(35)281 『Lonely virtual “IMAGE”』



「ほんまになんも持ってかんでいいっちゃろか?」
「うーん……多分」

月明かりと街灯に照らし出された心配げな顔を向ける田中れいなに、高橋愛は自信のなさそうなうなずきを返した。

「ガキさんが『だからぁ!こんな時間にお見舞い品が増えてたらマズいでしょーが!』って怒っとったし」
「あはは!なんか訛っとーガキさんやんソレ。全然迫力がないっちゃん」


喫茶「リゾナント」の閉店間際、短期間の検査入院をしているという亀井絵里のところに今からお見舞いに行くと突然言い出したのは愛だった。
そして、「愛ちゃん、一応聞くけど面会できる時間が決まってるのは…知ってるよね?」と訊ねたのはカウンター席にいた新垣里沙だった。

案の定、「リゾナント」閉店後にはとっくに終わっている面会時間のことなど思考の外だった愛に、里沙は深いため息を返した。
続けて、ガッカリしたような顔をする愛に「もうちょっと常識というものを身につけてよ」と里沙は呆れ半分に説教した。
だが、「まさかとは思うけど瞬間移動でお見舞いに行くとか言わないでよ?」と冗談で付け足したのが里沙の失敗だった。

「そっか、その手があるやん!」と顔を輝かせた愛には、もはや里沙の言葉はまったく届かなかった。
「れいなも行きたい!」と騒ぎ出した同居人も同様だった。
「せめてお見舞いに行くことメールしときなよ?」と、遂に諦めた里沙を再び怒らせたのが、れいなの「お見舞い品は何がいいとやろか」の一言であった。


「おっきな病院に誰かのお見舞いに行くのなんて初めてやからなんか緊張する」
「そうなん?…ってれいなもお見舞いなんてしたことないとやけど」

地図を頼りに病院への夜道を歩きながら、愛とれいなは互いに照れ笑いのようなものを浮かべた。

最初の頃は警戒の色を隠さなかった絵里だったが、出逢って数ヶ月が経つ今では道重さゆみと共にすっかり馴染んで心からの笑顔を見せるようになっている。
先ほど送ったメールの返信にも、とぼけた文章ながら見舞いに来てもらえる喜びが滲んでいた。

それもあってか、「直接リゾナントから病室へ“飛ぶ”のはあまりに味気ない」と主張しだしたれいなに、里沙はもう異論を差し挟もうとはしなかった。
ただ一言、「お願いだから騒ぎにはならないようにしてね」というため息混じりの言葉を送っただけで。


その際の里沙の表情や、絵里のメールの文章を思い出しながら、愛は知らず笑みを浮かべていた。
その表情のまま、ひんやりとした夜気の中で煌々と光を放つ空の月を見上げる。

“仲間”のお見舞いに、“仲間”と肩を並べて、“仲間”に送り出されて向かっている自分――

少し前まではそんな自分の姿など想像したこともなかった。
自分は独りで自分の運命と戦っていかなければならないと思い込んでいたから。

思えば、こんな風に意識して月を見上げたこともなかった。
夜道を照らしてくれる明るい月の存在に、気付いていなかったからかもしれない。

そして――同時にそれが本当の“孤独”ということなのかもしれないと愛は思う。
どんなに淋しさに押し潰されそうになっているときでも、人はきっと本当は独りきりではないのだ。
自らが知らない間にそう思い込んでしまっているだけで。
この優しく降り注いでいる月の光に気付けないが故に、人は深い孤独の闇に呑みこまれてしまうことになるのではないだろうか―――


「―――っ!?」


そのとき―――
不意に胸のうちに響いた“声”に愛は歩みを止めた。

「…愛ちゃん?どうしよったと?」
「ゴメンれいな、ちょっと一緒に来て」
「へっ?」

返事を待たずしてれいなの腕が掴まれる。
次の瞬間、夜道は無数の淡い光の粒子によって照らし出され――そしてすぐに元の静けさを取り戻した。

    *    *    *


愛とれいなが“飛”んだ先は、先ほどまでと同様薄闇の中にあった。
月明かりと街灯の光に、ぼんやりといくつかの大小の影が浮かび上がっている。

「ここは…?どっかで見たことあるっちゃね……あぁ!あの公園やん」

しばらく辺りを見回して場所を把握したらしいれいなは、次いで愛の顔にその視線を動かした。

「なあ、愛ちゃん何でまた急に……ん?あれって……うそやん!」

だが、その瞳は再び前方へと戻り、驚きに見開かれた。
その視線の先、10数メートル前方の街灯の下に一人の少女が立っている。
れいなに驚きの声を上げさせたのはその少女のようだった。

