から寝たんやろう、愛佳の隣には久住さんが寝ていた。
久住さんは愛佳の側に背中を向けていて、寝顔はこっちからは見えんかった。

愛佳はそっと布団の上に座って、3人の寝姿を見つめる。
3人とも静かに寝息を立てとったから、愛佳も静かに布団に潜った。


―――目を閉じてみても、どうしても眠れんかった。
仰向けになっても、うつぶせになっても、右を向いてもダメやった。
最後に左向きになると…、久住さんの背中が見えた。

愛佳は、さっき視えてしまったビジョンを思い返した。
そこにいたのは、久住さんやった。
久住さんやったけど、いつもと違うような久住さんやった。

そんな久住さんに、愛佳は声を掛けようとしたんやけど―――


愛佳は、物音を立てんように起き上がった。
そして3人を起こさんように、部屋から廊下に出た。
隣の部屋ももう電気が消えている。高橋さんと新垣さん以外は寝ているんやろう。

愛佳は1階に降りて、2人のいる店舗フロアを通らず、裏口から外に出た。


少し肌寒いと感じたけど、軽く走ってみたらそんなことは感じなくなった。
思いつくままに向かった先は、街を見渡せる丘の上。
前に、亀井さんがお気に入りの場所やって言っとったところやった。

空は、キレイに晴れている。
丘から見える街の家並みは、月の明かりに照らされて何だか幻想的。
見上げると満月が高く昇っていた、

「…そいや、今日はお月見やったんやっけ…」

その場に腰掛けて空を眺める。
信じられんくらい、月が明るかった。
丘には街灯なんてほとんどないけど、そんなもんはいらんとさえ思えた。

夜空にぽつんと浮かぶ月の光を浴びていると、
胸の奥が痛くなって、目の奥が熱くなって、涙がこぼれてくる。

「…なんで、なんであんなビジョン視えたんやろ…」

ありえん。
それ以前に、考えたこともなかった。考えようとしたこともなかった。
それだけに、こんなビジョンが視えてしまったら、
いやでもそんな未来を考えてしまうことになる。

「…いやや、そんな未来、絶対来んでええ…」

愛佳は抱えた膝に目を押しつけて、考えを振り払うように頭を振った。



 久住さんは、無言やった。

 愛佳に背中を向けて、どこか遠くへ行こうとしてはった。

 止めようとしたのに、身体は動かんし、

 声も出すことができんかった。

 遠く見えなくなってく久住さんを、

 その場で涙を流しながら見てることしかできなくて、

 何もかも尽き果てて、崩れ落ちていく自分が視えた。



「見ーつけたっ」
「ひゃあっ!!!!」

誰もいないはずの丘の上で、愛佳以外の声がした。
それだけでもビックリなのに、ありえん人の声がしたことがホンマビビった。
静かなこの場所で、自分の心臓のバクバクが響いてそうなくらいにうるさい。

愛佳の後ろ。
ありえん声が誰のモノかなんてそんなことは一発でわかっとる。
けど、あなたは確かに寝てはったやん。
そんな人が、なんで元気にこんなところに来てるん?

愛佳は、もしかしたら幻聴かもしれんって思いながらおそるおそる振り返ってみた。

…そしたら、もうホンマ当たり前みたいにそこに立ってる久住さんがいた。

泣いてたことを思い出して、慌てて元の通りに前を向いたら、
久住さんが近づいてきたらしくて、サクサクと地面を踏む音が聞こえてきた。

「…なんで、ここにいるってわかったんですか」

我ながら、ぶっきらぼうな聞き方をしたと思う。

眠れなかったのは、あなたのことを考えていたからで。
ひとりになりたかったのも、あなたのことを考えていたからで。
いつもの公園じゃなくて丘を選んだのは、あなたに見つかりたくなかったからで。


