(40)633 『motor picture』



ノックの音がした。振り返ると扉にもたれかかってボスが笑顔で立っていた。
「裕ちゃん、何の用?申し訳ないんだけど、今、集中しているから・・・」
そう言って私は手に持っていた筆をパレットの横に置いた。

「特に用はないんやけど、なんとなく顔見たくなったんや。まあ、話聞くくらいやったらええやろ?」
そう言ってボスは部屋の中にズケズケと入ってきた。まったく、遠慮というものを知らない人だ…

残念ながらきれいとはお世辞にも言えない部屋の壁際に座っていた私は気づかれないようにため息をついた。
「…まあ、ちょうど息抜きをしようと思っていたところだから、いいかもしれないわね」
「せやろ、ちょうどええところにウチ来たやんか。感謝しいや」

こうやって自分に都合良く解釈するのも相変わらずだ。
でも、こう言う風に考えられるのも私がこの人を好きな理由の一つなのは間違いない。
だって、私にとって数少ない心を許せる人間だから


この人とはもう10年以上の付き合いになる。
初めてであったのは今は亡き特殊部隊「ASAYAN」だった
当時、私は自分の力を恐れていた。自分の意思とは無関係に未来が視えてしまい、単純に怖かった。
「ASAYAN」に入隊したきっかけなんて今はもう忘れてしまったけど、目的は力の制御方法を学ぶこと。

…あの頃の私は怒りに満ち溢れていた。
そのせいか、笑っていてもなぜか「怒ってる?」と不安な声をかけられ、誤解されがちであった。
「ねえ、笑って?」そう私から声をかけても、相手の返事が「オマエが笑えよ」
そんな黄金パターンの繰り返し

確かにこの世界を私は憎んでいた。こんな私に「予知」なんてヒトと違う力を与えた世界を…
そして、その力に屈して大切な妹を死神のもとに差し出してしまった私自身を憎んでいた。

                ★★★★★★


「かおり~いるんでしょ~?お母さん、手が離せないからちょっとお使い行って来て」
1階から母の声がする。

私は階段を下り、母親から財布とメモを受け取り、お気に入りの長靴へと足を通す。

外は土砂降りの雨。灰色の空が町を覆っていた。
幼い私は近くのバス停で雨の中、雷を恐れながら待っている。

しばらくするとやってくる一台のバス。私は急いでバスに飛び乗り、お気に入りの後部座席に座る。
ベルとともに扉が閉められ、バスは大通りへ向かって走り出す。

ガタガタと揺れる少しばかり古いバスの心地よい振動に身をまかせながら、私は外をぼんやり眺めている。
「早く晴れないかな・・・遊びに行けないよ」・・・そう同じ台詞を呟く私

ある路地を走っている時に一段と雨が激しくなり、風も吹いてくる。
その風にあおられてバスの左右の揺れが大きくなっていく。カウントダウンの始まりだ。

バスは運行コース内の数少ない急カーブにさしかかる。雨のせいで視界がとても悪い。
雨が降っていることもありいつもよりも運転手はスピードを落として侵入した。
ゆっくりと、ゆっくりと運転手はハンドルを握る。

無事にカーブを曲がりきろうとした瞬間に子供が交差する道路から飛び出した。
運転手は急に出てきた子供に驚き、とっさに急ブレーキをかけた。

急ブレーキをかけられた車体は雨で濡れた路面を華麗に滑り、偶然吹いていた横風にあおられスリップを起こす。
それほど広くない道路の真ん中で横向きになってバスは止まった
そこに急カーブの死角になっていた道路から車が飛び出してくる。
雨が降っていたことも重なってその車はブレーキを踏んだがほとんどスピードを落とすことなくバスに衝突する。