「あの子のこと知ってるん?れいなの知り合い?」
「は?愛ちゃんまさか知らんと?久住小春やって!テレビに出とーやん!」
「久住小春…?…ああ、そっか」

なるほど言われてみれば確かに画面越しに見たことがある横顔だと、愛は改めて少女の方に視線を注いだ。

久住小春――歌手で、モデルで、タレントで……
大スターとはまだまだ到底呼べないが、幅広い活動でその落ち着きある美貌と明るいキャラクターをお茶の間に浸透させ始めている。
15歳かそこらの年齢の割に大人びた受け答えをする小春の姿は、愛も印象に残っていた。
だが―――愛には今目の前にある少女の姿は、四角く切り取られた世界のそれとはまったく違って見えた。

背筋の伸びた、自信に溢れた堂々とした立ち姿。
そこから発せられる、誰をもたじろがせるような毅然としたオーラ。

それらは確かにテレビで見たまま…いや、それ以上かもしれない。
しかし、愛へと届く“声”はそれらをも圧して切なく響き渡っていた。

それ故に――愛の目には、孤独の闇に捕らわれて絶望する一人の哀しい少女の姿がただ映し出されていた。


話し声が聞こえたらしく、ふと小春は微かに首だけ動かして愛とれいなを一瞥した。
だが、その視線はすぐに離れて、2人を無視するかのように反対側を向く。

「なんか…テレビと違って感じ悪いっちゃね。やっぱ芸能人なんてみんなそんなもんっちゃろか」

その態度と、こちらに視線を向けた際に小春が浮かべた不快そうな表情に、れいなが憮然とした顔で呟く。
それに対し、愛は曖昧な笑みを浮かべて首を傾げた。

「……で、愛ちゃん。結局なんしにここ来たと?」
「うん、あの子の“声”が…―――っ!?」

れいなの問いに答えようとした愛は、唐突に言葉を切って空を仰いだ。
同時に、質問を投げかけたれいなも愛の答えを待たずして視線を上に向ける。
反射的にそうせざるをえないほどの圧迫感が上空から迫っていた。

「な……?人が……空飛んどー……?」

鋭く向けられたれいなの双眸が、次の瞬間驚きに見開かれた。

白く光る月を背景に、一人の人間がゆっくりと降下してくる。
逆光のため顔は闇に沈んでいるが、そのシルエットから女性であることは明らかだった。

月明かりを背負いながら徐々に大きくなるその姿は、それだけを取ればまるで月の女神が降臨しているかのように幻想的だ。
だが、愛もれいなもそうは感じなかった。


   ――― 悪魔 ―――


その言葉があまりにもピタリと当てはまっていた。


呆然と注がれる視線の中、「悪魔」は無造作に地面に降り立った。
薄明かりに照らし出されたその姿は、怖いくらいに端整な容貌と相まって凄みある美しさを放っている。

静寂の中、「悪魔」は愛とれいな、そして小春の方へと視線を往復させ不思議そうに軽く首を傾げる。
その仕草には、背筋がゾクリとするような艶やかさと愛嬌が同居していた。

「久住小春……ってどの人?」

「悪魔」の口から唐突に発せられたその緊張感のない声に、小春の肩がビクリと動くのが分かった。
自分たちにとってすら驚愕なのだから、小春にとってはそれどころの話ではないに違いない。
今さらながらそう気付いた愛は、小春の代わりに口を開こうとした。