久住さんはなかなか答えてくれへんまま、愛佳の隣に腰掛けた。
言葉の代わりに肩から服を掛けられて、見てみるとそれは愛佳のパーカーやった。

「みっつぃ、いなくなってからずーっと帰ってこないんだもん。
 それに、上着も着ていかないで出てっちゃうし」

風邪引くよー、なんて、久住さんは言うけれど。
愛佳の頭の中はそれどころじゃなくて。

「…それって、愛佳が出てったのに気付いてたんですか?」

ちらりと横を見ると、久住さんは小さく微笑んどった。
違う違う、と、軽く首を振ってから、こう答えてくれた。

「みっつぃが出てったのは知らなかったけど。
 小春のこと、呼んだでしょ? そういう声が聞こえたから」

 なんか目が覚めて横を見たら、隣には誰もいないし。
 でもパーカーが置いてあるから、みっつぃ一度は戻ってきたんだなぁって。
 でも、しばらく経っても戻ってこないから、もしかしたらって。

「そしたら、丘の上にたどり着いていましたー」

おどけて両手を広げる久住さんを、愛佳はぽかんとしながら見ていた。

なんで?
なんで、もしかしたらくらいで、ここまでたどり着けるん?


「みっつぃ、知ってる?」

久住さんは、空を見上げながら愛佳に問いかける。

「リゾナンターってね、すごいんだよ」

脈絡の全然ないような唐突な言葉に、愛佳は戸惑った。
けど、太陽のようにニコッと笑う久住さんに、目が釘付けになる、
そして自分の左胸に手を当てて、そっと目を閉じた久住さんは続けた。

「“共鳴”ってね、リゾナンターの仲間がどこにいても、
 どんなに隠れようとしていても、ちゃーんと見つけられるんだよ」
「共鳴…」
「それをね、ジュンジュンに教えてもらったんだ。
 キズナは、目じゃなくて心でつながるんだって」

ジュンジュンが久住さんにそんなことを言ったって姿が想像できへんけど。
でも、久住さんは大切そうに話してくれた。
きっと、久住さんの中で、ものすごく大事な出来事やったんやと思う。

「詳しくはわかんないけど、みっつぃが何かに不安がってるのは、小春にだってわかるよ」

気がつくと愛佳はあったかいものに包まれていて、
それが久住さんの腕だと気がつくまでには、なぜかちょっと時間がかかった。
ぐっと引き寄せられて倒れ込んだ久住さんの腕の中は、
信じられんくらい、あったかくて、やさしくて、心が落ち着くようやった。

「不安なことくらい、口に出したっていーんだよ」

久住さんに頭を撫でられて、涙がまたこぼれそうになる。
愛佳はパーカーの袖を握りしめて、両目に押し当てた。


秋の夜風がさらりと抜けて、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

あんなこと言われたって、久住さんがどっか行きそうになる未来視たなんてさすがに言えへん。

しかも、明日からは大事な戦いが待っとるっていうのに。
さっき教わった作戦は、もうキチンと頭に入ってるし、
その場で最高の動きをする準備だってカンペキにできとるけど。

…でも、こんな不安を抱えとって、果たして本当に大丈夫なんかって思う。
油断とか、雑念とか、そういうので失敗して、
愛佳の失敗が全員の失敗に結びついたりはせんのかって…

「久住さんは…」
「ん?」
「不安なこと、ないんですか?」

わけのわからん愛佳の質問に、久住さんは軽く笑っていた。
でも、それは決してバカにしたようなものじゃなくて、

「ないわけないじゃん、ありまくりだよ」

愛佳を、安心させてくれようとしてたんやと思う。

「小春だって作戦はきっちり頭に入れてるけど、
 でも、100パーセント絶対に思った通りになるとは限らないし、
 そういうときにちゃんと対応できるのかなって、そりゃ、不安だよ。
 でもさぁ」

