(40)175 『ヴァリアントハンター外伝(12)』



瞬間移動で次の狙撃ポイントへ着地すると、足元がグラグラ揺れている。
姿勢を低くしつつ窓から外を覗うと、
ほんの数秒前まで自分たちがいたビルの屋上が上階部分ごと巨大な顎に噛み千切られたかのように消失していた。
この揺れはその衝撃の余波によるものだろう。

『チッ、さっきからちょこまかと五月蝿いなぁ……ッ!』

無線機越しに"後藤真希"の声をした"藤本美貴"の苛立ちが伝わってくる。
すでに十回の狙撃を行い、その全弾が敵の障壁の一点に着弾していた。
田中が聞いたさゆみからの情報によれば、"藤本美貴"は自分や絵里を殺さない方針に変えたそうだが、
徐々に攻撃の威力に容赦がなくなっている。
二人が確実に退避しているから――というわけでもなさそうだ。
邪魔をするなら消すという方針に再転換したのか、あるいは――。

「絵里、あと何発いける?」

不吉な推測を追い出すように首を振り、
できるだけ音を立てないよう光を操った熱量で目の前のガラスを溶かしつつ、絵里に話を振る。
絵里が風を読みやすいようできるだけ屋外を狙撃ポイントに選択してきたが、
もう周辺の建物はあらかた上層を破壊されてしまっている。
今いるのは高層ビルの、全面がガラス張りになった一室だ。
窓を溶かした途端、強烈なビル風が吹き荒んでオフィス内の書類を舞い上げる。

「ッ、まだまだ、大丈、夫」

伏射姿勢で大口径のライフルを構え、雑念の一切ない表情で応える絵里だが、その顔には疲労の色が濃い。


ライフル内の弾薬はあらかじめ薬室内に装填していたものを含めて十一発。
一応は予備のマガジンも持ってきているが、次の一発でおそらくは限界か。
超能力を扱う精神力の方の余裕はまだ幾らかあるだろうが、肉体的疲労が著しい。
肩で息をするような状態では精密な狙撃は望めない。
そして、精密な狙撃でなければあの強固な"障壁"を砕くことは叶わないだろう。
"藤本美貴"の障壁はあまりに強固だった。
障壁とはヴァリアントが無意識に展開するもので、それはあのヴァリアントも例外ではない。
ゆえに一度砕いてしまえば、一定時間以上は再生しない。
障壁がなくなれば、愛も前線で戦うことができる。
しかし、あの障壁はあまりに強固だ。
試作品とはいえ流石に次世代のSSAを謳うだけあって、
絵里の放つ弾丸は並のヴァリアントの障壁なら一発か二発で粉砕できる威力だった。
現在の標的の障壁にも亀裂が走っているが、絵里の余力では次の一撃で破壊できるかどうかは微妙なところだ。

「愛ちゃんこそ、大丈夫?」
「ああ」

愛はわざとそっけなく返した。
亀裂の入った障壁へ確実にとどめを刺す策はある。
策はあるが、それを使えばおそらく、あの怪物の眼前に立った後の自分の生存率は著しく下がるだろう。
眼下では、"能力殺し"の範囲に入るのを嫌ってか"藤本美貴"が念動力で砲弾並の速度に加速した瓦礫を青い機体に放ち、
SSSによる超音速での活動を封じるべく機体の周囲に無数の巨大な氷柱を突き立てていた。
今回は田中も実の姉を殺すことに躊躇なく行動している。
藤本美貴としても、前回のような遊びはなしということだ。
おかげで、こちらの狙撃からの防御に意識を割く余裕も敵にはない。
ここまでは作戦通りに状況が進んでいると言って良い。