「小春になんか用?っていうかあなた何者?」

だが、気遣うまでもなく、小春は平然とした表情で愛が口にしようとした質問を「悪魔」にぶつけた。

「んー?何者?まー名前は後藤真希っていうんだけどさ。でも何者かって聞かれると自分でもよく分かんないや」

屈託のない口調でそう言いながら、「悪魔」――後藤は小春の方に歩み寄った。
身構える小春の様子に頓着する様子もなく、後藤は歩きながら言葉を重ねる。

「とにかくさ、一緒に来てくれない?説明するのメンドウだし」
「……は?」

唐突すぎるその言葉に、さすがの小春も意表を突かれて立ち尽くした。
その体に、後藤の手が伸びる。

「愛ちゃ―――」

ただならぬその状況に理由のない焦燥感を覚えたれいなは、慌てて傍らを見遣る。
だが、そこには既に愛の姿はなかった。


「……この子をどこに連れて行く気?何が目的や」

突然目の前に光を伴なって現れ、小春を庇うようにしながら開口一番そう言った愛にも、後藤はさして驚きの色を見せなかった。
だが、それとはまた別種の色が目に宿る。

「…もしかしてさ、あんたって高橋愛?」
「……!?そやけど……あんたもあの組織の人か?」

愛の言葉に、後藤の口元が微かに吊り上がる。

「そっか、やっぱり。じゃあそっちは田中れいな…かな?」

やり取りの間に慌てて駆け寄ってきたれいなを振り返り、後藤は首を僅かに傾ける。

「あんたらしつこいっちゃ!けど誰が来たって一緒やけんね」

そう言いながら、れいなは挑むように後藤の目を真っ向から睨み返した。

「今日はその久住って子に用事があって来たんだけどさ、まさか愛ちゃんとれーなに会えるとは思わなかったよ」

だが、そのれいなの視線を意にも介さず、後藤は薄く微笑む。

「せっかくだからちょっと相手してよ?最近チカラ持て余して退屈してたんだよね」
「……理由もないのに戦えん」

身構えながらもキッパリとそう言う愛に、後藤はすっと笑顔を消した。

「ふーん、そっか。じゃあ……殺しちゃうよ?」
「!!!」

――次の瞬間、後藤の体は再び夜空へ舞い上がった。


「れーなはやる気出してくれたんだ」

数mの高さから3人を見下ろし、後藤は笑みを浮かべる。
その禍々しい笑みは、周囲の空気さえ奇妙に歪めているかのようだった。

「愛ちゃんに手を出す気なら容赦せんけん!」

先ほどまで後藤が立っていた位置で、空振りに終わった拳をさらに強く握りしめながら、れいなは上空を睨みつけた。
次いで視線を下ろすと、愛の後ろにいる小春に呼びかける。

「小春ちゃん、危ないけんあんたはあっちに逃げとって」

だが、小春から返ってきたのは思いがけない言葉だった。

「小春に指図しないでよ。それに初対面なのに馴れ馴れしいんですけど」
「な……れいなはあんたのためを思って―――」
「れいなっ――!!」

小春に食って掛かろうとした瞬間、半ば悲鳴に近い愛の声に続くように、強烈な力がれいなを襲った。

  /  /  /

「れいな!」

反射的に“飛”んだ先で、愛は再び必死にれいなの名前を呼んだ。
後方のコンクリート建造物にまともに叩きつけられたれいなは、意識こそあるようだが衝撃と痛みですぐには動けない様子だった。

(小春を連れてたから……)

そのとき、傍らから聞こえた小さな“声”に、愛は首を動かす。
そこには、唇を噛み締めながられいなの方に視線を注ぐ小春の姿があった。


――自分を助けなければ、愛はあの瞬間にれいなも連れて逃げられたはず。

瞬時にそれを悟っている小春の勘のよさに、愛は驚きを覚えた。
同時に、小春の心中に渦巻く様々な感情が流れ込んでくる。

 突然目の前で始まった出来事への戸惑い。
 助けてくれた愛への感謝。
 足手まといになっている自分への悔しさ。
 自分のせいで負傷したれいなへの申し訳なさと心配。
 そして、それらの感情を認めたくないという意地―――

だが、今はそんな小春の“声”にゆっくりと耳を傾けている余裕はなかった。
すぐにでもれいなの側に“飛”びたいところだったが、後藤のチカラの本質を見極めなければ小春も危険に巻き込むことになる。

