(42)397 『SINNERS~3.山気が立ちこめる~』



「はい、これ着て」

そう言って手渡されたのは、煌びやかな蛍光ブルーのチャイナドレス。
スリットは控え目だけど、丈は完全に膝上だ。
伝統衣装というよりは、中華文化を勘違いした外国人などに受けそうな感じである。

「これ・・・私が着るんですか?」
「うん。組織のコンピュータにアクセスして顔写真調べてみたらね、ハワイ支部の幹部の
 キムラって人の顔が琳によく似てたの。だから琳はその人に成りすませばいいと思って」
「ハワイ支部の人がチャイナドレス着るんですか」
「着てたよ?こんな地味なのじゃなくて、もっといい感じにいかがわしい赤のチャイナドレス」

この蛍光ブルーが地味と申すか!

いちいち突っ込んでいたらきりがない。
琳は、素直にその服に着替えることにした。

こんなものまで用意するということは、純は本気で自分を脱走させようと考えているのだろう。
ここまでやれば、万が一自分の姿を見られても別人であると言い張ることができる。
もちろんそんな嘘はすぐにばれるだろうが、ようは彼らがそれを確認するまでの間に
人払いと時間稼ぎができればいいのだ。
少しでも中が手薄になれば、脱走に成功する可能性は高くなる。


それにしても。

「純姐さんは本当にコンピュータが得意なんですね」
「まーね。機械いじるの好きだし」

この人は本当に予測のつかないことばかりしてくれる。
おかげで、一緒にいて飽きることがない。
            • もっともっと、一緒にいたくなる。




数十分後、二人は施設を脱出して組織の私有地の外に出ていた。
久しぶりに見る朝日が眩しい。
琳は目をすぼめる。

「なぁーんか、思ったより簡単だったね」

ここまでの脱走は、思いのほか容易だった。
独房の鍵を得るために純が倒した看守は拍子抜けするほど弱かったというし、
脱出経路として使った通風孔は、牢獄に窓がないためか通常のものより
大きめに作られていて人一人充分に通ることができ、
建物を出てからは、純の見つけた監視の目をくぐり抜けるルートを慎重に進んだ。
万事順調。
それこそ、うまく行き過ぎて怖くなるくらいに。



「山道に出て市街地へ下りればあいつらも手が出しづらくなるでしょ。もう少しの辛抱だ、がんばろ!」

励ますように言って、純は琳の肩を叩いた。

こんなに順調にきているのは、彼女が持てる力を存分に尽くしてくれているおかげだ。
なぜ、そこまでできるのだろう。
たった数日前までは赤の他人でしかなかった相手なんかのために。

「純姐さんは、どうしてそこまでしてくれるんですか?私を助けたってなんの得もないでしょう?」

歩きながら尋ねてみた。
身長差があるので、自然と琳は純の横顔を見上げる形になる。
朝日に照らされたその横顔は、とても澄んでいた。

「いいんだよ、得なんかしなくて。これは・・・・・・自己満足なんだから」
「自己満足?」

澄みきったそこに、自嘲的な色が加わる。

「そうだよこんなの・・・罪滅ぼしにもなんない、ただの自己満足だよ。こんなことで
 私の罪が軽くなるなんて思っちゃいない。わかってるよ、わかってるんだ・・・」

純の呟いた言葉は、自分ではなくどこか別の誰かに向かって発せられているようだった。

顔は笑んだままなのに、言葉と声はとても悲しい。
震え交じりの悲愴な想い。

この人も苦しんでいる。かつての自分と同じように。
今ようやくそのことに気づいて、琳は自分の無神経さと鈍感さを呪った。


同時に、彼女の強さを思い知らされる。
事の真意はよくわからないが、おそらく彼女は向き合っているのだろう。心の中の辛い記憶と。
過去から目を背け、考えることを投げ出してしまった自分とは違う。
向き合うのをやめてすべてを受け入れ、ただただ死を待っていただけの自分とは、違う。

だから、彼女だったのかもしれない。
自分と似た苦しみを背負いながらも、自分とはまったく違う生き方を選択している彼女だからこそ
惹かれ、名前を知りたい知ってほしいと思い、最後の時間を共に過ごす相手に選んだ。


「・・・琳?どしたの?」

このまま、何も言わないでいるのはあまりにも不躾だ。
ここまで自分を導いてくれた彼女と、かつて自分が“殺した”人たちに対して。

――――告白しよう、私の罪を。

懺悔で罪が軽くなるとは思わないけど、もう逃げるのはいやだった。
言葉にすることで、きちんと自分の罪に向き合いたい。
たとえその結果、「銭琳は守る価値のない人間だった」と純に気づかれたとしても。

「純姐さん!私、本当は――」




あなたに守ってもらう資格なんかない。
そう言おうとした。だけど言えなかった。
なぜならその瞬間、純の右肩から紅く生温かいものが噴き出したから。





純はその場に膝をつく。
何が起きたのかわからなかった。
紅く染まり続ける純の右肩には、円錐形の矢のようなものが一つ刺さっている。

琳は、ゆっくりと振り返った。
木々の向こうに見えるのは二十人ほどの集団。
いろいろな顔がある。
怒りに震える顔。嘲笑う顔。無表情な顔。
その集団の先頭に立つリーダー格らしき男と目が合った瞬間、琳はようやくこの状況を理解した。


あぁ、終わりなんだ。



最終更新:2014年01月19日 23:39