「ハッ」

愛は自嘲気味に鼻を鳴らした。
田中れいな。亀井絵里。
二人ともこの作戦に命を賭けている。

『…千年誰かを愛することは出来なくても、千年誰かを憎むことは出来るんだよ』

知りたかったことはすべて知った。
眼下の敵は自分の恩師の生前を冒涜している。
憎悪こそが高橋愛の動力源。
そんな自分が、いまさら生存率の計算などして何になる。

「絵里、あんたは狙撃だけに集中しぃ。こっちはあーしが引き受ける」
「え、ちょ、愛ちゃん何を――!」

絵里の返事を待たず、愛は左手のグローブを外してライフルの銃身を掴んだ。
十回以上の発砲で熱を持った銃身だ。
皮膚の焦げる音が室内に木霊する。
痛みなど無視して、愛は自身の超能力をライフルに、薬室内の弾頭にありったけ注ぎ込む。
これまでの瞬間移動による疲労が愛にもかなり蓄積しているのは、絵里とてわかっていたことだ。
絵里が堪りかねるという様子で声を上げる。

「ちょ、愛ちゃんそれ以上は――」
「いいから早く撃てッ!」

残り一回分の瞬間移動に必要なだけの体力を残し、愛は激しく咳き込みながら床に倒れ込んだ。
身を起こそうと集中を乱す絵里を鋭い一瞥だけで制する。
キャパシティを超えたエネルギーを弾頭内に留めておける時間は短い。
ここでそれを浪費するようならぶっ殺す、という殺意すら乗せた一瞥に、絵里はすぐさま集中力を取り戻した。


絵里が引き金を絞る。耳を聾する強力な銃声。
耳にはめたイヤホンから"藤本美貴"の絶叫が聞こえる。
愛は無理やり身体を起こし、絵里の肩を掴んで別のビル内へと跳躍する。
大地の鳴動が移動先にも轟いてくる。
しかしもう、愛の鋭い双眸には生存への計算も恐怖もない。
自分はアタッカーだ。
理由はその矜持ひとつで十分だった。
制止する絵里の声も聞かず、愛は戦場の前線に赴くべくビルの外へと歩き出した。


  *  *  *


肩で爆発が起きた。
美貴がそれに気づいた時には、すでに右腕が肩先から弾けて地面に叩きつけられていた。

「っの、ハエどもがぁあああ――!」

苛立ちに任せて超能力を振るった。
遥か後方にあった全面ガラス張りの高層ビルが半ばからへし折れ、倒壊する。
痛みなど忘却し、ただ殺意にすべてが支配される。

「殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやる――ッ!」

すでに、"藤本美貴"は限界だった。
高橋愛。亀井絵里。
そんな名前はもう知らない。
れいな。
そう、れいなだ。
自分はれいなのために、れいなのためだけに殺さなければならないのだ。
立ち塞がるのなられいなの友人だろうがなんだろうが容赦しない。


憎悪に彩られた思考の中、力任せの念動力で周囲一体を吹き飛ばそうとした、その瞬間。

眼前の、青い機体が飛び退いた。

その動きは、見慣れた田中れいなのそれだった。
先ほどまでの一挙手一投足、それらもすべてれいなのものだった。
では、なぜだ。
なぜ彼女が、"能力殺し"を持つはずの彼女が、"ただの超能力"から逃げねばならない?
背後から二対の拳銃弾が背中を穿った。
振り返ることもせず、美貴は思考を巡らせる。
あの機体にはAIが搭載されているという。
仮に、そのAIがこれまでのれいなの動きをトレースできる代物だとすれば。
仮に、あの機体の中身が空っぽか、あるいは別の誰かとするならば。

本物のれいなは今、どこにいる――?

確かめるべく、美貴は青い機体に肉迫する。
魔力の打ち消されるあの感触がない。
力任せに青い機体の首を捻じ切ろうとした、その刹那。
美貴の思考はぶつりと断線した。


  *  *  *


作戦は成功した。
二人は巧く"藤本美貴"の注意をそらしてくれた。
彼女の飛行速度を考慮すれば、二人の陽動がなければ作戦成功は不可能だった。
高橋や亀井、そして"後藤真希"の現在位置は東京都新宿区。
対してれいなは埼玉県春日部市のとある施設にやって来ていた。