久住さんの手は愛佳の手をぎゅっと握って、それから、月に向かって掲げた。

「小春には、信頼できる仲間がいるから大丈夫だって思えるんだ」


そのまま久住さんは月を指さしていて、
いつか見たようなまぁるい月を、愛佳も改めてじっと見てみた。

「これで3回目、だね」
「そーですね…」

この時期、満月を見るとちょっと切なくなる。
それは久住さんとの、ホントの意味での出逢いの日を思い出させて、
あの日に見た満月には、愛佳と久住さんが重ねた一年間が詰まっているようで、
だからこそ…

「また、同じ月を見れたらええなぁって思うんです」

愛佳は、想いを無意識のうちに言葉にしていた。
これから起こるダークネスとの戦いに、誰も傷つかない保証なんてない。
まだ視えない未来。そこに、みんなが立ってるのかなっていつも不安になる。

じりじりと胸が痛くなって思わず目を閉じる。
視える未来があるクセに、視たい未来が視えないことがもどかしい。

久住さんの指先は、トトトンと規則的なリズムで愛佳の腕の辺りを叩いていて、
そのリズムを感じながら、大きく息を吐き出した。

ずっとずっとずーっと、穏やかな時間が続けばええのに。
何かに怯えたりせんでもいいような、そんな未来が来ればええのに。

久住さんの膝の上に頭を載せたまま、愛佳は祈るようにして目を閉じた。
また一つ息を吐き出したあと、今度は大きく息を吸い込む。


「いーんだよ、また見れば」

突然響いた素っ頓狂な声に、愛佳はぱちりと目を開けた。
吸い込んだ息は吐き出されずに、愛佳の中で止まったままだ。

「来年も、再来年も、その先もずーっと、一緒に見ればいいんだよ。
 まんまるお月さまー、って、指さして」

ぷしゅ。知らず知らずのうちに息が漏れた。
身体を起こして顔を上げたら、月明かりを浴びた久住さんは笑顔やった。

「小春には、そんな楽しい未来しか見えませーん」

月に向かって両手を広げて、まるで月光からパワーをもらってるみたいやった。
ふふん、と愛佳に笑ってみせる久住さんは、なんだか頼もしい。

久住さんの考えてることは、愛佳にはようわからへんけど。
もしかしたら愛佳が漠然と抱えてた不安みたいなものに、気づいていてくれてたのかもしれん。
あえて言葉には出さなくても、久住さんはそういうことをしてくれる人。
いつだって明るく振る舞って、みんなに元気をくれるような、そういう人やから。

愛佳も、ちょっとしたことで下向いて、ウジウジしてるんやなくって、
ほんのちっちゃなことから夢を見つけて、しっかり前向いて歩いて行けるように。

「明日から、どうなるんかわかりませんけど」

だから、今から始めてみたいと思う。

「リゾナンターのみんなとなら、何でもうまくいきますもんね!」

精一杯、笑ってみせることを。


涙でグチャグチャな顔なんやから、笑おうと思ったってどうしても引きつってしまう。
でも、そんな愛佳を見て久住さんは満足そうに笑って、

「んじゃ、帰ろっかー」

と、愛佳の肩をぽんぽんと叩いてから、スタッと立ち上がってもう歩き始めとった。

「ちょっと、久住さん…!」

慌てて呼びかけた愛佳の声は聞こえてるのか聞こえてないのか、
ゆっくりとした歩調だったけど、振り返ることもせんで丘を降りていこうとしてた。

その背中が、さっき視た予知のビジョンにビミョーに似ているから、
立ち上がった愛佳は妙に胸騒ぎみたいなもんがして、思わず心臓の辺りをおさえた。

当たり前やけど、このまま普通に追いかければ、久住さんの隣を歩ける。
明日、目が覚めれば久住さんは隣にいる。
でも、今の愛佳が求めてるのはそういうことやなくて、
今、この瞬間、久住さんがすぐ隣にいることやもん。

