(39)589 『Empty Recollection's Imagination』



「お誕生日おめでとー絵里ー」

ベッドの上でぼんやりと窓の外を眺めていたわたしは、少し鼻にかかったお馴染みのその声がする方に首を回した。
明るい青空に慣れていた目はすぐには声の主の姿をはっきりと捉えることができず、わたしはパチパチと瞬きを繰り返す。

「おやおや?そんなに瞬きしちゃうくらい今日のさゆみちゃんもかわいいですか?」
「そういう台詞が許されるのは10代までだよさゆ」

ようやく病室の明るさに慣れた目に、ささやかな花束とケーキが入っているらしき箱を手にした、わたしのたった一人の親友の姿が映る。

「あー、絵里冷めてるー。かわいさは年齢には捉われないんだよ。だから今日また一つオバちゃんになった絵里も自信を持っていいよ」
「ムーカーつーくー」

地団太を踏む――ベッドの上だからほんとに踏んでいるわけじゃないけど――わたしに、さゆはもう一度「おめでとう」と言いながら、花束を差し出した。
今度はこちらも素直に「ありがと」と言いながらそれを受け取り、顔を近づける。
そこからは、優しく芳しい生命の香りがした。

「ジャーン、もちろんケーキも買ってきたよ」

花束から離れたわたしの鼻先に、今度は白い小さな箱が突き出される。
思わず手を伸ばしかけた後、わたしは親友を睨みつけた。

「気持ちは嬉しいんだけどさぁ。今日は血液検査があるから絶食しないといけないって確か絵里言ったよね?」
「うん、言ってたよ。ちゃんと覚えてるから安心して。この中にはさゆみの分だけが入ってるから」
「ちょっ…なにそれー!なによそれぇー!」
「だって誕生日にケーキは欠かせないじゃん?でも絵里は食べられないわけで。じゃあさゆみが食べるしかないという結論になるのは自然の流れだよ」
「ちょっともうありえないんですけどー。この人ありえないんですけどぉー」

再び地団太を踏む真似をしながら、わたしはこんな風に誕生日を祝ってくれる存在がいるありがたさを噛み締めていた。
自分が持って生まれたチカラのことが両親に知れて以降、このたった一人の親友と出会うまで、わたしには誕生日を祝ってくれる人なんてずっといなかった。
誰からも誕生日を祝ってもらえない自分は、まるで生まれてきたことを否定されているようで……ひたすら孤独だった。


今も、孤独なのはこれまでとそう変わらない。
わたしが生まれてきたことは素敵なことなんだと思わせてくれるのは、たった一人の親友が「おめでとう」と言ってくれるこのときだけなのだから。

でも、それでも構わない。

どこかの素敵な喫茶店を借り切って、何人もの仲間が自分のために誕生日パーティーを開いてくれる―――
そして、心からの笑顔で口々に「おめでとう」の言葉を投げかけてくれる―――

そんなシチュエーションに憧れないと言えば嘘になるけれど、そこまで望むのは贅沢というものだ。
大勢でなくてもいい、喫茶店なんかじゃなくてこの病室で十分だ。
たった一人でも、自分が生まれてきたことを喜んでくれている人がいると思うだけで…………???

「――喫茶店?」

どうして急にそんなことを自分が思い浮かべたのか不思議になり、わたしは思わずそう呟きながら首を傾げた。

 ガタンッ―――

そのとき、わたしの手から返った花束を花瓶に活けてくれているさゆの手元で鈍い音がした。
視界の端に映っていたその光景を真正面に持っていくと、花瓶を倒して水をこぼし、慌てふためいている親友の姿があった。

「あーあ、さゆ。花瓶の水バチャーしちゃたかー。そっちにタオルがあるから使っていいよ」

20歳を越えても相変わらずそそっかしい親友を笑いながらも、わたしは少しモヤモヤとした思いを抱いていた。
何かが自分の中から抜け落ちているような、どこか居心地の悪い思いを。

たまにさゆが窓からどこかぼんやりと一つの方向を眺めているのと関係があるのかもしれない。

何の根拠もなく、ふとそう思った。
何の根拠もなく、ふと―――


――って、そんなわけはない………か。

「やっちゃったー。ごめーん絵里ー」

あたふたとタオルでこぼれた水を拭く親友の姿を見ながら、わたしは苦笑を浮かべた。
ベッドの中で妄想することが日常になりすぎて、現実との境目がぼやけてしまったのだろう。

まったくもって我ながら夢見がちな少女だ。
……もう齢だけは大人の女性になってしまったけれど。

なにしろ、21歳になってしまった今日からは、「去年まで10代でした」ということすらできないのだ。
……あ、その表現なんか意外とショックかもしれない。

自分で思い浮かべたその事実に、自分で思っていた以上に愕然としながら……それでもわたしは幸せを噛み締めていた。

こうして、この齢になってもまだ生きて笑っていることができる幸せを。
すぐ側に、それを一緒に喜んでくれるかけがえのない親友がいてくれる幸せを―――


「ありがとう、さゆ。絵里と一緒にいてくれて」


不器用な手つきながら必死で自分の不始末の後片付けをする親友の後ろ姿に、わたしはそっと小さくそう呟いた。



最終更新:2014年01月18日 13:47