それは私の座っていた座席の近くであり、衝撃と共に私は外へと投げ出され、道路に強く打ちつけられる。
そして、そこに運悪く二台目の車がやってきて・・・


                ★★★★★★

こんな夢を連日見ていた私は外に出ることが怖くなり、一日のほとんどを家の中で過ごした。
雨の日は特にそれがひどく、自分の部屋に引きこもり、頭から布団にくるまり一日中震えていた。

そんなある日、もちろん雨の日であったが…母の声がリビングから聞こえていた。まさしくあの台詞が

私は聞こえないふりをして、ベッドの中で静かに黙っていた。「いないの~?」母の声が聞こえたが…
頭の中に何度も繰り返し視てしまった悪夢の光景が鮮明に再現され、私の震えは最高潮に達していた
(もし・・・行ってしまったら・・・イヤダイヤダ・・・)

暫くすると下から聞こえてきた母の声も聞こえなくなり、私は母におつかいを頼むことを諦めたのだと感じた。
これで嫌な予感も消えたのだと安心したとたんに頭の中に新たなビジョンが飛び込んできた。

それは私が恐れていた悪夢とほとんど―バスの事故現場だった。違っていたのはほんの数ヶ所。
倒れている人物は私よりも小さく、そしてその周囲には何枚もの画用紙で出来た本が待っていること。

(誰?この子?・・・もしかして・・・いや・・・そんなことないわよね)
嫌な予感がして、私は慌てて部屋を飛び出し、母親に妹の居場所を尋ねた。
「あら?圭織いたの?いないと思って、あの子にお使い頼んだのよ」
私はサッと血の気が引いて行くのを感じ、慌てて母親に尋ねた
「いつ?何分くらい前?今から私がいくから!!」
「そんなこといってもねえ・・・10分くらい前に出たから、もうバスに乗ってる頃だと思うわ。
でも、行ってくれると助かるけどね。お姉ちゃんが一緒に行ってくれると喜ぶからね。
今日も雨なのに、圭織の書いたあの絵本を持って出かけたのよ。大好きみたいね」
そう言って母は何も知らないゆえに私にとっては最も痛みを感じる笑顔を向けた。

私は母から差し出された傘も受け取らず、急いで飛び出した。部屋の中から見た雨は予想よりも激しく冷たさが身にしみた。
(早くしないと・・・あの子が・・・)私は『視ていた』悪夢の現場へと急いだ。


しかし私が向かっている途中にパトカーに追い抜かれた。もちろん、サイレンを鳴らして…
嫌な予感ほど当たってしまうのはどうしてなんだろうか?
私が現場に着いた時に目にしたのは…恐れていた過去であり、現在の姿、そして未来永劫変わらない真実

妹は死んでいた。視た夢の中の姿を見事に映ししたあの姿のように・・・

現場は凄惨な有様であった。視た未来では自分の死しかわからなかったが、現実ではもっと多くの死者がでた。
乗っていたバスは炎上し、そのバスに衝突した自動車は民家の壁にぶつかり潰れていた。
後から聞いたが死者は二桁を超えるような大きな事故だったようだ。

病院で目にした妹の左腕はあらぬ方向に曲がり、抱えていたのであろう画用紙は赤色に染められていた。
私が必死に妹の名を呼んでも永遠に起き上がることのない姿を見て私はただ茫然と立ち尽くしていた。
私を見る母親の目はガラスのように一点の曇りもないくらいに見開かれ、私と妹を交互に見つめ合わせていた。
何も知らない父は母の肩をそっと抱き、もう一方の手で私を包んでくれた。
「泣きなさい、今はしっかりと」父の言葉は何も私の心を潤さなかった。

病院から帰って一人でへやに閉じ持っているとノックの音がした。
「かおりちゃん?入っていいよね?」お母さんだった。今までにないくらいに静かで丁寧な口調だった。
「うん、いいよ・・・お母さん・・・泣いていいよね」
本当は全く涙なんて出てこないのに…私は子どもなりの精いっぱいの気をつかった。
「かおり、泣きなさい。今はまだ実感がなくて泣けないのかもしれないけど今のうちに泣いた方がいいわ」
そう言って母は私の横に腰を下ろした。
「急にいなくなるなんて…お母さんも悲しいのよ。
 昨日まであんなに元気だったのに、もうあんな笑顔を見れないなんて信じられないの…」
「うん…」

