(39)387 タイトルなし(ヴァリアントハンター外伝リゾナント作1)



眠る女性から漏れる吐息の音が聞こえそうな程、部屋の中は静かだった。
白やクリーム色を基調とした部屋。
その部屋で眠るのは、全身に包帯を巻き付けられた女性が二人。

中野区にある警察病院、その中の一室。
病室の外では、看護婦や医師達がせわしなく動き回っていた。

もぞりと、ベッドの布団が微かに動く気配。
ベッドの脇に提示された名札には、亀井絵里と書かれている。
ちなみに、もう一つのベッドには高橋愛という名札が掲示されていた。


「ん…」


目を開いた絵里の視界に広がるのは、真っ白な天井。
ここは一体どこなのかと、絵里は反射的に起き上がろうとし。
刹那、全身に広がる苦痛に声を失う羽目になる。


全身に走る痛みが、絵里の記憶を呼び覚ましていく。

―――それは、思い出すことを拒否したくなる程、恐ろしい記憶だった。


     *    *    *


『ちょ、あの子ヤバいよ…電源切れたみたい、全然動かない…』

『…亀井、あーしはあれを回収しにいく。
だから、あんたは』

『分かってる…愛ちゃん、気をつけてね』


離れた位置から“ヴァリアント”と“田中れいな”の戦いを静観していた絵里と愛。
自分達の常識を遙かに超えた次元の戦闘。
どういう決着が付くのかと固唾を飲む二人が目にしたものは、
れいなが搭乗している“ロボット”がヴァリアントに滅多打ちにされている光景だった。

愛が瞬間移動でれいなの傍に跳躍したのと、絵里が“鉄の狼-アイゼンヴォルフ-”による狙撃を開始したのは同時だった。


引き金に最大限の力を籠め、ヴァリアントを覆う障壁目がけて連射を開始する絵里。
持参した弾丸だけでは、今までに前例がないレベルのヴァリアントの障壁を破れるとは全く思っていなかった。

ただ、愛がれいなを連れてこの場を離脱する時間が稼げればいい。
早く、早く。
連射しながら絵里はそれだけを願う。

アレは危険だ。
力を合わせて勝てる次元じゃない。

絵里の願いとは裏腹に、愛とれいなはなかなかその場から離脱しない。
一体何が起きているのかと“鷹の目”を行使した絵里の瞳に映ったのは。

義肢を引き千切られ、口から血を吐き出し地面に崩れ落ちる愛と。
無残な姿になった愛を微笑みながら見下ろす、白を纏った“後藤真希”の姿をしたヴァリアント。

不意に、ヴァリアントが上方を見上げる。
鷹の目の疑似視覚でヴァリアントを見る絵里と、ヴァリアントの視線。
けして交錯するはずのない視線が、僅かのブレもなくピタリと合わさった。
つり上がる口角に絵里の背筋が凍り付く。


『っうあああああああああ!!!!』


半狂乱になりながら、絵里はひたすら発砲し続ける。
的外れな軌道を描きながら降り注ぐ弾丸の雨をもろともせず、ヴァリアントは一瞬にして1㎞以上離れた位置にいる絵里の元へと降り立った。


何が起きたのか分からない。
ヴァリアントが何か呟いたと思ったその時には、自分の肩からゴキリという鈍い音がしていた。
経験したことのない苦痛に、口から漏れる絶叫。

絵里の口から絶叫が途切れることはなかった。
嬲るように体の骨という骨を一本ずつ砕かれ、穴を穿たれ。

薄れていく意識。


―――悪鬼の如き微笑みを浮かべる美しいヴァリアントの手が、ゆっくりと振りかざされた。


     *    *    *


「…よく生きてたなぁ…」


それしか言葉が出てこない。
上半身だけをベッドに起こした絵里は、改めて自分が今生きていることに驚愕せずにはいられなかった。

“暗闇の星-ダークネス・ノヴァ-”の撃墜王と謳われた、後藤真希。
レベル12のサイコキネシストであった彼女と何故か同じ姿をしていたヴァリアント。

アレは一体何なんだろうか。
ヴァリアントと呼ぶのは憚られる、普通の人間と何一つ変わらない容姿。
だが、“障壁”を身に纏い、超能力を使う様はまさにヴァリアントと称せざるをえない。


それでも、だ。

あんな“化け物”がヴァリアントと同一の存在だとは到底思えない。
明らかにアレは、ヴァリアントよりも恐ろしい力を持った存在だった。

思考に耽る絵里の横。
微かな衣擦れの音と共に漏れる声。


「…ここ、どこや…」

「…愛ちゃん!」


絵里の声に煩そうに眉を潜めた愛は、先程の絵里同様、記憶が蘇ってきたのだろう。
表情を無くしていく愛を、絵里は黙って見ていることしか出来なかった。

しばしの沈黙の後、愛の口から漏れる大きなため息。
絵里はその横顔に向かって声をかける。


「…ありがとう、愛ちゃん」

「え…ああ」

「愛ちゃんが助けてくれたんだよね、でなきゃ絵里絶対死んでたもん」

「アレがそっちの方に飛んでいったのが見えたからな。
“能力殺し”のおかげで何回能力使ったことか…」

「“能力殺し”って?」

「田中れいなの持つ特殊な超能力、っつーか、超感覚?
1m以内の範囲限定で、どんな超能力も完全に無効化する力なんやと。
…それのおかげで、あいつ連れて逃げようにも力が発動せんかったんや」