斜め下から後藤を見上げながら、愛は思考をめぐらせた。

――念動力?でもそれともどこか違うような……

自らの体を宙に浮かせたまま、人一人を軽く吹き飛ばすそのチカラは脅威と言えた。
しかも、後藤はおそらくまだまるで本気を出してはいない。

それに「退屈しのぎ」といったようなことを言っていたが、その意図もまるで判断がつかなかった。
本来は小春に用があり、自分たちとは偶然会ったような言い方だったが―――

「結局こんなものかぁ……」

失望と腹立ちがない交ぜになったような声が降ってくる。
月を背にした後藤の表情には、どことなく哀しげな色も浮かんでいた。

「……どういう意味や」


その表情と言葉の意味を量りかね、愛は短く訊ねる。

「言葉どおりの意味だよ。噂の2人も期待ハズレだったな」

感情のない笑みを浮かべた表情に戻って淡々とそう言った後、ふと後藤の目が何かを思いついたような暗い光を湛えた。

「愛ちゃん。今さ、あたしを殺したいって思ってる?」
「なっ……?」
「だろうね。じゃ、もしさ、あたしがれーなを殺したら、あたしのこと殺したいって思ってくれる?」
「!!? 何を―――」

愛が驚愕の表情を浮かべたときには、すでに後藤のシルエットは闇空を滑るように移動していた。
その冷たい瞳は、ようやく体を起こしかけていたれいなの姿を映している。

「れいなっ!!逃げ―――!」

――全てはあっという間の出来事だった。

恐怖に彩られた愛の叫びが夜の公園に響き、ほぼ同時にれいなの小さな姿が建物内に飛び込む。
中空に浮かぶ後藤の片手が無造作に動き、周囲の空気が捩じれる。
その瞬間、愛は後藤のチカラの何たるかをようやく理解した。
だがもうそのときには、頑強なコンクリートの建造物は圧倒的な“G”によっていとも容易く押し潰され、瓦礫の山へとその姿を変えつつあった。

「……れいな?れいなっ!いやあぁぁっっ――!!」

コンクリートが崩れ落ちる絶望的な音の後に訪れた怖いくらいの静けさを、今度は愛の絶叫が破る。

自らの叫喚に引きずられるかのように、愛は頭の中が真っ赤に染まるような感覚に陥った。
思考が停止し、代わりに湧き上がってくる何かに突き動かされるように、愛はどこまでも暗い空を仰ぎ―――

――そのとき、誰かに腕を強く掴まれ、愛の意識はその肉体へと戻った。


我に返った愛の目に、やわらかな月明かりに照らされた小春の真っ直ぐな瞳が飛び込んできた。
掴まれた腕からは、小春の体温と微かな鼓動が伝わってくる。

それらを知覚すると同時に、愛は自らの中に生まれかけた“何か”が霧散するのを感じていた。

「………これでもダメなんだ。話になんないよ愛ちゃん。ほんとにガッカリ」

諦観したような、それでいて何かを諦めきれないような感情を含んだ声で、後藤は動こうとしない愛にそう吐き捨てるように言った。
その双眸には、複雑に混ざり合った感情が揺らめいていた。
だが、次の瞬間にはそれらの感情はきれいに消え去り、その両目は無関心に夜の闇を映すだけの透明なガラスとなる。

