机の上に広げられた数々のメモを二人で睨んでいたら、
微かな物音が聞こえたような気がして、あたしは思わず顔を上げた。
向かい側に座る愛ちゃんは気にする風でもなく、変わらずにメモにペンを走らせている。
「ね、愛ちゃん、今」
「ん?」
「裏口から誰か出てったみたいだけど」
本人は音を立てないように静かに出て行ったみたいだったけど、
他のメンバーが寝静まった静かな深夜の今なら、小さな物音すら大きく聞こえる。
愛ちゃんは一気にメモの中身を仕上げるように手を動かしたあと、
「みっつぃやろ、間違いなく」
そう言いながら大きく伸びをした。
「え? みっつぃが?
ってか、愛ちゃん聞こえてたの?」
「んまぁ、あー誰か出てったなーくらいは思ったけど」
腕のストレッチなんかしながらのんびりと答える愛ちゃんに、
あたしは少なくとも焦りみたいなモノを感じていた。
だって、明日は大事な作戦の実行日。朝も早い。
あの子が一人で外に出て行くくらいに何か考えてるなら、話を聞いてあげるべきじゃない?
「ね、追いかけないと」
「いや、ええってええって」
ガタンと椅子を鳴らして立ち上がりかけたあたしに、愛ちゃんは手で座るように促した。
「…あの子な、何か視えたみたいやから」
「え?」
「さっきな、突然動き止めてぼーっとしとったから。
たぶん、なんか視ちゃったんやろ。
明日のことじゃない、ちょっと違う世界」
愛ちゃんは静かに立ち上がってカウンターの中へと回る。
「ちょっと休憩しよっか。頭、使いすぎちゃったしな」
そう言って紅茶の葉を蒸らし始める。
あたしは、それでもなんだか納得がいかない。
もちろん、みっつぃはちゃんとやってくれる子だって思ってるけど、
一人で抱え込むようなことがあるなら、明日の作戦にだって影響が出るかもしれない。
頬杖をつきながら紅茶を入れる愛ちゃんを眺めていると、
愛ちゃんはそんなあたしに気付いて、ちょっと吹き出すように笑った。
「だーいじょぶやって、そんな顔せんでも。
ちゃんとな、あの子はキチンと解決して戻ってくるって」
テーブルの上に二つのマグカップが並ぶ。
この時期、さすがに夜中は冷える。
一口飲むと、身体の中で固まったものがほぐれていくようで…
「たぶん、あとちょっとしたらまた誰か出ていくと思うで」
愛ちゃんの言葉に、思わず動きを止める。
数秒おいて、今度は遠慮のない大きさでドアの閉まる音がした。
「ま、あの子が何とかしてくれるやろ」
>> >> >> >> >> >> >> >>
隣の布団ががさがさと動く音で、何となく目が覚めた。
小春の向いた方にはジュンジュンとリンリンが眠ってる。
ということは、後ろから聞こえてくるこの音はみっつぃか。
いつ戻ってきたんだろう? そういえば、今、何時なんだろう。
何となく起きてることがバレたくなくて、そのままの向きでじっとしていると、
みっつぃは静かに静かにドアを開けて、部屋を出て行ってしまったみたいだった。
「…?」
小春はぐるりと寝返りをうって向きを変えると、主のいない枕元にパーカーを見つけた。
上着を着ないってことは、たぶんトイレに行ったとかそんなもんだろう。
小春は仰向けになって、天井をぼけっと見つめた。
明日から何が始まるんだろう。
経験したことのない戦いって、いったいどんなことなんだろう?
自分ができることをすればいい。ただ、それだけなんだけど。
でも、できて当たり前のことができなかったことなんて、今までにも何度もある。
もし、作戦の中で、小春が失敗しちゃったら?
―――そう考えただけで恐ろしくなって、小春は思わず起き上がった。
部屋の中は相変わらず二人が静かに寝ていて、そして小春の右側は空いたまま。
みっつぃ、まだ帰ってこないの?
けっこう時間は経ってるような気がするけど。
小春は手を伸ばしてみっつぃのパーカーを手に取った。
きっちりとたたまれていて、几帳面だなぁと何となく思う。
…そういえば作戦会議が終わったあと、みっつぃはなんか考えすぎてるって言ってたっけ。
未来を視るだなんて、小春には想像もつかないような途方もない能力に、
きっと、みんなが期待しちゃってるんだと思う。小春も、もちろんその一人。
パーカーに、そっと耳を近づけてみる。
さっきまでみっつぃを包んでたキミは、何か知ってる?
