(35)814 『motor noise』



私は感情というものが備わっていなかった。当たり前だ、私はサイボーグA。
「あなたの使命は組織に尽くすことのみ。それ以外には教えることはないわ」
そう私の生みの親は教えてくれた。

一番最初に教わったことは人の壊し方であった。全身の急所を知り、如何にしてそれを確実に破壊するか…
それから組織による思想教育、格闘術、殺人術、機器の扱い方を学んだ。
私のコロンは硝煙の香りであった。もちろん人前に出るときはマナーとして別のものを付けていたが…
そしてあらゆる経験を経て、私は幹部の一員として、「Def Diva.」の一員になった。

機械仕掛けの私の体は痛みを感じない。涙なんて出てこない。
デジタルな心臓は規則正しいリズムを刻み、心は揺れることなんてありえない。

命乞いをされても私にはなんでそんなことをするのかが理解できなかった。
命のあるものはいつかは停止する。その時期が不運にも早かっただけ。そう思っていた
運命をあやつるのは神のみではなく、私もできると考えていた

今に至るまで私は小山を築けるほどに人を殺してきた。その仕事をすることが私が存在する意義であった。
私にとっては殺すことは呼吸と同じくらいに自然なこと。自分の立場なんて疑問を微塵も感じていなかった。
暗殺者、いや殺人マシーンとしての自覚。

しかしそれ以外を与えていない組織にしてみれば私は機械以外の何物でもなく、1体の便利な組織の歯車であったろう。


その日も私は組織の指令を受けていた。『●●国の元首を暗殺せよ』
そんな指令を受けて、数日後に建国100周年のパレードが開かれる●●国に向かった。

パレードが行われる2日前、私はその街のオープンカフェにいて、狙撃ポイントを確認していた。
その店は大通りに面しており、店の前を標的が通る予定になっていた。
そのカフェから数百m離れたビルの屋上からライフルで暗殺する。そんな計画であった。

組織から学んだことの一つとして『いかにして存在感を消すか』ということがあった。もともと人間ではない私は人よりも楽に習得できた。
私のテーブルのそばをせわしなく店員が行き来しているが一向に視線を寄越さない。

おそらく彼らは本当に私の存在に気がついていないのだろう。
作成者の趣味であろう人よりも数段華やかな外見にも関わらず、私はそこにいないかのように静かに佇んでいた。
私は存在を風景に違和感なく溶け込ませることで私は仕事をスムーズに進めてきた。
一番初めに運ばれてきた飲み物を飲み、小説を読むふりをしながら周囲の障害物の存在を確認していた。
ここにいる目的は喉の渇きを潤すことでも休憩でも何でもなく、下見であった。

今回の仕事はライフルで狙撃しなくてはならないのが厄介であったが、決して苦手ではなかった。
下見がメンドクサイだけであった。しかし狙撃ポイントの選定が重要であるため省略は許されない
私はサイボーグA、完璧であり続けなくてはならないのだ。

(あのビルの窓の反射は思っていた以上に厳しそうだ。舗道が敷石ということは多少標的が上下するな)

そんな2日後に執行するであろう狙撃の計画を頭の中で練っていた私は急に誰かの視線を感じた。
私がふと目線をテーブルの向こうに向けると小さい女の子が頬ずえをついて、私をじっと見ていた。


「どうかしたの?お嬢ちゃん?私の顔に何かついてるの?」私はできるだけ優しい声で尋ねた。

少女は話しかけられてびっくりしたようであった。
「あら、しゃべったわ。お姉ちゃん、じっとしていたからマネキンかと思ったの。」

少女以上に私は驚いていた。ずれるはずの無い心臓のリズムが異常を示しているようであった。
経験の浅い昔ならいざ知らず、今の私には考えられないことであった。
気配を消すことは私の中でも特に得意な分野であり、どこにもミスをしたような気がしない。
犬猫にだって気配を悟らせない自信があった。それなのに目の前の少女は欄々と目を輝かせ私を見つめていた。
他のお客の頼んだチョコレートパフェや空に罹った虹にも目をくれず、この私を見ていた。

私はデータベースの中から最も自然に見える笑顔をダウンロードして表情を作った。
「お姉ちゃん、そんなに表情がなかったの?」
少女はうーんと唸って、頭を少し傾げた。その時、私は少女の左目が不自然に触れていることに気がついた

(もしかして、この子、左目が見えないのかもしれない)
その一方で右目の方はいろんなものを見たいとでもいうようにキラキラと輝いている。
もしかしたら、この子が私に話しかけてきたのは見えない左目の分も多くのことをしっかりと見たいという好奇心かもしれない

「なんていうか、お姉ちゃんは・・・他の人と違う気がしたの。なぜか、わからないんだけど」
少女が知っているだろう数少ない言葉では説明できないのであろうが、私は少し驚いた。
直感的に私が『違う』ことを見抜いたのだ。普通に感心してしまった。


その後、私はその少女とたわいのない話をいくつかした。
どうやらこの少女は他の人と違う空気を持つ私を気にいったようであった。
あれやこれやと舌足らずな声で話しかけてくる。
こうなっては下見の仕事は諦めざるを得ない。

