夏の暑い季節
私はまだ 感謝の言葉も伝えていない
聴いてよ 伝えたい言葉はたくさんあるんだから
◇◆
病院前に着いたバスから降りて、足早に入り口へと歩を進めた。
外ではジリジリと太陽に照らされて暑いが、病院の中はとても快適で吹き出ていた汗も少しずつ消えてゆく。
すでに覚えている部屋番号を思い出すまでもなく、足は勝手に目的地へと進んでくれる。
エレベーターに乗り、目的の階のボタンを押した。
少ししてエレベーターは音が鳴ると共に目的の階へと着き、私は扉が開くと同時に外へ出た。
廊下をしばらく歩き、ある病室へとたどり着く。
私は中に入る前に扉の前で立ち止まり、一度だけ深呼吸をした。
そして、小さく声で自分に喝を入れ、横開きの扉を開けた。
「…絵里ー?起きてるー?」
ゆっくりと中へ入り、後ろ手で扉を閉めた後、部屋の中心へと近付いた。
そこには、いつもの笑顔を浮かべた親友、もとい亀井絵里がこちらを見ていた。
「あ、さゆだぁ」
彼女の笑顔に私も喜んだ。
今日は、彼女の体調は良いらしいから。
「今日は遅かったね」
「うん、昨日は夜遅くまでレポート書いてたから」
そっかー、と言いながら彼女は笑顔のせいで少し細くなった目を私の手元に向けていた。
もうすでに彼女は私ではなく、私が手に持っているコンビニ袋に気が集中していた。
そんな彼女に苦笑しながらも、私はコンビニで買ってきた物を袋から取り出し、彼女の前に置いた。
「はい、今日は桃のゼリーでーす」
「えー、オレンジが良かったー…」
「…そう思ってオレンジジュースも買ってきたから」
「え、うそ!やったー!」
少し身体を横に揺らしながら、彼女は喜びを体現しているらしかった。
いつもの笑顔で、彼女はオレンジジュースを脇に置き、桃のゼリーから食べ始めた。
「おいしい?」
「うん、おいしい」
彼女の特徴的な唇の口角が、更に上へと上がり本当に嬉しそうだった。
私はそんな彼女を横目に、窓の方へと視線を向けた。
青空が広がり、大きな入道雲が空に浮かんでいる。
蝉の鳴き声が聴こえてきて外は暑そうなのに、部屋の中は快適で涼しかった。
**
先ほど完食したゼリーの器を横の棚の上に置き、今はオレンジジュースをちびちびと飲んでいた。
とても嬉しそうに、とてもおいしそうに。
彼女は本当に笑顔が似合う、と思うぐらいに。
「おいしい?」
「うん、すごいおいしいっ」
オレンジジュースだけはすぐに飲み干さない彼女の主義は同感し難い。
けれど、好きな物はできるだけ時間をかけたいと思うことには、同感できる。
「…次は、いつ退院できるの?」
「たぶん来週ぐらい。看護婦さんにそう聞いたから」
「そっかー…」
生まれた時から心臓を患っている彼女の思いを、私は100%理解できるなんてことはない。
この先も一生、例え彼女の傍から離れずに毎日一緒に居ても、全てを理解することはできない。
今まで戦ってきた痛みも
それに伴う苦しみも辛さも悲しみも
孤独になる寂しさも
それは誰にも想像できない、永遠に分かることのない思いなんだろう。
「あ、さゆ?」
「ん?何?」
「オレンジジュースもいいけど、今度はリンゴジュース買ってきてよ」
そうやって笑顔で言う彼女からは、そんな思いなんて一粒も見つからない。
「…はぁ…いいよ、リンゴジュースね」
「うんっ、お願いしまーすっ」
何も大変なことなんて起きていないと思わせるような、彼女の柔らかい声と優しい笑顔は、私の心を温かくさせる。
全ての思いを彼女は他人に分かってもらおうとはしない。
そして自分からあえて言うこともない彼女に、私たちは気付かないことだってある。
気付かなかったことを良しとしない私たちは、時に落ち込む。
気付かなくてもいいと思っている彼女は、いつもの笑顔で笑ってくれる。
本当は抱えてる思いはたくさんあるはずのに、彼女はそれを分け与えない。
それら全ては彼女が一人で打ち勝たなければいけないことだから。
あえて彼女は、いつもの笑顔で応えてくれるんだ。
**
「ねえ、絵里?」
「なーに?」
「さゆみね、絵里に言いたいことがあるんだけど…」
「えー、なになにー?」
「…言いたいことっていうのはね……」
絵里、いつも傍で笑っていて。
いつもの笑顔を見せて、和ませて。
その笑顔に隠されているたくさんの想いを
私たちは全てを理解することなんてできないけれど
その想いがあるからこそ その笑顔があるんだから
いつもの笑顔を通して 私たちは絵里の想いを感じたい
理解じゃない 感じたいの
絵里、いつも傍で笑っていて
そしていつまでも一緒に歩いていこうよ
最終更新:2014年01月18日 13:13