ぎゅっと抱きしめるようにしていると、微かに声がしたような気がした。
『―――ねぇ、久住さん―――』
小春は耳を澄ます。そして心を研ぎ澄まして、声のした方を探す。
部屋の中とか、家の中とか、そういう近くじゃないけど。
でも、小春にはだんだんわかってきた。声のするところ、みっつぃのいるところ。
「…上着も着ないでそんなとこ行ったら、まず風邪引いちゃうじゃん」
丘の上なんて、珍しいところを選んだんだね。
何かを見上げていたその瞳には、いったい何が映ってるの?
部屋を抜け出し階段を下り、飛び出した玄関から見上げた空には、
街並みを明るく照らすまんまるの月が光っていた。
丘ならちょっとは月に近いもんね。
月の明るさを、美しさを教えてくれたみっつぃらしい、場所のチョイスかもしれない。
“久住さん”と呼び続けてる声が、耳じゃなくて心に響いてる。
小春は、今すぐそれに応えよう。待っててね、すぐ行くから。
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「…ったくあの子は、みんな寝てるってば」
ガキさんはドアの音のした玄関の方を睨みながらブツブツと文句を言っとる。
ま、ドア閉める音に構わないとこは、どこまでも真っ直ぐな小春らしいっちゅーか。
「そういえばあの二人、同い年なんだもんね」
「ん?」
「ほら、みっつぃがまだ“久住さん”って呼んでるし、“ですます”だし」
「あ、そういやそやな」
言われてみれば確かにそうやけど、なんか、あんまり気にもしてなかった。
それはそれで二人らしい感じって気がしてたから。
「でもみっつぃが『小春! ちょっと早よ来ぃや!』なんて言ってたら笑っちゃうね」
「ひゃひゃ、そんなんみっつぃらしくない感じやな」
けど、あーしはちょっとだけ知っとる。
ホントは、『小春』って呼んでみたいんやって。
聞くつもりもなかったけど、ある日みっつぃの心の声が流れ込んできた。
全然表には出さなくても、実はずーっと持ってる願望なんだろう。
そうじゃなきゃ、いくらあーしにでも聞こえてなんかこない。
「けど、未来なんて思ってもない方向に行ったりもするしなぁ」
残り少なくなった紅茶をスプーンでくるりとかき回す。
ガキさんは少しだけギョッとした顔をして、それから呆れたようにため息をついた。
「もー。こんな時にドキッとすること言わないでくれる?」
ティースプーンでマグカップの縁を軽く叩く。
たぶん、5秒もしないうちに『愛ちゃん、行儀悪い』って怒られるんやろう。
そんな平和な未来なら、視たりせんでも見えるもんやけど。
明日と、その先に、どんな未来が待っているのかなんてわからん。
みっつぃが視た未来ですら、起こりうる必然の未来とはまだ言えない。
「―――けどなガキさん、未来は、きっと自分たちでも作れるんやで?」
そのためにあーしらは戦う。未知なる未来へ希望を抱いて。
窓から見える夜空を指差す。
つられて夜空を見上げたガキさんは、あーしの指さす方を見て感嘆のため息を漏らした。
「すっご…キレイだね」
「な、まんまるやし、明るいし」
夜空に浮かぶ満月が、見えない未来に見えた扉のようで。
あーしらの進む道は、決して暗くなんてない。だから、自信を持って進もう。
「あの二人もきっと、この月を眺めてるんだね」
ガキさんは、何かを包み込むように柔らかく微笑んだ。
そういえばガキさんのこの笑顔、久々に見たような気がする。
みんな見えない不安に震えていたんやろう。自覚はないけど、たぶん、あーしも。
「さ、もーすぐあいつらも帰ってくるやろ」
身体を冷やしても、きっとあったかいものに包まれて帰ってくるだろう二人を、
特製のハチミツ入りホットミルクでお出迎えしてあげよう。
あーしらにも、自分でおすそ分け。作戦会議、もうちょっとがんばろっか。
最終更新:2014年01月18日 11:49