「なんかやる気なくしちゃったよ。もう帰るね」

口調も元の無気力なものに戻った後藤は呟くようにそう言うと、音もなく舞い上がり、漆黒の空に溶け込むようにその姿を消した。


    *    *    *


「れいなっ!お願い!返事して!れいなっ!」

後藤の姿が見えなくなると同時に愛は瓦礫の山に駆け寄り、悲痛な叫びを発した。

――生きてさえいてくれれば、まだ何とかなるかもしれない

祈るような思いで必死に瓦礫を掻き分けようとする愛の腕を、再び小春の手が掴んだ。
次いで、冷たく静かな言葉がその口から発せられる。

「そんなこと、するだけ無駄ですよ」

「そんなことない!」と言いかけた愛は、口を半分開いたままで固まった。


「な、なんで……?」

数瞬の間固まっていた愛の唇の間から、安堵と混乱が混ざり合った声が漏れる。

「痛ぅ……」

その視線の先、腕を掴む小春の背後で肩のあたりを押さえながら顔をしかめて立ち上がろうとしているのは、瓦礫に埋まったはずのれいなだった。

「れいな!なんで生きとるん!?」

自分でも何を言っているか分からないままにそう叫ぶと、愛はようやく立ち上がったれいなに夢中で駆け寄った。
そしてその体を思いきり抱きしめる。

「!!っっぁあ゛―――愛ちゃん!痛い!バリ痛いっちゃん!死ぬ!」
「あ、ご、ごめん」

間違いなくれいなの無事な姿がそこに在るのをやっと信じることができ、慌てて体を離しながらも愛は笑みを浮かべる。

「“念写”――小春の能力だよ。やっぱり他にもいたんだね、小春みたいな人」

そのとき背後から聞こえた声に、「やはり」という思いを抱きながら愛は振り返った。

“声”が聞こえてきた時点で予感はしていた。
これまでの“仲間”との出逢いと同じものを感じたからこそ、愛はここへ“飛”んできたのだから。

「念写……そっか、それでれいなの虚像を映し出してあいつを騙してくれたんか」

建物の中に逃げ込んだれいなの姿は、小春の念写によるものだったのだと愛はようやく知った。
本物のれいなは、おそらくこちらも念写でカモフラージュされていたのだろう。
誰もが身をすくませるであろうあの場面で、小春は後藤が愛と会話しているその一瞬の間にそれを思いつき、逡巡なく行動に移したのだ。
その咄嗟の機転と行動力、そしてそれについていける能力の高さに、愛は感謝と驚きを込めて嘆息した。


「ありがとう。本当に……何て言って感謝していいか分からん。ほんとありがとう」

小春の機転と勇気と、何よりもその根底にある優しい心に、愛は深々と頭を下げて礼を言った。
れいなもやや不本意そうにしながらも小春に礼を言う。

「別にお礼を言われるようなことじゃないですよ」

だが、小春はニコリともせず無愛想にそう返した。

「でも借りができたんは確かやけん」
「別に貸しだと思ってませんけど?そっちが小春に何かを返せるとも思えないし」

助けられた事実の手前もあって下手に出ていたれいなも、その暴言にはさすがに我慢ができなくなったようだった。

「はぁ?いちいちムカつく言い方するヤツやね!」
「だって大体もう会うこともないじゃん?」

だが、そう静かに言い放つ小春に、れいなは言葉を詰まらせた。

――言われてみれば、確かに小春とこの先会う機会などもうないかもしれない。
――何しろ相手は芸能人なのだから。

その表情がそう語っていた。

「………それじゃ」

沈黙したれいなの顔を数秒見つめた後、小春はそう短く言うと踵を返した。

背筋の伸びた美しい立ち姿には、年齢にそぐわないほどの気高ささえ感じられる。
他人を寄せ付けない毅然としたオーラは、その後ろ姿にすらありありと漂っていた。
どれほどに厚かましい者でも、声をかけるのを躊躇うであろう張りつめた空気と共に――


「小春」

だが、遠ざかりかけていたその背中は、思いもよらない声にビクリと立ち止まった。

「力を貸してほしい。わたしたちには仲間が必要なの」

愛には聞こえていた。
小春の本当の声が。
心から信じ合い、繋がり合える存在を求めて今も叫んでいる小春の声が。

「……なんで小春がそんなことしなきゃなんないの?」

愛には見えていた。
小春の本当の姿が。
虚勢で固めた偽りの「久住小春」の内側にある、弱く……でも真の意味で強く優しい本当の「久住小春」の姿が。

小春をこのままにしてはおけない。

きっと小春は、今も自分を優しく照らしてくれている月の存在に気付いていないだろう。
少し前までの自分と同じように。
そして、あの「悪魔」――後藤真希と同じように。

あの姿は、もしかしたら未来の自分の姿だったのかもしれない。
そして、未来の小春の姿なのかもしれないのだから。

「お願い。わたしには…わたしたちにはあなたが必要なの。小春」


闇を……孤独を優しく照らす月の光の下、少女の胸には確かに何かが響いていた。

それは、“共鳴”という名の、偽りなき真実の心のうねりだった―――



最終更新:2014年01月18日 11:51