何故、あの時愛がれいなを連れてすぐに離脱出来なかったのか。
そういうことなら納得がいく。
そして、それを知らなかった愛が味わったであろう恐怖。

警察の手によるれいなの回収が迅速に行われなかったら、間違いなく絵里も愛も死んでいただろう。
重い空気が病室を支配する。


それを打ち破るように、ドアをノックする音がする。
絵里のどうぞという声と共に、病室へと入ってきたのは。


「ね、圭織の言ったとおりでしょ、そろそろ二人共目が覚めるって」

「…相変わらず圭織の予知能力は外れなしだべ」

「ここまで外れないと、最早神様レベルね」


ぞろぞろと、室内に入ってきたのは。

絵里が属するギルドのマスター“安倍なつみ”と、師匠である“保田圭”、そして。
愛が属するギルドのマスター“飯田圭織”と。
ヴァリアント関連事案対策本部の管理官“中澤裕子”、その部下である“紺野あさ美”だった。

ヴァリアントハンター界にその名を轟かすギルドのマスターと、名を出せば大概の人間が知っていると答えるハンター達。
そして、ハンターの敵とも呼べなくもない警察側のトップという異様な顔ぶれ。
このメンツと一堂に会する機会など、大手ギルドの実力者であってもそうはないだろう。

だからこそ分かる。
5人がただの“見舞い”に来たわけではないと。

自然と堅い表情になる絵里と愛。
沈黙を打ち破ったのは、あさ美であった。


「まずは、お二人とも…うちの田中を助けていただいて…ありがとうございます」

「そんな、絵里達は当然のことをしただけですし、ね」

「アレがただのロボットやったらとっくに逃げてたわ。
…人が乗ってる以上、見殺しにするわけにもいかんしな」


照れる二人に深々と頭を下げるあさ美。
自分の大切な部下を命がけで救出してもらったのだ。
何度頭を下げても足りないくらいだった。

ゆっくりと姿勢を正したあさ美。
その目に宿る鋭い光に、絵里と愛の表情は自然と引き締まる。


「えーっと…ゆっくり話したいのは山々なんですが、時間も余りないので簡単に状況説明させてもらいますね。
あなた達とうちの田中が、あのヴァリアントと戦闘してから今日で一週間経過しています。
その間に“アレ”は、ユニオンを壊滅状態にしました、その上…今も尚、世界中を飛び回り超能力者を惨殺し続けています。
…こんなところでいいですかね、中澤さん」

「いつも説明が長ったらしい上に分かり難くなる紺野にしては、十分過ぎるくらい簡潔やな。
高橋に…亀井やったか、まー、そーいうことや。
じっくり状況説明してやりたいところなんやけど、こっちも立て込んでてな。
集中治療室にいる田中の様子も気がかりやし、諸々の話はまた、な」


裕子とあさ美が部屋を出て行っても、絵里も愛も言葉を発することが出来なかった。
たった数分もない時間の間に告げられた事実は、余りにも重すぎた。


国家機関と同等とも言える巨大組織が、わずか一週間という短期間で壊滅。
しかも、それを成し得た張本人は未だに生存し、超能力者達を屠り続けているという。
今のこの状況はまさに、未曾有の緊急事態と言えた。

民間人であるヴァリアントハンターとは違い、あの二人は警察庁の人間だ。
本来ならここに顔を出す時間などないだろう。
それでもここを訪れたのは、この事件に巻き込む形になった二人に対して責任を感じているからに違いなかった。

重い空気を変えるかのように、なつみ達が二人に話しかけてくる。


「二人共、傷の具合は?」

「なっち、どう見ても重傷でしょ…そもそも、1週間で意識取り戻しただけでも奇跡的なんだから」

「そうそう、本当…あんた達のこと聞かされた時には駄目かもしれないって思ったわ。
骨折、出血多量、外も中も無傷なところを探す方が難しい状態だったんだからね。
本当、よかった…」

「圭ちゃん、ほらハンカチハンカチ」

「早く拭かないと、また鬼の目にも涙とか言われちゃうよ」


三人のやり取りに、絵里と愛は自然と顔を見合わせる。
明らかにこの三人は昨日今日知り合った仲ではないだろう。
だが、業界最大手とも言えるダークネスノヴァと、規模としては小さいギルドであるリゾナンター。
何らかの会合で顔を合わせたりすることはあったかもしれないが、直接の繋がりがあるとは考えにくい組み合わせだった。