首都圏外郭放水路。
国道16号直下、深度50mの、その更に地下にそれはあった。
映像で見た研究室とは異なり、目の前にある元が円柱形だったであろう水槽はひとつだけ。
軍用マグライトで照らした水槽からは無数のコードが地を這うように伸び、複数の機材と繋がっている。
水槽は砕けていた。
内部には引き千切られた呼吸器、点滴のチューブや、低周波治療器のパッドのようなものがいくつも転がっている。
万一に備え筋肉の衰弱を避けるため、あれで筋肉に電気刺激を与えて自動で運動させていたのか。
だとすれば現在の技術的に十分ではないとしても、
リハビリを無理やり二日で終わらせたれいなと運動能力に大差はないだろう。
床には粘性の液体が漏れ、断線したいくつかのコードと触れて火花を散らしていた。
れいなの誤算は、ここに至る前に直上の調圧水槽に足を踏み入れてしまったことだ。
外郭放水路は台風や大雨に際し、周囲の河川から溢れる水を貯蓄、江戸川に放水することで洪水を防ぐための施設だ。
流れ込む水の勢いを調節するための調圧水槽は長さ177m、幅78mの広さを持ち、
さらに59本もの巨大なコンクリート柱が林立する様はあたかも広大な地下神殿のようさ荘厳さを誇る。
魔術師・藤本美貴は、事実この空間を神殿として使用したのである。

そもそもの疑念は、藤本美貴という"人格"が後藤真希の"肉体"を完全に支配していた点だ。
加えて、あの後藤真希は一挙手一投足、独自の癖に至るまで藤本美貴そのものだった。
人格とはすなわち脳のもたらす反応の集合であり、身に染みついた癖は全身の神経系が司っている。
ひと口に肉体を乗っ取ると言っても、脳と神経系をごっそり別の肉体に移植するなど医学的には不可能だ。
仮にそれが魔術の応用で可能だとしても、脳や神経系との関わりが深いとされる超能力を欲するなら
これもまたあの"後藤真希"の在り方と矛盾する。

考えられるとすればひとつ。
なんらかの魔術によって、藤本美貴の脳や神経系の働きを後藤真希の肉体に同期させているのではないか。


結論として、れいなの推測は的中した。
藤本美貴は魔術を以って、ヴァリアント化した後藤真希の肉体に宿っていたのだ。
さゆみに依頼した情報はこの、藤本美貴"本体"の居場所だった。
莫大な情報料と引き換えに手に入れたその場所こそがここ、首都圏外郭放水路。
そして問題は調圧水槽にれいなが踏み込んだ瞬間に起きた。
大規模な魔術には適切な空間と術者に合った地理的条件、そこに描く精密な式が必要だと以前に美貴に聞いたことがある。
それらの条件を満たすのが、あたかも神殿の如き調圧水槽だ。
魔術の概念のひとつに類感呪術というものがあり、
これは「形の似たものは相互に影響を及ぼし合う」という術式の基礎だ。
民間呪術の間にもこれらの例はあり、丑の刻参りなどがその代表例といえる。
この応用で、魔術師は「見立て」によって簡易的な神殿を作り上げ、大気中のマナを集めるための基盤とする。
建築思想が根本から異なろうとも、"神殿に似ている"というだけで本物の神殿に「見立てる」ことが可能になるわけである。
そして、藤本美貴が生まれ持った属性は"水"。
多くの河川と繋がるこの場所は、彼女と非常に相性が良い。
美貴はこの神殿に巨大な陣を描き、それを以って一人の肉体を永続的に乗っ取るという大魔術を完成させた。
しかし"能力殺し"がその神殿に踏み入った瞬間、描かれた陣は力を失い、青い閃光を漏らした後に消滅した。

れいなは急ぎ、かつ慎重に隠し通路を通って地下研究室まで辿り着いたが、すでに肝心の美貴は姿を消していた。
水槽の中で眠った状態であれば、拳銃弾一発ですべてを終わりにできたというのに。
だがまだ遠くへは行っていない。
耳につけたインカムの無線機とゴーグルに投影される映像からは懸念した通りの事態が確認できるが、
ここから何ができるわけでもないし、後は作戦通り仲間に任せる他ない。
無線機とゴーグルを外し、れいなは粘液で濡れた足跡を追った。



最終更新:2014年01月18日 15:14