母は何か別のことを言いたいのではないかと幼い私はなんとなくであるが感じ取っていた。
確かに私にとっての妹、母にとっての娘を失ったのは悲しいが、それ以外の何かを私に感じ取って…


「お母さん、今は泣けないの…怖いの…どうして?なんで死んじゃうの?死んだらどこに行くの?」
でも、本当に母が聞きたいだろうことは言って欲しくなかった。だから、こんな言葉を口に出したんだ
「わからないわ…でもね、あの子は天国にいると思うわよ。きっとお母さんや圭織をずっと見守ってくれるわ」
そういって私の黒髪を母はなでた。でも、その手は全然滑らかに動かなかった。

…母はおそらく私の急に家を飛び出した行動を見て、私が何かを隠していると思ったんじゃない?
いや、正確に言おう。母はこう思ったのではないか

『圭織はバスが事故に合うのを知っていたのではないか?
 もしかして、それを知っていたからお使いに行かなかったのではないか?
 妹が行くことも知っているうえであの選択をしたのではないか?』

でもそれを訊いてもう一人の娘を追いこませることは母として出来なかった。今ならわかるよ…
もし違ったならば傷つけることになり、その通りだとしても傷はますます拡げることになる。
結局、母さんも恐れていたんだよね、傷つくことが・・・・もちろん自分のことも含めて。

それから私の生活は変わってしまった。いや、変えてしまったというべきかもしれない…
自分が未来を視てしまったこと、母親の私を見る視線、そして妹を失ったこと…
自分の手で未来を選ぶことがこんなに辛くなるなんて思っていなかった…
それからも自分で未来を視ることは制御できず、益々自分の殻に閉じこもってしまう一方だった。
父は励ましてくれるがそれはまったくの見当違いの励ましであり、母は心配してくれるが踏み込んでくれなかった。
自分の時間が出来てしまった私は何もしないでただ黙っている時間が増えてしまった。
とても辛かった、もう毎日、いや一秒一秒が苦痛でしかなかったのだ

あの頃、私が生きていたのは自分のためではなかった…
それは・・・私さえもいなくなったら悲嘆にくれるであろう親のための
自分の子供が普通でないのではないかと疑い本当に自分を失ってしまった母のための
私のたった一つのわがままのために命を刈り取られた妹のための・・・

                  『償い』


怒っていた表情は理不尽な世の中にも…勝手すぎた私自身に対しても…向けていたの
笑えることはできなかった、いや、許しちゃいけなかったの。
そんなことできる価値なんて私には無かったから、あの頃には・・・

だから私は少しでも早く外に出て働きたかった。幸い、私には力があるから、仕事にはつける自信はあった。
もちろん父は反対した。成人する前に一人暮らしするなんて、とか言って。
でも母は反対しなかった。ただ「無理しないようにね」とだけ言った。

母は、心のどこかで私がいなくなることを望んでいたのであろう…私が普通でないかと疑っていたから
私から外に出たいと言えば自分の心は傷つかないし、自分の身は保障される。

私は一人で上京し・・・「ASAYAN」に入った。そして、そこで今のボスに出会った。
私の力を制御する方法をを学び、悪夢は視ないようになり、苦しみは和らいだ
「ASAYAN」は正義の組織…誰かのために、償うことを求めていた私にとって最高の居場所だった。
仲間もできた。。。ボス、天使、矢口、K・・・最高の仲間達

しかし、いつの間にか私は罪のために存在することを忘れていた
仲間と普通に語り合い、笑いあい、ふざけ合う。いつの間にか失われた笑顔が戻ってきていた。
その事実に気がついたふとした瞬間に私は茫然とし、「交信」を始める。