少女が最近見ているアニメも聴いたし、お母さんがいかに優しくしてくれるのかを笑ってあげた。
好きな男の子にいつもからかわれているのをどうしたらいいのかを親身になって相談に乗ってあげた。
お父さんが最近、家になかなか帰って来てくれないから寂しいという悩みも優しく励ましてあげた。

ふと話をしていると少女が唐突に言った
「お姉ちゃん、すんごくいい笑顔しているね。なんかとっても楽しそう」

楽しい?この私が?感情なんてインプットされていないはずの私が?笑ってる?
つとめて会話の流れを考えて笑顔をダウンロードしていった「本当?」
「うん、でも、今、わざと笑ってるでしょ。わかるよ。そんなことしても。笑って、ニ~って」
「ニー」という口の形にして声を出した。
「違う、違う、ニ~って感じ」「ニー」
「まだ、固いの、ニ~」「二―」
「違うの、ニィィィィ~」「ハハハハ、おかしいよその顔」
私は少女の必死になっている姿を見て笑っていた
「その表情がいいの」少女も一緒になって笑う。

その笑顔は本当に無邪気で未来に希望が満ち溢れているようであった。辛い世の中を知らない子供だけの特権
白い八重歯を惜しみもなく見せて微笑むその姿は純粋そのものであった。
1本の線のように細くなる垂れ目もえくぼも少女のかわいらしさを引き立てていた。

少女との会話は思ったよりも退屈しなかったと今では思える。
それが目的を達成するために『仕事』の時のように神経を張り詰めさせていたからであろうか?
それとも純粋に他社との久しぶりの会話を楽しんだからであろうか?

そして、私は今、少女を見ている。ただし、スコープ越しではあるが・・・


本来のターゲットの暗殺は文句なしの精巧さで完遂した。
狙撃ポイントは予定を変更して第2希望ポイントを用いた。
確実性でいえばやや劣るがカフェ前のそれは別のことに使わなくてはならないので仕方がなかった。

1週間前のあの日、私は少女にさりげなくいくつかの質問をしていた。
よくここに来るのか、どこに住んでいるのか。それらは今日のために必要な情報
そして、別れ際に『1週間後の同じ場所、同じ時間で会ってくれること』『今日のことは親には言わないこと』を約束した。
その約束を守って少女は白いワンピースを着て、カフェの1つのテーブルに座っていた。

大きすぎる椅子に深々と座って足をぶらぶらと揺らして、私が早く来ないかきょろきょろと周りを見渡している。
残念ながら少女は二度と私を見ることはないであろう

ただ、その約束をしたときに彼女の右目がらしくなく悲しげに揺れた気がしていた。
その質問をしていた時点で私は少女を目標として標準を合わせていたことになる。

少女を始末しなくてはならないのには私に気づいたこと、そしてもう1つの大きな理由があった。
私は少女との会話をしたことを振り返るとき、暗殺者である自分を客観視していることに気づいてしまった。
その時分は『いいお姉さん』であり、ステキな女性であった。
その事実は私にとってはあってはならない状況であった。
私はAであり続けるために、『暗殺者』でなければならず、それ以外の何物でもないはずであった。
『いいお姉さん』たる自分は異物であり、排除しなくてはならない。。。自分が存在を失わせてはならないのだ

頭の中をめぐる思いを抑えつけ、私は息を整えた。
左目をつぶり、右目でスコープ越しに目標を凝視する。
少女はこの前と同じ席に座り、こちらに背を向けている。
もし正面を向いていたら正常でいられたであろうか?

微妙なブレと風向きから銃口を調節し、全身の神経を張り詰めさせた。
そして、トリガーをひく、そんな刹那にそれは起きた。


少女が突然振り返った。そしてこちらの方を見たような気がした。
私が背後のホテルから自分を狙撃しようとするなどと露ほどにも思わない無垢な表情であった。
けれど私の右目と少女の見えないハズの左目の視線が合った気がした。そして、あの無邪気な笑顔で微笑んだ―そんな気がした。

ただ、暗殺者、Aとしての指先は忠実に仕事を果たしていた。スコープ越しの一瞬の再開の後、少女の華奢な体が赤く染まった。
頭の中で何かが崩れる音がサイレンサーで消えた炸裂音の代わりに頭の中で響いた。

それでも数秒後にはいつものように手際よく片付けを終え、硝煙の香りを消すためにコロンを重ね雑踏の中に消えた。

私はサイボーグであり、組織の幹部。たとえ少女であろうと一瞬でも悪の心を失わせたノイズの存在は消さなくてはならない。
優しくてキレイなお姉さんである私はこの世にいてはならない。存在すべきは組織のために尽くす忠実なるシモベの姿
―これはA本人ですら知らない組み込まれたプログラム。AがAであり続けるための必然条件

私は感情というものが備わっていなかった。当たり前だ、私はサイボーグA。
「あなたの使命は組織に尽くすことのみ。それ以外には教えることはないわ」
そう私の生みの親は教えてくれた。

けれど生涯に二度だけ私の心にノイズが生じたことがある。
そのノイズは私の心を揺り動かして、完成されていた幾何学模様の形を変えた。
そしてそのノイズを生じさせたのも、その変化を見ていたのは無垢なあの少女だけであった。

『お姉ちゃん、すんごくいい笑顔しているね。なんかとっても楽しそう』



最終更新:2014年01月18日 12:04