絵里と愛の不躾ともいえる視線に気づいたのだろう。
なつみ達は二人の顔を見て、きょとんとした表情を浮かべた。


「あのー、三人は一体どういう間柄なんですか?」


単刀直入な絵里の質問に、三人はお互いに顔を見合わせる。
口を開いたのは、なつみだった。

さらっと、世間話をするように紡がれた返答に絵里と愛の驚愕の声が病室に響く。

ダークネスノヴァとリゾナンター。
この二つの組織はかつては一つの組織であり、数年前までは共にヴァリアントを打ち倒す仲間達だった、と。

二人が驚くのも無理はない。
ダークネスノヴァとリゾナンターとでは、まずそもそもの活動目的や方針が余りにも違いすぎる。

ヴァリアントを根絶やしにすることを目的とし、強力なSSAはおろか、ユニオンの依頼をも独占しようとするダークネスノヴァ。
ヴァリアントの脅威から一般人を守ることを目的とし、ダークネスノヴァのように同業者に反感を買うようなやり口は好まないリゾナンター。
元は一つの組織であったとは到底信じがたいことだった。

何故、二つのギルドに分かれることになったのか。
それはひとえに、ハンター達それぞれの生い立ちの違いによるものだったという。

肉親や血縁者などをヴァリアントの手によって失った者、あくまでも自分の力を役立てる為にこの世界に飛び込んだ者。
いつしか仲間達の間には明確な溝が生まれ、袂を分かつ結果となった。

驚きから立ち直れない二人に、なつみ達は穏やかな笑顔を浮かべながらこう言った。
ヴァリアントに対する考え方の違いさえ除けば、今でも互いに良き友人同士なのだと。


「…安倍さんも保田さんも、実はすごい人だったんだぁ…」

「え、あんた、自分のところのメンバーがどれだけすごい人か知らんかったの?
銀翼の天使安倍なつみ、永遠殺しの保田圭。
うちの飯田さんと…今はもういない、後藤さんと双璧とまで言われるアタッカーと、
業界で今も語り継がれる最強のスナイパー。
これだけ凄い人間に育てて貰って、ハンターになるのに4年もかかってる方がおかしい話やよ…」

「ぐ、人が気にしてることを…」

「まぁ、こっちは謎が解けた気分ですっきりしたけどな。
こんな凄い人達に教わってたなら、そりゃ、あれだけの狙撃術も身につくわ」


愛のどこか照れを隠したような言葉に、圭織が珍しそうに目を細める。
滅多なことでは他のハンターを褒めることなどない愛が、素直にその腕前を認めているのだ。
褒められた当人はというと。
それに気づかなかったのか、すっかり落ち込んだ表情を見せていた。

面白い子だ。
自分の価値が全く分かっていない。

最短で1年でヴァリアントハンターになれたとして、その間必要な経費は数百万以上、場合によっては1千万を超えることもある。
小規模なギルドであるリゾナンターにとって、ハンター資格を取得するまでにかかる費用はかなりの負担だっただろう。
しかも、年々依頼は減少している状況で、4年もの間“投資”してもらうことがどれだけ凄いことか。

業界トップクラスのハンターが認める程の素質があり、それでいて全く慢心しない。
なるほど、なつみと圭が大事に育ててきた理由がよく分かる。
この子は間違いなく、数年後には自分たちがいる位置にまで上り詰められるだけの逸材だ。

―――もっとも、数年後には今とは全く違う生き方をしている可能性の方が圧倒的に高いだろうが。


ノックの音と共に、再び病室に現れた裕子とあさ美。
急いでいるのだろう、二人の顔に焦りと苛立ちのようなものが見えた。


「…カメ、そろそろなっち達ギルドに戻らないといけないから」

「また明日、顔を出すわね」

「高橋、ちゃーんと安静にしてるのよ。
あんたは目を離すとすぐ無茶するんだから」


慌ただしく部屋を出て行ったなつみ達。
その後ろ姿を見送った絵里は思わず、胸元をきつく握りしめる。

最初に訪れた時とは明らかに様子が違った裕子達。
そして、その二人を追うように足早に退室したなつみ達。
何かが起きようとしているのは間違いない。

愛もそう思っているのか、唇を噛みしめたまま黙り込んでいる。
出来るものなら今すぐにでも後を追いかけたい、その気持ちを抑え込むように絵里は大きく深呼吸をした。

今やらなければならないことは、一日でも早く現場に戻れるように養生することだ。
ベッドに身を起こすのがやっとの有様では、“足手まとい”にさえなれないのだから。

何度も何度も、自分に言い聞かせる。
拭いきれない不安から目をそらすかのように、何度も、何度も。


―――病室の二人に悲報が届いたのは、僅か3日後のことだった。



最終更新:2014年01月18日 13:42