仲間は「交信してるよ~」と笑っているが、あの姿は私が私たるために必要な儀式…
そして一人になった後には部屋に閉じこもり絵を描くようにした。
私の絵が大好きだった妹のことを忘れないようにと…自分自身への戒めのためにと…

そんなある日、ボスが気まぐれで私の部屋に忍び込み『絵』を発見した
本当に恥ずかしかった。絵を描くのは好きだが一度も誰にも見せたことがなかったのだ。
口が軽いボスならすぐにしゃべってしまうだろうと思っていたが、そんなことはなかった。


ボスが私の絵をみて持った感想は単純明白だった
『なんかわからんけど、好きや』・・・非常にボスらしい感想
どこが好きなの?と聞いても、『なんとなくや』としか答えない

その日から私には新しい任務が増えた。「私の視た未来を絵に記す」こと。ボス曰く、
『未来を口伝えに言うには限界がある
 映像化したほうがわかりやすいし、せっかくの画家さんの腕は使わなもったいない』
そして、こっそりと
『もっと圭織の絵をもっとたくさんの人に見て貰いたいんや』と屈託のない笑顔で言った。
      • 何か妹のことを思い出してしまい、一人で泣いてしまったのは内緒だ…

私が組織のために描いた絵は何度も来るべき未来のために組織の士気を高めるのに役立った。
ただボスの指示により、詳しい絵は描かないようにしていたため抽象的な作品になってしまったが…
私は、居場所が『ASAYAN』から『M』になっても絵を描き続けた。
償いのために、人のために生きていた私は必死に未来を伝え続けた。

そのうちの何枚かは仲間が気にいったために譲った。欲しいといって断る必要はどこにもない。
もちろん、ボスの部屋に一枚の絵が置いてある。
私にもぼんやりとしか見えなかった未来を描いた私の描いた衝撃的な絵。

しかし、この絵だけは外に出すわけにはいかないと言い出したため、絵の存在はボスしかしらない…
なぜなら、『M』が『ダークネス』に変化せざるを得なくなったきっかけを予知した絵。
私も来てほしくない未来であり、変えようとしたが…無理であった過去の遺産
もしこの絵が外に漏れたら…組織は崩壊して、正義も闇も消え無意味な争いしか生まなかったであろう。

ただ、一つだけ言えることは、きっとこれからも私はこうやって絵を描き続けること。
今の居場所は『ダークネス』になった。でも、私はこの世界に存在する新しい価値を見つけた。
自分のために生きるが、これからは自分の必要な人のためだけに生きてあげるわ
組織の守護者として、未来の画家として、神としての役割を果たすためだけに。。。


「お~い、もしもし、ちょいちょい、帰ってこ~い」
はっと我に帰るとボスが私の肩をぐらぐらと揺らしていた。また交信してしまったか…
「なによ、裕ちゃん」
「かおり、また交信しとったで。こんどはどっちや、未来をみとったのか?
 それとも自分を落ち着かせてたんか?」
ボスが笑いながら皮肉を言ってくる。知ってるくせに
「今視てたのは、『過去』よ。私にとって大事な、ね。」

「それで今は何を描いとるん?みせてくれや~」
そういってボスが描いている途中の絵を見ようとするので私は必死になって隠した。
「これはまだ書いている途中だからダメです。というかこれは趣味で描いてるものだから!」
「うち、圭織の絵のファンなんやから未完成品見るのもいいやけど…」
「そこは裕ちゃんでも譲れません!」
断固としてそこだけは譲れないのだ!!
「頑固やな・・・まぁ、ええわ。出来たら教えてな~」

そうね・・・いつかこの絵を披露できる日が来るといいな。
この絵…そう、みんなで温かな太陽の下で笑っているのが現実になる日にね。



最終更新:2014年01月19日 23:18