(35)225 『ヴァリアントハンター外伝(7)』



「久しぶり……って言ってるんだけど、無視?」
「あ、いや、後藤さ……貴女、生きて――」
「ん? や、アンタに言ったわけじゃないんだけど」

凍りついたように動けなかった高橋が、我に返って発した言葉を、しかし彼女はただ一言で斬り捨てた。
なぜだ。
後藤真希生存の可能性については、先日の中澤と紺野による説明から理解できる。
だが高橋愛は後藤真希の弟子だったはずではないのか。
それに、声をかけたのが高橋に対してではないとすれば、必定それは、

「れいな。アンタに言ってるんだけど?」

聞きなれない声が、だが、れいなの胸の奥から郷愁を引き出した。
声は確かに聞きなれない。
彼女の容姿も肉眼でじかに見るのは初めてだ。
しかしこれは。この感覚は。

「ま、待ってください後藤さん! 一体いままでどこに、いやそれより――」
「っさいなぁ。アンタに用はないって言ってんでしょうが」

刹那、高橋に向けられたのは殺意をともなう氷の一瞥だった。
ブリザードを浴びたかのように、高橋の全身が強張るのがわかった。
"脅威"の右腕が無造作に振りあがる。

「危ないッ!」

かばうように踊り出たのは咄嗟の判断だった。
直後に、その行動は正解だったと思い知る。
高橋に向けられた"脅威"の掌を中心に景色が、空間が捻じれ、渦を巻き、放たれたのだ。
地面と平行に走るいかずちとでも表現すれば良いだろうか。
雷鳴が轟き、破壊の奔流は地面を派手に蹂躙し、余波だけで背後にあったビルを二棟倒壊させた。
無事だったのはれいなの周辺約一メートルの範囲と、余波からもまぬがれた背後の地面数十メートルだけだ。


「ふぅん。けっこー適当にやったんだけど。詠唱もないのにたいした威力ね、超能力」

"脅威"はその光景にたいした動揺も見せず、ただ自分の掌を見つめて感心したような声を上げている。
彼女の言葉に、周囲の惨状から意識をそらさざるを得なかったのはれいなも同様だった。
「詠唱」という超能力者が使うはずもない単語。
加えて、まだ超能力の威力について深く知らないかのような彼女の口調。
嫌な予感がする。
同時に、彼女が"後藤真希"の姿をした"別の誰か"であることも理解した。

「なん、や、これ……。こんなん、昔の後藤さんだってそう簡単には――」
「……高橋さん、上のハンターさんも連れてできるだけ遠くに避難してください。
 アレは後藤真希さんなんかじゃない」
「後藤さんやないって、じゃあ一体」
「アレは、アレは――」

――魔術師、です。
回答をそう濁したのは、無意識がそれを認めることを拒んだからだろう。
超能力者の彼女にとっては寝耳に水の回答ではあったのだろうが、
れいなの口調に鬼気迫るものを感じたのか、高橋は言われるまま瞬間移動で姿を消した。
先にこの機体の威力を見せたのは正解だったのかもしれない。
あの"脅威"としょせん人間の延長線上にいる超能力者では、
そもそも生物学的に規格が違いすぎる。

「お。空気読めんじゃんあのコ。改めて久しぶり、れいな。
 じゃあまあ早速だけど、どんくらい腕上げたか見てあげる」

彼女はにこやかにそう言って、腰のベルトに提げた白い拵えの日本刀を一息に抜き放った。
鯉口を切る動作。鞘も持つ角度。抜き放った刀身を保持する姿勢。
その一連の動作だけで、予感がひとつひとつ確信に塗りつぶされていく。
応じるように、れいなもウェポンラックから取り出した刀を正眼に構えた。


「あ、そだ。ついでにこの身体の調子も見ておかないと」

思いついた調子で言うと、彼女は傍らにあったマンホールの蓋を念動力で目の高さまで持ち上げた。
滞空し、くるくると回転するそれを彼女は満足げに見つめる。
次いで、氷のような視線がれいなを貫いた。
ああ、やはりこの感覚は――。

「んじゃー、ピッチャー第一球、投げますッ!」

刀を握った右手を彼女が振るうと、
その動作に呼応するかのようなタイミングで中空の蓋が轟きを残して掻き消えた。
音速を超えた速度で迫る、もはや刃物と化した回転する凶器。
れいなは視認すらできないそれをこともなげに刀の柄頭で地面に叩きつけ、八極拳の震脚の要領で踏み砕く。

