こんな暑い日にわざわざ会いに行くのは
このリンゴジュースを届ける為だ
決して 会いたくて行くわけじゃない
このリンゴジュースを届ける為に 会いに行くだけだ
◇◆
病院前に止まったバスから降りて、向かう先は彼女がいる病室。
足早に歩いてエレベーターに乗り、目的の階のボタンを押す。扉が開き、すぐに足を進めた。
病室の番号を口ずさみながら、彼女がいるであろう病室の前へとたどり着く。
扉を開ける前に一度だけ深呼吸をする。三日ぶりに会うことになり、少しだけ弾んでいた心を鎮める。
そして、扉を開けた。
「…さゆぅ~?」
「さゆやなくてれいなやけん」
「あ、れーなだぁ~」
うへへと笑うその顔は本当に嬉しそうで、自分もつい微笑んでしまうぐらいだった。
「でも珍しいね、れーなが来るなんて」
「さゆはなんかレポート?で忙しいから来れんって。代わりにれいな行ってきてって言われたけん」
「そっかー」
来れない人の代わりに来たのに、それでも彼女は嬉しそうにしていた。
今日は体調が良いのか、それとも自分が来てくれたことに喜んでいるのか。
後者であれば、ただただ嬉しい。
「んで、さゆに頼まれたリンゴジュース。買ってきたと」
「やったー!ありがとれーなっ!」
またも笑顔になり、渡されたリンゴジュースを両手で掴み嬉しそうにしていた。
喜びを横揺れで表しているのか分からないが、その仕草が何だか可愛らしいと思ったのは内緒だ。
「今日暑かったけん、ぬるくなっとらんよね?」
「ん?大丈夫だよ、全然オッケーですよー」
ストローを刺し、リンゴジュースを飲み始めた。
ちびちびと飲む彼女の主義は、なんとなく分かる気がする。
ただ、オレンジジュースが好きだったはずだけれど。
「オレンジジュースやなかと?」
「今度はリンゴジュース買ってきてって、さゆに頼んだからさ」
笑みを浮かべて、自分の質問に答えてくれただけなのに。
太陽の光に照らされた彼女の顔が、何故か印象的に映って儚げに感じた。
**
ちびちびとジュースを飲む彼女をぼーっと見ていた。
そんな時にふと、彼女がこちらを見てきた。
「…れーな、なんか静かだね。体調でも悪い?」
「へ?あ、いや、大丈夫やけん。絵里に言われたくなかとー」
「へへ、それもそうだね」
しまった、と思った。
すでに後の祭り。けれど、彼女は別段気にしている様子は無かった。
なぜだろう。言葉をかけたくても、かけられない。
なぜだろう。何か言おうとしても、彼女の姿が眩しい気がして言えなかった。
「今日お店は休み?」
「あ、うん」
「そっかー。愛ちゃんは何してるんだろー?」
「たぶん、宝塚のDVDでも見てるんやなか?」
「そうかもねー」
本当に、他愛もない話だ。
いつもはお喋りしたい自分も、何故か今はあまりしたくなかった。
普段、お見舞いに来れない為に。
普段、彼女が病室にいる所を見たことは無いから。
彼女のこんな姿を、自分は見たことはなかった。
そう思うと、なぜだか彼女の纏う雰囲気も、姿も、横顔も、全てがとても神秘的に見えてくる。
近いのに、遠い存在。
「…絵里…」
「ん?」
「…え、りは…」
また、言葉にできない。それ以前に、何を言いたいのか分からなくなった。
ふと、膝の上に置いていた右手に温もりを感じた。それは彼女の温かい手だった。
「れーな、どうした?本当に具合悪いんじゃないの?大丈夫?」
どうしてこうも、彼女の声は癒されるのだろうか。
本当は、誰よりも人を見ている。その声は心を温かくし、その笑顔は人を癒す。
どうしてこうも、彼女は心配してくれるのだろうか。
三日も会わないうちに、改めて思い知らされたことだった。
「れーな?」
「…大丈夫やけん。ちょっと、ぼーっとしとった」
「ほんとに?」
「…っよし!今日はれいなの話を聞かしてやるけん、覚悟しとってよ!」
「…えー、れーなの話ってオチが無いんだよね」
「ほら、聞いて聞いて!」
「はいはい」
言いたいことはあったのかもしれない。けれど、言わなくてもいいことだったかもしれない。
彼女から学ぶことは、たぶんたくさんある。
けれどそれは、彼女と過ごしていく日々の中で見つけていくものだ。
彼女は生きている。そして今ここで、一緒に過ごしている。
とりあえず彼女は一人しかいないし、確かにここに存在している。
たとえ不安が奥からこみ上げてきても、そのせいで泣きたくなっても。
その事実が信じられるものならば、自分は大丈夫な気がした。
最終更新:2014年01月19日 23:29