「あー、あー」

ビジョンとは違う。
今の愛佳は、キチンと声も出せる。発声練習はカンペキ。

―――あんな未来は、変えなアカン。
いつもと違うことをしてやろう。それが、きっと「違う未来」への第一歩。


「―――小春っ!」

だから試しに、初めて久住さんを名前で呼んでみた。
今度こそ振り返った久住さんは、もちろん驚いた顔をしとった。

いつか、もっともっと仲良くなって、心を通わせられたらそう呼ぶんやって、
愛佳は心の中では何度も何度も呼んでみてはいたけれど。

ぽかんとした顔で愛佳を見つめている久住さんは何にも言わなくって、
愛佳も、勢いで呼んでみたわりにはどーしたらいいのかわからんくなって、
でも、とっさに思いついた口実は、見事に明るい未来につながるような気がしたから、
愛佳は笑って、久住さんを指さして、こう言ってみせた。

「―――って、名前呼べるようになるまでは、久住さんを離さへんで」

久住さんは二、三秒固まってから、そのうち同じように笑って応えてくれた。

「何それ、まるで小春がどっか行っちゃうみたいじゃん」

当たり前やけど、久住さんにあんな未来は見えていない。
今は愛佳だけが視てしまった未来。でもそれは、まだ不確かなものやから。

数歩歩いて久住さんの隣に追いつくと、またちょっと不思議そうな顔をしとった。

「じゃあ、小春もそのうち、名前で呼べるようになればいいのかな」
「今すぐ呼べるようになってくださいよー」
「じゃあ、みっつぃも“小春”って呼んでくれなきゃ」
「久住さんがどこも行かへんって約束してくれるなら、ちっとはがんばります」
「えー、何それー」


変なことやとは自分でも思う。
なんで、同い年の久住さんを「久住さん」としか呼べへんのか。
今となっては、そんな壁のある人とも思ってへんし。

よくわからんけど、もうその方が呼び慣れちゃったというか、
それでもいいやって思うことも多くなってるんやけど。
でも本当は、いつかもっともっと仲良くなって、
やっぱり、名前で呼び合えたらええなって、ちょっとどこかでは思ってる。

久住さんの見てる未来には、そんな場面はあるのかな?


「明日の朝、早いですもんね」
「そーだった。小春、起きれるかなー」
「ちゃんと目覚まし掛けてくださいよ?」
「だいじょーぶ!
 小春には、“愛佳目覚まし時計”があるもんねー」
「えっ、ちょっ…!」

夜道を走り出した久住さんを、すぐには追いかけられんかった。
久住さんは、確かに今、“愛佳”って―――

「ほらみっつぃー! 早くー!
 月に向かってダッシュだーっ!」
「…久住さん、今は夜中ですってば」

夜中だっていうのに大きな声出して人のこと呼んでみせるわ、
初めて人のこと名前で呼んだかと思えば、次の瞬間いつも通りにあだ名で呼んだり、
月に向かってダッシュとか、どこの青春マンガなんですか!


…ホンマ、あなたは自由すぎる人。
でも、その自由なところに、愛佳はいつも救われてるんやで?
久住さん、そんなこともちっとも気付いてへんと思うけど。


呼んだ、とはいえないような“アイカ”というその音から、
ボンヤリと曖昧だけど、なんだか未来が視えたような気がする。

いや、もしかしたらそれはただの妄想なのかもしれない。
訪れる未来は違った形で、愛佳の思うものではないかもしれん。

それでも、愛佳は今は曖昧なこの未来への道を大切にしたいと思う。
未来は、変えられるかもしれないから。

あなたの名前を飽きるほど呼べるような、そんな楽しい未来を目指して。


「…明日から、がんばりま…、がんばろーね、」

こはる。

そう、堂々と呼べるような日が来るように祈りながら。
愛佳は、ずいずいと先を行ってしまう久住さんを追いかけた。



最終更新:2014年01月18日 11:43