「お、さすが。お見事」

なぜ念動力の調子を確認するのに先ほどのような直接攻撃ではなく、
マンホールの蓋を操って投げるという間接攻撃を選択したのか。
それはおそらく彼女が、――れいなの"能力殺し(スキルキリング)"について熟知しているからだ。

「じゃ、次」

念動力による補助があるのか、彼女は瞬間移動と見まがうような速度で肉迫してくる。
柄を握る腕を顔の右横に置いた構えから、神速の一太刀が浴びせられる。
示現流、蜻蛉(とんぼ)の構えから放たれる初太刀は二の太刀要らずの一撃必殺。
超能力――否、魔力の補助を受けた彼女のそれは極意、雲耀(うんよう)の域に達している。
切先はれいなの腕、間接部に照準されていた。
防弾繊維は防刃機能までは備えていないものだ。
まともに受ければ容易に断ち斬られることは間違いない。


だが、すでにれいなは身体に染みついた足捌きで移動、刀を右肩の上に廻し、相手の初太刀を抜いている。
右肩の太刀に遠心力を加えてそのまま廻し、さらに肩を入れて返しの一撃を放つ。
柳生新陰流は三学円の太刀がひとつ、斬釘截鉄(ざんていせってつ)。
示現流を先の先を制する必殺の殺人剣とするなら、柳生新陰流は後の先を制す転(まろばし)の活人剣。
スーツによって膂力、スピードを増したれいなの斬撃を回避することは不可能。
かと言って刀で受ければ、切先の単分子層は容赦なく相手の刀を裁断するだろう。
今の一合は完全にれいなの斬釘截鉄が制したと見える。

「へぇ。上げてんじゃん、腕」

しかしそれはあくまで、――常人の域での話。
彼女は不敵にも微笑むと、れいなの斬撃を刀の側面で撃ち、流した。
パワードスーツの豪腕に振るわれたそれを、
まして必殺の一撃を外された姿勢から瞬時に流すなど、尋常ではない。
距離とスーツの膂力を考えれば、銃弾の軌道をそらすような神業だ。
しかも、この至近距離はれいなの"能力殺し"の有効範囲内。
すなわち彼女は超能力や魔力に頼らず、純粋な個人の技量と膂力でそれを成したことになる。
やはり彼女は、もはや人間などではないのだ。

「ほら、驚いてる暇なんかない、よッ!」

左右から八の字を描くような廻し撃ちが次々とれいなを襲う。
これは柳生新陰流の勢法。
彼女もこの流派の技を使いこなしている。
当然だ。れいなに最初にこの勢法を教えたのは誰あろう、――彼女自身なのだから。


れいなは常道を無視し、繰り出される撃ち込みをあえて刃部で受けにかかる。
刃部で受けさえすればそれだけで彼女の刀を裁断できるのだ。
だが、彼女はたくみに手首をひねり、先と同じように刀の側面、
鎬(しのぎ)を使ってれいなの刀身側面を撃ちすえてそれを防ぐ。
れいなの撃ち込みに対しても、同様に鎬をぶつけて斬撃は流される。
結果、二人の斬り合いはまさに"鎬を削る"の語源にふさわしい激烈な真剣勝負の様相を呈していた。

十合。二十合。
斬り結ぶたび、剣戟は無人のビル街に鳴り響く。
懐かしい。
時折浴びせられる指導的な罵声。
もう何度見たかわからない、様々な古流剣術を修めた彼女特有の変幻自在の太刀筋。
それらがあまりにも懐かしい。
やはり、そうなのだ。
たとえ後藤真希の姿をしていようと。
目の前の彼女は、まがいなく――。


「アハハッ! やば、ミキ相当愉しいかも! そろそろこういうのも混ぜていこうか!」

彼女が距離を取り、空に掌を向け、何か異国の言語を早口に紡ぐ。
網膜に表示された周囲の気温が、氷点下近くまで下がっている。
同時に湿度も異様に下がり、空気中の水分が何処かで消費されていると知る。
気がつけば、れいなを中心に巨大な氷の柱が何本も地面から生えていた。
見間違えようのない、これは"氷結"の魔術。
彼女は地を蹴り、柱を蹴り、れいなを撹乱するように周囲を跳び回りつつ、斬撃を浴びせてくる。
それらを半ば無意識に受け流し、れいなはスーツの中で涙をこぼした。

「美貴ねえ……。」

眼前で哄笑を発するヴァリアントでも人間でもない、後藤真希の姿をした彼女は、
れいなが捜し求めていた実姉、藤本美貴以外の何者でもなかった。
それを確信した瞬間、内部電源の活動限界を告げる機械的な電子音が内耳を木霊した。



最終更新:2014年01月18日 11:50