(25)650 (俺シリーズ5)



「あーあ『救世主』と『天使』の顔、一目だけでも見たかったなあ…。」
あれから数時間『救世主』と『天使』を待ち続けていたが、結局二人が現れる前に俺は退勤時間を迎え、本部内にある更衣室で帰宅準備を始めている。
それにしても今日は俺にとって悪夢のような長い一日だった。
散々待たされた挙げ句に漸く現れたあのチビはムカつくわ、インチキ女は意味不明なお告げはするわ、本当に散々な一日だったぜ…。
それにしても“アイツ”とイケメン女、一体どんな関係なんだ…?

「そんなに気になるのか?俺の事が。友人として嬉しく思うぜ。」
…また急に出て来やがった。そしてまた勝手に俺の心を読みやがって…。
まぁ、いい。普段なら会いたくない野郎だが今日は話は別だ。
「お前一体何者だ?あのチビやイケメン女とも、ヤケに親しそうだったが。」
「どうでもいいだろそんな事。俺はお前の“友人”ただそれだけだ。」
「ふざけるな!勝手に纏わりついてきて何が友人だ。」
「随分とご挨拶な物言いだな。最初に俺に近づいて来たのはお前だぜ?」
「ハァ?どういう事だ?」

「忘れたのか?お前が“あの時”俺を呼んだんじゃねーか、助けてくれって。」
「…ち、またその話かよ。嫌な事を思い出させやがって…。」
「“あの時”のお前、情けない面してたなぁ。今でも覚えているぜ。」
「煩い!それより早く俺の質問に答えろ!」
「そうカッカするなよ。そうだな、敢えて言うなら俺はお前の“スーパーマン”みたいなもんだ。お前が助けを呼べば、俺は何時でも何処でも真っ先に駆けつけてやるぜ。じゃあな、親友。」
そう言い残し、髭面の男は再び姿を消し、去っていった。

ち、結局今日も何時もみたいに、はぐらかしやがって…。何がスーパーマンだ全く…。まぁいいや、今日はもう帰ろう。兎に角、疲れた。

更衣室を出て、ふと廊下の窓から見える景色に目をやると、先程まで碧で埋め尽くされていた空は、いつの間にやら薄暗い紫色の夕焼け空に変わっている。
そう言えば、あの髭面の男と初めて会った日も、こんな不気味な空だったな…。
「ねぇ、キミ!そこのキミ!!」
俺が物思いにふけっていたその時、子猫を抱きかかえた小柄な女性に声をかけられた。

「ねぇ、医務室どこにあるか知らない?なっち、本部なんて滅多に来ないから場所が分かんないの。」
…なっち!!!
その名称を聞いた途端、俺の体内に電流が走った。
何故なら俺の目の前にいる女性は最強の能力者集団『DD』の中でも『救世主』と双璧を成す実力者であり、ダークネスの『天使』とも呼ばれる『安倍なつみ』その人であるからだ。
「本部に来る前に一人で公園をお散歩していたらさ、この子猫、血だらけになって倒れていたの。早く手当てをしてあげないと死んじゃうわ!」
『天使』は目に涙を浮かべ、俺に訴えかけるように叫んだ。

子猫に目を向けると、確かに酷い重傷を負っている。ひょっとすると、もう既に手遅れかも知れない…。
「じ、自分にお任せ下さい。」
『天使』が抱きかかえている子猫に手を向け、俺は自らの能力者を全力で解き放った。そう、俺が『神』から授けられたあの『治癒』の能力を。

「凄い!あっという間にこのコ回復してる?有難う、キミ!!」
すっかり怪我が治った子猫を抱きしめ、子供のようにはしゃぐ『天使』を見ると、何だか俺まで癒やされたような気分だ。
それにしても他人からこんなにも感謝されるなんて、生まれて初めてかも知れない…。

「良かったですね。では、自分はこれで失礼します。」
「ちょっと待って。良かったらさ、幹部会議やってる部屋まで案内してくれない?本部って広いでしょ?なっち方向音痴だから、すぐ迷っちゃうんだよね。」
「か、畏まりました。ご案内致します。」
俺は子猫を抱えた『天使』を連れ、他の幹部連中が集う会議室へと足を運んだ。
「キミ、この組織に入ってどれくらいたつの?」
「約、半年であります。」
「じゃあ、まだ新人さんなんだ。大変でしょ?うちの組織って色々と厳しいからさぁ。」

「正直辛いです。訓練でも何時も上官に怒らているし…。俺、時々思うんです。このまま組織にいても何の役にも立たないんじゃないかって…。」
何故だろう。『天使』と話しているとこんなにも落ち着くのは。
何時もなら女性が目の前にいるだけで緊張して黙り込んでしまうのに『天使』の前だとこんなにも口が軽やかになるなんて…。
「駄目だよ挫けたりしちゃ。神様はね、乗り越えられる人にしか試練は与えないんだよ。そうだ!キミ、この子猫ちゃんの飼い主になってあげてよ。」
「畏まりました。責任持って自分が面倒見させて頂きます。」

天使が突然思い付いた頼み事を、俺は快く承諾した。正直ペットを飼うなんて性に合わないが『天使』の無邪気な笑顔の前では、とてもNOとは言えない。
「あ、このコ、キミに懐いてるじゃない。こんな優しいヒトに飼ってもらえるなんて、良かったね子猫ちゃん。」
子猫を抱きかかえた俺を見た『天使』の言葉に、俺は思わずこう呟いてしまう。
「俺が、優しい…?」
「なっちにはわかるよ。キミはとても心が綺麗な優しい人間だって。」
ああ、俺は漸く理解した。何故この女性が『天使』と呼ばれているのかを。

俺は今の今まで自分は卑屈な人間なんだと自虐してきたが、そんな俺の価値観をあっさりと彼女は覆してしまった。
『天使』の笑顔と、彼女の口から発せられる言葉の一つ一つが、まるで聖水を注ぐように俺の乾ききった心を満たしてくれる。
ああ、ずっとこうして『天使』と話していたい。このまま時間が止まってしまえばいいのに…。
そんな俺の想いも空しく時は過ぎ、俺と『天使』の視界には幹部が集まる会議室の扉が見え始めた。
「今日は本当に色々と有難う。キミと沢山話せて楽しかったよ。」
「じ、自分こそ『天使』様のお供をさせて頂いて光栄であります。では…。」


「あ、ちょっと待って!」
立ち去ろうとした俺に再び声をかけた『天使』は無邪気な笑みを浮かべて言う。
「なっち、いい事思いついたの。色々助けて貰ったご褒美にさ、キミを特別に幹部会議に参加させてあげる。」
突然飛び出した『天使』のぶっ飛んだ提案に、俺は面食らって思わず子猫を抱きかかえたまま尻餅をついてしまった。
「え、遠慮させて頂きます。自分のような者が、あの中に入るのは余りに場違いですし、それに…。」
「全然大丈夫だべ。どうせ大した話はしないんだしさ。」

組織の今後の方針を決める重要な幹部会議を大した話ではないと言い切る『天使』の前に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「そんな顔しないの!大丈夫、なっちがついてるんだから。」
…弱ったな。『天使』と一緒に居られるのは嬉しいのだが、あの一癖も二癖もある幹部連中と同じ空間を過ごすのは、生きた心地がしそうにない…。
「そんなに緊張しないで。さ、入るよ?」
『天使』は俺の手を取り、会議室の扉を開いた。俺の果てしなく長い一日はまだまだ終わりそうにない…。


最終更新:2014年01月17日 14:53